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2015年5月30日

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◆今週の記事

◆遺産の出過ぎで胃が痛い

 ひところ、中学生相手の社会の授業で国内の世界遺産を全て覚えさせていたことがあるのだが、最近はもう一部に限っている。もはや記憶が追いつかないほどにその数が増えてしまったからだ。
 そもそも「世界遺産」というのは、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が貴重な文化財もしくは自然を「後世の人類に残すべき遺産」として保存しようという趣旨で始めたもの。これによって世界中の有名な文化財は最初の10年くらいであらかた世界遺産に登録されてしまったわけだが(「石見銀山」なんてとっくに登録されてるのにロクに知られてない)、これが「観光資源」になるものだから、あれもこれも世界遺産に登録してしまえ、という運動が世界中で盛んになってしまった。いまや「世界遺産」もほとんど村おこし・町おこし運動と変わらなくなっちゃって、さすがにユネスコも条件を厳しくしてその登録数に制限を加えるようになってきた。すると今度は同じテーマでくくれそうな文化財をひとまとめにする「セット販売型」の売り込みが行われるようになり、正直なところ「世界遺産」のありがたみがどんどん下がっているようにしか思えない昨今だ。あのセット売りでの成功を見てると、当時の文化財が少ないために落選の憂き目を見た「武士の都・鎌倉」が気の毒にも思えてくる(これもそのうち江戸とセット販売になるんじゃなかろうか)

 ところが不思議なことに「世界遺産登録!」で大はしゃぎする傾向はむしろ最近顕著になってきていて、このところの日本における「富士山」「富岡製糸場」「明治日本の産業革命遺産」の騒ぎぶりには個人的にはかなり首をかしげている。登録自体は悪いこととは思わないが、観光客だって熱しやすく冷めやすいたぐいだし、かえって保存のためのモロモロの面倒が増えるなど浮かれてばかりもいられない。
 特に今回の「明治の産業革命」は、もともと北九州と山口県のセットだったものを、岩手・伊豆・鹿児島まで加えるかなり広範囲のセット売りに広げたためにイマイチ統一性がない。しかも八幡製鉄所や長崎造船所のように現役で稼働している施設を含む(それはそれで凄いことなんだけど)ため、保存・見学との兼ね合いをどうするのかという問題がある。さらにいえば「産業革命」とは関係が薄い「松下村塾」が紛れこんでいるところに、予想通りの低視聴率が騒がれる今年の大河ドラマ同様に現首相と絡んだ政治性を感じてしまう。そういや副総理もご先祖が北九州の炭鉱産業の関係者なんだよな。日本政府が当初進めていた「長崎・平戸の教会群」を押しのけてこちらが優先された経緯もあるし。

 そういう政治性の匂いがあったのも一因とは思うのだ。この「日本の産業革命遺産」登録のカンコクにカンコクが反発したのには。
 韓国側の反発は別にイコモスの勧告がきっかけでもない。すでに日本が登録申請をした時点で懸念表明くらいはしていた覚えがある。別に日本の産業革命に反発しているわけではなく、候補にされた施設、とくに炭鉱関係で太平洋戦争中に労働力不足から朝鮮人・中国人の「徴用」が行われ、事実上の強制労働が行われた過去があるため、そうした施設を高評価する意味合いで「世界遺産」に登録することに反発しているわけだ。
 日本側は「あくまで幕末から明治の産業革命、韓国併合の1910年以前を扱っているだけ。徴用が行われた太平洋戦争時は関係ない」と反論している。だけど今回もっとも注目されている「軍艦島」なんかは、あのような姿になったのはむしろ昭和以降の話のはずで(人口密集地帯になったのは戦後)、いささか苦しい言い訳にも聞こえる(「軍艦島」は他にも保存の技術・費用がバカにならないという大問題もある)。足尾銅山の例にも見られるように、日本の急ピッチな近代産業育成には公害や過酷労働、植民地からの搾取といった「影」の部分が存在するのは事実で、そういったことを明確に示すモニュメントや解説をつけるといった「負の遺産」の意味合いをミックスして登録するのが、まずまずの落とし所ではないかな、と思うのだけど…
 韓国側にしても日韓関係が昨今のような状況でなかったらそれほど問題視しなかった気がする。今の状況だとお互い何をやっても悪く取り合う悪循環になっちゃってるんだよなぁ。特に今年は「終戦70年談話」問題がどんどんクローズアップされちゃってるので、それとの絡みで何かと言うと話が結びつけられやすい。この件には中国も韓国と同調する動きを見せていて、日本側も甘く見てると(すぐ甘い観測に走る民族病もあるし)話をこじらせる可能性がある。


 ところで中国の世界遺産のひとつ、儒教の開祖・孔子を祭る曲阜の「孔廟」でユニークな試みが実施されるとのニュースがあった。外国人観光客が孔子の発言をまとめた「論語」のフレーズ5つを10分以内に暗唱できたら、見学料がタダになるというのだ!
 暗唱は中国語、英語のほか自国語でもかまわないとのこと。それなら日本人でもかなりの人がクリア可能ではなかろうか。今だって一応中学の国語で論語のフレーズは5つくらいは習うものだし、故事成語のたぐいとして普通に使われているものも多い。完全に暗唱となると僕も自信はないが、直前に良く復習しておけばなんとかなるかな。
 報道によると5月8日の段階で日本人を含めた外国人39人が暗唱を達成、「孔廟」および「孔府」(孔一族の屋敷)「孔林」(孔一族の墓地)の三か所の見学料150元(3000円弱)をタダにすることに成功したという。うん、3000円弱となると暗唱の甲斐もあるんじゃないかな。
 なお、中国人観光客についてはさすがに5フレーズでは簡単すぎるということで、30フレーズの暗唱がクリア条件にされてるとのこと。徹底的に儒教教育やってた江戸時代だったらかなりの日本人がそれも楽勝でクリアしたんだろうけどねぇ。そういや二年前に足利市を訪ねた際、足利学校に中国から贈られた巨大な孔子像があり、地元では「論語」講読活動が熱心に行われていたっけ。


 世界遺産と言えば、シリアのパルミラにあるローマ時代の遺跡が破壊の危機にさらされている。そう、例のIS=「イスラム国」の連中がここに来てまた攻勢に転じており、とうとうシリア政府軍を駆逐してパルミラを占領してしまったのだ。アメリカ軍の空爆や奇襲作戦などで幹部を殺害・負傷させられてるとの話もある「イスラム国」だが、どういうわけか相変わらず元気いっぱいで、シリアの半分程度を掌握する一方でイラク側でも要衝を確保、シリア・イラク国境の検問も完全に押さえてしまっているらしい。脱走者が多いとか資金繰りに苦労してるとかいう話が流れる一方で、なかなか強いバックボーンを持ってるんじゃないかと思わせる。
 「イスラム国」はすでにアッシリアの古代遺跡を破壊した「前科」がある。タリバンもアフガニスタンでやってたが、「偶像崇拝禁止」を杓子定規にあてはめて「偶像」とみなした彫刻類を破壊し、その模様を世界にこれみよがしに配信するという行為に出た。今回パルミラの占領に成功したことでその悪夢ふたたびかと恐れられて、ユネスコも懸念を表明しているのだが、注目されればされるほどにそういう悪さをする連中でもある。聞くところによると破壊の対象にされそうな彫刻類はシリア政府軍が撤退にあたって持ち運んでいるらしいので、あとに残った柱列や円形劇場跡などは「偶像」には当たらないため大丈夫ではないかという期待もある。
 もっとも、現時点の最新情報によると、「イスラム国」はパルミラの博物館にさっそく乱入、展示物の破壊にとりかかっているとか。それらはあくまで展示用の作り物で遺物そのものではないようだけど…円形劇場で市民を大勢殺害してる、なんて話もあるし、ホントに困った人たちである。



◆地球は今日も元気です

 つくづく、我々人類、のみならず陸上生活生物たちは、地球というドデカイ球体の表面部分、卵の殻以上にうすっぺらな地殻の上にへばりついて生活する、かなりはかない存在なんだなぁ、と地震や火山のニュースを見るたびに思い知らされる。

 すでに一か月前のことになるが、ヒマラヤ山脈の南にあるネパールで大地震が発生した。
 山地山脈を強調した地図を見ると、インド亜大陸がユーラシア大陸を北へと押し上げ、ヒマラヤ山脈やチベット高原、ミャンマーや中国南西部のまるでしわを寄せたように重なって連なる山脈の数々を作り上げている様子が良く分かる。その動きは今ももちろん継続中で、だからこの地域は日本同様にかなりの大地震多発地帯となっている。
 それでも今回ネパールで発生した大地震は、ネパール国民でも「こんなのは初めて」というくらいの大きさだったらしいから、そうそうあるものでもないのだろう。映像でさんざん出ていたが、世界遺産に登録されているような古い寺院や塔、さらには最近の首都カトマンズの人口急増によるレンガ造りのとても耐震性などありそうにない住宅の数々がみるみる崩壊してしまったのを見ても、それほど大きな地震は少なくとも一世紀以上はなかったのではないかと思える。被害の全貌は今も確認しきれてない様子だが、余震の犠牲者も含めて10000人近くの犠牲は出ている様子だ。
 ネパールと言えばヒマラヤ観光で有名な国だが、仏教やヒンドゥー教の寺院など世界遺産に登録されている遺跡も多い。残念ながら今度の地震でその9割方が破壊されてしまい、修復も難しそうだとのこと。仏教思想で「諸行無常」とは申しますけどねぇ、もったいないことで。それでも人間に破壊されるよりはあきらめがつくかな。


 日本でもちと気になる話が続いている。もともと火山国なので全国規模でみれば常時「活動期」みたいな島国なんだろうけど、いつもに元気な桜島がさらに元気に噴煙をふきあげ、草津白根山・吾妻山・蔵王・浅間山などで火山性地震が多くなり…と聞くとやはり不安な気分にはなる。特に首都圏の著名な観光地である箱根で火山性地震が急増し、大涌谷で蒸気が勢いよく噴き上げるようになったのには、良く知るところだけに余計に不安感を覚えた。ゴールデンウィークの最終日に警戒レベルが「2」に引き上げられ、大涌谷周辺への立ち入りが原則禁止されることになったが、気象庁としては昨年の御嶽山の教訓もあるから大事を取って、というところなんだろうけど。
 
 首都圏の住人だけに僕も箱根には何度か遊びに行っている。といっても、かれこれまる20年は行ってないんだが…すぐに断言できるのはなぜかと言えば、前に箱根に行ったのは1995年の「地下鉄サリン事件」発生の当日で記憶が鮮明なため。地下鉄サリン事件のニュースを聞きつつ旅館を出て、昼ごろに大涌谷を歩きながら「毒ガス」のことなど同行者たちと話していた(その時点ではまだ「サリン」とは断定されていなかったような)のも良く覚えている。箱根から小田急に乗って都内まで戻ったら、駅員たちがそれこそ必死の形相で電車内を見回っていたものだ。
 話が脱線したが、その時も含めて、僕は少年時代以来、大涌谷に行く時はいつも若干の緊張をしていた。箱根が火山であり、芦ノ湖が噴火で形成されたカルデラ湖であるといった知識も持ち合わせていたから、硫化水素くさい蒸気のたちのぼる大涌谷をロープウェーで渡るときはいつも「いきなり噴火したらどうしよう」と心配していたんである。
 もちろん今度のことでも分かるように一概に「杞憂」とは言えない。箱根山そのものの火山活動は3000年ほど起きておらず、それこそ「有史以来」で噴火の記録はない。だが何百万年もの時間的スケールをもつ火山にとっては3000年なんてほんの一息の小休止にすぎないかもしれず、今年からいきなり噴火し始める可能性だって十分にありえる。まして300年しか休んでいない富士山はなおさらだ。
 インドがユーラシア大陸を押してヒマラヤを作っているように、日本では伊豆半島がフィリピン海プレートに乗っかって本州の陸地にぶつかり、今も北へ北へと押し上げている。この動きのために富士山や箱根ができたと考えられているわけで、今さらどうこう言ってもしょうがないと言えばしょうがない。いつか地震なり噴火なりが起こると覚悟しておき、そうした心の準備・物質的準備をしておけばいくらかは被害が小さくできるかも、と考えるくらいしかできない。


 それにしても、こういう地震や火山といった天災が起こるたびに、「それは人工のものだ」と陰謀論に走る手合いが必ず出る。たまたま僕はこの二、三ヶ月ばかり、とある偶然からそういう陰謀論者のツイッターやブログをチェックしていたものだから、4月から5月にかけてそういう人たちの間で盛り上がった「5.11陰謀説」を横目にみることになった。
 何それ、知らない、という人に簡単に説明すると、今年の5月11日に日本で巨大地震を起こす陰謀がある、近畿地方は壊滅する、といった内容のもの。なぜ5月11日なのかと言えば、「エコノミスト」(日経BP社刊)という雑誌の2015年1月号(つまり発売は昨年末)、「2015今年はこうなる」と題した特集が載った号の表紙にその陰謀の「サイン」がある、ということになっている。その表紙絵についてはググればすぐ見つかるので見たい方は各自探してほしいが、世界各国の首脳たちが集まって記念撮影してるような構図を中心に、あれこれさまざまな絵がコラージュされた、確かに一風変わった表紙絵だ。
 その下の方に「不思議の国のアリス」とおぼしき少女が描かれ、その前に「11.5」「11.3」と羽に書かれた矢が突き立っていて、この数字が「3月11日」と「5月11日」のことと考え、3月11日に起きた東日本大震災並みの地震が5月11日に起こるサインだ、と陰謀論者の皆さんは炯眼にも読みとってしまった。さらには描かれる各国首脳の中に安倍首相の姿がないこと(単に世界をテーマにしたので外したんじゃないかと)、絵の中に描かれている地球儀の日本に近畿地方がないこと(そもそもかなりアバウトな地球儀なので実は九州・四国もない。「近畿がない」と言ってる人はフィリピンやボルネオを九州・四国と勘違いしたのだ)、などなどから想像(妄想)の羽を膨らませて「5.11巨大人工地震説」としてその界隈で広まってしまったようだ。

 僕自身がこの話を初めて見たのは、その日が迫って来た4月末のことだった。その頃には「5月11日午後5時46分」となぜか発生時間まで確定してしまっていた。もっともその話を流布してる当人たちも「気をつけましょう」と書きこむ程度で、避難などの対応は一切考えてない様子なのが面白かったが。
 で、言うまでもないことだが、その日のその時刻には結局なんにも起こらなかった。ただその直前、ネット上の一部で「問題の時間にWOWOWで「不思議の国のアリス」を放送している!」と盛り上がっているのを目撃。それすらも陰謀のサインということらしいのだが、肝心の地震なんてまったく起こらなかったので、「エコノミストはWOWOWのディズニーアニメ放送を予言したのかよ!」という嘲笑ツッコミもあがっていた(笑)。そもそもそんな陰謀が実際にあったとして、なんで「エコノミスト」の表紙でそれを「分かる人」向けにサインしておく必要があるんだか。
 だが、これも予想されたことだが、陰謀論者の皆さんはケロッとしたもの。「何も起こらずよかったですね」ならまだしも、「我々が騒いだので実行に移せなかったのだ!」と勝利宣言する人までいた。次は5月22日が危ない、と延期した人もいたけど、これまた何にも起こらなかった。「油断してはいけない、意表を突いた日に仕掛けてくるかもしれない!」と言ってる人も見かけたが、それじゃ普通に天災と変わらないじゃないか。
 しかしまぁ、ことに地震は予知したい願望があるものなのでこうした陰謀論から地震雲説までいろいろと出て来るものとは知っていたが(それでいて当たったことはほぼ皆無)、一連の盛り上がりを眺めていて、世の中科学の進歩にまったく追いついてない人っていっぱいいるんだなぁ、と改めて思い知らされたものだ。

 さて上記のような記事をいったん書き上げてから5月25日に関東で最大震度5の地震が起こり(僕の住む地域は公式には「震度4」となったが体感的に5はあったと思う)、5月29日には口永良部島が爆発的噴火、そしてそろそろこの記事をアップするかと準備していた5月30日の夜に、なんとM8.5の大地震(といっても発生場所が地下590kmと深かったが)が発生し、僕のところでもかなり気持ち悪く揺れた。
 もともと地震と火山活動でできたような二本だから、ひとたび地震が起こると「最近地震が多いな」と思っちゃう、とは言われるが、さすがに僕でもこの状況は不気味に感じてしまうなぁ。小松左京『日本沈没』をつい先日初めて読んだのだが、序盤のくだりがなんとなくここ一ヶ月の様子に似てるんですよ。沈没はさすがにないにしても、「日本の地下で何かが起こっている」と心配になっちゃうんだよね。そういう心理を突いて、またぞろ地震・火山の「予言」や陰謀論がにぎやかに出回るに違いない。



◆「平安」とはまぁよく言ったもの

 昨年すでに「集団的自衛権容認」の解釈改憲を閣議決定しちゃっているので、このたびの一連の「安保法制」(いま「砲声」と変換してドキッとした)の条文決定、国会提出の動きについては特に驚きもしない。その内容自体、アメリカ側が作った原案に沿った形だから、それこそ「押し付け憲法」みたいなもの。戦争のやり過ぎで軍事予算にも苦労しているアメリカ親分が子分に片棒担がせようとしているわけで、お隣に別の「組」が台頭してきた子分としても「アメリカ組系日本支部」の看板(「仁義なき戦い・代理戦争」参考)を掲げて必死に親分への忠誠心を見せようとする、というのは心理的にはわからんではない。湾岸戦争、イラク戦争といったシチュエーションが繰り返されるたびに面倒な議論になったので、今のうちに問答無用の手続きで「お手伝い」に行けるようにしようと長年狙っていたことでもあろう。

 しかし今度のガイドラインの改訂案を眺めていると、結局自衛隊の米軍下請け補給部隊化がますます進んで主体性を失ってしまうようにしか見えず、一部で言われる「軍国主義復活」だの「戦前回帰」だのはかえって現実味を失ってる気がする。それこそ靖国の英霊が化けて出そうな(笑。あ、安倍首相の奥さんが先日靖国行ったのはその代わりなのか?)。そこまで忠誠を尽くしても親分の方はそれを利用するだけ、ってのもヤクザ社会ではよくあることなんだがなぁ(ふと「仁義なき戦い」第1作の「ここの代金、払っとけよ」という山守親分のセリフを思い出した)。そもそも日本とアメリカの利害が対立して「日本の存立が根底から覆される明白な危険」が起こった場合については想定もしてない様子。ま、自衛隊自体が発足以来米軍補助部隊なのは明白だし、もし「日米決戦」な事態になっても勝負はあっという間についちゃうけどね。


 そんなわけで自国の国会より先にアメリカの議会で安保法制成立を約束しちゃうとか、関連法案をひとまとめに一括審議するといった行動は賛同もしないが驚きもしない。だがこれらの法案について「平和安全法案」略して「平安法」と呼べと自民党が言い出したのには驚くと同時に爆笑した。じゃあ内容に即した「戦時国際支援法案」だったら略して「戦国法」か?
 「我が国の存立が根底から覆される事態」を想定して他国の助っ人に駆けつける集団的自衛権って、どう考えても戦争規模のことが起こる場合を考えていると思うのだが、政府与党は「戦争」と言われることを極端にきらっている。そりゃまぁ一応は憲法にひっかかってしまうからなのだろうが、野党から「戦争法案」と言われたらムキになって否定し、あまつさえ議事録からその文言の削除まで求めようとしたあたり、そこがかえって痛いところなのだな、とも分かる。
 この議事録問題をめぐって、1940年に当時の「支那事変」(日中戦争)の目的・着地点が不透明な政府・軍部を「聖戦の美名に隠れ」と国会で批判演説をして、演説の内容の3分の2を議事録から削除されたあげく国会から除名された斉藤隆夫(1870-1949)の話が引き合いに出されていた。この斎藤の「反軍演説」の全文自体は議事録から削除されながらも残された資料で読むことが可能なのだが、その削除部分を含めた議事録自体は依然として非公開なのだとか。1995年にも公開が検討されたというがなぜか実現せぬままになっていて、民主党の長妻昭代表代行はこの斎藤演説削除部分の議事録の公開を各党にはたらきかけると発表していた。「野党が声を上げないと自由の範囲が狭くなる危機感がある」という理由からだ。

 それにしても安倍首相は「日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にない」とまで根拠不明の断言をしちゃうし、「自衛隊が他国の領域で武力行使をすることはない」とも言っちゃったが、これについては官房長官が「憲法の理論として許されないわけではない」と発言してしまい妙なことになっている(つーか、「憲法の論理」ってそんなこと想定してるのか)中谷元防衛大臣も「自衛隊員のリスクは増えない」と断言しちゃってたが、安倍さんは安倍さんで戦死者が出る可能性について「これまでにも1800人以上の殉職者がいる」と反論するといった具合で、これじゃ戦死者が出てもあくまで「事故による殉職者」と言い張ることになりそうだ。共産党の志位委員長との討論での「兵站」をめぐって、「兵站は安全を確保したところで」という首相の説明の支離滅裂ぶり(三国志的には官渡の戦いを思い起こすな)を見ていて、そういや先の大戦でも日本軍って「兵站」意識がめちゃくちゃだったな、と思い起しもした。

 そもそも憲法的には無理に無理を重ねてやってることなので、結論ありきのために「言葉遊び」を弄するハメになるのも無理はない。また連立を組む公明党が一応「平和」を看板に掲げているので戦争がらみの単語を徹底して忌避している感もある。その公明党をおさえこんで維新の党と連携して憲法改正に持っていこうという算段も官邸にはあったんだろうけど、先日の大阪都構想住民投票の否決と橋下徹市長の政界引退表明とでその目算もかなり崩れた。もっともその維新の党も安倍首相が一番実現に持ち込みたがっている「機雷掃海活動」には強硬に反対してたりしたんだけどな。


 最初の方で「仁義なき戦い・代理戦争」を引き合いにしたが、あの映画の中で神戸の全国組織暴力団(モデルは明白ですね)の広島支部を看板を掲げる組の組長は、本業がタクシー会社社長で、実際に大抗争が始まりそうになるとビビってしまい、神戸の組長たちから「あんた、ヤクザなの、タクシー屋のおっちゃんなの、どっちなの?」と聞かれて「ワシは本業に力を入れたいんじゃが…」と言っちゃったりする。まぁある意味この人も「平和主義者」で、単に後ろ盾の看板が欲しいだけでそんな命がけの抗争なんてする気なんてなかったんだよね。そもそも「代理戦争」って名前自体、冷戦時代の東西両陣営のそれと似た構造がヤクザ抗争にも見られたからつけられたもので、スケールや業界の違いはあれ、人間のやることにそう違いは内ということだろう。
 この「仁義なき戦い・代理戦争」のラストのナレーションが凄いんだよね。広島の象徴「原爆ドーム」をバックに、「戦いが始まる時、まず失われるのは若者の命である。そしてその死が、報われた試しはない…」と重々しく流れてエンドマークになるのだ。



◆100と70と40

 またズルズル書き遅れているうちに前回から一ヶ月が経ってしまった。当初はもう一週間ほど早く上げる予定だったんだけど。

 前回も書いた話題だが、4月24日は第一次世界大戦中の「アルメニア人虐殺」の始まりからちょうど百周年にあたり、あれこれとイベントが行われた。この件についてはアルメニアは当然として西欧諸国がトルコに「ジェノサイド」と認めるよう強く迫っているが、トルコ側は「政府による計画的虐殺」については断固として否定しつつ最近は「痛みを共有する」といった表現で接近を図ろうとするといった状況が続いている。
 百周年前日の23日にはアルメニア正教会が事件で犠牲となった「150万人」をひとまとめに“列聖”している。正教会でもカトリックでも宗教的犠牲者を列聖するのはよくあることだが、さすがに150万人いっぺんにというのは前例がないんじゃなかろうか。この150万人という数字についてもトルコ側は否定的なのだが(それでも犠牲者数十万レベルにはなると認めてはいる)、列聖することで確定数値にしようという狙いもありそうだ。
 24日にアルメニアの首都エレバンで行われた式典にはロシアのプーチン大統領、フランスのオランド大統領、セルビアのニコリッチ大統領、キプロスのアナスタシアディス大統領ら四国の首脳を含めた60カ国の代表が参加したが、首脳の顔触れがいろんな意味で面白い。ロシアにとってはアルメニアは旧ソ連国家の中では珍しい親ロシア姿勢だから重視せねばならず、アルメニア系移民のロビー活動が盛んとの声もあるフランスは以前からこの件には深く首を突っ込んでいる。最近ウクライナ問題で対立するロシアとEU諸国だけどここらで顔合わせをしておかないと、という双方の思惑もあるだろう。セルビアが参加してるのもたぶん親ロシア国家だからだろうし、キプロスはかねてトルコと対立関係にある(分断国家「北キプロス」はトルコのみが承認)

 直接この式典に参加はしなかったものの、ベルリンで行われた追悼式に出席したドイツのガウク大統領が「われわれドイツ人は、アルメニア人の虐殺に対する連帯責任、そして共有しているであろう罪について、過去を受け入れなければならない」と発言したことも注目された。「虐殺(ジェノサイド)」と明言したことも注目点なのだが、「ドイツ人の連帯責任」にまで言及したことが目を引く。
 第一次大戦当時オスマン帝国とドイツ帝国は同盟国であり、ドイツからは軍事顧問など多くの軍人・兵士たちがオスマン帝国に派遣されていた。そうした軍人たちが虐殺の模様を目撃し本国に報告までしたが、当時のドイツ政府は外交的配慮からそれらを無視、間接的にせよアルメニア人虐殺に手を貸したことになるとガウク大統領は言っており、ナチスによるユダヤ人虐殺同様にドイツ人はその罪を背負わなくてはいけない、と主張したわけだ。その姿勢自体はエラいなぁとは思うんだけど、そういう姿勢を示すことによってトルコに圧力をかけたい、ということでもあるんだろう。一方でこの発言の直後にドイツのシュタインマイヤー外相は週刊誌のインタビューに「ジェノサイドという言葉は使わない」「複雑な過去を一つのレッテルで語ることはできない」と発言、微妙にトルコ側へのフォローをする姿勢も見せていた。

 で、トルコの方も24日にイスタンブールでアルメニア正教会総主教による追悼式典が執り行われ、初めてトルコ政府閣僚が参列、エルドアン大統領のメッセージが読み上げられるなど、アルメニア側に配慮した動きも見られてはいる。だが同じ24日と25日の両日にわたってトルコでは「ガリポリ(チャナッカレ)の戦い」の100周年追悼式典が行われていて、20か国の首脳も参加して明らかにこちらの方が大イベントになっていた。この戦いの追悼行事は例年3月に催されるが(調べてみると本格的戦闘は3月に始まったらしい)、今年はわざわざこの日に変更されており、アルメニア人虐殺問題から目をそらす狙いではないのか、とアルメニア側は反発している。
 ところで「ガリポリの戦い」というのは、第一次世界大戦の中でもいろんな意味で歴史的な一戦として知られるもの。たまたま僕はつい先ごろ、「歴史映像名画座」のためにこの戦闘をオーストラリア側とトルコ側でそれぞれに描いた映画を立てつづけに鑑賞していくらか事情を知っていた。第一次大戦でイギリスはチャーチルが立てたイスタンブール占領を狙う作戦を実行に移し、ダーダネルス海峡にオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)を含んだ軍を進ませ、1915年4月25日から上陸作戦を開始した。この戦いにオスマン帝国側ではのちにトルコ共和国建国者となるケマル=パシャも一将軍として参加しており、オスマン帝国軍は多大な犠牲を出しながらも善戦、結局イギリス軍を撤退に追い込んだ。
 この戦いはオーストラリア・ニュージーランドにとっては「大英帝国」の一国として初の海外派兵をして多くの犠牲者を出した戦闘となったために、この4月25日を「アンザック・デー」と名付けた戦没者慰霊日に指定している。トルコ政府が百周年の式典をこの日に移したのは恐らく「アンザック・デー」と合わせて敵側の慰霊を兼ねようという意図だったと思うが、まぁアルメニア側から見れば「別の意図」を感じてしまうところもあるのだろう。

 さてその「アンザック・デー」だが、別にガリポリの戦いの戦死者に限らず、オーストラリアとニュージーランドでは第二次大戦・太平洋戦争から近年のイラク戦争までも含めた全ての戦死者追悼日ということになっている。今年は終結70年ということで第二次世界大戦への関心が高く、オーストラリア兵も約7000名の犠牲者を出したニューギニア戦役の追悼式典がポートモレスビーで行われたことが朝日新聞で記事になっていた。なお、そのニューギニア戦での日本兵の戦死者は実に13万人にのぼる。
 そして70年前の4月末と言えば、ヨーロッパ戦線ではナチス・ドイツが最期の時を迎えていたころだ。ナチス・ドイツの総統アドルフ=ヒトラーが自殺したのは70年前の4月30日のこと。前にも書いた話題だが、ヨーロッパでは著者の死後70年で著作権が消滅するため、今年末日をもってヒトラーの著作権も消滅、有名な『わが闘争』などはパブリックドメインとなる。
 そんな時期なので、4月末から5月初めにかけては第二次世界大戦がらみの「70周年」イベントがヨーロッパ各地で行われていた。ドイツ国内ではユダヤ人などを押し込んだ強制収容所が解放された記念日が続いており、メルケル首相や前出のガウク大統領が式典に出席、改めてナチスの犯罪という歴史的事実の確認と記憶の継承を訴えていた。特にドイツにとっての「終戦記念日」になる5月8日に向けたメルケル首相のビデオメッセージ(要するに「70年談話」みたいなもん)「最近のドイツ国内では戦争責任の意識が希薄になっているが、歴史に終止符はない。ドイツ人はナチ時代に引き起こした出来事に真摯に向き合う特別な責任がある」という趣旨の強い警告を発し、現在のドイツ国内でも反ユダヤ、反イスラムといった不寛容・少数派迫害の動きがあることにも触れて、かつてのナチスのような人種差別・迫害を二度と起こしてはならないと訴えている。メルケル首相はこのあとロシアにも飛び、ロシアの対ドイツ勝利記念日(5月9日)の式典には出ないものの翌日に訪問してソ連軍のナチスに対する勝利を称賛する姿勢を見せるという、なかなかな外交演出を見せた。
 こうしたドイツの態度は何かと日本と比較されるので、日本の右派系でそろそろドイツ叩きが出て来るだろうな、と予想していたのだが、実際書籍ではぼちぼち出て来てるみたいだな。

 一方のロシアは、近ごろウクライナ問題のせいもあって、プーチン大統領のもと「強いロシア願望」が高まり、「愛国的」な言動を煽りたてる連中も多いらしい。現在のロシアはかつてのソ連が崩壊した結果として生まれたものだが、やはり強いロシアといえばソ連だ!ってことになるようで、第二次世界大戦でナチス・ドイツと激しい戦いを繰り広げた末にそれを撃ち破った「栄光の歴史」が70周年を機に何かと持ち出されていたらしい。
 そんななか、大きなニュースにはなってなかったが、ロシアの「愛国的バイク軍団」である「夜のオオカミ」(ナチヌイエ・ボルキ)と名乗る集団が、戦勝70周年を記念してロシアからベルリンまでの約1700キロをバイクでパレード走行する「勝利の道」なるイベントを実行した、という話題が目を引いた。参加メンバーは十数人程度で、各地の戦跡やソ連軍兵士追悼施設などをまわりながら、戦勝記念日である5月9日にベルリン入りして喧嘩を、もとい献花を行うという計画だった。
 リーダーは52歳の医師免許もちのオジサンだが、なかなかヘビメタな外見を決めていらっしゃる。52歳と言えば1963年、冷戦まっさかりの頃の生まれということになる。他のメンバーの年齢などは分からないが、最初に記事の見出しを見た時の先入観よりは平均年齢が高そうな感じがする。「夜のオオカミ」の母体となるバイク愛好集団は1989年、つまり冷戦終結の年の結成だそうで、当時においてはむしろ西側的な自由の風を受けた若者たちによる反権力志向な集団だったのかもしれない。
 だが現在の彼らはかなり国粋的な愛国感情を唱え、ウクライナ現地にも飛びこんでロシア系勢力拡大の先鋒をつとめ、物資輸送に活動するなど実際の行動も起こしている。「青少年たちに愛国的指導をした」との功績をプーチン大統領に称えられて表彰までされており、プーチン政権の「強いロシア」志向に沿った右翼団体と西側では見られていて実際にアメリカの制裁対象にもされている。プーチンさん自身この団体のイベントに参加した、と記事にあったので、数年前に「リアル北斗の拳」とネットで話題になったバイク軍団と一緒のプーチンさんの写真はその時のものかも。
 こんな連中がベルリンまで突っ走ると言うので、ロシアにはかねて痛い目にあっているポーランドは、メンバーたちが国境まで走ってきたところで入国を拒否した(一応「手続き上の不備」を公式理由にしたが)。ドイツも彼らの入国を阻止する意向を示して、空路で入国しようとしたメンバーを追い返したりもしたが、一部メンバーはオーストリアを経由してドイツ国内に入り、結局ベルリンでの献花を実行した。もっともバイクで威嚇的な行動は許されなかったようで、ロシア外交官の車に分乗してベルリン入りしたらしい。ロシア政府はポーランドやドイツの彼らに対する態度を強く非難し、彼らのベルリン入りの便宜をはかってやった形だ。毎日新聞の取材記事によるとそれでもリーダーのオジサンは「水を差された」を不機嫌だったそうだが。

 終戦70周年は日本でも同じことだが、当時の日本はしぶとく、というより往生際が悪く、ドイツ敗北後も3ヶ月以上も戦い続け、降伏は8月にもつれ込んだ。それでも千島・樺太に侵入したソ連軍が9月初めまで戦闘を続けているが、厳密には日本政府が戦艦ミズーリで降伏文書にサインした9月2日が本当の「終戦の日」だったりする。実際今年のロシアや中国ではこの9月2日に戦勝イベントが行われることになっていて、ロシアはその式典に安倍首相を招待してもいる。先日の対ドイツ戦勝記念日にも招待されつつ行かなかった安倍首相だけど、ちょっと今度は迷いもあるみたいなんだよな。北方領土問題解決の糸口優先と言うことなのか、最近の安倍さんは「ウラジーミル」なんてプーチンさんに呼びかけて接近ムードでもあった。ウクライナ問題で少し後退したが、また接近姿勢を見せたりしたので例によってアメリカから「コラッ」とちょっと怒られたりもしてる。
 そんな安倍さんだが、先日共産党の志位委員長との党首討論で「ポツダム宣言の内容を知っているか」と聞かれ、「つまびらかには読んでいない」と答えていた。これ、ホントだとすると結構ヤバい話だ。中学生の歴史でも簡単な内容ぐらいは習うものなんだが。おまけの討論のあとで志位さんが記者会見で暴露したところによると、安倍さんは8年ほど前の保守系雑誌(「PHP」らしい)の対談で「ポツダム宣言はアメリカが原爆二発落としたあとで、さあどうだと突きつけたもの」と発言していたという。ポツダム宣言は7月に出され、日本側がそれを事実上黙殺(実際には内部でいろいろやってはいたがまとまらなかった)しているうちに原爆が次々と落とされていて、それこそ中学の歴史レベルの根本的勘違いである。その当事国の首相がそれだというのが困りもの。

 その原爆投下にからめて、国連で開かれた核拡散防止条約(NPT)の再検討会議もいろいろと話題になった。日本が最終文案に入れた「世界各国の首脳の広島・長崎訪問を求める」といった部分について、中国が「それは日本が被害国だと歪曲するためではないか」とイチャモンをつけ、結局「広島・長崎」という固有名詞を外して被爆者全般への理解・共感を求めるといった折衷案的な話で折り合いをつける一幕があった。最近の政治外交情勢もあるので中国側も神経質になってるようだが、日本ではむしろ戦争の反省をしない勢力が広島・長崎の反核運動に批判的なので実態をよく知らない様子。もっとも一方で日本の以前の平和反戦運動が「加害」意識の薄いものだった歴史もあるんで一概に全否定できないところもあるんだよな。
 しかしこの会議はそんな折り合いだの折衷案だのといった話を吹っ飛ばして、中東の非核化に関する文案にアメリカ・イギリス・カナダがイチャモンをつけて最終文案自体が雲散霧消してしまった。中東で核兵器を保有していることが確実なイスラエルに対する配慮であり、実際この直後にイスラエル政府がアメリカ政府に「謝意」を伝えている。この件に日本は直接関与はしなかったが、「唯一の被爆国」なのにオーストリアが提案した核兵器禁止文書にはアメリカに配慮して賛成していないんだよな。


 一ヶ月分の話がたまっているので、ダラダラと長くなってしまったが、もう一つ「40周年」の話も。ヒトラー自殺から70周年だった4月30日は「ベトナム戦争」が終結した日から40周年でもあったのだ。
 ベトナム戦争は基本的には社会主義国の北ベトナムと資本主義国の南ベトナムが対決した戦争だが、冷戦構造の中でアメリカが南ベトナム側で本格的に介入、多大な力を注ぎこんだが結局勝てずに撤収することになった。アメリカ軍の支えなしに南ベトナムが存続できるはずもなく、1975年に入ると北ベトナム軍が南ベトナムへ大挙進撃、4月30日に戦車部隊で大統領府を包囲して、南ベトナムの大統領ズオン=バン=ミン(就任十日目であった)が無条件降伏してベトナム戦争は終結したのである。
 東京新聞にこのとき大統領府に突入してズオン=バン=ミンに降伏を迫った元兵士に取材した記事が載っていた。その元兵士はファン=スアン=テーさんといい、現在68歳だから40年前の当時は28歳、大尉だったという。直前の戦闘で上官が戦死してしまったために「敵の大将」と直接やり取りする歴史的役割が彼にまわってくることになったのだが、ズオン=バン=ミンは「ちょっと待ってほしい」と言って抵抗した。結局30分後に降伏を発表するため放送局への連行に応じ、放送局へ向かう車内でファンさんが「なぜもっと早く降伏しなかったんです?」と尋ねると、ズオン大統領は「そうしたかったが、周囲が応じなかった」と答えた…なんてエピソードは歴史的場面のささやかなながら感慨深い一幕だ。
 陥落したサイゴンは北ベトナム建国者の名を取って「ホーチミン」と改名されて今日に至る。南ベトナム最後の大統領、といってもたった十日間、ベトナム戦争の幕引き役だけを務めた形になったズオン=バン=ミンはすでに2001年に亡くなっている2001年8月12日付「史点」。第二次大戦よりは近い話だが、すでに40年も経つとベトナムでも当時を知らない世代が多くなって来るわけで、ファンさんは「戦争で悔しく、悲しい思いを繰り返したことを、次世代に伝えないといけない」と取材に語っていた。


2015/5/30の記事

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