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2016年6月4日

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◆今週の記事

◆星はなんでも知っている?

 更新の都合でやや旧聞に属する話題になってしまったが、個人的にいろんな意味で興味をひかれた騒動だった。「カナダの少年が星座の位置からマヤ文明の遺跡を発見?」と報じられた話題である。大々的に報じられたわけでもないので気づかなかった人もいるかもしれないが、そもそも最初からかなり危なっかしい話だったから大手マスコミは飛びつかなかったようにも思う。

 マヤ文明は中米・ユカタン半島に起こった古代文明で、ピラミッドを築き、文字を作り、暦も作るなどかなり高度な知識・技術を持っていた。しかしスペイン人がやって来る以前の段階で文明としては滅亡してしまっており、ジャングルのあちこちに多くの遺跡を残しながらも今なお多くの謎に包まれている。謎が多いだけに考古ファンのみならずオカルト的な興味を抱かれることも多く、ちょっと前に「マヤ暦により2012年に人類滅亡」なんて話が流行したことも記憶に新しい。今度のニュースもそういうマヤ文明ならでは、という気もした。
 なんでもカナダに住む15歳の少年が、マヤ文明の都市遺跡の地図を眺めているうちに、それが星座の星の配置と22個も一致することに気がついた。しかし23個目の星の位置に遺跡が確認されてないことに気付き、カナダの宇宙局に事情を話して衛星写真でその場所を確認してほしいと申し入れたところ、まさにその地点、ジャングルの中に人工物とおぼしき四角い部分が写真に写っていることが確認された。これは未発見の遺跡ではないか!?それも規模からすると過去最大級の都市遺跡の可能性あり!ということになり、少年はさっそくこの未発見の都市にマヤ語で「火口」を意味する「K’aak Chi」と名付け、専門の学者たちを少年が奇抜な発想から出し抜いたとして一部メディアで報じられることになった。僕は「ねとらぼ」の5月11日の記事でこの話題を初めて読んだが、たぶん日本で最初に報じたのはここではないかと思う。ネット上ではこの記事について好意的な反応が多く見られたし、僕もかなり興味をそそられて「史点」資料用に記事をコピペしておいた。僕の趣味の範囲からいうとアルセーヌ・ルパンの物語にも宝探しのトリックに「星座の配列が地上にある」というのがあったのも連想したものだ(ネタバレ防止でタイトルは伏せます。なんでも「名探偵コナン」でもおんなじネタがあったそうで)

 ただし…ちと後出しくさい言い方になるけど、正直なところコピペしつつも僕はなんとなく「うさんくささ」は感じていた。そう、前回書いた「少年潜水艦作戦」の話とか、前々回の「熊本城の屋根瓦」の話と似た「におい」を感じたのだ。なんで、というのは説明しにくいのだけど、そもそも「遺跡の位置が星座と一致」というネタは、ベストセラーにもなったトンデモ超古代史本『神々の指紋』にもあった話。またこの少年が比較した「星座」ってのは現代人が知るヨーロッパ由来の星座なのか、それともマヤ人が認識していた星座なのか、というのも気になった。
 それからほぼ一日のうちに雲行きは一気に怪しくなった。この報道を受けて、マヤ考古学の専門家たちが次々と疑問を呈した。特にこの少年がマヤ遺跡と星の配置が重なる、としたのは星座をかなり恣意的に、法則性も考えずにあてはめた結果であると指摘があったのだ(意識してか無意識か分からないが遺跡の位置に合うように星座を選ぶ、ということをしている気配あり)。それとそもそも航空写真で遺跡探しをする手法は古くから使われており、そんな大きな遺跡が未発見というのは考えにくい(そもそもGoogle Earthでも探せることが報じられた)。じゃあ写真に写っていた人工物らしきものは…ということについては「現地人が放棄した畑の可能性が高い」と、似たように写った畑の写真の実例を示す研究者も現れた。そのうちに現地周辺に入ったことがあるという考古学者も「マリファナ畑かも」と指摘、そもそもそのエリアはもう長いこと彼らによって調査されていること、それこそ衛星写真をもとに怪しいものが写った場所をしらみつぶしに歩いて確かめていることを明かしていた。

 カナダの少年にとっては、なまじ報じられちゃったこともあって気の毒な結果になったが、専門家たちも少年のアイデアと好奇心・行動力については評価している。いつかまた違った大発見をする日だって来るかもしれない。
 だが「大発見」に否定的な報道が出ると、ネット上の一部では「少年に出し抜かれた専門家のやっかみ」とするような声が見かけられた。小保方さん支持者がまだ盛り上がりを見せる現状を見ても、どうも世間では専門家・学者をそういう目でみる人が多いと分かるのだけど、実はマヤ文明に関してはかつて「天才少年」が大きな貢献をした前例があったりする。長年解読困難だったマヤ文字の解読の手がかりをつかんだ12歳の少年が専門家に意見をもちこんで論文を発表、やがてホントに解読に至ってしまったことがあるのだ。まぁその少年は親がマヤ文明研究者でそれこそ小さい時からマヤ遺跡で育ったような特殊な子だったんだけど。
 その後、6月4日にナショナル・ジオグラフィックが少年本人にインタビューした記事を掲載した。それを読むと、この少年、自説への批判が研究を進展させると言いつつ、それらをやっぱり「専門家のやっかみ」と解釈しているようで、自説には依然として確信を抱いている様子。今年のうちにも現地調査をしたいそうだが、1000万円ほど費用が掛かるとか…でもどっかがスポンサーになりそうだな。だがここまでの経緯を見ると望み薄という気がする。


 その一方で、古代の詩の文言から、その詩が歌われた時期を天文学的に推定してみる、という面白い研究の話題もあった。「Journal of Astronomical History and Heritage」という学術誌に載ったもので、取り上げられた詩人は紀元前6世紀に生きた古代ギリシャの女流詩人サッフォー(サッポー)という、かなりの大物だ。
 サッフォーはエーゲ海、レスボス島の出身で、彼女が同性愛者であったとされたことからこの島の名をとって「レズビアン」という言葉が生まれ、そのために現地の人は違う名前を名乗ってるという話だが…現在、この島はトルコ側からギリシャへ難民が押し寄せる島ともなっていて、今もニュースをにぎわせている。
 そのサッフォーの詩の一つに「月は沈んだ、そしてプレアデスも。それは真夜中のこと。時は流れゆき、私は一人眠る」というのがあるそうで、歌われたのは紀元前570年ごろとされている。研究チームはこの詩で「プレアデスが真夜中に沈んだ」ことに注目、天文ソフトを使ってレスボス島からプレアデスがそのように見える時期を割り出した。「真夜中」といっても当時は正確に真夜中を測れたはずもないのである程度幅を持たせたそうで、1月25日から3月31日までの間、とやや幅のある特定をしていた。
 面白い研究ではあるんだけど、「だからどうした」と言いたくなる結論でもある(笑)。そういえば谷村新司の「昴(すばる)」もプレアデス素材の詩であるが、「さらば昴よ」と言ってるからもしかして地平線に沈んでいく時間帯に歌っているのか?「巨人の星」がどの星なのか漫画の絵から推定するなんて研究もあったような。



◆小ネタ詰め合わせ

 前回更新から一か月の間に気になった小ネタを大放出。

 ちょっと前に、坂本龍馬の北辰一刀流免許の存在が確認されたという話題があった。釧路に移住した坂本家が龍馬の遺品を預かったところ、大正時代の「釧路大火」で多くの品を失っていたという話をそれで初めて知ったのだが、その話の続報みたいなもの。
 説明不要だが、龍馬は京都の近江屋に滞在していたところを襲撃され、殺害された。剣の達人であったはずだが実際に人を斬ったことはなかったらしく、近江屋で殺害された時も刀を抜く暇もなく、鞘ぐるみで相手の刀を受けたとされる。このとき龍馬が所持していた愛刀「陸奥守吉行」とされるものが、現在京都国立博物館に所蔵されている。1931年に坂本家から寄贈されたものだが、これまでは本当に龍馬の所持した刀なのか疑問も持たれていたという。なぜかと言えば、刀身にあるはずの反りがなく、「陸奥守吉行」の特徴である刃文もない、といった指摘があったのだそうだ。
 しかし昨年に寄贈時の書類が見つかり、そこに書かれていた内容で事情が判明した。やはりこの刀も1913年の「釧路大火」で焼けてしまい、暗殺時の刀傷が残っていたという鞘が焼失、刀本体も大きく損傷したため研ぎ直しをし、そのために刀の反りや刃文が失われてしまった、ということなのだ。最新機器で科学的調査をしたところ、見えにくくなっていた刃文も確認されたそうで、この刀が龍馬の所持品であり、暗殺現場の「生き証人」であることは間違いなさそうだ。と言って、刀は犯人を教えてはくれないしなぁ。


 刀に続いて斧?の話題。
 オーストラリアの考古学雑誌に載った論文によると、1990年代にオーストラリア西部で発見された、1センチにも満たない小さな石片をデジタル顕微鏡で詳細に分析したところ、これが人工物であることが確認された。それも「斧」の一部が欠け落ちたものだと考えられ、年代は5万年前〜4万6000年前と推定されるという。5万年前となると、アボリジニの先祖である人類がオーストラリア大陸に上陸したと推測される時期になる。
 この分析をした研究者は「世界最古の斧に疑いない」とまで断言していたが、どうしてそんな小さな石片が「斧の一部」と断定できたのか不思議でもある(そもそもよくそんな小さな石を石器の可能性ありと回収していたものだ)。また「斧」と言えるようなもの自体、旧石器時代段階であったのかなぁ、と思うところも。


 5月12日、毎日新聞にある現代史の一コマに関して、その直接的当事者の証言が記事になっていた。インド独立運動家の一人で太平洋戦争中は日本と結びついたスバス=チャンドラ=ボースは、日本が敗北するとソ連への亡命を図ったが、8月18日に台湾の松山飛行場を飛び立った搭乗機が直後に墜落、ボースは救出され病院に運ばれたものの全身火傷のためその日の夜に死亡した。あんまり唐突であっけない事故死のせいか、インドではボース生存説が一部で長く信じられ、ソ連で生きているのではとささやかれていたたしい(そういえばインドは親ソ連国家だった)。しかしソ連崩壊後もそんな話は出てこないし…もし死んでなかったら、もう119歳で世界最高齢になっちゃいますな。
 毎日の今度の記事の目玉は、この時の飛行機の整備にあたった元整備兵(96歳!)本人の証言だ。ボースの乗った軍用機は97式重爆撃機で、離陸直後に左側のプロペラが破損し、エンジンも落下したため墜落・炎上したのだが、これまではこの機が以前滑走路をオーバーランして土手に激突する事故を起こしていて、その時にプロペラを「金づちで叩いて直した」という証言があったために、整備ミス(というか応急処置ミス?)の可能性が指摘されていた。しかしこの元整備兵は「エンジン・プロペラは事故後に全て替えた」として事故との因果関係を否定したという。事故前にこの元整備兵が整備点検を行っているが、そこでも異常は見つからなかったという。
 そして新たに出た重要証言が「操縦者の変更」だ。ボースたちの乗る爆撃機はサイゴン(現ホーチミン)からツーラン(現ダナン)経由で台湾まで飛んできたが、そこまでは陸軍第三航空軍の准尉が操縦していた。ところが台湾の松山飛行場を飛び立つ直前に「搭乗していた上官の一人」が「俺が操縦する」と言って操縦を変わった、というのだ。元整備兵はこの人物については知らない上官だったとし、司令部の命令なしに操縦交代はありえないとしているそうだが、この人物が不慣れな操縦をしたために墜落に至ったのでは、と示唆している(その当人も「操縦経験あり」と言ってはいたらしいが)。また搭乗者の数や荷物が多かったこと、天候も悪かったことなども挙げ、そこに不慣れな操縦が結びついてプロペラ・エンジン破損に至ってしまったのでは…という推理だ。
 記事ではこの事故を以前調べたことのある航空評論家・柳田邦男(ひところは「飛行機が落ちると出てくる人」であった)のコメントが出ていた。柳田氏はこの元整備兵の推測に一定の同意を示しつつ、エンジン故障が発見できなかった可能性も指摘して「両論併記」な感じになっていた。それよりも「70年以上たって生存者の証言が出てきた」こと自体に驚いていたが、まったく同感。


 幕末史の一場面「禁門の変」とは、元治元年(1864)7月、攘夷強硬を主張し朝廷での復権を目指す長州藩の兵が京都へ攻め入り、御所を守る薩摩藩・会津藩の兵と衝突、多くの戦死者を出して敗北した事件で、昨年の大河ドラマをはじめ幕末ものの作品では大きな見せ場になる(なにせ昨年の大河は主人公の夫がこれで戦死する)。この事件により長州藩は「朝敵」とされ孤立無援状態になってしまうのだが、それから4年後には薩摩と組んで明治政府を作ってしまうんだから、歴史の展開というのは分からない。
 さてこの「禁門の変」は、「蛤(はまぐり)御門の変」という名でも知られる。主戦場になったのが京都御所の通称「蛤御門」の周辺だったためだが、そもそもこの「蛤御門」、もともとは「新在家御門」と呼ばれていた。なんでも京都で大火事があった際に人々を救うために本来「開かずの門」とされていたこの門が開け放たれ、それが「閉じていた蛤が火にあぶられて開くよう」だということで「蛤御門」のあだ名がついて定着した…とする伝承があった。その火事がいつのことなのかは不明だが、以前は「天明の大火」(1788)が有力視されたものの、最近では「宝永の大火」(1708)までさかのぼれることが確認されていた。しかしこのたび、この通説をくつがえす新資料が確認された。
 京都新聞の記事によると、発見をしたのは京都産業大学日本文化研究所特別客員教授にして市営地下鉄運転手長谷桂さん。長谷さんは地下鉄勤務のかたわら休日を利用して研究をすすめ、宝永の大火より10年以上前の元禄年間、1694年ごろに編纂された「京都役所方覚書」なる資料の中に「蛤御門番二人」という記述を確認、さらに同時期を生きた日野輝光という公家の日記の宝永4年(1707)、つまり宝永の大火の前年の記事にも「祭礼のあいだ蛤門の人の出入りを止めた」という記事を見つけた。つまり大火以前も「開かずの門」ではなかったわけだ。1677年ごろの絵画資料でもこの門が開いた状態になっていることが確認でき、そもそも「開かずの門」という伝承じたいが怪しくなってくる。
 さらにさかのぼった寛文13年(1673)の大火の時に「蛤御門」のあだ名がついた可能性もあるそうだが、開かずの門の話じたい怪しいとなうと、なぜ「蛤」の名がついてしまったのか謎になる。「通説」というのも、ちゃんと疑って調べてみないといかんものだな、と思わされる話で、長谷さん自身も「見落としてる史料がほかにもあるかもしれない」と言っている。さすが地下鉄運転手、見落としはしちゃいけないんでしょう(笑)。
 

 コロンブスが大西洋を突っ切って「インド」に到達した(と少なくとも当人は思った)のは「意欲に燃えるコロンブス」の語呂合わせで覚える「1492年」のこと。その翌年の1493年に、コロンブスが出資者のスペイン国王夫妻にあてて探検の成果などを書いた手紙というのがあるのだそうで、当時からすでに「歴史的手紙」と考えられたためか、スペイン語の原本からラテン語訳した「複製」が作成されていた。複製と言ってもたった15部ほどしか作成されなかったといい、その歴史的価値から複製のくせに100万ユーロ(約1億2000万円)の値打ちあり、とされているのだそうだ。
 で、この「コロンブスの手紙」の複製の一つが、フィレンツェの図書館から盗み出された。盗み出されたのは20年ほど前と推測されるが、発覚したのは数年前。発覚時に僕は報道を目にしなかったのだが、たくみに作られた「偽物」とすり替えるという、怪盗ルパンそっくりの巧妙な盗みだったというから驚いた(『奇岩城』参照。森田崇先生の「完訳」コミック版も全巻発売されたぞ!)。複製の偽物、というのも面白いというか、手間のかかった話ではある(笑)。
 そして本物の複製の方は転売に転売を重ね(買うやつがいるから盗むやつもいるんだよな)、2004年からアメリカ議会図書館の所蔵物におさまっていた。盗品と確認されては元の持ち主に返還するほかはなく、「コロンブスの手紙」の複製はフィレンツェに返還されることとなった。イタリアではコロンブスがイタリアのジェノバ出身ということもあって、「コロンブスの手紙が500年後にコロンブスと同じ航路で大西洋を往復!」とはやしているそうな(笑)。しかしそれにしても盗み出した犯人が気になるところ。


 奈良の春日大社は今年、20年に1度の「式年造替」、すなわち社殿の修理新築が行われている。それ自体もめったに見られない大行事だが、今年はさらにもう一つ異例の行事もおまけでついた。今度交代になった古い社殿を、そのまま他の神社に「転用」するというのだ。この「春日移し」という珍しい行事が5月23日に行われ、春日大社の旧社殿(約300kg)は大工8人にかつがれて少し離れた京都府南部の笠置山の山上にある笠置寺の境内へと移された。もともと笠置山には春日神社が存在していたのだが、1331年の兵火で焼失、以来685年ぶりの復活となるのだそうだ。
 …と、いう記事をそこまで何気なく読んでいて、「あれ?」と気がついた。1331年の兵火、って、後醍醐天皇が倒幕の挙兵をした時のあれだ!と気づいて南北朝マニア脳全開に(笑)。元弘元年(1331)8月、後醍醐天皇は鎌倉幕府が自身の退位を画策していることを察知して京を脱出(その際、腹心を「影武者」として比叡山に向かわせている)、期待した奈良・興福寺が味方につかなかったためこの笠置山に立てこもり、反幕府勢力の挙兵を呼びかけた。これに呼応した武士の一人に楠木正成がいて、軍記『太平記』では正成も笠置山に挨拶に来たことになっている。押し寄せる幕府の大軍に笠置山の後醍醐勢ははじめは善戦するも裏山から攻め上られて火をかけられてあえなく落城、後醍醐は山中を逃亡した末に逮捕された。つまりこの時の戦乱で春日神社も焼け、それっきり復活してなかったということなのだな。しかしそれが今ごろ復活とは、何がきっかけだったんだろ。


 5月末、ギリシャからアリストテレスの墓発見?」というニュースが飛び込んできてビックリ。アリストテレスと言えばプラトンの弟子、アレクサンドロス大王の家庭教師であり、「哲学(フィロゾフィ)」という言葉の発明者でもある。彼の言う「哲学」とは今でいう哲学の範囲にとどまらず、自然科学全般にも及んでいて、アリストテレスが著書の中で「こうだ」と決めたことはルネサンス期にひっくりかえされるまで絶対の真理扱いされたほどだ。とにかく超大物なのだ。
 アリストテレスは教え子のアレクサンドロスの死後、混乱を避けて母の故郷であるギリシャ東部のエウボイア島(現エヴィア島)のカルキスへ移り、紀元前332年にその地で死んだとされている。では「墓」はカルキスで見つかったのかというとそうではなく、彼の生まれ故郷であるギリシャ北東部の都市スタゲイラの方とのこと。なんでもアリストテレスの死から数年後にその遺灰がこちらに運ばれて、この都市出身の英雄として盛大に葬られたという伝承があるらしいのだ。
 ギリシャの考古学者コンスタンティヌス=シスマニディス(一見凄い名前に見えるが、アリストテレス・ソクラテス・オナシスにはかなわんな)は、1990年代からスタゲイラの遺跡を発掘調査し、そのアゴラ(中心となる広場)に大理石の床を持ち内部に祭壇まである豪華な墓を発見した。中世に行われた塔の工事のために破壊されて多くの考古学的資料が失われているというが、シスマニディス氏はこの墓がアリストテレスのものである「強力な証拠」を入手しているとのこと。ただ報道ではそれが何なのか書かれておらず、恐らくシスマニディス氏本人もまだ「隠し玉」として明かしていないのだと思われる。状況的には十分ありえる話とも思えるけど…これは続報を待つほかないですな。



◆ヒロシマのオバマ

 2016年5月27日の夕方。伊勢志摩サミットを終えたアメリカのオバマ大統領は賢島から中部空港に飛び、そこから大統領専用機「エアフォース・ワン」で山口県の米軍岩国基地へと飛んだ。ここで米軍最高司令官としてアメリカ軍人たちや自衛隊員に激励スピーチや写真サービスなどを済ませると、大統領専用ヘリで広島へと飛んだ。そしてさらに大統領専用車に乗り込んで一路、広島の「平和記念公園」へ。まっすぐ原爆資料館の前へ乗りつけて資料館を見学後、公園内で献花、さらに17分に及ぶスピーチを行い、さらに原爆ドームを望む位置まで安倍首相と共に歩んで一連の広島訪問イベントを終えた。
 このおよそ2時間ほどの時間、日本の地上波テレビはそろってこのオバマ大統領の動向を密着で放送した。もともと夕方のニュースショーの時間であったから「特番」というほどでもなかったのだけど、あのテレビ東京がアニメをやめて報道特番でこれを扱ったんだから、やはり「歴史的事件」であったと言えるだろう。僕もついつい岩国基地のスピーチあたりからリアルタイムで全部見届けてしまった。

 「オバマ大統領の広島訪問」は今年4月に急浮上した。特にG7外相会議が広島で開催され、アメリカのケリー国務長官が平和記念公園や原爆ドームを訪問、これが大統領の訪問の地ならし、というか、アメリカ国民の反応をうかがう偵察行動みたいなものとなった。この時それほど反発がなかったことからオバマさん自身による訪問にGOサインが出たようだが、事実上決まったと報じられながらかなりギリギリまで正式表明が出なかった。それだけアメリカの政権にとってはデリケートな問題ということでもある。
 おそらくはオバマさんの広島訪問計画自体は早くから存在していたはず。就任直後の「プラハ演説」で「核兵器を使用した国の責任」に初めて言及、核廃絶をアピールしてその年のノーベル平和賞までとってしまい、その時点で「広島訪問」の声は上がっていた。オバマさんの姿勢を世界の多数派にしようというので「オバマジョリティー」なんて言葉を使ってた人もいたっけな。だが残念なことに、その後のオバマ政権で特に核廃絶への具体的な動きはなく(削減数も冷戦後の歴代政権では最低という)、臨界前核実験も実施はしている。これはルールだから仕方のないことだが、今回の広島訪問でも、いわゆる「核のボタン」の入ったトランクは常にそばに置いていたことが報じられている。「オバマジョリティー」もとっくに死語になってしまい、今回の訪問でもまったく耳にしなかった。

 それでも、原爆資料館から出た後でオバマ大統領が行った、予定を大きく超える17分のスピーチは、素直に「名文」と言っていいと思う。その草稿の写真が公開されたが、やはりかなり練りに練った、苦心というより各方面への配慮をたくみに織り込んだ「政治的名文」であったことが良く分かった。そして実際にあのスピーチは日本国内では絶賛され、被爆者代表らとの抱擁の場面は「歴史的名場面」として世界に配信され、直後の日本国内の世論調査では実に90%以上(98%というのもあった)がオバマ大統領の広島訪問を評価、一緒に演出・出演もした安倍首相の支持率をも押し上げることになり、「政治ショー」としては大成功と言っていい。
 「政治ショー」と言っちゃうと、何やらクサしてるようにも見えるだろうが、僕もこの広島訪問自体はよく思い切ってやったとは思うし、核廃絶への意思を込めたスピーチの気持ち自体はそう疑ってはいない。だけどさすがに90%以上が感激して絶賛する日本人、というのを見せられてしまうとヘソ曲がりの本性からいろいろ言いたくなるのも確か。

 僕の知人も言っていたが、スピーチ冒頭にあった「空から死が降ってきた」だって、別に自然現象として落ちてきたわけではない。誰が落としたのか主語は巧みに避けられていて、続く文章は人類の発生以来の「戦争の歴史」を概観し、その悲惨さの究極の形として核兵器の実戦使用があったと語るわけだが、あの時点でどういう経緯で原爆投下になったのかについては一切語らなかった。もちろんそれを言っちゃうと道義的責任問題に触れざるをえないためで、訪問前から訪問後までオバマ政権周辺やアメリカのメディアはとにかく「謝罪はしてない」と強調し続けていた。結局実行されなかったが、直前まで元捕虜の米兵で日本で強制労働させられたという90代の男性を同行するという話があり、これもアメリカでは「原爆投下」は一部でまだまだデリケートな問題であることを示している。世論調査だと世代が下るにつれ原爆投下を正当化する声は少なくなってはいるようだが。
 まぁ日本側だって謝罪を求めない声が大半だし、平和公園にある碑の「あやまちはくりかえしません」も主語は人類全般を指しているのは明らかで、その点ではオバマさんのスピーチと呼応するところはある(ふと思い出したが、黒澤明の映画「八月のラプソディー」で長崎原爆が扱われアメリカメディアが騒いだことがあったな)。ただ僕なんかは謝罪はともかくやはりあの時点で原爆投下を実行した経緯についてはよくよく検証すべきとは思う。オバマさんの核廃絶への思い自体は信じたいところだが、あのスピーチでコロッと感動させられてる日本人に、いささか「チョロさ」を感じなくもなかったのだ。

 オバマさんのスピーチでは、そういう悲劇もあった日米両国が今や同盟国だ、と強調するくだりもあり、そのオバマさんの要請で安倍首相は解釈改憲による集団的自衛権容認に踏み切って軍事同盟関係をいっそう深めている。また二人そろって核廃絶は唱えながらも(もっとも安部さん人脈って核武装論者が多そうな…)、方やベトナムにベトナム戦争以来の武器輸出解禁、方やオーストラリアへの潜水艦販売は失敗したけどやはり兵器輸出拡大方針と、それぞれ「核」以外の武器については商売熱心なのだ。あの日米首脳が並んでの献花式は明らかに「日米同盟」のデモンストレーションでもあり、僕には並ぶ二人がまるで固めの杯をする親分子分に見えたものだ。
 広島つながりで書いちゃうが、「仁義なき戦い」一作目のラスト、偽善に満ちた葬儀の場で「こんなことされて、うれしいか?」と祭壇に聞く菅原文太の思いに似たものさえ感じた。

 もちろん、ことは政治・外交だから、物事はそう簡単にはいかないとは分かっている。なんだかんだでオバマさんはキューバも訪問するし、先日のベトナム訪問でも一応「戦争の惨禍」については言及したし、イランとも関係改善を進めるなど、これまでのアメリカ歴代政権の中では融和的姿勢を示した政権ではあったと思う。オバマさんは退任後にそれこそ「平和運動家」みたいに立ち回ることが予想されるが、プラハや広島でのスピーチが単なる政治ショーにとどまらないものであったことを示してほしいものだ。

 それにしても、一時あれだけ騒がれた福井県小浜市への訪問が現職大統領としては実現しないであろうことについて、どこも報道してくれないな。
 


◆恒例・贋作サミット・伊勢志摩編

 2016年の5月末、とある東洋の島国の、賢人たちが集まりそうな名前の島に、主要な国々の首脳たちが集まりましたとさ。

日:みなさま、ようこそいらっしゃいました。司会をつとめさせていただく日本首相です。返り咲いてやっと司会になる夢がかないました。
米:とうとう今回が最後の出席になります。こっちよりもこのあとの広島訪問の方がメインの米国大統領です。
英:来月の国民投票、自分で公約しておいてEU離脱決定が怖い英国首相です。
独:毎度おなじみ、紅一点。来年はもう一人女性が増えると期待したい独国首相です。
仏:何度あってもイヤなのは女性スキャンダルとテロの、仏国大統領です。
加:毎年話題のなかった我が国ですが、今年は「イケメン首脳」と話題になってる、加国首相です。
伊:いつまでたっても日本で顔と名前を覚えてもらえない伊国首相です。もう三度目なんだけどな。
独:それにしても、この会議場のつくりは変わってますね。お好みの「日本の伝統」というやつかしら?



日:はい、我が国の江戸時代以来の伝統芸能の方々が出演する国民的番組のスタイルにさせていただきました。
独:ああ、知ってますよ、いろんな物を売ってる…
日:それは商店。
伊:虫眼鏡で紙に火をつけてみたりする…
日:それは焦点。
米:天国へ行ってしまうという…
日:それは昇天もしくは召天。
英:名誉革命の翌年に出た権利の…
日:それは章典。
加:古代中国の漢字の字体の…
日:それは小篆。
米:もう、その辺にして、時間がないんだからさっさと問題討議に入りましょうよ。
日:では、問題です。山田君、例のものを配ってください。
山:はい、かしこまりました〜!」
日:いま、世界では税金逃れの「パナマ文書」の流出が話題になっています。そこでお渡ししたフリップに「○○マ文書」とありますので、『…という文書が流出しました』と言ってからマルに入る言葉を言ってください。お、早いですね、では米さん!
米:「世界を感動させるため、練りに練った文書が流出しました!…『オバマ文書』
日:自画自賛ですね、はい、では独さん
独:温泉地や温泉ホテルでの公私混同の文書が流出して庶民の怒りがわいてます!『マグマ文書』
日:山田君!ザブトン一枚やって!はい、仏さん!
仏:東京都内の区で高齢化問題の文書が流出しました!
トシマ文書
伊:参議院選挙をあてこんでる業界の文書が流出しました!
ダルマ文書
加「燃費の不正操作を示す文書が流出!
クルマ文書
英「間寛平さんの個人情報が流出!『アメマ文書』
日:いろいろ出るもんですね。では、次の問題です。「あり」「なし」という正反対の言葉を使って、まとまる対句を作ってください。はい、では伊さん!
伊:押し寄せる難民あり、それを止める手立てなし。
日:確かに困ったことになってますね。では英さん!
英:EU離脱論あり、あとさき考えなし。
日:自分で公約しておいて、頭の痛い話ですね。では米さん。
米:モハメド・アリ、この世になし。
日:『あり』の使い方が違うような気がするけど、書いてる最中に訃報が届きました。ザブトン一枚やって!
独:働きアリ、給料なし。
日:そりゃそうですが、アリだけにブラックですね。白アリはどうだか知りませんが。ザブトン一枚。はい、加さん!
加:口利きあり、おとがめなし。
日:えー、司法の判断ですので、立法府の長としてはコメントは控えさせていただきます」
米:あんたは行政府の長じゃないの。中学公民レベルの話でしょうに。
日:誰にでも間違いあり、言いっこなし。じゃあ、仏さん!
仏:
裏ガネあり、おもてなし。
日:おーい(怒)、山田くん、仏さんの、全部もってって!まずい話が出たところで笑点お開き。私の司会も今日までで、来年の司会者は伊さんです。
伊:来年私が司会者やれるといいんですけどね」
米:私は今年で引退、来年から新メンバーに交代します。誰になるかは11月のお楽しみ。
英:トランプなんかが来たら、そのまんま一人大喜利状態になって、贋作サミットがやりにくくなりそうだなぁ…。


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