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2017年3月27日

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◆弾劾の絶壁

 テレビの二時間サスペンスドラマで、ラストになぜか海に面した断崖に犯人が立って罪を告白するという場面が目につく…という指摘はずいぶん前から言われている。僕はその手のドラマをそう見てるわけではないのだが、かつて愛川欽也三橋達也主演の「西村京太郎トラベルミステリー」をいくつか見た記憶では、確かにラストが断崖の上での犯人自白であった覚えがある。追いつめられた犯人の心象風景と実際の風景を重ね合わせた演出ということなんだろうけど、そのルーツをたどると1961年の映画「ゼロの焦点」までさかのぼるのだそうな。

 さて、そんな断崖に立たされて突き落とされた気分だろうなと思う、朴槿恵(パク=クネ)前韓国大統領の話題である。昨年来騒ぎになっていたこの人の各種疑惑について当「史点」ではとりあげてこなかったが、一つには結論が出るまでなんとも書きにくい、という事情があった。僕自身は実のところ、この件はなんだかんだで弾劾・罷免にまでは至らないのではないかと予想していたのだが、結果はご存知の通り。まぁ何というか、展開としては「無血革命」に近い形で国民が国家元首をその地位からひきずりおろしたような形となった。

 思い返せば朴槿恵さんが韓国大統領に就任したのは2013年のことだった。保守系政党「セヌリ党」の代表候補として2012年の大統領選挙に出馬、革新系候補との事実上の一騎打ちを接戦で制して勝利、韓国史上初の女性大統領に就任した。それと同時に父親である朴正熙(パク=チャンヒ)から父娘二代大統領も史上初のことであった。父の朴正熙は史上初の暗殺された大統領になってしまったわけだが、その娘の方は史上初の弾劾により罷免された大統領になってしまったわけで、なんというか、在職中の実績よりその他の点で韓国現代政治史上、記録には残る大統領になってしまったような。

 日本でも例は多いが、朴槿恵さんも間違いなく世襲政治家で、亡き父親の威光をバックにここまでのしあがってきたことは否定できない。朴正熙といえば「金大中事件」に代表されるような、強権的軍事独裁政権という印象も強いが、一方で「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長をもたらしたことで一定の評価をする声も結構あると聞く・実名こそ出してないが明らかに朴正熙と分かる大統領の専属理髪師になっていまった男を描いた「大統領の理髪師」という映画は、内容自体はフィクションとはいえ、朴正熙時代への批判と称賛、ノスタルジーとが入り混じった韓国国民の複雑な感情がうまく表現されていたと思っている。
 そんな「朴正熙の娘」であることが彼女を大統領の地位にまで押し上げた。その時点で父のプラスイメージを重ねた支持と、父のマイナスイメージを重ねた反発とが五分五分くらいだったような印象がある。それがセウォル号沈没事故あたりからだろうか、彼女の大統領としての資質に疑問の声が強くあがるようになり、昨年秋以降の、「友人」である崔順実(チェ=スンシル)氏の政治介入問題が噴出して一気に支持率が下降、大統領辞任を求める大規模デモが毎週のように報じられ、韓国はまるで革命前夜の様相にさえなってしまった。父親ほどではないにせよ、朴槿恵政権も「反政府的」とみなした人物の「ブラックリスト」を作っていたとか強権的な性格は確かにあって、そのことも今度の事態に火をつけた一因のようにも思っている。
 日本ではこのところの日韓関係のこともあったし、そもそも女性政治家は嫌われやすい風土もあるので各種メディアで朴槿恵叩きが流行、この「崔順実事件」も驚くほど熱心にTVのワイドショーが連日とりあげたりしていたが、いざ本当に朴政権崩壊かという段になったらかえってまずい事態になりそうと気付いたようであまり熱が入らなくなった感があった(あるいは韓国の革新系叩きに回ってみたり)。日本政府も実のところ朴政権の方がまだやりやすかったと思ってるようだしね。

 そしてとうとう12月9日に韓国国会で大統領の弾劾訴追が可決、朴槿恵大統領は大統領の職務を停止させられた。ここまでならかつて廬武鉉(ノ=ムヒョン)大統領の前例があり、その時は憲法裁判所で弾劾棄却ということになったのだが、3月10日に憲法裁判所は大統領弾劾を決定してしまう。しかも裁判官8人全員が賛成という完全なる弾劾決定。朴槿恵さんとしてもこの結果は意外ではあったようだ。
 疑惑については当人は全面否認をしているわけで、これほどパーフェクトに弾劾を決定してしまうというのは正直なところ僕も驚いた。一部に、盛り上がる世論の「弾劾罷免以外絶対認めん」という声に司法も後押しされて…という説明も聞いたが、それって民意の反映といえば聞こえがいいけど司法を気分と勢いで決めちゃってるようでもあって危なっかしいものも感じる。

 弾劾・罷免こそ史上初ではあるが、歴代韓国大統領はいろいろと不幸な目に合う、というのはかねて言われているところ。初代の李承晩(イ=スンマン)は亡命、朴正熙は暗殺、軍事政権の全斗煥(チョン=ドファン)盧泰愚(ノ=テウ)は在職中の不正をあとから追及され、廬武鉉は弾劾こそまぬがれたものの退職後に疑惑追及を苦に自殺、それ以外の当人は無事で済んだ大統領でも親族がらみの不正追及は定番で、今回はそうした親族がいなかった代わりに「友人」がその役割をしていた、ということになる。こうした歴史が繰り返される原因については韓国の文化・政治風土とか、いろいろ理由が言われているが、思えば台湾総統も似たようなところがあるし(つい先日、馬英九前総統が何かで訴追されてたような)、日本でもこのところの東京都知事のことを思うと、直接選挙で選ばれて権限も大きいトップ指導者が抱える共通の問題があるようにも思えてくる。

 だいたい最近騒がれてる日本の首相夫人にからむ疑惑の数々(森友以外でも外務省や文科省がらみでいくつか挙がってますよね)って、ちょうど崔順実さんの役割に近い気がするんだが…



◆「聖徳太子」が教科書から消える?

 僕は社会科講師という商売柄、歴史の教科書は商売道具といっていい…のだけど、実はしっかり読むことはあまりない。塾用のテキスト類や問題集でたいていことが足りてしまうからだ。それでもたまに教科書をひらいて文章を読み通してみると、「おや、今はこんな書き方になってるんだ」と面白がることもある。
 情報はどんどん更新されちゃう地理と比べ、歴史の教科書はそうそう変わらない…と思ったら大間違いで、歴史研究の動向に合わせて少しずつではあるが変化している。歴史研究の現場だって世間が思っているよりは年々変化が見られ、それまで「常識」とされてきたことがくつがえされてしまうことはあり、それが教科書に反映するには学会動向から10年ほどの時差がいるようだ、と僕は感じている。

 昔は「常識」のように教わりながら最近では教科書から消えたものとしては、江戸時代の「士農工商」の身分制度だとか(「士農工商」という四字熟語自体中国における理念的用語の輸入)、農民の生活を規制した法令「慶安の御触書」(似たものはあったようだが「慶安〜」という実物が確認できない)などがある。
 肖像画でもあの「源頼朝像」についても歴史学会ではほぼ「足利直義像」と確定していて、教科書でも「頼朝と伝えられる像」といった「逃げ」の入った説明になったりしている。所有者の神護寺はかたくなに「頼朝像」と主張してるんで、その画像の使用許可をもらうために中途半端に逃げを打ってる気配もあるな。直義の兄で足利尊氏についてもあの「ザンバラ髪の騎馬武者像」が昔は定番だったが、これも今では教科書ではまずお目にかからなくなった。しかし最近出た歴史漫画でも尊氏はロンゲキャラに描かれることが多く、あの騎馬武者像の影響はまだまだあるようだ。

 さて先ごろ、文部科学省の学習指導要領改定案の中で「鎖国」という表現をやめて「江戸幕府の対外政策」と表現する、という話が出た。実は急に出た話ではなく、江戸時代の「鎖国」イメージの見直しというのは、僕も専門が関わることもあって20年ほど前から学者の間では広く言われていたことなのだ。ひとくちに「鎖国」といっても完全に世界から切り離して閉じこもっていたというわけでもなく、長崎から中国・オランダの文化・情報は入って来たし、対馬藩を通じて朝鮮との交流・貿易もあり、薩摩藩支配下にあった琉球、松前藩支配下にあったアイヌを通した北方貿易は無視できないレベルではあった。合わせて「四つの窓口」があった、という話はもう20年くらい前から学者の間では言われていて、単純な「鎖国」イメージの見直しの必要は主張されていて、それが今頃教科書に反映してきそう、ということなのだ。
 
 また「鎖国」という言葉自体、江戸時代もだいぶ後になってから出てきた言葉で、「鎖国の完成」などと言われる江戸初期当時にそんな言葉はなかった、というのも教科書から消す根拠になってるようだ。それと深読みするなら、「鎖国」という言葉にはマイナスイメージが強くあり、「世界からひきこもって遅れた日本」という従来の江戸時代イメージをふりはらいたい、という意図もあるような気がする。それは妙に江戸時代を礼賛する一部の風潮ともつながる話で…
 結局この「鎖国」消去の話は、幕末の「開国」とのつながりが意味不明になるとの指摘からお流れになった。そもそも日本人の海外渡航は禁止だったわけだし、入り口が四つだろうが五つだろうが、かなり閉鎖的な状況には違いないわけで、特に「鎖国」と呼んで不適切とも僕は思わない。

 で、より注目を集めたのが、あの「聖徳太子」に関する方針だ。いわく、小学校の教科書では「聖徳太子(厩戸王)」と表記、中学校では優先順位をひっくり返して「厩戸王(聖徳太子)」と表記するようにする、という話だった。その根拠は、「聖徳太子」という呼び名自体が彼が生きていた時代にはもちろん使われず、死後百年ほど経ってからついた敬称であるから、ということのようだ。
 これについてもある程度学界の動向を反映したものだろう。厩戸王、あるいは厩戸皇子と呼ばれる人は実在したのだろうが、後年「聖徳太子」と呼ばれるほど数々の偉業を成し遂げてほとんど神格化されるような人物はいなかったんじゃないか――という「聖徳太子非実在説」という主張があり、その影響をかなり受けた措置では、という印象を受ける。もっとも文科省は公式にはそうした説の影響は否定している。
 結局これも国会で問題にされたり、パブリックコメントで批判的な声が多かったということで見直す方向にはなったらしい。僕も思ったことだが、歴史上の人物で本人が生きてる当時はそうは呼ばれていなかった、というケースは結構ある。聖徳太子の同時代人である推古天皇だって当時はそう呼ばれていないし(初期の天皇の「おくり名」は奈良時代にまとめてつけたもの)、その後の歴代天皇だって呼び名は死語に決められている。後醍醐天皇みたいに自分で生前に決めちゃってたケースもあるが、生きてるうちにそう呼ぶことはなかったはず。戦国大名のはしりである北条早雲だって死後の命名だし、数え上げればきりがない。仏教の開祖を「シャカ」と教科書に書いてあるのだって僕は前から疑問なんだが…

 まぁ、以前から文科省が教科書に言い出すことって、謎な話が多かったのだが、この文章をアップする寸前になって、さらに頭を抱えるような話が報じられた。このたびついに正式に「教科」とされた小学生向け道徳の教科書の検定で、物語中に登場する「パン屋」について、「国と郷土を愛する心」をはぐくむという教育基本法(第一次安倍政権での改正でしたな)の観点から問題ありと意見がついたため。教科書会社側がパン屋を和菓子屋に変更した、というアレだ。他にも公園でアスレチックで遊ぶ場面にも同様のクレームがついて和楽器屋を訪問する展開に変わったと言い、世間でもすっかり物笑いのタネにされている。
 大半の人が「バカじゃなかろか」と思う、この「パンは愛国的ではない」という論理、文科省の役人もどこまで本気で考えたかは怪しい。和菓子屋や和楽器屋に変えたのは教科書会社側だが、おそらく意見がついた時点で「日本の伝統文化的なものにしろ」というニュアンスを感じて(こういうことは直接的には言わなそう)、そう、いま流行の「忖度(そんたく)」をした結果なのではないかと。そしてそんな意見をつけた文科省の役人たちも、おそらくは道徳教育を推進した政権与党の政治家たちの「愛国・伝統文化大好き」な嗜好を「忖度」したのだと思う(すでに文科省は道徳教材に保守系で人気のある「江戸しぐさ」という大嘘を載せてしまった前例あり)。でなきゃ、あんなアホラしい意見や変更なんて出てこないはず。あるいはバカバカしくても何か意見をつけることで文科省の権力をアピールしたかったのか。

 どう考えてもこんな「道徳」の教科書で学んだところで道徳心など育ちはしない。教育勅語を意味も分からず幼稚園児に暗唱させてた幼稚園と発想が一緒なんだよな。そして、前回も書いたように「道徳教育」を唱える人に限って当人の道徳性が疑われる事例が多い。文科省といやぁ、違法を承知の天下り工作がつい先日世間を騒がせたばかりだったよなぁ。



◆待てばカイロで日の目見る
 
 エジプトの首都はカイロ。しかしエジプトの5000年にも及ぶ長い歴史から言えば、カイロが都として繁栄するようになったのはだいぶ「最近」になってからのこと。早く見積もってもイスラム教勢力がこの地を支配した7世紀以降のことで、5000年からあるエジプト史の長さから言えばてんで「最近」だ。長い長い時間をかけて待っていればカイロのような大都会が生まれる時が来る、ということから「待てばカイロの日和あり」という諺が…というのはちと早い四月バカであるが、「海路の日よりあり」だってもともとは「甘露の日和あり」の言い換えから始まったものだそうだから、「カイロの日和」も「ローマは一日にしてならず」みたいなことわざとして定着するかもしれんぞ、うん。

 3月9日、その大都市カイロの東部、20世紀以降にベッドタウンとして開発され労働者階級の住宅地となっているマタリア地区の地下から、ケイ岩製の巨大な人物像の胸から上、頭部の一部が発見された。まだ一部しか掘り出されていないが全身が見つかれば推定8〜9mくらいの大きさという。この地にはかつてギリシャ語で「ヘリオポリス」と呼ばれた神殿が多く建設された地域で、この巨大な石像もそうした神殿にあったものとみられる。そしてなんといってもセンセーショナルに報じられたのが、この像が有名な古代エジプトのファラオ、ラムセス2世の像ではないかとの専門家やエジプト考古学相による推測だ。
 まだ石像にラムセス2世であることを示す銘文などは確認されていないが、石像自体の推定年代がおよそ3000年前とラムセスの時代に重なること、発見場所がラムセスに捧げられた神殿の門付近であること、さらには今度の発掘でラムセス2世の孫であるセティ2世の石像(こちらは80cmほど)も発見されたことからラムセス2世の像である可能性はかなり高いとのこと。そもそもラムセス2世はやたらめったら自身の像を作らせていて(有名なアブシンベル神殿の4体並んだ巨像も全部彼の像だ)、2006年にもカイロの市場の地下から複数のラムセス2世像が発見されているとのこと。まぁそうひょいひょい出るわけでもないんだろうけど、彼の像の希少価値自体はそんなにないみたいなんだよね。

 ラムセス2世はエジプト第19王朝の第三代ファラオで、紀元前14世紀末から紀元前13世紀末まで、一説に66年間君臨して90歳くらいまで生きたと言われている。古代エジプトで最も有名なファラオと言っていいと思うんだけど、考えて見りゃその時点で第19王朝。その前に18個も王朝があり、2000年近い歴史があるわけで…第19王朝なんてエジプト史では「新王国」に分類されちゃうんだよな。気が遠くなる話だ。

 ラムセス2世はエジプトの領土を拡張、多くの建造物も残していることから、古代エジプトでも最強のファラオとして名を知られているが、欧米でとくに彼が意識されるのは、やはり旧約聖書が伝えるモーセに率いられたイスラエル人の「出エジプト」がラムセス2世の時代に起こったと推測されていることにあると思う。過去に製作された「十戒」「プリンス・オブ・エジプト」そして最近の作品である「エクソダス」といった「出エジプト」テーマの映画作品ではモーセと兄弟のように育ち宿命の対決をすることになるファラオは「ラムセス」として登場、明らかにラムセス2世のこととして描かれるのが定番だ。ラムセスの扱いはだんだんマシになってる気もするけど結局は主役モーセのカタキ役、ヤラレ役なんだよなぁ。
 いつからそういう話になったのかは知らないが、モーセが実在したとして生きていたと考えられる推定年代にラムセス2世と重なるものがあること、ラムセス2世自体があまりに有名なので彼と組み合わせた方が話が面白いから、という理由でそうなったんだと推測してるけど、もちろんエジプト側には「出エジプト」のような大事件があったなどということは一切記録されていない。まぁ古代エジプトでも「都合の悪い歴史」は書かなかったり改竄したりということはあったみたいだけど…

 ラムセスも神殿を築いた「ヘリオポリス」は、その後エジプトがローマ帝国に征服され、やがてキリスト教が支配的になっていく歴史の中でどんどん破壊され、やがてはカイロの市街地建設の材料として石が再利用されてしまったりした。今や遺跡は住宅地の地下に埋まっている状態で、掘ればまだまだいろいろ出てくるんじゃないかと考古学者らは言ってるらしい。
 なお、今回見つかった「ラムセス2世像(仮)」、まだ全体発掘さえすんでないというのに2018年オープン予定の「大エジプト博物館」の入り口に飾ることが決定してるそうである。さすがラムセスの御威光、といったところだが、一方で観光立国でがんばらなきゃいけないエジプト政府の強い意向も反映してるようである。地下資源にして観光資源というわけで、これからも市街地をほっくり繰り返し続けることだろう。



◆ゆく川の流れは絶えずして

 ニュージーランドの先住民といえばマリオ、ではなくてマオリ。いや実際、中学生相手の授業で生徒に「ほら、あのゲームのキャラみたいな名前の」ってヒント出したら素で「マリオ」と答えられたことがあったもので(笑)。
 マオリといえば、その戦いの前の踊り「ハカ(ウォークライ)」がニュージーランドのラグビナショナルーチーム「オールブラックス」の試合前景気づけで必ずやることになっているなど、世界の先住民の中では比較的その文化が尊重されているような印象がある。まぁ過去にはそうでもなかったろうし今も実態としてどうなのかは分からないが。

 そんなニュージーランドで、、マオリが先祖以来崇拝する川について、法的人格、つまり「法人」として認めるという法案が可決された、とのニュースが流れた。法人と言えば財団法人やら宗教法人やら、組織・団体に人間同様の権利w持たせるものということなのだが、さすがに自然物を「法人」と認定するのは世界初とのことだ。
 対象となったのは「ワンガヌイ川」という川。ニュージーランド北島にあり、同国で三番目の長さをもつ川で、マオリたちは「テアワトゥプア」と呼んでいる。古来よりマオリたちが神聖視してきた川で、少なくとも19世紀末以来、その川の周辺の権利をめぐってマオリと政府関係が法廷闘争をしてきた歴史があるという。このワンガヌイ川、調べてみると上流が国立公園となっている一方でダム・水力発電所も建設されるなど環境破壊を受けた面もあるみたいで、それが一世紀に及ぶ法廷闘争の原因でもあるようだ。今回成立した法律はこの長い闘争に決着をつけ、マオリ側の主張を全面的に受け入れたものといっていいみたい。

 その法律ではワンガヌイ川を「生きている実在物」と規定、法的な人格を認められて権利や義務、法的責任を有することを認める。といっても川は何も言えないので(そもそも川自体は知ったこっちゃないだろうが)、マオリ側と政府側から2人ずつ弁護士が「代理人」としてつき、川の権利を守る役目をすることになるという。そしてこれにともない長年にわたったマオリと政府の裁判費用およそ8000万NZドル(約63億円)および環境改善のための費用3000万NZドル(約24億円)が政府から支払われるとのこと。う〜ん、どっかの国の国有地払下げの話がみみっちくなるほどのスケールですな(笑)。

 面白い話題だけど、これだけだとちと文量が足りないな…と思っていたら救いの手が(笑)。
 上のニュースが流れた直後、「そんなこといったらガンジス川なんて人格どころかすでに神格を有してる」という発言をネットで見かけて「なるほど」などと思っていた。ガンジス川はインド北東部を流れる大河で、ヒンドゥー教徒にとって聖なる河と崇められ、多くの人々が沐浴する光景がよく紹介されている。死んだら遺体なり遺灰なりをこの川に流すというのもよく聞く話だ。

 ニュージーランドの報道が流れた数日後、インド北部のウッタラカンド州の裁判所が、ガンジス川とその支流のヤムナ川について「生きている存在」、つまりは人間と同様の権利などを持つとの判断を下した。裁判所はその根拠としてこれらの川が環境破壊によって「存在そのものが失われかねない」状況にあり、その保全に非常手段を用いる必要があるから、としたのだそうで、要は環境破壊対策のために「法人」発想を持ち込んだということみたい。僕が見た記事によるとガンジス川もそうだがヤムナ川はインド首都圏の飲料水の源とされながらその水質は最悪と言っていいほどだそうで…

 こちらの判決でもガンジス・ヤムナ両川のに「法的な後見人」がついて川の管理を行うことになるとのこと。そう聞くと別に人格だのなんだの認めなくても環境改善をちゃんとやればいい話なんじゃ…とも思えちゃうのだが、「人格」みたいなものがあったほうが環境を良くするにも「思い入れ」が違うかもな。記事によるとガンジスもヤムナも現地では擬人化、というか擬神化が行われていて、女神の姿で表現されているそうな。「ガンジスちゃん、ヤムナちゃんをきれいにしましょう!」と言った方が効き目があるということか(笑)。何やら最近日本で流行ってる「艦これ」だの「刀剣乱舞」だのといった「擬人化ゲーム」にも通じる話のような。


2017/3/27の記事

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