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2018年5月13日

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◆今週の記事

◆それにつけてもあいつはカール

 ああ、思えば「カール」が東日本で売られなくなってから久しい。まぁそれ以前でもそんなにしょっちゅう食べるお菓子ではなかったし、店頭から消えても特にカールに飢えるというわけでもない。西日本に行く機会でもあったら手を出してみようかな…と。
 もちろん、この記事はお菓子のカールの話ではない。18世紀初頭に活躍したスウェーデン国王のカールさんの話題である。CNN日本語版サイトに出た話題で、スウェーデンの名物料理「スウェーデンミートボール」は、実は「国産」ではなく、カール12世がオスマン・トルコ帝国から持ち込んだものだ、とスウェーデン政府の公式ツイッターアカウントが明言し、そのことにかなりの衝撃を受ける人が続出…という、なかなか楽しい記事である。

 カール12世(1682-1718、在位1697-1718)は世界史では超有名人とまでは言わないが、知る人ぞ知るのなかなか興味深い君主である。1697年に15歳の若さで即位、それから間もなく勃発した「北方戦争」で遠征を繰り返し、その生涯の大半を戦場や外国で過ごして自分の国をお留守にしてしまった王様だ。しかも最後は戦死のおまけつきで、戦争自体が趣味だったんじゃないかという王様。かの「銀河英雄伝説」でも戦争ばっかりやってた若い君主の礼として引き合いに出されている。
 特に北方戦争においてロシアのピョートル1世(大帝)との対決が有名で、1986年にアメリカで製作されたTVドラマ大作「ピョートル大帝」でもピョートルの宿敵としてなかなかカッコよく描かれた。まったくの創作場面だが、北方戦争前にピョートルとカールが国境付近で二人きりで密会、戦争を避けて金銭的な領土譲渡をもちかけるピョートルに、カールが「せっかくの楽しみを奪わないでください。戦争こそ王の真のスポーツ。国民も弱者を淘汰してますます強くなる」と挑発するように答えるセリフが「いかにも」な感じで印象的だった。このドラマではロシア側の内通者からの情報をしっかり利用しつつ、その裏切り者の情報をピョートルに教えてやるといった、なかなか騎士道精神なキャラにもなっていたな。

 1709年、ロシア領内へと侵攻したカール12世率いるスウェーデン軍は、ポルタヴァの戦いでロシア軍に大敗した(上記のドラマでもクライマックスで、なかなかのスペクタクルシーンだ)。カールは敗残兵を率いてロシアと敵対するオスマン帝国領内へと逃れた。カールは現在のモルドバ共和国にあるベンデルで5年ほど過ごしたのち、1715年になってようやく母国に帰還したが、今回話題となったミートボールは、このベンデル時代にカールが食べて味を覚えてレシピをスウェーデンに持ち帰ったということらしい。CNNの記事によるとトルコ国営アナトリア通信では、カール12世がこのとき持ち帰ったのはミートボールだけでなくコーヒー豆やロールキャベツもあったんだとか。コーヒー豆についてはそれ以前のウィーン包囲でオスマン軍が撤退時に残していったものがウインナーコーヒーのルーツになった、なんて話は聞いたことがあったけど、カール12世、なかなかのグルメでもあったのだろうか(笑)。せっかく遠くまで遠征して負けっぱなしのまま帰れないと料理を持ち帰ったのかもしれないな。転んでもただでは起きないというやつか。

 僕は全然知らなかったが、スウェーデンではこのミートボール料理はおなじみの名物だそうで、それをスウェーデン公式アカウントが「トルコ由来です」と表明したので、「私の人生は全てがウソだった」と落胆のつぶやきをする人まで出たんだとか。それに対してスウェーデン公式が「あまり自分を責めないで」となぐさめるといった一幕もあったとか(笑)。「事実を教えてくれてありがとう!トルコのものは大好き」という声もある一方で、「当時はオスマン帝国であって国家としてのトルコはまだないだろ?」と歴史的には正しいツッコミも出ていたといい、まぁ総じて楽しい話題だな、と僕は思うのであった。



◆汚れちまった悲しみに

 大気汚染がひどい国、というと日本人はすぐ中国を思い浮かべるが、実はインドがかなりひどい、という話もチラホラ報道されている。PM2.5の濃度も都市部ではかなりのものだと聞いているが、その対策に行政側があまり積極的でないのも確かみたい。以前どこかで読んだ記事では、政府高官の誰だかが「どうせ輪廻転生するんだから」という実にインド哲学的発想から大気汚染対策に乗り気でないと発言していたという例もあった。

 さて、そんなインドの象徴的建築物といえば「タージ・マハル」だ。ムガル帝国第5代皇帝シャー=ジャハーンが亡くなった愛妃ムムターズ=マハルの墓として建設したもので、インド・イスラム建築の最高峰として名高く、インドの重要な観光資源ともなっている。その象徴的存在感のあまり、隣国パキスタンとの緊張が走った際には「爆撃の標的にされる」とカモフラージュする動きまで出ていたくらいだ。
 タージ・マハルは大理石を大量に積み上げた真っ白な外見が良く知られるが、さすがに年月を経て汚れが目立っていたらしい。特に最近は大気汚染の影響を受けて黄色っぽく、さらには黒っぽく変色してしまっているという。さらに大気のみならず裏手に面しているヤムナー川も生活用水による汚染がひどく、建物の後ろの壁は「栄養たっぷり」の川で繁殖した虫たちのフンで緑色に汚れているそうで。墓の主を彷彿とさせる「美女」ぶりが売りの建物なのだが、いろいろとお肌の劣化が目立ってきてしまったわけだ。そうした汚れに何の対策もしてこなかったわけではなく、定期的にこうした汚れを落とす作業もされてはいる。これが「泥パック」方式であるところもいかにも「美女」な話で面白い。この「泥パック」は今年1月にも行われたそうだが、最近の汚染の進行の速さは深刻で、なかなか追いつかない状況のようだ。
 これはあくまで天災だが、先月にはインド北部を猛烈な砂嵐が襲い、タージ・マハルの入り口の門の尖塔が破損するといった事態も起こっていた。このほかにもあちこち破損したり大理石が摩耗したりといった問題はあり、その原因の一つが一日に1万2000人も押しかける観光客にあるとして、入場制限が行われてもいるという。それでもなかなか効果がなく、タージ・マハルのお肌の劣化に歯止めがかかりそうにない。

 その劣化に烈火のごとく怒ったのがインドの最高裁。ついに5月2日、「タージ・マハルが汚れたのは保護を怠った政府の責任」とする判決を下してしまった。最高裁判事はインド政府とタージ・マハルのあるウッタルプラデシュ州政府に対して「あなた方はタージマハルを保存する専門知識を持ち合わせていないのか。あるいは、持っていても使いたくないのか。それとも、そもそもタージマハルのことなど気にかけていないのか」と叱責を加えてタージ・マハル保護の緊急性を訴え、一週間後の公判までに政府と州に回答を求めるとした。今のところ政府や州がどのような回答をしたのか、僕が目にした限りのニュースでは流れていない。

 チラッと思ってしまったのが、現在のインドの政権を担うモディ首相が、ヒンドゥー至上主義団体の強いバックアップを受けていて、現在インドでは勢いを得たヒンドゥー至上主義者によるイスラム教徒への迫害があちこちで起きているという現実だ。タージ・マハルは個人の墓、「廟」というやつだが、まぎれもなくイスラム教の思想に基づいた建築物だ。もしかして現在のインド政権与党としてはそんな建物を保護するなんて真剣には考えてないんじゃ…などと考えもしたのだ。一応表向きそんなことはなくて、政権も含めて大半のインド人はタージ・マハルをインドの宝と認識してるんだろうけど…
 そんなことを考えつつ関連ニュース記事をあさっていたら、3年前の2015年に興味深い報道があったのを見つけた。タージ・マハルの地元の弁護士らが「タージ・マハルはイスラム建築ではなく、もともとシヴァ神に捧げられたヒンドゥー寺院である。証拠だってかなりある」と主張し、タージ・マハルをヒンドゥー教徒に引き渡せ、との訴えを裁判所におこしていた、というのだ。さすがにムチャクチャな主張で、ヒンドゥー至上主義寄りとされる政権も、「タージ・マハルがヒンドゥー寺院だという証拠は一切見つからなかった」として公式に彼らの主張を否定している。
 この裁判がどうなったかは知らないが、恐らくその無茶な主張は退けられたのだろう。ただこういう裁判を起こす連中が出てくること自体、ヒンドゥー至上主義の高まりの表れには違いない。ちょっと前にも、ガンディー暗殺実行者に評価の声が出て来てる、なんて報道もあったしなぁ…



◆断交・鞍替え・名前変え

 前回は韓国と北朝鮮の首脳が板門店で手をつないで軍事境界線をヒョイと超えるという歴史的一コマに触れた。6月12日にシンガポールで米朝首脳会談も行われて話がかなり進んでしまう可能性が高いとみられている。それこそアメリカと北朝鮮の国交樹立の可能性だってあるわけで…もっとも、朝鮮戦争の事情を思えばいま韓国と中国に国交があるというのも凄いことなんだけど。こうなると日本も結局は国交正常化交渉って話になっていくんだろうか。

 ニュースを眺めていると世界では国交なんては結構切れたりつながったりしてるもの。昨年もペルシャ湾の国カタールがサウジアラビアなど中東諸国から国交を断絶される事態があった。その背景には根深い対立からやはり国交を断っているサウジとイランの問題があると言われていたのだが、さる5月1日には西北アフリカのモロッコが急にイランとの国交断絶を発表している。理由は「イランが西サハラの武装勢力を支援しているから」とのこと。
 「西サハラ」はかつてスペインの植民地だった地域で、1976年にスペインが撤退すると隣国のモロッコとモーリタニアが占領して領有を主張したが、西サハラの独立を目指す武装組織「ポリサリオ戦線」が結成されてモーリタニアを追い出し、1990年代にモロッコと停戦したものの、今日にいたるまでモロッコと対立を続けている。この「ポリサリオ戦線」にイランがアルジェリアの大使館や、レバノンのシーア派組織「ヒズボラ」を通じて武器供与しているとモロッコは主張し、今回の国交断絶の理由としているわけだ。
 この「ポリサリオ戦線」を抱える「サハラ・アラブ民主共和国」はアルジェリアに亡命政権を作っていて、国連加盟こそしていないもののアフリカ連合(AU)にも加盟(このためモロッコはつい最近までAUに加盟していなかった)、ラテンアメリカ諸国を中心に76カ国がら国家として承認されてもいる。モロッコもさすがに今までの主張を貫き続けるわけにもいかない感じなんだけど、今これに絡めて回いきなりイランとの絶交を言い出したのはいささか不自然な気も。イランが武器支援ってこと自体はありえなくはないと思うのだけど、イラン側が主張するように「モロッコはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの圧力に屈した」という外交的な事情なんじゃなかろうか、と。
 イランをめぐっては、アメリカのトランプ大統領が(例によって)イラン核合意からの離脱を表明、イスラエルがそれを大歓迎、ゴラン高原ではイランとイスラエルの軍事衝突の懸念が増大、とかなりキナ臭くなってるんだよな…


 5月1日、カリブ海の国ドミニカ共和国が中華人民共和国との国交樹立を宣言、それにともない、これまで国交のあった台湾(中華民国)とは断交に踏み切った。いわゆる「一つの中国原則」というやつで、中国と台湾の両方と国交を持つことは認められないからだ。この件につき一部マスコミの記事で「中国が札束でひっぱたいて」という見出しをつけていたところがあったけど、それは台湾にも言えることで、今も台湾と国交を持つ国々は南太平洋や中南米の小国ばかりで実のところ経済支援をアテにした国交だ。最近では中国の方が経済的にも優位に立って来てしまい、札束攻勢でも台湾位勝ち目が薄くなってきた、ということでもある。一部の国はそれを利用して中国台湾双方を天秤にかけ、あっちについたりこっちについたりして稼いでるところもある。
 ドミニカ共和国は台湾と国交のあった国の中では「大国」の方だったので、ここを奪われたことは台湾政府にとっても結構ショックだったみたい。台湾の外交部長(外相)が「ドミニカ共和国は長年の協力関係と自国民の願い、台湾が提供してきた開発援助を無視し、中国による投資と支援という偽りの約束を受け入れた」と記者団に怒りのコメントを出していた。

 今度のドミニカ共和国の「鞍替え」で、台湾と国交をもつ国は19カ国となった。地位別に分けるとラテンアメリカが10カ国、オセアニアが6カ国、アフリカが2カ国、そしてヨーロッパが1カ国となる。このヨーロッパの一カ国というのが他ならぬバチカン市国、世界最小の国歌ながらカトリックの総本山として影響力は多大な国である。だがこのバチカンもいつ「鞍替え」をするのか、ともうかれこれ20年ばかり言われ続けている。
 そりゃまぁ、宗教だって商売とおんなじ、信者の「市場(しじょう)」が大きい方に行きたいわけ。原罪のローマ法王はイエズス会出身だしその思いはなおさら強いかもしれない。過去にもバチカンと中国が何度か接触、交渉したと言われているが、中国側は国内のカトリック団体の聖職者をバチカンが任命することを嫌っていて(叙任権闘争ですな)、これだけは譲れないと双方でやりあっていまだに国交樹立にはいたっていない。それでもバチカンが中国への鞍替えを企図してるのは間違いなく、台湾としては気が気ではないところだろう。


 台湾と国交をもつ国のうち、アフリカにある二つは西アフリカのブルキナファソ、そして南アフリカ共和国とモザンビークにはさまれ「島」のようにポツンとあるスワジランド(面積は四国より一回り小さいくらい)。このスワジランドが、4月19日に国名を「エスワティニ王国」に変えると宣言した。
 スワジランドの歴史を調べてみると、この地域にいた「スワジ人」たちが建設した王国で、周辺のズールー族やボーア人(オランダ系移民)に対抗するためにイギリスの保護を受け、20世紀にはその統治下に入った。ただ国王など支配階級はそのまま維持され、1960年代に自治権を獲得、さらに独立を達成して現在も国王がかなりの権限を有する事実上の絶対君主国となっている。
 国名変更宣言は、4月19日の独立記念式典の中で国王ムスワティ3世(在位:1986〜)により発表された。このムスワティさんという王様、公私両面でいろいろと問題を起こして批判されてる人でもあるのだが、この国名改変には以前から熱心で、ついにその実現を果たしたということになりそう。新国名「エスワティニ」は現地語で「スワジ人の国」を意味し、国王自身も「元の名に戻るだけ」と言っている。まぁビルマがミャンマーになったり、カルカッタがコルカタになったり、ボンベイがムンバイになったりといった「英語表記から現地語へ」の流れの一環ではあろう。一部に「スワジランド(Swaziland)だとスイス(Switzerland)と英語スペルが似ててまぎらわしいから」という理由もささやかれてますけどね。


 あまり話のつながりがないのだが、触れておきたいので強引にこの話題も。
 先ごろマレーシアで総選挙が行われ、野党連合が過半数を占めて勝利、同国初めてとなる「政権交代」が実現することとなった。新政権の首相に任命されたのは…なんと御年92歳のマハティール!もちろん1980年代から20年以上にわたってマレーシア首相をつとめた当人である!「政権交代」といっても元の人に戻っただけじゃん、などと驚いてしまった。これほど高齢の「返り咲き」も歴史上珍しいんじゃなかろうか。



◆絵にもかけないような話

 先日、絵本作家の加古里子(かこ・さとし)氏の訃報が報じられた。その訃報にネット上では絵本作家としては異例(だと思う)の反響がおこり、ツイッターのトレンドに「かこさとし」「だるまちゃん」「てんぐちゃん」「カラスのパンやさん」といったワードがゾロゾロと並んだ。僕自身もこの訃報には衝撃を受け、読んだ本のことなどチョコチョコとツイッターでつぶやいている。個人的には「どろぼうがっこう」が大好きだっだな。
 加古さんはもともとは専業絵本作家というわけではなく、昭和電工につとめる工学博士、つまりは技術者だった。そのかたわら児童向けの紙芝居をつくる活動をしているうちに出版社に見いだされて絵本作家になったという異色の経歴をもつ。先述のツイッターもそうだが報道でも「だるまちゃん」シリーズや「カラスのパンやさん」といったベストセラー絵本のタイトルばかりが挙がっていたが、僕にとって「かこさとし」の名は「海」「地球」「宇宙」といった、児童啓蒙大型科学絵本シリーズの著者という印象が強い。読んだことがある人はご存じだろうが、このシリーズは絵本といいながらページの隅々に科学情報、雑学知識がたっぷりつめこまれていて、小学生以下のころ僕はいつまでも飽きずに読みふけっていたものだ。僕の科学知識のベースはこれらのシリーズに大きく拠っていると今でも思う。
 とうの昔に引退したかなと思っていたら、最近でも「万里の長城」や小湊鉄道のトロッコ列車など多彩な絵本を製作されていて驚いたものだ。ついに92歳、ギリギリまで現役でのお亡くなりに恐れ入るばかりである。それにしても今度首相に返り咲いたマハティールと同年齢なんだなぁ。
 あまり歴史に関係ないのだが、ちょうど「絵画」テーマで記事をまとめようと思っていたところへ飛び込んだ訃報だったので、個人的思い入れもこめ、追悼の念も含めて採り上げてみた。合掌。


 さて、フランス南部の地方美術館で、収蔵品のなんと6割が「ニセモノ」であったことが判明して世界的ニュースになってしまっている。
 その美術館とは、フランス南部ペルピニャン地方のエルヌという村にある「エティエンヌ・テラス美術館」。エティエンヌ=テルス(Étienne Terrus、1857-1922)というのはこのエルヌ出身で、この地で多くの作品を生み出した画家だ。あまり有名とは言い難いみたいだが、出身地で美術館を建ててもらえるだけの知名度はある人なのだろう。生きた年代をみればフランスの「ベル・エポック(古き良き時代)」を生きた画家であることが分かり、「ああ、ルパンの同時代人だな」と僕はまず思ってしまった(笑)。経歴を調べると17歳でパリに出て画家修業をしたが間もなく故郷に帰り、以後ほとんど故郷の地で創作活動に励んでいる。マティスなど有名画家の文通仲間が何人かいたようでそこそこ評価もあったのだろう。美術史では荒々しいタッチや色彩を特色とする「野獣派(フォーヴィズム)」に分類されるとのこと。彼の名を冠した美術館が故郷に建設されたのは1994年、彼の死後実に72年も経ってからのことだが、それだけ一定の評価が続いたということでもある。

 ところが今年、このテルス美術館がリニューアルオープンし、それに合わせてであろう、新たに80点ほど絵画を購入したのだが、この際に同美術館に勤める美術史家が収蔵品について「偽造品」の疑いを指摘した。なにせテルスの作品のはずなのに彼の生きた時代にはなかったはずの建物が描かれていたり、絵にあるサインが手袋をした手で触れたら落ちてしまう、という例があったのだそうな。慌てて綿密に調べてみたら、所蔵品140点のうち実に82点が「「偽物」と判定されたという。全部がテルス作品というわけではなく、他の画家の作品とされるものも含まれるそうだが、そちらにも偽物が混じっていたようで。
 いくらなんでも所蔵品の半分以上が偽物とあっては美術館のメンツ丸つぶれである。これから行政当局では誰が偽物を作成したのか、またそれがどういう経緯で美術館に収蔵されたか、などを捜査していくとのこと。「なんでも鑑定団」でも有名画家の偽物が時々出てきた李するけどねぇ…。

 このエルヌの近くにあるこの地方の中心都市がペルピニャン。ここはルパンの生みの親・モーリス=ルブラン終焉の地でもある。死の床にあったルブランは「ルパンが夜な夜なやってくる」と警察に保護を求めたエピソードがあるのだが、ルパンシリーズはルブランが「友人ルパン」から聞いた話を小説化したというスタイルをとっており、この逸話はもしかしてルパンが実在したのでは?とネタにされることもある。そんな地の近くで「贋作だらけ美術館」があると、「ルパンの仕業か」と思ってしまうところも。だってルパンってルーブル美術館の至宝だって偽物とすり替えてるんだから!


 アメリカはアイオワ州のアートギャラリーでは、収納庫の隅にしまわれたまま忘れ去られていた絵画が、実は大物の作品だったことが判明、というニュースがあった。
 2016年にアイオワ州で美術館館長をしている人物が、このアートギャラリーの収納庫の中のテーブルの陰に隠れていた一枚の絵画を見つけた。それはギリシャ神話のアポロンとヴィーナス、そしてキューピッドが描かれたものだったが、長らく放置されていて薄汚れ、一部にヒビも入っていたという。裏のラベルからかつてメトロポリタン美術館に貸し出されていたことが確認され、1900年代にこの地に移り住んだ一家の持ち物で、その孫娘が地元の女性団体に寄付、そこからこの収納庫へ、という経緯をたどったらしい。
 この絵の作者はルネサンス期のイタリアの画家フェデリコ=バロッチ(1535-1612)とされていたが、関係者は何か違うと思ったのだろう、専門家も交えて鑑定した結果、真の作者は同時代を生きたオランダ人画家オットー=ファン=フェーン( Otto van Veen、1556-1629)であることが判明したという。どこからどう分かったのか知らないが、少なくともバロッチのものとされるよりはヴァン=フェーンの作とされる方がはるかに価値があったみたい。その価値は報道によると400万ドルから1100万ドル(約4億円〜12億円!)と見積もられているとのこと。
 僕も全然知らなかったが、このヴァン=フェーンという画家、オランダ・ルネサンス期の「巨匠」ではあるらしい。経歴を見ると、あのルーベンスが若い頃に弟子入りしていた、というところが目につくくらいなんだけど。まぁどこにどういうお宝が眠ってるかわかったものではない、という一例かな。


 一方、我が国の最高学府・東京大学の本郷キャンパス生協食堂では、改修工事にあたってそれまで壁を飾っていた絵画(というか壁画だな)が「行方不明」になる、という騒ぎが発生。調査の結果、その価値が分からず破棄処分にしてしまったことが分かり、絵の作者の遺族に謝罪するという始末になったのだが、その絵の作者の名は宇佐美圭司(1940-2012)という。世界的な画家だったそうなのだが、すいません、僕は全然知りませんでした。
 東大の生協食堂に壁画を飾ったのは、東大生協発足30周年記念の一環で1977年に描かれたもの。どんな絵なのか画像を見てみたが、この人の作品はほとんどが抽象絵画というやつで、生協食堂のその絵も絵画とか壁画というよりは、風の装飾デザインといった模様主体のものだ。最初「生協食堂が名画の価値を理解せず廃棄!」と報じるニュースを目にしたときは「まぁなんと不注意な」と思ったものだが、実際の恵を見ると、その、失礼ながら「絵画」と認識してない人が大半だったのでは、と事情をなんとなく理解してしまった(汗)。いやまぁ、不注意には違いないけど。


 絵画つながりで話を続けると、手塚治虫「鉄腕アトム」の直筆原稿一枚が5月5日にパリでオークションにかけられ、予想を上回る約3500万円の高値で落札される、というニュースがあった。手塚作品の落札額としては最高だし、「アトム」の原稿が海外でオークションにかけられたのも初とのこと。落札者は入手を夢見ていた熱心なヨーロッパ人とのこと。そんな生原稿がどうして海外に、とまず思ってしまったが、一応ルートは確からしく、「流出」といったものではないようだ。
 一方日本では梶原一騎原作・ながやす巧画の往年の漫画「愛と誠」の流出原稿のうちの一枚がネットオークションに出品されるという事件も発生。権利をもつ講談社が「落札しないで」と警告を発したが、残念ながら400万円ほどで落札されてしまった。「愛と誠」は連載当時に映画化・ドラマ化が実現しているが、そのはたらきかけの際に映像関係者に原画を貸し出したケースがあり、その中で合計15枚が紛失したままになっていたとのこと。今回オークションに出たのはその一枚ということで、あと14枚も姿を現す可能性がある。講談社や作者サイドではもちろん落札はもちろん出品もするなと言ってるのだが、もとをたどると貸し出したときの不手際ではあるなぁ…出版社もそうだけど、映像関係者もこの手の「借り物」の貴重品をあっさり紛失してたりする話、よく聞くよね。
 現在の漫画界はパソコン上で描く人も増えて来て、「生原稿」そのものが過去の遺物になっていきそうだけど…


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