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2014年11月10日

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◆今週の記事

◆三千年の歴史が見上げていた

 エジプトに遠征したナポレオンは、ギザのピラミッドを前にして「四千年が我々を見下ろしている」と言ったそうで。そのナポレオンだって僕らから見れば大昔の歴史人物であるわけだが、彼から見てもエジプトは大変な悠久の歴史を重ねていたのである。そんなことを改めて思い知らされるニュースがあった。「民家の地下から3400年前の遺跡がみつかった」というのである。3400年ですぜ、神武紀元の2600年なんかよりはるかに古い。

 場所はエジプトの首都カイロから南に40キロの地点。どういう事情で見つかったのかは分からないのだが、とにかく民家の敷地の地下が掘削され、そこからトトメス三世時代(紀元前15世紀)の寺院遺跡が見つかった。掘っていたのは一般人の男性7人で、潜水用具を着用して地下水の中を潜りながらという、なかなか大変な発掘であったようだ。
 もっとも、報道によるとこの発掘者たちは学術的な目的ではなく、「宝探し」をしていた可能性が高い。一時違法な発掘をした容疑で逮捕されたが、問題の現場が違法発掘を禁じる遺産保全エリアから離れていたためすぐに釈放されたという。それでも発掘自体はエジプト政府考古省の専門家チームが引き継いだというから、違法とまでは言えないがエジプト政府としては好ましくない発掘だったのは確かなようだ。実際、ムバラク政権の崩壊後の政治的混乱の中で博物館が襲撃されたこともあったし、違法発掘と遺物持ち出しが後を絶たないという。

 で、この遺跡からは石版七枚のほか、ピンク色の花崗岩で作られた柱の礎石数個と像一体が見つかっているという。これがトトメス3世時代のものとほぼ断定して報じられているところを見ると、これらの発見物に何か決定的にその時代であることを示すものが含まれているのだろう。
 トトメス3世はエジプト第18王朝(前1570頃〜前1345)の第6代ファラオで、父親はトトメス2世。父王が死んだ時点ではまだ幼かったため、20年ほど継母であるハトシェプストが女王となって共同統治している。このハトシェプストについては2007年に彼女のミイラが特定されたという話題で「史点」に書いたことがある(史点2007/7/6)。ハトシェプストの存命中は大人しくしていた、というかせざるをえなかったトトメス3世は、いよいよ自分の時代となると積極的な対外軍事行動に出て、現在のイスラエル方面に進出してカナン連合軍をメギドの戦いで破り(この近くにある「メギドの丘」が「ハルマゲドン」の語源だそうですな)、領土を再大まで拡張している。
 そのため「エジプトのナポレオン」の異名もあるとか…って、こっちが先なんだからナポレオンが「フランスのトトメス3世」だと言うべきなんじゃないかなぁ。おや、気が付いたらまた話が冒頭とつながってしまった(笑)。



◆法王庁も進化する

 カトリックの総本山バチカン。宗教だから当然なのだが基本的には「保守的」で、教義に合わないとみた新しい科学や思想に批判を向けて来た歴史があるが、先々代のローマ法王ヨハネ=パウロ2世の時に地動説で宗教裁判にかけられたガリレイに謝罪表明をしたし、教会が長年認めて来なかった進化論についても限定つきではあるが教義と矛盾しないと表明するなど、時代の流れに合わせて解釈を変更し、それなりに「折り合い」をつけてきてもいる。もちろん神の不在だとかキリストの復活の否定なんて存在意義の根幹にかかわることまではやらんだろうし、やる必要もあるまい。

 さて、現法王フランシスコが10月28日にバチカンの科学アカデミーの会合で「世界の始まりは混乱の産物ではない。創造主の手がビッグバンを必要とした」とか「神は、自然の法則に従って進化するよう生物を造られた」などと発言したことが報じられた。つまりビッグバン理論と進化論とをカトリック教義と矛盾しないと認めた、というわけだ。もちろんバチカンではこれまでも宗教と科学の並立可能を唱えてきた経緯もあるから特にビックリする話ではない。だが前任者のベネディクト16世がかなりの保守派とされていたことに比べると一歩進めた観はある。

 現在も膨張を続けている宇宙はその始まりは小さな一点にすぎず、それがバーンとデッカく爆発することで宇宙の歴史が始まった、というのは現代科学ではほぼ定説化している。だがそれがなぜ始まったのか、そして「その前」はどうなっていたのかといった謎はあり、そこに「神様の一撃」と表現されるような宗教の入りこむ隙がある。というか、かえってビッグバン理論によって宇宙の神秘が宗教性を帯びてきたような気もしなくはない。
 進化論についても、進化するメカニズムそのものは「法則」と認めても、「その法則を作ったのは神様」としちゃえば両立は可能なわけ。こういうところは本来「保守的」であるカトリックの方が融通が利くようで、アメリカのプロテスタント右派みたいにがちがちに「聖書の記述が絶対正しい!」なんてまでは考えないらしい。聖書そのものだって所詮は人間が書いた物なんだと割り切っても別に神(創造主)を否定することにはなるまい。

 その一方で、先ごろアメリカで脳腫瘍の女性が「尊厳死」を選び、予告していたその日に実際に薬物で死んだ件については、法王じきじきのコメントではないものの、法王庁の生命アカデミーの会長は「この女性は尊厳を保って死にたいと考えたのだろうが、それは間違いだ」と述べ、あくまでこれは「自殺」であって「自殺は、生命を否定し、世界や自分を取り巻く人々に対する私たちの使命に関してすべてを否定する行為だから悪いことだ」と批判したという。実際この件については世界中で賛否両論がまきおこっていて、キリスト教、ことにカトリックでは自殺を禁じているとは良く聞くけど、やはりバチカンはこの件についてはまだまだ許容する気はないようだ。


 ところでキリスト教と言えば、先日朝日新聞に、日本の「キリスト新聞社」が今年春に発売した聖書カードゲーム「バイブルハンター」がなかなかの売れ行き、なんて話題が掲載されていた。
 なんでもこのゲームは60枚のカードで構成され、聖書に登場する預言者や使徒といったキャラクター、「五つのパン」「ぶどう酒」といったアイテム、「サタン」「迫害」といったマイナス要素カードなどが用意されていて、プレイヤーは何者かによって全世界に散らばった聖書を「ハント」することになるのだそうだ。昨今のカードゲームにはとんと無知なのだが、まぁだいたいどんなものなのかは想像できる。あくまで頭脳プレイが鍵であるため、相手を物理的に「倒す」ようなことはしないようになってるらしい。プレイ時間は一回15分程度で、小学生以上なら遊べるレベル。ゲームで聖書に親しみましょう、という一応は布教を目的とした商品で、こういうところが発売した商品としては異例のヒットではあるらしい。もちろんそういうところにしては、という話であって物凄く世間に出まわってる、ってことではなさそう。
 その朝日の記事によると、このゲームの企画者にはやはり信者から「聖書をゲームにするなんて」と批判もあったらしい。しかし現在の日本のキリスト教徒は全人口の1%程度、しかも高齢化が進んで減少傾向にあり、若い信者を獲得するのが急務で、そのためにもゲームのような若者も親しめるものが必要、との意見が出ていた。そう言われてみれば戦前にはむしろ上流階級を中心に広がったキリスト教徒も近年に近づくほどに存在感が薄れている気はする。お隣の韓国ではキリスト教徒がどんどん増えているのと好対照で、その違いの背景も気になるところ。

 日本って、よその文化を巧みに「日本化」して導入するクセがあるから、キリスト教はむしろゲームや二次元系のもので浸透させると効き目があるのかもしれない(「エヴァンゲリオン」は小道具的に使ってただけだからなぁ)。長らく縁のなかったハロウィンも、いつの間にやらコスプレ無礼講みたいな形で浸透(?)してきているようだし…。
 


◆私の愛したスパイ

 つい先日、京都大学に「潜入」した私服の公安警察官が学生たちに見つかって吊るしあげられ、その模様がネットにアップされるという騒ぎがあった。捜査対象についてはともかくとして、大学に勝手に警官が入るのは問題なので大学側も強い遺憾を表明した。それにしてもどうしてバレたのかなぁ。公安警察については、そのむかし宮本顕治共産党議長の散歩の歩数を毎日数えていたなんて話が週刊誌で笑いの種にされていたし、朝鮮学校がらみでもずいぶんマヌケなことをやってた実例を知人から耳にしたことなどがあったもので、思い込みの激しいドジな集団というイメージを抱いてしまっている。

 それと比較してこっちは…とほめちゃいけないんだよな。イギリスの警察はもっとビックリするような「潜入捜査」を実行していた。10月23日にイギリスの各メディアが報じた話題で、僕はAFP通信の日本語記事で読んだ。
 「ロンドン警視庁」といえば「スコットランドヤード」の異名でシャーロック=ホームズシリーズでもおなじみの存在だが、ここには1968年から2008年まで、「特殊任務部」という部署が存在していた。もっぱら「グリーンピース」などの環境団体や動物保護団体、あるいは左翼系団体を対象にここの「秘密捜査員」が身分を偽って潜入捜査を行っていたという。そうした秘密捜査員の中には捜査対象となっている団体に属していた女性と性的関係をもち、中には子供まで作っちゃっていたケースもあった。そして捜査期間が終わるとドロンしてしまうのである。さすがわ「007」のお国、などと感心しちゃいけない。

 1980年代に、「グリーン・ピース」にボブ=ロバートソンと名乗る青年が参加した。見た目には典型的な、真面目な左派青年だったそうだが、実は正体は特殊任務部の潜入捜査官だった。2012年になってグリーンピースがその事実を明らかにしたのだが、その報道を見てショックを受けた女性がいる。僕が見た報道ではこの女性がグリーンピースにいたのかどうかは分からなかったのだが、とにかく左派系の青年「ボブ」と彼女は恋愛関係になり、一人息子までもうけた。ところがその息子さんが2歳の時に「ボブ」はいきなり妻子を残してドロンした。そう、5年間の「捜査期間」が終わったからである。女性は2012年になって報道で「ボブ」の正体を知ったわけだが、その「ボブ」には当時すでに本物の(?)妻子もいて、捜査終了後はそちらに戻ったというからひどい。現在「ボブ」は研究者をしているそうな…。

 その女性はショックのあまり精神科に通っているそうだが、彼女以外にも同様の例が複数あることが明らかになり、訴訟まで起こっている。だがこれら捜査員たちはあくまで職務上のことだからというわけか、8月に元潜入捜査員4人について捜査中に女性と性的関係をもったことについて刑事責任は問わないとの裁判所の判断が出ている。
 ただロンドン警視庁としては責任を感じるということで、このたび「ボブ」と子を作ってしまった女性に対して慰謝料42万5000ポンド(約7400万円)が支払われることになった。ロンドン警視庁は「元捜査員との関係で被った苦痛に対し、率直な謝罪を表明する」との声明を発表したが、「任務遂行のために捜査員に性的関係の利用を認めたわけではない」と言い訳もしている。「殺しのライセンス」ならぬ「○○○のライセンス」(品位を考慮してこの表現。お好きな言葉をおいれください)なんてのは認めてませんよ、ということなんだが、複数の例があるところを見ると暗黙の了解がある気がする。あのホームズだって、身分を隠して女性をたらしこんで婚約までこぎつけ()、情報収集した(いわゆる「性的関係」まではないが、その女性はほったらかし)例があるからなぁ。



◆昭和も遠くなってきて

 気が付いたら11月。今年もそろそろ「暮れ」である。平成26年ということだから、「平成」もとうとう四半世紀を過ぎてしまったわけだ。塾での教え子に平成生まれが出てきた時にも時の流れに驚かされた者だが、近頃じゃ21世紀生まればかりが相手になってきたからなぁ…

 前の年号「昭和」の終わりが迫った頃、当時の長崎市長が「天皇に戦争責任はある」と発言して騒がれたことがあった。そして発言からおよそ一年後に右翼に銃撃され瀕死の重傷を負うことになる。そんなこともあったのか、と驚く世代もかなり多くなってきている平成の26年、その当人である本島等・元長崎市長の訃報が流れた。銃撃を受けても一命はとりとめ、およそ四半世紀、92歳まで生きての大往生であった。カトリック信者だったので、「往生」という仏教用語が適切かどうかはさておく。

 本島等氏は1922年に五島列島の北魚目村(現・新上五島町)に生まれ、戦時中は1年4ヶ月の軍隊経験もした。戦後は教師を経て政界へ進み、長崎県議を5期つとめ、自民党長崎県連幹事長にもなり、1979年から長崎市長となった。「天皇の戦争責任」発言をした時はすでに3期目、10年近く長崎市長を続けていた時期だ。経歴を見ればわかるように、まったくの保守系、自民党の地方有力政治家の道を歩んできた政治家である。
 その本島市長(当時)が1988年12月7日に市議会での答弁で「私が実際に軍隊生活を行い、軍隊教育に関係した面から天皇に戦争責任はあると私は思う」と明言した。天皇とはもちろん昭和天皇のことだがこの時点ではまだ存命なので「昭和」の贈り名はついていない。だがこのちょうど一カ月後の1月7日総長に死去して「昭和」が終わることになり、この発言の時点では9月以来の「重態」状態が続いていた。今から思うと信じられない話だが、NHKでは定時のニュースの最後に、天気予報、株価や円相場などのあとに「今日の陛下のご容体」として体温はおろか吐血・下血の量まで表示していて、世間では「Xデー」近しとみてお笑い番組が消えたりイベントが中止になるなど「自粛ムード」が広がっていた。この発言、時期が時期だけに右寄り業界の反発を招いてしまった。

 発言自体は客観的にみればどうということはない。戦中においては天皇は憲法の規定で日本の統治者であり軍隊の総司令官「大元帥」であった。もちろん実際はかなり形式的なものでもあり天皇本人の意思とは無関係に事態が動くことも多かったのだが、当時の政策や戦争が天皇の名のもとに絶対的に正当化され、それに反対することは天皇の意向に逆らう「非国民」扱いされたことはまぎれもない事実だ。本島市長も自身の軍隊生活をふまえて「天皇に戦争責任あり」と言ったわけで、当時右翼連中の台批判の声の中で、名物右翼であった赤尾敏が「天皇に責任があるのは当たり前」と発言していたのをよく覚えている。時期は異なるが脚本家の笠原和夫も「天皇は切腹すべきだった」と発言していたことがあり、戦中を生きた人の中にはある程度同様の考えをしている人はいたはず。いいか悪いかという評価は別にして、国家の仕組みとして責任のある立場ではあったはずなのだ。本島市長の発言も「責任はある」としつつも昭和天皇個人を追及するような趣旨にはなっていない。
 だが戦後になるとポツダム宣言受諾の「聖断」が強調され、昭和天皇は終戦の功労者にされる一方で戦争責任についてはウヤムヤにされた。これはもちろん占領したアメリカ側の思惑が大きかったわけだが、「それができるのならもっと早くやめることもできたのでは」との議論も昔からある。特に1945年に入ってからの大きな犠牲は避けられたのではないか、との声はあり、このとき本島市長も被爆地長崎の市長として「戦争終結を早く決断していれば沖縄、広島、長崎はなかったと思う」と明言していた(ただし後年、原爆投下について日本の加害責任とからめて「やむをえなかった」とする見解を示してもいて、これはこれで議論を呼んだ)

 本島発言は右翼系の猛攻撃にさらされ、長崎選出の自民党国会議員が「誰のおかげで市長になれたと思っているんだ」なんて攻撃していたのもよく覚えている。それでも本島市長は「天皇についての自由な発言ができずして、日本の民主主義の発展は期待できない」として発言撤回は断固拒否した。
 1990年1月18日、本島市長は長崎市役所前で右翼団体幹部に銃撃され、弾丸は左胸を貫通した。カトリックの方だけに、これで自分の人生は終わったと思い、これまでの人生で人に尽くせたかどうかと思いをめぐらしたと後日語っていた。幸いにして一命は取り留めたが、政治的動機のテロで政治家が直接襲われた例は日本では浅沼稲次郎社会党委員長暗殺(1960年)以来のことで(そういやこれに赤尾敏が絡んでたな)、日本社会に大きな衝撃を与えた。その後本島氏は革新系の支援を受ける形で4選、さらに5選をめざした1995年の市長選で落選して政界を引退した(発言の影響で自民党の支援が得られなかったし、多選批判もあったと思う)。この時の選挙で当選した伊藤一長前市長も、2007年に暴力団員の銃弾を浴び、こちらはホントに命を落としてしまうという、不思議なめぐりあわせになるのだが…。
 本島氏は政界引退後も反核・平和活動に関わり、今年の1月まで長崎市の平和公園での「正月座りこみ」に参加していたという。

 このニュースに触れた時、当時がちょうど昭和の終わりであったこともあり、「昭和も遠くなった」などと書いたが、気がつけば平成元年から四半世紀ということで今年は天安門事件やベルリンの壁崩壊からも四半世紀という節目なのである。


2014/11/10の記事

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