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2015年1月16日

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◆パリは燃えているか?

 2015年、世界を駆け巡った最初の大ニュースは実に血なまぐさい、かつ衝撃と困惑を多くの人に覚えさせる事件となった。フランスの首都パリで風刺漫画を掲載する「シャルリー・エブド」紙の編集部が襲撃され、編集者や漫画家、警官ら12人が殺害されたのだ。犯人はアルジェリア系フランス人の兄弟二人で、同紙がこれまでイスラム教の預言者ムハンマドを描くなど、イスラムを冒涜するような風刺漫画を掲載したことを理由に襲撃を実行したものとみられている。兄弟はその後逃亡した末に印刷会社に立てこもり、当人たちが望んだとおりに「殉教」を果たすことになってしまった。
 これだけでもじゅうぶん衝撃的だったが、この事件と同時にやはりイスラム教徒のフランス人がパリ市内で警官らを射殺し、さらにユダヤ人向け食品店を襲撃してたてこもって人質4人を殺害したうえで自らも殺害された(電話が切れてなくて内部の音声が聞こえ、彼が礼拝の祈りを唱えているのを狙って突入した、というのも興味深い。なまじ「敬虔」なところを突かれたわけだ)。二つの事件は発生当初は別々の事件と思われていたが実は連動した動きであったことも大きな衝撃を与えている。当人たちもほのめかしているが、あれだけの装備を用意できたこと、戦闘訓練を受けていることなどから中東のイスラム過激派組織が背景にあるものとみられ、すでに警戒されていた「中東以外出身のイスラム教徒が中東の過激派に入ってから母国で起こすテロ」、いわゆる「ホームグランド・テロ」の実例としても注目されてしまった。

 これまでにもロンドン爆弾テロとかボストンマラソンテロといった例があったが、昨年の「イスラム国」の急拡大と、その呼びかけを背景にカナダやオーストラリアでもテロが起こった。中国で起きているテロだって同じ背景を持ってる可能性が高い。今度のパリの事件もその流れの一環ということになるんだろうけど、犠牲者数もさることながら「報道機関」が襲われたことが大きくクローズアップされた。同時に襲撃されたユダヤ系食料品店の話もそこそこ扱われてはいるんだけど、その後の騒がれ方は「Je suis Charlie(私はシャルリー)」一色という印象を受けてしまう。この「私はシャルリー」のプラカードだらけの、フランス全土で300万人以上という、なんと第二次大戦時のパリ解放の時よりも人数が多い大パレードが挙行され(タイトルにした「パリは燃えているか」はこの時の話)、直後のフランス国会では第一次大戦勝利以来という国歌「ラ・マルセイエーズ」斉唱が自然発生的に行われるという、大変なことになってしまった。犠牲者数こそまるで違うが911テロ直後のアメリカみたいな雰囲気を感じる。実際ジリ貧だったオランド大統領の支持率もたった5%程度とはいえ上がったし、対「イスラム国」で空母派遣、軍事費縮小を改めるなど、あの時のアメリカと似たところは多い。

 それだけフランス国民が大ショックを受けて血が昇ってる、ということなんだろうけど、ハタから見ているとどうしても「ひっかかり」も感じてしまう。テロが言語道断なのは当然だし、表現の自由はそりゃ大切なものだろうが、「私はシャルリー」ってみんなで合言葉にしちゃうのはどうなんだろう。被害を受けたシャルリー・エブドに連帯の気持ちを表すものなんだそうだが、シャルリー・エブドの風刺漫画っていくつか見た限りでも「おいおい」と言いたくなるレベルのものが目につく。一応おちょくる相手はイスラムだけでなく全方位ではあるらしいのだが、正直なところ品がいいとは思えない。あれで「ユーモアだよ」と言われても…。

 部数だって3万部とかなり少ないものだし、こんな事件になるまでそれほどメインストリートにいたわけではなかろう。ある日本のコラムニストが「強いて日本で例えたら、かつての『噂の真相』に近いんじゃないか」と書いていたが、実は僕も全く同じことを考えていた。そんなノリの新聞がいきなり「自由の闘士」のように持ち上げられ、フランス国民団結の象徴にまでなっちゃうというのは、当事者ではない僕なんかにはかなりヘンに思えた。パリの大規模デモに参加したあるイスラム教徒フランス人が「テロに抗議し、表現の自由を守るためにデモに参加するが、『私はシャルリー』は言わない」と言っていたが、そういう考えも当然出てくるだろう。
 フランスに限らず欧米ではこうしたキツい風刺は「アリ」と思われてるらしいのだが(そういえばアメリカでもオバマ大統領をサルになぞらえて「人種差別」と物議をかもした漫画があった)、これまでにもイスラムに限らず物議を醸す「作品」は少なくなかった。日本の原発事故だって「放射能の影響で怪獣化」みたいなネタにされてた例があった。それでいて抗議を受けると「ユーモアを解さない不粋者」ってな反応をしてくるんだよな。今度の件で欧米を中心に風刺漫画家たちがシャルリー・エブドへの連帯とテロを批判する漫画を発表していたが、一部に「西側諸国のユーモア」のダブルスタンダードぶりを、それこそ「風刺」する作品もあったことを記しておきたい。

 そしてテロ後の「シャルリー・エブド」最新号、予想はされていたのだが表紙となる一面風刺漫画には、デカデカと預言者ムハンマドが描かれた。いちおうムハンマドをけなす内容ではないのだが、ムハンマドが「私はシャルリー」のプラカードを持ち涙を流しているイラストの上に「全ては許される」の文字があった。解釈は人それぞれに違うと思うが、恐らく作者の意図としては「ムハンマドもテロを悲しんでいるんだよ」という趣旨なのだろう。日本での報道では描いた漫画家が「(イメージの中で)ムハンマドが『本当にごめんなさい』と言っていた」としているのがあったが、たぶんそんな謝罪めいた意味ではなく単に「本当に悲しい」と言っていた、ということなんだと思う。「全ては許される」という文について「何を描いてもいい」という意味にとった報道もあったが、作者自身がその文を「涙して書いた」と言ってるので、もっと広い意味での「罪を許す」という宗教的ニュアンスが正しいらしい。
 ムハンマドをテロと結び付けるような漫画よりはずっとマシ…だとは思うのだが、やっぱり「ひっかかり」は感じてしまう。特にムハンマド本人に「私はシャルリー」を持たせた点。なんか「自画自賛」な使い方にも思えたし、ムハンマド当人の姿を使って自分の言いたいことを言わせてるんじゃ、ムハンマドはじめ古今東西の有名人の「守護霊」を呼び出して自分に都合のいいことを言わせている幸福の科学のイタコ教祖(笑)と変わりがないんじゃ…。

 イスラム教徒的にはムハンマド本人を絵に描くこと自体に抵抗があるのでそれだけでムッとするところだろうが、やはりその内容も「ひっかかり」を感じるはずだ。実際、テロについては断固批判しているイスラム権威者もこの風刺漫画には即座に批判をしているし、ジャーナリストのNGO「プレス・エンブレム・キャンペーン」もこの漫画について「火に油を注ぐ行為」「全ての関係者が緊張緩和に努めなければならない時に配慮に欠ける」「プロのジャーナリストは中傷や侮辱をしてはいけない」といった批判声明を出している。ローマ法王も「表現の自由は大切だが、他宗教を侮辱してはいけない」という趣旨の発言をしていた。
 この漫画の作者は、この漫画掲載でまた攻撃を受ける心配はないか、との問いに「人々はユーモアの知性を持っている。テロリストにはユーモアがなかっただけだ」と応えていた。しかしこれのどこが「ユーモア」なのか、正直なところ僕には分からなかった。それでも最新号はいつもの100倍にあたる300万部を即日完売、500万部に増刷という事態になった(なおこれまでフランスで最大の新聞部数はド・ゴール死去時の新聞で270万部とのこと)。こりゃもう「炎上商法」だよなぁ、と思ってしまう。前回書いた「ジ・インタビュー」の件と合わせて、かなりの後味の悪さがある。

 よく言われる、各国の国民性についてのジョークで、「沈没しかかった船から海に飛び込むよう言う言葉」というのがあり、アメリカ人には「英雄なら飛び込め」、イギリス人には「紳士なら飛び込め」、ドイツ人には「規則だから飛び込め」、そしてフランス人には「飛び込むな」というのがある(ちなみに日本人には「みんな飛び込んでる」)。思い出してしまったが、むかし大学の第二外国語でフランス語をとっていた時、その講師(あとで知ったがその筋では有名な方だった)「パリで使えもしない箸で寿司を破壊しながら必死に食っているフランス人がいたんで、日本ではこうすると手づかみの食い方を教えたら、かえって意地になって箸で食い続けた」という話をしていたのも思い出す。そんなへそ曲がりというか、唯我独尊的な気質も考慮すべきなのかな。先述のそのフランス語講師も言ってたものだ。「フランスはいいところですよ〜フランス人さえいなけりゃ」と。ユーモアを解すると自負するフランス人の皆さんなら笑って受け止めてくれると思うが。


 それにしても、イスラム過激派のテロ活動自体はコンスタントに続いているものではあるが、昨年は「イスラム国」の台頭とあいまってか、より凶暴・残忍ぶりを増しているようにも感じてしまう。昨年暮れにパキスタンでは「パキスタン・タリバン運動」の連中が学校を襲撃して多数の子供たちを殺害しているし、ナイジェリアでは「ボコ・ハラム」が大量殺戮を連発、ついには女の子に自爆テロを強いるという非道としか言いようのないことをやっている。こんなことそれこそ教義に反するだろ、と思うのだが(パキスタンの事件については本家タリバンは非難してたけど)、狂信的な信仰を旗印に残虐なことをした例は歴史上たっぷりあるわけで。
 こういう言い方はなんだが、ホントに、パリの事件なんてかわいいもんだと思えてしまうほどひどい話がしょっちゅうニュースで流れている。人数でウンヌン言うのもなんだが、やっぱりパリやらロンドンやらボストンやらの、欧米の「文明地域」でテロが起こると大ショック、ってなところはあるんじゃないだろうか。それも含めて「私はシャルリー」なんて軽々しくは言えないな、と僕は思う。


 あと、やはり心配されるのが、こうした事件が続くことで、それでなくてもその傾向がみられるヨーロッパ諸国の反移民、反イスラムの動きがより活発になる可能性だ。実際、フランスやドイツなどの極右政党では「それみたことか」的な発言が行われているし、東ドイツではそうした政治勢力による排外的な大規模デモも実施された。それに対抗して融和を訴える大規模デモも行われたし、フランスでも政府やメディア、知識人などが過激派テロと一般イスラム教徒を厳密に分けるよう呼び掛けて排外主義を煽らないように気をつけてはいる。事件で殉職したイスラム教徒の警官や、食料品店で人質救出に貢献したマリからのイスラム教徒移民(直後にはテロ関係者と疑われて拘束されたそうだが)に注目が集まるなど、一定のバランス感覚は発揮されているんだけど、一般大衆の「気分」というのはなかなか…
 ところでユダヤ人向け食料品店で犠牲になった四人のユダヤ人たちは遺族の意向で全員イスラエルに埋葬されることとなった。パリでのデモ行進にも参加したイスラエルのネタニヤフ首相(実はフランス側からは「ややこしくなるから来るな」と言われてたらしいのだが)が、フランス国内のユダヤ人たちにイスラエルへの移住を呼び掛けたりして批判の声もあがったりしていたが、実際EU内のユダヤ人のイスラエル移住傾向は最近強まっているようだ。ヨーロッパに相変わらず根強い反ユダヤ感情に加えてEU内に増加してきたイスラム教徒が反イスラエル感情から反ユダヤに加わるという構図もあるからだとか。

 実は今度の事件が起こる前、今回の「史点」で書こうと思っていたのは、フランス国内で起きていたロマ人の赤ちゃんの埋葬をめぐる議論の話題だった。パリ近郊のシャンプランという町で、昨年末にロマ人の少女が生後二ヶ月で亡くなったのだが、市営墓地に埋葬しようとしたところ市長が「地方税の納税者を優先すべき」と埋葬を拒否。これが人種差別ではないかと首相や閣僚も含めた批判の声が広がって、「フランスの面汚し」と市長を非難する大騒動に発展した。市長は「発現が文脈を切り離されて伝わり曲解された」と釈明しているが(それもよくあることではあり、ニュアンスが違ってた可能性はある)、結局赤ちゃんの遺族に哀悼の意を表して市営墓地への埋葬を許可した。だが遺族たちはそれを拒絶して、1月5日に近くの別の町の墓地に埋葬している。
 この一件、「人種差別だ」と激しい非難が起こったあたりは、いい意味での「フランスらしさ」だとは思うんだけど、一方で政府レベルでロマ人の強制排除を行ったり、右翼による襲撃が行われたりしているのもまた事実。そんな問題について書こうと思っていたら、その二日後に起こったテロ事件のために話が吹っ飛んでしまった感もある。
  
 僕はアルセーヌ=ルパンシリーズのファンだったから大学でフランス語を学んだのだが、このルパンシリーズ自体にもフランス人の良さと悪さが両方入っていたように思う(今となってはかなり人種差別ととられる記述もある)。その後ルパン研究サイトなんてやるようになったもんだから、今度の事件のニュースでパリの地図が映るとだいたい覚えがあったくらい。そして僕自身、それこそ人に不快感を与えかねない風刺漫画みたいなもんも描いてる人間ということもあって、いろいろと他人事ではないイヤな事件ではあった。



◆とんでもないものを見つけてしまった。どうしよう

 タイトルは銭形警部のセリフ、とだけ書けばわかってくれる方はわかってくれるだろう(笑)。
 もっとも見つけてしまったのは昨年7月のこと。朝日新聞が1月6日付で報じたところによると、明治大学の「平和教育登戸研究所資料館」の研究者が静岡市内の製紙工場で見つかった中華民国紙幣「五円札」279枚分の用紙について、旧陸軍登戸研究所が発注した偽札製造用の用紙であると確認した、というのだ。孫文や北京天壇を描いた当時の五円紙幣(二種類)に使われた「すかし」もちゃんと入っている精巧なもので、記された文字から日中戦争のさなかの1940年8月〜1941年7月にかけて造られたものと判断されたそうだ。

 新発見には違いないのだが、日中戦争時に日本軍が中国経済を混乱させることを狙って偽札作りをした事実はすでに知られた話。偽札作りにあたった責任者本人が戦後に本を出していて、その中で「1939年から開始して40億円ぶん(当時の額なんだろうな)は作った」と告白していて、その証拠となるブツが確認できた、ということなのだ。
 陸軍の登戸研究所というところは、新兵器の開発などにあたる研究所だったというのだが、実はこんな偽札製造にもたずさわっていた。しかも民間の印刷所まで巻き込んで、というところがポイントということのようだ。それにしてもそれだけばらまいてどれほどの効果があったんだろう…
 実はこの日本軍による中国紙幣の偽札製造の話は戦後まで続く。すでに4年も前に報じられたことだが、日本の敗戦後に一部の日本軍人が中国に残って国民党軍に協力、国共内戦の中で反共工作にあたり、その工作資金として上記の偽札が使用されていたとの証言があるのだ。証言者も額面については記憶にないとしていて、実のところ大した額ではなかったかもしれないが。
 以前ここでとりあげたことがあるのだが、朝鮮戦争の際にもアメリカが北朝鮮経済を混乱させようと偽ウォン紙幣を製造してばらまこうと計画したことがある。結局実行には移されなかったのだが、日本にいた韓国人や日本人の偽札製造プロまで動員している。まぁ国家による戦争ともなると、プロの犯罪組織も真っ青な、手段を選ばぬ作戦にでるもんだと思わされる。

 紙幣というものがある限り偽札のネタはつきないのだろうけど、ちょうどこの記事を書いてる時にリアルタイムの偽札ニュースが2つ報じられた。
 一つはイタリアからで、イタリア南部のナポリで偽札工場が捜査当局に摘発され、偽50ユーロ紙幣が100万枚以上(!)も押収されたという。現在50ユーロは7000円程度だから、それが100万枚となると「総額」は70億円分、ってことになるのか。記事によると捜査当局高官のコメントとして「ユーロ圏の偽札の半分はナポリ産」だそうで、裏社会で「ナポリ・グループ」と呼ばれる組織が偽札製造の「学校」まで作っており、外国人を受け入れて「偽札工」(!?)育成まで行っているんだそうな…ここまで来ると「産業」だな、ホントに。

 もう一つは日本の話。新潟・愛知・大阪の三警察の合同捜査本部が、愛知県と新潟県在住の日本人二人を逮捕した。容疑は「偽造通貨輸入」で、2013年6月に中国から偽の旧一万円札を日本国内に持ち込んだとのこと。捜査本部では関係先から偽札108枚を押収したが、約200枚ほど国内に持ち込まれて一部はすでに流通してしまったとみている。
 中国国内での製造、あるいはかねて偽札造りの疑惑のある北朝鮮あたりが絡んでいるかなぁ…とも思うのだが、懐かしの聖徳太子が描かれた旧一万円札であるところがポイント。恐らく旧札の方が釣り銭詐取や現金交換に便利だからなんだろう。かなり精巧な偽札だそうだが、さすがに「すかし」は造れなかったと見えて「すかしに似せた印刷」になっているとのこと。そう聞くと、すかしも入れていた旧日本軍の偽札って、本物並みだったのだなぁ…



◆ワシントンに青天白日満地紅旗

 「青天白日満地紅旗」とは、「中華民国」の国旗。もともと孫文らの「中国革命同盟会」が青地に白く輝く太陽をデザインした「青天白日旗」を党旗としていて、辛亥革命を数年後に控えた1906年に「青天白日」を赤地の一角に描く「青天白日満地紅旗」が革命後に作る「中華民国」の国旗と定められた。しかし実際に辛亥革命後に成立した「中華民国」の国旗は五色旗になり、「青天白日満地紅旗」の方は海軍旗にまわされている。その後、軍閥政府に抵抗して再び革命をめざした孫文らの国民党は「青天白日旗」を党旗とし、「青天白日満地紅旗」を国旗に定める。結局1928年に蒋介石が中国統一をひとまず達成したことでこちらが正式に中華民国国旗となった。

 第二次世界大戦が終わった中国では共産党と国民党の内戦が起こり、その結果大陸側は共産党の「中華人民共和国」となり、「五星紅旗」が国旗とされた。蒋介石の国民党政府は台湾に逃れて「中華民国」を継続、支配地域は台湾のみながらも西側諸国の多くからは中国正統政府の扱いを受けて国連でも常任理事国となり、「青天白日満地紅旗」は中華民国国旗として国連本部はじめ世界各地にひるがえり続けた。しかし1971年にアメリカが「人民共和国」の方を承認してしまい、「中華民国」の方は国連から追放され、「青天白日満地紅旗」も台湾以外では一部国交のある国くらいしか見かけなくなることとなってしまう。現在も台湾は「地域」としてオリンピックにチームを出しているが、そこでも「国旗」であるこの旗を掲げることは認められていない。
 こういう次第で中華民国国旗には国民党のマークである「青天白日」が描かれていて、両者は不可分の関係になっている。1990年代以降、台湾の民主化が進んで多党政に移行し、国民党が政権を失う事態にもなったりしたが、国旗の方は変更されないまま。今の馬英九政権は国民党の返り咲きだからそれこそ国旗を変えるつもりなんてないだろう。

 さて、その「青天白日満地紅旗」(あー、何度も書くと面倒くさい)が、つい先日の2015年元旦に、アメリカの首都ワシントンにひるがえるという「事件」があった。いや、別に一個人の手でひるがえる分には何でもない話なのだが、台湾の当局が、ワシントン市内に所有している「かつての中華民国大使公邸」の敷地内という公の場で、わざわざ「掲揚式典」をやったとなるとさすがに「事件」だろう。
 台湾の馬英九総統は翌2日にこの国旗掲揚を「アメリカ・台湾関係のステップアップの象徴」と位置付けて自らの外交成果とぶちあげる談話を出した。当然中国外務省は即座に反発、アメリカ政府に厳重な申し入れをおこなっているのだが、台湾側は「アメリカ政府とは意思疎通ができている」としていたからなおさら穏やかではない。ところが6日にアメリカ国務省のサキ報道官は記者会見で「(国旗掲揚式典について)事前に知らされていない」と発言、台湾側に「失望した」とまで言ってしまい、あらら、馬総統の立場は?な話になってしまっている。

 常識的に考えれば中国の方を承認して国交も結んでいるアメリカ政府が台湾の国旗掲揚式典を了解の上でやらせるとは思えない。一応アメリカは台湾に対して兵器も供与するなど非公式な関係ながら支援を続けてはいるのだが、中国との間で波風を立てるようなことをわざわざするはずはない。思えば「失望した」という表現は、一昨年末の安倍首相の靖国参拝時にも使われていたっけ。実はあの時アメリカ政府は「失望」の前に「非常に」をつけることも検討していた、ということが最近明らかにされていたけど。
 サキ報道官と言えば、安倍首相が正月に「戦後70年談話」について「全体としては村山談話を継承」と発言した直後に、明らかに安倍さんに「クギをさす」ような発言をわざわざしたのも注目された。僕は最初に聞いた時は「前の日に言ったことにすぐダメ押しするとは露骨だなぁ」と思ったものだが、その後BS民放の戦後特集番組で半藤一利さんが「政治用語では『全体として』とつけるのは、細かいところは変えるよ、という意味になる」と指摘、それにアメリカ政府が即座に反応したんだと解説するのを聞いて、おお、なるほどと膝を打った。その後さすがに「内政干渉じゃないのか」との批判を気にしたようでかなり遠回しにはなったが、要するに「波風が立つようなことを言うんじゃねぇぞ」というクギは相変わらず刺している。

 そんな話を書いていたら、1月15日に日本の外務省が公開した外交文書により、安倍首相の大叔父である佐藤栄作も思いっきりアメリカに「圧力」をかけられていた事実が明らかにされた。
 1965年に当時首相であった佐藤栄作がまだアメリカ統治下にあった沖縄を訪問し、「沖縄返還が実現しなければ戦後は終わらない」という演説をしたのだが、この演説に先立ってアメリカ側が演説の内容に介入、「極東の平和と安定のために沖縄が果たしている役割は極めて重要」という、事実上米軍基地の存在意義を強調する一節が加えられていたというのだ。日本側は「内閣で一度決めた文だから」といったん拒否したが、強引に押し通されたという。返還後にも沖縄を米軍の重要な拠点とし続けようとするアメリカ側の意図であったと思われるが、そういう首相の演説内容にまでアメリカ側の「事前検閲」が入っていた、というのは「やはり」と思わせつつも、露骨なもんだという感想ももつ。もちろん佐藤栄作自身もそういうアメリカの意向を進んで受け入れていたろうし、核持ち込みを容認する意向をアメリカ側に伝えていたことも今度公開された文書で明らかになっている。
 そんなボスに忠節を尽くしてくれてる子分に対して親分アメリカ様が何をしてくれたかというと…沖縄返還直前に電撃的にニクソン訪中を発表、日本政府に対して「両国の関係にかんがみて事前に知らせる」と発表3分前に通告して来て、佐藤栄作を激怒させている。その後田中角栄が中国と国交を結ぶと、米中接近の立役者キッシンジャーは日本を「裏切り者」呼ばわりしたりしてるんだから…
 そういや安倍首相、4月に訪米の予定なのだが、毎日新聞が「真珠湾を訪問予定」と報じ、官房長官が即座に否定するという一幕があった。もしかして突然の「奇襲」をかけるつもりだったのかな?



◆4500年前の王妃

 気分を変えて、一気に大昔の話。1月4日にエジプトの考古相が発表したところによると、エジプトのカイロ南西のアブ・シール遺跡で、古代エジプト第5王朝時代(前2494〜前2345)の、「未知の王妃」の墓が確認されたというのだ。発見したのはチェコのカレル大学付属エジプト学研究所のチームとのこと。

 発掘されたアブ・シール遺跡は第5王朝のファラオたちのピラミッドが集中していて、今回発見された墓も第5王朝中期のものと推定されている。墓の内部には埋葬者の名前が「ケンタカウェス3世」であること、「王の妻」「王の母」であることとを示す文字が刻まれていたという。エジプト考古相によると「ケンタカウェス3世」なる王妃の存在はこれまで知られていなかったが、彼女に先立って「ケンタカウェス」を名乗った王妃は二人確認されているので特に矛盾はないという。

 彼女の墓はネフェルエフラーという第5王朝の第5代ファラオ(推定在位:前2460〜前2458)の墓の近くにあったため、ケンタカウェス3世はネフェルエフラーの妃だったのだろうと推定されている。ネフェルエフラーの方はもちろんすでに実在が確認されているが治世はたったの1〜2年程度、20代前半で死んだらしく、事績はほとんど残していない(唯一の記録は彼の墓の建設開始の日付だけとか)。このため彼と前後のファラオたちとの関係も不明なところがあり、その妃の名前すらも分かっていなかった。今回の発見でその妃の名前がようやく判明したことになる。

 彼女が「王の妻」だけでなく「王の母」とされているからには、息子がファラオに即位したということになるが、それが誰なのか。断言はできないが状況的にはネフェルエフラーの次の次のファラオであるメンカウホル(在位年は諸説あるが恐らく前2400前後)ではないか、との推測が出ている。
 解読できる文字史料が多いのでずいぶん古い時代の歴史も分かる古代エジプトだが、さすがに第5王朝ぐらい古い時代だと残されたものも断片的で歴代ファラオの家族関係も判然としないことが多く、推測の域を出ることはなさそう。だけどそれにしても、個人名がはっきりわかる4500年も前の人の墓が発掘されるってのはすごいことだなぁ、と思うばかり。


 …ってなところで記事を締めた直後、日本からも墓発見のニュースが飛び込んできた。橿原考古学研究所が1月15日、奈良県明日香村の「小山田遺跡」から巨大な「方墳」の一部とみられる石積みと堀を発見した、と発表したのだ。
 まだ全体像は確認されてないみたいだが、今回掘り出されたのは墳丘の下部と見られる10段の石積み(高さ約60センチ)と、幅3m90センチで底部に石が敷かれた堀部分など。堀は地下探査により50m以上は続いているとみられ、一辺50m以上クラスの方墳ということで、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳と同等かそれ以上の規模となる。そのため墓の被葬者は蘇我氏クラスの大豪族か、大王(天皇)ということになる。
 現時点で橿原考古学研究所では天智天武両天皇の父である舒明天皇の可能性が高い、と見ているようだ。『日本書紀』によると舒明天皇ははじめ飛鳥の「滑谷岡(なめはさまおか)」というところに埋葬されたが、その後別の場所に改装されたことになっていて、その改装された墓が現在の桜井市にある「段ノ塚古墳」であると確定されている(元禄時代に比定)。最初に葬られた地がどこであるかは諸説あったが、今回発見された方墳が規模からいってその可能性が高い、という意見なわけだ。
 もっとも異論も出ている。もう一人の有力候補が蘇我蝦夷。蘇我馬子の子で蘇我入鹿の父、いわゆる「大化の改新」につながるクーデター「乙巳の変」の際に自殺に追い込まれたとされる人物だ。そういやつい先日も飛鳥でピラミッド構造(?)な古墳が確認されて、祖父の蘇我稲目が被葬者有力候補となっていたし、そもそも方墳の規模で石舞台と同クラスくらいのようだから、蘇我氏当主の墓ということも十分考えられるだろう。もっとも見つかったのは石積みと堀だけなので、「そもそも古墳かどうかも未確定」という意見も出ていた。
 古墳なら、エジプトの墓みたいに被葬者が誰かちゃんと書いておいてくれるといいんだけどね。


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