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2017年1月15日

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◆今週の記事

◆年明け・歴史発見!

 もう一月も半分過ぎましたが、明けましておめでとうございます。今年も相変わらず「史点」は続きますので、どうぞよろしく。

 さて別に今年に限った話ではないけど、正月早々からいろいろと発見ばなしが。

 1月4日にAFP通信が報じたところによると、ベルギーの「アルデンヌの森」にある洞窟から、ネアンデルタール人「共食い」をした可能性を示す発見があったという。要するに洞窟からネアンデルタール人の人骨が見つかったわけだが、その人骨に道具により解体・粉砕された痕跡が確認されたというのだ。ネアンデルタール人が食べていたトナカイなどの動物類と同じ扱いで、骨を割ってその中の骨髄まで取り出していた可能性が高いという。
 ネアンデルタール人が「共食い」つまりは「食人」をした証拠の発見はこれが初めてではなく、すでにスペインやフランスなど南欧方面では見つかっているという。まぁすでにそうした例があるなら、同じネアンデルタール人ならやや北方に住んでいようとおんなじではあるだろう。この洞窟にネアンデルタール人が住んでいたのは4万年ほど前と推測されるそうで、ネアンデルタール人がまもなく地球上から消滅する時期ともいえる。ネアンデルタール人は我々現生人類より先に「出アフリカ」を果たした遠い親戚みたいなもので、あとからやってきた現生人類に押されて滅ぼされたとの見方もあるし、一方で一部で共存・混血もしたのではとの説も出ている。埋葬の習慣など一定の精神性があったとの見方もあり、現生人類とそう変わらなかったかも、と言われるだけに「共食い」をしていたと聞くとショックを受ける向きもありそう。確か北京原人についても共食い説があったんじゃなかったかな。

 だけど現生人類だって「ヒト」のことは言えない。大森貝塚を発見したモースは縄文人が共食いをしていた可能性を指摘していたし、戦争や飢餓のような極限状態(そーそー、先日映画「野火」を見ましたよ)や宗教的理由その他から食人が行われた例は歴史をひもとけばいくらでも出てくる。だからネアンデルタール人の事例も特殊なケース化もしれない、との意見もあるみたい。だけど発見数から言うと確率が高いような気はするなぁ…。フィクションではあるが、数万年前の人類を描くフランス映画「人類創生」ではネアンデルタール人動物的にが凶暴な種族に描かれる一方で現生人類の「人食い部族」が出てきた李していたっけ。
 なお、吉田茂は引退後に老後も健康を保つ秘訣について「人を食ってる」と人を食ったジョークを言ったことがある。そもそもなんで日本語には「人を食う」という慣用句があるんだろう。


 京都はなにせ1000年も都をやってたところ(だか首都でもないのに名前が「京都」のままになっちゃった)だから、いろいろと古いものが見つかることがある。そんな京都で、江戸時代に創建された寺で本尊とされていた50cmほどの仏像が、なんと日本への仏教伝来時期の7世紀の朝鮮半島で製作されたものである可能性が出た、という話題には驚かされた。
 寺は京都市左京区八瀬近衛町にある妙伝寺。寺自体は前述のように江戸時代創建なので、本尊にされている50cmほどの金銅製の小さな「半跏思惟像」(はんかしいぞう。弥勒菩薩が片足を膝に乗せて瞑想する姿を表す)についてもその時期の作と考えられてきた。ところがこのたび大阪大学の藤岡穣教授の調査・鑑定により、仏像の額にある水平の「毛筋」や装飾品の竜のデザインが6〜7世紀の朝鮮半島のものと似ていること、さらに「蛍光X線分析」により判明した仏像内の金属の組成が銅86%に錫(すず)10%と日本・中国のものに比べて錫の割合が高い点がやはり同時期の朝鮮半島のものと一致すること、というデザイン面と材料面の2点から仏教伝来時期の朝鮮半島製と判断された。当然ながらそんな時期の渡来仏の現存品は少なく、ムチャクチャ貴重なものである。先日の「なんでも鑑定団」の国宝級茶碗並みの話で、寺も檀家の人もビックリしていた。
 京都で「半跏思惟像」といえば、太秦の広隆寺のそれが有名で、こちらも仏教伝来から間もない時期に新羅から渡来したものと考えられている(国産説もあるが)。それと単純に結びつくものではないだろうが、同時期に渡来した半跏思惟像同士ということで伝来の過程でどこか重なるところがあるのかもしれない。もっともこちらは小型のせいか所有者がコロコロ変わっていつしか由来も分からなくなってしまっていた、ということかもしれない。

 
 以前ここで「逝く前の竜馬」という記事を書いたことがある2014年4月21日「史点」坂本龍馬が慶応3年(1867)11月15日に暗殺される数日前(少なくとも11月5日以降)に後藤象二郎宛てに出した手紙がTV番組ロケで偶然発見されたという話題で、その手紙の中で龍馬は、当時親しく顔を合わせていた福井藩の由利公正(当時は「三岡八郎」)を高く評価し、彼を新政府の財務担当にするべきだと推薦していた。
 そしてこのたび、新たに暗殺の5日前、すなわち11月10日付で龍馬が書いた手紙が確認された、というニュースが大きく報じられた。宛先は福井藩の重役で当時京都に入っていた中根雪江という人物。内容は福井藩の重役にあてていることから察せられるように、やはり由利公正の新政府への起用を強く要請するものだった。当時「三岡八郎」と呼ばれた由利公正を龍馬は新政府の財務担当にせよと強く要求、彼の起用が一日遅れれば「新国家の御家計御成立」(=新国家の財政の確立)が一日遅れるぞ、とまで書いているとのこと。いやぁ、由利公正もえらく買われたもんである。こりゃ福井県が大河ドラマ誘致運動で候補の一人にするのも無理はない(松陰の妹や井伊直虎でできるなら誰だってできると思えちゃう昨今)。2014年に確認された後藤象二郎宛て書状は日付が書かれていなかったが、今度発見されたものとほぼ同日くらいだったのではないだろうか。
 報道では特に龍馬が「新国家」という表現を使っていることが注目されたが、僕は面白いと思ったのはそれに続く「御家計」のほう。今でいう財務・財政を表現しているのだが、それが今では経済の最小単位である「家計」と表現されてるわけで…「国家」という「家」の金銭問題だから「家計」と表現したのだろうか。それとも当時の藩や幕府の財政も「家計」と言っていたのかな?
 龍馬自身、商家の出身だし「海援隊」だって貿易会社だったわけで、「家計」には敏感だったのかもしれない。死の直前まで(といってももちろん当人は知る由もない)新政府の建設に奔走していた龍馬だが、彼自身はどうするつもりだったのかも気になるところだが、それはこの手紙でも分からないようである。



◆宗教と飲食と…と

 正月の初詣に神社も寺院も見境なく行く日本人は宗教心がウンヌン、と言われることがある。もっとも神道の神社と仏教の寺院が明確に分離されたのは明治以後のことで、日本では古代以来神仏は混合状態で扱われてきたんだから、それが「伝統的」な日本人の姿勢と言えなくもない。あとから入ってきたキリスト教だってそのノリでゴチャマゼに扱ってるわけだし、この調子だとユダヤ教やイスラム教だってゴッタ煮状態で受け入れちゃうのかもしれない。

 さて、そのユダヤ教だが、イスラム教並みに食事についてタブーが多い。というか、イスラム教の「豚肉を食べない」ってのはもともとユダヤ教の戒律だ。ユダヤ教では豚肉以外でも「うろこのない魚はダメ」とか「肉は血抜きしないとダメ」「肉と乳製品を一緒に使っちゃダメ」といった様々な禁止事項があり、結構うるさいのだ。イスラム教徒の「食べられます」マークである「ハラル」は日本でも最近知られるようになってきたが、ユダヤ教でも同様の「コシェル」という認定証があり、日本の酒造メーカーが日本酒にその「コシェル」認定を得て世界進出を図ろうとする動きがある、という話題が毎日新聞で報じられていた。
 日本酒は特にユダヤ教の戒律に触れるところはないと思うのだけど、やはり認定を受けておくのは大きいらしい。イスラエルはもちろん欧米のユダヤ人に売り込めるだけでなく、「コシェル」認定では「清潔さ」が重視されるため、「コシェル」食品は非ユダヤ人の富裕層で健康食品みたいに扱われるという話なのだ。そんなわけで認証団体のチェックは日本酒の製造過程、原材料から醸造工場の設備、清掃方法など多岐にわたるものになったという。で、記事によるとめでたく京都・伏見の老舗蔵元が「コシェル」認定を受けられたそうなのだが、それって宗教戒律というより単なる食品全度チェックのような気も…
 よし、その調子で今度はイスラム教の「ハラル」認定も、と思ったけど、考えてみたらイスラムではアルコール自体アウトで、みりんすらダメだったはず。まぁこれも国によっては大目に見てくれるところもあるようなんだけどね、ハラル認定はないだろうな。


 以前「VOW!」の投稿で「伊勢神宮が大麻配布」という新聞記事の見出しがネタにされていたことがある。見出しだけ見ると「いいのか、それ?」と驚いちゃうのだが、実はここでいう「大麻」とは同じく音読みでは「たいま」と読むのだけど、麻とは何の関係もない和紙でできた「お札」のこと。誤解を招きやすい名前ではあるのだが、それこそ「伝統」というやつなので神社側も変える気はないらしい。
 それとは別に、伊勢神宮を含む三重県の神社関係者が「神事用大麻」の栽培許可を県に求めて却下された、という報道があった。そう、こちらはお札ではなく本物の「大麻」である。神事用といっても吸ってトランス状態になるとかそういうことではなく、茎から採れる繊維で神事用の祭具やしめ縄などが作られるのだという。昔の日本では繊維の材料として農家などが普通に大麻を栽培していたものだそうだが(矢口高雄さんの自伝漫画で母親が日射病で倒れた際に近所の人が「麻の粉末」を安静効果に利用する話が出てくる)、現在では大麻は取り締まりの対象であり、その栽培は完全禁止ではなく許可制ながらかなり厳しく管理されている。おかげで神社も苦労しているようで、最近では九割がたを中国製の輸入品や代替繊維に頼っているという。

 そこで「伝統文化を守るため」という旗印を立てて、伊勢市の山林の休耕地に大麻を栽培する許可を三重県に求めたわけだが、県側はこれを却下した。ひとつには代替品もあってどうしても栽培しなくてはいけない必然性が薄いということ、それから吸う方を目的とした者に対する盗難防止対策が不十分であることが理由とされた。最近は大麻栽培で摘発されるケースが相次いでる感じもするから、それもあって厳しい対応になったのかもしれない。
 そういやカリフォルニア州では昨年、医療用どころか嗜好品の大麻が合法になっちゃってたような。


 バチカンといえば世界最小の国家であり、カトリックの総本山。デッカいお寺の境内が独立国扱いになってるわけだけど、その境内の「近く」に、アメリカン・ファストフードを象徴して世界にはびこる(笑)マクドナルドが昨年年末の12月30日に店をオープンした。この計画が持ち上がった時点でエリオ=スグレッチャ枢機卿が「マクドナルドはローマの伝統に反する」として反対を表明、マクドナルドは「あくまでバチカンの外の建物にあり、他の観光名所近くに店を置くのと変わらない」と反論してそのままオープンとなった。なんでもちょっと前にはフィレンツェでも市長がマクドナルド開店を却下して訴訟騒ぎがあったそうで、「古い町」では目の敵にされやすいのかもしれない。日本の京都では古都にふさわしい外観にするよう指導されるんじゃなかったっけ。
 それだけでも面白い話なのだが、1月3日に修道女二人がそのマクドナルドが入っている建物に入っていく様子が目撃され、さらに大騒ぎに(笑)。考えてみりゃ今や世界を制覇した観のあるピザやパスタだってそんなに古い食べ物ってわけじゃないし、マクドナルドもそのうちなじんでいっちやうんだじゃなかろうか。


 そのバチカンと「マルタ騎士団」が対立している、なんてえらく時代がかったニュースをロイター通信が報じれいた。
 「マルタ騎士団」とは、そもそも11世紀の十字軍時代にルーツをもつ。第1回十字軍がエルサレム周辺を占領したのち、エルサレムへのキリスト教巡礼者を保護するために結成された「聖ヨハネ騎士団」がその始まりで、のちにロードス島を拠点にイスラム勢力に対抗した。1522年にスレイマン1世(大帝)率いるオスマン帝国軍にロードス島を奪われると(余談だが今チビチビ見てるスレイマン時代を描いたトルコのTVドラマ、ちょうどその辺まで見た。結構面白いのでいずれ紹介したい)、マルタ島に本拠地を移して、以後は「マルタ騎士団」と呼ばれるようになった。1798年にナポレオンの侵攻でマルタ島を奪われ、以後は本拠地を持たぬままローマ市内に本部を持ちつつ今なお存続している。現在存在する国家「マルタ」とは無関係だが、国連にもオブザーバー参加する「領土なき国家」みたいな集団で、人口は13000人ほど。一定の主権もあり、外交関係を持つ国も結構多い(ちなみに日本など東アジア諸国は外交関係なし)。…とまぁ、短くまとめても「歴史の遺物」という言葉がそのまんまあてはまるような、生きている化石みたいな集団だが、現在は「騎士団」といっても慈善活動団体みたいなものらしい。

 組織としてはバチカンより大きい「マルタ騎士団」だが、その成立事情からしてもローマ法王には全会員が忠誠を誓うことになっている。それだけにそのマルタ騎士団がバチカンと対立というのは「歴史的事件」には違いない。何でモメているかといえば幹部人事の問題なのだが、その理由がまた「らしい」といえば「らしい」。問題の核心はなんと「コンドーム」にあるというのだ。
 昨年12月、マルタ騎士団の外務大臣にあたる「外務総管」のアルプレヒト=フライヘル=フォン=ベーゼラガー氏が、騎士団のトップであるマシュー=フェスティング総長(法王から枢機卿に任じられるほか、「大公」クラスの地位になる)により解任された。理由は、この義務総管がミャンマーで人道活動を行った際、現地でコンドームの使用を部分的に認めたためだという。正確には、三つの慈善事業を展開していてコンドーム配布が判明したため2つの事業を中止にしたが、残り一つは継続したため、これが「容認」と見なされた、ということみたい。
 カトリック教会では人工中絶はもちろん、「産児制限」につながる行為は基本的に認めておらず、伝染病予防などについては別として、産児制限のためのコンドーム使用を認めていない。この外務総管にどのような事情があったか分からないのだが、カトリック保守派として許しがたいと総長は考えたのだろう。
 しかし現在のフランシスコ法王は原則は原則としつつ、文化的な対立、もめ事を避けることを優先にいくらか多めに見る姿勢であるらしい。この解任劇を受けて法王は明らかに元外務総管の擁護に回り、総長に和解をうながすと共に事情調査の委員を5名指名した。ところが騎士団側は解任は「内部人事」であるとバチカンに通告、さらに「バチカンによる調査は違法である」(つまり「内政干渉」ですな)として協力拒否を表明したのだ。
  お互い人数自体は小さな組織とはいえ、一応「国家」どうしでもあり、対立を始めると引くに引けなくなりがち。中世だったら叙任権闘争、なんちゃらの屈辱みたいな展開になりそうな話だが…



◆ググるな危険!?
 
 振り返れば当サイトもネット全体の中でも「老舗」の部類に入ってると思う。僕がインターネットなるものを始めたのが1997年のことでその年の9月からホームページを開設しているので、なんだかんだで20年もの年月が流れている。ネット上の住所も変わらず、基本構造もほとんど変えていないサイトというのももう珍しいのではなかろうか。先日も人に言われたが、最近のツイッターだの、それ以前のブログだのが登場する以前の、「ホームページ」って今や死語になりかけてるサイトの形式、自分でプログラム改造した「伝言板」というスタイルを変わり映えもせずに延々続けているのである。ときどき僕のサイトについて「ブログ」と表現してる人も少なからず見かけるのだが、思えばこの「史点」なんてブログなんてものが出現する以前からやってる「ブログ」みたいなもんなんだよな。

 などという昔話をしたのは、ネットも20年もするといろいろ歴史になってしまうという話をしようとしたわけで…今や当たり前に使うネット検索「ググる」という言葉の由来であるGoogleが出現した当時のことも僕は記憶している。それまでにも特定の言葉によるネット検索というものはあるにはあったが最低一分以上は待たされるのが当たり前だったし、キーワードにした言葉でうまくページがヒットするとも限らなかった(検索サービスごとにクセもあった)。サイトを探すにはYAHOOその他のポータルサイトに登録されてたものをジャンル分類や紹介分で探した方が早く(ただしこれもサイトの数が急増すると難しくなった)、僕も初期のころには自分のサイトをあちこちに登録、あるいはお友達サイトに紹介してもらうようにしていたものだ。
 それが、「Google」の出現で一変した。調べてみるとGoogleが検索サービスを開始したのは1998年のこと。そんな早い話だっけ、と思ってしまったが、その検索結果表示の速さ、検索した言葉が載るページの正確さ、などかなり衝撃的だったものだ。これ以後、ポータルサイトから目的のサイトを探すなんてことはしなくなってしまったし、関連ページとの相互リンクなんかもあまり熱の入らないものになっていった。その後Googleは検索業界でほとんど独占状態の優位を誇り、さまざまなジャンルへ手を伸ばして今も大活躍中なのは御存じの通り。

 何か調べ事がしたいとおもったら、とりあえずその言葉をググってみる、という習慣を持つ人は多いだろう。僕も「史点」を書くにあたってずいぶんお世話になってきた(本題から外れるがWikipediaの出現もネット史上の画期だろう)。確かにこれだけネット上に情報があふれ、あるいは各分野に詳しい人がその知識を惜しみなく発信してくれるようになった現在、たいていのことはネット上のどこかに書かれていて、Google検索にひっかかる。これは大変便利な世の中になったもんだ、と思うばかりなのだが、問題はその情報が正しいのかどうかを検索した当人が判断しなければならない、ということ。そりゃまぁ書籍だって嘘だらけのものは多いし、百科事典にだって誤りは載っているものなのだが、ネットの場合はさらにカオスな世界となっていて、実のところそのカオス度は高まる一方のようにも思える。「ネットで真実」なんて言葉は今は揶揄にしか使わないもんだしね。
 そして困ったことに、ググるとどうしても目を引くような内容、あるいは見出しのサイトが上位に来やすい。そうした上位に来るサイトにはかなりいい加減な、あるいはそもそもデマやヘイトな情報を拡散することを狙って検索にひっかかりやすくしてるものが多く、ますます誤りをそのまま信じてしまう人が増えるという事態になる。僕も身近に経験してるが、どうも人間というのはマスコミの流すいい加減な話にひかかる人も多い一方で、マスコミ不信でありながらネット検索作業は自分の手でやるせいかそれで見つけた嘘情報をアッサリと信じてしまう、という困った傾向が強いらしい。最近、健康情報などでまったくのデマや他サイトからのコピペだらけで問題になったケースがあったが、あの手のことは大なり小なりたくさん起きている。

 ようやくニュースネタになるが、先月にイギリスの新聞が、「『ホロコースト』でググると否定論サイトが上位に来る」と問題提起をし、Google側も対策をすることを表明した。これは英文検索での話だったが、つい先ほど僕も日本語でググってみたところ、一番上位にはWikipediaなど百科事典的サイトがひっかかるが確かに1ページ目から否定論を主張するサイトがひっかかっている。伝統的に反ユダヤ思想がある欧米だけでなく、日本語サイトでもこんなにあるのかよ、と頭が痛くなる。この手の歴史問題・民族ヘイトに絡んだ言葉でググると精神的に不健康になりそうなほど頭の痛くなる見出しをつけたサイトがズラッと並ぶし、youtubeでも「歴史」と打ち込んだだけで右翼系・ヘイト系動画がずらずら出ちゃうものだ。ネット上で見かけた意見だが、これ、歴史問題だけではなく科学・医療系でも見られる現象らしい。当たり前のことを当たり前に書いてるサイトって上位に来ないのかもしれない。僕はかなり多くのキーワードを設定して目的のサイトを絞りこむのを習慣にしてるけど、単純な単語だけで検索した場合はよりおかしなサイトに誘導されやすいと思う。中高生当たりなんかかなり危険なのではないかなぁ、と危惧するところもある。
 検索エンジンの仕組みについては分からないが、どういう基準で検索し順番並べをしているのか疑問に思うことは多い。問題のある情報は上位に来ないようにする…というのも簡単ではないだろうし、そもそもGoogle一社の判断でそれをやっていいのか、という問題もある。僕自身はアングラなことまでみんな出て来てしまう現在のGoogleを楽しく便利に利用している者ではあるが、広まると明白に「公共の福祉」に反するような情報については撲滅せよとは言わないがあくまでアングラ扱いにしておく方法はないもんかと思う。


 トランプ次期大統領が、自身がスキャンダルをロシアに握られてるとの疑惑を報じたCNNなどを「偽ニュース」呼ばわりしていたが、そもそもその「偽ニュース」がネットで拡散し、一部にはトランプ当選にかなり影響したのではないかとの見方もある。中でも「ワシントン市内のピザ店が児童買春の拠点となっていて、クリントン候補や選対責任者がそこに関係している」という、「ピザゲート疑惑」なる荒唐無稽な陰謀論が投票日前後に爆発的にネットで拡散、本気にした男が真偽を確かめようと銃器を手に店に押しかけ発砲(幸い負傷者もいなかった)するというトンデモ事件が実際に起こってしまっている。ムチャクチャな話なのだが本気にする人はどんな陰謀論でも一定数いるもので、こういう人は一般マスコミが否定するとかえって信じてしまう傾向すらある。その拡散の過程をまとめた記事を読んだが、日本でも特に中国・韓国がらみのデマにおける拡散パターンによく似たものを感じた。正直他国の話とは片づけられない。

 嘘ニュースということでは、パキスタンの国防相がネットで見た嘘ニュースを信じこんでしまうというアブナイ事件も年末に起きた。日本における「虚構新聞」みたいな嘘ニュースサイト「AWDニュース」が、「イスラエル国防相が、パキスタンがシリアに軍隊を派遣したら核兵器で攻撃すると発言した」というウソニュースを奉じたのだが、これがどういう経路をたどってか知らないがパキスタンのムハンマド=アシフ国防相が読んでしまい、「イスラエルはパキスタンが核保有国であることを忘れている」などとツイッターで書いてしまったのだ。世界に大恥をさらすことになったわけだが、ネットをしょっちゅう見て有象無象の「最新情報」を得ながらツイッターでつぶやく政治家は世界中にいるから、同種のことがこれからも多々起こりそうな気がする。
 大統領就任前からトランプさんもツイッターで何かと騒がしく、そのつぶやきで大企業の株価が下がったり、脅しに屈服したりと、これまでにない事態が次々と起きているが、あの調子だとあの人もそのうち嘘ニュースに踊らされて何かやらかしたりするのではなかろうか。それこそ「核のボタン」を持ってる人間だけにかなり怖い。


 ところで「虚構新聞」については、そのセンスもあって僕は長らく愛読しているのだが(「史点」四月バカをやり出したのはあそこを知る前だけど影響は結構ある)、その管理人が先日ツイッターで「ネットを始めたころの、新しいことが始まるようなワクワク感がもうネットにはない」という趣旨のつぶやきをしていたのを目撃して、深く共感するところがあった。世界中の個人が情報発信し、「知の連携・集合」で世界がより良くなるような、そんな妄想を僕も抱いた時期があるんだが(今もそういう側面はちゃんとあるとは思ってるけど)、結局人間自身は急には進歩しないからなぁ…悪い方の知の連携・集合、はっきり言っちゃえば「バカのネットワーク」の方がより目立っちゃってるような気もする昨今だ。、



◆リメンバー・トラトラトラ

 日本時間の12月28日、現地時間の27日に、日本の安倍首相とアメリカのオバマ大統領がそろってハワイ・オアフ島の真珠湾を訪問、慰霊式典を執り行った。明らかに昨年5月のオバマ大統領広島訪問とバーターになったイベントで、ここでも改めて「かつて戦争した国同士が今は固く結ばれた同盟国」という点が全面的にアピールされた形だ。

 発表自体は年末になってからだったが、安倍首相が真珠湾を訪問するのでは、との観測は「オバマ広島訪問」の発表直後から噂されてはいた。広島と真珠湾が釣り合うのか、という気もしちゃうのだが、特にアメリカ人にとってはそういうものであるらしく、「広島訪問」のお返しが「真珠湾訪問」につながるのは自明の理であったみたい。日本政府はあくまで否定しているが、先立って首相の奥さん、昭恵さんが真珠湾訪問をしていたのは日本世論の反応をうかがうアドバルーンであったと思われるし、アメリカ側と綿密に打ち合わせをしたうえでやった外交イベントだったはず。オバマさんにとっては人気の最後に「和解と寛容の政権」なイメージを残すイベントにもなるわけだし、それは次の大統領、就任前から何かと騒がしいトランプさんへの牽制、というよりあてつけになるわけで。

 ところでこの話が出た当初、安倍さんの真珠湾訪問が「現役日本首相では初」と報じられていた。僕は正直意外な気もしつつ案外そんなもんかな、と思ったのだが、その後、よく調べたら吉田茂鳩山一郎岸信介の三人が真珠湾のアメリカ軍司令部を訪問していたと外務省が発表した。この三人のうち岸はもちろん安倍現首相の祖父であり、吉田・鳩山の孫もそれぞれ近年首相になっているという不思議な偶然がある。これら三人が真珠湾を訪問した時には、真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナの上にある「アリゾナ記念館」はまだ建設されてなかったそうで、少なくとも安倍さんはそこを最初に訪問する日本首相ということにはなる。

 イベントはあくまで慰霊と和解、同盟のPRに徹して、過去の謝罪ウンヌンは一切なし、というのも広島の時と同じ。どうせ年末に行くなら12月7日(現地時間)、すなわち真珠湾攻撃の当日にやればいいのに、と思うところだが、それは日本側が避けたとみられる。その日に行けばどうしても「謝罪訪問」に見えてしまうだろうし。奥さんに偵察のように先に訪問させたのを見ても、国内の一部世論、はっきり言っちゃえば安倍さんを熱烈に支える保守層の反応を安倍さんが気にしていたのは確かだと思う。なにせ日本の保守・右翼層では「大東亜戦争」は聖戦なのであり、真珠湾攻撃は当然正当化され、逆にあれはアメリカの陰謀だったとか、日米はソ連の策謀に載せられたとか、そういう話をいまだに好んで口にする空気があるんだから。
 そこへ首相自身が現地に乗り込んで謝罪ではないとはいえ慰霊をし、「不戦の誓い」までしちゃうというのは政治的リスクをともなうようにも思うのだが、先日の北方領土交渉や慰安婦合意、あるいは天皇生前退位の件にも見えるように、他の首相だったら彼らに袋叩きにされそうな話が安倍さんだとその手の人たちも(ブツブツつぶやきつつも)声を上げないという不思議な現象がある。安倍さんが「不戦の誓い」をやってしまうというのも「らしくない」話なんだが、あくまでアメリカとは不戦、ってことなのかな。

 そうした右翼層への配慮だったのではないかな、と思われたのが、この真珠湾訪問にも同行した稲田朋美防衛大臣の帰国直後の靖国神社参拝だ。安倍内閣にあって文字通りの「最右翼」である彼女は毎年例大祭と終戦の日に靖国参拝を行っていたが、防衛大臣となった今年は海外出張にかこつけて参拝せず、所詮大臣になったら政治的配慮か、などと陰口をたたかれていたが、その埋め合わせのつもりもあったかもしれない。真珠湾訪問の直後の靖国行きはもしかすると安倍さんの意向をくんだのかな、とも思ったのだが、稲田さんが以前「靖国は不戦の誓いをするところではない」とアッサリ正論を吐いた過去があると知ったら、何やら安倍さんに対するあてつけのようにも見えてくる。どっちかはともかくとして、真珠湾訪問の翌日に靖国行くってのは「トラ・トラ・トラ(奇襲成功)」ではある。


 真珠湾と言えば「リメンバー・パールハーバー」。真珠湾攻撃は日本からアメリカへの最後通牒手渡し前に行われており、アメリカ政府はこの事実を「だまし討ち」として最大限に利用、その際に合言葉のように言われたのが「リメンバー〜」で、元をたどるとテキサスへの侵略の際の「アラモ砦玉砕」の時に「リメンバー・アラモ」とやったのがルーツらしい。2001年の911テロの際も「リメンバー・パールハーバー」がやっぱり出てきて、日本人としてはちと困ってしまったものだ。
 さて一部にある陰謀論は置いといて、通説では日本側は攻撃前に最後通牒を渡すつもりだったが、本国からの暗号電報を受けたワシントンの日本大使館職員たちがタイプ清書に手間取り、結果的に攻撃より遅く手渡すことになってしまった、とされている。その一方で数年前にも軍部が意図的に電報を打つのを遅らせた(攻撃前に渡すにしても遅いに越したことはない)という説もどっかで目にしたことがある。今回の安倍さんの真珠湾訪問に合わせて、西日本新聞が「外務省が意図的に遅らせる工作をしたのでは?」とする説を記事にしていた。

 この説を唱えているのは九州大学記録資料館の三輪宗弘教授で、根拠となるのはアメリカの公文書館で発見した、1941年12月7日の「午前0時20分」と「午前1時32分」(アメリカ東部時間)に日本外務省が発信してアメリカ海軍が傍受した暗号電文の記録だ。その内容までは記録されてないみたいだが、他の記録と突き合わせたところ、これが対米最後通牒電文の「訂正電文」であった可能性が高いというのだ。
 話が少しややこしいのだが、なるべく簡単にまとめると、日本の最後通牒は全14部からなる長文で、1〜13部まではそれまでの日米交渉の内容をまとめたもの。最後の14部で初めてこれが「最後通牒」「宣戦布告」と分かる仕掛けだという。そしてこの14部はもともと攻撃時間ギリギリにならないと発信されないことになっていた。それはわかるのだが、それより前の1〜13部は前日の6日の午前中までに発信されていた。だがその「訂正電文」が7日未明まで届かず、大使館員たちは清書にとりかかることができないまま(タイプだと全文一気に打たねばならない)、そのために作業が遅れてしまった、という話を元外務省職員が数年前に証言していたという。三輪教授が確認した7日未明の二通の電文が恐らくその訂正電文で、ここからはあくまで推測になるのだが、日本の外務省は意図的に十数時間ほど訂正電文発信を遅らせたのではないか、という話なのだ。立証は難しそうだがありえる話とは思う。


 ところで今回の安倍さんの真珠湾訪問を前に、日米の歴史学者ら50名が安倍首相に「公開質問状」を出していた。50名の中にはアメリカにおけるリベラル文化人代表の感もある映画監督のオリバー=ストーン氏も混じっていた。その内容は、安倍首相が以前国会答弁で「侵略の定義は決まってない」と発言したことなどをとりあげ、「真珠湾に行ってアメリカ人の慰霊をするなら、朝鮮半島や中国、アジア諸国の慰霊もすべきではないか」という趣旨のものだった。確かにごもっともな意見ではあり、日本人はともすれば「太平洋戦争」についてボコボコに負けたアメリカと戦ったという意識はあるが、アジアを侵略した、各地の人々と戦った、という意識が薄い。中国や韓国などから戦争や歴史の話で文句を言われるとアメリカに言われるのとずいぶん態度が違う、というのはある。今度の真珠湾慰霊もあちらではこの質問状同様に冷ややかな目で見られていたみたいだし。とりあえずこの件で安倍首相が何か答えたとは聞いていない。
 
 そして直後には、昨年の日韓慰安婦問題合意一周年を期して、韓国の市民団体が「少女像」を釜山の日本領事館前に設置、いったんは市が撤去したが世論に押される形で黙認してしまい、これに対して日本が対し一時帰国という珍しく強硬な反応を見せた。これがさらに火をつけちゃってる感じもあり、近づく大統領選挙をにらんで有力候補者たちが合意見直しを口にするなど、面倒くさい事態になってしまっている。
 この件については、韓国側に「日本のウヨクを喜ばせるだけですよ」とささやくのが一番効くんじゃないかとも思うし、いっそ完全無視した方がいい気もする。在日韓国人の団体「民団」が撤去を求める声明を出しているし、実のところああいう「運動のための運動」みたいな動きは冷静に考えれば誰も得しない話。そもそも一番の当事者である元慰安婦がほったらかしにされてるようにしか見えない。
 残されてる時間自体あんまりないから「合意」が実現したんだが、朴槿恵政権のスキャンダルで弾劾騒ぎとなったことがめぐりめぐってこの事態につながってしまった。日本では朴槿恵叩きネタをテレビのワイドショーや週刊誌、ネットなどで盛んにやってたけど、分かってる人は朴政権が揺らぐとこういうことになるって指摘はしてたんだよねぇ(産経も途中で気づいたらしく急に反朴槿恵デモを叩いたりしてた)。その朴政権もまた歴史教科書の国定化を進めて保守系に有利な内容にしようとしていて、それがつぶれたのは結構ではあったのだが、あの人の父親以来、韓国と日本の保守政界は実は結構結びつきがあったりするもんで、朴槿恵と日本がダブったイメージで批判されちゃうという、大半の日本人からするとビックリの構図があるようにも思える。あっちはあっちで国内の日本以上に複雑な政治事情が絡んだ問題でもあるようなので、日本からあんまり口を出すとかえってこじれるという気もしてるんで僕は「ほっとけば?」と言っちゃうんですけどね。


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