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2016年9月5日

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◆あの憲法はワシが育てた

 アメリカ大統領選も共和党がドナルド=トランプ、民主党がヒラリー=クリントン、ということで二大候補が定まった(他にも泡沫候補はいっぱいいるが)。これから11月の最終決戦に向けて盛り上がっていくわけなんだけど、まだまだトランプ当選の目は消えておらず、世界中が心配している。日本の保守系論客なんかはたいてい共和党候補の勝利を望むような発言、著作を出すのが常だが今回はさすがにトランプ期待の声は見当たらない。先日、書店に行ったら副島隆彦氏が「次はトランプで 決まり!」という帯をつけた新著を出してて笑ってしまったが、中身は読んでいないもののアマゾンで内容紹介を見たら副島さん、結構本気でトランプに期待してるらしい。ただ、この人の反米姿勢の陰謀論的発想(アポロ陰謀論信者なのは有名だし、昨年には「信長はイエズス会に爆殺され家康は摩り替えられた」という著書を出してるお方)からすると、トランプ政権成立でアメリカが壊滅することを内心望んでるような気配も感じちゃうな。

 日本の共和党寄りな人たちの間でトランプ不人気、どころか警戒姿勢すら見られるのは、トランプ氏のこれまでの発言に日本について無知、あるいは思い込みにもとづく「現状変更要求」がしばしば見られたためだ。端的なものに「日本や韓国の防衛費用をアメリカが負担してるのはおかしい」として日韓両国にいっそうの負担を要求し、それが容れられないなら駐留米軍を引き揚げちゃうぞ、という発言があった。さらには日本や韓国が核兵器を保有することを容認するような発言まであった。
 そんなトランプ発言は民主党にとってはありがたいツッコミどころになるわけなんだけど、そのツッコミの側でも妙な発言をする人はいる。バイデン副大統領がクリントン候補の応援演説のなかでトランプ候補の「核保有容認発言」にからめて、「核保有国にはなれないという日本の憲法は、われわれが書いたものだということを理解していないのか」と発言しちゃったのだ。「トランプ氏は学校で習わなかったのだろうか」とまで言っちゃったそうだが、そんなもん学校で習うとは思えない。むしろバイデンさん自身の歴史のお勉強不足をうかがわせる発言になっちゃっている。

 もちろん、現行の日本国憲法の成立にアメリカが大きく関与しているのは事実。実際中学レベルの歴史教科書でもバッチリ書いてある。そのことで「押し付け憲法」と呼んで、そもそも効力を持たないとまで言いだすトンデモ主張もあるのだが、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏した時点で憲法改正は必然だった。どうも日本の指導層はさんざん遅れた末に降参しておいてことの重大さを分かっていないようなところがあり(こうした状況判断の甘さは民族病のようにも思えちゃう)、GHQから憲法改正を要求されて最初に出した案は明治憲法とさして変わらぬ内容だった。だからGHQが頭に来て短時間で例の原案を用意して「押し付け」なければならなかった、というあたりが実態だった。
 そんなわけでバイデンさんが「日本国憲法はわれわれ(アメリカ)が書いた」という発言自体は全否定するようなものではない。だが発言を見るとバイデンさん、日本国憲法に核保有を禁じる条項があると勘違いしてるようなのだな。それは「非核三原則」の話であり、それは日本国憲法に書かれているものではない。中学社会のテスト問題でもよく「ひっかけ」として出るくらいで、誤解してる人は多いのだろうけど。

 「非核三原則」は沖縄返還に際して当時の佐藤栄作内閣が発表したもので、閣議決定されたものではあるが国会で制定した法律ではない。そのためその有効性について若干の問題点がないわけではないが、国際公約として実質的に憲法並みの「しばり」になっている。一方で日本国憲法の第9条では「陸海空軍その他の戦力の不保持」を定めているが「核兵器保有禁止」の明記はないため「自衛のために核兵器を持てる」とする解釈も一部にはある(そもそも自衛隊がその論法で存在している)。といっても日本は核拡散防止条約に調印しているので国際的にも核保有はしないと公約してるので憲法とは無関係に核保有はできないはず。
 バイデンさんの発言は日本国憲法ができたいきさつと9条および非核三原則の存在をうろおぼえの知識でゴチャゴチャに口にしてしまったものと思われるが、副大統領のようにアメリカの政権中核にいる人物が「あの憲法はウチが書いた」と言っちゃうこと自体が異例だと報じられていた。バイデンさんとしてはそれがアメリカの「功績」であり、いいことだったのだという前提で認識していて、それに知らないトランプは…という論法にもっていったんだろうけど、知識面ではどっこいどっこいになってしまうのではないかなぁ。報道によるとバイデンさん、以前にも中国訪問時に「日本は一夜で核兵器を開発できる能力がある」と発言していたといい、もしかするとこの人、実は日本警戒論者なのかもしれないな。だからアメリカが抑え込んでいるんだ、という見解なのかも。


 ところでその日本国憲法第9条だが、幣原喜重郎の提案だとする証拠が出た」との報道もあった。えっ、何をいまさら、というのが見出しを見た僕の第一印象。なにせ僕の日本史イメージの大半の根源になっている小学館版学習漫画「少年少女日本の歴史」(すでに30年以上のロングセラーである!)の中でも、幣原喜重郎がマッカーサーに対して「戦争放棄」条項を憲法に盛り込むことを提案する場面がバッチリ描かれていた。もっとも幣原がそれを提案したのは「あくまで天皇制を守るため」という理由であり、特に戦争の反省ウンヌンの意図はなかったようにも描かれていたけど。幣原は戦前において外相として協調外交を展開、その後の対中強硬路線や対米英戦争には少なくとも乗り気ではなかった政治家であり、だからこそ敗戦直後に首相をつとめた政治家なのだが、天皇制維持の取引材料として「戦争放棄」を持ち出すという描写に、子供ごころにもいささか「ひっかかり」を覚えたものだ。
 この小学館版「日本の歴史」は今なおほぼそのまま売られている(さすがに一部変更・追加はある)ロングセラーで、その考証の厳密さは発売当時から高かった。だからこのシーンも当然根拠となった資料がある。それはマッカーサー本人の自伝の中での記述で、グレゴリー=ペックが主演した映画「マッカーサー」でもそのまんま映像化され、ペック演じるマッカーサーがいたく感動するという描写になっていた。ただ、自伝というやつは本人の記述であるだけにかえって「ウソ」をつくことも多く、例えば有名なマッカーサーと昭和天皇の会見の模様についても自伝の記述には疑問の声も出ている。その伝で、「第9条は幣原の提案」を事実ではないとする研究者もいるにはいたようだ。

 今回報道された「証拠」というのは、やはりマッカーサー本人の記述によるものなのだが、自伝に比べると客観度は高そう。堀尾輝久・東大名誉教授が国会図書館所蔵の史料内から見つけたとのこと。
 現首相の祖父・岸信介も改憲を悲願としていて、国会に憲法調査会を設置、日本国憲法の成立過程自体の再調査を進めていた(この時点から今にいたるまで進歩がまるでないことが分かるな)。その会長をつとめていた元貴族院議員の法学者高柳賢三が1958年にアメリカに渡り、マッカーサーに書簡で「戦争放棄条項の提案は幣原がしたのか、それともマッカーサーがしたのか?」とマッカーサー当人に問いただしていたのだ。その事実自体はすでに確認済みだったが、今回確認されたのはその両者が出した書簡の具体的内容だ。
 高柳の質問に対し、マッカーサーは「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記していた。「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安堵の表情を示され、わたくしを感動させました」ともあり、これまで自伝などで言ってきたことと同じ内容だ。特に新事実が出たわけでもなく、またマッカーサー当人の記述という点では自伝と変わらないので確定したわけでもないのだが、このやりとりを受けて高柳自身が「『九条は、幣原首相の先見の明と英知とステーツマンシップを表徴する不朽の記念塔』といったマ元帥の言葉は正しい」と論文に記しているそうで、立場からすると改憲に傾きそうな人(調べてみると東京裁判で被告側弁護人、その後は自衛権容認の政府見解をまとめた人である)にそこまで書かせたというのは、やはりかなり確信を抱かせるものがあったということではなかろうか。

 ただ、第9条の第一項にある「戦争放棄、武力による威嚇や行使の禁止」といった内容は幣原のオリジナルというわけではない。第一次大戦後に結ばれた「パリ不戦条約」にすでに同様の文言があり、日本はこの条約に加盟していながら最初に戦争に突っ走ったため「懲罰」としてアメリカから押し付けられたとの説も一部にあった。幣原が提案したとしてもその意図は日本の行為を反省して不戦条約の規定自体を憲法に入れてしまおうということだったかもしれない。ただ第二項の「戦力の不保持・交戦権の否認」まで徹底した内容についてまで幣原が提案したのかははっきりしない。今度の発見をした堀尾名誉教授は、マッカーサーが高柳あての書簡に「(第9条は)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したもの」とまで表現していることから、幣原の提案に第二項の内容も含まれていたのでは、と推測しているが、これはまだまだ議論の余地がありそうだ。


 話をバイデン発言に戻すと、日本政府はさすがに公式反応を見せなかったが、ワシントンの日本大使館はNHKの取材に対してコメントを出していた。「大統領選挙における発言の逐一に見解を述べるのは適切でなく、差し控えたい」としつつも、「現行憲法は帝国議会で最終的には十分に審議され、有効に議決されたものだが、占領軍当局の強い影響のもと制定されたものだと考えている」とコメントしたのだ。まぁ多方面に配慮した「模範解答」と言っていいだろう。GHQの原案提出と実質的な嬌声のもとに憲法が制定されたのは事実だが、手続き的には帝国議会において審議はそこそこ時間をかけて行われ、原案も日本側でいくらかはいじっているし、第25条の生存権既定のように日本側で独自に追加した部分もある。一概に「押し付け憲法」などと「自虐的」になる必要もない。
 ただ、日本国憲法の「三大原則」、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重のうち、平和主義以外はアメリカ側から「押し付け」なければ盛り込まれなかった可能性は高い。平和主義も含めて「押し付け」とみなし、その三つすべてを憲法から削除せよと大真面目に演説した現職国会議員(しかも首相に近い人脈)も実在するくらいだし、つい先日の 「貧困女子高生」をめぐる精神的に貧困としか思えないバッシング騒動を見るにつけ、政治家だけでなく国民レベルでも憲法の精神なんてあんまり「身について」いないように思えて怖くなるんだよな。 



◆ウサギ美味しかの山

 誰もが知る「ふるさと」の歌詞。「ウサギ追いしかの山」のくだりを「ウサギが美味しい」と思い込んでいた人は少なくない…とよくネタにされるが、考えてみると「ウサギ追いし」でもそれは食べる目的で追いかけていたという解釈もできるよな。なお、僕は「赤とんぼ」の歌詞「負われて見たのはいつの日か」のくだりを「追われて」と勘違いしていて、今でもこの歌を聞くと警官に追われながら赤とんぼを横目に見るドロボーさんのイメージが脳内に浮かんでしまう。
 ウサギに話を戻すと、僕自身ウサギは食ったことはなく、この歌詞を「おいしい」と勘違いしていた記憶もない。ただ宮城の田舎育ちの僕の父は「子供のころ、肉と言えばウサギ肉だった」とよく言っており、敗戦直後しばらくまではポピュラーなお肉だったようなのだ。そういや白土三平「忍者武芸帳」でウサギを捕まえて毛皮を丸焼きにする様子を詳細に描くシーンがあり、他の白土作品で作者自身にも経験があって毛皮は意外と簡単にとれるものだと解説していた覚えがある。
 近頃ではペット扱いなので、ウサギ肉の話をすると仰天する子供たちが多いのだが、そもそも日本では江戸時代まで肉食そのものがタブー視されていた中でもウサギは例外扱いだった。よく言われるようにウサギは「一羽、二羽」と数えて獣よりも鳥に近い感覚で扱われ、その肉を食べるのも鳥肉を食べる程度にハードルが低かったのだ。むしろ日本人には牛や豚よりずっと古なじみの「お肉」だったりするのである。そうそう、イギリスの話だけどピーター・ラビットのお父さんが畑に入って農家の人にミートパイにされて喰われちゃった、って設定も知る人ぞ知るですね。

 さて、以上が「まくら」で、以下が本題。
 去る8月17日、オンライン科学雑誌「プロスワン」に「古代メキシコの先住民たちは食用としてウサギを飼育していた可能性がある」とする論文が掲載された。主執筆者はカリフォルニア大サンディエゴ校研究員アンドリュー=サマービル氏で、これまで古代メキシコ先住民が動物と深くは関わって来なかったとする通説をくつがえす内容だとのこと。
 古代メキシコと言えば、16世紀にスペインに滅ぼされたアステカ帝国に代表されるように、かなり早い段階で農業がおこり、古代文明が出現していた。だが古代メキシコには馬や牛、ヤギといった、他地域で家畜化されたような大型哺乳類が存在せず、動物の家畜化や肉食には縁がなかったと考えられていた。しかしサマービル氏らの研究チームが古代メキシコの「首都」であったティオティワカンの遺跡を調査したところ、複数の部屋の床から高いレベルの「土壌リン酸」が検出された。化学的なことはよく知らないが、これがあるということはそこで動物を「処理」が行われていた可能性が高いそうで、研究チームはここが「食肉処理場」だったのでは、と推測した。このほか黒曜石の刃物(この地域では金属はまだ知られていなかった)や道具として使われたらしいウサギの足の骨も見つかり、さらには「低い石壁」も確認され、これがウサギの飼育場(つまりウサギなら塀は低くていい)である可能性が高いと見ているとのこと。

 まだ決定的ではないと思うのだが、興味深い話なのは確か。ティオティワカンの遺跡は紀元前2世紀から7世紀ごろまで繁栄していたとされ、最盛期には約23平方キロの面積に12万〜20万もの人口を抱える大都市になっていたと推定されている。それだけの人口を抱えていたとなると農作物以外の食料としてウサギが重宝されていたのかもしれない。ティオティワカンの滅亡が人口の過剰な集中のせい、という説もあるのだが、案外その人口増のためにウサギも食い尽くして滅亡に向かった、とかそんなことはないだろうか。我々日本人も一時違いのウナギを食い尽くしそうな例もあるし。



◆この木何の木気になる木

 つい先日、インドネシア・ジャワ島で「145歳」だという男性が存在すると報じられていた。一応世界の公式認定では現在116歳、ギリギリ19世紀生まれの人が存命の最高齢とされ、過去の例でも確実なところでは122年生きたフランス女性(ゴッホに会ってた、って人ね)が人類最高長寿記録となっているのだが、このインドネシアの人みたいに「実はもっと長寿」だと主張する人はこれまでにも時々現れている。日本の泉重千代さんみたいに記録の間違いか、あるいは単なる思い込みの可能性が高いのだが、この人の「1870年生まれ」が本当なら、哲学者の西田幾多郎や棋士の阪田三吉、タイタニックに乗っていた唯一の日本人で細野晴臣さんの祖父・細野正文なんかが同年生まれだ。
 人間以外の動物を見ると、ウミガメに200年レベルの長寿が多いのは知られているが、つい先日、北極海に生息するニシオンデンザメというサメが400年以上生きているとの報道があった。脊椎動物ではこの辺が限界だろうか。無脊椎動物でもそう変わりはないみたい。

 で、これが植物になるとグンと長寿記録が伸びる。日本の屋久島の「縄文杉」はホントに縄文時代から生きてたのかちと疑問もあって、とりあえず世界最長寿と考えられている植物はアメリカはカリフォルニア州のホワイトマウンテンにある「ブリッスルコーン・パイン」というマツの一種で、5000年以上は生きていると考えられている。
 そこまでの長寿ではないのだが、このたびギリシャ北部、アルバニアとの国境近くのピントス山脈に樹齢1075年のボスニアマツが確認されたとの報道があった。もちろん年輪から割り出したもので、これまでに確認されている生存樹木としてはヨーロッパ州最古のものとなるそうだ。もっともこの山脈にはほかにも樹齢1000年を超えるボスニアマツがあるとのことで、「年上」の木もあるかもしれない。

 「アドーニス」と名付けられている直径1mほどのこのボスニアマツ、樹齢から計算すると西暦940年生まれということになるんだろうか。西暦940年を調べてみると、日本では平将門が戦死し、その反乱が鎮定された年だった。おお、僕の地元ネタの話ではないかとちょっとビックリ。そんな極東の彼方の島でのことなんてアドーニスには無関係なのでこちらではどういう状況だったのかと眺めてみると、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が最盛期といっていい状況にあり、文人皇帝コンスタンティノス7世のもとで「マケドニア朝ルネサンス」とまで呼ばれる文化的にも栄えた時代だったようだ。その後の1000年にわたる歴史をこの木は眺めていた…といえばカッコいいけど、木にしてみりゃそれこそ気にもしてないでしょうな。


 続いて、「猿も木から落ちる」という話。いや、サルではなく猿人も木から落ちた、という話である
 およそ318万年前に現在のエチオピアで生息していた人類の祖先、アファール猿人の化石で「ルーシー」と命名された有名なものがある。全身骨格の約40%が見つかっている人類史研究上貴重な標本で、成人女性(10代後半〜20代?)のものと推定され、1974念の発見時に流行っていたビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にちなんで命名されたなんてのもよく知られた話。
 そのルーシーちゃんの死因について、科学誌「ネイチャー」に注目すべき論文が掲載された。ずばり「ルーシーちゃんは木から落ちて死んだ!」という衝撃的な内容だ。まさに猿も木から落ちる!という話だが、すでに直立二足歩行をしていたルーシーちゃんである。すでに木登りは得意ではなくなっていたことを証明するものになりそうだ。
 今回の論文を発表したのはアメリカ・テキサス大学とエチオピア・アディスアベバ大学などの研究チーム。発見のきっかけはルーシーちゃんの骨をCTスキャンして調べていたところ、右上腕骨にかなり鋭い骨折の痕跡が確認されたことにある。研究チームではこうした骨折は、現代人が高所から落下した際に思わず両手を地面について骨折してしまうときのものと似ていると気付き、腰など他の部分にも対応するような傷を見つけ、さらに現代人の専門医の意見も参照して、ルーシーが12m以上の高さから落下、時速11kmほどの速さ(一部記事で「時速11m」と書いてるのがあったけど、それじゃ落下に一時間以上かかるぞ)、で地面に垂直に落ち、思わず両手を伸ばして倒れ込みそのまま骨折、結局これが死因となったもの、という仮説を立てた。すぐ死んだか、それともある程度移動してから死んだかは分からないが、最後は水に落ちて流され、泥の中に埋まったために骨格の多くが化石化して残った、ということになりそう。思ったより悲惨な死に方だったような…
 もちろん、今回の説には懐疑や異論も出ているし、一つの「面白い仮設」の域は出ないだろう。木から落ちたとすれば彼女は木登りが不得意だったことになるが、もしかして誰かに突き落とされたとしたら…なんて推理小説的展開まで考えちゃうんだよなぁ。「アイスマン」も例もあるしね。



◆気になる?ブルキニ

 気になる木の話題に続いて、気になる水着「ブルキニ」の話へ。
 今年の夏から急に話題となったので今年から登場したものと誤解しがちだが、調べてみるとすでに12年も前の2004年に販売が開始されていた。作ったのはオーストラリア在住のレバノン系女性デザイナー・アヘダ=ザネッティさん(48)で、イスラム教徒の女性が「髪や肌をなるべく露出しないように」というコーランの戒律に従って水泳が楽しめるようにと考案、イスラム女性の一部が身に着ける全身を覆う服「ブルカ」と、やたら露出度の高い「ビキニ」という、いわば両極端の言葉を組み合わせて「ブルキニ」と名付け、商標登録をした。とりあえずオーストラリアにいるイスラム法学者の審査はクリアして「ハラル」を取得しているらしい。

 騒ぎになってからデザインを見たけど、「なんだ、こんなもんか」と拍子抜けしたのが正直なところ。確かに全身、特に頭まで覆っている水着なので目立つと言えば目立つかもしれないが、競泳選手の水着でもこんなのなかったっけ、と思うようなデザインであり、特にイスラムを連想するところはないように感じた。そもそもイスラム教徒で水着を着る人自体がこれまで少なかったんじゃないかなぁ…。日本でもその昔、海水浴が珍しい時期には女性の水着は「西洋寝間着」(要するにパジャマ)と紹介されるほど全身を覆うもので、そのころは欧米でも同様だったはず。「ビキニ」なんて世に出たときはそれこそ核兵器並みの衝撃度で、かなりのちまで欧米の海水浴場でも着用が禁じられていた例が多いそうだ。「ブルキニ」はデザイナーの人も言っていたが、露出こそ少ないがそのおかげでイスラム女性たちに海水浴・水泳の楽しみを与える、明らかに「女性解放」の材料になるものなのだが、どうもそうは考えない人がヨーロッパでも少なからずいるようだ。

 今年の夏になってフランス南部各地のリゾート地をかかえる自治体が、海水浴場での「ブルキニ」着用を相次いで禁止のは、昨年来、とくに今年の夏以降連発しているイスラム教徒によるテロが原因なのは明らかだ。特にフランスの場合、7月14日の革命記念日に観光地ニースで起きたトラック暴走テロの影響がかなり大きいと思われる。あの犯人は確かにイスラム教徒だったけど、直前になって飲酒をやめた(つまりそれまでは飲んでいた)など、むしろイスラム教徒としてはおよそ敬虔ではない人物で、もともと宗教的なこと以外の部分で問題行動が多かったのが、その一種の自殺行為に狂信的味付けがついた、というところのように思えた。しかしこうもあれこれ続くとフランス国内でのイスラム教徒全体への疑念、危険視、蔑視は高まってしまうことも予想はできる。

 各自治体が「ブルキニ」を禁止したのは、「特定の宗教を誇示して治安を乱す」とか、あれこれ建前の理由はつけてるけど、つまるところは「イスラムが目に入って不愉快」という気持ち以外の何物でもないだろう。一応フランスは「政教分離」を厳格にするために学校など公共施設でのイスラム教徒のスカーフ着用を禁止しているのだが、ユダヤ教徒やキリスト教徒対しても宗教的なものの着用を平等に禁じているはず。海水浴場も公共の場ではあるが公的施設のたぐいとは違うはずだし(「ブルカん」については公共の場での着用は禁止されている)、イスラム教徒の身に着ける水着だけをターゲットにするのは明らかに宗教差別だ。この件、フランス人の間でも議論諤々のようだが、ブルキニ擁護の立場からネットに流されていた修道女たちの海水浴姿なんかは確かにブルキニとそう変わりはない。なんでこっちがダメでこっちがアリなんだ?と。「テロが怖い」なんて声もあるらしいが、この水着でどうやって?と。

 さすがにこれはおかしいだろ、と僕も思っていたし、フランス人でも「自由・平等・博愛」の国是はどうした、という声は上がった。さすがに、というべきか、フランスの最高裁にあたる国務院が8月26日にブルキニ禁止措置について「信教と個人の自由という基本的自由を、明確かつ違法に侵害する」と判断、禁止措置の凍結を命じる初めての判決を下した。人権団体からの訴えをうけたものだが、実は下級裁判所では却下されていて、そのあとでの「逆転判決」だというから結構きわどい判断でもある。イスラム団体や国連は当然この判断を歓迎したが、この判決は訴えのきっかけとなったビルヌーブルベというカンヌとニースの間にある町についてのみ適用される限定的なもので、その他の自治体の多くの首長らは国務院の判断に不服を表明して、ブルキニ禁止措置を続行する姿勢とのこと。
 僕が見た報道のニュアンスだと、フランス国外ではブルキニ禁止が批判的に報道されるが国内的にはそうでもないらしい。30もの自治体が禁止に踏み切ったのを見てもフランス社会に相当根深い不寛容気分が広がってるようでもある(もともとそうだった、という話も聞くんだけどね。日本人もふくめた東アジア人も露骨に差別されるケースがあるそうだし)。来年は大統領選挙で下手すると極右「国民戦線」のマリー=ルペンが勝っちゃったりするんじゃないか、と危惧される状況のなかでこうした議論が起こって来ると、ヘンな方向に火がついちゃいかねない。
 とりあえず、ブルキニのデザイナーさんによると、今度の騒動のおかげで知名度が上がり、世界中から注文が着て大いに売り上げが伸びてるという話だけにはホッとしている、


 フランス国務院の判決の翌日、関連ニュースがトルコから入ってきた。この8月27日付で、トルコでは女性警察官に「スカーフ着用」が認められることになったのだ。
 トルコは建国以来の政教分離・世俗主義の国是のもと、イスラム女性の定番であるスカーフの着用は公共の場では禁じられてきた。だが穏健イスラム政党を率いるエルドアン現大統領が政権をとるようになってから徐々に「解禁」が進められ、すでに2013年から軍・警察・司法関係者をのぞく公務員には着用の自由が認められていた。それがこのたび警察官にも解禁が広がったわけだ。別に強制ではないし、着用したい人が着用するんだから、これは「自由化」ということでいいことだと思う。ただはっきりと目立つのはダメ、ということらしく、女性警官がスカーフを着用する場合は帽子の下に、顔が隠れないようにつけること、また制服と同じ色で模様はついていないこと、など条件は厳しくついてるとのこと。 
 トルコと言えばつい7月のクーデター騒ぎの余波がまだ続いていて、それこそ軍・警察・司法関係者を含めた公務員の大量の公職追放が行われ、逮捕された「クーデター関与者」を入れる刑務所スペースがないってんで、大量の囚人を恩赦で釈放するなんてことまで進めている。警官のスカーフの話はそれとは直接関係はしてこないんだろうけど、どうもいろいろあぶなっかしい話がトルコからは聞こえてくるんだよな。
 

2016/9/5の記事

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