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2018年3月12日

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◆野生の証明

 ブーム絶頂はさすがに過ぎたが相変わらず人気なのが上野動物園のパンダ「シャンシャン(香香)」。まぁ実際、「可愛い」要素をこれでもかとつめこんだ存在には違いなく、そりゃ誰でも普通にメロメロになろうというもの。パンダを見ていていつも思うのだが、もしかして彼らは「人間に媚を売る」ことで絶滅を免れようという戦略にのっとって進化をしてるんじゃなかろうか(笑)。
 もちろん進化とはそう簡単なものではなく、ここ1000年あるかどうかという人間とパンダの関係から、そんな適応ができるはずもない。ただ結果的に、パンダはその「愛らしさ」を武器にして人間に寄生して子孫繁栄をしちゃうことになるのかもしれない。

 実質的には「絶滅」してるのだが人間と「共生」することによって世界的に繁殖している動物のひとつに「ウマ」がいる。ウマは動物の分類では「ウマ目」(蹄の数から別名「奇蹄類」)に属し、現在この「ウマ目」には「ウマ科」「サイ科」「バク科」の三科しかなく、特にサイとバクは絶滅危惧種だ。ウマは世界中で結構な数生息しているが、そのほとんどが人間に飼われる「家畜」として生きている状態。この「ウマ科」は5000万年前から3000万年くらい前には世界中でかなりの種が生息して反映していた時代もあって、せいぜいここ数百万年くらいの人類なんかよりずっと先輩格の動物なのであるが、今やすっかり落ちぶれてしまったグループなのだ。

 そういう歴史があるから、当然ウマだって最初から人間の家畜だったわけではない。考古学的調査によると人間がウマを家畜化したのはせいぜい5500年ほど前のことだという。それまでは野生で群れをなして生息し、人間はその肉や毛皮を求めて狩りの対象にしていたものらしい。ウマの家畜化はウシやヒツジなどに比べるとかなり遅かったが、それはウマの操縦法の発明を待つ必要があったため。「はみ」と「手綱」の発明によりウマの操縦が可能になるとウマは馬車を引くことで高速移動・輸送の手段として重宝されるようになり、中央アジアでは馬に直接乗る「騎馬」の技術が進歩して「騎馬民族」の活動を生み出すことになる。以後、人間とウマはウマがあったというよりは人間がウマいこと利用し、ウマは利用されることと引き換えに人間によって生存・繁殖を保証されるというウマい話に乗ることになった。
 機械的輸送手段が発達した現代ではウマの利用価値は主に競争馬方面になってきてしまってる気もするけど…

 さてそんなウマであるが、「野生種」が存在しているのかについてはかねてから議論があった。世界中どこを探しても家畜化されたウマしか見つからず、野生のウマはすでに絶滅したものとも考えられてきた。ただ中央アジアで19世紀後半に「発見」された、いわゆる「モウコノウマ」(学術名は発見者にちなみ「プルツワルスキ」という)は唯一生き残った野生種とみなされ、これもその後一時「絶滅」したものの世界各地の動物園で繁殖させ野生に帰す運動があり、人工的ながら「野生ウマ」を存続させてきたという経緯がある。
 だがその一方で「モウコノウマ」が本当に野生種なのか疑問の声もあった。人間の家畜だったものが逃げ出して野生化した可能性があったからだ。で、このたびその議論に決着をつける論文が科学雑誌「サイエンス」に掲載された。

 その論文を出した研究チームは、世界で最初にウマを家畜化した証拠が確認されているカザフスタンの遺跡で見つかったウマの歯と骨からDNAを採取、ユーラシア各地のウマのDNAと比較した。 さらにすでに公開されている古代ウマ・現生ウマのDNA情報との比較もおこなって、これらのウマの系統を調査した。その結果、「モウコノウマ」はやはり野生種ではなく、5500年前にカザフ北部で家畜化された古代マの子孫であることが確認されたという。つまり「モウコノウマ」は家畜化されたものが逃げて「野生」になっていたにすぎなかった、という結論だ。論文の共同執筆者は記事の中で「これは大きな驚きだった」と語り、「この結果は生きている野生ウマは地球上に存在しないことを意味している。これは悲しむべき部分だ」と発言していた。

 というわけで「モウコノウマ」の件は解決したわけだが、報道によると新たな謎も生まれてしまったみたい。これまではこのカザフスタン北部地域で家畜化されたウマが世界中に広がった、と考えられてきたのだが、今回のDNA調査によりカザフの遺跡から見つかった古代ウマは「モウコノウマ」の先祖ではあったが、現在の世界中にいるウマの先祖ではないことが判明しちゃったらしいのだ。だとすると現在のウマにつながる、「家畜化ウマ」の先祖はいったいどこに?という謎が生まれてしまう。おんまさんたち、あんたたちの先祖はどこウマの骨なんだよ、と。これぞホントの未確認生物「UMA」!とか馬鹿なことを言っておりますが(笑)。



◆人間の証明

 さりげなく、(字は違うけど)森村誠一の小説タイトルシリーズになっていたります(笑)。

 「人間」、という言葉、現在においては「人類」は現生人類ホモ・サピエンスただ一種しかいないので(種の少なさということでは上記のウマ目よりずっと厳しい)、何を「人間」と呼ぶのかは議論の余地がないのだが(もっとも歴史を振り返れば人種・民族が違うと「人間」と見なさなかった例は多々ある)、かつて複数の種の「人類」が共存していた時期がある。「出アフリカ」の先輩であるネアンデルタール人と、「後輩」である我々現生人類とは、数万年程度「共存」していた。最近では両者の「混血」があったことすら確実視され、ひと昔前に思われていたほどネアンデルタール人と現生人類の差はないのでは、と考えられるようになってきている。

 それでもネアンデルタール人については言語も我々ほど高度ではなかったとか、埋葬などある程度の宗教的思考はあったかもしれないが抽象的な思考はできなかった、とする見方が大勢だった。そうした学術的見解を反映して、比較的最近作られた原始人映画に登場するネアンデルタール人の描写はいずれもそんな感じ。当サイトの「歴史映像名画座」で紹介している「洞窟熊の一族」(「エイラ」シリーズ第一作の映画化)および「アオ、最後のネアンデルタール」の二本がそれなのだが、残念ながら日本ではいずれも未公開。見てみたい方はネット上でいろいろ情報をググってもらいたい。

 ネアンデルタール人がそのような文化レベルだったと考えられた理由だが、一つにはネアンデルタール人の遺跡から、「芸術作品」は見つかっていないことがある。この場合の「芸術」とは、洞窟壁画や彫刻のたぐいを指すのだが、こうした最初期の人類の「芸術」作品は現生人類が初めて作ったと考えられてきた。現生人類は幼児でも絵を描き始めるくらいだが、実際にあるもの、あるいは頭の中に浮かんだものを平面や立体に表現するというのは大変な能力で、とりあえず現生人類の活動時期・範囲の遺跡からしか見つからないため現生人類の特殊能力と考えるのが大勢だった。
 また、体格的には現生人類より丈夫に見えるネアンデルタール人が、結局現生人類に押されて消滅していったのは、その「能力差」に原因があったのでは、という見方も強い。具体的にどう差がついたのかは分からないが、現生人類のもつ抽象思考、想像力といった「高い精神性」が結果的に現生人類の優勢をもたらしたのでは、という考えであるわけだ。

 しかし、そうしたネアンデルタール人像をくつがえしかねない研究論文が、やはり科学雑誌「サイエンス」に掲載された。ネアンデルタール人も絵を描いたり、首飾りを作ったりといった高い精神性を持っていた可能性がある――というのだ。
 別にネアンデルタール人の遺跡で「芸術作品」が新たに見つかった、というわけではない。スペインのラパシエガ洞窟などですでに確認されている初期の洞窟壁画について「ウラン・トリウム年代測定法」なる最新の年代測定をおこなったところ、これらの壁画が「6万4000年前」に作成されたと判定されたというのだ。6万年前となると、現生人類はもしかしたら「出アフリカ」していたかもしれないがヨーロッパにはまだ広がっていなかったと考えられ、そうなるとこれらの洞窟壁画はネアンデルタール人の手になるものとしか考えられない、ということなのだ。
 
 そもそも洞窟壁画というやつは年代測定が難しいものらしい。よく使われる「放射性年代測定」も洞窟という場所だけに難しく、描かれているものその他の手がかりからだいたいこのくらい、と推定しているものなのだそうだ。現時点で「最古の洞窟壁画」と言われているのは南フランスのショーヴェ洞窟の壁画で、これは「3万2000年前」と判定されているそうなのだが、あまりに古すぎると異論もでているとか。そして3万2000年前という数字が正しいとするなら、これはネアンデルタール人の「作品」ではないのか、という声もすでにあったそうなのだ。今回の調査はこの「ネアンデルタール人壁画説」の大きな根拠となるだろうし、おそらくは論文を書いた研究者たちもその説を支持する姿勢の人だったのだと思われる。

 問題の洞窟壁画は、これまでも「4万年前」のものとする推定があり、すでにとびぬけて古かったから「ネアンデルタール人作」の可能性が高いとみられていたのだろう。どんな壁画なのか写真が報道で出ていたが、いずれもあまり写実的なものではなく、牛らしき動物、そして「はしご」のような図形が描かれていた。幼児の描く絵に似ているといえば似てるんだけど、「記号」を思わせる、かなり抽象化された部分もあり、かえって「高度な知性」を感じさせるものでもある。 
 報道によると、この論文の研究チームは壁画とは別のスペイン南東部の海岸そばの洞窟から、複数の穴があけられ赤や黄色の顔料で彩色された貝殻を発見、これはネアンデルタール人が「首飾り」のような装飾品を作って身に着けていた証拠だとみなし、壁画ともども彼らに現生人類に匹敵する「高い知性」があったのだと主張している。共同執筆者の一人は「今後はネアンデルタール人を別の種と考えるべきではなく、単に他の場所に住んでいた人類と捉えるべきだ」とまで言っちゃっていた。まぁゴリラやチンパンジーなど類人猿に「人権」を認める主張もありましたけどねぇ…。

 交配してるくらいだから、現生人類とネアンデルタール人との間にそれほど大きな差がないのは確かだろう。「同じ種」だということになると、「出アフリカ」が早かったか遅かったかの違い、体格的な違いくらいしかなく、人種の違い程度ということになってきそうなんだけど…この件、まだまだ確定した話ではないだろうな。サンプルが少なすぎるし。壁画だけに「絵に描いた餅」に終わる、という可能性もあるんじゃないかと。比べるのはナンだが、日本でも以前「洞窟壁画か!?」と騒がれてよく調べたら漢字の一部であることが判明、現代人のイタズラ書きと分かった例もありますからね。


 タイトルと無関係になるのだが、「洞窟」つながりの話題が二つほどあるので、くっつけておこう。

 メキシコはユカタン半島に二つの洞窟がくっついた「世界最大の水中洞窟」が存在することが一月中に発表されていた。それ全長263kmにも及ぶ「サクアクトゥン洞窟」と全長84kmの「ドスオホス洞窟」の二つで、単純に合計すればなんと347kmにも及ぶ大洞窟網である。なお洞窟学のルールでは二つの洞窟が一つのものだと分かった場合、長いほうの名前だけが残されるので、今後は「サクアクトゥン」で統合されることになるそうだ。
 この洞窟の周辺にはマヤ文明の遺跡があり、マヤの人々はこの洞窟を「あの世」への入り口とでも考えていたのではないか、という説も以前から耳にしていて、この洞窟の中にもマヤの遺跡があるのでは、とみる考古学者もいた。このため単なる洞窟調査ではなくメキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)の後援を受けてスキューバダイビングによる調査が数か月にわたって進められてきた。

 そして2月下旬になって、調査チームがこの水中洞窟の奥に実際に「マヤの神殿」があることを確認した、との報道があった。なんだか「インディ・ジョーンズ」を地で行くような話で、壁から毒針が飛んできたり大きな丸岩が転がってきたりしないかと心配になるのだが(笑)、発表によると遺跡にはマヤ神話の戦争・商業の神「エク・チュアク」を祭った神殿があったといい、また洞窟内には焼けた人骨や陶器、壁に刻まれた文様と言った人工物のほか、大型のナマケモノやクマ、さらには数百万年前に絶滅したゾウの仲間「ゴンフォテリウム」の骨まで見つかったという。これらの動物の骨、特に「ゴンテフォリウム」はもちろん人間とは無関係にそこに骨があったのだろうが、見つかった人骨もマヤ文明の時代よりずっと前のものの可能性があるようで、それこそこの地域に人類が到達した時期からこの洞窟は何かと利用され、いつしか「聖地」となっていたのかもしれない。
 夢のふくらむ話なんだが、まだ調査中、しかもその調査が大変だということでまだまだ詳細は分からない。今後の情報に注目だ。


 もう一つ、アップ前にCNN日本語版サイトに載ってた話が面白かったので紹介。
 現在はトルコ共和国西部にある世界遺産「ヒエラポリス」は、ローマ帝国時代は多くの観光客を集める都市だった。ここにある神殿の地下には「冥界への入り口」とみなされた洞窟があり、当時神官たちが動物などを連れてこの洞窟に入ると動物たちだけがたちどころに死んだので、人々はこの洞窟を冥界の神「プルート」にちなんで「プルトニウム」と名付けていたのだそうな。現代においても「プルトニウム」は生物をあっさり冥界行きにしてしまう恐るべき物質だけど。
 さてこの「プルトニウム」洞窟の謎に、イタリア人考古学者や火山学者らの研究チームが挑み、このたび学術雑誌にその成果が発表された。この洞窟を調査したところ地下の裂け目から二酸化炭素が放出され、洞窟の入り口付近で二酸化炭素濃度が4〜53%、洞窟内部では実に91%にも達する濃度であったことが判明、二酸化炭素濃度は3〜4%程度でも体調不良を起こし、7%以上だと意識を失うとされるくらいで、そんな高濃度じゃ死ぬのも当たり前だという話。研究チームも調査中にネズミや甲虫など70体以上の小動物の死骸を見つけたという。

 これで動物が死んでしまう理由は分かるが、神官はなぜ無事だったのか。これについて研究者たちは「人間は身長が高いから」と説明している。中学の理科でも習うが二酸化炭素は空気に比べて重く、洞窟の下にたまりやすい。人間は身長があるので呼吸する部分が動物たちのそれより高い位置にあり、短時間なら命に別条がなかったのでは、という説明だ。むかし読んだ白土三平の忍者漫画「サスケ」で、洞窟内に追い込まれたサスケが火をつけようとしてつかないことに気づき、慌てて洞窟の天井部にへばりついて助かる(追ってきた敵忍者は中毒になってしまう)という描写があって、「二酸化炭素」とは言っておらず「ガス」と表現してたけど(白土作品は結構平気で現代語が出てくる)、たぶんこの洞窟のケースと同じなのではと思う。たぶんほかに似た実例があったんじゃないのかな。



◆地果て海尽きるまで

 三つめも森村誠一の小説のタイトル。僕はこれ未読なのだが、「蒼き狼・地果て海尽きるまで」というタイトルで映画化もされたので、そっちで知ってる人も多いだろう。反町隆史演じるチンギス=ハーンを主人公とした映画で、チンギス・ハーン映画珍作の列に日本代表で割り込む一本となってしまった。プロデューサーの角川春樹氏、「自分はチンギスの生まれ変わり」と言い出し、即位式のシーンでは自ら監督までしちゃったというヘンな熱の入れようがあり、それが作品の出来にも反映しちゃったんじゃないかと。

 さてそのチンギス=ハーンに関して、この3月に日本ではちょっとした騒動が起きていた。小学生を主な読者層とする漫画雑誌「コロコロコミック」に連載中の「やりすぎ!!!イタズラくん」とおいう漫画の中で、チンギス=ハーンが男性器に絡めて揶揄される場面があり、これを読んだ元朝青龍(確かモンゴル政府の対日担当かなんかだったよな)をはじめとするモンゴル人たちが「我々の英雄に何ということを」と激怒、駐日モンゴル大使館から外務省に抗議があり、発行元の小学館も平謝り、「コロコロ」の掲載号を回収する騒ぎとなっていたのだ。
 詳細が報じられる前の段階でだいたいの冊子はついたが、小学館が回収しようがネット上にはその問題のカットがググればすぐ出てしまう。社会のテストでチンギスの肖像画と共に「チ( )・( )ン」に穴埋めさせる(これがまた誘導的だよな)問題が載っていて、これに主人公が「ン」と「チ」を入れ、おまけに肖像画のオデコにそれそのものをラクガキしちゃうというオマケつき。まさにタイトルの通り「やりすぎ!!!イタズラくん」である。

 小学生、ことに低学年はくだらない下ネタ大好きだし、ギャグそのものは大人が目くじら立てて怒るもんでもあるまい、と絵を見て率直に思った。ただ漫画の中では「子供のイタズラ」だが、描いているのは大人なんだよなぁ。これがムハンマドとかイエスとか宗教関係(イエスとブッダが出てくるギャグマンガはあるけどね)、あるいは現在現役の政治家とかだとさすがに作者も編集部も回避しただろう。だがチンギス=ハーンでそこまでの反応をされるとは思わなかったんだろう。

 歴史上の人物にそこまで…と思うところもあるんだけど、モンゴル現代史はこのチンギス=ハーンをどう評価するかが大問題だった経緯がある。清から独立してモンゴルが社会主義国として建国された際、やはり民族の英雄ということでチンギス=ハーンが称揚されたが、社会主義国家群の親分であるソ連がそれを徹底的につぶした。なぜかといえばソ連、つまりはロシアは中世にモンゴルの支配を受けた歴史があり、それを「タタールのくびき」と呼んで否定的に扱っていたから。それを口実の一つにしたところもあるんだろうが、とにかくソ連はモンゴルにチンギス称揚禁止を徹底させ続けた。
 それがようやく緩んだのが、1980年代後半の「ペレストロイカ」以後だ。1988年のモンゴル映画「マンドハイ」は、当時僕が劇場に三度通って見てしまったほどの傑作だが(これも「歴史映像名画座」参照ね)、この映画の中で16世紀のハーンがチンギスの廟を訪れ、チンギスの肖像画がチラッと映る。たったこれだけなんだけど実はソ連の顔色を見ながらモンゴルがチンギス称揚をチラッとやったシーンなのだ。その後日本からの資金援助もあって「マンドハイ」のスタッフ・キャストが「チンギスハーン」を製作することになる。ようやくモンゴル人自身の手になるチンギス=ハーン映画が造れたのだけど、周辺諸国への配慮が強くにじみ、後世の歴史評価をやたらに気にするチンギスが描かれるという、モンゴル人にとってチンギスの評価がまだ悩ましいところなんだな、とうかがわせるものがあった。

 昨今はどうなのか知らないが、そういう経緯からすればチンギス称揚は大々的にやてるようになっていて、今度の件からすると一部では「神聖不可侵」な存在になってきてるのかもしれない。
 ギャグマンガというのはもともとこうした問題を内包していて、過去にもこうした騒ぎが起こったことがある。子供むけ漫画ではないが、最近でもフランスの風刺漫画紙「シャルリ・エブド」が預言者ムハンマドをネタにしてテロ攻撃を受けたケースが記憶に新しい。あの時も表現の自由か、異文化への配慮かと議論になったが、今回も程度は異なるが似たところがある。不快になる表現に批判の声が起こるのは当然だけど、何やら「外交問題」に発展させちゃったあたり、公権力の表現への介入の前例になりかねないところは気になった。出版社側も雑誌の回収といっても発売が事実上終了に近い時期だったし、その回は封印だろうが漫画自体は連載継続ということなので、処置としては大げさでなくてよかったかな、とは思う。

 昔のように「成吉思汗(ジンギスカン)」と呼んでりゃこういう問題も怒らなかったのに(笑)。最近の中学生たちなんて「ジンギスカン」とは料理の名前であり、それがモンゴル帝国のあの人と同一人物だよと説明してもギャグとしか思ってくれないんだよなぁ。



◆高層の死角

 ここまできたら最後まで森村誠一ネタで。「高層の死角」は乱歩賞受賞作だが、僕は未読。「刑事コロンボ」のレギュラー一作目の邦題がこれをパロった「構想の死角」だったな(推理小説家が犯人。なお監督は駆け出し時代のスティーブン=スピルバーグ)。この記事では国家の指導層のことを「高層」とたとえて、その「死角」についての話題を書いてみよう。

 この記事を書いてるのは3月11日。あの東日本大震災発生からちょうど七年目となる日なのだが、それに先立つ一週間、日本の話題をさらっていたのは一年前にも騒ぎになっていた「森友問題」の再燃だった。あの、安倍昭惠首相夫人を名誉校長とする、一時は「安倍晋三記念小学校」と名付ける予定もあった小学校について、その用地に国有地が信じられないほどの「激安」で払い下げられた一件、昨年のうちは森友学園の籠池理事長夫妻が逮捕されたあとはウヤムヤにされてしまった感もあったが、ここにきて朝日新聞が「財務省が国会に提示した『森友文書』が書き換えられていた」という疑惑を報じ、一週間の間にじわじわと騒ぎが拡大、3月9日には森友との交渉にあたっていた近畿財務局の職員の自殺、続いて昨年の国会答弁でうまく逃げた「論功行賞」で国税庁長官になったとしか思えない佐川宣寿氏の長官辞任というニュースが流れ、ついに翌3月10日になって「財務省が書き換えを認める方針」と報じられ、今日はもちろん明日以降も国会その他で騒ぎになりそうな気配だ。

 昨年は森友学園の幼稚園の、教育勅語やら儒教教育や安倍首相個人崇拝の異様さ、籠池さんのキャラの立ぶりが話題を呼んでしまったが、この件は煎じ詰めれば「国有地の激安払下げ問題」。どうしてそんな異様な値引きが起こったのか、状況からみるとそこに首相夫人の名前が力を発揮したからとしか思えないのだが、それは昨年のうちは財務省がシラを切り通した。ところがここに来てそのシラを切る際に提出した文書で都合の悪いところは削除していたとバレたわけ。今のところ佐川前国税庁長官一人が全部やったことにして「詰め腹を切らせる」形で官邸は幕引きを図ろうとしてるようだが、元官僚らがコメントしてるように、役人が自分の意志だけでそんな無茶をやるとは考えにくい。そこに政治家の指示、圧力を考えるのが自然だ。あるいは直接の指示や圧力がなくても日本的な「腹芸」「以心伝心」そして昨年の流行語「忖度」というやつで、問題のあることと百も承知で公文書の改竄に及んだということだろう。

 もしかすると日本の政官界ではずっと昔からそうなのかもしれないが、昨年あたりからこの手の話が続いて露顕してるのは確か。そろそろ皆さん忘れてるが、昨年南スーダンのPKOで自衛隊駐屯地周辺で戦闘があったなかったで日報が破棄されたとか言っておいてやっぱり出て来て結局稲田朋美防衛大臣(これがなんと安倍さんからは首相候補と持ち上げられていた)の事実上の更迭という事態になっていた。そしてつい先日、いわゆる「働き方改革」法案に絡んで厚生労働省が国会に提出した労働時間関係の資料が、法案を通すために都合よく改竄されていたことが発覚、法案の内容に影響が出る事態にもなった。これだって厚労省の役人が勝手にやったとは考えにくい、という話が流れていたものだ。
 そして今回の財務省のこれだ。「公文書」っていったいなんなんだろ、と思うばかりで。歴史やってる人間としては、公文書ってのは後世への歴史資料と考えてるくらいなのだが、こんな調子で都合よく改造・切り貼り・隠蔽あるいは破棄されては後世の歴史家もたまったもんじゃないよなぁ、と思ってしまう。過去の政治権力が作成した歴史資料、つまりは当時の公文書もそうした例がないとは言わないけど、21世紀の情報あふれるこの時代にあって、ひどく古典的なことをやってるようにも感じてしまう。
 古典的といえば、「疑惑拡大の中で自殺者が出る」というのも、残念ながらよくあるパターン。特に日本で目につくような気がするんだよな。江戸時代にいくつも例があった気がするし。日本における「組織」を論じるうえで案外重要なポイントなのではあるまいか。さらに書いてしまえば、この事件に絡む総理大臣および財務大臣がいずれも首相を祖父にもつ世襲政治家であるところなども前近代的な事件構造の原因になってる気がするんだよな。


 話は打って変るが、国際政治では上記の騒動と並行して大きな動きがあって世界を驚かせた。ここに来てよもや(?)の米朝首脳会談が実現しちゃう運びになったのだ。かつても両国交渉のたびにネタにされた3代目桂米朝師匠も草葉の陰で喜んでいるのかどうか。
 予兆がなかったわけではない。昨年何かとミサイルを吹っ飛ばし、アメリカに挑発を繰り返した北朝鮮が、年明けから急に態度を軟化させ、韓国で開催される平昌オリンピックにも参加した。おなじみの「美女応援団」はともかくとして、金正恩委員長の妹・金与正氏が訪韓して韓国の文在寅大統領とも面会、開会式にも出席するという展開には正直驚いた。この開会式にアメリカのペンス副大統領が出席、北朝鮮側との接触が予定されたが北朝鮮側からドタキャン、という一幕があったりもしたが、このとき「接触の予定があった」こと事態、それまでの経緯からすると驚きもあった。この辺でも表には見えない水面下でいろいろ駆け引きがあったんじゃないかなぁ。思えば一時開会式欠席とも報じられた安倍晋三首相が結局普通に出席したのもそういう水面下の動きと関係があったのかもしれない。

 平昌オリンピックが無事終わり(余談だが、先日図書館で見かけた某国際政治評論家による3年前の嫌中嫌韓本を眺めたら「平昌五輪開催不可能」と言いたい放題書いてて何一つ当たってなくて笑った)、北への「返礼」として韓国から特使が北朝鮮を訪問、北朝鮮側は異例の歓待でこれを迎え、近いうちに南北首脳会談を板門店の韓国側「平和の家」で開催することが直後に大々的に発表された。これも多くの人、専門家ですら驚いた展開で、実現すると北朝鮮のトップが初めて軍事境界線を越えて韓国入りすることになる。またこの発表で北朝鮮側がいつも過敏にいやがる米韓軍事演習の開催についても理解を示し、ミサイル発射についても
 そして日本が森友問題で騒がしくなったころ、さらなるビッグニュースが報じられた。北朝鮮がアメリカのトランプ大統領に首脳会談をもちかけ、トランプさんあっさりこれを飲んだのだ。5月までに史上初の「米朝首脳会談」が行われる、しかも北朝鮮は体制さえ保証されれば核廃棄にも応じるよ、という、ビックリするような「微笑み外交」を繰り出してきたのだ。これまでの罵倒は何だったんだ、と思うばかりなのだが、同様に「どっちがどっちなんだ」と思ってしまうほど幼稚な言葉で罵倒していたトランプさんがそれをアッサリ受け入れるというのも驚かされた。
 その展開の速さには僕だって普通に驚いたが、「何か水面下で交渉してるんと違うか?」という見方は昨年からあった。外交ってそんなもんだ、ということでもあるが、あのキムさんとトランプさんの幼稚な罵り合いは、どこか「子供の喧嘩」じみていて、それだけに子供の喧嘩によくみられるように急転直下仲直りしちゃうんじゃないか、という読みはあったのだ。

 確かに北朝鮮とアメリカは「一触即発」の緊張状態に見える。だがそもそも北朝鮮だってアメリカと戦争したらアウトだということは百も承知のはずで、核実験にしてもアメリカまで届くミサイルにしても「アメリカを交渉のテーブルに引き出したい」一心なのも明らかだった。一方のアメリカは北朝鮮について「うるさいなぁ」と思いつつも実際に軍事行動をかけるとなると犠牲も多いしカネもかかって面倒。中東と違ってアメリカに何の得もない。そういう立場の両者が「話し合い」という方向になるのは冷静な判断ができるなら自然な流れではあったと思う。太平洋戦争開戦直前のどっかの国の指導者たちよりはバカではない、ということだ。

 もちろん楽観視は全然できない。なにせ北朝鮮のこれまでがこれまでだ。ただ「体制存続保証」と「非核化」という取引自体はありえるかも、と思う。アメリカも自国に害が及ばない程度に核やミサイルが縮小されればそれでいい、と思う可能性は十分あるし、日本に届く程度のミサイルは残しておいた方が高額なミサイル防衛システムを売りつけられるという一石二鳥、って本気で考えていそうな気はする。
 日本政府が蚊帳の外だったかどうかは正直分からない。ただ、過去にニクソン大統領の対中密使外交、電撃的な中国承認と訪中発表という前例がある。あのときは日本政府は本当に蚊帳の外で、「貴国とは重要な関係だから事前に教えるよ」とアメリカ政府が日本政府に伝えてきたのはニクソンの発表の五分前だった、という史実もある(当時の首相で現首相の大叔父・佐藤栄作は激怒したそうな)。あのときの米中接近は日本で開催された卓球大会での両国選手の交流がきっかけだったとされるが、日本政府はまるっきり気づかなかったんだよね。今回そこまでひどかったかは分からないが、なんとなく日本だけ浮いた感じになったのは確か。
 そういやニクソンもトランプも「疑惑」を抱えてる状態なんだよな。ニクソンはアメリカ史上初の任期途中辞任となったふが、トランプ大統領も「ロシアンゲート疑惑」(この名前もニクソンの「ウォーターゲート」にちなむ)でもしかすると弾劾、途中辞任の可能性がささやかれている。そういう人だけに外交であまりにも思い切ったことをしちゃう、ということはありえるんだが…
 
 そうそう、2月19日の「プレジデントデー」に4年に一度発表される、アメリカの政治学者らの採点に基づく「偉大な大統領ランキング」が発表された。そこでトランプ現大統領、堂々の第44位の歴代最下位を獲得してしまった。さすがに現役大統領でこれは初めてなんじゃないか?
 一位はおなじみリンカン(最近は伸ばさない表記が教科書では主流なの)。そのあとワシントンフランクリン=ルーズベルトセオドア=ルーズベルトジェファソンと続く。トランプさんの「おかげ」で評価を挙げてしまってるのか、前任のオバマさんは8位につけていた。いまトランプさんと比較したニクソンは33位で、今のところトランプさんよりかなり上。南北戦争直前の大統領ということでいつもビリのブキャナン(これも後任リンカンのあおりを喰ってるよな)がトランプさんの一つ上にいる、というのも凄い(笑)。四年後に阿どうなってることやら。


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