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2016年9月25日

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◆今週の記事

◆歴史的な二枚の写真

 「史点」ネタを集めてると、一見全く別の話なのに妙につながりを持つニュース素材が集まることがある。それを利用して本来なら別々の記事にする話題を半ば強引に同じ記事にまとめて書いちゃったりするわけ。本記事もまさにそのパターンで、共通しているのは「歴史的写真」に関係している、という点だ。

 まずはこの写真。1945年8月14日(現地時間)、アメリカ、ニューヨークのタイムズスクエアのど真ん中、日本の降伏を喜ぶ群衆の中で水兵と女性が抱き合ってキスをしている(水兵が無理矢理キスしてるようにも見えるが)、というしばしば歴史本で紹介される有名な写真だ。「V-J Day in Times Square」(タイムズスクエアの対日勝利日)と題されたこの写真は写真家アルフレッド=エイゼンスタットが撮影し、同月に発売された「ライフ」誌に載って有名になったのだが、このキスしてる二人、よっぽど目立っていたのか、他の写真家による別アングルの写真も存在している。
 それでこの二人だが、恋人でもなんでもなく、まさに通りすがりの赤の他人。そんな相手とキスしちゃうくらい「戦勝・終戦」を大喜びしていたというわけなんだけど、この二人がどこの誰かということも後日ちゃんと判明している。水兵はジョージ=メンドンサさん、女性の方は当時21歳だったグレタ=ジマー=フリードマンさんという。このフリードマンさんの方が、去る9月8日に肺炎のため92歳で亡くなったことが世界中で大きく報じられた。

 フリードマンさんは1960年代にエイゼンスタットの写真集が出るまで自分がこんな写真に撮られているとは知らなかったという。当時彼女は歯科助手をつとめていて(それで白衣を着ていた)、日本の降伏の報にわく群衆の行進になんとなく加わって歩いていた。するとそこへツカツカと見知らぬ男性が近づいてきて、あれ?と思ってるうちにこんな写真の状態になってしまった。当人の言うところでは自分からキスした覚えはなく、ホントに一方的なものでビックリしたそうだ。
 一方の水兵のメンドンサさんの方だが、水兵の制服を着ているけどこの日は休みで、恋人とデート中だった。一緒に映画を見ていたら外が騒がしいので何だろうと出てみたら日本降伏とのことで、お祭り気分で喜んでるうちにいきなり目の前にいた白衣の女性に抱き付いてキスしちゃった。どうも白衣を着ていたので軍属の看護婦と勘違いしたらしいのだが、そうだとしてもいきなりこんなことをしていいもんでもあるまい。なお、デート中だった恋人もすぐそばにいてこの光景を目の当たりしていて、実はこの写真でも後方に映っているのだという。この彼氏の行動に彼女がどう思ったかは定かではないが、この二人はその後めでたく結婚している。
 ネットで調べたら2009年のイベントでこの「キス写真」の二人はゲストとして同席している写真があったので、少なくともその時に再会はしている。このたびフリードマンさんが長命の末に亡くなったわけだが、メンドンサさんについては亡くなったとの話が見つからなかったのでまだ存命ということらしい。第二次大戦時に20代の人ももう90代だから、直接体験談を聞けるのももはやギリギリという時代である。

 さて、もう一枚は第二次世界大戦後にも多く起こった戦争の中でも有名なものの一つ、「ベトナム戦争」に関する写真だ。ベトナム戦争も数多くの有名写真があるが、これは特に子供が戦争の被害者になっていることを生々しく示した写真として名高い。
 タイトルはずばり「戦争の恐怖」で、ベトナム人カメラマン、ニック=ウト=コ=フィン氏が1972年に撮影したもので、ピュリツァー賞を受賞した「名作」である。アメリカ軍のナパーム弾攻撃を受けて村を焼かれ、逃げてくる子供たちを写しており、特に中央付近に写っている、焼かれた服を脱ぎ捨てて全裸で哭きながら走る少女が印象的なため「ナパーム弾の少女」の別名でも広く知られ、世界でのベトナム反戦運動の盛り上がりに大きく寄与したとも言われる。

 で、この有名な写真がフェイスブックにより「児童ポルノ」認定されて削除の嵐を受けるという騒動が先日ノルウェーで起こった。きっかけはノルウェー最大紙の記者トム=エーゲラン氏が自身のフェイスブックで戦争写真の話題に触れるうち、この写真を載せたことだった。するとフェイスブックは直後にその投稿自体を「コミュニティ規定違反」として削除してしまう。反発した人々がそれぞれのフェイスブックでこの写真を転載したが、いずれもまたたくまにフェイスブック側から削除をくらってしまった。抗議行動を呼びかけたアカウントが一時使用停止にされたりもしたという。そしてその騒ぎを知ったエルナ=ソルベグル首相が自身のフェイスブックで写真を掲載したところ、数時間のうちに削除を喰らってしまったのである。
 どういうふうにフェイスブック側がチェックしてるのか分からないのだが、どうも人の目で見てチェックしてるんじゃなくて機械的な画像チェックをやって「児童ポルノ」認定をしてるような気もする。あるいは幼児の裸が写っているような有名な写真についてはあらかじめデータベース化でもしてるのか(画像検索で使われるハッシュ値がどうのという話も見かけた)。とにかく素早い反応であり、反発の声についても当初はまったく耳を貸そうもしなかった。
 このあとソルベグル首相がこの写真の少女の部分を黒塗りにし、さらにベトナム戦争において米兵が路上でベトナム人を射殺する瞬間の有名な写真や、天安門事件の時に戦車の隊列の前に立ちはだかる男性の写真などをいずれも核心部分を黒塗りして掲載、「歴史的写真」をこのように抹殺していいのか、という問いかけを行った。騒ぎが世界的に広がる中でフェイスブック側は態度を急変させ、謝罪・削除の撤回を表明することになる。

 騒ぎを報道で知って僕もひどい対応だなぁと思ったものだが、あとから事情を知って考えるとフェイスブック側が当初言っていた「国によっては児童ポルノ扱いになる。そうでないものとの線引きは困難」という説明にも一理はあるなと思った。つまりこの写真についてはあまりにも有名だから「歴史的価値」を誰もが認めてくれるが、有名ではなく児童の裸が写っているというだけで本来ポルノでもなんでもない写真(その中には「歴史的価値」を有するものがあるかもしれない)というのは山ほどある。何を「ポルノ」と感じるかは結局人それぞれで、フェイスブックのように大多数を相手に運営しているネット企業としては判断は面倒くさいから一律に「児童の裸が写っていたらダメ」という「コミュニティ規定」を作って機械的に運用せざるをえない、ということなんだと思う。発端となった新聞社が「歴史的価値をアルゴリズムで決めるのか」とフェイスブックの「機械的検閲」に怒っていて、それももっともと思いつつ、フェイスブックの方も一律で機械的な扱いをすることで面倒なことになるのを回避したい、と考えたのだろう。今回の場合それがかえって面倒なことになったからさっさと撤回したわけで。
 だけどそもそもの「歴史的価値の有無」の判定というのが厄介。今は価値が認められなくても将来大きな歴史的価値をもつ可能性があるものだってたくさんある。「児童ポルノ」というのもえらく曖昧な概念でむやみに拡大する危険性を持っているんだけど(だいたい大昔は上のキス写真ですらポルノ扱いする国はあったからね)、一方で「歴史的価値」を根拠に対抗するのもあぶなっかしいものだなぁ、と思った騒動だった。



◆このバチカンが!

 もともと「宗教」なんだからそこにツッコんでも、とも思うんだけど、キリスト教カトリックという世界最大の信者を抱える宗派は妙に非合理的というか、俗っぽい神秘性を抱えている。カトリックの総本山、バチカンの法王庁もこのところ何かと「近代化」を進め、他宗教・宗派との若いや古い解釈の現代的変更といったニュースもよく聞くのだけど、相変わらず中世以前を思わせる話も聞こえてくる。

 9月4日、バチカンでは「コルカタの聖女」と呼ばれ、ノーベル平和賞受賞者としても知られるマザー・テレサの「列聖式」が執り行われた。これで彼女はカトリック教会で最高の崇拝の対象となる「聖人」となったのである。
 マザー・テレサ(1910-1997)はマケドニア生まれで、インドのコルカタで布教活動のかたわら貧民の救済活動にとりくみ、その功績を認められてノーベル平和賞を受賞、生きているうちから「貧民街の聖女」「コルカタの聖女」などと崇拝対象になっていた女性だ。まぁ確かにえらい人なのだろうが、平和賞受賞者にはつきものの批判も少なからず存在する。彼女の立場から言えば当然だが基本的にはカトリックの布教活動の一環としての貧者救済であって、インド側からすると押しつけがましい、植民地主義的という声もあった。また貧しい人の救済には熱心だが貧困そのものの解消に取り組んだわけでもなく単なる「ほどこし」にとどまっていたとの批判や、独裁的と批判された政治家などとのつながりもあったという面もある。当人は聖女扱いされることを嫌っていたようでもあり、彼女の死後に作られた伝記映画を僕も鑑賞したことがあるが、制作者の意図したものかどうか分からないが鑑賞後の印象は「偏屈なばあさん」というのが正直なところだった。
 
 それはともかく、世界的に「人気」があったのは確かで、バチカンも異例のスピードで彼女を「福者」認定し、さらに今回の「聖人」認定まで進んでしまった。バチカンとしても「商売」上、彼女の人気を利用したいという思惑があるのは明らかだ。「聖人」を決定するバチカンの聖職者たちだって所詮は人間ですからねぇ。
 さて「聖人」ともなると、生きているうちにやったことがどんなにエライことであろうと認定には関係ない。崇拝の対象となる「聖者」だけに、むしろ本人の死後に起こった超自然現象、つまりは「奇跡」が起こっている必要がある。この辺、日本をはじめ東アジアで実在人物が死後に神様として祭られるケースに似ているようだ。天神様こと菅原道真だって学問ができたからじゃなくて死後に紫宸殿に落雷したから神様扱いされたんだもんね。
 「聖人」認定のためには、本人の死後に「奇跡」が最低二つは起きている必要があるのだそうな。うち一つは2003年に早くも認定されていて、それはマザー・テレサの一周忌の翌日、ガンにかかったインド人女性がテレサの写真の前で祈ったところ、写真が光り輝くような感覚があり、気がついたらガンが消滅していた、というもの。えー、そんなんで「奇跡」認定しちゃうの、と思うところだが、バチカンは大真面目に認定した。そしてもう一つの奇跡というのが、2008年にブラジルでもう助かる見込みはないと言われていた脳腫瘍の男性が手術中、その家族がマザー・テレサに祈ったところ、これまた「奇跡的」に腫瘍が治ってしまった、という、聞くからにうさんくさい話(汗)。それなら世界中のガン患者はマザー・テレサに祈りゃ全員全快じゃないか、とツッコんでしまうところだが、とにかくこの二つを彼女の「奇跡」とバチカンは認定して列聖をしちゃったわけですね。


 もう一つバチカンがらみの話題。
 カトリックのイタリア・っローマ教区の司祭ガブリエル=アモルトなる人物が91歳で亡くなったことが9月18日に奉じられた。全然知らん人の訃報ながら、記事で驚かされたのは、この人、バチカン公認の「悪魔祓い師」、いわゆる「エクソシスト」の大物だったのである!「エクソシスト」といえば超有名なホラー映画があり、怖いものが苦手なので未見である僕ですらその有名シーンは知っているくらいだが、この映画のおかげで「エクソシスト」といえば人間にとりついた悪魔を「祓う」人のことだと知った人は世界中で多いはず。しかしそのエクソシストがちゃんとバチカン公認で存在していたことには驚かされた。
 僕が初めて知ったというだけの話で、もともとカトリックには公認の「エクソシスト」が存在していた。アモルト氏も1954年に司祭に叙されてからすぐに、「エクソシストの第一人者」として知られたバチカンの主任エクソシスト・カンディド=アマンティーニ氏の助手的立場となり、1990年にアマンティーノ氏の後任の主任エクソシストになるという経歴をたどっている。アモルト氏は2000年に引退するまでの10年の間に「国際エクソシスト協会」を設立してその会長となるという「功績」もあげていて、現在この「国際エクソシスト協会」には世界30カ国以上にいる250名のエクソシストが所属しているのだそうな。この「国際エクソシスト協会」は2014年なんてかなり最近になってバチカンの公認を受けていて、それも恐らくはアモルト氏の存在が大きく影響したのだろう。

 アモルト氏は2013年のフランスの出版社の取材に対して、これまでに「16万件」もの悪魔祓いをしたと話していたらしい。いくらなんでも多すぎる数字と思うのだが、人にとりついた悪魔を追い出すのではない、簡単な祈祷の儀式も含めてのことであるらしい(法然が一日七万べん念仏すると言ってたのを思い出すな)。自伝も出してるそうだが、悪魔祓いだのエクソシストだのといった話が21世紀の今日でもまだまだ普通にあるということのようで。まぁ日本でも「狐憑き」なんてのがあるし、エジプトでの悪魔祓い師の取材をテレビで見たこともあるので、人間という動物は精神的にどっか配線が狂って「とりつかれた」感じになることはあるのだろう。そしてそれに対して一種の「精神的ケア」をすることが悪魔祓いということなのかも。
 そうそう、このアモルトさん、「ハリー・ポッター」については「子供たちに黒魔術を信じさせてしまう」と批判的だったとのこと。



◆放言暴言大統領

 「フィリピンのトランプ」と言われてるうちに先に実際に大統領になってしまい、大統領になってからも暴言・放言を連発して話題になってるフィリピンのロドリゴ=ドゥテルテ大統領。その勢いはおさまるどころかエスカレートの気配もあり、現実路線なのか抑制的になったトランプ氏のほうが小者になって「アメリカのドゥテルテ」になりそうなほどである(笑)。

 ドゥテルテさんの放言ぶりは今に始まったことではなく市長時代かあ名物になっていたから、フィリピン国民にとってはとうに周知のことなのだろうが、さすがにアメリカのオバマ大統領をタガログ語版の「サノバビッチ」呼ばわりしたのは大問題になってしまった。現在中国の南シナ海支配に対抗するためアメリカとフィリピンは強い連携を模索しなければならないところなのだが、この一言でアメリカ側はさすがにキレて予定されていた首脳会談をキャンセルした。これを機にドゥテルテさんを少し懲らしめて抑制させようという意図も感じる。
 さすがに首脳会談キャンセルはこたえたのか、ドゥテルテさん、直後に発言を「後悔」しているとはしたものの撤回謝罪はしなかった。そしてサミットの会合の席でもオバマ大統領ら各国首脳に対して、アメリカの植民地にされていた時代にアメリカ兵に殺害されたフィリピン人の写真を見せ、「これが我が祖先の写真だ」と発言、スペイン、アメリカ、日本(太平洋戦争時の占領)と続いたフィリピンの虐げられ続けた歴史を訴える「不規則発言」も行っている。フィリピン外務省の役人たちは南シナ海問題で中国の姿勢を抑え込もうという趣旨の文言を用意していたというから、明白にドゥテルテ大統領個人の「暴走」なのだ。

 で、なんでこの人がこんなにエキサイトしているかと言えば、大統領就任直後から強硬に進めているフィリピン国内での麻薬組織撲滅作戦が、逮捕や裁判といった手続きなしにその場で大量に射殺したり、警察官ではない民間人らに「自警団」を組織させ超法規的に殺害を認める(関東大震災の例をどうしても思い出しちゃうよな)といったやり口が、「人権無視」と批判されているからだ。しかしドゥテルテ大統領は市長時代以来の自分のやり方に絶対の自信を持っており、外部から「人権」でウンヌン言われると猛烈に怒る。国連の潘基文事務総長を愚か者呼ばわりし、「国連を脱退して中国らと別組織を作る」とまで発言してフィリピン政府関係者を慌てさせてもいる。
 ここで「中国」が出てくるのは、中国もまた人権問題で外部からあれこれ言われるとエキサイトする国だからで、ドゥテルテさん自身は特に中国寄りというわけでもない。華人の血は入っているし、そのため中国語もヒアリングだけならできる人ではあるそうだが、南シナ海問題では中国に対しても罵倒文句を使ったことがある。ただ中国側からは前任者のアキノ大統領よりは相手にしやすいと思われてるようで、ドゥテルテさん自身も海の問題では譲らずとも中国から経済的援助を引き出そうとしてるんじゃないかとの見方も出ている。

 ドゥテルテ大統領が過去の植民地支配の歴史を示す写真をふりかざしたのは、「人権、人権」と騒ぐアメリカなどに対して「そういうお前らは過去に何をやったんだ」とツッコんでいるわけで、これはそれなりに一理あるとは思う(日本が捕鯨問題で欧米に言われると過去の歴史を持ち出したくなるのと通じる)。この論法は中国も使っていて、「人権のことを言うならアヘン戦争の時までさかのぼって言ってくれないか」と誰か政府高官が口にしていたことがある。
 ドゥテルテさんの物言いには感心はしないが、過去の歴史を振り返れば一理はあり、おそらくフィリピン国民の間にもかなり同じ気分があるのだろう。実際ドゥテルテさんは今のところ支持率90%前後を保っており、むしろ大統領になって暴言が話題になってから上昇してる気配もある。フィリピンがらみの歴史映画を何本か見たことがあるが、マゼランを殺したラプラプは国民的英雄として何度か映画化されてるし、スペインに対する独立運動、アメリカに対する独立運動の映画も当然あって、かなり強烈な民族意識が滲み出ていた。ついでに言えば先日、日本映画の「野火」(市川崑版)を見たんだけど、太平洋戦争時には日本軍にひどい目にあっていて、劇中ではアメリカ兵よりもフィリピン人の方が日本兵に憎悪を示すくだりがある。BC戦犯裁判でもフィリピンでの裁判がもっとも過酷だったという本を読んだことがあったが、そういや映画「大日本帝国」にもそんなくだりがあった。そうやってあれこれ自分の知ってる範囲で思い返しても、今度のドゥテルテさんの発言は言い方はともかくとして「一理」は少なくともあると思った次第だ。
 
 やり方については僕も批判的ではあるが、麻薬・犯罪組織による治安の悪さはフィリピンが現実に抱えている深刻な問題で、ドゥテルテさんは市長時代にその強硬策で一定の成果を挙げた実績もあり、国民が期待するところは確かにあるのだろう(まぁ日本でも暴言や強硬姿勢で人気を得る政治家の例はあるけどね)。また一方で強硬一辺倒というわけでもなく、ミンダナオ島のイスラム武装勢力や、共産党勢力との和解・共存を実現した手腕もあって、中国とのやり取りなんか見ていても実は結構やり手、したたかな政治家であるのかもしれない。
 ただ、フィリピンに駐留するアメリカ軍部隊に「出て行け」とまで言い出すのはどうなのかなぁ。フィリピンには反米的な志向も確かにあって一度はアメリカ軍を全部撤収させたこともあったのだが、その途端に中国の南シナ海進出が強まったという例もある。アメリカ軍部隊が駐留する一つの根拠であった南部のイスラム勢力との和解が成立したから、ということもあるんだろうけど、本気で「出て行け」と思ってるんだとすると本当に「したたか」なのか疑問も感じてくる。
 来月にもドゥテルテさん、日本を訪問するそうだが、何かまた変なこと言い出したりしないだろうか…と書きつつ、実はちょっと期待していたりして(笑)。



◆こちら40年無欠勤の警官

 あの「こち亀」が終わる!…という衝撃的なニュースを僕が知ったのは9月3日の仕事帰りの最中だった。その報道はスマホで知ったのだが、ネット上の声をチラッと眺めてみると「ネタだろ」という反応もみられた。知る人ぞ知る、「こち亀」は以前「ウソ最終回」を掲載したことがあり、つい先日発売された40周年記念の「こち亀」作品集にもこの問題作が収録されていて思い出していた人も多かったのだ。しかし作者の秋本治氏および少年ジャンプ編集部から公式にコメントが出て一般メディアでも報じられたことで連載収量が事実であることが確認された。
 9月17日発売の少年ジャンプで最終回を掲載、同日にジャスト200巻となった単行本を発売するとの発表があり、「終盤の雑誌掲載分は単行本に収録しないのか?」とまで思わせたが、発売されてみれば単行本には連載最終回までがしっかりと収録されていた。しかも雑誌掲載とオチが異なるというサプライズつき。雑誌掲載版はそれなりに最終回らしさもあったが、単行本収録版は単なる通過点に見えるような、そんな終わり方だった。あくまで週刊連載が終わったということであって、今後も形を変えて続けようと思えば続けられる、そんな印象も受けた。
 思えば190巻を過ぎたあたりから単行本一冊あたりの収録話数が増えていて、これは200巻でピタッと終わらせようという計画が2、3年前から進んでいたことをうかがわせる。200巻で終わらせることについては作者の秋本さんは今年に入ってから迷った末に決断、とコメントしていたが、200巻で何らかの区切りをすることは数ね前から編集部も含めて決めていたんだと思う。それでも僕も含めて読者で「終わるんじゃないか」と疑った人はほとんどいなかったんじゃないだろうか。それくらい「あるのが当たり前」な存在になってしまっていたわけだ。

 「こち亀」の連載が開始されたのは1976年9月。今回この第一回が最終回を載せた号に「復刻」されたので見た人も多いと思うが、実はこれが作者の新人賞受賞作、デビュー作なのだった(読み切りとして6月に掲載)。それがいきなり連載になってるというのも凄いが、当時のジャンプは80年代以降と違ってまだまだ弱小勢力のタレント不足で新人をバシバシ採用しなければならない事情もあった。当時の少年漫画界は「少年チャンピオ」が「ブラック・ジャック」「ドカベン」「マカロニほうれん荘」「がきデカ」といったラインナップでトップを突っ走っていた時期で、「こち亀」も当初は「がきデカ」を意識した警官ギャグとして構想された(第一巻で祭りの射的の景品にアトムや鉄人28号と共に「こまわり君」が描かれている))。なにせ知る人ぞ知るだが、作者の秋本治は連載一年ほどは「がきデカ」作者の山上たつひこをもじった「山止たつひこ」のペンネームを名乗っていたくらい(単行本でも古い版では「山止」名義のものがあり、巻末の芸能人コメントでも「ミスター・ヤマドメ」と呼ばれている)。さすがに山上サイドから抗議があったしくペンネーム変更となったのだが、両者ともに当初はギャグではなくシリアスなストーリー漫画を志向していたという共通点がある。こうして連載開始時点の話をするだけでも、それが漫画史の1ページになっちゃってるんだよな。

 連載が開始された1976年は田中角栄元首相が「ロッキード事件」で逮捕された年であり(だから今年は角栄ブームやらロッキード事件検証企画やらが乱立している)、年末にはその角栄逮捕を推進した三木武夫首相がいわゆる「三木おろし」により退陣に追い込まれて福田赳夫政権が成立する。「こち亀」の第2巻に収録されている一話で「今の首相は三木だぞ」というセリフもあり、執筆時期は三木内閣の末期のことと思われる。
 「こち亀」連載開始直前にはソ連の戦闘機ミグ25が函館に飛来、パイロットが亡命を求める「ベレンコ中尉亡命事件」が起こっていて、その縁なのか、のちに「こち亀」でもこの事件をヒントにしたと思われる、ソ連の戦闘機が派出所前にいきなり着陸してくる話が描かれている。

 僕自身はといえば、ジャンプを一番読んでいたのは1980年代後半で、「こち亀」もそのころの印象がまずあるのだが、なにせ40年もやってる作品、まったく変わらないように見えて実は時期ごとに変遷のある作品で、「こち亀」という一作品を大勢で語ると世代差が浮かび上がってしまう。今度の連載終了で多くのマスコミが「こち亀」をとりあげ、「下町を舞台にした人情味ある警官の話」と紹介しちゃうのが目についたのだが、確かにその要素はあるものの、80年代ごろ僕が一番大受けした話は「地獄に落とされた両さんが地獄で閻魔大王相手に大暴れ」というとんでもない話で、天国のテレビニュースで「地獄で革命が起こり、閻魔大王の政権が倒れました!」と報じるコマに大爆笑したものだ(今にして思うとフィリピンの革命が影響してたかも)。ロボット警官が普通に出入りしていた時期もあったし、かなり現実離れした話がこの時期多かったような記憶がある。その後しばらく読まなくなっていたのだが、最近になって全巻通読してみたら100巻以降は女性キャラが大量に投入され「萌え」要素も結構強かったり、IT革命の流れと呼応して「もしかすると実現しそうな最先端技術ばなし」も目につくようになっていた。年代的に矛盾が生じるんだけど、「両さんの少年時代はなし」として昭和30年代ごろの懐かし話が不定期に描かれていたのも90年代以降じゃなかったかな。あと、いろんな分野での「ウンチク」が語られるのは初期からあって、僕自身かなりの豆知識・雑学を「こち亀」で覚えたような気もする。

 しかしまぁ、40年間の週刊連載でまったく休載なしというのが凄い。しかもほぼ毎回一話完結(一部話が続くものもあるが、基本的には毎回オチがつく)で、短命で終わりやすいと言われるギャグマンガというジャンル、それを延々続けたのだからなお凄い。さらにいえば人気がなければどんな大物作家であろうと打ち切りにしてしまうという業界一シビアな少年ジャンプでずっと生き残り続けたというのも見逃せない。人気上位には必ずしもならなかったらしいが下位にも落ちず、いつも安定して雑誌の真ん中あたりに載っている、という存在だった80年代ごろのジャンプしか知らないと言ってもいい僕などには、たまにジャンプを手に取ると「こち亀」の載るページが憩いの場のように思えたものだ(笑)。その意味でも連載終了は寂しいといえば寂しい。

 まさかと思っていた「こち亀」が終わったことで、長期連載を休まず続けている現役ランナーはさいとう・たかを「ゴルゴ13」ということになる。1968年に連載開始、掲載誌「ビッグコミック」が月二回発売なので単行本巻数では181巻と「こち亀」に及んでいないが、もう数年頑張ると抜いてしまう勢いではある。
 ぶっつつけの連載ではないし、タイトルの変更もあるので単純比較しにくいのだが、水島新司の野球漫画「ドカベン」も現役の長期マンガとして挙げておかねばならない。こちらは1972年に連載開始、1981年にいったん終わるが、その後続編の「大甲子園」、さらに「プロ野球編」「スーパースターズ編」と続き、現在「最終章」と銘打たれた「ドリームトーナメント編」が連載中。こちらも連載中は休みがいっさいなかった皆勤のはずで、単行本の冊数は48+26+52+45+23(現時点)の通算194巻と、実は「こち亀」に肉薄しつつある。水島新司といえば「あぶさん」も1973年から連載開始、40年続けて2014年に唐突に完結しているが、同じ掲載誌にはジョージ秋山「浮浪雲」(1973〜)西岸良平「三丁目の夕日」(1974〜)やまさき十三北見けんいち「釣りバカ日誌」(1979〜)と、70年代以来の長寿作品がそろっている。

 長期執筆漫画といえば聖悠紀「超人ロック」も忘れちゃいけない。人類が銀河に広がった未来世界を舞台に、永遠に生きるエスパーを主役にした未来史大河漫画だが、最初の作品は1967年に同人誌に描かれたものだから、実は「ゴルゴ13」より一年登場が早い。商業誌進出が1977年と「こち亀」より一年遅れるのだが、掲載誌の廃刊・休刊を乗り越えて今なお続いているという、「こち亀」とは違った意味で漫画界の奇跡と言える作品。こちらは今のところ単行本は通算110巻(同人誌時代含む)になるみたい。

 掲載誌が月刊なので巻数はそう多くないものの、実は「こち亀」と同じ年に連載開始してるのが美内すずえ「ガラスの仮面」。まだ終わってない、というよりちゃんと終わるのか心配な作品の代表である。細川智栄子あんど芙〜みん「王家の紋章」も同じ1976年から続く長期執筆なんだけど僕は未読なんでなんとも言えない。
 終われるのか心配といえば、ちゃんと今も毎回連載してる作品だけど、みなもと太郎「風雲児たち」も1979年に連載開始の長期作品。もともと幕末を描く歴史漫画の企画だったはずが幕末に行かないうちに1997年にいったん終了、その後いろいろあって「幕末編」が2001年から始まり、現在ようやく桜田門外の変も過ぎてやっと幕末動乱そのものを描くところまで来ている。作者としては目標は「紀尾井坂の変」であるそうなのだが何年かかることやら。

 いろいろ挙げたが、僕が一番「完結をみたい」と思っているのは白土三平「カムイ伝」なんだよなぁ。こちらは1964年の連載開始、1971年に第一部完結となり、「カムイ外伝」をはさんで1988年から「カムイ伝第二部」が開始され2000年で連載中断(「カムイ伝全集」版で一応第二部は曲がりなりにも完結させた)。白土三平が当初言ってた構想では第三部で完結することになっていて、2009年に「カムイ外伝」実写映画が公開された際に「外伝」の読み切りが発表されて以後動きがないのだが、何らかの形での発表を今もかすかに期待している。
 もっとも手塚治虫「火の鳥」石ノ森章太郎「サイボーグ009」など、漫画家のライフワーク作品って未完になっちゃう例が多いからなぁ。それを思うと「こち亀」の40年無欠勤の200巻でいきなりピタッと計画的に連載終了、ってのは改めて凄いと思っちゃうのだ。「こち亀」をひとまず終えた秋本先生、ただちに4本もの新作によりかかるとのことでそのエネルギーにも頭が下がる。


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