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2015年12月22日

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◆今週の記事

◆世界はISを中心に回ってる?

 また二か月も更新を遅らせている間にあれこれと大ニュースが続いてしまった。言い訳しておくと、当初は11月中旬の行進を目指して書き進んでいたところへパリのテロが起こってしまったため内容を変えることになり、さらには季節がら受験産業のお仕事の方も忙しくなってなんだかんだで書けなくなってしまったのだ。そうこうしているうちに「スター・ウォーズ」新作も公開されちゃったし、何とか年内には書かないと、とこうしてまとめてみた次第。そんなわけで今回の「史点」はいずれも話題が古めです。

 フランスの首都パリで大規模な同時多発テロが起こり、130人もの犠牲者を出す惨事となったのは、11月13日の金曜日のことだった。パリのテロと言えば今年のはじめに「シャルリ・エブド」襲撃事件があったばかりで、2015年という年は「パリで開け、パリでく暮れた年」として記憶されることになるかもしれない。年明けまでこれを上回る大事件が起きなければ、ということだけど。
 僕がパリの事件を知ったのは日本時間で土曜日の昼頃だった。もちろんその日の朝のニュースからこの事件は大々的に報道されていたのだが、僕は普段でも遅起き生活で、特にこの時はかなり遅く起きてきて飯食っていろいろのんびりしてから、パソコンを起動してニュースサイトを覗いて初めて気が付いてビックリした次第だった。
 アルセーヌ=ルパン物語の舞台でもある花の都パリで、テロにより100人以上の犠牲者が出た、と聞いて実際僕もビックリしたのだが、考えてみると中東諸国では数十〜百人台の犠牲者が出るテロ事件は日常茶飯…は言い過ぎにしてもニュースを見ていれば結構見かける。怖いのはあまりにしょっちゅう聞いていると報道する側も聞く側もマヒしてくるという点で、パリでのテロ事件に対して世界中から「フランスと連帯する」との掛け声が上がる中で「じゃあなんでこっちには目を向けないのか」という中東の人たちの声があがってもいた。そこはやはりパリだから、ということになっちゃうのだが、ともすれば僕も含めて「文明圏とそれ以外」で世界をくくる見方をついついしてしまうのでは、と思わされる事態でもあった。
 犯行は「IS(イスラム国)」によるものと断定され、数日後にはパリ郊外で一味のアジトで銃撃戦があり、実行犯を含めた男女二人が死亡した。だが事件から一か月がたつ現時点でも実行犯の一人は逃走中のまま行方がつかめていない。そしてフランスはそれまでやや及び腰だった姿勢を改めてIS攻撃に乗り出し、シリアへの空爆も実施するようになった。このあたり、2001年の「9.11」直後の雰囲気に似ている。それと、シリアってのはそもそもオスマン帝国崩壊時にフランスが分捕った「元植民地」でもあるわけで、そこにフランス軍の攻撃が行われるという光景にはこの一世紀の中東史の因縁を感じなくもない。


 空爆と言えば、ロシアが10月からシリア空爆を開始している(TVの天気予報で「今日は空爆日和」などと言ったとか報じられた)。ISに対する攻撃だとロシアは主張しているのだが、もともとアサド政権を支持しているロシアなので、ISではない反政府勢力を攻撃しているのでは、とアメリカを中心に批判も出ていた。そんな折の10月31日に、エジプト領のシナイ半島から飛び立ったロシア旅客機が突然墜落。事故説とテロ説が入り乱れ、一時は事故に傾いた感じもあったが、パリのテロから間もない11月17日にロシア政府は公式に墜落をIS系の組織による爆破テロと断定、フランス同様に「弔い合戦」とばかりIS攻撃に力を入れる姿勢を見せた。これまでそれぞれの思惑で対ISの統一戦線が組めない状態が続いていたが、これで米英露仏と大国が足並みをそろえるか?との期待も高まった。

 ところがその直後の11月24日、トルコ軍の戦闘機がロシア軍の戦闘機を撃墜するという大事件が発生した。シリア国内の空爆に出撃したロシア戦闘機がトルコの領空を侵犯したため、トルコ側が警告を発したが無視されたので撃墜した、というのがトルコ側の主張だ。ロシア側は侵犯を否定しているものの、領空侵犯自体は10月にも起こっていたし、現場の国境の入り組み具合を見ても十分に「うっかり」やってしまうような気はする。ただそれをいきなり「撃墜」してしまったというのは正直なところ理解に苦しむ。
 そりゃまぁ領空侵犯に対して撃墜、というのは一応「主権を守る」ためとして許容される行為ではある。だけど「撃墜」という冷戦下でもそうそうなかったことを、対ISで国際協力なんて言われてる時に実行しちゃうというのは、一体トルコのどのレベルで決断したことなのか(エルドアン大統領のあずかり知らぬところで決まったのかも…)。それにその撃墜模様が現地のトルコ系トルクメン人の武装組織によって動画撮影され、あまつさえパラシュートで降りてきたパイロットを殺害してその遺体をそれこそISみたいに取り囲んで記念撮影してネットに流す、というのは、とても偶然にできるとは思えない…というのが正直なところだ。

 そもそもオスマン帝国とロシア帝国の時代からロシアとトルコは「宿敵」関係だった。今度の一件にその流れをみる声も結構あったけど、一方でトルコもまたかつての「帝国領土」であったシリアの中にトルクメン人など「同胞」たちの勢力圏を築こうと狙っているようでもある。トルコもシリアへの爆撃を実施してるが、これまたISだけでなくクルド人勢力を攻撃しているとされ、これと連動して国内でもクルド人とトルコ人の民族対立がまたぞろ激化している感もある(東京のトルコ大使館前で両者が大乱闘してたな)。この騒ぎのなか、トルコにいる著名なクルド人人権活動家が暗殺されるという事件も起きていて、トルコの政治情勢もなんだかキナ臭くなった感じもする。
 トルコはNATOの一員であるだけでなく、シリアからの大量の難民の「防波堤」とも期待されるトルコにアメリカや西欧諸国は注文をつけにくい様子なんだけど、一方でISの資金源の石油密輸と関わってるのでは?との疑惑はロシアに言われる以前からささやかれてるし、今年2月の日本人人質殺害事件の際にもトルコに仲介ルートがあるとかないとか言われていたこともある。長く国境を接するだけにトルコ・シリア間にはいろいろ複雑な裏事情がありそうな。


 12月に入って、さらにイスラエルまでがシリア領内で空爆を行った。こちらはもともとIS狙いではなく、シーア派系組織「ヒズボラ」の拠点を叩いたものと報じられている。ヒズボラはシーア派国家イランと深い関係があり、イラン自身もイラクで対IS戦線に間接参加しているわけだが、イスラエルまでが自国の思惑で空爆に参加してくると余計に事態がややこしくなるような…イランの「核疑惑」問題に一応の決着がついちゃったこともイスラエルを焦らせてるのかもしれない。
 そのイスラエルのネタニヤフ首相といえば強硬論者の右派政治家として知られるが、10月に「ナチス・ドイツのホロコーストは、もともとパレスチナのイスラム指導者がヒトラーに提案したもの」という趣旨の発言をして物議を醸した。どうもこの人、以前からそういう主張をしているそうなのだが、「世界シオニスト会議」という国際的な場で発言したから余計に騒ぎになった。

 ネタニヤフ首相の主張は以下のようなものだ。そもそもヒトラーはユダヤ人迫害を行ったが、あくまでヨーロッパからの追放にとどめるつもりだった。しかし当時すでにパレスチナでユダヤ人入植者たちと争っていたイスラム指導者アミン=アルフサイニーがヒトラーに「ユダヤ人虐殺」を進言、それが実行されることになったのだ、という内容なのだ。何やらヒトラーとナチスを弁護するような発言にも聞こえ、さすがに内外から強い批判の声が出ている。
 一応、ナチスのユダヤ人迫害に「ヨーロッパからの追放」の構想自体はある時期存在したらしく、パレスチナ入植を進めるユダヤ人のシオニストたちと利害が一致する面もあった。また第二次大戦の勃発前からパレスチナ人とユダヤ人入植者のトラブルは起こっていて、今度の話に出てきたアミン=アルフサイニーというイスラム指導者が反ユダヤ運動を指揮してナチス・ドイツに接近、1941年にヒトラーに面会してユダヤ人の「殲滅」を提案した事実もある(アウシュビッツ収容所の視察もしたそうで)。だが1941年という段階でパレスチナのイスラム指導者の提案ひとつで「絶滅政策」が始まったとは考えにくく、イスラエル人もふくめた大方の歴史家はネタニヤフ首相の「説」に否定的だ。
 ホロコースト否定論とつながる形で「ナチスは本来は追放だけのつもりだった」という「説」も歴史修正主義者に主張されるものだが、それをイスラエルの首相が言ってしまうところが深刻。このあとドイツを訪問してメルケル首相との会談でも同様の主張をしたそうだが(さすがに「ホロコーストの責任はまずヒトラーにある」とはしたそうだが)、さすがにメルケル首相は「我々が歴史の見方を変える必要はない」とかわしている。

 ところで11月にEUは、イスラエルが占領する「入植地」で生産された商品について「イスラエル産」ではなく「入植地産」と表示するとの決定を下している。2012年から持ち上がっていた案だったがイスラエルが猛反発して先送りにしてきたが、ついに実現が決まった。いよいよ決まりそうだというので今年の9月にネタニヤフ首相が「ナチスがユダヤ人の生産物につけたラベルと同じだ!」と言って牽制していたが、今度の決定を受けてやはり「過去の暗い記憶を呼び覚ます行為」とナチスに絡めて非難している。しかしイスラエルの「入植地」って、第三次中東戦争の際に一方的に占領したままのもので、国際的にさんざん批判されながらも入植を勝手に進めている土地なわけで、それこそナチスの「ドイツ人の生存圏」建設を連想させるものだ。ナチスの真似をしてるのはさてどっちなんだろうと。


 予想はされたことだが、パリでの同時多発テロを受けてフランスのみならずEU各国では反イスラムの気分が高まり、折からのシリア難民問題と絡んで各国で排外的な極右勢力が台頭してきた。先日のフランスの地方選挙でも極右政党「国民戦線」の勢力拡大がみられ、危険を感じた与党社会党と右派の共和党が組み、世論の揺れ返しも起きて決選投票ではさすがに国民戦線は全敗という結果になったが、これまでにも大統領選挙で国民戦線の前党首ジャン=マリー=ルペンが決選投票まで残っちゃったこともあったし、フランスというのも結構排他的・保守的な空気の強い国ではあるのだ。そのせいか、シリア難民はドイツやイギリスを目指す一方で、フランスにとどまろうとする人は少ないらしい。
 
 そしてアメリカでは、来年の大統領選挙に向けて「台風の目」となってしまっている共和党のドナルド=トランプ候補の支持率がますます高まるという現象が起こった。著名な不動産王にして大変な放言・暴言家で、話題にはなってもいつかは支持を落とす泡沫候補とみられていたのだが、11月のパリでの事件と12月初めのアメリカのロサンゼルス郊外での乱射事件(実質テロだったらしい)とを受けて「イスラム教徒の入国禁止」を唱えたところ、一時低落気味だった共和党支持者の中での支持率が一気に持ち直して二位以下にぶっちぎりの差をつける状態になってしまった。共和党幹部も頭を抱えているらしいのだが、ここまで落ちないでいると、これは実際に共和党の候補にはなってしまうんじゃなかろうか。
 日本のかつての都知事や大阪知事・市長の例にもあるように、大衆の「本音」を刺激する放言・暴言を口にするポピュリスト政治家がかなりの人気を集めてしまうというのは古今東西よくあることだが、アメリカという世界の超大国のトップにあんなのがなるというのは正直恐怖。「くみしやすし」と思ったのか、ロシアのプーチン大統領がトランプ候補を高評価、トランプ氏もプーチンさんを高評価で返すという、微笑ましいというか恐ろしいというか、妙なエール交換もあった。
 あのジョージ=W=ブッシュにすらつとまったんだから…とも思うけど、彼の場合は一応父の代からの取り巻きもいたからなぁ。当初「本命」と言われていた弟のジェブ=ブッシュ・テキサス州知事はほとんど話題にならず支持率が低迷。このままでは候補になることすらおぼつかないのだが、やっぱり今年4月の段階で日高義樹さんがジェブ=ブッシュを次期大統領と断定する本を出しちゃったのがいけなかったかな?(笑)もちろん、さすがにマズイと思った共和党幹部がなんとかしてトランプ外しを画策する可能性もあるんだけど…

 日本人としてやっぱり気になるのは、このトランプさん、イスラム教徒の入国禁止や徹底管理という過激な提案について、「太平洋戦争時の日系人強制収容」の例を肯定的に引き合いにすることだ。「アメリカ国民」であるはずの日系人を家も財産もとりあげて僻地に戦争捕虜同然の強制収容をしたのは、同じ「敵国系」であるドイツ系やイタリア系にはやらなかったのだから明白に人種差別の政策であって、1980年代以降ではあるがアメリカ政府は公式に誤った政策と認めて謝罪・賠償を行っている。それを大統領になってやろうと思ってる人物が肯定的に引き合いに出す、というあたり、アメリカの保守層の中にはまだまだ同様の気分が濃厚にあることをうかがわせる。
 映画化もされたトム=クランシーの小説「ジャック・ライアン・シリーズ」もソ連、中国、イスラム、日本と「アメリカに立ち向かってくる敵」と次々と戦う話で、しまいには主人公自ら大統領になっちゃうアメリカ万歳が鼻につく内容だったが、トランプ氏の発言を見てると、ああいう内容が大衆受けする素地が確かにあるんだな、と実感する。そうそう、クランシー原作ではないが、映画「エアフォース・ワン」ハリソン=フォードが演じた「テロリストと自ら戦う大統領」をトランプ氏が絶賛したところ、さすがハリソンさん、「ドナルド、ありゃ映画だよ」と鼻で笑ったそうで。


 とまぁ、なんだかんだで今年一年は「IS」を中心に世界が回っていたような…とこの年末に起きた関連話題を並べて改めてそう思う。来年はアメリカの大統領選が特に注目されることになるんだろうが、「IS」および中東からアフリカの各地のテロ組織の活動が気になる年になることは間違いなさそう。いつにもまして不寛容なムードが世界を覆っている感じなのがイヤですな。
 10月25日に、ブレア元イギリス首相がイラク戦争について、「我々が受け取った情報が間違っていた事実について謝罪する」と発言、ささやかながら注目された。当時、アメリカのブッシュ政権とイギリスのブレア政権はイラクのサダム=フセイン政権が「大量破壊兵器を持っている」と断定し、それを根拠に戦争を起こしてフセイン政権を打倒した。しかし大量破壊兵器は存在せず、おまけにフセイン政権崩壊後の混乱がイラクとシリアにまたがる「IS」の跳梁を生み出す結果になった。
 ブレア元首相は大量破壊兵器の情報が誤っていたことを認め、さらに「政権排除後に何が起こるか、一部の計画や理解に誤りがあった」とも認めた。さすがに「サダム=フセインを打倒したこと自体は間違ってない」としたらしいが、イラク戦争がIS台頭の主な原因では、と聞かれると「真実がいくぶんある」と答えたとのこと。
 過ぎたこと、と安易に片づけてはいけない。まさに直近における重大な「歴史問題」なのだ。



◆ミャン坊マー坊政治予想

 二人合わせてミャンマーだ〜♪きーみとぼくとで〜って、このタイトルの元ネタも去年で完全に終わっていたんだな。
 そういやひところ軍事政権に反対する亡命者やその支持者たちの間では意識して「ビルマ」と呼ぶ傾向もあったのだが(「ビルマ」「ミャンマー」は「にほん」「にっぽん」の関係と似た二通りの言い方で、軍事政権下で正式に「ミャンマー」と決められた)、それは今はどうなってるんだろうか。

 さてすでに古い話題になってしまうのだが、今度のミャンマー総選挙で、その軍事政権に抵抗する民主化運動の象徴的存在であったノーベル平和賞受賞者アウンサン=スー=チーさんの率いる政党「国民民主連盟」(NLD)が圧勝、ついに政権交代が現実のものとなった。最近変化の著しいミャンマーだが、とうとう政治の面でも大きな変化を迎えようとしているわけだ。それがうまくいくかどうかはわからないのだけど。「アラブの春」で思い知らされたが、民主化がかえって混乱を招くこともあるからなぁ。

 アウンサン=スー=チーさんといえば、僕が授業で使う中学生向けの教科書や教材でも大きく取り上げられている。特に公民分野で日本国憲法と人権について習う際、「身体の自由」や「表現の自由」に対する弾圧の実例として挙げられることが多いのだ。だから現役中学生にも広く知られている存在なのだが、ついに政権を掌握して今度は「権力者」の側に立つことになる。こうした例は2年前に亡くなった南アフリカのネルソン=マンデラにもあった。
 しかしアウンサン=スー=チーはミャンマーの大統領にはなれない。選挙以前に「親族に外国籍の者がいる者は大統領になれない」と憲法で規定されたからだ。決めた当時にも「スーチー大統領阻止のため」とみられてはいたが、仮にも憲法の規定である以上スーチーさんだってそれを無視するわけにはいかない(最近自民党内でも理解してない議員が多いと言われる「立憲主義」ってやつですね)

 選挙勝利が明らかになった11月10日、スーチーさんは外国メディアとのインタビューのなかで「次期大統領は憲法規定のために任じられる形式的なもので、何の権限もない。私が全てを決定する」という意向を明言した。つまり本来は自分が大統領になるべきだがそれは憲法の規定上不可能なので、一応形式的な大統領を置いて、自身はそれより上に「最高実力者」の立場につき、実質的に権力を持つことにする、というわけだ。日本人、ことに中世史に詳しい方は、「ああ、院政ね」と納得しちゃうかもしれない。もっとも院政は一度は天皇になった者が行う政治だから、鎌倉幕府における執権政治とか、その末期の執権すら飾り物の得宗独裁だの内管領政治だのといった、日本史にはよくある「トップは形式的で最高実力者は別の人」の例えの方がいいのかもしれない。考えてみればミャンマーの「軍事政権」だって日本の「幕府」みたいなものだ。
 まぁそもそも軍事政権ににらまれ続けた過去があり、その大統領就任を何としても阻止したいとあからさまな妨害策を軍部などの勢力がやってきたんだから、こっちもその規定に応じたうえで裏技を使わせてもらう、という意図はわからないではない。ただこれ、あんまり融通無碍にやっちゃうとそれこそ立憲主義を踏み外しかねず、内政外交ともにあれこれ支障が出る恐れも感じる。さっき挙げた日本中世政治の例だって、つまるところは「政治的責任の曖昧化」が当時においては何かと都合がよかったからなのだが、現代の国際社会でそれが通用するものなのかどうか。一部にはこのスーチーさんの発言を「独裁者化」ととらえて批判する向きもあるようだ。

 そもそもスーチーさんがミャンマーにおいて反政府の民主化運動のリーダーに担ぎ出されたのは、もちろん彼女自身の国際性や資質も無視はできないだろうが、なんといっても「アウンサン将軍の娘」であることが多大な支持を集める力になっている。アウンサンは植民地時代のミャンマー(ビルマ)で反英闘争を行い、太平洋戦争時に日本と結びついて日本軍と共に祖国を「解放」したが、やがて日本軍が劣勢に立つとイギリスと結んで日本軍を追い出し、戦後にミャンマーの完全独立を目指してイギリスと交渉中の1947年に暗殺、という32歳の短いながら波乱万丈の人生を送った人物で、ミャンマーでは「建国の父」として崇拝されている。そんな人の娘であるからこそ周囲も担いだし、軍事政権も危険視した。だいたい南アジアや東南アジアではこの手の「○○の娘」がリーダーに担ぎ出されるパターンがかなり見られるのだ(とか書いてたら、ペルーでもフジモリの娘が有力、なんて報道が)

 海外経験も多く(日本留学経験もある)、イギリス人の夫をもち、欧米近代的価値観をもつとみられるスーチーさんに対しては、特に欧米諸国の支持があり、弾圧する軍事政権への批判は強かった。しかしスーチーさんが自由となり、政治権力を握る可能性が現実的になってくると、「現実」に合わせて少数民族問題で微妙な立ち位置を取り始めたりしたので、最近は国際アムネスティなど、それまでスーチーさんを支援してきた人権団体などが彼女を批判するようにもなってきている。政治権力を握るということはそれだけ理想論ばかりではやっていけない、ということなのかもしれないが。
 で、日本はどうなのかというと、実は一応「西側諸国」に分類される国の中ではミャンマー軍事政権と割と良好な関係を持ってきた経緯がある。そのため日本留学経験もあるスーチーさんも実は日本政府や進出企業に対してあまりいい印象を持ってないとの話も聞く。そのせいか、今度の選挙結果を受けて一部の保守系マスコミの社説では「政治経験がない」「中国寄り」(以前は中国寄りだった軍事政権が姿勢を変える一方でスーチーさんは直前に中国詣でをしたかららしい)と結構露骨に「スーチー政権」への警戒感を書くものもあった。保守系ってことでは週刊新潮のラストページでコラムを書いてる高山正之氏は典型的な「ウヨク脳」な文章を書き連ねてる人だが、かねてアウンサン=スー=チー批判を延々と書いてきたことでも知られる。その根源をたどるとその父親のアウンサン将軍の「裏切り」にまでさかのぼるようなんだけど…まぁそれはともかくとして、だいたい発展途上国に経済進出する側からすると、相手国が非民主的な国の方がやりやすい、という実例は多いよね。

 以前そういうことがあったように、選挙結果を無視した軍事政権側のちゃぶ台返しがないとは言い切れない。が、さすがに今さらそうはいかないだろう。やれるなら選挙以前の段階でやってる気がするし、ここ数年はミャンマーの政権も国際社会に対してオープンになってかなり変化してきているから、「スーチー政権」の成立自体は間違いないだろう。実際、スーチーさんはテイン=セイン大統領や軍の幹部との会談を重ねていると報じられ、そこそこにお互い妥協しながら政権運営を進めていくと思われる。それにしても、外国訪問時や首脳会談などではスーチーさんは何と呼ばれることになるのか。まさか「影の大統領」とか?(笑)。
 「政治予報」などと書いたが、当然のことながら歴史がどう転ぶかなんてわかりゃしないもの。ちーさなものから、おーきなものまで、動かす歴史の原動力の予想がつけば世話ぁないのだ(あ、これは今年の大河ドラマの「流行語なりそこね」でした)



◆あの政策ついに終焉

  ああ、ようやく公式に表明したか、というのが最初の感想。もう数年も前に事実上放棄していたようなものだと聞いていたので。中国の「一人っ子政策」の話である。10月29日に中国政府が公式にこの政策の終了を発表している。もっとも正式な実施は来年3月かららしいし、あくまで「二人目も生んでいい」という「緩和」であって、出産管理の体制自体は維持されるみたい。日本では早くも「二人っ子政策」などと昔の朝の連ドラみたいな呼ばれ方をしている(笑)。
 開始したのが1980年からで、36年目にしてついに終焉。僕もそうだが、社会の地理の授業で中国の話か人口問題の話になるとこの「一人っ子政策」を必ず習うので、日本人でも非常に知名度の高い政策だ。なんといっても分かりやすいしね。だが実際には数年前からかなり緩められていて、僕も授業で教えつつも「そろそろやめるよ」と説明し続けていた。やっと本当になったか。
 思い返せば、二十年ほど前までは中国からの「経済難民」が日本や香港などに押し寄せ、「政治難民」だと主張するために「一人っ子政策に不満だった」と定番のように言っていたものだ(逆に言えばそれ以外特に不満がないらしい)。この一人っ子政策は中国の人口急増にある程度ブレーキをかけることには「成功」したようなのだが、その一方で生まれて居ながら戸籍に乗らない人口が一億人(?)もいるとかいう話もあるし、男性が大幅にあまるいびつな男女バランスになってしまう、一人っ子に親族が愛情を注ぎ込むため「小皇帝」などと呼ばれる我がまま世代が懸念されるなど、いろいろと弊害も生んだ。そうこうしているうちに急激な「高齢化」も避けられなくなってきたので、早晩放棄せざるをえなかったのが実態だろう。
 といって、一人っ子政策を放棄したからどんどん子供が生まれるかというとそうでもなかろう、というのもまた実態。先進国になると少子化する、というのは世界的にみられる現象で、中国都市部も確実にそうなってきているから、今後は政策によらない「一人っ子状態」が多くなってくると思う。逆にそう予想したからこそ一人っ子政策放棄に踏み切った、ということもあるだろう。さすがに「産めよ、増やせよ」みたいなことも言わないと思うんだよね。
 このニュースにからめて、売り上げに打撃が出そうなコンドームメーカーが、政策変更を逆手にとって「人口が増えれば責任も増える」というフレーズを中国版ツイッターで出した、という話にはウケてしまった(笑)。


 「一人っ子政策」の放棄も歴史的といえばそうだったが、その直後の11月7日にシンガポールで行われた、中台首脳会談も歴史的と言えば歴史的だった。中国共産党のトップである習近平国家主席と、中国国民党のトップである馬英九総統とが直接会談する、というニュースが電撃的に報じられた際には、まぁまぁの驚きの声があがってはいた。これまで元国民党党首が中国を訪問してトップ会談をおこなった前例はあるが、さすがに共産党と国民党の直接のトップ会談は日本降伏直後の毛沢東蒋介石会談以来のはず。
 お互い「中華人民共和国」「中華民国」のトップ指導者であり、形式的には互いの存在を認めるわけにはいかないから、会談の中では相手のことを主席や総統ではなく「先生(中国語では「さん」くらいの敬称)」と呼び合う、という配慮がとられた。またどちらが正統の「中国」であるかといった議論はいっさい出さずに「一つの中国」という共通の基本姿勢を確認しあうにとどめたらしい。それでも馬英九総統は会話の中で「中華民国憲法」とうっかり(あるいはわざと?)言ってしまったそうだが、習近平主席の方は何ら反応を見せなかった、と馬英九総統本人が後日明かしていた。
 だけど「歴史的」であることは多くの人が認めつつも、それほど重要視されなかった会談であることも事実。力関係がどう見ても対等ではなかったし、来る総統選挙で敗北が予想されている国民党の「悪あがき」とみる声も多い。中国側も台湾の政権交代は避けがたいとみて、独立の動きへの牽制くらいのつもりで軽く話に乗った、という印象もあった。国民党も弱くなったものだと思うが、そういうかつての「宿敵」の姿を見た共産党はなおさら多党制は認めないだろうなぁ。

 この動きと連動したのだろう、11月30日に中国と台湾がお互いに拘束していたスパイの交換が行われている。意外にも中台間でのスパイ交換はこれが初めてとのこと。台湾側は16年も前の1999年に逮捕された中国工作員を、中国側は2006年に逮捕して無期懲役を課していた台湾軍事情報局の大佐2人をそれぞれ解放したとのこと。
 スパイと言えば、つい先日日本でも元自衛隊幹部がロシアのスパイに情報を流していたことが発覚したり、中国で何人も日本人がスパイ容疑(元脱北者や元中国人などに日本の公安関係が「調査」を依頼したのではないかとささやかれている)で捕まっていたりするのだが、不思議とそれほど大きなニュースになってないような…「007」みたいに派手ではないけど、いつの時代でもスパイのお仕事というのは存在するものだ。


 その11月30日、中国にとってはもう一つ「歴史的」なことがあった。国際通貨基金(IMF)が中国の通貨「人民元」を、特別引き出し権(SDR)の構成通貨の一つに加えると決定したのだ。「SDR」って何なのかという説明については僕は逃げるが(笑)、きわめて簡単に言ってしまえば「国際的に通用する主要通貨」として認められた、ということ。これまでSDRになっていたのは米ドル、ユーロ、日本円、英ポンドの4つだけだったのだが、これからはそこに「自民元」が加わるというのだから、確かに歴史的なことだと分かる。
 すでにGDPでは世界第二の経済大国になってるだけに、5年前のSDR見直し時にも中国はSDR入りを悲願としたが、政治制度、経済の自由化に問題があることなどから蹴られていた。しかしもはや流れは変えられないということらしく、来年10月から人民元が正式にSDR入り、しかもSDR構成比率ではいきなり日本円を抜いて米ドル・ユーロに次ぐ第三位を締めることになるのだそうだ。人民元の紙幣すべてに印刷されている毛沢東もあの世でビックリしてるんじゃなかろうか。
 12月18日にはアメリカ連邦議会でIMF改革の承認が可決され、IMFの発言権で中国が第3位に躍り出ることも決まった。新興国の発言権を増すためのIMF改革はもう何年も前から叫ばれてはいたのだが、IMFの拒否権を握るアメリカでは中国を警戒する共和党が議会で反対するため改革が進まず、それに業を煮やした中国が今年になって「アジア・インフラ開発銀行」(AIIB)を発足させ、これに多くの同調国が出たためアメリカを慌てさせたのも記憶に新しい。今回共和党がIMF改革の「賛成」に転じたのは、40年ぶりのアメリカの石油輸出解禁と引き換えという政治的取引の結果らしいのだが、こうして決まってしまうと、なんだ、その程度の話で抵抗してたのか、という気もしてきてしまう。中国の一党独裁制よりアメリカの多党制民主主義の方が僕は絶対に好むのだが、近頃のアメリカ議会政治の機能不全ぶりを見ているといろいろと心配になってきてしまう。
 人民元の存在感の拡大は、日本円の存在感低下につながる、という見方もある。まぁ元をたどれば「円」も「元」も「ウォン」も同じ由来なわけで(香港ドルを「圓」としたのがルーツ)、いよいよになったら東アジア共通通貨ってことにしちゃえばいいのかもしれない。

 今年の秋以降、中国の経済成長率が低迷し、経済の減速が騒がれて世界中の株価に影響する一幕もあった。「中国のバブル崩壊」などと、自国がかつてたどった道を思い起こすというよりは棚に上げてはしゃぐような論調も日本では出ていたけど、冬に入ったら何だかおさまっちゃった感じだな。もちろん、日本で「中国崩壊本」が出るのは年がら年じゅうの話で、この年末にも「来年こそ中国崩壊」な本が何冊も書店に並んでいるわけだが、実際に崩壊したら崩壊本業界の著者も出版社も飯の食い上げの可能性が(笑)。



◆逝く人、生きる人

 いつものことだが今年も多くの著名人が亡くなった。僕自身も年齢を重ねちゃったなと自覚するのは、毎年の物故者に自分もよく知る、現役時代の活躍を知るような方が多くいると気付く時だ。この頃では下手すると僕と同世代とか年下の著名人の訃報を聞いたりするもんなぁ。
 そんななか、90歳以上という高齢な著名人二人の訃報にはいろいろと感慨に浸らされるものがあった。どちらも「ついにこの訃報を聞く時が来てしまったか」と、すでに長年覚悟をしていたようなところはあったが。


 伝説的女優、原節子の訃報が流れたのは11月25日夜のことだった。すでに9月5日に亡くなっていたのだが、関係者にも一切知らせぬまま、この時期に発覚、公表されることとなった(伝言板でも書いたのだが、他の著名人の例があったように年賀状の欠礼を出すためではないかと思われる)。1920年生まれの95歳という高齢であったが(ふと思いついて調べてみたら李香蘭=山口淑子と同年生まれであった)、芸能活動は1962年の映画出演が最後、公の場に姿を現したのも1963年の小津安二郎監督の通夜が最後で、特に引退発表もないままひっそりと隠遁生活を送り続けていた。現役時代の存在感もさることながら、絶頂期に世間とのつながりをほぼ断って世捨て人のように生き続けたミステリアスさも「伝説の女優」と呼ばれるゆえんだ。もう二十年前くらいになるんじゃないかと思うのだが、やくみつるが原節子のことを漫画で描いてたの目撃したことがあって、そこでもすでに「伝説の人」扱いされていたものだ。

 その女優デビューは1935年。大柄で彫りの深い美貌は当時としては日本人離れしていて、ドイツとの合作映画「新しい土」で主演に抜擢されたのもそのためであったと思う(こんなことを書いていたら、20日に放送された「新・映像の世紀」でその映像が拝めた)。この映画製作を通じて彼女はドイツを訪問、ヒトラーら当時のナチス・ドイツの幹部たちとも顔を合わせ、一時は周囲の影響かユダヤ陰謀論にもハマっていたとされる(もっとも彼女に限らず、当時は日本でもこの種の陰謀論は結構広まっていた)
 敗戦直後には黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」に主演、滝川事件とゾルゲ事件をミックスした戦中批判の民主化映画で、新しい時代を生き抜こうとするたくましい女性像を演じてみせた。やはり戦後民主主義映画の代表とされる今井正監督の「青い山脈」にも教師役で出演、この時期には敗戦直後の新時代を象徴する女優という感じなんだけど、やがて小津安二郎監督作品に連続して出演、「東京物語」の若い戦争未亡人役が代表作として挙げられるように、やや古風な日本女性の理想像を演じるようになった。
 1959年公開の東宝30周年大作「日本誕生」では、日本神話の最高神と言っていい天照大神役で出演。この時期でこの女神役を演じられるのは確かに原節子しかいなかっただろう。
 タイミングからするとそれにちなんだわけでもないんだろうけど、12月15日に国際天文学連合(IAU)が、岡山の観測所で発見した「太陽系外惑星」の名前を公募の中から「天照」にちなんだ「アマテル」と名付けると発表している。天照大神って太陽神と理解するのが通説だと思うんだが、惑星の名前につけちゃっていいのかなぁ。

 原節子は稲垣浩監督の「忠臣蔵」大石りく役で出演したのを最後に芸能活動からすっぱりと身を引いた(引退表明すらなかった)。謎の引退・隠遁は小津安二郎の死と関わるのでは、との憶測もあるが、結局のところ本人のみぞ知るだ。ただそのまま姿を消してしまったために若く美しい時のイメージだけが世間に残り、結果的に彼女の「伝説性」を高めることにもなった。今度の訃報を受けて多くの関係者がさまざまな証言をしていたが、大女優のイメージとは裏腹にかなりざっくばらんで明るい性格であったとのことだし、映画関係者とほぼ断絶していたかと思いきや、司葉子とは年に一度は電話で語り合っていた(今年の夏に電話したのが最後となった)との話には驚かされたし、決して世捨て人というわけでもなく政治・経済ネタなど世間の話題は新聞などでよく精通していて最晩年までそれは変わらなかった、という証言もやや意外ではあった。そうそう、仲代達矢は当時としては画期的だった「本物のキスシーン」を原節子と演じる栄誉を得ていたのだそうですな。


 そして11月30日には、水木しげるの訃報が流れた。僕はたまたまつけていたTVに「ニュース速報」のテロップが出て、原節子の訃報に接した時と同様に「ああ、ついに」と思ったものだ。2年前に亡くなった「アンパンマン」の作者やなせたかしと並んで、日本漫画界の現役最長寿漫画家であったが(なんと今年の5月まで雑誌連載をもたれていた)、とうとう亡くなってしまわれた。1922年生まれの93歳。原節子とはなんの接点もないと思うが、ほぼ同世代だったわけだ。
 水木しげるといえば、なんといっても「妖怪」。代表作「ゲゲゲの鬼太郎」にとどまらず、日本や世界の妖怪話の収集、紹介にもつとめた文化的業績もある。たまたまだが、僕は水木さんの「あの世の事典」という本(漫画ではない)を読んでいて、確か『往生要集』からの引用だったと思うが、「地獄に落ちる条件」を列挙、たいていの人間がその一つどころか全部を犯しているのは確実として、「みんなで地獄とやらに行こうではないか」と書いていたのが、なんとも可笑しかった記憶がある。

 また、水木作品と言えば「戦争」とのかかわりも忘れてはいけない。水木さんは太平洋戦争のニューギニア戦線で地獄の戦場を体験、九死に一生を得るも片腕を失い、その体験を後に自身の漫画で表現した稀有な漫画家でもあった。僕は少年時代に、ご自身が文章で書いた自伝「オレはほんまにアホやろか」で一連の凄まじい体験を呼んでいたのだが、のちに「総員玉砕せよ!」などの実録漫画で読んでより深い衝撃を受けたものだ。訃報を受けて、これを機会にと、自伝と昭和史を織り交ぜて描いた「コミック昭和史」も読んでみたが、その時代を生きていた人にしか分からない、リアルタイムの人々や世相の「空気」が実によく描かれている。
 水木さんは所属していた分隊が彼を残して全滅、ようやく生きて帰ったものの上官からはほめられるどころか「なぜ死ななかった」と言われてしまう。さらには所属大隊の陸軍士官学校での指揮官が「大楠公のような華々しい玉砕」にあこがれて命令もないのに「玉砕」を報告、実行してしまう。それでも水木さんを含めた兵士たちが数十名生き残るのだが、一度は「玉砕」と報告された兵士たちに生き残ることは許されず(軍隊の士気を下げる敵前逃亡とみなされるのだ)、一部将官は自決を強要され、残りの兵士たちももう一度玉砕を命じられてしまう。水木さん、それでも生き残るから凄いんだが、これらの戦記漫画は日本の軍隊というものがいかに異常な実態であったかをビジュアルに知ることができる貴重な記録だ。
 悲惨な戦闘の一方で、この戦場で水木さんは現地人たちと非常に親しくなり、日本へ帰らずここで暮らせと引き止められたり、晩年まで現地の人々との交流を続けたりといった熱い友好関係をはぐくんでもいる。水木さんは日本人としては相当に特殊な人なのだろうが、悲惨な戦争の中でも異文化の人々とこうした交流ができた人がいた、という事実はとてもホッとさせられるものがある。

 九死に一生を得て帰国後、水木さんは職を転々とした末に得意の絵を生かして紙芝居業界に入る。しかし間もなく紙芝居がすたれてしまったため、食うために貸本漫画の世界へ移った。この過程で「鬼太郎」などいくつかのヒット作を出し、同じく貸本漫画で台頭した白土三平らと共に青年向け雑誌「ガロ」の中心作家となり、それから「少年マガジン」の声がかかって少年漫画へ移行、という流れで人気漫画家となっていった。このあたりの事情も自伝漫画で詳しく書かれており、手塚治虫ラインとはまた違う戦後漫画史の一つの流れが分かって興味をひかれる。
 妖怪漫画が大ヒットしてた頃には手塚治虫が例によって水木さんを激しくライバル視し、宝塚で鬼太郎展が開かれると「俺の地元で何をする」とイチャモンをつけたり、対抗して「どろろ」を描くことにもなったのだが、のちには一緒に手塚真さんの「妖怪天国」というビデオに出演してたりするので別に仲が悪かったわけではないのだろう。逆に水木さんの方は徹夜続きを自慢しあう手塚治虫と石ノ森章太郎に「睡眠をバカにしてはいけない」と忠告、自身は晩年までよく喰い、よく寝る、というマイペース生活を続け、手塚・石ノ森をはじめ短命の多い漫画界にあって93歳の最晩年まで連載を抱える現役という記録を打ち立てることになった。
 鬼太郎アニメ化は10年おきくらいにはやってるし、故郷の境港の「水木ロード」は名観光地となり、近年では奥さんの著書を原作にした朝ドラ「ゲゲゲの女房」のヒットもあって、晩年になるにつれ水木さんの存在感は増しているような感もあった。その訃報がTVのニュース速報テロップで表示された時、僕も「ああ、ついにこの時が」と思ったものだが、思い返してみるともともとそこまで大騒ぎされる人だったっけ、という気も正直した。気が付いたら手塚治虫並みの「国民的漫画家」になっていたということだ。


 「史点」をサボっていたこの二か月の間、ほかにも著名人の訃報が続いた。個人的には北の湖野坂昭如が感慨深かった(「おもちゃのチャチャチャ」の作詞者だったと初めて知った)。海外人では学生時代にその著書「想像の共同体」を読んだベネディクト=アンダーソンの訃報も「ああ、あの人か」とハッとさせられた。
 亡くなった人の話ばかりというのもなんなので、今年さらなる大台の長寿に届いた人の話題も。三笠宮崇仁親王が去る12月2日についに百歳を迎えた。1915年=大正4年生まれで、昭和天皇秩父宮雍仁親王高松宮宣仁親王に続く大正天皇の第四皇子。日中戦争に出征してその実態を目の当たりにし、その経験から戦後はオリエント考古学の道に入ったという異例の人でもある。長生きしているうちに息子さん全員に先立たれてしまうという悲運(みなさんいずれも若死にだった)もあったが、とうとう皇室の歴史上初の百歳越えの大台に乗ることとなった。
 いちおう、『古事記』『日本書紀』によると神武天皇はじめ初期の天皇には百数十歳も生きたことになってる天皇がいるけど、三笠宮はかねて歴史学者の立場から「紀元節」(建国記念の日)の由来を神話として明確に否定した人だから、当然ご自身が皇族初の百歳越えと断言なさるでしょうな。
 


2015/12/22の記事

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