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2015年9月4日

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◆今週の記事

◆百年目の分裂騒動

 去る8月末、日本のある有名な組織の「分裂騒動」が大きく報じられ、マスコミ、ネットも含めて各所で大きな注目を集めた。分裂の原因は、関西を中心とするその組織の本来の母体である勢力と、あとから加入したグループながら現在はその組織の執行部を占めている勢力との、いわば「元祖」と「本家」の争いだと言われている。分裂後は関西方面の「元祖」の方はその組織の名前を名乗り続ける意向とされ、現執行部では分裂組の除名処分なども含めて検討中とかで、下手すると全国規模での抗争が市民を巻き込む可能性すら出てきている。
 その組織とは、言うまでもなく、「維新の党」で…え?違うの?(笑)。

 偶然にも同じ日に分裂騒動が報じられちゃったので、上記のようなネタを書く人は少なくなかったような。もちろん僕が注目したのは、日本最大のヤクザ組織「山口組」の方である。「史点」では過去にもヤクザネタを何度か取り上げており、「つくる会」分裂騒動を映画「仁義なき戦い」のパロディで解説したこともあるくらいで、「山口組分裂」という歴史的事件に首を突っ込まずにはいられまい。
 実は今年の初頭にも山口組をネタにしようと思ったことがあった。実は今年は山口組結成百周年の大きな節目の年だったのだ。1月25日に神戸市灘区の総本部で百周年記念集会が開かれ、司忍組長(本名「篠田健市」だそうだがヤクザにも芸名みたいなもんがあるみたい)はじめ直系組長や友好組織の組長らも集めて盛大に開かれたことが当時報じられていた。興味は持ちつつ史点ネタにするのを見送ったのだが、まさかその年のうちに歴史的な分裂騒ぎが起こってしまうとは思わなかった。

 百年前の1915年。日本では大正四年にあたり、世界では第一次世界大戦が勃発していた。この年に淡路島出身の山口春吉という人物が神戸の港湾労働者(荷揚げ人夫。かなりヤクザ的存在であった)の仕出し組織として結成したのが、彼の名を冠した「山口組」だ。山口組二代目組長は春吉の息子の山口登へと世襲されたが、続く三代目組長となったのが戦後ヤクザ界の大立者、田岡一雄である。田岡組長時代に山口組は数々の抗争を経て全国組織へと発展、日本全体のヤクザのほぼ半数近くが山口組傘下にある、という状態にまでなってしまう。なお、この田岡一雄の生涯を「実録ヤクザ映画」で当てていた東映が映画化したのが「山口組三代目」「三代目襲名」の2作で、山口組傘下組員は鑑賞のうえ感想文の提出を義務付けられてしまい、ヤクザの資金源になっているのではとにらんだ警察に東映が捜索を受ける事態にまでなっている。つい先日この山口組映画のDVD化が発表され、さすが便乗の東映などと言われちゃってるが(笑)。
 広島抗争を描いた「仁義なき戦い」では、組の名前も組長の名前も変えられているが、田岡一雄にあたる人物を丹波哲郎が演じている(なお「山口組三代目」では山口登を演じた)。この役はセリフもなく象徴的に登場するだけなのだが、広島抗争に深くかかわる山口組幹部の一人、山本健一にあたる人物は梅宮辰夫に演じられ、広島弁ヤクザたちに関西弁セリフでドスを利かせる印象的な場面も多い。この役のために梅宮辰夫は眉を剃ってしまっているが、これは山本健一本人がほとんど眉がなかった(こっちは単に薄かったのかな?)のを再現するためだった。この山本健一が率いた組が「山健組」で、山口組傘下組織の中でも中核をなす組として今度の分裂騒動でも台風の目になっている。

 1981年に田岡が死去。跡目の四代目は山本健一に内定していたが翌年に服役中のまま死去してしまう。これが四代目の座をめぐる混乱を招き、竹中正久が四代目に決定するも反対派が「一和会」を結成して分裂、いわゆる「山一抗争」が勃発、竹中本人が射殺されるという非常(非情)事態も起こって全国各地で連日のように発砲事件が起こって市民が震撼する騒ぎになったのだ。このときの記憶がある人たちは今回の分裂騒動でも同じようなことが起こるのではと危惧しているわけ。
 報道で知っただけだが、今回の分裂騒動の直接の原因は、現在の司忍組長ら、名古屋を本拠とする弘道会系が多い現執行部が山口組の本部を名古屋に移す意向を示していて、これに山健組など関西系(つまり「元祖」の側)が反発していることにあるらしい。確かに山口組はもともと神戸で発生したヤクザ組織なんだから「遷都」となると反発は当然出るだろう。もちろん対立の根は「遷都問題」だけでなく、全国組織で巨大になりすぎた山口組の中での各地域組織間の派閥抗争という点にあるんだと思う。山健組ら離脱グループは「神戸山口組」を名乗る意向とされ、山口組のエンブレム(代紋)「山菱」もそのまま使うことになりそう。エンブレムだけに某デザイナーに頼んで「パクリのような、そうでないような似たやつ」を作る、という手もあるかな(笑)。

 警察も山口組分裂という事態にかなり身構えているようだ。もちろんヤクザの大規模抗争というのはたいてい跡目相続とか組織分裂で起こるものなので警戒は必要だろう。ただ僕もそうなのだが、ヤクザウオッチャーの間では「今の山口組に大規模抗争を行えるだけの体力はない」との見方も強い。ヤクザもなんだかんだで法律的に「シノギ」がつらくなってきてるようだし、チンピラ組員がやったことでも親分がその管理責任を問われるようになってきてるから「仁義なき戦い」の山守親分みたいなこともできないようだ(知らん人は映画を見てつかぁさいや)
 離脱グループに対して山口組執行部は「絶縁」「破門」といった処分を下したそうだが、このままならばまだまだ円満な「離婚」ではあろう。だけど双方で多数派工作やら引き抜きやらやり始めるとこじれるかもしれない。その辺も維新の党の今の流れとよく似ている(笑)。



◆映画な話を三題

 「荒野の七人」がリメイク、なんて話が聞こえてくる。黒澤明監督の名作「七人の侍」を西部劇に翻案したものだが、テーマ曲の秀逸さもさることながら、ガンマン7人のうち、ユル=ブリンナースティーブ=マックイーンチャールズ=ブロンソンジェームズ=コバーンロバート=ボーンの5人はそれぞれ主役も張れるようなスターとなり、1960年代にはこの5人の一部が共演(さすがに全員はそろわない)する映画がいくつも製作された。それらを個人的に「荒野の七人映画」と勝手に呼んでいるのだが、先日NHKのBSでやってた「戦うパンチョ・ビラ」なんかもそのクチ。
 そんな「荒野の七人映画」の中でも有名なのが「大脱走」。マックイーン、ブロンソン、コバーンが出演し、そもそも監督も音楽も同じ人。で、この「大脱走」は第二次大戦中にナチス・ドイツの捕虜収容所からトンネルを掘って大量脱走した史実をベースに製作された、というのもよく知られた話だ。

 雑談前フリが長くなったが、その「大脱走」のモデルとなった史実の脱走作戦に参加した人物の一人であるポール=ロイル氏が、つい先日101歳の高齢で亡くなった。彼らの「大脱走」作戦が実行されたのは1944年3月のことだから、ロイル氏は当時30代前半だったことになる。舞台となった捕虜収容所は現在のポーランド西部にあり、ロイル氏は当時オーストラリア軍の将校で、捕虜となってこの収容所に押し込まれた。ここで映画のモデルとなったトンネル大脱走作戦が実行され、76名が脱走した。ロイル氏もその一人で、トンネルを出てあたり一面雪の中を逃走した時のことを「とてもうれしかった」とインタビューに答えていたという。
 脱走に成功したロイル氏はすぐに近くの村で捕まって収容所へ逆戻りすることとなったが、脱走参加者のうち50名は処刑されており(映画でもこれは描かれた)、無事に逃げおおせたのはわずか3名。結果からいえばロイル氏はすぐに捕まったために命を拾ったと言えるかも。収容所に戻ってから同じく捕虜となっていたオーストラリア軍人と知り合うことになったが、これが「大脱走」の原作を書いたポール=ブリックヒルだった。
 もっとも有名になった映画については、モデルとなった人物にはありがちだがロイル氏は批判的だったみたい。特に大脱走に参加したのはオーストラリアも含めたイギリス連邦出身者中心でアメリカ兵などいなかったのに、映画ではアメリカ兵捕虜のマックイーンが主役を張っていたことにご不満だった様子。さらに映画ではマックイーンがバイクを操って強行突破をはかるシーンが見せ場だが、それについても「収容所にバイクは一台もなかった」と文句を言ってたとのこと。ただ映画を見た人はお分かりのように、マックイーンのあのバイクは収容所から持ち出したものじゃないんだよな。


 最近核問題で合意という一歩を踏み出し、経済制裁も解かれそうなイランで、イスラム教の預言者ムハンマドの伝記映画が公開された。ムハンマドといえば今年のはじめにムハンマドを描いた風刺画が銃撃事件まで巻き起こす騒ぎがあったが、この映画の製作もたぶんにその事件を契機にしたんじゃないかと思った。もっとも映画を作ったマジド=マジディ監督(僕は未見だが現代イランでは世界的に有名な監督)は製作に7年をかけたとしていて、2005年に起きたデンマークでの風刺画問題が製作のきっかけだったとしている。監督いわく、「反発するよりイスラム文化を紹介する行動をとるべきだ」と考えて映画という方法をとったのだそうだ。もちろん国も大いに支援していて、製作費はイラン映画史上最高の約48億円にのぼるという。
 ネットにアップされていた予告編も見てみたが、ムハンマドの誕生から話が始まるみたい。なんだかハリウッド映画のキリスト誕生の場面みたいでもあったが、どうもこの映画ではムハンマドさん、幼少期から「奇跡」を起こしてしまうらしい。さすがにムハンマド自身の姿は直接的には描かれないらしいのだが、予告編でも赤ん坊のムハンマドの体が映っているし、幼少期に手で病の女性を治療するシーンもあるそうだから、イスラム圏的には割と踏み込んだ、「直接的」な描写もあるみたい。
 ムハンマドの伝記映画といえばリビアなどアラブ諸国で資金を出して製作した「ザ・メッセージ」(1976年公開)が有名だが、あれもムハンマド自身は映画中にまったく「登場」していなかった。ムハンマドの乗るラクダだけとか杖だけとかが映されたり、カメラをムハンマドの視点にした「一人称」状態で登場人物たちが話しかけるといった演出がなされていたのだ(最近見たトルコのコンスタンティノープル陥落映画でも冒頭でムハンマド一人称状態があった)。それからすると確かに今度の映画は「露出度」が高いのかもしれない。
 先入観からすると、イランの主流派であるイスラム教「シーア派」の方が各種戒律が厳しい気がするのだが、どっかの記事で見たところではムハンマドの描写についてはシーア派の方が寛容度が高いそうだから面白い。そもそも僕の知識の限りではムハンマドはあくまで神の声を聴いた「預言者」であり、彼自身は自らはただの人間であって特別扱いするなという趣旨のことを言ってたように思う。だから本来ならムハンマドを神聖視して「描写」を禁じること自体教義的に問題があるのでは…などと思ったりもするのだが、人間そう単純には割り切れず、やっぱりムハンマドはイエスブッダ同様に神聖視されてしまう。イエスやブッダだって過去の映画では直接的描写を避けられていたからイスラム教だけの現象ではないんだけど、イスラム教徒がそこまで割り切れるものかどうか。
 イランの今度の映画、ぜひ僕も見てみたいものだが、もともとイランとは対立しているスンナ派のサウジアラビアなどでは反発も起こっているとか言うので、どこまで世界配給になるのか。シーア派的解釈にせよ、イスラム理解を広めたいという趣旨には大いに賛同するので、日本でも公開してほしいものだ。


 もう一題は中国から。中国と言えば戦勝70周年ということで盛大な軍事パレードが行われるとか、東條英機アイスキャンデーなんてのが話題になってるが(舐められたものだ(笑))、映画業界でも「戦勝記念」な企画が多いようだ。
 そんな中、「カイロ宣言(开罗宣言)」という映画が公開を前にちょっとした物議を醸した。騒がれだした直後に僕もネットで「俺の知ってる蒋介石と違う」と題する画像を見かけて物議を知った。その画像とは「カイロ宣言」のポスターで、そこに一人ドアップで映されいるのはどう見ても毛沢東なのだ(演じたのは以前も毛沢東を演じた唐国強)。カイロ宣言は1943年にエジプトのカイロに蒋介石チャーチルルーズベルトが参集して日本に対し無条件降伏を呼びかけたもので、のちの「ポツダム宣言」のルーツともいえる存在だが、当時中国を代表してるわけではなかった毛沢東は直接的には無関係。それをまるで主役のように大写しするとは…とネット上で騒ぎになった。当然ながら中国のネット民も大いに騒ぎ、政府系メディアもとりあげ、「日本の歴史改変をとやかく言えんぞ」という声まで上がっていた。蒋介石の後継者ともいえる台湾の馬英九総統も「毛沢東がカイロ会談に出ていたらお笑い種だ」と発言していた。日本でも一部メディアがこの件を「中国の歴史捏造」ってな感じに騒いだみたい。
 ただ、実際には問題のポスターはこの映画のために作られた数あるポスターの一つに過ぎない。こちらの中国サイトにそれがズラッと並んでいるので参考にされたい。他のポスターでは史実に従い蒋介石、チャーチル、ルーズベルト、そして蒋介石夫人の宋美齢が並んだものや、登場女性たちをメインにしたもの、やはり会談には参加していないスターリンを大写しにしたものや、スターリン、蒋介石、チャーチルを一緒にあしらったものなど多種多様であることが分かる。ストーリーを眺めても主役は毛沢東でも蒋介石でもない架空の夫婦(しかも妻は日本人設定)で、カイロ会談にからめて各国の実在指導者たちの動きを見せつつ架空人物たちの話がメインになってる感じがある。あえて言っちゃうとタイトルが「カイロ宣言」である必然性すら感じないくらい(笑)。毛沢東も出てくるけど当時の各地の指導者の一人として挿入される形で、基本的には蒋介石・宋美齢の出番の方が多そうだ。もちろん蒋介石の立場を強化するのに毛沢東が一役買った、的な描写があるようで、そこらへん政治的と言えば言えるが、一部で報じられたほど「主役は譲らん」という意向が入ったものとも思えない(むしろ蒋介石とアメリカの「同盟関係」を強調する描写が多いようで、山本五十六の戦死も蒋介石からアメリカにもたらした情報に基づくとするフィクションが入るようだ)。しかしさすがに中国本土で蒋介石ドアップのポスターはできないだろう。その代わりに毛沢東のポスターになっちゃったんじゃないかと推測する。
 ホント、欧米や日本における中国ネタ報道って気を付けた方がいいんだよね。
 


◆遥かなる山の呼び名

 8月30日、アメリカのオバマ大統領が、アラスカ州にある北米大陸の最高峰「マッキンリー山」の名前を正式に「デナリ」に改称すると発表した。この件、これまで僕はまったく意識したこともなかったのだが、「改称」と聞けばなるほどと思い当るところはあった。「マッキンリー」の名前は明らかにアングロ・サクソン系の人名だもん。新聞記事で第25代アメリカ大統領ウィリアム=マッキンリーにちなんだ、と聞いて、ああ、なるほどと初めて知った次第。
 だがその後よく調べてみたら、名前がつけられたのはマッキンリーがまだ大統領候補だった1896年のこと。アラスカの金鉱採掘業者がマッキンリーを応援するためにわざわざその名を山につけちゃったそうなのだ。そして実際に当選して大統領となってしまったことで「マッキンリー山」および「マッキンリー国立公園」の名が正式に確定することとなった。なおマッキンリーは1901年に暗殺され、暗殺された四人の米大統領のうちの一人となっている。
 
 このたび「マッキンリー」から変えることになった「デナリ」のほうは、もともとこの地の先住民アサバスカン族の言葉で、「偉大なるもの」を意味するという。アラスカ州では1970年代からすでに先住民の呼び名への改称を運動していて、国立公園の名前の方は1980年に「デナリ」に変わっていた。しかし山の名前の方はマッキンリー元大統領の出身地オハイオ州議員などの強い反対もあってなかなか実現しなかったのだという。今年になってどうして実現したのか背景はよくわからないのだが、オーストラリアの「ウルル」(エアーズロック)の例にも見えるように、先住民文化の尊重の流れの一環とは言えそう。

 ところで僕も含めて日本人の多くは「マッキンリー」と聞けば冒険家の植村直己を思い出すはず。世界各地の最高峰を制覇していた植村直己は1984年にマッキンリーの冬季単独登頂に初めて成功したが、下山途中で消息を絶っている。当時の報道を僕は覚えているし、その後植村の伝記本も読んだのでそこそこになじみはあった。西田敏行主演で映画もあったはずだが、こちらは未見だ。
 さらに連想話を続ける。「デナリ」という名前に、なぜか「聞き覚え」があった。なんだったっけ?といろいろググってたらすぐに答えが出た。かつてカネボウが発売していた男性用香水に「デナリ」というのがあったのだ。確か「ラスト・エンペラー」でスターとなった直後のジョン=ローンがCMに出ていたような…と確かめたら、記憶は正しかった。もう「デナリ」は発売されていないそうだが、こちらも名前の由来が気になるところ。


 これだけじゃ文量が物足りないので、無理やり関連ばなしを。
 実はつい最近、日本でもあるところの「改称問題」が浮上していた。それも県名である。ある県が「わが県の知名度が低い!改名しよう!」と一部政治家が本気で言い出し、県知事もそれに応じて県民の世論調査を実施したのだ。どこの県の話かと言えば…琵琶湖をかかえる、あの滋賀県である。
 う〜ん、社会科講師としては覚えがなくもない。全国都道府県とその都道府県庁所在地を覚えるのは中学生なら当然だが、難関の一つに「滋賀県」があることは否定しない。県庁所在地「大津」も隣の三重県の「津」と並ぶせいもあってどうも頭に入りにくいのだ。「琵琶湖のあるところ」と言われればだいたいの位置は頭に浮かぶのだが、「滋賀」という名前が今一つピンと来ない生徒が多いみたい。ま、僕の住む「茨城県」なんてのも難関の一つなのだが。
 かつて香川県が「高松県と呼ばないで」とか「うどん県」とか自虐的冗談で改名をやってみたことはある。しかし滋賀県のケースは結構大真面目な提案で、知事が県民意識の調査をするまでに至ってしまった。まぁ結果は予想通り、調査対象の3000人のうち85%は「改称の必要なし」で、「変えた方がいい」と答えたのは7%程度だったそうだが。一方で滋賀県の名前が「あまり認知されていない」という回答も65%にのぼったという。
 改称提案はある県議が言い出したものなのだが、そこでは改称の一案として「近江県」というのが挙げられていた。旧国名の「近江」の方が通りがいい、という考えがあるのだろう。じゃあそもそもなんで「滋賀県」になってるの?と思って調べてみると、廃藩置県直後には「大津県」だったが、なぜかその後に大津のある滋賀郡から名をとって「滋賀県」になったといういきさつだった。その「滋賀郡」というのもそんなに古い名前ではなさそうな感じで、そこらへんが地元でも「滋賀県」に認識度が低いと感じる理由なのかもしれない。



◆今も人類大移動

 そもそも人類はアフリカに誕生し、原人、ネアンデルタール人、現生人類と「出アフリカ」を繰り返してきた歴史がある。出アフリカからはすごいスピードで全世界に拡散した人類だが、今もその移動の激しさは変わっていない。去年から目立ってきたアフリカから地中海を越えてイタリアなどへ渡ろうとする「移民」なのか「難民」なのかという人々の流れを見ていて「今も出アフリカなのかな」なんてことを考えたのだが、今年に入ってますますその規模が大きくなってきた。粗末な船に大量に乗り込み、遭難してしまうケースも多数報じられたが、無事についてしまう人はもっと多いはず。
 今年の前半くらいまでは、テレビでの報道を見る限り「移民」には黒人の姿が目立つ気がしていた。北アフリカのアラブ圏ではなくサハラ以南の人たちが押し寄せてきてるのかな?と思っていたのだが、ここ二か月くらいで明らかにアラブ系と分かる「移民」が急増してきた。特にシリア、そしてリビアといった過激派が伸長し国内が内戦状態になってしまった国からの移民が多いと言われている。

 今年に入ってこれら「移民」の数は倍以上にふくれあがった。しかもその多くがドイツやイギリスといった経済的に裕福な国を目指しており、イタリアやギリシャに上陸してバルカン半島やハンガリーを経由してドイツを目指す(最近ではロシアから北欧を経由するルートも出てきてるらしい)、さらにはフランスのユーロトンネルをくぐってイギリスに渡ろうとする(フランスもまずまず裕福だと思うのだが…英語が使えるからかな?)、といった動きが連日報道されている。ドイツだけでも今年の移民申請は80万人にも及ぶんじゃないかというからびっくりしてしまう。
 確かに最近のシリアの現状を聞くからに、そうした難民が出るのも無理はないと思える。すぐそばに平和で豊かに暮らせるところがあるならそっちへ行きたい、と思うのは人情ではあるだろう。それにしてもここ最近のこの勢いはただごとではない。そういう気持ちの人々がいるというだけでなく、それを仲介したり運んだりする人も大勢出てきた、ということもあるんじゃないかと。中には出稼ぎに近い「経済難民」的な人たちも交じっている気配もある(僕がたまたまTVで見たケースではガーナ人青年でそういうのがいた)。だから彼らを「難民」「移民」「出稼ぎ人」でちゃんとふるい分けるべきとの声も強い。

 EU内は実質的に国境はなく、人や物の移動は自由である。なので「移民」の人たちはどこでもいいからEU領内に入り込み、あとはあらゆる手段を使ってドイツやイギリスを目指すことになる。しかし通過されるだけの国も正直迷惑なようで、マケドニアがギリシャとの国境に鉄条網を張ったり、ハンガリーも国境をふさいだり難民申請をかなり制限、ブダペストの駅が難民キャンプ状態になって警官隊とにらみあい、なんて混乱した事態になってしまっている。受入れ体制が比較的整っているドイツでも、難民収容施設に放火があるなど反発も強くなる一方でそうした動きを「ネオナチ」として批判し難民受け入れを求める声があがるなど、さまざまな議論が聞こえてくる。
 経済的には人の面倒まで見てられない南欧・東欧諸国はもちろん、イギリスやフランスもドイツに比べれば難民・移民受け入れには消極的だ。目的地とされるドイツはドイツで「EU全体で負担しよう」と呼びかける。ギリシャ問題に続いてまたまたEUの存在自体が問われかねない事態となっているわけだが、ここにきてまた流れが変わりつつある。難民たち70人もがトラックに押し込められて死亡していた事件も騒がれたが、つい数日前に大々的に報じられた「トルコ海岸に打ち上げられたシリア難民の少年の遺体」の写真と映像がEU全体に大センセーションを巻き起こし、イギリスやフランスの首脳が難民問題への積極姿勢に転換、という現象まで起こってしまった。いやまぁ、あの死んじゃった子は実際ホントにかわいそうだとは思うんだけどさ、その映像一つでそんなにみんな態度を変えるのか、と正直驚かされてもいる。CMも「子供と動物には勝てない」というが…僕も連想したけど、湾岸戦争時の「油まみれの海鳥」の写真を連想する声をネット上でいくつかみかけている。なんというか、欧米人ってチョロいな、と(汗)。クジラやイルカにエキサイトする心理とどっか通じるような。

 それはともかく、深刻な事態であるには違いなく、特にシリアやイラクなど中東地域の混乱についてはヨーロッパにその責任がないとは言えまい。またヨーロッパが掲げる人道的見地からしても何とかしてあげなきゃなるまい。
 などと言えちゃうのは他人事だから、と自分でも思っちゃうのだけど、最近株価が下がったってんでまたぞろ一部で盛り上がる「中国崩壊」(まぁもう二十年以上ずっと言われ続けて当たらないわけですが)が現実になったら、これが他人事じゃなくなるわけなんだよね。あれで盛り上がる人たちってそれをほとんど考慮してないみたいで。そもそも今度の株価騒動でもわかるように中国経済がホントに崩壊したら戦艦大和の沈没に周辺の船が巻き込まれて沈むようなもので日本が無傷のはずはないし、それこそ「爆買い」の勢いで難民が押し寄せてくることになっちゃうかもしれないのだ。そういや80年代に「偽装難民」で中国人の出稼ぎ人が押し寄せていた、なんてのも今じゃ想像もつかなくなってしまってますな。


2015/9/4の記事

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