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2017年11月2日

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◆独立できんたい!

 今回はなんとなく思いついて、岡本喜八監督の映画タイトルのダジャレで統一してます(笑)。当記事のタイトルの元ネタはもちろん「独立愚連隊」ですが、なぜか九州弁なのは強引な語呂合わせと、独立志向の強い言語地域を象徴しようとしたものだとお考えください。
 さて前回「独立、独立!」でとりあげた、クルドとカタルーニャの独立騒動。予想されたことではあったが住民投票したくらいで簡単に独立できるわけもなく、むしろどちらも独立へ向けての立場を悪くしてしまったような情勢になった。

 まずイラク北部のクルド人自治区。住民投票では圧倒的な賛成を集めたものの、イラク政府が独立を認めるはずもない。クルド人自治区がその経済的支えとしているキルクークの油田を、さっそく「奪回」すべく実力行使を開始した。イラク軍はキルクークの油田施設を攻略、クルド側武装組織と戦闘を交えて数十人の戦死者まで出し、結局クルド側が早めに撤退したことで油田はイラク側の制圧下に入った。戦闘まで交えてしまっては全面対決になるのでは、と思いきや、クルド側は今のところそこまでの気はないようで、間もなく両者の間で停戦が合意されている。

 イラク側の攻勢は軍事面だけではない。独立を唱えるクルド人自治区だが、なんだかんだ言ってもイラク国家の中の一地域なのが実態だから、その行政運営の予算はイラク政府が集めた税金から振り分けられている。クルド人自治区が「独立」の姿勢を見せてからイラク政府はこの予算分配をストップさせており、このためクルド人自治区の公務員たちは給料もなく、行政実務も先立つものがなければできず、まさしく「兵糧攻め」状態になっているという。独立をしようとするからには自治区内で税金集めて運営していく方策を考えなきゃいけないと思うんだが、どうもそこまでの準備はなかったっぽい。
 
 また前回も書いたが、クルド側に味方する国外勢力もほとんどない。国内にクルド問題を抱えるトルコ・イラン・シリアといった隣国はもちろん、IS掃討のためにクルド勢力を利用したアメリカも現時点での独立には反対している。イスラエル政府だけが好意的な態度を見せていたりするんだが、これではとても独立なんて実現できそうにない。
 そんなことを書いていたら、クルド人自治区のマスード=バルザニ議長が混乱の責任をとって辞任というニュースが飛び込んできた。独立宣言を急いだために頼みの綱の油田を失うハメになったことで責任追及の声が出ていた、と報じられていたが、やっぱり予想が甘かったんと違うか。


 そして、やはり似たような昏迷状態、というかにっちもさっちもいかない状態に陥っているのがカタルーニャ自治州だ。
 10月27日、ついにカタルーニャ自治州の州議会が賛成多数で「独立宣言」を決議してしまった。これに対してスペイン中央政府はただちにカタルーニャの自治権の一部停止、プチダモン州首相らの解任や州議会の解散を決定、さらにプチダモン州首相はじめ「独立」を推進した政治家たちを「反乱」「反逆」容疑で起訴する構えさえみせている。反乱罪で有罪となると懲役30年くらいになってしまうそうで、その直前にベルギーに飛んだプチダモン氏は国外亡命の噂されているほど(現時点で本人は否定してるけど)。もはやすっかり全面対決、カタルーニャ側も引き返せないところまで来てしまった感もある。

 だがこの「独立宣言」に至るまでにも複雑な動きが見られた。先日、独立賛成派による70万人も参加したとされるデモ行進がバルセロナで行われたが、それに対抗しておよそ35万人参加とされる独立反対派のデモも10月8日に行われていて、賛成派に数では負けるとはいえカタルーニャでも性急な独立に反対している人が一定数いることが示された。そもそも「独立宣言」を決議した州議会だって、定数135のうち独立賛成が70票と過半数あったがそこでも急進派・穏健派の区別があるし、議決では反対票も10票、白票も2つあった。残り53は議決すること自体に反対して退席あるいは欠席したもので、この内訳を見てもカタルーニャ全体が独立に一丸となってるわけではないことがわかる。
 カタルーニャが独立すれば一応そのトップにたつことになるプチダモン州首相自身、独立宣言にすぐにも踏み切るかと思われたが「先送り」を表明して議会選挙を提案するなど妥協姿勢も見せて独立派を失望させた段階もあった。結局中央政府と独立派双方の「強硬」姿勢に板挟みにされて判断を議会に丸投げした結果、議会が「独立宣言」を出してしまい、いよいよひっこみがつかなくなってしまった、という感じ。テレビを見てたらプチダモン氏が故郷の村を訪問して独立支持者に囲まれすっかり独立をあおって中央政府批判をぶち上げていたけど、実のところ本人も困惑してるような気もする。

 こちらもクルドの話と同じで、一方的に「独立」を唱えたところで国外でそれを承認してくれそうなところはない。EU各国は独立を支持せず、仲介を求める声にも「国内問題だ」ということで拒絶を示している。カタルーニャの強みにして独立志向をもつ原因となった経済面においても、独立するなら本社を外部に移転させると表明している外国企業も多い。独立を実行してしまったらかえって自分の経済的優位を失いかねない状況にもなっていて、「独立だ独立だ」と踊り浮かれてる独立派市民たちの姿がテレビなどに映るたび、「そのあとどうするのか、どれほどの人が考えてるんだ?」と思うばかり。実際、新聞では州政府の職員たちが、「独立国家としてどう運営していくのか考えてない」と愚痴る声が紹介されていた。
 前回も触れたスコットランドでは、カタルーニャ側に共感する声も少なくはないらしい(スコットランド独立をめぐる投票のときにカタルーニャが共感してたこともあった)。またベネチアやミラノを含むイタリア北部2州でも先日「自治権拡大」の是非を問う住民投票があってやっぱり圧倒的賛成を得るなど(ここも経済的に優位なところとかカタルーニャと事情が似る)、ヨーロッパのあちこちでくすぶる独立運動に刺激を与えてるところはあるようだ。だがそういった地域がカタルーニャの独立を保証してくれるわけではないしなぁ。

 スペイン政府もあんまり強硬にこれをつぶすと、フランコ独裁時代の再現かと反発されて独立の火を煽ることになりかねないので、やりにくいところではあるだろう。一番無難なのはカタルーニャの方でふりあげた拳をオズオズとおろしてくれることなんだろうけど、どっちみち今後に強いしこりを残しそう。


 独立…というのとはちょっと違うのだが、関連するような話をパレスチナから。
 パレスチナ地域のイスラエル占領地以外を支配下におく「パレスチナ自治政府」なるものは存在するが、「独立国家」と承認してない国も多いし、国連でも「オブザーバー国家」扱いだ(その前は「オブザーバー組織」扱いだった)。対するイスラエルの方は完全に独立国であるのと比べるとえらい不公平に見えるのだが、ユネスコがパレスチナ寄りだ、ってんでアメリカとイスラエルが先ごろ仲良くそろってユネスコ脱退を表明しているくらいで、イスラエルはアメリカの力もバックにパレスチナに高圧的だ。アメリカの方はもともとイスラエル寄りだったがトランプ政権になってその傾向をさらに強めていて、一時「アメリカ大使館をエルサレムに移転させる」のではと警戒されたこともあった。

 話を戻すと、パレスチナの方も一枚岩とは言い難かった。ヨルダン川西岸を支配し、パレスチナ自治政府の中心をなしている政党「ファタハ」に対し、ガザ地区を支配するイスラム原理主義勢力「ハマス」とが対イスラエル姿勢をめぐって対立、一時は内戦並みの状況になっていた。「ハマス」の方はイスラエルや欧米諸国からテロ集団扱いもされ、イスラエルのガザ地区への攻撃がしばしばあったのも記憶に新しい。そのパレスチナの二つの勢力「ファタハ」と「ハマス」が和解にこぎつけたというニュースが先日10月12日に流れて、ちょっと驚いていた。エジプトを仲介役として交渉がここしばらく続けられていたのだそうな。
 二つの勢力の対立はここ十年ばかり続いていて、パレスチナ自治区はヨルダン川西岸とガザに地理的だけでなく政治的にも分断された状態だったが、今度の合意でハマスはガザ地区の行政機構を解体してファタハのパレスチナ自治政府の統治下に入ることに合意したといい、細部はともかくパレスチナが政治的に統合されることにはなる。ただ、それこそイスラエルがまた騒ぎ出しそうだし、その直後にあったアメリカともどものユネスコ脱退表明もちょこっと絡んでいるのかもしれない。


 そうそう、カタルーニャ独立騒動に関して書き忘れていた小ネタを。
 ずいぶん前にカタルーニャの問題を取り上げた際、スペインのプロサッカーリーグの「FCバルセロナ」のことを取り上げたことがある。今度のような事態に至る感情もあって、レアル・マドリードとFCバルセロナの試合は、日本の巨人阪神戦なんてメじゃない盛り上がりをする名物カードとされるのだが(この騒動の最中にもこのカードで対戦、バルセロナが勝った)、実際にカタルーニャ独立強行、あるいは独立つぶしが行われた場合、FCバルセロナはそのままスペインリーグでやっていけるのかどうか、本気で懸念され始めているのだ。一部では「イングランドのプレミアリーグでプレイしたら」なんて声まで上がる始末。
 前にもそんなことを書いた気がするんだけど、いっそ独立するかどうかサッカーの試合で決めちゃってはどうか(笑)。10年ごとにレアルとバルサの大決戦をやって決めるようにすれば、実に盛り上がると思うんだが、って、他人ごとだから勝手なことを書いてますな。



◆暗殺街の対決

 タイトルの元ネタは「暗黒街の対決」。いちいち説明しなきゃいけないところが今回の苦しいところ。

 さて、今年最初の大ニュースは金正男氏の暗殺だった。政治的暗殺、というのは歴史を振り返ればよくあることではあるのだけど、現代においてこんな古典的な「暗殺劇」が演じられてしまったことにも驚かされたものだ。と、そんなことを書いていたら、金正男氏の息子まで暗殺しようとしていた北朝鮮の工作員たちが中国で捕まったとのニュースが…ホント、そこまでやるか、という話である。
 昨年亡くなったキューバ革命の指導者フィデル=カストロは、生涯に638回の暗殺未遂があったと言われ、ギネスブックにも登録されてしまっている。まぁよく無事にベッドの上で自然死できたものだと思うばかりだが、そのうち147回の暗殺未遂はアメリカのCIAによるものであったという。こう数字を並べると案外少ない気もしちゃうな。CIAだけでなくキューバ利権を失ったマフィアなんかも彼の命を狙っていたとされるんだが、この暗殺未遂回数はどこがちゃんと数えてるんだか。

 このたび、1975年に作成された、カストロ暗殺計画に関するCIAの報告書が機密解除となり、当時のCIAがあの手この手でカストロを亡き者にしようとしていたことが改めて明らかにされた。特に奇想天外として紹介されていたのが、皮膚病を起こす病原菌を仕込んだダイビングスーツを、弁護士を通してカストロに進呈するという作戦。他にも毒入り葉巻だの、貝殻爆弾だの、皮下注射できるボールペンだの、いずれも思案段階どまりだったようだが、ほとんど「007」シリーズを地で行くような計画の数々が実際に考案されていたというのが面白い。それだけCIAも一生懸命だったんだろうけど、これといって有効な手がなかったから、でもさるんだろう。
 ただこの話、10月28日付で、下記のケネディ関連機密文書と一緒に航海されて報じられたのだが、ネットでちょっと当たってみると昨年末の時点でまったく同じ内容の報告書の話がAFP通信などで報じられていた。う〜ん、どういうことなんだろ?


 そうしたカストロ暗殺計画を認める立場にあったのがジョン=F=ケネディ大統領。だがご存知の通り、実際に暗殺されたのはこっちの方だった。1963年11月22日、ケネディは訪問先のダラスでパレード中に狙撃され、命を失った。容疑者として逮捕されたのが、海兵隊出身でソ連への亡命と再亡命というややこしい経歴のあったリー=ハーベイ=オズワルドで、その彼もわずか2日後にジャック=ルビーに射殺されてしまった。その後ウォーレン委員会による調査報告書で、事件は「オズワルドの単独犯行」と結論づけられたが、その当時からその結論に疑問を抱く人は多い。CIAやマフィア、軍産複合体やら何やら、さまざまな勢力を「犯人」とする陰謀説が長らく語られ、今でもアメリカ国民の7割がたが「何らかの陰謀があった」と考えているとの調査もある。

 つい先日、トランプ大統領が、この「ケネディ暗殺」に関係する機密文書の公開を発表、大きな注目を集め本人もツイッターで妙に興奮していたが、実はこれ、25年前の1992年に当時の父ブッシュ大統領がサインした法律で決められていたことで、トランプ大統領がやったのはその機密解除延長をしないと決定したことなのだ。それでも安全保障上の理由、プライバシーの問題(存命の人物については確かに問題はある)などから全面解禁したわけでもない。一部については当分先送りのような報道も流れたが、結局来年にはあらかた公開ということになるようだ。
 今度公開された文書、それだけでも膨大な量なのだそうだが、今のところ特に大きな新事実は報じられていない。オズワルドとKGBの電話を盗聴してたとか、カストロ犯人説はCIAも否定的だったとか、事件直前にそれを予言、あるいは警告するかのような情報があった…などなど、「小ネタ」がチョコチョコ報じられているだけだ。まぁ全面公開したところで大した話は出ないだろうとは前から言われていたけどね。


 暗殺といえば、こんな話題も。第2代国連事務総長だったダグ=ハマーショルドについて、「暗殺の可能性」を示唆する報告書が国連で10月25日に公表されている。
 ハマーショルドはスウェーデン出身、政界入りして外交畑を歩き、1953年に2代目の国連事務総長に選出された。折から米ソ間の冷戦が激しく、それにからめて朝鮮半島や中東で戦火・緊張が相次いでいた多難時期の国連を率いて、さまざまな調停役を買って出ている。ソ連からは何かと目のカタキにされたびたび辞任要求も出されていたが、それをはねつけて職務を続けた。1960年から始まった「コンゴ動乱」の調停のため何度もコンゴを訪問するうち、1961年9月18日に北ローデシア(現ザンビア)で搭乗していた飛行機が墜落、56歳で事故死してしまった。国連史上、今のところ唯一の現職のままの不慮の死であり、その年のノーベル平和賞を贈られてもいる。

 このハマーショルドの事故死については、当時から「暗殺説」がささやかれていたそうで、特にソ連から目のカタキにされていたこともあってソ連による暗殺ではないかと言われたのだ。ソ連でなくてもコンゴ動乱は東西陣営が複雑に絡んでいたこともあってハマーショルドの抹殺を図りたがっていた者はいろいろ考えられ、また事故の敬意についても疑問点があることから「暗殺説」は根強く主張されていた。だからこそ半世紀も過ぎた2013年になって潘基文事務総長(当時)が調査委員会を作って改めて検証させることになったわけだ。

 で、4年がかりの調査の報告書がこのたび出されたのだが、「暗殺説」を強く示唆する内容になているとのこと。もちろん直接的証拠は乏しいので断定的な言い方はいっさいしてないらしいが、搭乗機の墜落が「外部からの攻撃や脅威」によるものだった可能性を強くにじませているという。この調査のきっかけにもなった専門家の意見では「ミサイルなどによる攻撃の可能性」もあるとされていて、それが事実なら暗殺のやり方としてはかなり荒っぽい。これ以上この話が明らかになるとはちょっと思えないのだが、案外現代史でも「実は暗殺」というケースって、いくつもあるのかもしれない。



◆シュゴ大名!

 元ネタは「ジャズ大名」。それで足利尊氏の話を書くというのは、いくらなんでも無理筋だと思うのだが、尊氏が持ち前の気前の良さで恩賞の大盤振る舞いしたことから守護大名が生まれたという俗説(あくまで俗説です)もあることだし。
 今年は書籍「応仁の乱」が売れるという謎の減少があり、それに便乗して室町歴史本がいくつか出て、その流れで南北朝時代を扱った書籍やムックが8月から秋にかけて連発して出た。売れ線を常に探し、すぐ便乗する出版業界らしい動きではあったが、「南北朝」専門書がこれだけ連発して出るというのは、はっきり言って異常事態である(笑)。南北朝マニアを長らくやってる僕などには何か天変地異の前触れではあるまいかと恐れてしまうほどだ。ま、ここで大河ドラマ化とかそういうことでもないとブームは続かないだろうけどね。
 週刊モーニングに昨年から連載されていた「バンデッド〜偽伝太平記」は久々の南北朝マンガ登場と注目したが、残念ながら先週号で実質打ち切りの連載終了。3か月くらい前から急に話を急ぎだしたので予想はしてたんだが、鎌倉幕府滅亡時点で幕引きとなってしまった。南北朝マンガの「討ち死に」の歴史がまた1ページ、となってしまったのが悲しいところ。

 そんな先週に、突然「足利尊氏」の名前がニュースメディアに盛大に踊り、ツイッターでも上位ワードに登場する事態が起こって驚いた。何事かと思えば、「足利尊氏の肖像画」が新たに発見された、尊氏の真の姿を伝えるものかも、という、なるほど目を引きやすい話題であった。
 報道によれば、問題の肖像画は栃木県立博物館の研究員らが2年半前の資料調査の際に、東京都内の古書業者に所有されていたのを「発見」したのだという。こういう古書業界って書状など時々スゴイお宝が埋もれてることが確かにあるのだが、肖像画、それも中世のものというのはあまり聞かない。肖像画は誰を描いたものであるかもわかっていないものだったようだが、肖像の上部に書かれた像主について説明する文章の中に「長寿寺殿」とあり、これが尊氏の関東における「おくり名」であったこと(鎌倉の長寿寺に尊氏の遺髪を納めた墓があるため)、また文章の中で像主の業績として全国に寺と塔を建てたことが記されていて、これが尊氏による安国寺・利生塔建立の事業を指していることから、像主が足利尊氏に間違いなしと断定された。
 ただ、この肖像画は文字の間違いがあることなどからオリジナルではなく、15世紀に模写されたものと判断されている。そしてそのもとになったオリジナルの肖像画は14世紀末には描かれていた可能性が高い。足利尊氏が生きていたのは1358年までで、本人存命時ではないにしても、その面影を知る人たちが生きていた時点で描かれたと思われるから今度の発見は重要なのだ。

 で、その新発見の「尊氏像」のお顔が右図だ。テレビのニュースでもさんざん言われてたが、日本人の多くでこの顔を見て、「あっ!尊氏だ!」と思う人はそうそういるまい。この肖像画の伝来事情は知らないが、所有者もそんな大物の肖像画とは全く考えていなかったと思う。特に目立った特徴のない「エラい人」の肖像画ではあるのだろうが、武士にしては迫力に欠け、垂れ目に鼻のデカい、おっとりとした雰囲気の人物で、それがあのドロドロの南北朝の乱世を生き抜いた尊氏だと言われてもピンとこない人が多いのではなかろうか。

 僕がいくつか見た報道でも、やっぱり「尊氏像といえばこれまでこちらが教科書に載って有名でしたが」という調子で左図が紹介されていた。実際、遅くとも江戸時代以来「尊氏像」とされて有名になっていた騎馬武者像で、戦場で太刀をふりまし、髪もザンバラに振り乱した、ヒゲも濃い勇ましそうな男の姿はいかにも「乱世の英雄」だか「梟雄」だかの姿にふさわしいと思われたのだろう。やや「悪人ヅラ」に見えるのも確かで、江戸時代以来「逆賊」と悪者扱いされたこともイメージが定着した一因かもしれない。
 思い起こせば僕が小学校の時の教科書でも「尊氏像」としてこれが載っていた。もっとも当時すでに南北朝マニアであった僕はすでにこれが「尊氏」であることに疑問符がついていることを知っていた。確か中学の教科書にはすでに載っていなかった覚えがあるが断定はしないでおく。遅くとも1980年代後半にはこの「騎馬武者像」については尊氏ではなくその執事の高師直ではないか、という説が有力になっていたはずだ。それでも一度定着したイメージというのはなかなか払拭できないもので、1991年の大河ドラマ「太平記」で主演した真田広之はこの「騎馬武者像」を常に携帯して役作りしていたそうだし、実際ドラマ中でもこのイメージにかなり近い姿になる部分がある。
 当サイトの「マンガで南北朝!」コーナーを見て頂ければわかるが、数ある学習マンガでも尊氏像といえばこの「騎馬武者像」のイメージで描かれているものが多く、21世紀に入ってからも尊氏を「ロンゲ」にデザインするものが目につくなど、その影響は結構根強い。なお、「バンデッド」が終了したのを機にやろうと予定していた更新作業をこれからやりますんで、よろしく(笑)。

 しかし実のところ「尊氏の真の顔」については大河「太平記」放送時に出た南北朝ムックでも詳しく論じられていて、「騎馬武者像」についてはとっくに否定されていた。では尊氏の真の姿を描いた肖像画は何があるのかというと、広島県尾道の浄土寺に伝わる肖像画がもっとも古い間違いなしの尊氏像として知られている(右図)。14世紀に制作され、おそらく尊氏没後間もないころに作成されたものと思われ、今回発見された肖像画とどこなく顔つきが似ている。そう、垂れ目というか眠たげな眼に鼻が大きいという特徴が共通するのだ。

 尊氏が生きた時代に近い時期に作った木像もある。大分県国東町の安国寺にあるもの(左左)、そし京都等持院に納められた足利歴代将軍木像の中の尊氏像(左右)だ。二つ並べるとソックリ…とまでは言わないが、よく見れば垂れ目気味の両目、大きな鼻といった特徴が共通する。こういう事例がすでに知られていたので、本物の足利尊氏の顔はこういうおっとりした感じのものだったのだろうと専門家や南北朝マニアの間では共通認識になっていた。だから今度の肖像画についても、その顔自体には特に驚きはなく、すでに言われていたことの補強材料になる、という程度。もちろん尊氏の肖像画が新発見されたということは大変大きなことなのだが。

 ここまで来たらついでに書かざるを得ない。実は尊氏の肖像画とされるものは、もう一件存在する。それも昔から広く知られているものだ。今度のニュースでその件に触れたものを僕は見かけなかったが、まだ尊氏像と公式に認知されていないからなのだろう。それは京都・神護寺が所有する三つの肖像画のうちの一つ、「伝平重盛像」だ。神護寺にはこれまた教科書で有名、というか恐らく日本歴史人物の肖像画でもっとも知られたものである「伝源頼朝像」もあるのだが、近年この「重盛像」「頼朝像」は実は「足利尊氏像」と「足利直義像」であるという見解がますます有力になってきている。これもここ20年以上続いている議論なのだが、詳しい話はウィキペディアにもあるのでそっちを参照されたい。学問的にはほぼ決着がついてる状態で、歴史の教科書からあの「頼朝像」もぼちぼち姿を消しそうな気配だ。ただ美術史家の一部に抵抗があること、所有者の神護寺が断固として認めないことなどで広く認知されてるとは言い難い。
 
 神護寺の「伝重盛像」の顔のアップが左図だ。直義像とされる「伝頼朝像」に比べると褪色してるせいもあって面影がはっきり見えないが、じっくり眺めてると顔の輪郭や口ひげ、あごひげの位置や長さなど、ここまで紹介した画像・木像との共通点があるとわかる。また対になってる「直義像」と比べると明らかに「おっとり」な雰囲気を漂わせている。実際、尊氏って『太平記』でもちっとも勇猛ではなく何かというと腹を切ろうとしたり出家騒動を起こしたりした話が伝わってるし、人がいいというか、おおらかというか、そういう性格を伝える逸話は多い。一方で戦場でどんなピンチの時でも「例の笑み」と呼ばれた不思議な微笑を浮かべる癖があった、という話もあって、それがまたこれら肖像画の「おっとり感」にマッチしてる気もするのだ。
 またその一方で、あの「頼朝」として誰もが知るあの顔の人物、尊氏の実弟の直義はなかなかイケメンでキツそうな性格だったことが絵からも読み取れ、実際に伝わる逸話もそうなので、あれを描いた絵師は像主の性格まで再現しちゃう大変な腕前だった、ということになる。

 尊氏の外見的実像もだいたい見えてきたことだし、改めて映像作品の中で新たなイメージの尊氏を見てみたいもんですな。NHKでもどこでもいいから、南北朝に果敢にアタックしてほしいものだ。「バンデッド」の唐突最終回でも尊氏(高氏)がかなり暴れていたので、その無念を晴らしてやりたいものである。



◆日本のいちばんヤバい日

 元ネタはさすがにわかる人が多いでしょう、「日本のいちばん長い日」です。僕なんか毎年8月に鑑賞しちゃうぐらいのめりこんでる名作。
 それにひっかけて「ヤバい日」にしたのは単なるダジャレで、本気でそこまで「ヤバい」と思ってるわけではないのだが、今度の衆院選の展開と結果については、部分的に「ヤバいかも」とは思っている。選挙とは別に、同時期に決まった「ICAN」のノーベル平和賞受賞が、核兵器禁止条約に「反対」した日本政府へのあてつけのようでもあり、直後の毎年恒例の国連での日本の核廃絶決議提案に支持国がグッと減ったりしたことには「ヤバい」と思ったものだが。
 そうそう、このタイトルを決めた直後に日経新聞がコラム「春秋」で、今度の選挙と「やばい」という言葉の変化を絡めて書いていた。最近の若い者は(ああ、このフレーズを使うと年をとった気分になるな)「やばい」を肯定的な意味に使う、という話で、若年層が自民支持多数という話と絡め、それって「やばい」をどっちの意味で使うか?ってな内容になっていた。広辞苑でも載るそうだが、今の「やばい」は全面肯定ではなく「のめりこみそうでアブナイくらいの〜」という強めの言葉を使った裏返し表現なんだよな。

 というわけで、もう特別国会も始まった時期になって、今回の衆議院総選挙についてダラダラと。
 10月22日、僕は一日がかりの仕事が入っていたので投票は市役所で期日前に済ましていた。今回は期日前投票が前回の1.5倍にも及ぶ勢いで、有権者全体の20%程度は期日前投票で済ませたと言われる。じゃあ投票率は高かったのかというと、たったの53%。前回の52%をわずかに上回るとはいえ戦後2番目の低投票率で、これについては明らかに「ヤバい」と思う。有権者の半分程度しかやってない投票で多数決やっちゃうってのは、全体の4分の1程度の支持を得ればいい、って話になるし、小選挙区制ではトップさえとってしまえば「総取り」になり、得票数以上に雪崩を打った一方的勝利になりやすい。選挙が「民意」なのか、怪しくなってきてしまうレベルで、せめて6割か7割くらいは選挙に行けよ、と思うばかり。
 前回の総選挙もそうだったが、選挙戦に突入した段階でほぼ結果が「与党圧勝」と見えてしまったのも低投票率の一因だろう。それと22日当日が台風接近、という与党にとっては「神風」もあった。まぁ台風が来るからと期日前投票が増えたんだから、もともとそのくらいしか投票しなかったんだろうが。
 以前自民党の誰だかが「有権者が寝ててくれるといい」と言ったように、低投票率は与党優勢になるのが常。そういや麻生太郎財務大臣は「北朝鮮のおかげもある」なんて言っちゃってたな。実際そうかどうかはともかく、この人自身がやたらに「武装難民」を口にして煽っていたことは確かだ。

 前回更新時は解散直後で、「希望の党」の立ち上げと民進党の丸投げ合流、そこから小池百合子都知事により「排除」される形になった民進党内リベラル派が「立憲民主党」を結成した…という段階で文章を書いていた。その成り行きに「深く静かに絶望」し、自民党と希望の党の政権選択なんて「門閥貴族連合と救国軍事会議のガチンコ」などと銀英伝的に評したものだが(そういや銀英伝、ホントに中国で実写映画化されるそうで)、そのあとの展開は正直言うとちょっと意外だった。

 「希望の党」が政策的にはどう見ても「第二自民党」で、下手するともっと悪質かもしれないと考えていた僕だが、それでも都議選の小池人気もひきずってそこそこに票を集めちゃうんじゃないかと思っていた。そして一部で「日本のリベラルは全滅か?」と気の早い声もあった立憲民主党については党首の枝野幸男氏からして会見で悲壮感が漂っていたくらいで、僕もそれほど票を集めるとは予想していなかった。

 ところが、である。これらの動きがあった直後、希望の党の支持率は急激に失速、入れ替わりに立憲民主党の人気が急上昇してゆき、選挙結果はご存知の通り、立憲民主党は「野党第二党」の地位を占めることになってしまった(もっと候補者を立てていれば比例でもう一人入っていた)。希望の党の方でも当選者の多くは民進党からの移籍組で、掟破りの奇策で勝負に出た前原誠司氏は敗北の責任をとって代表辞任、小池都知事の方は自身の「排除」発言で流れが決まってしまったことを認めてはいるみたいだが希望の党代表の座はおりないまま。ま、この人の総理への野望もこれでついえたんじゃないかな。
 こういう展開になったのは正直意外だったのだが、結局のところ自民党に入れる気のない人は「第二自民」に入れる気などなかった、ということだろう。またそこから「排除」された人たちが「利益より筋を通して悲愴な戦いに出た」と映って、浪花節好きの日本人の判官びいきな「同情票」が集まることになったのかと。あと、枝野さんって、東日本大震災の時に官房長官として政府発表の「顔」になっていたことで結構人々の記憶に残っていたこともいくらか影響したかも。あの石原慎太郎が民進党議員たちの右往左往ぶりを「関ヶ原」に例えて「枝野は本当の男だ」と持ち上げていた(ジェンダー論的にはちと問題がある発言だけど)のには笑ってしまったが、似たようなことを考えた人は立場を越えて多かったのかもしれない。

 個人的には前回書いたような理由で「希望の党」の方にヤバさを感じていて(もし二者択一だったら生涯初めて自民に入れるかも、と本気で思ったもんな)、急激な失速と事実上の敗北(次の選挙があるのかどうか)は結構なことだと思った。しかし比例九州一位になってた中山成彬氏はバッチリ当選を決めちゃったからなぁ…彼が比例一位ではとても一緒にやれないと言って無所属になった原口一博氏の気持ちは非常に良く分かる(この人も無事当選したけどね)。一方で一時は「若狭新党」と名前までつけてもらっていた小池さんの「側近」のはずの若狭勝氏は「希望の党」立ち上げでも蚊帳の外に置かれて困惑していた姿が印象的だったが選挙でも冴えることなく落選、世をはかなんだのかそのまま政界引退を表明した。こうなると哀れも催すが、一時連携を見せたものの途中から離れた大村秀章・愛知県知事も「みんな小池さんに振り回された」と言ってたように、結局は小池さんの独り相撲なところが多かったのな。
 希望とポジションが似ている「日本維新の党」も今回は凋落が目立った。ここも「中道」なんかじゃなくてかなりヤバい人たちが寄り集まる印象が僕にはあって、特に数々の問題発言で騒がれたキャスター出身の長谷川豊候補が供託金も没収される大敗を喫したのは今回の選挙で大いに結構と思ったことの一つではあった。

 そして自民党は公明党と合わせて3分の2をとる圧勝にはなったのだけど、議員定数自体が465に減ったせいもあって、3分の2ラインが「310」に下がっていたのも勘定に入れるべきだと思う。議席数だけなら自民は前回分を維持し、公明は5議席を減らした。特に選挙区で公明が負けるというのは、「負け戦は絶対にしない」がポリシーの公明党としては相当ショックなんじゃないかと。安倍晋三首相としても本音は公明より希望や維新と組んでの憲法改正に持ってきた允だろうから、今回の結果はあまり本意ではないんじゃないか、という気もしている。まぁいろいろつっこまれないようにするためではあろうけど、選挙の勝利を前にしても安倍さんの表情が一貫して硬かった気はしている。

 自民党では野党時代に総裁だった谷垣禎一氏が自転車事故の怪我から復帰できないまま引退、自民党の「悲運の総裁」史にその名を刻む形になった。自民党副総裁である高村正彦氏も今回は出馬せず引退、地盤はしっかり息子さんが継いで当選を果たしている。他にも自民党では金子一義元国土交通相、保岡興治元法相が引退して選挙区を息子へ継がせている(後者は落選したけど)。強豪世襲家がひしめく群馬では中曽根康弘元首相の孫が出馬して比例で当選していた。ド右翼政治家として知られ、郵政解散で自民を離れ、流れ流れて自民に戻ってきた平沼赳夫氏も今回で引退、これも息子さんへの世襲を画策したが同じ選挙区の自民公認を得られず落選している(当選すれば公認、という条件だった)。他にも亀井静香横路孝弘など、与野党で名の知れた議員が今回で引退している。
 自民党の世襲議員の多さは今に始まったことではないが、今回は「世代交代の引継ぎ」が多く、また安倍内閣自体が世襲率が高く、また応援演説で駆け回り自民勝利に貢献した小泉進次郎氏の印象もあって、僕は「門閥貴族連合」とたとえた次第。このままいくとホントに貴族政治化するんじゃないか、日本は。
 
 結局今度の総選挙は、安倍さんが「小池新党」の準備不足の隙を突いて解散、それが仕掛けた方の思惑を超えた慌ただしい動きを起こして野党側が勝手にコケた、ということになるかと。安倍政権はこれでさらに延命し、歴代でもトップクラスの長さに行きそうな気配。大叔父の佐藤栄作や麻生副総理の祖父・吉田茂を追い抜くのも現実味を帯びてきた…って、こう書いてても永田町界隈の世襲だらけのムラ社会ぶりがよく分かるなぁ。
 勝った与党も、勝たせた国民も、どこかピンと来てない感じの選挙結果。選挙前にかなり下げてたはずの内閣支持率は選挙後にまた不支持が上回るなど妙な形に。与党が3分の2以上をとったことで憲法改正発議へと動き出しそうではあるのだが、それって前回の総選挙の時にも言われていたことだし、どこをどう改正するのかはちっとも話がまとまってないから、そう盛り上がってるようにも見えないんだよな。
 僕個人の商売からいうと、ちょうど中3生に公民・政治分野を教えてるタイミングでの解散総選挙だったので、ちょうどいい実地教育になったのは間違いない(笑)。


2017/11/2の記事

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