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2018年4月30日

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◆地上より永遠に

 「ナスカの地上絵」といえば、まぁたいていの人は知ってるはず。ペルーの砂漠に描かれた巨大な「絵」で、飛行機が発明されて上空を飛ぶ時が来るまで発見されなかった。ペルーあたりはアンデス山脈に沿って古代文明が起こった地域で、「ナスカの地上絵」が描かれた時期については諸説あるが、紀元2世紀あたりから7、8世紀までのいつかではないかと推測されている。もちろん数がかなりあるので一度に作ったものではなく、長い年月のうちにポツンポツンと作った可能性もある。

 なんでこんなものを作ったのか、については「宇宙船の滑走路」だの「宇宙人との交信」だのとSFチックな解釈もしばしばされてきた。日本でもどなたか有力政治家が「UFO存在の根拠」として(冗談交じり口調ではあったが)この「ナスカの地上絵」を挙げていたし、小松左京原作および総監督の映画「さよならジュピター」でも火星に同じような「地上絵」が見つかって、太古に異星人文明が太陽系に来ていた痕跡ってことにされていたこともある。
 真面目な考古学的見解では、おそらく天の神々に向けて見せるつもりで巨大な絵を描いたのではないか、と考えられている(だから「宇宙人との交信」というのもあながち的外れではない、とも言える)。あんな巨大な絵をどうやって古代人が描けたのか、という問題についてもそれほど大きくない元絵を拡大して描く方式で十分に可能だと説明されている。

 さてこの「ナスカの地上絵」、実はまだまだ全部が確認されているわけではなく、最近でも日本の山形大学の研究チームが新たな「地上絵」を次々発見して話題になっていた。そして今年の4月9日付のナショナルジオグラフィック日本語版が報じたところによると、ナスカの近隣も含めた調査でさらに50個以上の「地上絵」が確認されたというのだ。
 記事によると、新たに確認された「地上絵」にはナスカ文化の時期と重なると推定されるものもあったが、それよりさらに古い「パラカス文化」(紀元前500〜紀元後200?)の時代のものが多かったという。つまり「地上絵」を作る文化はナスカ地上絵よりさらに1000年くらいさかのぼることができるかもしれない、という話なのだ。そして地上絵といってもナスカのような平坦な砂漠ではなく山の斜面に描かれていたものも確認され、それらの絵は上空からでなく山のふもとからも見ることができ、動物類の多いナスカ地上絵とは違って「戦士」と思われる人間の姿をしたものが多い、というのだ。

 なんでこれまでそれら「地上絵」に気づかなかったのか、といえば、一応一部は地元民には知られていたものの、多くは長い年月のうちに風化などで線が薄れてしまい、肉眼での確認が困難になっていたとのこと。それをドローンを使った詳細な調査や、「宇宙考古学」(別にUFOがどうのというやつではない)の専門家により衛星写真などの分析を行って、それまで知られていなかった地上絵がどんどん見つかるようになったのだそうだ。
 なかなか心躍る話なんだけど、かすれて見える線を現代人が勝手に「地上絵」と誤解した例もあったりするので、注意は必要かな。衛星写真の分析でも送電線や道路を誤認したことがあったそうだし。


 こうしたナスカなどの地上絵を作った文明の担い手となった「元祖アメリカ大陸住人」だって、もちろんもともとアフリカで発生した現生人類が数万年に及ぶはるかな旅をしてこの地にたどりついたものだ。現在のところ、ユーラシア大陸のシベリア方面からベーリング海峡を渡って北アメリカ大陸に現生人類が入ったのはせいぜい1万数千年前のことではないかと推測されている。さらに詳しい年代についてはまだまだ議論が多い。なんせ次々と発見があるものだから。
 
 そうした発見の一つになりそうなものが、先月末にアメリカの科学雑誌で発表された。カナダの太平洋側の大都市バンクーバーの北西400kmにあるキャルバート島の砂浜に、なんと1万3000年前のものと推定される「人間の足跡」が見つかっ、というのだ。論文を発表した研究者によると2014年から2016年にかけての調査で合計29個の足跡が見つかり、どうやら大人二人に子供一人の三人連れの足跡と推測されるらしい。してみると、夫婦と子供の一家族が1万3000年前の砂浜を歩いていた、ということだろうか。
 「1万3000年前」と判断した根拠については報道では分からなかったが、これが間違いないとなれば明らかに北アメリカ最古の「足跡」であり、現生人類がその時点で北アメリカに進出していた証拠となる「足跡」だ。なんでもこのカナダ西海岸南部の地域は北アメリカの他の地域よりもやや早く1万3000年前には氷河が姿を消していて、それにともないアラスカ方面からカナダ西海岸沿いに人類は南下してきたのでは、という仮説はこれまでにも有力視されてたそうで、今度の足跡の発見はその説をさらに補強するものになりそう、とのこと。

 なお、今のところ見つかっている人類最古の足跡は、タンザニアで発見され約た360万年前のもの。もちろんその足跡を残した「人間」はまだ猿人段階だが。現生人類が発生したのはおそらく20万年前とされ、上記のように1万数千年前にはアメリカ大陸に入ってそれから数千年のうちに南米の南端まで進んで全世界への拡散を終了した。それからさらに遠い足跡はアポロ飛行士たちが月面に残した足跡ということになるのだが、そこから遠くに足跡がつくのはいつのことやら。


 最後に、現生人類の「出アフリカ」の時期についてまた一石を投じそうな発見について。
 さる4月9日、ドイツのマックスプランク研究所などの国際研究チームが「サウジアラビア北部のネフド砂漠で、9万年前の現生人類の指の化石を発見した」と発表した。アフリカおよび地中海東岸部を除けば、もっとも古い年代の現生人類化石になるとのこと。
 発見された指の化石は長さ3.2cmほど。その周辺では石器も多く見つかったといい、この地域に9万年前に現生人類がいたことは間違いないことになる。当時この場所には湖があったというから、そのほとりで生活していたということだろう。
 現生人類がアフリカで発生し、アフリカから「出アフリカ」をして世界に拡散したことは確定された事実だが、その時期についてはまだまだ謎で、当初は7万年前くらいかな、と推定されていたが、それ以前に西アジアや地中海東岸に広がっていた証拠も出てきて、「出アフリカ」の時期はさかのぼる傾向にある。一方で「出アフリカ」にも何度か波があったという見たかも出て来たし、従来の地中海沿岸を通って出アフリカしただけでなく、紅海を渡ってアラビア半島に渡ったグループがいたという説も有力視されてきている。今回のネフド砂漠の「指」が指し示してるのはアラビア半島経由説のようにも見えるのだが、果たして。
 


◆歴史は昔の話ではない

 「歴史は現在と過去の対話である」と言ったのは歴史家E=H=カーだが、特に近い時代の歴史は現の現在の現実社会に直結して飛び込んでくることがある。それも関係者が生きてるうちはあまり表面化せず、そこそこにその世代がいなくなった辺りで大きくクローズアップされることが多いような…という話題をいくつか。


 「731部隊」といえば、日本軍が極秘のうちに細菌戦の研究を進め、その過程で生きた人間を使った「生体実験」を数多く行ったことで悪名高い。昨年の夏にNHKがいくつか優れた戦争関連ドキュメンタリーを放送していたが、その中の一つに「731部隊の真実」という番組があった。様々な新資料を掘り出しての力作なのだが、特に力点が置かれていたのが、731部隊に協力・参加した医学者たちの存在だ。731部隊がもたらす多額の資金、通常では行えない実験による成果、そして軍に協力することで学閥人脈の拡大・強化を図る…といったもろもろの理由から、日本の代表的な大学の医学者たちが積極的に参加・協力した。中には影響力のある医学者の指示で参加したが実際に行ってみるまでどういうところなのか分からなかった人もいたみたいだが…。そして敗戦後はこうした医学者たちは一切口を閉ざし、中には医学界のエリートコースをそのまま歩んだ人もいるとのことだった。

 その番組でも、もっとも多くの医学者を参加させた大学として京都大学の名が挙げられていた。ほかの有力大学も多くの協力者を出しているのだが、当時の京大医学部で指導的立場にいた人物の積極的活動もあって京大がやや突出することになったらしい。
 そんな京大医学部から731部隊に参加し軍医将校となっていた人物(故人。敗戦の年に戦死したとのこと)への博士号授与について、その取り消しを含めた再検証を京大に求める団体、その名もそのまま「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」がこの4月に発足した。何が問題になってるかといえば、この軍医将校は「イヌノミのペスト媒介能力に就て」という論文で医学博士号をとったのだが、その論文の中で「動物を使った特殊実験」の成果としているところ、実際には731部隊の「人体実験」によるものではなかったか、という疑いが濃いというのだ。実際731部隊はノミを使ったペスト感染の実験、はては実戦使用までしていたとされていて、確かにその可能性は高いと思われる。

 このため再検証を求める団体としては、こうした非人道的な実験による研究に学位を与えたというのは問題であるとして。京大に再検証、さらには学位の取り消しを求めるということだが、疑いは濃い者のどこまで確定できたものか。学位を授与した側もそうした実験の成果ということを知っていたのかも気になる。当人も含めて関係者は全員他界してると思われるし…
 この件に関連して、この団体は国立公文書館に731部隊の名簿資料の開示請求を行っていて、今年1月にその全容が開示され、敗戦半年前時点での731部隊およそ3000人もの詳細な情報が明らかとなったことも発表された。2016年にも開示請求したがその時は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」にあたるということで黒塗り状態での開示だったとのことで、この2年の間にどういう変化があったのか気になるところ。しかし昨今公文書の改竄やら隠蔽やらが話題となっているが、この史料は戦後70年以上きっちりそのまま保管され続けてきたわけである。公文書館ってそのためにあるんだよね。
 同団体ではこの一級資料の分析、および京都大学の文書との照らし合わせを行って、戦後に医学界のオエライさんになった人たちが何人も731部隊に参加していた事実を確認して、京大に関係する情報開示を求めていくとのこと。当人たちが生きてるうちにやっておけば…とも思うのだが、この手の話は当事者たちが生きているうちはなかなか表に出てこないものだ。いま戦争中を生きていた人たちがますます少なくなるなか、本当の「戦後」が始まろうとしてるのかもしれない。


 医学界と歴史、ということでは、最近「旧優生保護法」のもとで実施された、障害者や精神疾患者などに対する不妊手術、露骨に言ってしまえば「断種」の実態がどんどん明らかにされてきて、ようやく国を相手に提訴する動きが出てきている。いくつかの新聞記事でこの問題の話を読んだが、こんな「ナチスばりの優生思想」とついつい言ってしまう発想が、戦後の日本で延々と行われてきたという事実に戦慄を覚えもした。この法律がようやく改正されそうしたことが行われなくなったのは1990年代、僕だってリアルタイムで生きてる時代の話なのだから驚いてしまう。

 もちろん、この法律が作られ、そうした行為が大いに実行されていたときは、それが「常識」でもあったのだろう。ハンセン病患者の隔離問題(こちらにも「断種」はあった)にも言えることだが、最初の段階では科学的にそれが正しいと思ったのだろう。だがそれが誤りと分かって来てもズルズルと続いてしまう、ということが世の中にはままある。


 医学の話から離れてしまうが、現代に飛び込んでくる歴史問題つながり、ということで…
 台湾の南部・高雄にある中山大学で、図書館前に設置されていた蒋介石の銅像を撤去するかどうか議論となり、4月16日から19日にかけて学生投票が行われた。結果は「学外に撤去」が35%、「学内の別の場所に移転」が17%、「現状維持」が46%という結果になったという。数字だけだと現状維持が最多なのだが、学外・学内を合わせれば「移設」意見の方が上回ることにもなる拮抗状態だ。こういう結果を予想していたのか大学側は当初からその場合の処置を決めていて、結局折衷案的な「学内の別の場所に移転」ということになるのだそうな。

 蒋介石といえばかつて中国国民党を率いて中国の代表者でもあった人物。しかし毛沢東率いる共産党に敗れて台湾に移り、現在の台湾の状態のもとを作ることになった。といって「建国者」というわけでもないし、元からいた台湾住民に対して過酷な独裁体制を敷いたため、元からいた台湾人「本省人」にはえらく評判が悪い。90年代以後に民主化が進むと各地にあった蒋介石銅像の撤去が行われるようになって、現在の民進党政権ではなおさらそれが進んだ。昨年12月には「過去の権威主義の象徴の排除」を定めた法律までできたそうで、これも明らかに蒋介石銅像の撤去を念頭に置いていると言われている。中山大学の一件も、こうした流れの中で一部学生から撤去を求める運動が起きたことがきっかけとのこと。

 だが当然ながら現在は野党に落ちてる国民党はこうした動きに反発している。蒋介石追悼の場で会える「中正記念堂」(「中正」は蒋介石の号)が前の民進党政権時に「台湾民主記念館」に改称、その後国民党が政権を奪回すると元に戻す、といったこともあったから、また国民党が政権をとったら蒋介石像の扱いも変わるのかもしれない。といってもさすがに単純な英雄視はもうできないだろうが。
 ところで日本にも箱根・彫刻の森の「中正紀念堂」とか、愛知県にある「中正神社」とか、ひとむかし前の反共・右翼系による蒋介石称揚施設がいくつかあるのだが、それが問題になるってことはないんだろうか。



◆境界線をヒョイヒョイと

 
2000年に公開された韓国映画に「JSA」というのがある。当時、「シュリ」を皮切りに韓国映画の大ヒット作が続き、日本でも話題となっていたころの一作で、酒宴はイ=ヨンエイ=ビョンホンソン=ガンホと、今にして思えば大スター共演の一作だった。この映画は板門店の「JSA(JointSecurityArea)=共同警備区域」で起こった韓国・北朝鮮両兵士の銃撃・殺人事件をめぐるミステリ仕立てになっていて、まず事件発生直後を描く「Area」、続いて事件に至る真相が語られる「Security」、最後にそれらが結びつく「Joint」の三部構成がタイトルも含めてなかなかウマイ。ネタバレ回避で書くと、要は敵同士で警備あたるうちに南北の兵士がひそかに交流してしまい、その結果として起こる悲劇といったところなのだが、エンタメ作品ながら南北分断の現実を背景にした重い設定と、北朝鮮兵士も人間的に描いたことで大きな注目を集めた。
 この映画が公開される直前の2000年6月には韓国の金大中大統領が平壌を訪問、北の金正日国防委員長と初めての南北首脳会談を実現させていて、南北間に和平ムードが強く漂った。映画の製作はそれと並行したものだろうが、そうした空気をこの映画の中にも感じ取れる。当時報道されたことだが、映画好きと言われる金正日はこの映画について触れ「見てみたい」と話したという。

 この映画「JSA」はほぼ全編が板門店を舞台としているものの、さすがにあそこでロケ撮影ができるわけもなく、すべてそっくりに建設した実物大セットで撮影されている。これ、実際になかなかリアルに作られていて、今回の南北会談のあれやこれやの場面も、僕はこの映画で見た「現場記憶」と照らし合わせながら見てしまった。韓国の文在寅大統領と、北朝鮮の金正恩委員長が対面して握手し、二人で軽々と越えて見せたコンクリの「軍事境界線」も、映画「JSA」でほぼ同じ場所が登場していて、「これを越えると射殺されますよ」と観光客に説明する場面があったりした。実際、あの「壁」ですらないコンクリの線をちょっと越えるだけでも即銃撃、ということになってもおかしくない。だいたいつい昨年も、板門店では亡命騒ぎで北からの銃撃が行われたばかりだ。

 それだけに、あのコンクリの境界線を二人の首脳がヒョイヒョイと越えていく映像はインパクト大だった。この南北首脳会談が金正恩委員長が韓国側に入って行われる、ということは事前に決められていて、北指導者の初の韓国入りとして注目されていたが、ああもあっさりとまたいで越えてしまうのは正直予想外だった。もう少し芝居がかってゆっくりやるかな、と思っていたんだけど、まぁヒョイと軽く越えて見せるというのも「演出」のうちだろう。両首脳が握手して南北双方の記者たちに撮影させていたが、記者たちも境界線をアッサリ越えていたような。
 撮影を終えて移動する前に文大統領が「私はいつここを越えますかね」と言うと、金委員長が「じゃあ今越えてみませんか」と言って、二人で手をとってヒョイと軽いジャンプで境界線を越えて北側に入る、という場面はハプニング、サプライズであったとされ、この日最大の「見せ場」として世界に報じられた。これすらも実は「仕込み」だったんじゃなかろうかと僕は半分疑ってるんだけど、仕込みや演出であろうとなかろうと、それを実際にやって見せる、というのはそう簡単なものではない。どっちにしても南北首脳双方がかなりの意思疎通をし、下準備を整えた上で会談を行ったということで、この点については過去の南北会談よりも「実を挙げた」感があった。

 その後の「平和の家」での金委員長の記帳、午前の会談と午後の植樹&二人きりの散策会談、双方の夫婦そろっての晩餐会、と濃い一日が続き、両首脳は「板門店宣言」を発表、朝鮮戦争の「終戦」や北朝鮮の非核化の実現に向けて動き出すことを約束した。「具体的な話がない」とケチをつける人も少なくないが、そもそも朝鮮戦争だの非核化だのはアメリカの方が当事者なので、北朝鮮と韓国とではあのくらいのものしか出てこなかっただろう。そのため「パフォーマンス先行」という批判も出ているが、政治外交なんてのはかなりの部分パフォーマンスなんだから、あれはうまくやったもの、ととるべきだろう。結局あとはトランプ大統領と金委員長が直接対談する、初の「米朝首脳会談」に託されることとなる。

 今年に入ってから北朝鮮が急に低姿勢・友好ムードになってしまい、矢継ぎ早に周辺国と話を進めて状況を急展開させていて、その勢いは今度の南北首脳会談でも盛大に発揮された。それまでメディアへの露出はあったものの勇ましい掛け声ばかりで謎が多かった金正恩委員長も当人が直接登場して人前で話す場面が増え、結構頭の回転も速く機転も聞くしジョークも言ったりする、思いのほか「親しみやすいやつ」であるように見えてきたのも今回の会談の「成果」といえる。
 ただ、それって、上記の2000年前後の御父上とソックリじゃないか、と思っちゃうのだ。あの時も、それまで肉声すらろくに聞けなかった金正日が急に露出が増え、中国を訪問してよくしゃべる気さくさぶりを発揮、続く南北会談でいっそうそのキャラを前面に出した。ところが結局、そうした明るさは急にしぼんで露出も少なくなり、やがて核開発、核実験へと進んで元の状態に戻った、いやむしろ前より強硬な感じになってしまった歴史がある。だから今回の会談で見える明るい兆しについても、どうしても「本当に大丈夫?」と疑いを持ってしまう向きが多いわけだ。

 僕もそういう疑いをどうしても抱く者だけど、去年から今年の状況を見ている限り、北朝鮮もさすがに「あとがない」状況なのでは、と思っている。ここで朝鮮戦争終結を含めた平和外交、経済発展による自立を実現しないと、もはや以後は打つ手がなくなるはずだと。核兵器やらミサイルやら持ったり撃ったりしてアメリカを口汚く非難したのも基本的には戦争をしたら終わりだと分かってるから話し合いのテーブルにつかせるためであって、今のところそれは実現しつつある。ここで話をつけることに失敗すると、いよいよ体制維持だか国体護持だかが出来なくなるんじゃないかなぁ、と。
 もう一つの要素として、「南北統一」ってのもあるんだけど、それだって具体的にどう実現することになるのやら。北の「金王朝」がそのまま残る形で連邦制、なんてできるんだろうか?むかし僕の恩師なんかは「高句麗・新羅・百済・耽羅(済州島)といった昔の国単位で集まって連邦にすりゃいいんだ」と本気なのか冗談なのか言ってたものだが…


 やや気の早い話だが、南北会談、米朝会談を経て本当に年内に「朝鮮戦争終結」が確定した場合、南北首脳およびトランプ大統領に「ノーベル平和賞」が贈られるのでは。との憶測がある。南北会談直後のトランプ支持者集会でも「ノーベル!ノーベル!」ってコールが起きてトランプさんもすっかりその気になってたもんな。
 しかしなぁ…文大統領はともかく金正恩の方は大量粛清はやったし、つい昨年二「兄殺し」までやっている。それに「平和賞」はさすがに躊躇するんじゃないか。といって過去の南北会談実現の際は金大中にだけ平和賞を贈って北をムクれさせたとの推測もあるから、片方だけ授与ってわけにも。そしてトランプさんも人道的にはいろいろ問題のある言動があるから、さすがに「平和賞」は…と僕だって思う。もちろん過去の平和賞受賞者に「なんでそいつが」って問題がなかったわけではないんだけどね。



◆エネミー・オブ…

 いきなりマニアックな話題であるが、先日セガが「メガドライブミニ」という形で往年の16ビットゲーム機「メガドライブ」を復刻する計画を発表し、僕も何やら心おどるものがあった。といっても僕自身はメガドライブはほとんど手をつけてなくて(「NHK大河ドラマ太平記」だけはプレイしてる)、そのライバル機の一つであった「PCエンジン」の熱烈マニアなのであって、こうなったらぜひNECには「PCエンジンミニ」の発売を実行してもらいたいもんだ、と思った次第である。
 もう知らない世代も多いだろうから簡単に説明しておくが、PCエンジンは当初「Huカード」という、本当にカード並みの薄さ・小ささのROMカセット媒体でゲームを供給していた。のちに主力をCD−ROMに移行してしまうのだけど、このカード媒体の利点に目をつけて「PCエンジンGT」なる携帯ゲーム機を発売したことがある。詳しくは僕のPCエンジンサイトの該当項目でも見てほしいが、あの時代でTVに映す据え置き型ゲーム機のソフトがそのまま携帯ゲーム機で遊べるというのは凄いことだったのである。しかし時代を先取りしすぎて本体価格のお値段がベラボーに高く、ほとんど普及せずに市場から消えてしまった。いま「PCエンジンミニ」みたいのを出すなら、「PCエンジンGT」みたいな感じでやるといいんじゃナウいかな、と思ったのだ。

 この「GT」、時代を先取りしていたからか、はたまた全く普及しなかったんで使いやすかったからかは分からないが、ハリウッドのサスペンス映画に「出演」している。邦題は「エネミー・オブ・アメリカ」で、ウィル=スミス演じる主人公が政治的暗殺の模様を収録した映像を格納したHuカードが差し込まれた「GT]を偶然手渡され、そのために衛星監視システムなど国家レベルの監視システムで行く先々を押さえられ絶望的な逃走劇を強いられる羽目になる…という内容だ。途中から元情報部員のジーン=ハックマンが加わり、逃亡だけでなく逆襲を仕掛けてゆくことになるのだが、今見るとインターネット普及以前の段階ということもあり、かなり非現実的、SF的に見えてしまうサスペンス映画だ。
 さてこの映画、英語の邦題だけど実は原題とは異なる。原題は「Enemy of TheStae」で、訳せば「国家の敵」ということ。この映画の場合「国家」は明らかにアメリカ合衆国なので邦題はウソではないが、一般市民がいきなり「国家の敵」認定され狙われ追われるはめになる恐ろしさのニュアンスが伝わりにくい。調べてみたら中国語訳題は「全民公敵」で、なかなかうまくそのニュアンスを伝えていると思った。


 さあ、えらく長い前ふりの末に出てくる話題は何かお分かりだろう。先日、民進党の小西洋之参院議員が国会近くの路上で30代の現職幹部自衛官から「国民の敵」と罵声を浴びせられたという、あの一件だ。最近の日本政官界および角界ではあれやこれやと大問題が次々発覚しているが、僕が一番「これはヤバい」と思ったのがこの事件だ。取り上げられてないわけではないが、他の問題に比べると明らかに扱いが悪いので、ここでは特にこの話を取り上げておく。

 4月16日の午後9時、小西議員が国会議事堂周辺でジョギングをしていたところ、見知らぬ男性から、いきなり「小西だな」と呼び捨てで呼び止められ、「国益を損なうことをするとは馬鹿なのか」「気持ち悪い」などの暴言を浴びせられた。この時に「お前は国民の敵だ」とも言われたというが、これについては後日の防衛省での調査に当人は「言ってない」と答えたという。だがその他の暴言については認めているうえ、趣旨からして「国民の敵」もしくはそれに近い言葉は投げつけた可能性が高い。なにせそれでなくても日報の隠ぺい問題が起きてる防衛省である、この件でも「国民の敵」という過激な言葉さえウヤムヤにすればいいと思ってる可能性を僕は感じる。
 小西議員は相手が現職の自衛官と名乗ったのでさすがに末端の隊員なのだろうと思ったそうだが、よく聞いてみるとバリバリの幹部自衛官であることが分かり、ただちに防衛省に問い合わせた。なぜか現時点でその実名が報道されないのだが、暴言を放ったこの自衛官、それも統合幕僚監部に勤める3等空佐であったという。旧軍であれば大本営参謀の少佐といったところで、明らかに幹部自衛官である。そんな人物が国会議員を路上で捕まえて罵倒、という事態はもちろん前代未聞である。

 自衛官は規則により選挙権を認められる代わりに政治的活動は原則禁止されている。また、「品位」を保たなければならないと定められているそうで、今回のケースはそのいずれにも違反してしまう。そのことを小西議員もその場で説明して撤回を求めたが、なかなか応じず、警察官が集まって来てだんだん騒ぎが大きくんってきたあたりで態度を改め、撤回したという。しかし防衛大も出て幹部自衛官のエリートコースを歩んでいる人物がこんなことをやらかして問題になると自覚してなかったというのも恐ろしい。
 いま自衛隊、防衛省ではイラク戦争時や南スーダンPKOでの「日報」隠蔽問題で揺れている最中だ。そのことで「シビリアンコントロール(文民統制)」が不徹底なのでは、と言われているその最中にこんなことをやらかす、というのが理解不能だ。小西議員の何が気に入らなかったのかは不明だが、小西議員がその日報問題で防衛相および安倍内閣を批判していたことにこの三等空佐が怒ったとすると、自分の組織の不始末を批判されたんで逆切れするという、なおさら問題のある行動ということにもなる。
 「国民の敵」とは言ってない、と当人は言ってるそうだが、「バカ」だの「気持ち悪い」だのといった小学生の悪口みたいな発言については認めてるというから…この経歴、地位でこの語彙力、さらには自分の行動が明白な規定違反になるということへの無自覚、と何拍子もそろった困ったチャン。それこそ「馬鹿なのか」「気持ち悪い」「国益を損ねる」と言ってやりたくなる。本当にこれで将来の自衛隊を背負うであろう中枢の幹部なのかとあきれるばかりなのだが、なにせあの田母神俊雄・元航空幕僚長の例がつい最近ある(そういや彼も空自だな)。あんな程度の頭の人が「空軍」のトップになっていた先例がすれにあるのだ。前からひそかに危惧してることだが、日本の組織ってどうも「上に行くほど馬鹿になる法則」というのが存在していて、それは旧軍の大本営参謀連中にもあてはまる。そういう「伝統」はしっかり現在の自衛隊にも引き継がれてるのでは…と今度の件はかなり怖くなった。

 防衛省では当然懲戒処分に付すとしているが、どの程度の処罰になるのか。このところの中央省庁の事例のようになんだかんだ言ってウヤムヤにしてしまう恐れもある。かなり本気で厳罰に処さねばならないのだが、えてしてこういうのを「使える軍人」と勘違いして温存したりすることもあるからなぁ…
 防衛省でも「五・一五や二・二六のような旧日本軍とは違いますよ」といった発言が出ていたけど、やはり連想せざるを得ない。昭和初期、政党政治が財界との癒着や政党同士の足の引っ張り合いで国民の支持を失ったとき、「義憤」にかられた軍人連中や右翼が政治家たちを暗殺、政党政治にとどめを刺した。しかもそうした行動にある程度の国民が喝采を送ってしまい、軍人たちの政治介入をなおさら誘ってしまっている。
 軍人が国会議員を罵倒したということでは、1938年に「国家総動員法」が審議されていた衆議院で、政府側で法案の意義を延々と説明していた佐藤賢了が、やじる議員たちに「黙れ」と一括した事件を連想する声も多かった。この「黙れ事件」は当時ですら問題となり、陸軍大臣が陳謝する結果になっているのだが、発言した当人については何の処分もなされなかった。今度の件の処分がその二の舞にならないことを祈るばかりだが…小野寺五典防衛大臣も陳謝はしつつ「若い隊員にはいろんな思いがある」とか、擁護ととられかねない発言をしていて、どうも昔の「悪い癖」がちらついている。「純粋な動機があれば何をしてもいい」的な感情、まだまだ日本人にはあるから危ない。


 四月中も話題が尽きなかった「森友・加計学園問題」の国会でのやりとりで、首相補佐官が首相を攻撃する野党議員に「ヤジ」を浴びせるという、これまた前代未聞の事態が起きている。これもどう処置するのか不明のまま曖昧になりそうなのだが、この三等空佐ももしかすると自衛隊のことより安倍政権が野党の攻勢で揺らいでいることへの焦りがあったんじゃなかろうか。安倍さんのもとでの憲法改正というのがそちら方面では悲願になっていて、安倍さんをそれこそ「天皇」のように崇めていると感じることはこれまでにも目についた。このところの政権の不始末をかなりアクロバティックに擁護したり、無理矢理賞賛したりする輩もあちこちで見かけるが、これもそうしたたぐい。僕には何やら「国体護持」のための「本土決戦」にすら見えてしまう。
 野党を牽制するためなんだろうけど、「解散風」まで一時は吹いた。安倍さんが大叔父の佐藤栄作にならって「黒い霧解散」をやるんじゃないか、という観測が流れたりもしているが、とりあえず4月末にはそれはだいぶ下火になった感じ。安倍首相自身も「その気はない」と言ってるけど、そう言って解散した例なんていっぱいあるからなぁ…


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