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2016年7月9日

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◆我が英国堂々退場す?

 史点更新が遅れるうちにイギリスの国民投票からはや二週間が過ぎた。前回の「史点」で残留派議員の殺害事件をとりあげて「頭を冷やせば」と書いたのだが、残念ながら離脱派の勢いは全く止まらなかった。投票直前の世論調査、さらには出口調査ですら僅差ながら残留になりそうとの観測が広がり、イギリス名物ブックメーカーでも残留確実という読みが出て、当日の株式相場も残留と読んで株価を上げていた。投票終了直後の時点では離脱派の旗頭の一人であるイギリス独立党のファラージ党首すら「残留に決まったらしい」と発言したほど。ところが、フタを開けてみれば3ポイント差ほどで「離脱」が上回ってしまったのだ。

 開票は日本時間の朝から始まり、僕は開票速報を自宅でリアルタイム見物していたのだが、はじめは離脱派優位に進み、途中で残留派の票が上回ったあたりで「これから都会部が開くだろうし、このままかな?」と思ったこともあった。ところがその後離脱派が逆転、じりじりとその差をつけていく。これを見て円相場が急上昇、日経平均が暴落を開始、ついに1時ごろになってBBCが「離脱確定」の報を出した。僕も家族もビックリしたし、世界中が衝撃を受ける結果となった。市場ことに日本の株価はそれこそリーマン・ショック級の大暴落を記録した。「情報をつかむ、読む」ということではトップレベルのはずの市場関係者も完全に読み損ねたわけだ。

 昨年の大阪都構想がらみの住民投票の開票の時の様子を思い出したものだが、あれは結局終盤になって現状維持派がギリギリで勝ちを占めた。2年前のスコットランド独立をめぐる住民投票も直前の世論調査で独立派優勢の結果も出たが結局終盤になって現状維持に票が流れた。今年にはニュージーランドで国旗変更の国民投票があったがこれも結局現状維持に決まった。だから今度も結局は現状維持ってことになるんじゃないかと僕も思ったし、実のところ圧倒的多数がそう読んでいたと思う。前回も書いたがイギリスの著名人の多くが残留支持表明をギリギリまで続けていたし、政治的にも経済的にも、そして安全保障面でも理性的に考えればEU離脱で何の得もないと分かるはず…という考えの人が多かったのだ。

 しかし結果は「離脱」。投票率72%の、さらにその約51%が離脱に投じたのだから単純計算では有権者のほんの36%程度が離脱に票を投じたことになり、それが全世界を揺るがしてしまったわけだが、選挙や投票というのはそもそもそんなもの。中高年層が離脱に傾き、若者層は残留支持が多数派だったとされるが、そもそもその若者たちの投票率が低かったのでは、との声もあった。ロンドンなど都会部では残留優勢、スコットランドや北アイルランドでも残留優勢だったが、イングランドのかなりの地方では離脱が優勢を占めて勝負を決してしまった。
 このためスコットランドは首相が「連合王国」からの独立を公然と表明、北アイルランドでも連合王国から分離してアイルランド(EU加盟国でこことの国境はなきに等しい状態)との統合をはかる声が出始めて、EU解体の前にイギリス連合王国が解体しちゃうんじゃなかろうか、という勢いだ。イングランド内でもロンドンの分離独立という冗談みたいな署名活動が行われたし、これからの将来をEUの中で生きていくつもりだった若者たちが高齢者の投票行動に激怒、投票やり直し署名を求めるくらいならまだいいが、一部で高齢者へのヘイト活動までがみられると国連から問題視されている。

 ヘイトといえば「離脱」決定後にポーランド系移民に対するヘイト行為が頻発しているとの報道もある。そもそも「離脱」に傾いた人たちの多くが挙げた理由の一つが急増するEU域内、とくに最近多くなったポーランドなどからの移民を流入を止めたい、というものだった。極右も含めて「移民に仕事を奪われる、治安が悪化する」といった扇動もずいぶんあったようだし、報道メディアの取材でも実際にそう答える離脱派住民は多かった。
 しかし…投票前から疑問に思っていたことなのだが、「移民流入で仕事が奪われる」と定番のように言われるが、そもそもそれって本当なんだろうか?移民というのは母国で食い詰めてるから移民してくるわけで、仕事のある都会部に行くのが大半のはずで、離脱派が多かった田舎へどれほどの移民が行くのだろう。現地に行ってもいない僕には分からない実情もあるんだろうけど、いろんなメディアに出てくる離脱に投じた地方住民たちの「移民嫌い」発言は、実態よりもイメージ先行という印象が強かった。だいたい現時点でもイギリスはEU内では移動の自由に一定の歯止めがある国で、EU離脱をしたところで移民流入に関しては特に変わるわけではないことが投票後にはっきりと示されている。

 EUへの支出が多額だ、それを福祉へ回せ、と煽る声もかなり多く、実際効き目があったと考えられている。特にイギリス独立党がこの件を声高に叫んでいたが、投票後に数字の誤り(EUからの還付金があることを隠していた)をあっさりと認めたのにも呆れた。最初は残留に決まるかと思っていたファラージ党首は離脱決定で「6月23日を独立記念日としよう!」などと高らかに叫んだが(そういや「インディペンデンス・デイ」の続編が今頃…)、その「公約」の翻しや「敵前逃亡」ともいえる党首辞任など、煽るだけ煽って無責任な言動をヌケヌケとやっている。この人、欧州議会の議員でもあるんだけど、今後は他の加盟国のEU離脱運動を支援する意向だそうな。ただの壊し屋だよな、それって。
 前ロンドン市長でパフォーマンス的言動から大衆に人気のあるボリス=ジョンソン氏も離脱派の旗振り役として目立ち、「イギリスのトランプ」の異名まで奉られていたが(立場からすると石原慎太郎が近い気がした)、離脱決定直後の声明で移民制限以外ではEUとはこれまで通りの経済関係を、みたいな虫のいいことを言って批判されたし、一時は次期首相有力候補と目されながら、アッサリと敵前逃亡のように首相レースを下りてしまった。「だまされた」と後悔する離脱投票者も少なくないらしいけど、こういう手合いにだまされる方もだまされる方。
 「キャメロン首相が辞任表明して事態の大きさが分かった」と慌てる人の声がどっかの新聞に載ってたけど、離脱に投じた人のかなりの部分が「気分」で投じてるんじゃないか、という気もしてる。日経新聞では日立の城下町になってる地方都市で取材をして、「EUから離脱したらここの工場の製品も輸出が減るのでは?」と記者に聞かれた離脱派住民が「貿易なんか知るか」と答えていたのも結構強烈で、記者は政権批判票の意図で離脱に投じた人が多いのでは、との分析を書いていた。地方や中・下流の白人層の漠然とした不満を自分たち以外の者、外国人だったり国際組織だったり上流階級だったりにぶつけてしまうという点で、アメリカの「トランプ現象」との類似点を指摘する人もかなりいた。実際、トランプさん、イギリスのEU離脱を大いに歓迎していて、「自分も大統領になったらTPP離脱だ!」と息巻いている。
こういう人たちのニュースのあとに公開中の映画「帰ってきたヒトラー」のCMが流れたりすると結構不気味(笑)。

 まぁ大衆というものはなんとなく気分で政治行動やってるのは昔から…とも思うのだけど、そうした気分的行動によりタッチの差とはいえ実際に大国のEU離脱が起こったことは大きい。実はイギリス以上にヨーロッパ各国では反EU勢力が活発化していて、民族主義的な極右から、グローバリズムを嫌う極左まで、両極でEU敵視が声高に叫ばれている。ギリシャ問題でも見えたように経済力のない国はEUの縛りを嫌い、富裕な国は他国のために負担することを嫌う。さらにそこへEU域外からの難民・移民問題が重なってここ数年のEUは難問山積だ。
 イギリスのEU離脱決定で、目立って勢いづいたのがフランスの極右政党「国民戦線」のルペン党首(もちろん娘の方ね)。さっそく来年の大統領選挙で自分が当選したらEU離脱を問う国民投票を実施すると言い出した。オランダでも極右政党が一番人気で(政党がやたらあるせいもある)、やはり同様に国民投票実施の動きを見せている。つい先ごろオーストリアでは大統領選挙が行われ極右とリベラルの候補が競り合ってギリギリでリベラル側が勝ったが、その後選挙に不正の疑いがあるとして再選挙の決定が出され、これまた不穏な空気となっている。実はこれらの国よりもEU支持率が高かったイギリスが離脱を決定したことは下手するとEUそのものの解体にまで進むきっかけとなる可能性があり、まさに「パンドラの箱を開けた」と警戒されている。最悪の道を進んだ場合、あとから思えばあれが分岐点だった…と振り返られることがないように願いたいものだ。日本も国際連盟を脱退して「我が代表堂々退場す」なんてやったあたりで引き返せなくなっちゃったもんな。

 もっとも、イギリスの場合はもう少し冷静というか、現実的に動きそうな気配もある。一時の祭り気分で離脱派決めたものの、離脱をあおったリーダーたちがとっとと逃亡、次期首相を決める保守党の党首選は女性二人の一騎打ちとなり、サッチャー以来の女性首相の誕生は確実。さらには有力候補は残留派とされていて、今後のEUとの交渉では慎重姿勢をとる可能性もある。まぁ離脱の撤回は簡単にはいかないだろうし、ケンカを売られた形のEUのリーダー国ドイツとフランスはEU離脱の連鎖が起きないようにとイギリスに厳しく当たり、撤回も受け入れない姿勢を見せている。それでいてチラホラとEU側から「結局イギリスは5年後にもEUにいるだろう」といった発言が出てくるなど、なんだかんだで影響を最小限にとどめるためにウヤムヤな話にもってこうという気配も感じる。
 ただ、イギリスやEUの経済が先行き不安になってるのは確かで、なぜか「比較的安定した資産」とされちゃってる日本円が高くなり、1ドルが100円あたりをウロウロする光景を久々に見ることに。そうすると日本の株価は連動して落っこちていくんだよなぁ。

 2週間も経つと最初の「歴史的事件だ!」というショックからはいくらか世界も落ち着いた様子ではある。今から思うと国民投票の直前にエリザベス女王90歳の祝賀ムードが盛り上がったのも、「大英帝国」の夢を思い起こさせちゃったりしたのかもなぁ。また昔の「栄光ある孤立」とやらへ回帰する気分でもあるんだろうか。
 歴史を振り返った連想話を続けると、ヨーロッパ大陸との間に狭いながらも海峡という自然障壁がある島国だというのもイギリス人の心理に影響してるのかも。怪盗ルパンの生みの親であるモーリス=ルブランのSF小説「驚天動地」では大規模な地殻変動により英仏海峡が陸地でつながってしまい、最終的にそれが「ヨーロッパ合衆国」への道筋となるという話になってるのだが(これ、前半は「日本沈没」にどっか似てるんですよね)、イギリスが「島」であるかぎりヨーロッパとの一体化は難しい、ということを言おうとしてたのかな、というのは深読みに過ぎるか。



◆大戦中の二つの写真

 以前話題にした「硫黄島の星条旗」の写真の件、公式に結論が出された。結局指摘された通りで、これまで写真に写った兵士の一人とされ、息子さんの著書「父親たちの星条旗」でも中心に取り上げられて映画でも実質的な主役として登場した衛生兵ジョン=ブラッドリー氏は実際には写真には写っていなかったことがアメリカ海兵隊から発表された。彼の息子のジェームズ=ブラッドレー氏はこの発表を受けて「父親たちの星条旗」の後書きに「新たな事実」を反映させた内容を付け加えると出版社を通して表明している。

 あの映画を見た僕としてもいささか複雑な気分になるくらいだから、息子さん当人はなおさらだろう。「父親たちの〜」というタイトルそのものも問題になってきちゃうわけだが、写真に実際には写っていないからといって著書や映画の価値が下がるわけではない。あの映画のメインテーマは一枚の写真をめぐって兵士たちが政治利用されてしまう悲喜劇にあるのだから。ジョン=ブラッドレー氏当人も自分が写っていないことを知っていた可能性だってあるし、それだけに英雄に祭り上げられ利用されることにいっそう苦悩していたかもしれない。写真に写っていないといってもその現場にいたことは間違いないわけだし。


 もう一つ、報じられたのはやや前のことになるのだが、長崎への原爆投下の犠牲者を移した有名な写真について新たな情報が出てきた。
 その写真とは、原爆投下の翌日に市内に入った写真家によって撮影された、全身黒焦げになって死んだ少年の遺体を写したものだ。長崎原爆に関連してよく紹介される写真だから見知っている人も多いはず。「遺体」そのものを写したショッキングなものでもあるため紹介頻度はやや低くなってるかもしれないが、原爆投下によって命を奪われた多くの人々の無念の叫びを見る者に訴える強烈な一枚だ。1995年には当時の長崎市長がオランダ・ハーグの国際司法裁判所でこの写真を示して原爆の非人道性を訴えたこともある。
 もう70年もこの写真は世間に紹介され続けてきたわけだが、この少年がどこの誰であると特定されてはいなかった。それが実に70年目にして「私の兄かもしれない」と名乗り出た女性二人が現れたのだ。

 昨年、長崎市在住の姉妹二人(78歳と76歳)が原爆写真展を眺めていたところ、この「黒焦げの少年」の写真を見て「兄ちゃんだ」と気がついた。これまでこの写真を見たことがあったのかについては報道では分からなかったが、この写真展では写真が大きく引き伸ばされて展示されたため顔の輪郭がかなりはっきり見られたために気がついたらしい。
 この姉妹二人の「兄」というのは原爆投下当時13歳だった谷口昭治さんという人で、当時実家を離れて長崎市内の中学校の寮に入っていた。西日本新聞の記事によれば8月6日に広島への原爆投下があったため父親が実家に帰るよう勧めたが「9日に試験があるから」と断り、結局その日に原爆投下を受けることになってしまったという。
 妹さんたちの名乗り出を受けて、専門家により当時の家族写真との比較が行われ、断定こそされなかったものの、「同一人物である可能性は高い」と判断されたこれで確定というわけではないけど、70年を経ても家族の感覚的な記憶は信用していいのではないかと思う。これまで名もなき「黒焦げの少年」だったが、名前を持ち、家族もあり、勉学に励んでいた一人の普通の少年であったという当たり前のことに改めて思いをいたすし、そんな少年が唐突に人生を途絶させられ、一瞬で黒焦げの死体にされてしまったという戦争の非情への怒りもいっそう湧こうという者だ。


 写真の話題ではないが、先の戦争に関連した話題をもう一つ。
 戦後70年も過ぎれば当時実際に戦争に参加していた人も残り少なくなってくるのは当然のことになってしまうが、6月22日にアメリカはモンタナ州の病院でデヴィッド=サッチャーという男性が94歳で死去した。この人、日本本土への最初の空襲となった1942年4月18日の「ドゥーリットル空襲」に搭乗員として参加した人物で、東京を空襲後、中国大陸沿岸で海上に不時着するも負傷した仲間を抱えてなんとか上陸、無事帰還したという冒険譚をもつ。その体験はドゥーリットル空襲を描いたアメリカ映画「東京上空三十秒」にも参考にされているとのこと。
 この空襲でも爆弾の投下だけでなく直接的な機銃掃射で少年が殺されたりしてるんだよなぁ…。



◆人類みな競売!

 ラマダンの時期と合わせて七日、このところ世界各地でIS関係とみられるテロが続発している。当然僕としても気にならないわけではないが、そういう話題が毎度毎度続くと気が滅入って来るので、ひとつ景気のいい話題を書いて現実逃避したい。タイトルもさりげなく人類平和を訴えるダジャレであります。

 6月22日、パリで行われたオークションで、日本の浮世絵師・喜多川歌麿の作品「深く忍恋(しのぶこい)」(下図参照)が74万5000ユーロ(その時点で約8800万円)で落札された。歌麿の作品としても過去最高額、浮世絵全体としても過去最高の落札額になったとのこと。どんな絵なんだと画像検索でググってみたらブラウザ内が同じ女性のアップ顔で埋め尽くされて笑ってしまったが、いわゆる「大首絵」、バストアップを描いた美人画で、キセルを手に物思いにふける美女が描かれている。歌麿と言えば美人画、と言われるくらいだが、なるほどその真骨頂をいく作品だ。
 もともと版画だからそれなりに枚数も出ているはずだが、恐らく落札されたものは古いバージョンの質のいいものなのだろう。なんでもフランスのポルティエさんという富豪の家で四世代にわたって保管されてきたコレクションの一つだったというから、明治時代に入手したということになりそう。「ジャポニズム」とか流行っていた時期だったかも。
 このポルティエ家のコレクションは総額150万ユーロ(約1億8000万円)相当ともいわれるものだそうで、中でもこの歌麿の「深く忍恋」は目玉の逸品とされて落札予想価格は当初10万ユーロくらいとみられていたという。ところがフタを開けてみればその7倍を超える高値。いや〜カネはあるところにはあるもんだ。ちなみにネットで調べたら同じ絵のレプリカなら1万円台で売ってるみたい。


 だがそれで驚いていてはいけない。現代美術の巨匠ピカソの方は4320万ポンド(約66億円)という、まさにケタ違いの金額で落札されている。どこにそんなカネがあるんだ、と思うばかり。
 6月21日にロンドンでオークションにかけられたのは、ピカソの初期の作品にして「キュビズム」の初期作品でもある「座る女」(1909年)という絵(下図)。ピカソの当時の恋人であったフェルナンド=オリビエがモデルだそうだが、自分の姿がここまで「解体」されたことにモデル当人はどう思ったものやら。またこの妙な絵が未来に66億円もの金額で買い取られることになるなんて想像すらできなかったに違いない。
 66億円はとてつもない額だが、それでもキュビズム作品としては最高額ながらピカソ作品の中の最高額ではない。2015年にはピカソの「アルジェの女たち」200億円以上の額で落札されている。ここまで来ると、そのカネを他のことに使えよと言いたくなってくるな。

 この記事を書いていて、ふと「歌麿の絵をキュビズムにしたらどうなるんだろ?」と思いつき、たぶんそんなことをやれるソフトかサイトがあるんじゃないかと探してみたらすぐに見つかった(http://williamngan.github.io/kubist/)。試してみたのが下のような結果。一番右の絵はさしずね「喜多川ピカ麿」作品である(笑)。


 
 一方ドイツのミュンヘンでは6月20日に、ヒトラーゲーリングなどナチスの幹部たちの遺品が競売にかけられた。アメリカの医師が所有していたもので、彼の死去により競売に出されることになったという。ヒトラー着用のジャケットが27万5000ユーロ(その時点で約3300万円)、ヒトラーの頭部のレントゲン写真が2万1000ユーロ(同約250万円)、ゲーリングが服毒自殺に使った毒の容器が2万6000ユーロ(同約310万円)といった調子で落札されたとのこと。報道では「ゲーリングの下着」なんてものまであったらしいが落札価格が分からなかった。
 ウン億円の話に比べればささやかなものだが、ナチス関連の遺物も一部でマニアックな人気があることをうかがわせる。この競売についてはネオナチに利用されるといった反対の声も少なくなかったらしいが…。なお、報道によるとヒトラーのジャケットやレントゲン写真など主だった品56点についてはアルゼンチン出身の男性が60万ユーロ以上もかけて競り落としていたとのこと。アルゼンチンといえばそのむかしナチス残党がよく逃げ込んだ国で、最近でもプールの底にハーケンクロイツが見つかった騒動もあった国。まさかナチス残党かその子孫がヒトラー遺品を手に入れようとしたんじゃ…(笑)。

 なお、文中で日本円換算で「その時点で」とうるさく書いてるのは、もちろんイギリスのEU離脱で円相場が急上昇したため。あの国民投票の結果はこういうところにも影響を与えてくれている。



◆白と黒のエクスタシー

 そのむかし、角川映画の大作「天と地と」が「この夏、赤と黒のエクスタシー!」というキャッチフレーズのCMをガンガン流しまくっていた(ホント、数分に一度くらいのペースで見てた気がする)頃、高校の文化祭で「白と黒のエクスタシー」と銘打って「おにぎり」の販売をやってたクラスがあった(笑)。

 さて、「白と黒」といえば「オセロ」である。白と黒に裏表が塗り分けられた駒を8×8の盤上に交互に並べてゆき、自分の色で相手の色を縦・横・斜めで挟むと相手の駒をひっくり返して自分の色にしてしまえる。それで最終的に色数を競い合うというゲーム…って説明の必要もないよね?とっつきやすいルールながら頭脳プレーが要求される親しみやすい対戦ゲームで、今や世界的に広がっている。
 これが実は日本発祥のゲームであるというのは僕も大人になってから知ったのだが、このたびその「生みの親」の方の訃報で、初めてその人が僕と同じ茨城県出身者であることを知って驚いた。まぁ同じ茨城といってもその方は水戸出身なので県南に住む僕とは「同郷」というのがはばかられる感があるのだが、ご自宅は千葉県柏市で意外と近いところに住んでいたのだな、と別の意味で驚いた。

 オセロゲームの発案者は長谷川五郎さんという方で、6月20日に83歳で亡くなられた。旧制水戸一中(現水戸一高)から茨城大学という、まさに生粋の水戸人だが、オセロゲームの原型となる碁石のゲームを発案したのは水戸一中時代のことだったという。やがてゲーム愛好家仲間たちと牛乳瓶のフタを利用した駒を使ってゲームを完成形に持ってゆき(このためオセロの駒は今も牛乳瓶のフタのサイズなのだそうな)、1972年に玩具メーカーのツクダに売り込んで翌年春から商品化され大ヒット。そして世界中に広がっていくこととなった。我が家にも僕が小学生の時期からオセロのセットがあったのだが、1973年から発売と知ると、世に出てからそんなに経ってないころだったわけだ。当時でも将棋や囲碁なみに定着しちゃってた印象があったけど…
 そうそう、「パネルクイズアタック25」が複数人数によるオセロ方式になってるけど、あれは1975年の放送開始でやはりオセロ普及の直後だ。脱線ついでに書いておくとPCエンジンCD−ROMのゲームソフト「カラーウォーズ」は4×4×4の立体オセロ(最大4人プレイ)で、有りそうで見かけないゲームとなっている(当サイトの該当ページを参照されたい)

 なお「オセロ」という名前はシェークスピアの悲劇「オセロ」から採った、というのは知る人ぞ知るの話。長谷川五郎さんの父・長谷川四郎さん(もしかして祖父が三郎さん?)が英文学者で、白や黒にひっくりかえるゲームに、黒人の将軍オセロと白人の妻をめぐる愛憎劇にちなんで命名したのだという。僕はシェークスピアの「オセロ」はオーソン=ウェルズ主演・監督の映画版で見た程度なのだが(これ、幻のフィルムが再発見されて劇場公開され話題となっていた)、なかなかブンガク的な命名なのだ。そういやその映画では白人のはずのオーソン=ウェルズがメイクで顔を真っ黒にしてるのが深読みすれば意味深のような。

 長谷川さんはオセロが世に出ると同時に「日本オセロ連盟」を設立、会長となってオセロの普及につとめ、日本選手権や世界選手権も開催した。2006年には「発祥の地」である水戸市で初めて世界選手権大会を開催、2009年にはその功績をたたえて水戸市文化栄誉賞を受賞している。今年の11月には再び水戸で世界選手権大会が開催されることになっていて、昨年9月の記者会見に長谷川さんも出席して抱負を語っていたとのこと(茨城新聞による)。
 水戸というと納豆と偕楽園と水戸黄門くらいしか連想するものがなかったが、実はオセロの発祥の地であったというのは茨城人としては不覚ながら初めて知った。世界的に遊ばれているゲーム(ただし非コンピュータゲーム)を生み出した人なんてそうそういるもんじゃない。これからはオセロを見たら水戸や茨城を思い起こすことにしたい。


2016/7/9の記事

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