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2018年10月31日

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◆サウジの掃除屋?

 イスタンブールといえば、かつてのビザンツ(東ローマ)帝国の都コンスタンティノープル。それをオスマン帝国が攻め落として「イスタンブール」と改称して都としたわけだが、現在のトルコ共和国はケマル=アタチュルクによる建国の事情から首都はアンカラに置かれ、イスタンブールはあくまで「最大の都市」だ。だがイスタンブールは東西交通路の接点となる場所が場所だけにトルコという国ともども国際政治上重要な都市であり続けた。特に冷戦時代には「最前線」となり、東西双方の情報機関が入り乱れるスパイ合戦の町にもなった、という話も聞く。そういえば007シリーズの傑作「ロシアより愛をこめて」もイスタンブールが舞台となっていたっけ。
 
 そのイスタンブールで、それこそスパイ映画さながらの事件が起こった。サウジアラビア王室を批判していたとされる同国出身のジャーナリスト、ジャマル=カショギ氏(59)が、10月2日にイスタンブールのサウジ領事館に結婚のための書類申請で入ったきり二度と姿を現さなくなってしまったのだ。
 その数日後から、彼の失踪は世界的ニュースとなって報じられ始めた。前回の「史点」でも記事候補にあがっていたがまだまだ情報不足ということで見送ったのだが、新聞サイトで記事検索をかけてみると日本の大手新聞での報道は10月5日から始まっていた。そして「カショギ氏は領事館内でサウジ当局者により殺害された模様」という話がトルコの捜査関係者から出たのが7日ごろだ。10日を過ぎるころには騒ぎはどんどん大きくなり、トルコ当局が「殺害現場の音声データ」があると欧米メディアにリークしたことで疑惑はかなり決定的、かつ生きながら(眠らせてではあろうが)切断したという猟奇的な色まで帯びてきた。

 当初サウジ側は完全にしらばっくれていた。カショギ氏については「領事館から去った」と述べていたのだが、これはのちに関係者がカショギ氏になりすまして「立ち去る」偽装工作をしていたことがバレてしまっている。やがてカショギ氏が「死亡」したこと自体は認めざるを得なくなったか、「領事館内でモメているうちに偶発的に死んでしまった」といった表現に変わっていった。トルコ側は手を緩めず「計画的な殺人」と追及すると、実質的に殺害したことを認めるような表現に代わってきている。ただし現時点で、トルコ側が要求する殺害犯の引き渡しは拒否しているし、事実上の首謀者ではないかとされるムハンマド皇太子の関与についても断固否定している。そのムハンマド皇太子だが、カショギ氏の遺族と面会して「慰め」をしたうえで彼らを国外に出国させたりもしている。とにかく嵐が過ぎ去るまでウヤムヤで通そう、というハラなんだろう。

 しかし現時点でカショギ氏の遺体は発見されていない(井戸から発見、と一部で報道が出たが、出所が怪しすぎたようですぐ無視された)。サウジ側もそれならシラを切り通しそうなものだが、どうも例の「音声データ」があって、それを突き出された場合言い逃れができない状況らしい。この「音声データ」だが、カショギ氏のもつ「アップルウォッチ」による録音とも報じられたが、一部ではそもそもサウジ領事館にトルコ当局の盗聴器がしかけられていたのではないか、との声も出ている。大使館だの領事館だのにその国の当局が盗聴をしかけるのは常識、なんだそうな。

 そのことと絡めてだが、今度の一件、トルコ政府の動きもいろいろと興味深い。現在のエルドアン大統領は、トルコにおけるイスラム系政党を率いて長期政権を築き、近代トルコの国是であった「世俗主義」から次第に「イスラム化」を進めているとも言われ、クーデター騒動も乗り切ってからは独裁色を強めているとも言われていて、トルコの悲願であるEU加入についてもだんだんEUとの距離を置いている気配もある。そしてある時はイスラエルと、ある時はアメリカと激しくやり合い、一時仲の悪かったロシアと接近するなど外交面でも動きが目立つ。そしてサウジとは、シリアをはじめとする中東情勢にあっては対立関係を続けている。先ごろサウジが周辺諸国と共にカタールと断交し「封鎖」まで試みるなか、カタールに助け舟を真っ先に出したのはトルコだった。そういや安田純平さんの救出もカタールとトルコの「合作」とも報じられていた。

 そんなわけで今度の一件、事件自体はイスタンブールで起きているのだから、領事館内のこととはいえトルコ側で捜査し裁くべき、とエルドアン大統領が主張するのも理はあるのだが、同時にトルコとサウジの中東大国の地位をめぐる駆け引きの一環、という感もなくはない。現在のトルコ共和国はかつての多民族国家オスマン帝国からトルコ民族国家へと転換した姿なわけだが、どうもシリア情勢その他での最近のトルコの動きを見ていると、どこかかつての「オスマン帝国」を意識しているような気もしちゃうのだな。さすがに帝国復活までは考えてないだろうけど、もとはといえばウチの領土、って意識はあるんじゃないかと。最近日本でも放送が始まったトルコ製歴史ドラマ「オスマン帝国外伝・愛と欲望のハレム」(これ邦題もそっとどうにかなんなかったか)を見ているせいか、そんなことも思ってしまう。

 中東でもう一つ、影響力の大きい大国であるイランもサウジと仲が悪い。今度の事件についてイラン政府は当然サウジを非難し続けているが、ロウハニ大統領なんか演説で、「この事件はアメリカの支持なしには不可能」とまで言っちゃって、アメリカやヨーロッパ諸国が実はサウジを擁護してるんじゃないか、とにおわせてもいる。どこまで本気かはともかく、アメリカのトランプ大統領もサウジ政府を批判はしつつ、やや「腰の引けた」態度が見え隠れするのも事実。トランプ政権としてはイランは封じ込めたい、イスラエルは応援したい、石油のあるサウジとはケンカしにくい(トランプさんも「サウジは武器を買ってくれる」と事件発覚後に持ち上げていた)といった事情で、この一件は単なる殺人事件疑惑を越えてアラブ人・トルコ人・ペルシャ人による中東全体のパワーバランスに関わる様相すら呈している。

 サウジアラビア本国では、殺害事件自体はしぶしぶ認めながらも、「首謀者」と目されてもいるムハンマド皇太子だけは絶対に守り抜くつもりのようだ。この人、父親であるサルマーン現国王が即位して以来、サウジの将来を握りそうだと注目されていて、昨年に皇太子に交代し(すいません、ついついダジャレに)てからは実力者としてますますその存在感を強めていた。欧米から何かと批判されていた厳しいイスラム戒律についても、女性の単独自動車運転の公認や外国映画も上映する映画館設置など、最近は「欧米より」な改革開放政策も目立ち、日本も含めた多くの国の企業人との付き合いも作っていた。一方で多くの王族を汚職容疑で逮捕するなど反対派つぶしの策謀と言われるようなこともしてるし、イエメン内戦への介入だって実質的に彼が指揮してる感じがする。

 この皇太子のこういう事情があるので、今度のカショギ氏殺害が本当に「言論弾圧」なのか、といぶかる声もある。そりゃカショギ氏は現王室やムハンマド皇太子の政策に批判的ではあったのだろうが、ここまで入念に計画して殺害するという手間とリスクをかける必要があったのかどうか。王族内部の対立関係がからんでるんじゃないかとか、何かムハンマド皇太子にとって「知られてはならないこと」をカショギ氏が知ってしまったか寺ではないかとか、そんな推測まで浮かんでいる。カショギ氏が1980年代にあのオサマ=ビンラディンにインタビューした事実があることから、「911テロ陰謀説」に絡めたトンデモ憶測までネットでは流れていた。

 政権に批判的なジャーナリストが不審死、という例は最近ではロシアでよく聞く。先ごろにはそれを逆手にとって「殺された」ように自作自演する騒ぎを起こしたジャーナリストもいたりしたが(さすがに評判は悪かった)。中国だと砂金あった有名女優やICPO長官の例みたいに「いきなり失踪」というパターンがあるなぁ。日本はそんなことがなくてよかった…と思うところでもあるが、それでも政権に批判的な報道関係者は有象無象の圧力を受け、政権べったりの人たちが厚遇を受けてあっちゃこっちゃで活躍中、なんて光景もありますからな。御用心、御用心。



◆ちょっとだけ発掘よ

 変なタイトルですが、往年のカトちゃんのギャグにひっかけてます…っていちいち説明しなきゃわからんギャグはギャグじゃないよな。あんたも好きねぇ。

 大阪府堺市の「百舌鳥古墳群」にふくまれる日本最大、面積では世界最大とも言われる前方後円墳、いわゆる「大山(だいせん)古墳」(「大仙」とも)に、ついに宮内庁と堺市とが発掘調査を行う、というニュースが流れて、考古ネタに感心のある人たちがネット上でざわついていた。良く知られているように、日本国内の古墳のうち天皇家の先祖の墓の可能性があるものについては宮内庁が「陵墓」として管理しており、皇室の御先祖の霊を騒がせちゃいけないと基本的に発掘なんぞOKしないのだ。
 それだけに、「おお、ついにやるか!」という驚きもあったんだけど、詳しい報道が出てくると、古墳の外縁、濠の周辺の隅っこをチョコチョコっと調査するだけのようなので拍子抜けしてしまった。なまじ古墳自体が巨大なだけに、よけいに「ちょっとだけヨ」感が強まってしまった。

 ところで今度の報道でも各社表現が分かれていたのだが、この古墳は以前は「仁徳陵古墳」と呼ぶのが一般的だった。仁徳天皇という、おそらく5世紀前半に実在した大王の古墳であると『古事記』『日本書紀』や平安時代の『延喜式』の記述をもとに推定され、現在宮内庁が「仁徳天皇陵」と確定して管理している。しかしこの古墳の周囲に二つの大型古墳があり、それぞれ仁徳の息子である「履中天皇」「反正天皇」の陵墓と指定されているが、専門家らの調査ではこの三つの古墳は「仁徳」「履中」「反正」の年代順になっておらず、はっきり言っちゃえば「どれが誰の墓だか分かったものじゃない」という見解が出されている。近年の教科書や報道で「仁徳陵」ではなく「大山古墳」「大仙古墳」といった表現が多くなったのもそのためだ。

 さらにいえば、「仁徳」という名前自体、彼が生きていた時代よりずっとあとの奈良時代になって、歴代天皇にまとめてつけられた「漢風」の贈り名である。当時は「天皇」称号もなかったから、そもそも「仁徳天皇」って呼ぶのは正しいのか、って話にもなる。まぁその手の話は歴史人物にはよくあることだけど。
 『古事記』『日本書紀』によれば「仁徳天皇」は「オオササギ」という名であったとされている。大王に即位するにあたって兄弟で位を譲りあったとか、宮殿から民のかまどの煙の数が少ないのを見て一時収税を止めさせたとか、治水工事をいろいろしたといった「仁政」の逸話があるため後に「仁徳」の贈り名をつけられている。まぁ「名君」であったらしいのだが、一方で『古事記』『日本書紀』では非常に嫉妬深い皇后の留守中に他の女性を呼んで…といった艶っぽいというか、仁政と家庭内は別物、という逸話も伝えられている。
 そもそもそんなに「仁徳」な人なら、あんなにバカでかい墓を作って民を苦しめることはないんじゃないかなぁ、というツッコミもできるわけだが。、

 ともあれ「大山古墳」は江戸時代はじめの書物の中ですでに「仁徳天皇陵」と認識はされていた。その一方であの豊臣秀吉がこの古墳を狩場にしていた、なんて話が同じ書物に書かれていて、古代の墓とは思われつつもあんまり尊重されてた様子はない。一番外側の濠はほとんど埋められて田畑にされたり、濠の水が灌漑に利用されていたこともある。江戸時代中期以降に尊王思想が次第に高まって来てから整備・管理がなされるようになったが、その時に過去の盗掘跡が埋められているので、陵墓を尊重してない人はやっぱりいた。というか大型古墳はたいてい盗掘済みと言われている。
 幕末以降はがっちりと管理されるようになったが、明治初期に発掘調査が行われて石室・石棺や甲冑などの副葬品も確認されている。だけどそれ以後、古墳本体への発掘調査はほとんど行われていないと思う。

 今回、宮内庁と堺市が発掘調査を行うことになったのは、この古墳を含めた「百舌鳥・古市古墳群」を「世界文化遺産」に推薦しようという動きがあるため。21世紀初頭から計画が進められているが、これまで国内での選考にすらなかなか勝てず、他の候補におくれをとってきた経緯がある。「大山古墳」という世界規模のコンテンツがあるのに、近年続いている「いろいろ抱き合わせ世界遺産」におくれをとるのが意外だが、古墳そのものがピラミッドみたいに昔の姿をとどめてはいないこと(むしろ貴重な自然環境でもある)、「仁徳陵」という呼称も含めて学術的に疑問点がいくつかあること、百舌鳥古墳群と古市古墳群をセットにする必然性は、といった問題点があったためらしい。もっとも僕なんかは、宮内庁としては皇室の祖先の墓を「世界遺産」などにしてしまうことへの躊躇があるんじゃないかとにらんでいるんだが。

 今回、10月下旬から12月にかけて古墳の外側の濠の破損状況の調査を中心に、ほんのすみっこをちょっとだけ発掘調査、ということになったわけだが、それが世界遺産登録にまで本気でつながるのかどうか。
 


◆実は違法建築だった!

 なんと。あのバルセロナの名物建築物、「サグラダ・ファミリア」がこれまでずっと「違法建築」だったのだそうな。建設開始以来実に130年以上も経ってるのに、いまだに「建築中」「完成途上」であることにも驚かされる建物だが、なんとまあ、建築開始以来バルセロナ市の建設許可をとらないまま、つまりは「違法建築」のままであり続けていたというのにはさらにビックリだ。
 実はこの問題、発覚したのは2007年のこと。当時僕は気付かなかったようで「史点」ネタにしてないのだが、当時バルセロナ市ではこの「サグラダファミリア」の下を通る地下鉄の建設を計画していて、教会側がそれに抵抗していた。モメてる過程で、実は建築の許可をとっていなかった事実を市側が確認し、ここ10年ばかり両者で交渉が進められていたのだそうな。

 「サグラダ・ファミリア」(聖家族教会)の建設が開始されたのは1882年のこと。サグラダ・ファミリアといえば有名な建築家アントニオ=ガウディの作品の一つとして名高いが、ガウディは実は二番目の設計主任で、最初に引き受けた建築家がわずか一年で降板したのを引き継いだのものだ。当時ガウディはまだ30歳そこそこの無名建築家だったが、結局この教会の建築が彼にとってのライフワーク、それも未完の、になってしまう。
 ガウディはその独特の感性により、あのトウモロコシがいくつも並んでいるような一種異様な巨大教会を設計し、遅々として建設を進めたのだが1926年に事故死してしまう。さらにその後のスペイン内戦などの混乱でガウディの遺した資料の多くが失われ、以後多くの芸術家が参加してガウディの意図をさぐりつつ、チビチビと建設を進めてきた。
 ヨーロッパの教会建築には実際に何百年もかかって完成する者も少なくなく、この「サグラダ・ファミリア」もあと200年だ300年だと僕も聞いていたのだが、最新の情報によると近頃は観光収入や技術的進歩などで建築ペースが大きく向上しており、現在はガウディ没後100年にあたる2026年にはなんとか完成できるんじゃないの、という話だ。

 というわけで完成の目星がついたからなのか、130年以上も続いた「違法建築状態」についても解決しようという話になったようだ、10月30日に発表があり、サグラダ・ファミリア側が今後10年かけて3600万ユーロ(約46億8000万円)を市側に支払うことと引き換えにようやく建築許可をとることで合意したとのこと。130年以上の違法状態だからこの金額なんだろうけど、観光客も世界中から来るしいろいろお布施もあるんだろうから、サグラダ・ファミリアには無理ではない額ということなんだろう。市はこの「収入」をサグラダ・ファミリアへの交通渋滞の緩和や市のインフラ整備に使う、とのことで、一応お互い利のある結論といっていいのかな。サグラダ・ファミリアに落ちる世界中の観光客のカネを市が臨時課税でかすめとったような、という感もあるけど。ま、とにかくあの建物のおかげでバルセロナ市がずいぶん助かってることは間違いない。「神の恵み」みたいなもんだ。

 …そういや、バルセロナを中心とするカタルーニャ独立騒動は、結局どうなってるんだっけ?と調べてみたら、ちょうどこの10月が住民投票による「独立宣言」とスペイン政府による自治権剥奪からちょうど一年ということで大規模デモなど独立派の動きはかえって活発らしい。その一方で独立騒動をきらって外国資本がカタルーニャを避ける傾向が出て景気に陰りも、なんて報道もある。こういうことばかりは神様もどうしようもないんじゃないかと。



◆砂漠のキツネを裁くのは
 
 「ロンメル」というドイツ軍人の名前を僕が最初に覚えたのは、手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」を読んだときだった。作中、主人公の一人であるアドルフ=カウスマンはナチスの青年将校になるのだが、ヒトラー暗殺未遂事件の捜査の過程で「ロンメル将軍」の名が浮かび上がったため、極秘にロンメルの暗殺を命じられる。しかしカウフマンは英雄ロンメルの暗殺を拒否、逆にロンメル当人に電話をして危険を知らせてしまう。だがロンメルはヒトラー暗殺未遂への関与は否定しつつヒトラーを「狂人」と批判、あえて死を受け入れると答えるのだ。
 この「アドルフに告ぐ」でカッコいいキャラだなぁ、と覚えたわけだが、そもそも手塚治虫自身がけっこうロンメル好き。手塚漫画は「俳優」にあたるキャラクターが作品ごとにさまざまな「役」を演じる「スターシステム」に特徴があるが、その俳優の中にずばり「ロンメル」というのがいる。恰幅のいいボス的軍人なタイプで、当然ドイツのロンメル将軍のイメージからとったものだろう。

 ところで手塚漫画の「俳優」には「メイスン」というのもいる。これは実在した名優ジェームズ=メイスンのイメージで作られたキャラクターなのだが、実はこのジェームズ=メイスン、ロンメル役が当たり役の俳優だったりするから面白い。
 メイスンがロンメルを演じたのは1951年公開の「The Desert Fox(砂漠のキツネ)」という映画だ。北アフリカ戦線で活躍したロンメルについたあだ名が「砂漠のキツネ」だったことに由来するタイトルだが、日本では「キツネ」というのはピンとこなかったみたいで「砂漠の鬼将軍」という邦題で公開されている。この映画が好評だったため2年後に姉妹編「The Desert Rat(砂漠のネズミ)」という映画が同じくメイスン主演で公開されている。こっちは邦題も「砂漠の鼠」にしたそうだが、前作の「狐」と対になってないところが残念だ。

 さてその映画「砂漠のキツネ」(砂漠の鬼将軍)であるが、純正のハリウッド製アメリカ映画まがら、第二次大戦では敵側の軍人であるロンメルを「悲劇の英雄」として賞賛する内容となっている。特に映画の後半、ロンメルはヒトラー^暗殺計画に積極的に加担、そのためにヒトラーから自殺を強要されるという展開になっていて、このためにアメリカ人でもロンメルを「英雄視」あるいは「敵ながらあっぱれ」な気分で見ることができるわけだ。
 この映画、ロンメル夫人を顧問に招いたり実際にロンメルが着用した軍服をメイスンが身に着けたりといった「史実に忠実」な姿勢を売りにしているのだが、ロンメルがヒトラー暗殺計画に関与した事実はない、というのが通説。暗殺計画に参加した人間はかなりいて、その中で国民的に名声のあるロンメルを担ぎ出そうとする動きくらいはあったと言われてるが、この映画のようにロンメルが積極的に関与したのは疑問で、おそらくこの映画の影響も強く受けてるはずの手塚治虫も『アドルフに告ぐ』では関与否定説をとっている(それでいてこの漫画、真珠湾陰謀説は採用してるんだよなぁ)

 まぁヒトラー暗殺には関与しないまでも、ヒトラーに批判的ではあったし、ヒトラーによって自殺させられているのは事実で、そのためにロンメルはナチス・ドイツ軍の将軍でありながら戦後も一定の評価と敬意を受けることになった。この辺、日本だと日独伊三国同盟や対米英戦に反対しながら真珠湾攻撃を実施・成功させるも乗機を撃墜されて戦死した山本五十六の立ち位置と似ている。山本も占領終了後の日本で真っ先にその半生が映画化され(1951年「太平洋の鷲」)、その後も何度となく映像作品の主役とされ、アメリカ製作の映画でもおおむね「かっこいい敵将」といった扱いをうけている。

 映画雑談に流れてしまった。本題のニュースな話題に。
 さる10月14日。この日はちょうどロンメルが自殺した命日にあたっていたのだが、ドイツ国防省の政務次官でメルケル首相とも関係が深いと言われるペーター=タウバー氏がツイッター上に「ナチスによって自殺を強いられたエルヴィン=ロンメル氏は74年前の今日なくなった」と追悼の投稿したことがちょっとした騒ぎになってしまった。保守系の有力政治家、それも国防を指揮するような立場にある政治家が、かつてのナチス時代の代表的軍人の追悼をするとはいかがなものか、という批判があがって、いわゆる「炎上」を起こしてしまったのだ。ナチス時代の評価については非常に神経質なドイツならではの話ではある。
 だがさすがに対象がロンメルということもあって、擁護の声もそれなりにあったらしい。タウバー氏当人もインタビューに対して「ロンメルは犯罪的な命令を何度も無視した」と述べ、ロンメルが反ヒトラー派とつながりをもっていたとも主張したようだ。そして「この国の価値に責任をもつことを現代のドイツ兵に期待するなら、ロンメルについて議論することは重要だ」とも発言したとのこと。
 タウバー氏の主張は大筋でごもっともと思う反面、現役政治家が歴史人物の評価を口にして現在の「ドイツ兵」をウンヌンするあたりなんかは、正直なところキナ臭さを感じなくもない。なんせまだ死んでから74年しか経ってない人物なので、生臭さも同時に感じてしまうのだ。

 この話題が流れた直後、ドイツの与党「キリスト教民主同盟」は地方州議会で敗北が相次ぎ、党首でもあるメルケル首相が次回の党首選には立候補しないことを表明、首相の地位には2021年までとどまる予定とされるが、「メルケル時代の終わり」が見えてくることとなり後継者レースもスタートしたと報じられている。これまでEUのリーダー格で移民難民受け入れに寛容姿勢を見せていたドイツも、排外的な右翼政党の躍進が目立つと言われていて、「メルケル以後」はどこへ行くのか、どうしても心配になってしまうこの頃である。


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