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2018年4月1日

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◆今週の記事

◆私は貝をとりたい

 僕のすぐ近所にも存在するのだが、縄文時代の遺跡に「貝塚」というものがある。その名の通り、土を掘り返してみると大量の貝殻が出てくる場所のことで、日本、ことに関東地方ではよく見つかる。縄文時代には海岸線が今より奥まで進んでいたので今は海から離れてしまった場所にも貝塚がある。
 縄文時代の記憶なんて何百年、何千年もすれば忘れちまうもの、奈良時代の人たちはすでに貝塚の存在を不思議がっていた。奈良時代に編纂され現在まで伝わっている『常陸国風土記』には世界最古とされる貝塚についての記述があり、そこでは大昔に巨人が住んでいて海から貝をとって食い、貝殻を捨てたあとだという話が書かれている。なるほど、これで海岸から遠いところでも貝の山ができると、一応合理的(?)な説明ができるわけだ。

 僕も近所のものも含めて貝塚をいくつか見学してきたが、どこでも尋常ではない貝殻の分厚い層が積み上げられている。何百年、何千年ぶんの食い散らかしだから無理もない…とも思えるが、それにしても当時の人口、日本全土でせいぜい数万人程度と推測されているのだが、それでこんなに貝ばっかり飽きずに喰い続けていたんだろうか、というぼんやりとした疑問もわく。また「縄文のゴミ捨て場」とよく表現されるが、これほど「ゴミの山」に囲まれて生活していたんかいな、という疑問もわいてくるのだ。

 そんなことを考えていたら、この4月1日に貝塚史劇・東京湾大学教授(考古学)が、関東各地の貝塚を調査したうえで新説を発表した。貝塚の貝殻は単に食い終えたあとの「ゴミ」ではなく、縄文時代の日本ではすでに行われていた遠隔地間の交易に使われる交換代替品、すなわち「お金」の代わりに使われていた、というのである。
 例えば山奥の人が山の獣を狩り、海岸に住む人が魚をとる。それを交換してお互いにほしいものを手に入れる、という交易は世界中どこでも原始時代から行われるのだが、交換のための品物、ことに生鮮食料品は長くはもたない。交換しに遠くまで持っていったら腐っちゃった、という事態だっておこる。そこで人々は交換の道具として腐ることもなく持ち運びのしやすいものを今でいう「お金」の代わりに使うようになる。縄文時代の日本において、それは「貝殻」がベストだったというのだ。
 となると、貝殻を積み上げていたのは「ゴミの山」ではなく、むしろ「宝の山」、いわば「金庫」だったことになる。「その村人、あるいは村の有力者などが『自分はこんなに金持ちなんだぞ』と自慢する意図があったのではないか」と貝塚史劇教授は話す。「貝殻を山のように積み上げるのは、いわば『貯金』。そのように積み上げた貝殻を他人に貸す『銀行』のような役割もあったかもしれない」とも語り、貝殻がそのように使われていた証拠として、現在の日本語でも物品を購入することを「かい」と言い、「かいもの」「かいどく」「かいどき」などとやはり購入関係に使う言葉に多く「貝」という言葉が入ることを挙げている。
 「貝が貨幣の役割を果たしていたとすると、それを増やすために貝の養殖をしていたことも考えられます。そこから動物などを育てることも「かい(飼い)」と言うようになったのかもしれません」とまで貝塚史劇教授は想像をふくらませる。

 この新説を補強するのが、貝塚史劇教授の兄弟で同大学で中国古典を研究する貝塚悲劇教授だ。
 「『貝』という漢字、甲骨文字では貝殻二枚を開いた状態の絵文字だった。それが流れ流れて「貝」というこの形に落ち着いたわけですが、この「貝」という字、漢字の部首の一つにもなっていますが、この「貝」の部首がつく漢字と言えば、「買」「賣(売の旧字体)」「貨」「貸」「購」「賠」などなどなど、金銭関係に使われる文字がやたらにあります。これは甲骨文字が造られた当時の中国で、貝が貨幣の役割を果たしていたためである。中国で金属貨幣が発行されるようになったのは戦後k時代のことで貝を使うことはなくなるのですが、それでも金銭関係に「貝」部首を使うことは定着していてます。だから同じ時期に縄文時代だった日本でも貝殻を貨幣がわりに使っていた可能性は高いと思います」と貝塚悲劇教授。「貝のことを漢字の音読みでは「バイ」と発音しますが、これが西洋に伝わって英語の『BUY(買う)』になった可能性もあります」と大胆な仮説も提示してくれた。

 しかしこうした貝殻を貨幣として使うのは縄文時代で終わり、貝塚も作られなくなってしまう。その原因について、やはり同大学で経済学を研究している兄弟の貝塚喜劇教授は「中国で金属貨幣が造られ、一部は縄文末期の日本にも渡来してきます。政治権力が発行する貨幣と比べれば、海から勝手にとってくる貝殻などいわば『仮想通貨』。もともと価値の裏付けがないだけでなく、貝殻だけに大量に盗み出す人もいたりして、急速に信用を失ったのでしょう。貝塚はたちまち本当の意味での『ゴミの山』となり、そのまま放棄されていったのだと思います」と語る。
 「それでも縄文人が数千年にわたって貝をお金のように使っていたことは、日本人のDNAに深く刻まれています。ほら、現代人も夏になるとみんなで東京湾に繰り出して潮干狩りするでしょ。あれは狩猟本能という説もありますが、もともと『カネ集め』だったからだと思われます」と貝塚史劇教授は語る。東京湾各地に残る貝塚は、いわば縄文時代の「バブル遺跡」のようなものなのかもしれない。
 


◆龍馬が書き換え?

 幕末の志士・坂本龍馬といえば、日本人ならたいてい、少なくとも名前くらいは知っている歴史上の有名人であり、人気もムチャクチャ高い。だが現在イメージされる「人気者龍馬像」は司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」によって広まった、との意見もあり、なんだか幕末維新最大の功労者・ヒーローのようにもてはやすのはおかしい、との意見もある。実のところ中学や高校の歴史時の授業でも「薩長同盟の仲立ちをした」という話だけで唐突に登場する扱いで、それもあって昨年、高校日本史の教科書から削除すべき人物の筆頭に挙げられたりもしている。
 
 龍馬があの時代にあって過激な方向には走らず、世界情勢もふまえた広い視野を持っていて、その早すぎる晩年には明治以降の近代国家のビジョンも持っていた、ということは彼の遺した手紙の内容からも確かめられる。特に姉の乙女にあてた手紙の口語文的なユーモアたっぷりの書きぶりからは、彼が実際にかなり面白い人物であったことをうかがわせる。同時代人の人たちも龍馬の人物像をそれぞれ面白く語っているからキャラが面白い人だったのは確かなようだし、ついでに言えば謎めいた悲劇的な死を遂げたことも、人気歴史人物になった重要な要素だ。明治以後も無事に生きていたら案外そこまでの人気は出なかったと思う。

 ところで坂本龍馬が大政奉還の直後に「新政府綱領八策」という意見書をしたためている。龍馬自身によって同じ内容のものがいくつか作られ、うち二通、龍馬自筆のものが現存している。有名な「船中八策」については疑問の声もあるのだが、こちらは紛れもなく実在していて、「船中八策」の内容とほぼ同じで、江戸幕府消滅後の新政府方針について八つの提言をおこなっている。
 この「新政府綱領」で問題となるのが、「八策」のあとの部分だ。これらの項目について有識者らと内容を固めたうえで「○○○自ラ盟主ト為リ此ヲ以テ朝廷ニ奉リ始テ天下萬民ニ公布云云」(〇〇〇自身が盟主となってこの方針を朝廷に提出し、全国民に公布する」)と書かれているのだ。「盟主」とは当然新政府のリーターということになるが、その部分が「〇〇〇」と伏せ字になってしまっている。これについては誰か具体的に名前を挙げるとややこしくなるから書かなかったとか、決めてなかったのでひとまず空欄にしておいたとか、読む人によって勝手に考えさせる手だったとかいろいろ説がある。
 現存する龍馬直筆の書状でも「〇〇〇」と本当にそのまま書かれている。肝心な部分をなぜ伏せ字にしたのか謎なのだが、この時点で盟主になりそうな人としては大政奉還をしたばかりの徳川慶喜や、龍馬とかかわりのあった松平春嶽山内容堂、はたまた公家の誰かということが考えられる。龍馬も腹案があったんだろうからちゃんと書いてお行けよ、と思うのだが、伏せ字にせざるをえない事情が何かあったのだろう。そしてこの「新政府綱領」を書いた直後に龍馬は暗殺されてしまうので、この「〇〇〇」に何か重大な意味があったのでは、という推測もある。「〇〇〇」と三文字分なので「慶喜公」のように誰かの人名二文字プラス「公」のような言葉ではないかと言われるが、単純に三文字の名前では、との推理もある。当時の日本で三文字で書く名前の人と言うと、日本語ペラペラの通訳「サトウ」さんなんかも考えられるが、いくらなんでも彼をいきなり盟主にするわけはない。

 そしてこの4月1日、この謎を解く重要な手掛かりとなる龍馬直筆文書が新たに発見された。龍馬の手紙は未発見のものが突然見つかるケースは確かにあるから油断ができない。
 新たに発見された文書は、「新政府綱領八策」のオリジナルと思われる文書だ。ほぼ全文同じなのだが、これまで知られていた文書よりも内容がかなり多く、中にはかなり政治的に問題となりそうな部分があったようであちこち削除が行われた形跡がある。ま、こういうのは「改竄」というよりは「書き換え」というのが妥当だろうか。
 そして問題の「〇〇〇」のところにはちゃんと実名が書いてあった。ズバリ漢字三文字の名前が。なんと「西太后」と書かれていたのである!そう、当時中国の清朝で最高権力を握っていた女性である。この人をいきなり盟主に引っ張り出すなんて無茶な、と思うだろうが、龍馬に影響を与えた勝海舟横井小楠といった人々は「東アジア三国連合構想」を実際に抱いていた人々である。龍馬も同じような構想を抱き、当時の混乱する日本では誰を盟主にしてもケンカになるから、いっそ隣の国の有力者を盟主にしてしまえ、と彼らしく思い切って突飛なアイデアを思い付いたものらしい。
 西太后はしばしば「女帝」などと言われるが、実際に皇帝になったわけではなく、あくまで皇帝の妻、后の立場に過ぎない。だが公式な地位についていないぶん、盟主に引っ張りだすには便利なのも事実。「盟主」といっても恐らく実力をもたせない象徴的な存在、たとえて言えば「名誉校長」のようなもの。ただそのネームバリューには利用価値があり、たとえば新政府樹立の記念式典で「盟主」が餅まきをやるから、手続きを早く進めろ、といった脅しの材料に使ったり、龍馬も気にしていた新政府の財政確立のため外国から借金する際にも、西太后の名をちらつかせることで「大幅値引き」に持ち込むこともできるわけだ。

 しかし一度文書を書いてみたら、清朝側から「私は無関係だ」と言われてしまい、龍馬は大慌てで改竄、いや「書き換え」を行った。公文書といってもいい歴史的資料を改竄いや「書き換え」をしてしまったことで、後世の歴史家たちを大いに悩ませた、ということでも龍馬の罪は重いかも知れない。もっともこの作業をしたせいかどうか分からないが、大きな政界スキャンダルにつきものの「謎の死」を遂げちゃってるんだよなぁ。
 え?龍馬がそんな大物政治家に気を使ったりする性格じゃないだろう、って?いやいや、彼が直筆の手紙の中で書いてますよ。「日本を今一度そんたくいたし申候」って。



◆ゼンゼン全世界注目♪

 あの日、ミサイルが飛んだ日…

 それはまるで…
 まるで…夢の景色のように…
 ただひたすらに…
 美しい眺めだった…


 まだまだこれからどうなるか分からないとは思うのだが、今年に入ってからの北朝鮮をめぐる情勢の、目まぐるしいまでの急速な変化には驚かされる。昨年は金正男氏暗殺に始まり、度重なる長距離ミサイルの発射実験、核実験、アメリカに対する激しい挑発の言葉の連発、などなどがあったことを思うと、ビックリしちゃうほどの変化である。
 北朝鮮の金正恩委員長だけではない。あのアメリカのトランプ大統領も、まぁ相変わらずヘンなこともいっぱいやってるが、昨年までどっちもどっちと思えるほどの罵倒の応酬をやってたのに、急に金正恩を持ち上げ、「会おう」とあっさり米朝首脳会談まで決めてしまった。あまりの変化ぶりに、日本政府のみならず世界中が首をかしげているところだ。

 両国の首脳、お互いもともとヘン、もよい常人には理解しがたいところがあるので、そろって態度が急に変わるのは無理もないとも思えるがそれにしても…と。ここで両者が今年に入ってから何をしていたか、整理してみよう。

 今年の元旦、金委員長は「新年の辞」を述べ、「自分の机の上にアメリカ全域を狙える核のボタンがある」と発言、トランプ大統領が「自分にだってある」とやり返して、平昌冬季五輪後に開戦か?みたいな空気にもなった。しかし今にして思うとこれが最後の罵倒の応酬で、1月9日には北朝鮮が平昌五輪への参加を表明、オリンピックでは女子アイスホッケーで南北合同チームが造られ、おなじみ「美女応援団」が会場にかけつけ、おまけに金委員長の妹の金与正氏が韓国入りするという急展開に。
 そして五輪終了後、3月に入ってから話が一気に進む。返礼で3月5日に訪朝した韓国使節団に北朝鮮は異例の歓待絵緒し、いきなりの南北首脳会談を約束、さらに3月8日には米朝首脳会談実現が発表されて世界を驚かすことになる。3月25日には金委員長が極秘のうちに中国を訪問、帰国後に公表されたが中国側もこれまでの険悪さがウソのように大歓待をして、これにも世界が驚いた。

 で、一方のアメリカのトランプさんはといえば、この間に国務長官をはじめとして次々と「粛清」(殺しはしないけど)を実施、まだまだ解任予備軍がいると言われている状況に。また核廃絶どころか新たな核兵器開発にも着手するとしていて、使用条件の緩和まで言い出している。
 貿易面では鉄鋼やアルミの輸入に高関税をかけると発表して特に中国、そしてなぜか日本も対象として、EUや韓国は免除の方向とされている。日本の安倍首相について「アメリカをこれほど長く利用できるとは思わなかった、と笑顔のうちで思ってるだろうが、それも終わりだ」とえらく高圧的な発言もしている。それでいて北朝鮮については妙に融和姿勢となり、軍事演習でも空母を派遣しないなど配慮を見せ場締め(これまでやたら演習に反発した北朝鮮もまったく沈黙)。そうかと思うと、アメリカでは実に久々となる軍事パレードの実施を決定して、具体的な計画を進めてもいる。
 ホント、こうして書いていると、去年とはえらい違い。しかも何やら、やってることがチグハグ、というよりアベコベになっているような…

 そこでハタと思い出す。「変化」があったのは元旦の直後ということになりはしまいか。そしてその直後にあたる1月3日、テレビ朝日で大ヒットアニメ映画「君の名は。」が初の地上波放送されているのだ。ご存知のように、あれは主人公二人が心だけ入れ替わるという内容だ。もしやあの映画と同じことが、地上波放送の直後に起こってしまったということはあるまいか…

金正恩「これって…これってもしかして…」
トランプ「これってもしかして本当に…」
金正恩「俺、夢の中であの大統領と…」
トランプ「俺は、夢の中で、あの若造と…」
二人「「入れ替わってる〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」

 …という事態が起こっていると考えれば、その放送直後からの状況の大変化が理解できる。両者がいきなり直接会談にまで踏み込んだのも、なんとかして元の状態に戻ろうと考えているためではないか。
 日本のテレビでアニメを放送したからってそんなこと起こるのか、といぶかしむ人もあろうが、そもそもこの映画の話、彗星が飛んできたぐらいで奇跡が起こっちゃう話ですぜ。米朝首脳会談が実現したら、お互いに「ホワッツ・ユア・ネーム?」と口にするかどうか、注目したい。
 


◆新元号の極秘情報

 もう4月1日。いよいよ「平成」もあと一年となる。来年、平成31年の4月30日をもって今上天皇が退位、5月1日に皇太子が践祚して新元号へと移行する。何も当初言われたように年末年始で区切ればいいだろうと思うのだが、年末年始行事との兼ね合いで宮内庁がイヤがった。では「年度」の区切りになる3月と4月の間でやればいいじゃないかと思うのだが、これまた異論が多くて、ゴールデンウィークの最中の5月あたまからという中途半端なところから新時代へ入ることになってしまった。
 4月1日からにしなかったのは、やはり「エイプリルフール」と思われることを避けるためではあるまいか…

 で、新元号については当初、カレンダー業界の要望もあって早ければ去年のうち、今年の前半には決定・発表かと言われていたが、そのうちに今年夏以降となり、さらにはやっぱり来年の天皇交代の直前、下手すると新天皇践祚と同時の発表では、なんて話になってしまっている。この文章書いてる直前にも「来年の2月24日以降の公表」と政府が検討しているとの報道があり、理由として「早く発表しちゃうと国民の関心が新天皇に行っちゃうから」という、よくわからないことを言っている。心の準備もあるんだから、早く発表すりゃいいだろうに。ま、そもそも日本の保守業界では天皇の生前譲位自体、本音は気に入らないんだろうけどね。こういう人たちが重視したがる「伝統」ってだいたい明治以後の制度なんだもの。

 ところで、飛鳥時代から現代まで続く一連の「元号」は、いずれも漢字二文字(奈良時代に「天平〇〇」の例があるが)。それも必ず中国古典を出典としている。そもそも元号という制度自体が中国由来なので当然なのだが、僕の身の回りでもこの話をすると驚く人がいる。「ええっ、それじゃ中国の植民地みたいじゃない」とまで言った人もいたんだが、それは言い過ぎとしても文化的に日本が「中国のマネ」をし続けてきた例は他にも多々あり(そもそも「日本」って国号が中国を強く意識してる)、こと「昔からやってるもの」で日本オリジナルというのはそんなにないのだ。
 さらに言えば明治以降採用されている「一世一元制」、つまり天皇が在位してる間はずっとその元号を続け、その天皇が逝去したのちにその元号を「おくり名」としてつける、というも中国の明の時代に始まった制度をそのまま導入したもの。なんで明治時代にそのシステムを導入したのか知らないが、僕は冗談で「明治=明の治」だから、と言ったりしている。

 もちろん事実はそうではない。「明治」もまた中国古典『易経』が出典。「明治」に続く「大正」は『易経』、「昭和」は『書経』、「平成」は『史記』および『書経』だ。ついでに明治以前にさかのぼると、「慶應」が『文選』、「元治」が『周易』『三国志』、「文久」が『後漢書』、「万延」も『後漢書』、「安政」は『群書治要』…とまぁ、中国古典を実に幅広く元ネタにしている。
 「建武の新政」で知られる「建武」も後醍醐天皇が「中国の元号にしろ」と直接指示して後漢の元号をそのまま採用している(後醍醐は他にもかなりの中国かぶれぶりを見せている)。もっとも決定時に「武」は縁起が悪いと反対意見があり、その後建武の新政がすぐに崩壊、その後の南北朝の動乱になったので「それみたことか」ということで、以後「武」の字は元号に用いられていない(というか、それ以前にもない)。ただ南北朝を合一した足利義満もかなりの中国かぶれで、同時期の明の「洪武」をそのまんま採用しようと画策、結局「洪」「武」ともに縁起が悪いと反対され「応永」になったというケースがある。


 さて、こうした歴代の元号だが、いつも三つくらい候補が絞りこまれてから最終決定にいたるパターンを踏んでいる。現在の「平成」決定時も「修文」「正化」も候補にあったそうで、「修文」になっていたら何だか国民総勉強体制でも作られたのかな、などと思ってしまう(笑)。「文」といえば、「昭和」発表直前に東京日日新聞が候補の一つだった「光文」を漏れ聞き、「新元号は光文」とスクープして、結果誤報になってしまった「光文事件」と呼ばれるものもある。
 そんなわけで恐らくは現時点ですでに新元号の候補が三つくらいには絞られているはずなのだ。各マスコミもできればスッパ抜いてやろうと狙っているはずだが、このたび当「ニュースな史点」取材班が、新元号候補について驚くべき情報をキャッチすることに成功した。今日発表してしまうと四月バカとしか思われないであろうが、他社を出し抜くためにも今日掲載する。

 前述のように、歴代の元号は中国古典を出典としてきた。しかし今や元号制度自体やってる国は日本だけで、それをわざわざ中国古典から探してくるというのも妙な話。政界や皇族周辺に一部見られる保守層からも「日本独自のものを」との意見が強く出ており、また新天皇になる皇太子も日本中世史専攻の歴史学者ということもあり、200年ぶりの生前譲位・上皇出現という歴史的事態になってもいるということで、元号についても思い切った見直しをすることが内定しているというのだ。思い切った見直しとは、ついに元号の出典を中国古典に求めるのではなく、「日本古典」に求めるという、やっとナショナリズムに目覚めた元号制定が行われるとのこと。

 日本古典に出典を求めるといっても従来通りの漢字二字では変わり映えがない。民族の文字である「ひらがな元号」を初採用することが内定した。候補としては最古の歴史書『古事記』に由来する「まほろば」、最古の随筆『枕草子』に由来する「あけぼの」、恋愛小説の古典『源氏物語』から「ひかる」、恋愛ゲームの古典に由来する「ときめき」などが挙がっているという。
 フィクションの元号ではジブリアニメの中で「ぽんぽこ三十三年」などというのが出てきた例もあるが、実際に「まほろば十二年」とか「ひかる十三年」とかになったら、聞こえもかなり新鮮である。「ときめき」に至っては毎年毎年、「ときめき五年」「ときめき六年」など、全国民が正月からウキウキしちゃいそうである。これは大いに好評を呼ぶのではないか・
 そしてこうした「ひらがな元号」は、いずれ天皇の名前にかぶせられる。そうなれば奈良時代以前の「和風諡号」の復活ともなり、いよいよ日本の独自性の発揮となる。本居宣長なんか草葉の陰で泣いて喜びそうだ。
 なお、この報道が「誤報」になった場合、後世「ときめき事件」などと言われちゃうのであろうか。


2018/4/1の記事
間違っても本気にしないように!

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