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2016年4月20日

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◆今週の記事

◆ナチスと絵画とパナマと 

 なんかヒトラーの話題は定期的にわいてくるな。ヒトラーが死んだのは71年前の4月30日だが、この人、生まれも4月で1889年の4月20日生まれだ。偶然ながら大日本帝国憲法と同じ年に生まれ、同じ年に死んでいる。
 ヒトラーというとドイツの総統だが、生まれはオーストリア。オーストリアのブラウナウという町で税関職員の子として生まれている。彼が生まれた生家は現在もそぼまんま残っていてネット上でもその写真を簡単に拝めるが、現地ではさすがにヒトラー生誕地を無神経に観光地化するわけにもいかず、町の観光マップでも案内を載せず、建物の前もバス停などを配置して見物客がたむろできないようにしているとか。一応関連するものとしては反ファシズムと平和を訴える石碑が立てられているのだそうだが、その文面にもヒトラーのヒの字もないとのことだ。

 このヒトラー生家、そもそも建物そのものはたまたまヒトラー一家が住んでいたというだけの話で、戦後もごく普通に住民が住んでいた。2011年からは空き家になってるそうだが、家主の女性が存在している。この「生家」がネオナチの「聖地」とされる恐れがあるとして、以前からオーストリア政府がこの建物の買取を打診していたが、この家主さんは売却を拒否し続けていたとのこと。しかしついにこの4月9日、オーストリア内務省の報道官が「唯一の策が強制収容との結論に達した」と表明、lpれからそれを実現するための法律案の作成に着手することを明らかにした。
 中学3年の「公民」で習う、「公共の福祉のためには個人の権利が制限される場合あり」というやつである。ヒトラー生家を野放しにすることは「公共の福祉」に反する、という理屈なのだろう。強制収容しても破壊してまっさらにするわけではないのだろうが…
 博物館にしろとは言わないが、こういうところで生まれたフツーの人があんなことをやっちゃうという例を考えさせるためにもそのまんま残しておいてほしいところ。まぁヒトラーの著作権が切れた「我が闘争」をどうするかという話もあったようにヨーロッパ、ことにドイツやオーストリアではヒトラーがらみはデリケートな問題。近頃の難民流入問題でそれこそネオナチ的な集団が勢いを増しているなんて話も聞くから、こっちで思ってる以上に気にしなきゃいけないことではあるんだろう。


 さて、そんな家で生まれたヒトラーだが、青年期には画家を目指していたというのも有名な話。画家になっててくれれば歴史はずいぶん違った展開になったろうにと思うばかりだが、画家として全く認められなかったヒトラーは政権を握るとその恨みを晴らすかのように前衛的な絵画を「退廃芸術」とおとしめたり、占領地で絵画を略奪しまくった(まぁこれはナチスの専売特許ではないが)
 そうしたナチスの略奪美術品探しというのは戦後70年も経った今日でも行われているのだけど、このたび思わぬところからそうした略奪絵画の一つの所在が判明した。思わぬところとは、今話題の「パナマ文書」からである。「パナマ文書」はパナマの法律事務所から流出した「今世紀最大」とも言われるスキャンダル書類群で(今世紀たって16年しか経ってないけど)、世界各国の政治家や富豪・企業などが租税回避地(タックスヘイブン)を利用した蓄財をしていた疑惑が取りざたされている。タックスヘイブンの問題は今に始まったことではないが(昨年日本の国会でも言及されたが、なぜか「八紘一宇」と組み合わさっちゃった)、今回は特にそうした問題を批判する側だった各国の首脳当人やその周辺に疑惑がふりかかったのがミソで、すでにアイスランドやウクライナの首相が辞任したほか、イギリスのキャメロン首相も窮地に立たされている。ロシアと中国の首脳の周辺にも疑惑が及んでいるけど、なんとなくウヤムヤにされていくのではないかなぁ。
 
 話を戻すと、このたび「パナマ文書」で所在が明らかとなったのは、イタリアの画家アメテオ=モディリアニが1918年に描いた「つえをついて座る男」という作品だ。現在27億円相当(!)の価値があるとされる作品で、第二次大戦が起こった1939年にパリから脱出したユダヤ人美術商からナチスが略奪したとされていた。その後長らく消息不明だったが、いくつか所在の候補はあり、その美術商の孫にあたるフランス人が絵画の奪回を求めてアメリカ当局に協力要請をしていたという。そしてくだんの絵がスイス・ジュネーブの自由港(外国貨物に課税を賦課しない商業港のことだそうな)に保管されていて、「インターナショナル・アート・センター」なる企業が1996年に競売で落札していたところまでは分かったらしい。しかしこの企業の実態がつかめず所有者に関する直接的証拠がなかったため、これまで延び延びになっていた。そしてこのたび「パナマ文書」によりその企業のオーナーがユダヤ系の大富豪にして美術品収集家としても有名なデビッド=ナーマド氏にほかならず、彼自身が絵の所有者であることが暴露されちゃったのだ。
 実はこのナーマド氏、もともとこの絵の所有者と疑われたうちの最有力候補だったみたい。アメリカ当局の追及に対して「絵を所有しているのは『インターナショナル・アート・センター』だ」と主張して自身とは無関係としていたらしい。自身がユダヤ系であるため「ナチスの略奪品を所有していたなんて知ったら夜も寝られないだろう」とコメントしていたそうで…この人、このジュネーブの自由港にピカソの作品300点を含む4500点もの美術品コレクションを持ってらっしゃるとか。
 
 所有者が判明した直後、ジュネーブ司法当局はただちにこのモディリアニの絵を押収した。報道によるとそもそもこの「インターナショナル・アート・センター」なる企業自体が今回の「パナマ文書」流出元の法律事務所がアーマド氏に提案して設立させたもので、アーマド氏は同企業の唯一の所有者にほかならなかったとのこと。それこそ昔のヒトラーが耳にしたら格好のユダヤ人攻撃ネタにされちゃったであろう事案である。

 「パナマ文書」はこれからもいろいろとネタを出してくれるようで、今後も楽しみなのではあるが、ネット上で見かけたこんな意見に思わず笑ってしまった。
「世界のお偉いさんたち、表ではあんなに対立しておいて、裏での金儲けは一緒に仲良くやってるんじゃん」

 …世界に広げよう、金持ちの輪ッ!(笑)



◆ルネッサーンス!

 一時期流行った「髭男爵」の一発芸。僕が教えてる中学生たちはまだ覚えていたな。あの一発芸の流行時は授業で「ルネサンス」をやると生徒たちがクスクスと反応していたものだ。今年あたりから反応が鈍くなってきたかな。

 ルネサンスの芸術家と言えばたいてい名前が挙がるレオナルド=ダ=ヴィンチ。画家としてだけでなく科学技術分野にも首を突っ込んで「万能の天才」とまで呼ばれた人物だ。余談ながら今年ようやく悲願のアカデミー主演男優賞を獲得したレオナルド=ディカプリオは母親のおなかの中にいたときにダ=ヴィンチの絵の前で動いたことから「レオナルド」と名付けられたのだそうな。
 さてそのレオナルド=ダ=ヴィンチ、生涯独身で子供はいなかった。だからその子孫などいるわけはないのだが、彼には兄弟姉妹が多くいて、彼らの子孫は今も存在している。こうした人たちはレオナルドの血縁者ということにはなるわけだ(余談だが以前「笑っていいとも!」のコーナー「ご先祖様は有名人」では親戚の子孫レベルの人もでていたっけ)。レオナルド=ダ=ヴィンチは1519年に死んでるからかれこれ500年が経つわけだけど、その血縁者の徹底的な調査が行われた結果、現在35名ほどが存命であることが確認できたという。
 もっともレオナルドの遺体は16世紀の宗教戦争のドサクサで失われてしまっているそうでDNA鑑定などは不可能、調査はあくまで文献をもとに進められた。そして4月14日にフィレンツェでダ=ヴィンチ博物館館長と国際ダ=ヴィンチ協会会長とが記者会見、存命血縁者の確認について発表した。調査自体は1970年代から何度か行われているそうだが、今回はこれまで欠けていた女性血縁者の系統について重要な史料が加わったためにより多くの血縁者が確認できたということらしい。ダ=ヴィンチの血縁者のなかで著名人としては映画監督・脚本家のフランコ=ゼフィレッリ(1968年版「ロミオとジュリエット」「ムッソリーニとお茶を」などが有名)が含まれていたとのこと。


 上の話題が報じられたすぐ翌日にもダ=ヴィンチがらみの話題が報じられた。
 ダ=ヴィンチの代表作と言えば、やはり「モナ・リザ」。世界で最も知られた肖像画と言ってよく、謎めいた微笑をたたえた女性の姿は一度見たら忘れられない。モデルになった女性については長らく諸説あったのだが、結局は従来伝えられていた通り、フランシスコ=デル=ジョコンダの妻リザであることで2008年の発見でほぼ確定している(当時の「史点」参照)
 で、そのダ=ヴィンチが描いた「モナ・リザ」のモデルのモデルの夫フランシスコ=デル=ジョコンダが所有していたフィレンツェ郊外の別荘「ヴィラ・アンティノリ」がこのたび売りに出されることとなった。やはり報道は「モナ・リザゆかりの別荘」になっちゃったけど、フランシスコは1517年までこの別荘を所有しており、「モナ・リザ」製作時期にも持っていた可能性が高いと見られている。それにしても500年前の別荘がそのまんま売りに出されるってのもすごいよなぁ…日本だと年代的には銀閣を売りにだすようなもんか?
 別荘と言っても礼拝堂やレモン畑まで敷地内にあるという広大なもので、1000万ユーロ(約12億円)もの値がつく物件。もっと高値で売れる可能性もあるとかで、いやはや、上の記事ではないが、カネはあるところにはあるもんである。


 しかし考えてみるとその別荘のお値段もモディリアニの絵一枚の値段にはかなわないのだなぁ。そしてそのさらにはるか上をいくお値段の絵画発見のニュースがあった。なんと1億2000万ユーロ(約150億円)という、とんでもないお値段の絵画が、民家の屋根裏からひょっこり発見されたというのだ。
 それだけのお値段がつくのは、やはり作者がただ者ではないから。しかも400年も前という歴史的価値までついてしまう。その画家とは、ミケランジェロ=メリージ=ダ・カラヴァッジオ(1571-1610)。ダ=ヴィンチより一世紀近く遅いイタリア画家で「ルネサンス」に入れることはあまりしないみたいなのだが、強引に話をくっつける。
 発見されたのはフランスのトゥールーズ近くの民家で、2014年に雨漏りのする天井を家主が調べている内に問題の絵を発見したという。旧約聖書ユディト記に材をとった「hロフェルネスの首を斬るユディト」と呼ばれる作品で、カラヴァッジオは同じ題材の別バージョンも描いていてこちらはローマの美術館に所蔵されている。保存状態ℋかなり良好で、専門家らの艦艇の結果、1600年〜1610年、つまりカラヴァッジオの晩年に描かれた「真作」に間違いないと判断、去る4月12日に大々的に発表された。
 ただし異論も出ている。カラヴァッジオの影響を強く受けその贋作も手掛けたとされるフランドル地方の画家ルイ=ファンソンの作とする説もあるようだし、作品自体の見事さを認めつつも「本物ではない:と指摘する専門家もいるとのこと。僕からするとそもそも発見の経緯が劇的に過ぎる気もして(偽資料のたぐいの出方に似てるもんで)、まだまだこの話、用心した方がいいんじゃないかと思っている。少なくとも150億円は…



◆ヤメルナラ、ヤメレバイイジャン

 最近個人的事情から第一次世界大戦時のコーカサス戦線、オスマン帝国とロシア帝国が戦った戦場についてグーグルマップを眺めながら調べる機会があった。当時はロシア帝国とオスマン帝国はこの地方で国境を接していて、山岳地帯と黒海で激しく戦火を交えていたのだ。その中で今日でもしばしば話題になる「アルメニア人虐殺」などの悲劇も起こった。その後ロシア帝国の崩壊、ソ連の成立、ソ連の崩壊と百年の歴史が過ぎて、現在この地方にはオスマン帝国の後継国家であるトルコと、ロシア・ソ連から独立したアルメニア・アゼルバイジャン・ジョージア(グルジア改め)といった国々が境を接している。そして今なお複雑な民族・宗教の対立を抱えている地域でもある。

 4月のはじめ、アゼルバイジャン共和国内の「ナゴルノ・カラバフ自治州」でアゼルバイジャン軍とアルメニア武装組織との間で戦闘が起こり、数日間の戦闘で少なくとも90人以上が知っ防した。このニュースを見たとき、「ナゴルノ・カラバフ」という名前を久々に聞いた懐かしさと、「まだやってんのか」と暗澹たる気持ちとが交錯したものだ。
 上記のようにもともと第一次大戦までは全部ロシア帝国の支配下にあったこの地域、キリスト教徒のアルメニア人とイスラム教徒のアゼルバイジャン人とが入り組んで住んでいる地域で、問題の「ナゴルノ・カラバフ」はアゼルバイジャン内でアルメニア系住民が多数派というややこしい地方のためロシア帝国崩壊時にすでに紛争が起こっていた。当時のボリシェヴィキ政府もこの地域の帰属を一度はアルメニアに決めてからアゼルバイジャンに変更するなど混乱し、最終的にはアルメニア側を力で抑え込む一方でここをアゼルバイジャン内の「自治州」とすることで一応の折り合いをつけた。その後もソ連時代を通じて何度か帰属問題が起こりながらも何とか抑え込んできたのだが、1980年代後半、ソ連末期のゴルバチョフ時代に重しがとれたことで紛争が勃発、その激しい民族紛争ぶりは、その後続いた「冷戦後の地域紛争」のはしりと言っていいと思う。
 ソ連崩壊の年の1991年9月にこの自治州は「ナゴルノ・カラバフ共和国」として一方的に独立を宣言、国際的に承認されてるわけではないが、事実上の独立国状態となって今日に至っている。直接的な紛争自体は1994年に停戦合意がなされ、以来20年は沈静状態を保っていて、アルメニア・アゼルバイジャン両国も関係修復をさぐっている感じだったのだが、この4月に突然激しい戦闘が始まってしまった。例によって例のごとく、双方が「相手側が先に攻撃した」と主張していて真相は藪の中。「元宗主国」なポジションにいるロシア政府が仲介に立って、4月8日にひとまずの停戦合意がなされたが、その後も散発的な戦闘があると報じられている。

 「ナゴルノ・カラバフ共和国」はアゼルバイジャン国内にあるが、実質的にアルメニア人国家なのでアルメニアは当然支援している。そしてそのアルメニアは現在は親ロシア的ポジションにあり、「ナゴルノ・カラバフ共和国」を承認している「南オセチア共和国」「アブハジア共和国」「沿ドニエストル共和国」は、いずれもジョージアやモルドバのロシア系住民が作った「自称独立国」だ。今度の紛争勃発もロシアのウクライナ編入に刺激されたところもあるんじゃないか、という声もあった。
 一方アルメニアとは歴史問題もあって仲良くはないトルコは、イスラム国家どうしということでアゼルバイジャンと仲がいい。そしてシリア問題ではトルコはロシアと対立関係にあり、先日のロシア軍機撃墜事件なんかもあったから、ナゴルノ・カラバフ紛争がロシアとトルコの「代理戦争」になる可能性まで指摘されていて、なにやら第一次大戦時のロシア・オスマン両帝国の衝突を連想させるような状況も生まれている。


 こうしたいつまでも続く紛争話は気が滅入って来るので少しは前向きな方向に話題を転換。
 先ごろG7の外相会合が広島で行われ、主要七カ国の外相がそろって広島の平和祈念公園や原爆資料館を訪問、さらには予定外行動(というのは表向きの演出の可能性もあるけど)で原爆ドームの訪問まで行っていた。特に注目されたのはアメリカのケリー国務長官が現役のアメリカ政府閣僚として初めて広島の原爆関連施設を訪問したことであり、さらに実はこれは大本命であるオバマ大統領が伊勢志摩サミットのついでに広島を訪問する「地ならし」と見なされていることだ。
 オバマ大統領といえばつい先ごろ、キューバ革命以来の関係修復を進めるキューバを訪問し、友好ムード演出をあれこれと行った。当然政治体制や人権問題についての意見の相違は見せていたけど全体として見れば双方で若い演出にいそしんでいたと言っていい(キューバのコメディアンとバラエティ番組で共演コントまで作ってたもんなぁ)。アメリカ大統領のキューバ訪問なんて、ちょっと前までは日本の首相が北朝鮮を友好訪問しちゃうぐらい考えにくいことだったのだが、アメリカ国内の保守系やキューバ亡命者などの反発もそれほど強くなくなってしまったようだ。まぁ冷戦終結から四半世紀経ってるんだし…

 このキューバ訪問も、今年で終了のオバマ大統領による政権の遺産、いわゆる「レガシー(業績)」づくりと言われているが、そりゃまぁそうだろうし、いい実績を残せるなら残した方がいいのは確か。そしてオバマ大統領の広島訪問もそうした「レガシー」づくりの一環と言えば確かにそう。だが何といっても、オバマさんが就任直後の「プラハ演説」で言ってたようにアメリカは核兵器を使用した唯一の国であり、原爆に関しては明白な加害者である国の大統領がその被害地を訪問するのはやはり歴史的意義が大きい。「プラハ演説」でブチあげた「核兵器廃絶」は当時から難しかろうと言われていて、実のところ政権8年間で特に変化はなかったのだが、儀式のようなものとはいえ広島訪問は一つの姿勢をアピールすることにはなるはず。現時点でオバマ政権周辺でも前向きな声が出ているし、有力新聞が社説で広島訪問への支持を表明するなど、おぜん立てはほぼできてる観もある。
 ただまだまだ慎重な姿勢を見せているのも確か。アメリカでは原爆投下を「戦争を早めに終わらせ死者数を減らした」という理屈で正当化する声が今も少なくない。報道によると一部保守系メディアでは広島訪問が「謝罪」につながるのではと警戒し、「そもそもパールハーバーが」というおなじみの論調が出ているようだし、実際オバマさんも謝罪めいたことはしないと思う。まぁ日本国民も謝罪を強く要求する声は少ないと思うが、こういう悲劇があった、という事実認識の共有がほしいな、とは思う。
 最近、アメリカのSF作家アイザック=アシモフのエッセイを読んでいたら、原爆投下直後に主張された「原爆投下で多くの米兵が死なずに済んだ論」について当時から絶対ウソだと思っていたと書かれていて、おお、さすがと改めて彼へのファン度を高くした。彼はもともとかなりリベラルな立ち位置の人だし本職の科学者でもあるから特殊例なのかもしれないが、世論調査をみると世代が下るほど原爆投下正当化の声が下がる傾向があるようなので、時間がかかったとはいえアメリカ人も原爆投下に一定の痛みを感じるようになったということか。あるいは年月が経ったから良くも悪くも「風化」しているということなのかもしれない。
 そういえば福井県小浜市はもう訪問要請はしないのかな?


 さて、やや強引に話をつなげるが、かつてこの広島の地でわざわざ原爆投下の8月6日に広島市の反核平和運動を批判、核武装論まで主張する講演をやった日本人がいた。そう、先ごろとうとう選挙法違反容疑で逮捕されてしまった田母神俊雄・元航空自衛隊幕僚長である。
 説明不要だろうが、田母神氏といえば現役の幕僚長でありながらアパグループのトンデモ論文賞(連年の受賞者を見てはそう呼ぶほかない)に「日本が侵略したというのはぬれぎぬ」とする論文を出して第一回受賞者となり、当時の麻生内閣により速攻で更迭された人物。これで「男を上げた」ことになってしまい、右翼のアイドル状態で祭り上げられ、著書の出版や講演を連発、あの「笑っていいとも」にまで出演してしまい、東京都知事選ではさすがに落ちたもののかなりの得票を集めてしまった。しかし勢いに乗って出た衆院選では惨敗、昨年は泥沼の離婚裁判とかシリアの人質事件でネットデマを信じて頭の悪い発言をしているのが目についた程度になっていたが、ここにきて寄付で集まった選挙資金をめぐって陣営内で疑惑が噴出、かつての仲間から刑事告発され、とうとう逮捕。今のところは運動員にカネを渡した容疑なのだが、もっと多額を流用(横領?)した疑惑も指摘されていて、さすがにかつて祭り上げていた右寄り言論人やメディアも見捨てた形。ああ、幸福の科学だけはまだ支持してるみたいだけど(下記参照)。
 一連の経緯を見ていて思ったが、最初に出た論文の時点で相当に頭の悪い人だと分かってはいたものの、正直なところここまでバカで無責任だったとは、と驚かされた。「担ぐ神輿はバカな方がいい」という言葉もあり、実際それで担いでいた人たちも多いのだろうが、バカにも限度というものがある。さらに怖くなるのは、こういう程度の頭の人間が仮にも航空自衛隊のトップにまで昇り詰めていたという事実だ。「上に行くほど馬鹿になる法則」というのが日本の組織にはよく見られ、旧日本軍でも一番優秀なのは兵卒、一番バカなのが大本営参謀(そしてその多くは戦後も責任をとってない)という実例があるのだが、戦後の自衛隊にも同様の法則が発動しているとなると、それこそ「国防の危機」なんじゃなかろうか。彼一人が特殊な例、ってことならいいんだけど…
 


◆そしてまた大地は揺らぐ

 先月は「東日本大震災」から5周年の節目となり、改めてあの災害と原発事故を振り返るイベントやメディア記事、テレビ番組などがあまた流れた。こちらもなんとなく震災回顧モードになってしまったものだが、それから間もない4月14日夜に熊本で最大深度7の大地震が発生した。その後も余震が続くだろうと気象庁でも発表していたが、なんとそのあとにもっと規模の大きい揺れが来て、実はそれが「本震」であると発表された。その後も震度3〜6の余震が連発、この文を書いてる時点で発生から一週間近くになるのだが、すでに震度1以上の地震回数は600回を越え、震度4以上もしばしば、時に震度5、6レベルの揺れも起きている。おまけに震源地も南西と北東へ移動している気配まであり、専門家でも「こうした事態は初めて」と言ってるくらい先の見えない状態が続いている。
 九州には火山も多いんだから、当然地震だってある。今回で注目が集まった大分から熊本に続く断層帯の話だって以前聞いたことがあり、はるか将来には九州は南北に分かれるなんて説明を読んだこともあったのだが、こうして実際に大きな地震が起こってみるとやはり驚かされる。あのクッキリと麦畑をズラした断層の映像を見ても、大地があれだけ動くんだから、その上にいる人間や建造物などはひとたまりもないよなぁ、と無力感にも襲われる。まぁ日本列島自体がそうした大地の動きの上に成立してるわけで、どこにいても危険は危険なんだけど。


 今度の地震で想起された歴史的事例が、文禄5年=慶長元年(1596)に西日本を襲った一連の地震だ。この年の9月1日に伊予(愛媛県)で地震が発生、9月4日には豊後(大分県)で地震が起こり、翌9月5日に京都が大地震に見舞われた。こうした地震を受けて直後の10月に改元が行われ「慶長元年」となるため一連の地震は「慶長伊予地震」「慶長豊後地震」「慶長伏見地震」と呼ぶことになっているのだが、この連発した自身はいわゆる「中央構造線」に沿って連動して起こったのではないかとする見解がある。「中央構造線」というのは立体的に描いた日本地図を見ると良く分かるが、近畿地方の紀ノ川、四国の吉野川、佐多岬半島へとまっすぎな線があるように見えるのがそれだ。僕も飛行機で上空から眺めて驚くほどくっきり見えるものだな、と思ったことがある。これが西日本を貫く大きな断層帯となっていて、今度の地震でもそれとの関係を懸念する声もある。だからここ数日のタブロイド紙の見出しは、近畿発行のものは近畿地方で地震の恐れと書き立て、首都圏では中央構造線が関東まで伸びてるかたろいうんで「関東で地震」と騒ぐ、という状況になっている。
 もちろんいつなんどき地震が起こるか分かったものではなく、「天災は忘れたころに」というように、こうして騒いでる時は結構外すもの。そりゃ用心にこしたことはないのだけど、むやみに騒いでもしょうがない。実際ネット上ではアマチュア地震予知の人たち(あえて言うが大半は「地震雲」などを持ち出すトンデモさん)が熊本地震をう予測できなかった割に「これから大地震が来る!」とワーワー騒いでいて(そもそもこの手の人はほぼ連日「予知」をしている)、それにあおられて「○○日に地震があるというが本当か」と気象庁やNHKに電話してくる人も少なくないとか。そんな細かく分かるくらいなら苦労しない、とちょっと考えればわかりそうなものだが、今度の地震を「人工地震」だのと陰謀論がまたお約束で出ているし、他にも東日本大震災時同様の各種デマがネット上を飛び交っている。中でも関東大震災時とソックリな(もちろん流す方も知っててやってるんだろうが)外国人ヘイトデマがしきりに流され、ごくわずかでも本気にする人が出てしまうのには困ったもの。

 
 害悪はそれほどないが、そんなデマの一例ではないか、と朴が思ったのが、今度の地震で大きく破壊された熊本のシンボル、熊本城に関してネットに流れたいくつかの話だ。
 熊本城は加藤清正が築いた名城で、もともと薩摩の島津氏対策の城だったということもあり、西南戦争時には実際に官軍がここにこもって西郷軍相手に善戦、西郷軍敗北のきっかけを作るなど、実戦使用で成果を出した珍しい城でもある。その熊本城の石垣が崩れ、いくつかの建物が倒壊、天守閣も瓦屋根がほとんど落ちてしまう事態になったのだが、天守閣自体がまだ立っている光景を見てだろう、「さすが、加藤清正はすごい!400年前の築城術はすごい!」といったツイートやブログ記事が出回り始めた。さらに一歩進んで「近代に作った建物は壊れたが清正が作った建物は一切壊れなかった」とまで言ってるツイートも流れるようになる。
 だがちょっと調べればわかるのだが、熊本城の建物は大半が西南戦争時に焼けており(それも官軍側が「無用」と判断して火をつけたためとされる)、中心となる大小の天守閣も1960年に再建された鉄筋コンクリート、明白な「近代建築」なのだ。清正時代に作ったものも宇土櫓などごく一部が残っていて重要文化財指定を受けているが、残念ながらそのいくつかは倒壊してしまっている。
 また天守閣の瓦屋根が全部落ちたことについて「あれは地震が起きた際にわざと瓦を落として建物を保護する先人の知恵」という話もかなり流れた。これ、もっともらしく聞こえる話なので一部ネットメディアも報じてしまったのだが(まぁ東スポが含まれてましたが)、そもそもその天守閣が近代の再建ものだと知ってしまえばかなりうさんくさくなる。これ、やはり気になった人がいたようで検証してるブログも見たが、天守閣の屋根瓦はしっくいで固めていて、作り手としては「落ちないように」と考えていたとしか思えないと指摘されていた。また瓦が全部落ちたからと言って建物が守れるというのもおかしな話(まして天守閣は鉄筋コンクリだ)。また清正時代のものとされる宇土櫓の現状を画像で見る限りでは瓦はそう落ちてる様子はなく、「先人の知恵」とやらはかなり怪しくなってくる。しかしまぁ、「江戸しぐさ」もそうだが、「いい話」というのは鵜呑みにされることが多いということですね。
 清正に関して言うと、上記の「慶長伏見地震」の際に清正が秀吉のもとへ一番に駆けつけて救助活動をした、という逸話が古くから「地震加藤」と題して歌舞伎・落語ネタにされている。僕も大河ドラマ「おんな太閤記」を見てたらそんなシーンがあったな、と思ったのだが、実はこれも加藤清正本人の地震直後の書状から全くのフィクションであることが証明されていた。熊本城の件で「伏見地震を体験した清正が耐震性を考慮していた」などという言説も飛び交っていたが、そもそも元ネタからしてウソなのだ。これまた「いい話」だから広まり、フィクションが史実認定されてしまう実例というわけで、情報のあふれる現代に生きる我々だってしばしばやらかしてしまうことなんだと気を付けて居なくちゃいけない。


 こんなのはそれほど害はないのだが、害とか以前に宗教団体としてその姿勢はどうよ、と言いたくなったのが「幸福の科学」だ。以前にも御嶽山の噴火や広島水害の直後にそうした災害は「神の怒り」とする本を出していたから驚きはそれほどないのだが、今回はその「仕事の速さ」が際立った。教祖の大川隆法氏といえば生きてる人だろうが死んでる人だろうがその「守護霊」を呼び出すという形で「本人インタビュー」を勝手にやって書籍化するイタコ教祖として知られているが(そうそう、石原慎太郎が「角栄の霊言」な本を出したの対抗するためかこちらも角栄霊本を出すようだ)、今回は地震直後(本震前)の時点で地震を起こした神を呼び出し、今度の地震が「歴史問題」に怒った神が「天罰」として起こしたのだ、とする主張を語らせたようだ(そういや慎太郎さんも東日本震災の時に「天罰」発言してたな)。しかもその内容を「号外」として都内で配っていたというから…それで信者が増えると本気で思っているんだなぁ。
 大川隆法氏がかねてより非常にネトウヨ的な歴史観を持ってることは明らかだったが、今回も神の怒りの原因を「慰安婦問題の日韓合意」など歴史問題への政権の姿勢に置いている(出版前だが書籍の目次を見れば明白)。神の怒りの理由の一つに「田母神氏逮捕」もあったのには笑ってしまったが、そういや認可されなかった幸福の科学の大学で田母神さん講師になる予定だったんだよね。しかしその怒りがなんで熊本、九州なのかが分からない。阿蘇神社だって倒壊してるんだしねぇ…いま思ったのだが、「加藤清正の霊言」をやりそうな気がしてきた。

 この地震を受けて噂されていた衆参同日選はやめになった、という報道もある。安倍首相は年初から「まったく考えてない」と連発してたけど、誰も信じちゃいなかったんだよな。


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