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2016年12月23日

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◆今週の記事
※またまた、諸事情により一か月以上更新が止まりました。そのためネタが古いのが多くなってますが、ご容赦ください。


◆トランプが来る!

 「トランプが来る!」という遊びがアメリカのい若者たちの間で流行しているそうな。学校やパーティー会場など人が集まっているところで誰かが「トランプが来る!」と叫ぶ。するとみんながワーッと一斉に逃げ出す、という、鬼ごっこみたいなものらしいが、とうとう次期大統領になってしまったトランプさん、ある人々にとっては「鬼」みたいなもんなんだろう。選挙中の、あの吼えまくる顔は「赤鬼」を連想させるところは確かにある。あれにこれから四年間つきあわされるのか…と思っただけでゲンナリしてしまう。

 「トランプ当選」の衝撃の日からはや一か月以上が過ぎている。これだけ過ぎるとだいぶ世界も落ち着いてきた、というか、現実として受け止めるようになったというか…。
 一年前、すでに暴言連発のキワモノ泡沫候補と見られていたトランプさんだが、あれよあれよいううちに共和党の本命候補を押さえて共和党の正式候補になり(このとき公約どおり自分のコラム記事を食べたコラムニストがいたっけ)、民主党のヒラリー=クリントンとの一騎打ちでは一時差が開いたものの、終盤に来て接戦となり、TV討論で敗れたとか、過去のセクハラ発言で共和党重鎮からも総スカンで、こりゃさすがに…と思っていたが、フタを開けてみたら大半のメディアの予想を裏切り次期大統領に当選しちまったのである。

 開票の日、日本時間では11月9日の水曜日、僕は自宅にいて開票速報のほぼ一部始終を見守っていた。昼ぐらいまでは「なんだかんだでヒラリーが勝つんだろ」と思いながら眺めていたのだが(僕が見ていたNHK衛星の速報番組、そこで映されるABCのスタジオも完全にその空気だった)、午後に入って「激選州」と呼ばれていた州を立て続けにトランプが落とし、「まさか」と思っているうちに午後3時か4時には「トランプ当確」が出てしまった。ABCのスタジオのキャスターたちも唖然としているのが良く分かった。
 雰囲気としては、先ごろ行われたイギリスの「EU離脱」をめぐる国民投票の時によく似ていた。あれも直前まで大接戦で、それすら「まさか」だったのだが、投票直前になって離脱反対派の女性議員が離脱派に殺害されるという事件も起きて、若干離脱反対派が上回るのではというのが直前の予想だった。しかしフタを開けてみれば都会部とスコットランド以外は離脱派が多数を占め、離脱派自身も驚いた「離脱決定」に至ってしまった。あの時の開票速報もリアルタイムで見ていて、つくづくよく似ているな、と思いつつかなりイyな気分になった。あの時、トランプ氏はイギリスのEU離脱に大喜びしていたものだが、その勢いが結果的にはアメリカにも波及してしまった形だ。結果が出た直後に若者や移民を中心とした抗議デモが起きた点もよく似てるし、スコットランドにそんな話が出たようにカリフォルニア州だけ独立するか、なんて話も持ち上がっている。

 今回の大統領選挙は、大半のメディアが予測を見誤った。これほどの番狂わせはトルーマンの再選以来とも言われている。総得票数ではクリントン側が290万票は勝っていたとか、史上最高得票の敗戦候補との話もあって、全体としての予測はそう間違ってもいない。総得票数で負けながら選挙人数で勝ったという前例は2000年にブッシュゴアの選挙にあった。あの時はフロリダ州の一部の郡で票の数え直し騒動が起きていたが、今回も激戦州の一部で電子投票と手書き投票に不審な差があるとかで再集計を求める動きも出ていた。その件と合わせて、結果的にクリントン陣営に痛打となった「私用メール問題」のきっかけがロシアによるハッキングtの話も出てきて、オバマ大統領までが盛んにロシアを攻撃してもいる。それだけで選挙結果全体に影響するとは思ないのだが、トランプさん、どういうわけかプーチン好きらしいので、ロシア側が何らかの手を出した可能性自体はありえる気がする。

 今回の選挙でトランプを勝たせたのは、五大湖周辺のさびれた工業地域、これまで民主党の地盤だったところの票がかなりトランプに流れてしまったのでは、との分析がある。トランプが主張する反グローバリズム、保護主義の政策が一部に支持を受けた…という分析は、イギリスのケースでも言われていた。さらには単純に現状になんとなく不満を持っている層が、過激な発言をする目立つ人物に「何か変えてくれそう」というノリで投票しちゃった、という見方もある。前にも書いてることだけど、我が国の都知事だの府知事だのは近年そんなノリの人物が圧倒的人気で選ばれたりしていたんだから、理解できないことではあるまい。僕も含めて日本人の大半は知らなかったが、トランプ氏はだいぶ前からTVによく顔を出していた有名人で、これもまた都知事や府知事の例によく似てると思う。

 大統領に決まってしまったことでトランプ氏が少し言動がおとなしくなった、と期待する向きもあるんだけど、選挙中にあれだけひどいことを口にしていた人間を信用しない方がいいと僕は思う。実際彼の側近にはアメリカ版のネトウヨサイトの主催者がいたり、他にも白人至上主義者とかKKKに肯定的な発言をした過去がある人物もいる。KKKといえば、トランプ当選直後にそれを祝福するパレードをKKKがやったとか、トランプを支持するネトウヨ(オルタナ右翼)たちが「ハイル・トランプ!」とブチあげるなど、トランプ本人がどう考えてるかはともかくとして不気味な反応が起こっている。全米各地でマイノリティ、イスラム教徒に対するヘイト犯罪が急増しているとの報道もあり、この結果に調子に乗っちゃう連中が出ているのは確かだ。
 調子に乗ると言えばヨーロッパでも呼応する動きがあった。来年に大統領選を控えるフランスでは極右政党「国民戦線」のマリー=ルペン党首がトランプ当選を歓迎し、自身が大統領になったらEU離脱の国民投票を実施すると息巻いている。彼女が大統領になる可能性は決して低くはなく、国民投票でもした日には勢いで離脱が決まっちゃう可能性があり、そこまできたらまさしくEU崩壊が現実のものとなりそう。他に見かけたところでは先日移民受け入れ拒絶の国民投票を実施したハンガリーのオルバン首相もトランプ当選を歓迎していた。ドイツ・フランスの首脳はトランプ当選に祝福メッセージを出しつつも「釘をさす」表現を盛り込んでいたのはかなりの危機感があることを感じさせた。その後、オーストリアの大統領選挙の決選投票で極右候補がかろうじて落選するという一幕もあったが、その後も各地で続くテロの影響もあってEU諸国の極右伸長、反EU傾向は来年の大きな注目点となりそうだ。

 一方、以前からなぜかトランプ氏とお互いを評価しあっていたのがロシアのプーチン大統領。クリミア半島の併合以来、「新冷戦」と言われるほどの状態が続いている米露だが、これで関係改善かも、との見方もある。ロシアといろいろややこしくなっているシリア内戦でもトランプ政権は融和的な態度をとるんじゃないかという見方もあるみたい。また中国については貿易面でアメリカに不利な操作をしていると攻撃する発言が目立ち、台湾の蔡英文総統と異例の電話会談を行い、これまでアメリカが堅持してきた「一つの中国」姿勢についても見直しをちらつかせるなど、どうやら対中強硬姿勢でいくつもりらしい。先ごろフィデル=カストロが死去したばかりのキューバについても、オバマ政権が進めた和解の流れをひっくり返すかもしれない気配だ。この調子でいくとイランなんかについてもまた強硬姿勢になるんじゃなかろうか。

 さて日本政府はというと…まずトランプ勝利は完全に予想外だったみたい。そりゃまぁ可能性自体は考えていたろうけど、選挙中にヒラリーさんにわざわざ安倍さんが会いに行ったところをみるとその可能性をかなり低く見ていたと思う。政権に近い読売新聞がヒラリー当選を見込んで選挙直後に「ヒラリー新政権」という本を出そうと準備していて慌てて中止にしたりしていたのもその表れだと思う。まぁ、みんな「まさか」とは思ったけどね。
 失点を埋め合わせようということなのか、安倍さんはトランプ氏に最初に対面した外国首脳となった。両者で何が話し合われたかは分からないが、とりあえず安倍さんは「信頼できる」との評価を口にしていた。ただその直後に、日本が一番翻意をうながしている「TPP離脱」をトランプ氏が改めて声高に唱えてしまったあたり、そうそう日本側の思惑通りにはいかなそう。
 トランプ氏はTPPだけでなくNAFTA(北米自由貿易協定)についても懐疑的で、早くもアメリカ企業がメキシコに工場を建設することを牽制し始めている。これも日本企業の多くにとっては困ることなんだよな。メキシコで安く作ってアメリカ市場へ、という作戦がとれないから。まぁこれも「搾取構造」と言えばそうなんだけど。トランプ氏、アップルの会長にも面会してiPhonの製造工場を国内に作れと意見していて、iPhoneが中国の工場で安く製造されてる現状も「搾取」と批判されてたこともあったから全否定はできない。ただそれやっちゃうと恐らく中国その他産のスマホにアップルは敗北しかねないよな。どうもトランプさんの政策の数々(まだ就任前なのに)はポピュリズムというより、その時その時「思い付き」な感も強い。まぁどっかの都知事や府知事にも言えたことだが。

 とにもかくにも来年1月にトランプ大統領が出現する。アメリカ史上就任時で最高齢の大統領であり、政治家経験も軍人経験もまったくないのも異例。世論s調査によると就任前の支持率も異例の低さで不支持率の方が高いそうだが、選挙でもそうした数字を跳ね返しtっやったからな、この人は。
 ほぼ固まった閣僚メンバーは金融業界など経済人と元軍人が目立ち、ともかく従来型の政治家タイプでない政権になりそうなのは確か。白人中間・低所得者層が支持したと言われるトランプさんだが、本人はもちろんそのお友達の閣僚たちも超立地で、その資産総額合計はなんと5兆円にもなり、およそ「庶民」感覚などわかりそうもない人たちというのも不思議な話。宗教右派やティーパーティーみたいなゴリゴリ保守とは違い、経済人たちだけに損になるようなことはしないという現実的判断があればいいんだけど、逆に政治行動の予測がつきにくい。就任前からこんなにあれこれと騒がれるアメリカ大統領も初めてだと思うが、途中で何かが起きない限りは最低四年間は実質的に世界に君臨することになる。何が起こるのかホント予測がつかない…「トランプ」だけにこれから四年間、世界中で「ババ抜き」やってるような気分になりそうな気がしている。



◆右利きは昔から多数派?

 いきなりだが、僕は右利きである。利き足は利き手の逆が多いと言われるらしいが、僕は足も右利き。なお我が家では父が右利き、母と弟が左利きで勢力は半々となっている。しかし世間では左利きの人はせいぜい全体の15%程度の少数派とされ、洋の東西、世の中で人間が用いるものはたいてい右利き向けにできている。
 人間の圧倒的多数が右利きである理由については脳の機能の問題だとか、いろんな説があるらしいが明確な答えは出ていない。逆になぜ一定数の少数派で左利きが生まれるのかというのも謎である。ちゃんと統計があるわけではないんだろうけど、かのレオナルド=ダ=ヴィンチピカソが左利きだったとか、天才肌の人に左利きが多いような…という話も聞いたことがある。
 つい先日、フランスでダ=ヴィンチの青年時代のデッサンでは、というものが発見されてちょっとした騒ぎになっていた。そのデッサンがダ=ヴィンチのものだと断定された理由の一つが、デッサンの線に右から左へ走るものが多かったから、というのがあった。これは左利きの画家の特徴だというのだ。

 気になってネット検索してみたところ、科学者ではニュートンダーウィンキュリー夫人アインシュタインが左利き。作曲家ではバッハモーツァルトベートーヴェン。画家では上記のほかにミケランジェロラファエロレンブラント…となんだか大物はみんな左利きに思えてくる人名リストになってくるが、昔の人だと真偽が判然としないし、右利きの天才も圧倒的多数いるんでしょうな。なお現代の有名人だとオバマ大統領とかビル=ゲイツが左利きなのを映像で確かめたことがある。

 どういう根拠があるのか分からなかったが、ネアンデルタール人も右利きが圧倒的に多かったという話もある。現生人類はネアンデルタール人と混血してる可能性が高いからその影響?とも考えるのだが、実はそれよりもっと以前、実に180万年前のアフリカの初期人類にすでに右利きが多かった?との説が発表された。人類進化の専門学術誌の11月号に掲載されたもので、僕はそれを紹介するナショナル・ジ御グラフィックス日本版の記事で読んだ。

 180万年前の人類とは、ようやく「ホモ属」入りする時期の「ホモ・ハビリス」という、東アフリカに住んでいた我々の遠い遠いご先祖様だ。ようやく「ヒト」への道を歩みだしたくらいの人類なのだが、その化石の一体について「右利き」であった証拠が見つかったというのだ。
 といっても、腕の化石から利き腕が判明したわけではない。面白いことに頭蓋骨のあごの骨についた「歯」を調べるというのだ。例えば動物の肉などを切る時に、右利きの人間は切る物の一方を口にくわえ、左手でもう一方を引っ張ってまっすぐに伸ばした上で右手でナイフ状の石器を使って切ることが多かったらしい。その時に手元が狂い石器で歯を傷つけてしまうことがある。そうすると歯に斜め方向の特徴的な傷ができる――という研究が数年前に出されていたのだそうだ。およそ50万年ほど前に生息したホモ・ハイデルベルゲンシスの化石にそうした例が多数見つかり、現代人で実験したところ同様のことが起こる(実験で歯に怪我させたんだろうか)ことが確認できた、という話で、今回はそれがさらに130万年もさかのぼったホモ・ハビリスでも見つかった、というわけだ。

 ただしホモ・ハビリスでの確認例はまだタンザニアで発見された一件だけ。それだけで「右利き多数」と断定するのはいささか厳しいとは思う。今度の論文を発表した研究者たちもそれは百も承知で、これに触発された他の研究者たちがホモ・ハビリスの歯の調査を進めて「右利き」事例を多く見つけてくれれば、人類はその初期から「右利き多数派」だったと立証されるはずだと言っていた。
 そもそも「人間」ってのは前足を「手」にしたことで独自の進化を遂げることになった生物だ。そこになぜ「利き手」が存在するのか、さらにはその「利き手」の存在がもしかすると脳の発達にも影響を与えてるかもしれず、さらには右利きと左利きの9:1くらいの存在比率がもしかすると人類進化の重大な鍵だったりするのかも…なんて妄想が広がってしまう話であった。



◆お宝はまだまだあるぞ
 
 上記の話題で触れた、フランスでダ=ヴィンチの真筆と鑑定されたデッサン、まだ売りにだされたわけではないが、鑑定した人はおよそ1500万ユーロU約18億円)の値はつくと言っていた。まさに「お宝発見」だったわけである。
 日本でもつい先日、人気TV番組「開運!なんでも鑑定団」で、これまで3品しか確認されていない「曜変天目茶碗」の4品目が「確認」され、番組始まって以来の大発見、国宝級の発見と一般ニュースでも報じられる騒ぎとなった。番組と報道を見る限りでは三好長慶の子孫に伝わっていたものであることなど由来も確かそうで、13世紀ごろに中国で生産され日明貿易で足利将軍家の手に渡り、それが三好家に与えられたもの、と推定される。「2500万円」との鑑定だったが、いざ値をつけるとなると億の単ににいくんじゃないか…という見方もある。この番組、20年以上やってるけどまだネタが尽きないどころか、こんな発見まであるから恐ろしい。そういや以前、NHKの番組でタレントが偶然「竜馬直筆の手紙」を見つけることになっちゃった事例もあったなぁ…。
 というわけで、ここ一か月の間にあった「お宝ネタ」を並べてみた。


 「十戒」といえば、旧約聖書で神がモーセに与えた十個の戒律のこと。映画「十戒」で「神の手」である雷光が岩に十戒の文字を刻んでいく特撮が今見てもなかなか強烈だ。もっともモーセがその十戒の石板を手に山を下りたらユダヤ人たちは「黄金の子牛」を崇めてお祭り騒ぎをしていて、激怒したモーセは石板を落として叩き割り(映画「十戒」ではそれで大地が割れて不信心者たちが抹殺される)、結局神様にもう一度作ってもらうことになる。まぁモーセが山の中で一人で彫っていたというのが真相ではなかろうか、と思っちゃうのが…メル=ブルックスのコメディ映画「珍説世界史パート1」では、モーセが三枚の石板に刻まれた「十五戒」を抱えて下りてくるが一枚落としてしまい「十戒」ということにしちゃう、というギャグが面白かった。
 その「十戒」の最古の石板がオークションにかけられた。といっても、モーセが刻んだ、もしくは神が刻んだそれではもちろんなく、せいぜい西暦4〜5世紀くらいのものとみられる大理石の石板だ。およそ100年前の1913年にイスラエルで発見されたもので、聖書の「よきサマリア人」のフレーズで知られる「サマリア語」で書かれたもので、ローマ帝国(あるいは東ローマ帝国)時代のサマリア人のユダヤ教徒の住居か礼拝堂に飾られていたものとみられる。今のところこれが確認される限り最古の「十戒」石板になるのだそうだ。余談ながらアメリカのキリスト教右派の中には十戒を刻んだ石板を学校などに設置させようという運動があったりして、今なお十戒の石板は製造中なのである。
 このサマリア語十戒石板が11月17日にアメリカでオークションにかけられ、約85万ドル(約9400万円)で落札された。なんでもこの百年間、この石板はアラブ人や考古学者など多くの人の手を転々としていて、直近ではアメリカ人が購入してニューヨークの博物館に所蔵されていた。そのアメリカ人もしくはその家族が売りに出しということなのだろうが、取り決めにより今後も公共の場での展示は続けられるとのこと。


 アンネ=フランクといえば、ナチスの迫害を逃れて隠れ家に住み、そこで書かれた日記が彼女の死後に世界中で読まれるようになったユダヤ人少女だが、彼女の直筆の「詩」が11月23日に競売にかけられている。「熱心に仕事に取り組もう。誤りを正すことが大事」などと書かれた8行の詩で、親友の姉にあてて書かれたものだという。物書き志望であったアンネなので詩の一つくらいも書いてみたのだろうが、詩の前半部分は他の著作からの引用とみられるとのこと。
 競売の結果、この直筆の詩は14万ユーロ(約1650万円)で落札された。なおこの詩が書かれた日付は1942年3月28日となっており、まだ隠れ家生活に入っていなかった段階だ(だから手紙が出せたわけだが)。その三か月ほど後から隠れ家生活が始まり、1944年4月にアンネたちは当局に発見され強制収容所送りにされてしまうことになる。彼女たちが発見されたのは何者かが「密告」したからだというのがこれまでの通説だったが、つい先日にアンネ=フランク博物館が「彼女たちの発見は密告によるものではなく、配給券偽造の捜査などによる偶然だった可能性がある」と発表して話題になっていた。密告説の否定というわけでもないが、その可能性自体はあるだろうし、オランダ人としても少し気が安らぐのかもしれない。
 なお、今回落札された「直筆の詩」の落札者は明かされていないが、事前の取り決めにより「詩」自体は公共の場で展示されることになっているそうだ。


 11月29日、ロンドンのオークションで作曲家グスタフ=マーラー直筆の楽譜、それも彼の代表作といえる交響曲第2番「復活」の直筆楽譜が出品され、約455万ポンド(約6億3700万円)のお値段で落札されている。楽譜の落札価格としては史上最高額になるとのこと。マーラー本人の書いたものとなれば…とも思うけど、6億円というのはなぁ…
 この楽譜を所有していたのはギルバート=キャプランという人物で、調べてみるとむしろこの人の話の方が面白い。もともと経済雑誌の創刊者として成功した実業家だったがマーラーの大ファンで、特にその代表曲「復活」に心酔、自ら「復活」の指揮をしたくなって、30代からプロ指揮者に教わって指揮の勉強をし始めた(それまで特に音楽素養はなかったという)。40代でコンサートホールで「復活」を初めて指揮、その一回きりの道楽にするつもりだったが、これが評判になってしまい、以後あっちゃこっちゃで「復活」を指揮するプロ指揮者になってしまった。しかもマーラーの「復活」しか指揮しないという徹底ぶりで、「復活」の指揮者としては世界第一人者と認められていたという。マーラー自筆の楽譜も入手し、自ら校訂した「キャプラン版」も出していたというから、とにかく一生を「復活」に捧げた、金持ちの道楽というにはかなりストイックな趣味を徹底したお方だったのである。
 このキャプラン氏は今年の元旦に亡くなっていて、遺族がそれで競売に出したのだろう。6億円、という落札価格には、所有者の個性もかなり加味されているのではなかろうか。

 オークションネタではないのだが、有名作曲家の楽譜つながりの話題を。
 ロシア出身の作曲家ストラビンスキーが、1908年に死んだ師匠リムスキー・サルコフの追悼のために作曲、1909年に一度だけ演奏された「葬送の歌」という曲がある。その直筆楽譜はロシア革命のドサクサで行方不明になってしまい、ストラビンスキー自身も曲を正確に思い出すことができず、楽譜の紛失を非常に悔やんでいたという。ストラビンスキーは「どこかの資料室に眠っているはずだ」と晩年まで口にしていて、探索が続けられていたが発見されていなかった。ところが昨年サンクトペテルブルグの国立リムスキー・コルサコフ音楽院の修復工事に伴う整理作業中に音楽資料室からひょっこりこの楽譜が出てきちゃったのだ。一世紀も見つからなかったのにいかにもありそうな場所にあったという、古典ミステリみたいなオチである。
 で、今年の12月2日にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で「葬送の歌」は実に117年ぶりに演奏され、「復活」したのであった。あ、もちろん今のは上のマーラーの話にひっかけてるんですよ(笑)。


 12月14日、パリのオークションに「清朝皇帝の印」が出品され、事前予想をなんと20倍も裏切る、2100万ユーロ(約26億円)で落札されている。落札者はやはりというべきか、中国人収集家とのことで、大変な競争率であったらしい。
 出品された印は赤と薄茶色の軟玉ヒスイを素材に、竜の彫刻があしらわれた豪華なものだという。側面には九匹の竜が掘られているというから、偽物でなければ皇帝自身が使う「玉璽」だと思われる。報道では清朝の最盛期といえる乾隆帝(最近「生前退位」にお前例として話題にしたな)の時代のものとされていて、乾隆帝自身が使ったものの可能性がある。だからこそのこの高値なのだろう。じゃあなんで、そんなものが海外に流出しているのかが気になるが、アロー戦争の際に英仏軍が北京の円明園を荒らして様々な文化財を略奪してるから、その時のドサクサで持ち出されたのかな…?円明園の十二支像とか、略奪された中国文物の奪回が盛んにおこなわれているが、この「玉璽」の激しい落札競争もその一環なんだろう。
 報道によるとこの印は、19世紀に中国を訪れた若き(もちろん当時の話)船医が入手したもので、その遺族が今日まで所有していたのだという。この船医は東洋文物のコレクターだったのか、葛飾北斎「神奈川沖浪裏」も所有していて、これも近々オークションにかけられるとのこと。さすがにこちらは13万ユーロ(約370万円)ほどの予想だそうだが。

 …とまぁ、いろいろお宝話を並べてみたが、お宝がまだまだ出てくることにも驚くと同時に、カネの方もあるところにはあるもんだと驚かされてしまった。あの茶碗の金額もかわいいもんだよね。



◆星になった二人

 また例によってズルズルと執筆が遅れている内に、間違いなく「生ける歴史的人物」といえたキューバのフィデル=カストロ元議長の訃報からえらく間が空いてしまった。それでもこの人について書かずして「史点」ではあるまいと思っていたところ、しばらくしてもう一人、90代の歴史的有名人の訃報が聞こえてきた。アメリカの元宇宙飛行士、ジョン=グレンの訃報である。こちらも個人的に取り上げてみたい人物であったので、ここはひとつ、強引に二人の人生をまとめて語ることにしたい。以前赤塚不二夫ソルジェニーツィンで同じことやったんだけど、あちらは死去の日が同じだった。今回は「近い時期に亡くなった同世代の人」というつながりである。

 先にこの世に生を受けたのはグレンのほうで、1921年7月18日にアメリカのオハイオ州に生まれた。フィデル=カストロはその5年後の1926年8月13日にキューバ東部のビランという町で生まれている。なお、現在キューバの政権を担う弟のラウル=カストロはさらに5年後の1931年の生まれだ。
 1921年生まれのグレンは大学を出るとそのまま軍隊入り。おりしも勃発していた日本との太平洋戦争にパイロットとして従軍している。5歳年下のカストロの方は第二次大戦が終わった1945年に大学に入学、当時実質的にアメリカの植民地状態であったキューバながら戦争とは縁遠かったと思われる。カストロ氏は高校時代からスポーツ、ことに野球に打ち込んでいて、特にピッチャーとして優れ、大リーグのテストを受けたとか受けなかったとかいう伝説もある。今度の訃報を受けて英語サイトなどでチェックしてみたのだが、まぁ大リーグのテストを受けたという話は「伝説」の域を出ないもののようだ。アメリカでは「大リーグ選手になってりゃ、その後の革命もなかったのに」という文脈でよく言われた噂話らしい。

 第二次大戦が終わってまだ五年の1950年に朝鮮戦争が勃発。グレンはこの戦争にもパイロットとして従軍し、優秀なパイロットとして戦果を挙げている。この才能が買われて新型戦闘機のテストパイロットに抜擢されることになる。
 朝鮮戦争勃発の都市にカストロの方は大学を卒業し弁護士となったが。学生時代から政治活動に首を突っ込んでいて、アメリカの傀儡であるバティスタ政権を批判、やがてその武力による打倒をめざす「革命家」への道を歩んでいくことになる。当時は「冷戦」まっさかりの時代だがカストロ当人はマルクス主義や共産党には深入りしておらず、むしろ弟のラウルの方がそちらと縁があったと言われている。

 フィデル=カストロが「革命家」として本格的に活動を開始したのは1953年。この年の7月26日にカストロは130名の同志と共に「モンカダ兵営襲撃」を決行したのだが、味方のうちおよそ80名を死亡させ、自らも逮捕されてしまうという「惨敗」を喫してしまう。普通に考えれば命がないところだが被告である当人自ら弁護士ということもあって自身の正当化に熱弁をふるい、カトリック教会のとりなしもあって懲役15年で済んだうえに、1955年に恩赦で出獄、そのままメキシコへ亡命した。このメキシコ亡命中にアルゼンチン出身の革命野郎チェ=ゲバラと出会い、彼を同志に加えることになる。なお近年公開され話題になったゲバラの伝記映画「チェ」2部作はラストシーンんがこのゲバラとカストロの出会いの瞬間になるよう構成されている。

 1956年12月、カストロはゲバラや弟ラウルらを含めた82名の同志と共にプレジャーボート「グランマ号」に乗り込み、革命を起こすべくメキシコからキューバへと渡った。しかし上陸直後に発見され、政府軍の攻撃を受けて同志の多くが戦死、生き残ったのはわずか18名というまたまた「惨敗」を喫してしまう。1969年に公開された映画「ゲバラ!」では上陸直後のこの戦闘でゲバラ(演:オマー=シャリフ)が持病の喘息発作を起こしてぶっ倒れ、「軍医のおまえが真っ先に倒れてどうする!」とカストロ(演:ジャック=パランス)に怒鳴られるというシーンに笑ってしまうのだが、これが史実かどうかは知らない。一方、2002年にアメリカで製作されたTV映画「フィデル」(日本では「チェ・ゲバラ&カストロ」のタイトルで省略版DVDが出ている)では、散り散りになった18人がボロボロの状態で合流すると、カストロが「俺たちゃ、勝ったも同然だ!」と叫んで一同を奮い立たせるシーンがあり、確認はしてないけど、これなんかは史実なんじゃないかという気がしている。毛沢東とか、他の革命家にも似たようなシチュエーションの話があるもので。
 たった18人になって山中に逃げ込んだカストロたち。しかしこの山中で地道なゲリラ戦を展開、民衆の支持もとりつけてじわじわと勢力を拡大してゆく。なおカストロのトレードマークである豊かなヒゲと葉巻はジャングルでの虫除けのためでもあったと言われている。

 さて一方のグレンの方はテストパイロットとして「音速」の壁を越えていた。1957年7月10日に超音速で北アメリカ大陸を初めて横断、ロサンゼルスからニューヨークまで3時間23分で飛行してみせた。しかしこの年の10月4日にソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功、アメリカは「スプートニク・ショック」と呼ばれる恐慌状態に陥り、政府は大慌てでソ連のあとを追いかける宇宙開発を推進してゆく。1958年10月に「NASA」が発足し、グレンは人類初の宇宙飛行士7人の一人に抜擢されることとなる。この辺の事情は1982年の映画「ライトスタッフ」が詳しく、エド=ハリス演じるグレンは後半の主役といっていいくらいに出番が多い。
 で、米ソが宇宙開発競争に入れ込むうちにキューバではカストロたち革命軍の勢力がいよいよ拡大、1959年の元旦についにバティスタ政権を打倒、首都ハバナに凱旋した。全くのフィクションながら映画「ゴッドファーザーPARTII」では年越しパーティー中のハバナ陥落の模様がドラマに組み込まれて再現されている。あの映画に描かれるように、実はアメリカのマフィアたちもキューバ経済支配の担い手であり、革命により撤退を余儀なくされた「アメリカ企業」の一員でもあったりする。

 キューバ革命の劇的な勝利は世界の注目を集め、もともと中南米革命野郎好きのアメリカ人も当初は当時まだ三十代の若き革命家カストロをもてはやした(そもそもアメリカ自体が「革命」で成立した国家だ)。カストロ自身もアメリカとは友好関係を保とうとしていたが、当時のアイゼンハワー政権はカストロを低く評価、さらに言えば実質的に植民地にしていた国での「革命」だけに正直いい顔はできなかった。特にカストロがキューバにおけるアメリカ資本の接収や企業の国有化を図り始めると、アメリカ側はカストロ政権を「共産主義」と決めつけ、結果的に本当に彼らをその立場に追いやってしまうことになる。同時期の宇宙開発競争にも言えることだが、政府首脳も「冷戦構造」で頭が支配されてしまい、冷静な判断力を失いがちであったと後年から見れば思うところである。もっとも、宇宙開発に関してはああいう冷静さを欠いた時代状況だったからこそ急激に進んで、とうとう月に人を送り込んじゃうところまで一気にいっちゃったわけなんだけど。

 1960年は大統領選挙の年で、民主党の候補で当時43歳のジョン=F=ケネディニクソンを破って当選。その選挙戦の最中の9月にカストロはニューヨークの国連総意会に出席し、国連史上最長となる4時間ぶっ続けの演説をして、ケネディとニクソンをこきおろしている。以後、カストロの長時間演説は彼の「名物」として知られるようになる(笑)。
 翌1961年1月にケネディはアメリカ史上最も若い大統領に就任することになるが、その直後の4月12日、ソ連のガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功。アメリカは大急ぎで翌5月5日にアラン=シェパードを打ち上げて、わずか15分間の弾道飛行ながらアメリカ初の有人宇宙飛行に成功する。そしてこの月の25日にケネディは「十年以内に月に人を送り込む」と公約する演説を行い、「アポロ計画」への道が開かれることになる。
 一方でアメリカ政府にとってもう一つ厄介な問題がキューバのカストロの存在だった。アメリカは1959年末にはカストロ政権をなんとしても転覆させると決定し、CIAがあの手この手でカストロ暗殺を計画、その数実に600回以上にものぼったとされ、ギネスブックも認める「暗殺未遂世界記録」となっている。そう考えるとカストロが普通にベッドの上で死ねたのは奇跡のような気もしてくる。そうしたカストロ抹殺計画のうち最大のものが、亡命キューバ人らを支援してキューバへの軍事侵攻を試みた「ピッグス湾事件」だが、それはガガーリンが宇宙を飛んだ3日後の4月15日に実行されている。日付を並べてみるとなんとも慌ただしい時代だったなぁと思える。

 1962年2月20日、ジョン=グレンがマーキュリー・アトラス6号に乗って、アメリカ初の地球周回飛行に成功する。このとき計器の故障のため宇宙船の対熱シールドが外れた疑いが生じて地球周回を予定の半分で切り上げ、グレンは命の危険を感じつつ大気圏に再突入、結局は無事に帰還している。この宇宙飛行は映画「ライトスタッフ」でもクライマックスと言っていいくらいの見せ場になっているのだが、グレンが宇宙空間で「ホタル」に似た、輝く謎の粒子が舞うのを見て驚く場面がある。この「宇宙ホタル」の正体は宇宙船から漏れた空気が周囲で凍り付き、光を反射したものであることが同年5月に打ち上げられた「マーキュリー・オーロラ7号」に乗った飛行士により解明されている。
 そしてこの1962年の10月に起こったのが、世界が核戦争の危機に現実に恐怖した「キューバ危機」である。ソ連がキューバにアメリカ全土を照準に収められるミサイル基地を建設していることが発覚、ケネディはソ連の核ミサイルのキューバ持ち込みを断固阻止するため海軍で大西洋に封鎖線を敷き、あわや一触即発、という状況になってしまった。結局は米ソ首脳の直接交渉(恐らくは密約こみ)でソ連はミサイル輸送船を引き返させ、危機は回避された。この事件にはもちろんカストロもキューバ指導者だから当事者の一人なのだが、実のところ米ソの駆け引きの間で主体的な動きはできなかったと思われる(ただカストロ自身は立場も立場だからミサイル設置には積極的ではあったみたい)。後年、キューバ危機を描いた映画「13デイズ」が製作され、スタッフがキューバに持ち込んで映画をカストロに鑑賞させたところ、カストロは登場人物について自分の知るところをあれこれと語った、という話を詠んだことがある。

 キューバ危機からほぼ一年後の1963年11月22日にケネディが暗殺される。その翌年の1964年にジョン=グレンはNASAを辞め、実業家に転身し。10年後の1974年からアメリカ連邦議会上院の議員となり、1999年まで四半世紀にわたって勤め上げる。1984年の大統領選挙に出馬したものの予備選で敗れている。
 一方カストロ率いるキューバは砂糖を生産し、それをソ連に買ってもらう形で支援を受ける衛星国の立場となり、これがゲバラがキューバを離れてさらなる革命に乗り出してゆく一因となったともされている。キューバを去る直前にゲバラはカストロと二人きりで密談を交わしており、そこで何が話し合わッれたのか歴史家たちの興味を大いに引く所なのだが、僕の知る限りではカストロはそれについてほとんど明かさず、そのままあの世へ持って行ってしまったようだ。ゲバラは1967年にボリビアで殺害され、その死からわずか2年後にアメリカ映画「ゲバラ!」が公開されスターたちがゲバラやカストロを演じているあたり、二人ともすでに「歴史上の人物」化していたことが分かる。

 時代は流れ、1989年に東欧諸国で社会主義政権が次々と倒れ、1991年にじは親玉のソ連が崩壊。社会主義陣営の敗北で冷戦は完全に終結した。相変わらず「社会主義国」の看板を掲げ一党独裁を続けている国は中国、ベトナム、北朝鮮、そしてキューバくらい、ということになり、いずれも近いうちに崩壊するとの観測もあったものの、ご存知の通りソ連崩壊から四半世紀たった今もいずれも健在だ。中でもキューバはソ連の経済支援を失ってすぐにもダメになるかと思われていたが、なかなかどうして、アメリカの経済封鎖を受けて厳しい状況を続けながらも政治体制はほとんど揺るがなかった。カストロを議長とする独裁体制には違いないし、政治的に自由というわけにもいかなかったけど、北朝鮮が向かった方向に比べればずいぶん明るい独裁国家というイメージがある。カストロ自身、自らが個人崇拝されるのは好みではなかったようで独裁者定番のデカい銅像を建てさせるということもしていない。キューバ革命以来、カストロ個人の人気は内外で高かったし、ソ連崩壊後もカストロ政権が維持できた要因に彼のキャラクターがかなり大きいウェイトを占めてしたんじゃないかと思うこともある。

 1997年にボリビアでゲバラの遺体が発掘され、30年ぶりにキューバに「帰国」、カストロはかつての盟友を盛大に迎え入れて革命の英雄として霊廟に葬った。以後ゲバラの霊廟はキューバの観光名所の一つとなって、外貨獲得に一定の貢献をすることになる。あと、キューバは経済的事情もあって革命以前からのレトロカーやSLをそのまんま現役で使用していて、それを目当てに訪問する世界中のマニアたちから金を稼いでもいる。
 一方のグレンの方は1998年にスペースシャトル「ディスカバリー」に乗り込み、77歳にして再び宇宙に出かけたことで話題を呼んだ。かつては猛烈なGに耐えて宇宙へ飛び出さねばならなかったが、スペースシャトルならこんな爺さんでも宇宙に楽に飛び出せるんだよ、という見本を自ら示すこととなった。そういうこともあってか、g連はスペースシャトル計画の中止に強く反対していたという。

 グレンは1999年に上院議員を辞めているため、同年に開始された当「ニュースな史点」に彼が登場する機会は今回までなかった(笑)。一方のカストロの方は2000年ごろからたびたび登場していて、自分で検索して読み返していたら日本主催のレセプションに突然姿を現し、当時の森喜朗首相(この人もスポーツ界ではまだ意気軒高だな)とスポーツ談義で盛り上がっていた、なんて話題を書いていた。この少し前だと思うのだが、長時間演説で「タイムオーバーのカストロ」の異名をとる彼が国連で演説する際に、持ち時間5分を示す壇上の時計にいきなりハンカチをかぶせ、「さてはまた長時間オーバーか!?」と一同に思わせておいて、ピタッと5分で演説を終え、「以上だ」と言ってハンカチを手にさっそうと弾を下りて行き、みんな拍手喝さい、という一幕があった。こういう芝居っ気というか、お茶目なところも好かれたんだろうな。
 2000年代にはベネズエラのチャベス大統領が「反米・社会主義」を掲げ、にわかにカストロの「同志」になるという急展開もあった。そのチャベスはカストロより先に2013年に死去してしまっているが。このチャベス登場のころから80を超えたカストロもさすがに健康不安が聞こえるようになり、2008年についに引退を表明、キューバ最高指導者の地位から降りた。後継者が5歳年下でしかないラウルさんだったというあたり、キューバの人材難を感じてしまうのだが…。すぐにも死んでしまうんじゃないかと言われもしたのだが、その引退から8年も生きていたんだから、大したものだと思う。

 その死の直前にはアメリカとの和解が実現、オバマ大統領がキューバを訪問するという歴史的イベントもあった。さすがにカストロ自身がオバマと会うことはせず、相変わらずアメリカ批判の論評を出したりもしていたのだが、これまでの経緯が経緯だから手のひらを返して、ってわけにもいかない、というところだったのだと思う。内心ではアメリカとの和解には前向きだったんじゃないかなぁ。もっともその死の直前に次期大統領に選出されたドナルド=トランプはキューバとの和解を見直す姿勢を示してちと暗雲が漂っているのだが。

 2016年11月25日にフィデル=カストロの訃報が伝わると、ツイッターでカストロの名がトレンドに上がり、その存在感を改めて世界に示した。そんな中、ツイッター上でこんなジョークが広まっていた。いくつかバリエーションがあったのだが、一番まとまるのよかったやつを。

カストロ「アメリカが滅びるまでは死なんぞ!」("I will not die until America is destroyed.")
ニュース速報「トランプが次期大統領に選出」*Trump iselected president*)
カストロ「ああ、それでは、さらばだ!」("Well then...Adios")

 ジョン=グレンはカストロの死から弐週間ほど後の12月8日に95歳で死去した。直接的には何の縁もない二人だが、こうして人生を並べて書いてみると20世紀後半の、特に冷戦時代の激動っぷりを改めて感じたものだ。


2016/12/23の記事

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