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2018年10月7日

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◆今週の記事

◆人口最大と人口最小

 今のところ、世界最大の人口を抱えているのは中国(数年以内にインドに抜かれると予測されるが)。一方世界で一番少ない人口を抱えているのは面積でも世界最小のバチカン市国だ。しかしこのバチカン、国は小さくでも世界最大の信者数を抱えるカトリックの総本山であり、その影響力はある意味では中国以上かもしれない。
 そんな両国であるが、実は国交はない。バチカンが認める「中国」は中華人民共和国ではなく台湾=中華民国の方だからだ。最近台湾と国交を持つ国がどんどん少なくなってきているが(現時点で17カ国)、その中でも影響力の大きい国がバチカンだ。バチカンが中国ではなく台湾と国交を結んでいる理由は、もちろんカトリックの総本山の宗教国家であるバチカンと、信教の自由についてはかなり厳しいところがある中国共産党政府とが対立を続けてきたから。台湾についていえば孫文蒋介石など「中華民国」のエライ人たちにカトリック信徒が多かったことも国交が続いた一因ではあるだろう。

 だが、もうかれこれ20年くらい前から、「バチカンはいつ中国に乗り換えるのか」という不安の声が台湾であがっていると、間接的に僕も耳にしていた。実際ここ最近のローマ法王たちはいずれも中国との関係改善に前向きで、これまでにも両者で何度か交渉が行われたことが報じられている。「宗教国家」であるところのバチカンだけに、信者の大きな「市場」である中国になんとか寄り付きたい、ということなのだろう。

 それでもこれまで具体的な話にまとまらなかったのは、お互いに「譲れない線」が存在したため。それはローマ法王を頂点とするピラミッド構造になっているカトリック教会ならではの問題、聖職者の任命権をめぐる問題だ。世界史の教科書でおなじみ、「叙任権闘争」というやつである。司祭や司教といったカトリック教会の聖職者の任命は全世界すべてバチカンのローマ法王の承認のもとに行われることになっているのだが、中国政府は以前からこれを認めず、国内のカトリック信者団体を政府の管理下において司祭や司教ら聖職者についても中国政府が任命する形をとり続けてきた。中国政府としては、カトリック信仰自体は構わないのだろうがその指導的立場の聖職者が外国勢力のコントロール下にあるというのは我慢ならん、ということなんだろう。

 9月22日、バチカン法王庁は「中国と歴史的合意に達した」と発表、中国側が任命した七人の司教について、バチカンもこれを承認する表明したのだ。ああ、ついに認めちゃうんだ、一方的にバチカンの譲歩になっちゃうんじゃないの、と僕は思ったものだが、バチカンの報道官は「合意は政治的なものではなく宗教的なものであって、中国国内の信者は法王庁と一体であると同時に中国承認の司教をもつことができるようになったのだ」と表現していた。まぁものは言いようというやつですな。中国側が任命していても、最終的にはローマ法王が承認するという形は維持されてるわけだし。フランシスコ法王も「これで過去の傷を克服するプロセスが始まり、中国のカトリック信徒と完全な交わりを持つことに至ることを期待する」と表明、やっぱりカトリックの「巨大市場」にさっさと参入したくてしょうがない、という空気が読み取れる。

 報道で見た限りではあるが、中国政府側はこの合意についてはあくまで「暫定」と表現し、合意署名が北京で行われたこと以外は特に詳しい説明をせず、冷静な態度を見せているみたい。おおっぴらに騒ぐのもどうか、ということなんだろうな。
 一方の台湾も少なくとも表面的には冷静な態度で、「この合意が中国本土における信仰の自由に道を開くことを期待する」と一応評価する声明まで出した。また同時に即座にバチカンと断交、ということはないとも表明している。ただ、この話が一気に進んだことと、フランシスコ法王の発言など見ていると、なんだか法王訪中とか国交樹立とかに一気に進みそうな気配はある。そうそう、この決定の直前に法王が来年、新天皇即位に合わせる形で訪日することも発表されていて、そのついでに…なんてな憶測も出てはいるんだよな。

 もっとも中国も、「一帯一路」とやらいう戦略で、アジア各国に経済支援をして影響力を強めようとしているが、中には露骨にやりすぎて嫌われる、あるいは警戒されるケースも出て来て、最近ではマレーシアやモルディブ、スリランカで親中政権の敗北が続いてもいる。アメリカもそうだけど、大国はえてしてガキ大将よろしくゴーマンにふるまっちゃ嫌われるものだ。そんな大国がバチカンという「小さな大国」相手にどうふるまうのか、見ものではある。
 


◆「玉座」お届け!

 もう今年も10月に入ってしまった。「平成三十年」もあと3か月を切った。そして「平成」そのものも、あと7か月ばかりを残すのみだ。ロングセラーの小学館版「学習漫画少年少女日本の歴史」もとうとう第22巻「平成の三十年」を新たに刊行、なんて話題もあった。なにかにつけ「平成最後の〜」なんてフレーズがついてまわる昨今だが、そんなことが普通に話題にのぼるのも、天皇が生前退位するという実に200年ぶりのことが現実になろうとしているからなんだよな。あ、念のため書くとその200年前の時は元号は変えたりしてません。
 そんな中、いよいよ「代替わり」の準備に入ったんだなぁ、と実感させられるニュースがあった。京都御所に安置されている「高御座(たかみくら)」が、9月25日から26日にかけて東京の皇居へと移送されたのだ。

 今上天皇の退位、新天皇の即位は来年4月30日と5月1日とに行われる予定となっている。新天皇への代替わりをもって元号も新しいのに変更されるわけだが、自民党内の保守勢力が「新元号は当日に発表すべき」とうるさく、事前に発表されるかどうか微妙な情勢。そうこうしてるうちに日本全体で「元号メンドクサ」という空気が満ちて来て「元号離れ」がますます広がるように思うんですがねぇ。実際一部お役所でも西暦処理に移行しちゃってるようだし。

 それはそれとして、5月1日に新しい天皇に交代することになるのだが、これは厳密には「即位」ではなく「践祚(せんそ)」というやつである。天皇のしるしである「三種の神器」を受け取って新しい天皇に「なる」のであって、「即位」したわけではない。まぁ実質即位と同じことではあるんだが、伝統的に天皇は践祚してから最初の収穫感謝祭である新嘗祭(にいなめさい)、すなわち「大嘗祭(だいじょうさい)」と合わせて行われる「即位礼」を持って正式に「即位」したことになる。天皇がいわば「神主のトップ」であった古代の名残で、神様との挨拶を済まさなければ正式に天皇になれない、ということなんだろうな。
 天皇になる「践祚」はいわば「天皇に仮就任」みたいなもので、即位礼を行うまでは本物の天皇ではないようなもの。しかしこの即位礼には莫大な資金が必要で、特に中世の天皇たちはそれを集めるのに苦労した。中でも戦国時代の後奈良天皇は貧窮のため践祚してから十年間即位礼ができなかったことで有名だ。

 今回京都から東京へ運ばれた「高御座」は、その即位礼で使用される天皇の「玉座」だ。現在のものは大正天皇の即位礼に合わせて作られた、つまり百年ほど前に作られたものだが、一応古代のものを考証・再現した上でデザインされている。古代らしさは中央の「玉座」が椅子になっている点。平安時代以後の日本は唐風の椅子文化がすたれたため高御座の玉座もザブトン状態になっていたが、大正時代に椅子に戻している。思えば明治以後の日本で欧米由来の椅子文化が普及していくのと歩調を合わせているようでもある。

 では大正天皇のときもその高御座を東京へ移送したのか。答えはノー。このときの即位礼は京都御所で行われたので、大正天皇の方がわざわざ京都へ出かけたのだ。大正天皇は東京生まれの東京在位をした最初の天皇になったが、当時の皇室典範の第11条に「卽位ノ禮及大嘗祭ハ京キニ於テ之ヲ行フ」と規定されていたのである。次代の昭和天皇も皇室典範に従い京都へ出向いて即位礼を行っている。明治以後、東京遷都が行われ皇居は江戸城に置かれたが、「天皇の即位」は千年以上の伝統がある京都で行うべし、という考えが強かったために皇室典範にそう定めたのだろう。

 1990年(平成2)の11月に今上天皇の大嘗祭と即位礼が執り行われたが、史上初めて舞台は東京に移された。これは戦後に改正された皇室典範に大嘗祭・即位礼の場所についての規定がなくなったためだ。一部にいろいろ抵抗があったとも予想されるが、日本国憲法・象徴天皇制のもとでの最初の即位ということも思い切った変更の理由ではあっただろう。もう一つ、即位礼に参列する人々、特に以前にはなかった外国要人の警備上の理由も大きかったようだ。
 初めての東京での即位礼に向けて、高御座が歴史上初めて関東へと輸送された。このときは過激派などの襲撃の可能性もあるということで、ダミーのトラック数台を走らせつつ、本物のほうは自衛隊のヘリで空輸するという、なかなか大掛かりな作戦がとられている。そこまでするんなら天皇の方が京都に行った方が安上がりでは…と思っちゃったりもするが。

 大正、昭和、そして平成の大嘗祭・即位礼は代替わりしたその年ではなく、前天皇の服喪を一年おこなった上で少し遅れて実施されているが、今回は生前譲位が行われるため践祚の同年に大嘗祭・即位礼が行われることとなった。高御座の輸送を一年も前に行ったのは、修繕その他で最低半年はかかるから、とのことだ。そして今回は前回のようなものものしい大作戦は行わず、分解した高御座を民間業者に委託してトラック8台で輸送という、割とお手軽というかネットショッピングの商品お届けに近い感覚で運ばれている(受取証に「天皇御璽」押したりしてないだろうな)
 一応警察など警備はついたらしいが、テレビ局のスタッフが高速道路を並走して高御座を運ぶトラックを撮影するなど、ものものしさはほとんど感じられなかった。平成初期のころでも過激派ウンヌンは考えすぎだったと思うんだけど、今となっては「過激派」そのものが過去の遺物となり、警戒すらする必要がなくなった…ということなんだろうな。


 天皇がらみの話題をついでに書くと、靖国神社の現職宮司が会合において「天皇批判」を行った、と週刊誌が報じていた。このままだと今上天皇は在位中に一度も靖国参拝をしなかったことになるという焦りもあったのだろうが、天皇がしばしば行っていたかつての戦場への「慰霊の旅」について、「靖国つぶし」とまで言っちゃったと言うのが凄い。まぁ、こういう宮司がいたりする神社だから敬遠するんだろうけどねぇ。
 この宮司、現皇太子が次の天皇になったらなおさら来なくなると予想(あの人、歴史学徒だしなぁ)、次期皇后となる雅子さんについても「神道嫌い」と批判したとか。最近のネトウヨ業界でも安倍首相万歳の一方で天皇一家は叩かれがち(なんと「反日」とまで表現する者もいる)なのを思い出してしまうな。
 


◆「太平洋戦争」は終わってない?

 世界史マニアな人は、歴史上「太平洋戦争」と呼ばれるものが二つあることを知ってるだろう。日本が「大東亜戦争」と呼んでいたアレとは別に、南米のチリ・ペルー・ボリビアの3国が1879年から1884年にかけて太平洋に面した地域の資源をめぐって争った戦争も「太平洋戦争」と呼ばれるのだ。日本から見るといわば「対岸の火事」の話である。
 
この戦争はボリビアとペルーが連合してチリに仕掛けたが、チリがイギリスの援助を受けるなどして軍事的優位を保ち、ほぼ一方的に勝利を得た。この戦争の結果チリはペルーの南部とボリビアの太平洋沿岸地域を獲得し、とくに銅山の獲得がその後の経済的繁栄の基盤を築くこととなったが、ボリビアの方は海に面した領土を失って内陸国となり、今や南米でも最貧国と言われてしまうほどおちぶれることとなる。だがこの戦争でチリに奪われた領土についての主権主張は延々と続けていて、内陸国のはずなのに「ボリビア海軍」が存在する、というのも豆知識として知られている。なお、調べてみたらボリビアとチリは1904年に一応「平和条約」を結んでいるものの、今なお公式な国交を持たない状態を続けているとのことだ。

 去る10月1日、オランダのハーグにある国際司法裁判所は、「チリが領土返還交渉に応じない」として2013年にボリビアが同裁判所に提訴していた件について、「チリ側に交渉に応じる義務はない」という判決を下した。つまりボリビアの訴えは完全に門前払いされたわけである。僕はこのニュースを見て、かねてボリビアが沿海領土の主権主張をしていることは知っていたものの、本気で取り返そうと国際司法裁判所に提訴までしていたことには正直驚いた。百年以上前の領土主張なんて通るとはとても思えないからだ。

 さすがにボリビア側も全面的な領土回復までは考えてはいないようで、とにかくチリを交渉のテーブルに引き出し、ボリビアが何らかの「海への出口」を獲得するのが提訴の狙いだと言われている。ボリビア側は1904年にチリと結んだ平和条約の中で海岸まで通じる鉄道敷設権や港湾の商業利用など一定の権利が認められているため、それを根拠に提訴に持ち込んだのだが、チリ側ではむしろその条約でそのように「決着」していると主張している。鉄道敷設については話が進まなかったが、ボリビア側による港湾の商業利用は実際に今も実現してるそうで、これがチリ側の主張の有力な根拠になったようだ。

 2013年の提訴というから、結論が出るまでに5年もかかってしまったわけだ。現在のボリビアで政権を担っているエボ=モラレス大統領は2006年以来の長期政権で、ベネズエラのチャベス政権と連携して「社会主義的政策」を進めている。前述のようにボリビアとチリは正式な国交を「太平洋戦争」以来持っていないのだが、モラレス大統領はチリ大統領とお互いの大統領就任式に出席しあうなど関係改善を進めようとした経緯がある。しかし「海への出口」はボリビアの国家的悲願であり、また経済政策もうまくいってるとは言い難いことから、チリとの問題をあえて再燃させて国民の支持を集めようとしてるんじゃないか、という見方もあるようで。海がなけりゃチリ的に不利、チリもつもれば山となるの気持ちで執念深く続けるのだろうか。
 
 なお、ボリビアもチリもペルーも第二次世界大戦の後期・末期に連合国側で参戦していて、日本との「太平洋戦争」にも参加していて、サンフランシスコ講和条約にも批准していたりする。



◆アイドルグループの名前じゃなくて
 
 「新潮45」という雑誌名は以前から気にはなっていた。「45」ってなんなんだよ、と。「シンチョーフォーティーファイブ」とかいうアイドルグループか、などとネタにするずっと前からこの「45」は気になっていた。そのうち調べてみるかと思って、そのまま放置したまま、とうとう事情を知ることのないままにこの雑誌じたいが「休刊」になってしまった(笑)。これまで購入したことも立ち読みしたこともない雑誌なんだけどね。
 調べてみた「新潮45」の創刊は1982年。「45」の意味は、対象とする読者層を「45歳以上の中高年者」としたためなのだそうな。なぜ「45」という数字を選んだのかはよく分からない。とにかく平たく言ってオジサンオバサン層をターゲットにした総合月刊誌で、「文芸春秋」をライバルと目していたようだ。週刊文春と週刊新潮のような関係かな。
 しかし21世紀に入ってから、こうした月刊誌はいよいよ厳しい状況に追い込まれていた(週刊誌ですらそうみたいだけど)。「文芸春秋」に明らかに水をあけられていた「新潮45」だが、一応社名の入った雑誌をつぶすわけにはいかないということで、2016年から交代した編集長が保守を通り越した「右傾化路線」をとるようになったという。僕はこの雑誌を読んでこそいなかったが、新潮45の広告で日本バンザイ・ネトウヨ丸出しな見出しがどんどん増えていくのは目にしていた。この手の雑誌は同じ人がいくつも一緒に買っちゃう傾向でもあるのか(内容や執筆者もかなりかぶるのに)一定の売り上げがみこめるのは事実らしく、一度手を出すとなかなかやめられない麻薬的効果があったみたいだ。

 そして今年の8月号に杉田水脈・衆議院議員が寄稿した「「LGBT」支援の度が過ぎる」なる文章が載った。「LGBT」の人々について「生産性がない」といい、そんな彼らに税金を投入するのはどうか、という内容で、当然ながら直後から強い批判の声があがった。人間の価値を「生産性」で測り、差別するという、ナチスばりの発想と呼ぶしかなく、9月に行われた自民党総裁選の討論でも安倍晋三首相・石破茂元幹事長は二人そろって杉田論文を批判した。安倍首相は「生産性ということをいうなら、私たち夫婦には子供がいないから大変つらい」とまで発言している。それは確かに杉田論文の問題点の核心を突くものではあるんだが、安倍首相はそれ以外のことについては「がんばってほしい」との発言もしてるんだよな。

 そもそもこの杉田水脈議員、このところウヨク業界で急台頭してきた人物で、あっちこっちで名前を見るようになっていた。もともとは日本維新の会、続いて次世代の党と渡り歩き、従軍慰安婦問題で国連人権小委員会に殴り込みをかける(そしてかえって事態を悪化させた)といった「手柄」をあげることで安倍首相につながる人脈に食い込んで自民党入り、比例区中国ブロックで上位に入れてもらって自民党衆院議員の地位を確保した。ついでに言うとこの人、右翼系トンデモさんを毎年輩出しているアパグループの「近現代史論文」でも受賞している。ホント、この賞は分かりやすいな。

 さて批判を受けた新潮45がどうしたかといえば、開き直った。9月発売の10月号で「そんなにおかしいか杉田論文」なる特集を組み、「保守論客」な人々による
擁護文章を載せたのだ。僕はいずれも読んでなくてネット上で間接的に内容を知ることになったが、中でも小川栄太郎氏の「なら痴漢する権利も認めろ」という主張はあまりにもひどいということで最も強い非難を受けた。この小川氏という人物、僕は初めて知ったのだが、調べてみるといわゆる「安倍応援団」の一人として近頃台頭してきた人物だった。
 結局この特集が「新潮45」の息の根を止めた。発売直後は強気だったが、やがて新潮社の社長が内容を批判、それから間もなく「新潮45」自体の休刊が発表された。何もいきなり休刊にしないで編集部の刷新をするとか、反省を表明するとか、いろいろ手があったと思うんだが、面倒なんで雑誌をつぶし単に「逃げた」形になってしまった。雑誌一つをつぶす大きな原因となった小川氏はこれ以外でもウヨク業界での問題行動が報じられ、たちまち業界関係者から縁切りされまくっている。なんか森友学園の籠池夫妻を思い出してしまう。なんか、安倍さんってこういう種類の人を引き寄せてしまう磁力があるようなんだよな。


 さて事前の予想通り安倍首相は圧勝の形で自民党総裁続投を決め、この調子だと大叔父の佐藤栄作、さらには同じ長州出身の桂太郎を抜く最長政権も視野に入ってきた。ただ地方の党員票はかなりいい勝負になったあたり、一定の批判や不満は受けているようではある。
 総裁選に勝った安倍さんはさっそく内閣改造・自民党役員人事を行ったが、「科学技術担当大臣」として初入閣した平井卓也議員が、「EM菌推進議員連盟」の幹事長をやってることがまず注目された。この人、問題視されたら「EM菌については答えられるほどよく知らない」と取材に答えていたが、議連の幹事長までやっててそれはないだろう。「EM菌を使った方がたくさんいるので幹事長を引き受けた。中身は良く知らない」というセリフ、しらばっくれてるのか、はたまたその程度の認識で議連に入ったり幹事長になったりする業界ということなのか。すでに何度か政界でも問題になったことがあるので「知らん」はずはないんだよな。なおこの議連に50名ほど参加してるというから…宗教系の議連と似たようなもんなんだろう。

 そして文部科学大臣になった柴山昌彦氏は、いきなり就任記者会見で「教育勅語」に言及、その内容はそのままでは無理だが「普遍性、いいところもある」として、現代の道徳教育などにアレンジして使えないか、と発言してさっそく物議をかもした。どうもこれ「失言」ではなく、アドバルーン的にわざわざ口にして様子見をした気配があるんだよな。自民党内の文教族の間ではかねてから「いいことも書いてある」という論法で教育勅語を何かというと持ち出し、それと結びついた道徳教育の推進をしてきた歴史があるが、「いいことも書いてある」と言い出したら、それこそオウム真理教でもナチスでも「いいことも書いてある」わけで、親孝行やら友情やらの普遍的な話を言いたければ何も教育勅語を持ち出す必要はないわけで。だいたい森友学園の幼稚園で教育勅語を暗唱させていて、その理事長が道徳的にどういうお方だったのか、つい最近の記憶を呼び覚ましてもらいたい。

 騒がれたので柴山文科省は「教育勅語が日本人を戦争に駆り立てた部分もあるかもしれない」といくらか言葉を濁しつつ軌道修正、「国として教育勅語の導入を検討するとか政府のレベルで推奨するといったことではない」と述べた。それでいて「世界中から日本の規律正しさや、お互いを尊重する気持ちが尊敬を集めていると見て取られる部分もある」とも言っていて(でもその日本人の大半は教育勅語なんて頭にはいってないんですが)、「教育勅語から離れて、友人を大切にするという考えは現在の教育でも通用するというつもりで発言した」とも述べたという(じゃあ別に教育勅語でなくてもいいんじゃないか)
 この柴山文科相、お約束のように日本会議議連、神道政治連盟議連、靖国参拝国会議員の会にそろって名を連ねる典型的なウヨ政治家。困ったことにこういう手合いが文教族議員には多く、文部科学大臣になりたがるのだ。


 やや話題がそれるが、つい先日、韓国・済州島で行われた各国海軍の参加する観閲式について、韓国側から日本の海上自衛隊に自衛艦旗の「旭日旗」の掲揚をやめてほしいとの要請があり、結局日本側はそれを拒否して観閲式事態に参加しない措置をとる、という一幕があった。この問題、僕もどうするのかなと注目していたのだが、まぁこの辺が落としどころだろう、という「トラブル回避」の対応となった。ただ今後も尾を引くであろうことは予想できる。

 「旭日旗」がもともと日本軍の軍旗であったことは確かだが、戦後も海上自衛隊の艦船旗として普通に使われ続けていて、特に問題とされてきたことはない。それが問題視され、特に韓国において「戦犯旗」とまで呼ばれて「ナチスのハーケンクロイツ同然」と激しく非難されるようになったのはつい最近のことだ。これについては韓国紙「朝鮮日報」もちゃんと冷静にまとめた記事を出していて、こうした拒否反応・攻撃が出てきたのはせいぜいここ十年以内としている。日本の朝日新聞の社旗も旭日旗デザインであることにもその記事も触れていて、日本でも特に問題とされてきたことはなく、ハーケンクロイツとの同一視は無理筋と書いていた(だから韓国国民みんなが騒いでるわけでもない)。僕の印象ではこうした「旭日旗」問題視は、まず中国で芸能人が衣装デザインに旭日旗風のがあって批判される騒ぎがあり、それが韓国に飛び火して一部でより濃くなってしまった、という流れがあったように感じている。そう歴史の古い話ではなく一部で妙に感情的な運動になってきているわけで、実のところ今回の韓国海軍の要請は海軍として問題視したというより「騒ぎになるのがイヤ」というのが本音で、日本側も形としてはその意をくんだことになると思う。

 ただ、この話をさらにややこしくしてるのが、日本国内のウヨ勢力が「旭日旗」をまさに“そういう意図”で使うケースが目立ってきていることだ。あっちがそんなにいやがるのか、それなら…って感じで、これ見よがしに旭日旗をヘサッカーの試合やイトデモで掲げたりする輩がいるのだ。あまつさえ各地でのヘイトデモではたくさんの旭日旗がハーケンクロイツと一緒にひるがえされ、一部韓国人の主張をまんまと裏付ける光景が現実に展開されている(先の沖縄知事選に乗り込んだ一部ネトウヨデモにもあったとか…彼らが与党候補の足を引っ張った、という見解もありましたな)。この調子でいくと、そのうち旭日旗がホントに「禁止」される可能性もありうるなとその光景の画像を見て思ってしまった。


 感情が先に立ってどんどん泥沼にはまってないか、と思えるものでは、「慰安婦を象徴する像」をめぐって大阪市がとうとうサンフランシスコ市と姉妹都市関係を一方的に解消した件もある。
 この件は問題の像がサンフランシスコ市に寄贈され、公有地に置かれるということに日本側が反発しているものだが、これ、そもそもサンフランシスコ市議会で議論された時に設置そのものを阻止しようと乗り込んだ日本の「国士様」たちが国内でしか通用しない論法を用いたためにかえって心象を悪くして「全会一致」で議決というヤブヘビな結果になった経緯がある。さらに昨年、吉村洋文大阪市長が「姉妹都市関係解消」を持ち出してサンフランシスコ前市長に撤回を迫ったが(そこまで拳を挙げれば言うことを聞くだろうと思ったのが勘違いで、逆に「恫喝」ととられたフシがある)、結局スルーされてしまう。直後に前市長が急死したこともあり、大阪市長は今年も同じく「姉妹都市関係解消」を武器に新市長に迫ったが、これまた相手にされなかった。そもそも市議会で全会一致で決めてるものを市長一人でひっくり返せるものではないんだよな。
 大阪市側が「ひっこみがつかなくなった」形で、サンフランシスコ市側はいたって冷静な反応を見せてるわけで、この件、大阪市や日本側が騒げば騒ぐほど傷口を広げるようにしか見えない。「数十万人」といった人数記述の問題を指摘するなど冷静に対応すればまた違っただろうに、姉妹都市絶縁なんて持ち出してしまうと、大阪市は今後姉妹都市関係のあるあちこちの都市(それこそ韓国や中国にもあるわけで)と似たような騒ぎを繰り返すことになりかねない。

 9月中には台湾にも建てられた「慰安婦像」に抗議すべく渡航した「国士様」が、像に「蹴り」を入れる映像が監視カメラで撮られて台湾ではかなりの騒ぎになったりもしている。名指しの抗議デモを受け帰国を差し止められた当人は「ストレッチをしただけ」という、なんとも情けない言い訳をしたあげく「不適切だった」と実質的謝罪に追い込まれた。この人物、過去に幸福の科学信者の右翼活動家として名前が挙がった人物なのだが、騒動を受けて幸福の科学は「無関係」とあっさり切り捨てている。なんかこういうところも先述の小川氏の切り捨てられ方とよく似てるな。

 思いつくままに最近あった日本国内の「国士様」がたの話題を並べてみたが、いずれも底が浅い割にしっかり権力側に食い込んだりして影響力を持ちがちなのが困ったところ。そしていずれも結果的に自国や自陣営をかえって窮地に追いやったり自爆行為になってたりするわけで…、ああ、考えてみりゃ先の大戦の時も全くその通りだったんだよな。


2018/10/7の記事

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