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2017年4月24日

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◆今週の記事

◆そしてついにいなくなった

 4月15日、イタリア北部ベルバニアに在住するエンマ=モラーノ=マルテイヌッツイさんという女性が亡くなった。御年117歳。その時点で世界最高齢とギネス認定されていた女性であり、1899年生まれの、確認される限りで最後の「1800年代生まれ」の人物であったと考えられている。なお「最後の19世紀生まれ」ではない。「19世紀」は1900年までであり、彼女の死により新たな世界最高齢となったジャマイカ人女性ヴァイオレット=ブラウンさん(1900年3月10日生まれ)と日本人の田島ナビさん(同8月4日生まれ)の二人がまだ残っている。といっても全世界であと二人だけなのだなあ…。

 エンマ=モラーノさんがこの世に生を受けたのは1899年11月29日のこと。同年の世界史的な事件をあたってみると、アメリカとスペインの米西戦争が終結するも、それと連動して独立を目指すフィリピンをアメリカがつぶす「米比戦争」が勃発している。他にはイギリスが「第二次ボーア戦争」を起こしていて、まさに帝国主義全開の時代。フランスでは無実の罪を着せられたユダヤ人軍人のドレフュスがようやく釈放されている。
 エンマさんと同じ1899年生まれの有名人を探してみると、外国人ではアメリカのギャング・アル=カポネが目につく、日本では現在主人公にした漫画が雑誌連載中の元首相・池田勇人、「のらくろ」の漫画家・田河水泡、戦前戦後の右翼の大物であった赤尾敏笹川良一、左翼えは幻の映画「実録日本共産党」の主役級であった渡辺政之輔(脚本世なんだけど完成してたら異色の傑作だったろうな)、小説家が妙に豊富で川端康成徳永直宮本百合子川口松太郎壺井栄、外国ではアーネスト=ヘミングウェイ。逆にこの年に亡くなった大物を探すと勝海舟がいたりする。

 エンマさんは8人きょうだいの長女で、長寿の家系というやつらしく、一族で長命の人が多く、妹さんの一人は2011年に102歳まで生き抜いている。だがご本人が「あまりいい人生ではなかった」と述懐してるように、彼女自身の人生は大ざっぱに見ると不幸が目につく。1926年に結婚したが、1937年にようやく授かった子供を6カ月で失っている。しかも夫がかなりの「暴力夫」であったため翌1938年から別居するようになる。当時のイタリアでは離婚(特に妻の側からの要望)はかなり難しかったようで、以後別居状態のまま工場で働いて自立、70年以上一人暮らしを続けていた。インタビューで「誰の支配も受けたくなかった」と語っていて、この世代の女性としてはかなり自立姿勢の強い人だったのではないかな、と思える。

 彼女に特に長寿の秘訣があったというわけではないようだが、報じられるところでは若い頃から一日3個の生卵を食べる習慣があり、老後は2個に減らたものの亡くなる間際までその習慣は続けていた。他にビスケットやチョコレートをつまみ、ブランデーを飲み…とまぁ、それだけ聞いてるとなかなか優雅な長い人生を送ったという気もする。歌や踊りが得意だった、なんてあたりもラテン系らしい感じがするし。

 2011年にイタリア大統領から「共和国功労勲章」を授与され、2013年にはイタリアおよびヨーロッパにおける存命最長寿となり、2015年の誕生日に116歳を迎えると(イタリア人としては初)ローマ法王フランシスコから祝いの手紙を贈られている。そして去年の5月に存命世界最長寿の人物となるに至った。
 ギリギリまで元気と言えば元気だったがさすがに数週間前から眠って過ごすことが多くなっていて、4月15日に亡くなった時は自宅で椅子に座ったまま呼吸が停止するという、見事なまでの大往生であったという。117歳と137日の人生は、三世紀にまたがって生きた人物の中では最長記録となるそうで。

 今頃閻魔さんとエンマさんが顔合わせしてるな、などとギャグにするのは日本人だけだろうな(笑)。



◆刀と自治体

 近頃は日本刀を擬人化したゲームがきっかけとかで日本刀マニアが増えたらしい。ネット上で南北朝関連の検索をかけていても刀剣がらみの話題投稿にぶつかることが多い。そうしたブームとあんまし関係ない気もするのだが、刀がらみの話題を二つ。

 新潟県上越市といえば、知名度抜群の戦国武将・上杉謙信の故郷であり、その居城であった春日山城の遺跡がある。その上越市がこのたび、「謙信の愛刀」を3億円以上かけて購入すると決定したのだが、一部市民からは「税金の無駄づかい」と反対の声が上がっているという話題が産経新聞に載っていた。
 問題の謙信の愛刀というのは、その形がヤマドリの尾羽に似ていることから「山鳥毛」という呼び名がつく、正真正銘謙信が愛した逸品で、国宝にも指定されている。この刀は謙信からその養子・上杉景勝に引き継がれ、その後どういう経緯があったか知らないが現在は岡山県在住の個人が所有し、岡山県立博物館に「寄託」されているとのこと。その「山鳥毛」を、謙信の故郷で呼び戻して近くリニューアルオープン予定の博物館の「目玉展示物」にしたい、というのが上越市側の思惑らしいのだが、「山鳥毛」の鑑定評価額は実に3億2000万円。その財源となる事業費3億3000万円が平成29年度予算案に組み込まれ、先日市議会を無事通過、とりあえず刀を買う予算自体は確保した格好だ。

 しかし3億円ものカネをどっから捻出するのかというと…市では市民や企業の寄付をアテにしているのだが、現時点で集まった金額は6500万円にとどまる。となると残りの2億6000万円ほどは税金投入を余儀なくされることになる。もう議会を通っちゃった話とはいえ、いざ現実問題となると疑問を覚える市民も出てくる。その産経記事によると税金投入に反対する市民256名の署名も市議会に提出されているという。
 村山秀幸市長は昨年の市議会で「謙信公が残された『義の心』が改めて認識され、ふるさとへの市民の愛着や誇りの象徴の一つとして、後世の地域社会にもつなげていくことができる」と刀購入の意義を訴えたそうだが、「義の心」とかなんとか言いつつ本音のところは地域おこし作戦の一つだろう。もちろん地域おこし自体は否定しないが、義の人謙信公としては愛刀が客寄せみたいに使われるのはどう思うかなぁ、とも。
 その客寄せについても問題が指摘されている。この「山鳥毛」は国宝なので、文部科学省のお達しにより展示・公開はかなり制限されるのだ。なんでも展示は年間で2回まで、その2回分合わせても最長60日間しか展示・公開は認められないのだ。博物館の目玉にしようにも一年365日のうち最長でも60日しか展示できないとなると、「死蔵」は言い過ぎだが購入費・維持費も考えるとどうなのよ、という気もしてくる。余談ながら、先日某大臣が学芸員には観光マインドが足りないとか言って「学芸員はがん、一掃しろ」と発言、事実関係も間違いだらけであったため撤回するという騒ぎがあったが、どうもこういう展示物の扱いの話もあの発言につながっているんじゃないかという気もする(地方では観光開発中に遺跡が発見されると業者と学芸員でモメたりするらしいしね)


 もう一つの刀の話題は、群馬県は前橋市から。こちらの刀は吉田松陰とこれまた大物に関係している。ニュース元は珍しく「週刊ポスト」である。
 吉田松陰と前橋、一見無関係そうだが一昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」を見てた人なら関係に察しがつくだろう。あのドラマは松陰の妹・を主人公にしていて、彼女の再婚相手にして初めは姉・寿の夫であった楫取素彦が初代群馬県令で、前橋に県庁を移した張本人なのだ。前橋にとっては県庁所在地にしてくれた恩人ということになるが、高崎市からは県庁を奪った主犯(なんでも前橋に移すのは一時的、という言い訳をしたらしい)として恨まれることとなった。そんな事情もあって「花燃ゆ」終盤は念願の「地元大河」ということで前橋ではいろいろ作って盛り上げようとしていたらしいが、番組の評判自体がねぇ…

 さて本題の刀のことだが、吉田松陰はご存知のように「安政の大獄」により幕末の風雲序盤段階で命を絶たれてしまった。その松陰の形見の短刀を妹の寿が持っていて、それを群馬出身で後に生糸貿易の大物となる新井領一郎が初渡米する際に寿から「この短刀には兄の魂が宿る。兄の夢であった太平洋を越えることで魂は安らかに眠れる」として贈られている。この新井領一郎の孫が、日本研究者にしてアメリカ駐日大使となったエドウィン=ライシャワーの妻ハル=松方=ライシャワーであるというのがまた面白い歴史のつながりで(名前から察せられるように松方正義の孫でもある)、ハルの著作の中でこの短刀の件が紹介されている。彼女の記述によれば短刀には「国富」という銘が入り、長さは35センチほど、鞘には金細工がほどこされていたという。

 その短刀、現在はカリフォルニア州に住む新井領一郎の曾孫が所有しているとのことで、このたび前橋市は展示のためにその人物から短刀の寄託を受けた。そして3月31日から5月7日まで前橋文学館で「吉田松陰の形見の短刀」として展示すると発表したのだが、なんとその直後にその短刀が「そもそも本物なのか」という疑問の声が上がっちゃったのである。
 実は前橋市が展示を決めた短刀には、「国冨」ではなく「国益」という銘が入っていた。長さも柄も含めて42センチあり、ハルの記述と食い違う。これについて前橋市側は「銘が一字違いなのはハルの記憶違い、長さも目分量なのだから、だいたい合ってる」という「総合的判断」で松陰の形見の短刀そのものと断定したとしている。あと入れられていた袋にある印が楫取家の紋と「似ている」という、やや頼りない根拠も付け加えていた。
 微妙と言えば微妙なところだが、この短刀、「花燃ゆ」放送の前年に長州は萩市の博物館でも展示を検討したことがあったという。しかし短刀所有者から送られた写真を見て銘や長さの違いが問題になり、展示が見送られた経緯があったというのだ。記事でその判断を下した萩博物館の学芸員さんのコメントが出ていて、短刀が本物である可能性については「ゼロではないが断定するのは早計。そんなレベルじゃない」と言っていた。全面的に怪しいとまでは言えないけど慎重さが求められるところではあるだろう。
 しかし前橋市はこの短刀にずいぶんご執心のようで、すでに昨年8月に寿がこの短刀を領一郎に渡す場面を再現した銅像まで前橋公園に作っちゃってるとか(そこまでする名場面なのか、これ)。週刊ポストの記事でも話がどんどん進んじゃってたので初めから結論ありきの調査だったのでは、と指摘されている。

 まぁ近頃の歴史教科書でも「源頼朝と伝えられる肖像」というキャプションつきで足利直義像が載ってたりするから、「吉田松陰の形見の刀なんじゃないかな、という見方もできるような気もする短刀」くらいの説明をつけておけばいいんじゃないかと(笑)。



◆インドからの宗教ばなし

 現在のインドのモディ首相率いる政権はヒンドゥー至上主義団体を支持基盤としていて、そのためともすればヒンドゥー教第一主義、他宗教に対する排他的姿勢に寛容で、最近のインド国内ではヒンドゥー至上主義的な動きが勢いを増しているとの報道がチラホラ聞こえてくる。以前にもインダス文明の扱いについてそんな話題を書いたことがあるが、今度はヒンドゥー至上主義団体による「自警団」が活動しているという、聞くからにキナ臭そうな話題が報じられていた。

 毎日新聞に載っていた話だが、最近インドではヒンドゥー至上主義者たちによる「自警団」がイスラム教徒を襲撃、下手すると殺害してしまう事件が相次いでいて問題になっているという。さすがに「自警団」たちもイスラム教徒を無差別に襲ってるわけではなく、牛を輸送する業者を襲撃しているのだ。そう、ヒンドゥー教徒は牛を神聖視してるからである。
 その記事に出ていた4月1日に起きた事件では、高速道路上で乳牛をトラックで輸送していたイスラム教徒が「自警団」のバイク集団に襲撃され、トラックにいた一人が死亡、もう一人が負傷したという。似たような事例は他にも起きてるそうで、「神聖な牛を守る」と言いつつ実態としては宗教ヘイト活動になってる気配が濃厚。インドのイスラム団体によればこうした「自警団」の連中は「愛国者」を標榜しているそうで、これまたどこの国でもよくある現象だ。インドではヒンドゥー教徒は8割を占める多数派には違いないが、インド人=ヒンドゥー教徒ってわけでもなく、勝手に「愛国者」を名乗って他宗派を攻撃するのはヒンドゥー教さらにはインドをおとしめる行為とさえ思える。
 さすがにインドの最高裁でもこうした行為は問題とされ、4月7日にこうした「自警団」の活動を禁じる命令を中央政府および6つの州政府に出したというが、イスラム団体側に言わせると政府自体がそうした行為に寛容になってるため、どこまで実効性がある課は疑問みたい。クジャラート州ではつい先月に牛の解体に対する罰則を終身刑に引き上げる法案が可決され、ウッタルプラデシュ州でも宇宇井解体場の取り締まりに乗り出していると書かれていたが、宗教的意識の違いはどうあれそれまでは認められていたものなんだから一方的に禁じてしまうというのもいかがなものかと。もちろん、イスラム多数派の国では豚肉業界をどう扱うかで似たような話があるんだろうけど(イスラエルでも豚肉店問題があったな)、ヒンドゥー教の場合、牛は「神聖」であるだけに感情が激しやすいのかもしれない(ちょっと欧米人の一部の鯨類反故過激派を連想した)

 やや脱線ながら、最初の方で「自警団」というとキナ臭い、と書いたのは、日本で「自警団」といえば関東大震災直後に起こった朝鮮人・中国人などの虐殺事件が連想されるからだ。先日、内閣府のHPの震災関連の資料からこの虐殺事件の資料が削除されたのでは、と奉じられてちょっとした騒ぎになり、結局は「作業上の理由で一時的に消えてただけ」という言い訳がされて資料掲載が復活したのだが、この件もどうも自称「愛国者」の人たちによる運動があったんじゃないか、との見方がある。で、その手の人たちが最近の北朝鮮情勢に絡めて「国内の敵対勢力」への攻撃をツイッター上で扇動していたりして、歴史を繰り返すことにならなきゃいいが、と思うばかりである。


 続く話題もインドからなのだが、こちらはチベット仏教のお話。
 3月末、「チベット仏教最高位クラスの高僧、結婚のため僧位捨てる」という見出しのニュースが流れた。おお、イギリスの「王冠を賭けた恋」みたいな話だなぁ、と思いつつ記事本文を読まないまま三週間ほど放置していた。だがふと気になってよく読んでみたら、これが見出し以上にいろいろと面白い話だったのである。
 
 このたび結婚のために僧位を捨てたというのはティンレー=タイェ=ドルジェ師(33歳)というお方。見出しで「最高位クラス」の僧と紹介されているが、一応チベット仏教の四大宗派の一つ「カルマ・カギュ派」の教主ということになっている。こうしたチベット仏教の高位の僧はよく知られているように「転生」することになっていて、先代の僧が死ぬとその直後に生まれた子供の中から「生まれ変わり」を探し出して後継者にするという伝統がある。このタイェ師も転生してることになっていて、その称号は「カルマパ17世」という。
 …とここまで調べて「あれ?」と僕も思った。「カルマパ17世」って聞いたことがあるぞ、と。そう、2000年に15歳で中国からインドへ亡命して騒がれたチベット仏教高僧がその「カルマパ17世」だったのだ当時の「史点」。え?じゃ、あの人が結婚のために位を捨てたのか?というと、実はそうではないからややこしい。あの亡命したカルマパ17世は本名をウゲン=ティンレー=ドルジェといい、今回結婚をした人とは全くの別人。実は「カルマパ17世」を称する人物は複数存在するのだ。

 基本的にはウゲン師の方がダライ=ラマおよび中国政府の両方が公認している「カルマパ17世」であり、カルマ・カギュ派の信者の大多数もこちらを信奉している。だがその「公認」に反発する人もいたようで、チベット貴族の血を引くタイェさんの方を「転生したカルマパ」と奉じる少数派が存在する(彼らによればタイェさんはわずか1歳半で「自分がカルマパだ」と言い出したとか)。調べてみたら他にもう一人「カルマパ」を名乗る人がいるそうで、「カルマパ」は自称も含め三人もいる状態。以前「ルトル・ブッダ」(ベルバルド=ベルトリッチ監督)という映画でチベット高僧が三人の子供に転生しちゃう(しかもアメリカ白人含む)というトンデモな展開があったが、実際にこういうふうにモメることはあるんですな。ま、すでにチベット亡命政府と中国とで別々の人を認定したパンチェン=ラマの例もあるし、歴史をたどっていけばダライ=ラマだって多分に政治的産物としての「転生」をしてきているものだ。

 タイェ師はこのたび幼馴染のブータン人女性との結婚を遂げ、その代償として僧位を捨てることにしたわけだが、こうした事情を知ると当人はどうせ多数に公認されるわけでもない地位だからもういいや、って気分だったのかもしれない(以後も世界で宗教的活動はするそうだが)。「転生」より自分の遺伝子を継ぐ子孫を残す方を選んだ、ってな見方もできるかな。



◆死んでも安眠できません

 人は亡くなると「永遠の眠り」などと言われて大半の人はその存在すらいつしか忘れ去られるものだが、歴史に名を遺した有名人となると死後もあれこれと話のタネにされ、現世の騒々しい事態に巻き込まれてしまうことがある。そんな話題をいくつか。

 3月末、イタリアの国家警察が、サルデーニャ島を拠点にする犯罪組織「アノニマ・セクエストリ(ANONIMA Sequestri)」のメンバー34人を逮捕した。その容疑は、彼らがある有名な人物の「遺骨」「遺物」の「誘拐」を計画、その人物の遺族から身代金を脅し取ろうと画策した、というものだ。報道を見る限り「誘拐」そのものを実行した様子はなく、あくまでそういう計画を企んで実行寸前だった、ということらしい。日本の国会で議論中の「共謀罪」の本来の使い方なのだと思われる。もともと国際的には「共謀罪」というこの件のようにマフィアなど大きな犯罪組織が重大な犯罪を実行する前に捕まえるために設定されたものだと聞いていて、その辺、今の日本で議論されてる「テロ等防止」の話は意図してかどうなのか、その辺が妙に曖昧になっていて(だいたい法案に最初はテロのテの字もなかった)、使いようによっては治安維持法みたいなことにならないかと危惧する声もある。治安維持法だって作った当初から同じような問題点は指摘されてたけど政府が「一般人は大丈夫」とか言ってるうちにああいう結果になっちゃったわけで。

 話をその事件に戻すと、遺骨の「誘拐」というのは東アジアでも時折聞く話で、当然ながら有名人当人もしくはその親族の遺骨がその対象になりやすい。今度のイタリアのケースも狙われた遺骨の主は結構大物で、その名をエンツォ=アンゼルモ=フェラーリという。そう、自動車メーカー「フェラーリ」の創業者だ。
 自動車は詳しくない僕なので今度の事件を受けてウィキペディアでざっとエンツィオ=フェラーリの人生を調べてみた。彼は1898年の生まれというから、今回「史点」の最初の記事で扱ったエンマさんの一つ年上である(そう考えるとエンマさんの長寿ぶりが実感できよう)。第一次世界大戦にも兵士として参加した世代で、第一次大戦後にレーシングドライバーの道へと進む。1920年代の自動車レース界でまずまずの活躍をして1932年に引退、それから紆余曲折があって第二次大戦後の1947年に自らのレーシングマシン製造会社「フェラーリ」を立ち上げる。本来はレースに参加する方が主目的で、その資金稼ぎのためにレーシングカーをベースにした高俅スポーツカーを製造販売するようになったんだそうで、これが結果的には成功するのだが、エンツィオ本人は市販車の方にはあまり興味はなく、F1チームの指揮に晩年まで関わるなどとことんレース大好き人間であったようだ。
 1988年に90歳で死去、イタリア国内では「北の教皇」とあだ名されるほどの影響力をもつ人物となっていて(もちろん「南の教皇」はバチカンにいる人)、その訃報にイタリアは国民的服喪状態になったという。

 そんな人物だけに死後にその「誘拐」が計画される事態にもなってしまった…ということでもあるかな。もちろん彼の遺族が大富豪であることも理由だろうけど。反攻を計画した組織「アノニマ・セクエストリ」はこれまでにも生きた人間の方の誘拐・身代金要求のほか麻薬犯罪など手広く繰り広げていて、今回の計画は警察が捜査中に偶然知るところとなり、計画実行前に御用となったということらしい。計画では実行グループは二手に分かれ、1グループが墓地から棺を運び出し、もう1グループがアベニン山脈のどこかにそれを隠してしまう手はずだったとか。計画自体は未遂に終わったわけだが、実行されて身代金要求をされたらフェラーリ家としてはどうするつもりだったんだろ。


 もう一つの話題は台湾から。
 日本が台湾を統治していた時代に、ダム建設に貢献した日本人土木技師・八田与一という人物がいる。詳しいことは僕も知らないが、ダム建設のおかげで現地の人が助かったということ自体は事実のようで地元には彼の銅像まで建てられている。それが「いいことした日本人」の代表例としてヘンな人たちに利用される面もないではないが…その八田与一の銅像が「斬首」されるという事件が4月16日に発生して日本でも大きく報じられた。銅像の首を斬った当人は台湾の中国との統一を主張する元市議で、銅像の首と一緒に自首した(自ら首を持ってきただけに)という話だが、主張はどうあれそこで銅像に当たっても…と思っていたら、22日には台北市近郊の公園に建てられていた蒋介石の銅像が「斬首」されるという事件が報じられた。銅像の台座には「228元凶」という落書きがあったといい、蒋介石が台湾に来てから現地住民を弾圧した「二・二八事件」への批判をこめた台湾人側の政治的意図を持った行動であったことを示している。
 その報道で知ったのだが、実は八田銅像斬首事件以前にも、2〜3月にかけて蒋介石像破壊事件が起こっていたのだそうだ。そのため地元では八田銅像の破壊は蒋介石像破壊に対する報復との見方が出ているそうで、蒋介石が台湾に逃げ込んできて以来の本省人(台湾人)と外象人(国民党系)の対立の表れの一つということになりそう。台湾はまた民進党政権になったし、その手の対立がところにより噴出しちゃうのかもしれない。

 歴史人物の像の「斬首」といえば、日本では幕末に等持院に収められた足利尊氏足利義詮足利義満三代の木像が「斬首」され、さらし首にされた一件を連想する。幕末の志士たちはたいてい水戸学由来(さらに言えば朱子学由来の)南朝正統論に洗脳されていたので、「逆賊」である足利将軍三代を「さらし首」にして、ついでに徳川将軍家を暗に揶揄したわけだが、被害にあうのは本人をかたどった像の方とはいえ、死んでる当人も後世の議論に巻き込まれていい迷惑であろうとは思う。


 そうそう、銅像どころか当人の身体そのものをどうしようかという議論が起きてる人もいる。遺体が生前の姿のまま保存されてる歴史上の有名人、ロシア革命の指導者にしてソ連建国者であるレーニンの話題だ。
 レーニンは1924年に亡くなったが、当人は死ぬ間際に故郷に埋めてくれと遺言したと言われる、しかし後継者のスターリンは彼の遺体を保存処理し、モスクワの赤の広場に作った「レーニン廟」に飾ってソ連の「神」のごとく祭り上げた。ソ連崩壊後にもレーニンの遺体を埋葬、あるいは廟から国外へ出しては、との意見も出たが、ここまで保存が続いてるとなんとなく「もったいない」気もしてきちゃうのも人情(当時山藤章二さんが漫画で「我が国に『肉』を輸出する余裕はない」ってギャグを飛ばしてたな)。ソ連崩壊から四半世紀が過ぎた今でもレーニンの遺体はレーニン廟でそのまんま保存されている。
 それが今頃になって、ロシア議会に「レーニンの遺体を廟から出して埋葬しよう」という法案が提出されたというからちょっと驚いた。朝日新聞の報じるところによると主導したのはロシア極右「自由民主党」だそうで、当然ながらロシア共産党は猛反対している。世論は「割れている」とのことで、プーチン大統領も来年の大統領選に向けての微妙な時期に国論が割れるような政策は実行したくなさそう、と書かれていた。
 なまじ遺体そのものがとっといてあるからこその議論だが、レーニンもなかなか安眠させてもらえそうにない。


2017/4/24の記事

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