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2014年12月4日

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◆今週の記事

◆衆院選大爆破あるいは大義なき戦い

 書き遅れているうちに高倉健さんどころか菅原文太さんまで亡くなってしまったので、追悼タイトルで固めてます。

 さて年末恒例の「今年の漢字」、僕は半年くらい前から「嘘」が最有力だと思っているんだが、どうなることか(今だと「健」が選ばれちゃいそうな気もする宇津井さんも亡くなってるし)。ゴーストライター作曲家から始まり、STAP細胞、8億熊手、号泣議員…と前半だけで実に豊作。ただ残り半年で続きがないと年末には忘れられやすいので微妙だなぁ、とは思っている(あと「嘘」という漢字は当用漢字でもなく日ごろあまり使わないんだよね)。だがここにきてのいきなりの衆議院解散も十分「嘘」のレベルだろう。明らかに官邸周辺のリークによる「解散風」報道が出た直後にも安倍首相は「考えてもいない」と言っていたのだから。それでもマスコミで特にこの件での批判がないのは、過去にも首相が解散について「考えてない」と言っておいて解散した例が多々あり、いわば政治報道の「お約束」になってるからだと思われる。

 解散風報道が出た直後には僕も「まさか」と思っていたが、あれよあれよという間に本当に解散になってしまった。前回の総選挙から2年。過去の例から見ればまずまずの平均値なのだが、2005年の「郵政解散」以来、小選挙区制の影響もあって「圧勝」ケースが続いて任期ギリギリの4年間は解散しない状態が続いていたのでかなり早くも感じる。それに前回の選挙で与党は圧倒的な数を持っているんだから、ここでわざわざ解散せんでも…と思うところではある。
 ホントに解散しそうだ、という話になって来たのは最新のGDPの速報値が悪い数字らしい、という情報とセットだった。もともと来年10月から消費税の税率を10%に上げるという話になっていたのだが、いわゆる「三党合意」で税率アップ日程を決定したとき「経済状況によって見直しもする」という条項がつけていた。今年の12月に首相が増税するかどうかを判断することになっていたわけだけど、経済的な数値が悪いとなるとその条項に基づいて「見直し」をするのではと憶測が広がった。ふたを開けてみたら成長率鈍化どころかマイナス数値が出て驚きの声があがったわけだが、あとから思うとかなり早い段階から増税先送り判断が出ていて12月解散というスケジュールが首相周辺で決められていたように感じる。財界に言わせると「増税見直し」をするような「経済状況」というのはリーマンショッククラスのものを想定していて、こんな程度で決めることじゃなかったそうだし。

健さんと文ちゃんの共演作のパロディ しかし先送りはまだいいとして、なんでわざわざ解散するんだ?とは誰もが思うところ。「国民に約束していた増税を先送りしたいので国民の信を問う」という理屈なんだそうだが、勝手に増税を決められ勝手に先送りされ勝手に信を問われてしまった国民の大半がワケワカラン、という状態だ。安倍さんが解散に当たっての記者会見で「代表なくして課税なし」という、アメリカ独立戦争直前の有名なセリフを引き合いにしていたが、あれは当時のアメリカの植民地住民側がイギリスからの課税に「俺たちの代表が出てない議会にそんなことを決める権利はないぞ」という趣旨で言ったわけだが、安倍さんもふくめて国会議員の皆さんはすでに明らかに国民の「代表」であるわけで、この引用は何かヘン。安倍さんとしては「税金の話を決めるんだから代表を決める選挙をする必要がある」という理屈を言いたかったんだろうけど。選挙に勝ったら俺たちは代表だから文句を言うなよ、という論理にも聞こえてくる。

 しかし野党側も「先送り」に反対、というわけにもいかないし、争点は思い切りボケてしまった(流行語大賞になった「集団的自衛権」だって決めちゃったらもう争点に実質なってない。「ダメよ〜ダメダメ」とセットなのは選考者の意図なんじゃないかと)。結局投票率は下がり、組織票に強いところが勝つ結果になりやすい。マスコミで流れている現時点の選挙情勢でも、あれだけ「変な解散」と疑問の声が多かったにもかかわらず与党が議席数を現状維持どころか上乗せしそうだと予測されている(そのぶん維新や次世代、生活などがジリ貧になるとみられている)。それも含めて自民・公明与党は「いける」とふんで計画していた、ってことなんだろうな。いま総選挙をしておいて任期ギリギリ4年総選挙を「先送り」しちゃおうという考え方もありそうな。どうも今度のことも含めて、このところの政治動向は自民よりも公明党の思惑が一番原動力になってる観があるんだよな。「軽減税率」の件では自公でやりあってるらしいけど。

 総選挙をやる前に消滅した政党も出た。まぁ近々そうなるだろうとは思っていたが「みんなの党」がついに解党に。「結いの党」との分裂騒ぎで実質「よしみの党」に他ならないことが明らかになったところへDHC騒動で代表辞任、そしてまたぞろ騒ぎ出して自民党への接近を図ったが結局子分が集まらず政党にすらなれない有様に。お父さんも勝負どころを間違える人ながらあれでもそれなりに人望はあったんだが、息子さんの方は…。
 「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」とか言ってた石原慎太郎も結局出馬するけど比例名簿最下位にするってことは実質引退を決めたわけだ。次世代の党ははっきり言って一番ヤバい連中の集まりなので壊滅してくれた方がお国のためになると思うのだが、この人が21世紀初頭くらいには首相にしたい人第一位だったりしたんだから、大衆ってのは…



◆遥かなるカネの呼び声

 11月16日にパリ郊外でナポレオンの帽子が競売にかけられた。あの、妙にデッカくて先がとがっていて、上が丸く山になっているアレだ。「二角帽」というのだそうで、ナポレオンは戦場で目立つようにわざと横かぶりにしていたため、その帽子はナポレオンのトレードマークともなった。実際、これまで多くの映画・ドラマでナポレオンが役者たちに演じられているけど、小太りな男があれをかぶっただけで「ナポレオン」に見えちゃうんだから不思議。シルクハットに燕尾服でモノクル(片眼鏡)かけると、みんなルパンになっちゃうようなもんでしょうか(違)。ナポレオンの帽子に似てるってんで「ナポレオンフィッシュ」なんて呼ばれてる魚もいたな。

 そのナポレオン帽子、実は彼が生涯で使ったものは120個ほどもあるのだそうだが、現存するのは19個のみだという。そのひとつが競売にかけられたわけだが、それだって40年ぶり。なんでもナポレオンの愛馬を担当していた獣医がナポレオンから与えられたものだそうで、最近までモナコ公室が所持し、モナコの美術館に展示していた。それがなんで競売に出たのだろう?モナコ、もしかして財政難なのか?「大公の切り札」がナポレオンの帽子ってことでしょうか。
 で、当初は30万〜40万ユーロ(およそ4000万から5000万円)で落札かと予想されていたが、ふたを開けてみたら予想を大幅に上回るなんと188万ユーロ(約2億7000万円)での落札。落札したのは韓国人の男性実業家だとのこと。ナポレオンマニアか何かなのかな?それにしてもカネはあるところにはあるもんだ、と。


 さてそれから間もない11月22日には、ヨーロッパを征服しかけたもう一人の男、ヒトラーゆかりの品もニュルンベルクで競売にかけられている。ブツはヒトラー本人が描いた水彩画「ミュンヘンの戸籍役場」だ。ヒトラーが青春時代は画家志望であったことは有名だが、当時流行の前衛芸術ではなくオーソドックスで特にこれといった「売り」もなかったために評価されず、画家としてはまったく成功しなかった。その後の歴史を思えば画家になってもらったほうが世界のためではあったんだろうが。ヨーロッパに君臨する独裁者となったヒトラーはかつての怨みとばかりに前衛絵画をひっかき集めて「退廃芸術展」なんてのを開催して憂さ晴らしをしている。

 そんな若き日のヒトラーの絵、それも「ミュンヘンの戸籍役場」なんて題材からして地味そうな絵を奇特にも買っていた人もいた。ミュンヘンにいたある男性が1916年、つまりヒトラーも参加した第一次大戦中に買ったのだそうで、別に歴史上有名な独裁者になったから買ったわけでもなんでもない。このたびこの絵を競売に出したのはその男性の孫にあたる姉妹だそうだ。
 落札予想価格は5万ユーロ(約730万円)ほどだったが、こちらも予想を大きく上回る13万ユーロ(約1900万年)の高値で落札された。ヒトラー直筆の絵なんてそれこそネオナチの「お宝」にされたりしないかと心配してしまうが、落札者についてはいっさい明かされていない。ただ報道によると絵は中東に運ばれる予定…というので、アラブの金持ちでも買ったんだろうか。反ユダヤのネタにされなきゃいいんだけど。
 


◆専売対組織販売

 11月20日、中国の「工業和信息化部」(工業および情報化省ってところか)が国有企業改革の一環として国有企業による食卓塩の生産・販売独占を近々廃止し、塩販売を自由化して企業間の競争をうながし、効率を改善させると発表した。要するに長く続いた国家による塩専売をやめちゃうという話で、以前から噂は流れていたがそれをホントにやっちゃうというわけ。計画では2017年から実施するとのこと。
 これが中国メディアで流れると、世界的なニュースとして大きく報じられた。いや、この政策自体は今の中国政府の方向から言って十分予想されたことで特に驚くことではないのだが、中国史をちょっとかじった人間なら、中国における国家の「塩専売」の歴史がついに終わるということに「歴史的衝撃」を感じてしまうはずだ。

 中国の塩専売制度の歴史は春秋時代にまでさかのぼれる。確認される限りで紀元前7世紀の斉の名臣・管仲が塩専売を試みたとされ、前漢時代の紀元前1世紀にも「塩鉄論」に見られるように塩の専売が実施されている。その後も断続的に実施されているが唐の時代から本格的に制度化された。
 塩は生活必需品であるから人々はそれを買わねばならず、その値段を釣りあげればそれは確実に国家の収入になる。このため国家による塩の公定価格は上昇し、それに伴ってより安い値段で塩を密売する闇商人たちが登場することになる。こうした塩密売商人たちは当然国家からみれば非合法活動をしているわけだが一方で「庶民の味方」という義賊性も帯びることになり、しばしば反政府革命勢力に参加することにもなった。唐末の黄巣がまさにそうした塩密売商人出身だったし、「水滸伝」のモデルになった宋代の梁山泊勢力その他の反乱軍も塩密売に関与していたとみられている。僕の専門の後期倭寇でも江南地方の「塩賊」たちの影がちらついていて、そもそも塩を生産する「竈戸」と呼ばれる人々が倭寇活動に参加していた可能性が高い。もっとも倭寇を鎮圧する官軍側もそうした勢力を戦力として利用していたから話は単純ではないけど(中国で最近リメイクした対倭寇映画「新・忠烈図」の主人公・曹頂も塩密売商人出身だ)

 現在の中国共産党政権が成立すると、それでなくても全て国有化するのが社会主義の建前だから塩は国家による専売性とされた。しかし現在の中国はどう見ても社会主義経済ではなくなっており、国営企業の整理・合理化が進められている。その中でこれまで手をつけられてこなかった塩も専売制はかえって国家の負担になり、とうとう専売ではなくなるということで(聞くところでは塩の私的販売が実際横行してる事情もあるみたい)、2700年に及ぶ中国塩専売の歴史がついに終わっちゃうと、中国史を知る者にはえらく感慨深いものがあったのだ。なにせ中国だから塩の消費量は世界最大、国内での自由化のみならずアメリカなど外国の塩関連企業の進出ばなしも具体的に進んでいるそうで、そういう面でも時代は変わったな、と思うばかり。

 もっとも我らが日本でも塩の専売が完全に終わって販売が自由化されたのは2002年と、つい最近のことだったりするんだよな。



◆トルコ大統領・御意見無用

 ちと古い話題になるが、トルコのエルドアン大統領(以前は首相だったが同国初の直接選挙で大統領となった)が11月15日にラテンアメリカのイスラム団体代表らとの会合の中で、「イスラム教徒はアメリカ大陸をコロンブスより300年も先に発見していた」と発言したと報じられた。エルドアンさんという人はケマル=アタチュルク以来政教分離が徹底されたトルコにおいて(この辺の事情は「しりとり歴史人物」を参照のこと)イスラム政党を率いて政権をとり今も高い支持率を得ているのだが、それまでトルコでは抑え込まれていた伝統イスラム的なもの、例えば女性の公の場でのスカーフ着用だとか、飲酒の制限だとかをジワジワと政策上に実現して世俗派の一部からは強い反発を受けている政治家でもある。もともとイスラム政党だから当然ではあるのだろうけど、このところその「イスラム的」な色合いをいっそう強めているようにも感じる。この発言も、ラテンアメリカのイスラム教徒たちとの対話だから出たものなんだろうけど、明らかにヨーロッパに対抗するイスラム意識を濃厚に感じさせる。

 通説ではコロンブスは大西洋を突っ切ればインドなどアジアに行けると確信して1492年に大西洋を渡り、カリブ海の島々(「西インド」と名付けられる)に到達して結果的にヨーロッパ人には未知の大陸を「発見」することになってしまったとされている。ただヨーロッパ人のアメリカ到達はすでに北欧のヴァイキングにより西暦1000年ごろに行われていたことも確実視されているので、どのみちコロンブスが第一号というわけでもないのだが、その後の歴史に決定的な影響を与えたという点で、やはりコロンブス以前と以後は大きな節目になっていることは間違いない。
 しかしエルドアンさんは「イスラム教徒の船乗りが1178年にアメリカの諸島に到達している。コロンブスだって日記の中でキューバの山の上にモスクがあったと記している」と断言したというのだ。数字まで具体的に挙がっているので何か典拠があるんだろうと内外の報道から探してみたが、これは1996年にアメリカ合衆国の「スンナ派財団」(イスラム系教育団体らしい)のYoussefMroueh(読みに自信がないので英語表記で)なる人物が冊子に発表した論文が元ネタであるようだ。「コロンブスの日記にモスクが書かれている」という件についてはすでに反論が出ていて、コロンブスの日記にそう読める箇所があるがそれは「山の形がモスクに似ている」ということだろうというのが大方の見方。だいたいモスクも建てられるくらいイスラム教がキューバに浸透していたならもっと多くの痕跡がなければならないはずだが、コロンブス以前のイスラム教の痕跡はアメリカ大陸世界では一切確認されていない。それでもエルドアンさん、この会合で、「キューバ政府の許可があればコロンブスがモスクを見たという場所にモスクを建設したい」とも発言したという。

 それにしても「1178年」と具体的な数字が挙がっているのが気になった。さらにいろいろ調べるうち、その根拠が中国の宋代の文献にあることを突きとめた。それは宋代に書かれた地理書「嶺外代答」(周去非著。1178年の序文がある)で、これには当時の東南アジア・南アジア・イスラム世界の情報が書かれていて、その中に「木蘭皮国」というのが登場する。その個所を翻訳してみよう。

 大食国(大雑把にアラブやペルシャなどイスラム帝国を指すことが多い)の西には巨大な海があり、数え切れないほどの国がある。大食の巨艦で到達できるのは木蘭皮国のみ。大食の「陁盤地国」(エジプトなど諸説あり)から舟に乗り真西に百日でそこに到達する。その船には数千人が収容でき、酒食の店や機織り道具のたぐいも備えられ、木蘭行きの舟といえばそれより大きなものはない。木蘭皮で産するものは極めて変わっていて、麦の粒は長さが二寸、瓜はひとまわり六尺もあり、米や麦は地に埋めておいても数十年は腐らない。ここで産する羊は数尺もの高さがあり尾は扇のように大きい。春にその腹を割くと脂が数十斤もとれ、縫い合わせれば生き続けるが、脂をとらなければ肥え過ぎて死んでしまう。その国からさらに陸路二百程を進むと日時計の長さが三時になり(ここ、意味がとりにくい)、秋には西風が突然に起こって、人も獣もすぐに水を飲めば助かるがちょっとでも遅れると死んでしまう。

 いろんな意味で興味深い記事である。「木蘭皮」はおおむね「ムーランピー」と発音するので、北アフリカからイベリア半島に進出したイスラム国「ムラービト朝」のことなんじゃないか、とする意見が有力らしい(確かに最後の「西風」もサハラの熱風の描写に見えなくもない)。つまり「巨大な海」とは地中海のことだと解するわけだ。しかしこの「巨大な海」を大西洋のことと解釈し、「実はアメリカ大陸のことだ!」とする意見も以前からあるらしい。
 試みに中国サイトをいくつか当たってみると南米アルゼンチンのパタゴニアのことであろう、という根拠が良く分からない説が見受けられる(調べてみたら強風が吹くらしいので、それでか)。この記事を根拠に「中国人が南米まで行ってた」みたいに言う人までいるらしいのだが、ちゃんと読めば「木蘭皮」に行ってるのは「大食」の船で、それを伝聞情報として書いているに過ぎない。そしてこれを根拠にイスラム教徒の中で「俺たちの方が先にアメリカに行ってた!」と騒ぎ出す人が出てきたわけだが、こちらでは南米ではなく北アメリカのカリフォルニアあたりという主張がなされてるらしい。この「イスラム教徒アメリカ発見説」では、北米先住民の「絵文字」がアラビア文字に似てるとか、部族の名前がトルコ語に似てるとか、いろんな「補強説」も唱えられてるそうで、トンデモ歴史学はどこでも似たようなことになるよな、と微笑ましくもある。

 エルドアンさんとしてはラテンアメリカのイスラム指導者たちとの面会なので、「アメリカ大陸とイスラム教徒のつながり」のネタとしてこの話を持ち出したのだろうけど、元ネタの時点で1178年の書籍発行年を「アメリカ到達」の年と勘違いしてるアヤフヤなものだし、モスクの件にしても冷静に考えればありえない話なので、大統領としてそれを口にするのはやはり軽率だ。エルドアンさんとしては「ヨーロッパ中心史観」の誤りを言いたいのだろうが、そのあまり今度は「イスラム中心史観」でやってることは結局同じになってしまっているようで。

 エルドアンさん、この直後の24日には女性に対する暴力防止を議論する国際会議で「女性と男性を平等の地位に置くことはできない。自然の摂理に反している」と発言して物議をかもしている。一応男女差別を肯定したわけではなく、本人としては男女それぞれ生物学的に違いがあり、それぞれの役割があるのだから一緒にはできない、という論法を使ったつもりなのだろう。しかし「我々の宗教では女性の地位は母親と定義される」「母親であることが最高の地位」とイスラム保守の考えを持ち出して「女性は母親であるべき」と主張したことは間違いなく、会議に参加していた女性活動家からは「憲法違反」との声もあがっていた。本人はそこまでの気はないとは思うが、この発想って「イスラム国」やら「ボコ・ハラム」やら「タリバン」やらの女性の扱いと根っこでつながってるわけで。
 ケマル=アタチュルクは「女性を家に押し込めたからイスラムは遅れをとった」と言って、欧米に先駆けて男女平等普通選挙を実行したりしたんですけどねぇ…


 ついでなんで、インドのモディ首相の話も。
 モディ首相はヒンドゥー至上主義団体を支持母体にするなど、インドでは保守的志向を持つ政治家で、下手すると宗教間対立を煽るんじゃないかと危険視もされてる人なのだが、今のところはまずまず暴走はしてない模様。だけど「インド古来の伝統」を何かと口にしたがる人には違いなく、11月9日の内閣改造ではその一環として「ヨガ担当省」を設立、前観光大臣を初代大臣にすえるという行動に出た。
 ヨガについては説明不要…というより説明しようがないと言うべきだろうか。確かにインドに古代からあるものなのだろうがその性格は幅広いし後世にくっついた要素も多い。世界的に広がっているがどこまでインド由来なのか判然としない単なる健康体操みたいなのも多いし、オウム真理教みたいにオカルト方向へ発展させてしまうケースもある。
 ともかくそのヨガをモディ首相自身も愛好しており、先の国連総会でも「国際ヨガの日」の創設を提案、「ヨガは世界や自然との一体感を発見する方法。生活様式の変化や意識の高まりをもたらし、気候変動への対策としても役立つとまで国連総会の演説でぶちあげていたと聞くと、さすがにオカルト一歩手前という気がしてくるが…
 新設される「ヨガ担当省」はヨガ以外にも伝統的な薬草学の普及も担当するそうで、なんだか中国の太極拳だの気功だの漢方薬だのの話と似て来るような。あんまり過大評価してると非科学的なトンデモ医療の方向に突き進まないかと心配にもなる。


2014/12/4の記事

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