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2018年12月2日

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◆今週の記事

◆文明の衝突っ!

 インド洋にそんな島があるとは、このニュースで初めて知った。
 インド洋の東部に縦長につらなる「アンダマン・ニコバル諸島」というのがある。これは本土からかなり離れているがインドの領土だ(ほとんどミャンマーかタイの領土に見える)。地図で位置を確認してほしいが、この場所なので2004年のスマトラ沖地震では津波の被害も受けていて、僕も当時そのニュースでこれら諸島の存在だけは知った覚えがある。
 この諸島の一角に、「北センチネル島」という島がある。報道によるとニューヨークのマンハッタン島くらいの大きさとのことで、日本の島で言うと八丈島といい勝負、というくらいの大きさである。11月16日、この島に上陸したアメリカ国籍の宣教師(牧師)であるジョン=アレン=チャウという27歳の青年が、上陸直後に島民に矢で射殺されるという事件が起きた。その後遺体は首に縄をつけられて引きずり回されているともいい、この文を書いている11月末日時点で遺体回収はほぼ絶望視されているようだ。

 上陸していきなり矢で殺される、というのも驚かされるが、そもそも「センチネル族」と呼ばれるこの島の住民は、知る人ぞ知る「孤立部族」「未接触部族」という人たちで、現代文明との接触をかたくなに拒絶し、石器時代そのままの生活を今なお送っている人たちなのだ。そういう部族は特にアマゾンやニューギニア島の密林に存在していることは聞いていたが、インド洋のこんな島にもいるとは、と驚いたものだ。このアンダマン・ニコバル諸島にはそうした部族がいくつかいるそうなのだが、この北センチネル島の「センチネル族」はことに好戦的と言われ、外部の人間が上陸するとすぐに攻撃、殺害してきた歴史がある。最近でも2006年にカニ密漁中に漂着したインド漁民二人が殺害されるという事件が起きていて、インド当局も「あの島についてはアンタッチャブル、法の適用外」ということで事件はそのまま放置されているという。

 現在、世界の潮流としては、こうした「未接触部族」については無理に接触したり「文明化」をするといった余計なお世話はせず、基本的に放置して彼らの生活を尊重しつつ、遠くから見守る、という態度をとることになっている。彼らの生活・文化を見下すことなく尊重するという人道的見地だけでなく、こうした部族が外部と接触すると免疫のない病気に感染して大量の死者を出す可能性があるという健康面での配慮もある。
 北センチネル島の「センチネル族」は19世紀にイギリス人が接触して何人か島外に連れ出したが、2人が病気で死んだため残りの人々は島に帰してやっている。その後1960年代に平和的接触が試みられて、いきなり弓矢で攻撃するのはやめさせることに成功するところまではいったのだが、同じ諸島の他の部族との接触が病気感染や衝突につながったため、こうした部族については基本的に放置、接触しないことになったとのこと。先述のスマトラ沖地震の津波の際にこの島も被害を受けたが、救援物資を投下しようと近づいたインド政府のヘリに対し住民たちが弓矢で攻撃する、という事件が起きている。
 センチネル族の人口については、島の外からの遠目の観察で調べるほかなく、多くて400人、少なくて50人程度とみられているという。

 さて、このたびこの島に上陸していきなり殺害されてしまったチャウ氏だが、名前からそうではないかと思って調べたところ、やはり中国系アメリカ人だった。写真で見ると顔つきも東アジア人的だが、白人とのハーフという感じもあった。英語のニュース記事を読んだところ、彼の父親は中国の文化大革命から逃れてアメリカに移住することになった、とあったので、父親の代ですでにキリスト教徒であったのかもしれない。文革の時は宗教も厳しく迫害されてるからなぁ(今だって大なり小あり迫害してるけど)
 しかしその息子さんの方は、そういう経緯もあったからか、信仰が深くなりすぎちゃったのかもしれない。キリスト教の宣教師となり、宣教師となったからには、それこそかつてのイエズス会のごとく(あっちはカトリックだけど)、キリスト教の「光」がまだ射していない地へ布教をしようと熱意に燃え、それが「未接触部族」の島への上陸・布教という行動になったのだろう。非キリスト教徒からすると大きなお世話、と思うのだが、信仰に確信を持つ宣教師ともなるとそうしちゃうのかなぁ…危険は承知の上だったと思うし、むしろ危険があるからこそそこへ乗り込んだ、ということで…最近日本でまた人口に膾炙した「自己責任」なんて言葉は使いたくないが、この人の場合はあるいは「本望」なのかもしれない。歴史上、こうした異文化異文明の接触では同様の悲劇が繰り返されてきたものだ。

 報道によるとチャウ氏の日記の最後の記述には「主よ、あの島がサタンの最後の本拠地なのでしょうか?」などと書かれていたという。そりゃ島の住民も怒るわ、と一瞬思ってしまったが、彼の場合、島の住民をサタンと考えていたわけではなく、現代文明=キリスト教圏で、それに触れていない「未開の地」はサタンの拠点、という考え方だったような。まぁ、それもそれで失礼かつ傲慢さを感じてしまう考えではあるが。チャウさんは射殺される直前、キリスト教のメッセージを叫んでいた、と記事にあったが、何と叫んだんだろ。まさか「あなたは神を信じますか?」か?



◆まあるいまあるいまんまるい

 藤原道長、という日本史上の有名人がいる。平安時代の摂関政治全盛期の人、ということで小学校の歴史の教科書から習うほどの重要人物だ。それでいて大河ドラマの主人公にされたことは一度もない。いや、近年NHKの大河関係者の誰だかが「道長と義満はいずれやらねば」と発言したという話は聞いてるんだけどね。大河と言えば戦国・幕末を行ったり来たり、たまに源平とか忠臣蔵、といったパターンが続いていて、たまに珍しい時代をテーマにすると低視聴率になって叩かれ、結局安定路線に走る、という悪循環もある。藤原道長と足利義満はいずれも日本史上外すことのできない重要人物だから大河になってないのは不思議といえば不思議なのだが、実のところ「成功者」でありすぎて苦労も悲劇性もほとんどないため(苦労はそれぞれそれなりにあるんだけどね)一般大衆の人気を集めにくいというのが実情。劇的な要素があるといえばあるんだろうけど、戦国武将のようにはいかんだろうからドラマ作りもなかなか難しいだろうし。
 一応道長が映画やドラマで出てきたことがあるにはある。だがそれは「源氏物語」映像化作品に作者の紫式部ともども登場するケースで、かつてTBSで放送された「源氏物語」では声のみで石坂浩二が、映画「先年の恋ひかる源氏物語」では渡辺謙が道長を演じている。紫式部と道長は男女関係もあったと言われ、また紫式部の書く「源氏物語」の愛読者にして最初に原稿を読んでいたのは道長で、「早く続きを書いて」と催促する立場でもあった。

 藤原道長が「摂関政治の最盛期」と言われるのは、自分の娘を三人も天皇の后にすることに成功し、天皇の外戚としてともすれば天皇をも凌駕するほどの権勢をふるったから。その人生をたどってみると兄弟では四男であり、最初か成功コースを順調に進んだというわけでもない。いくつかの幸運、および当人の才覚などで立身出世した、そこそこには苦労人なのでもある。だが、彼が絶頂の気分で詠んだ、例の和歌が「道長嫌い」を世に増やしてるような気はする。

 この世をば 我が世とぞ思ふ 望月(もちづき)の かけたる事も なしと思へば
     
この世はまるで私のためにあるようだ。満月のように欠けるところがない)

 この歌を後世に伝えたのは、貴族の藤原実資の日記『小右記』である。寛仁2年(1018)10月16日に道長の三女・威子が中宮となり、それを祝う宴が道長邸で開かれた。このときすっかりいい気分の道長が即興で詠んだ歌がこれ。実資は「あまりに見事な歌なので歌を返せない」とおべっかを使って、一同でこの歌を唱和したというのだが、本音では道長の増長ぶりに呆れて、批判的な意図からこの歌を日記に記したわけ。道長自身も日記(それも直筆の)を残しているが、当日の日記にこの歌のことは出てこないという。
 
 それからちょうど1000年の時が流れた。つい先日、2018年11月23日は、道長が例の歌を詠んだ日からちょうど千年目にあたる。この日を旧暦に換算すると10月16日となるからだ。そして太陰暦というやつは月の満ち欠けのリズムを基準にしているので、同じ日付であれば月の形も同じであって、15日あたりが満月になると決まっている。今年の11月23日の夜空に浮かんだ月もまんまるの満月で(厳密にはこの日の午後2時39分が満月とのことだったが)、我々は道長が眺めて「我が世」の歌を詠んでからぴったり1000年後の満月を仰いだ次第だ。ま、「この世が我が世」とまで大満足な人はそうそういなかったろうが。



◆モアイを返せ!

 イギリスに旅したとき、大英博物館は二日続けて隅々まで見て回った。歴史好き、特に古代オリエント史に興味がある人ならこたえられないほど貴重な展示物がひしめく博物館で、エジプト文明、メソポタミア文明やギリシャ文明関連の展示がとくに充実している。「大英博物館」と名乗るくらいだからイギリスの歴史遺物の展示品もそこそこ並べられているのだけど、そっちは客も閑散としていて、やっぱりオリエント関連の方に人が集まってしまっていた。
 こうしたオリエント遺物が「大英博物館」におさめられているのは、当然かつての「大英帝国」が世界を制覇し、その勢いを背景に考古学者らが発掘その他を行って遺物をイギリスに持ち帰ったためだ。ギリシャ文明の展示品の目玉、アテネのパルテノン神殿の浮彫「エルギン・マーブル」の場合は当時のオスマン帝国と話をつけて勝手にひっぺがしいて持って帰った例だが、まぁこれも「大英帝国」の威光の表れと言ってもいいだろう。

 で、こうした世界中から「かっぱらってきた」数多くの収蔵品について、その「母国」から返還を求める声が強まって来ていることは、当「史点」でも過去何度かとり上げたと思う。ギリシャ政府が「エルギン・マーブル」奪回に熱心なのは有名だし、大英博物館最大の見せ物といえる「ロゼッタ・ストーン」をはじめとするエジプト考古遺物の数々もエジプトから返還を求められている。
 そしてこのたび、「ああ、ついにそれも来たか」という返還運動の話題が報じられていた。東太平洋の孤島・イースター島にある、あの「モアイ」の一体が大英博物館入りしていて、これについて現地から返還要求のための代表団が11月20日に大映博物館を訪れたのだ。

 イースター島の「モアイ」はやたら有名で、世界の謎の遺物の代表としてオカルト・SF解釈のネタにもよくされ、シューティングゲーム「グラディウス」シリーズで宇宙空間にモアイだらけの敵基地があってモアイ群が光線を吐いたりしている。絶海の孤島にやたら建っているという不思議さもさることながら、その「陰鬱な表情」が人々を引き付けているのだろう。ただモアイにはぱっちりとした「目」がつけられていた形跡があり、目をつけると本来の顔はずいぶんイメージが違っていたりする。もっとも「目」自体の発見例が多くはないので、儀式の時だけ、あたかも「当選ダルマ」か「開眼供養」のような使い方をしていたのかもしれない。
 イースター島内で880体ほどのモアイが存在し、理由不明だが製作途中で放置されたものも900体くらいあるという。モアイの建造理由についてはまだ解明できてないが、モアイの土台の下から人骨が出たことで「墓」説が有力になっているらしい。祖先祭祀のためだったとの見方もあり、その建造が突然放棄された理由についても森林枯渇説やら島内内乱説などいろいろ出ている。僕が見た映画「モアイの謎」はモアイ建造が放棄される時期を描いていてこうした諸説をミックスした形で映像化されていた。

 大英博物館のオセアニアコーナーにモアイが一体立っているのは僕も目にしている。実を言うと「レプリカかな?」と思ってしまったくらいゾンザイな置かれ方をしていたのだが(まぁあの博物館はすごいものを割とゾンザイに置いてるのだが)、あれもまぎれもなくい本物、今から150年前の1868年にイギリス人がイースター島から持ち帰って当時のヴィクトリア女王に献上したものなのだった。150年前といえば、ちょうど日本では「明治維新」になる年だ。今年になって返還運動が起きたのも150年という節目となったからだろうな。

 この大英博物館にあるモアイは現地語で「ホアハカナナイア」といい、ずばり「失われた友人」という意味だそうである。それってイギリスに持っていかれたから現地でそう呼ぶようになった、ということなんじゃないかなぁと思ったのだが、記事からはその辺はよく分からなかった。大英博物館で買ってきた日本語カタログにも同じ名前が出ているのだが、説明は特にない。イースター島のモアイのほとんどは凝灰岩から作られているが、この「ホアハカナナイア」は玄武岩製。報道記事によると玄武岩製のモアイはこれを含めて14体しかなく、貴重なんだそうである。

 11月20日にイースター島知事をはじめとする代表団が大英博物館を訪れ、博物館側と一回目の協議をした。博物館の外でも運動に参加している人たちが旗などを掲げて返還要求のアピールしていたという。協議の内容は不明だが、これまで大英博物館がこの手の返還要求に応じたためしはないので、前向きな姿勢は引き出せなかったとみられる。だが会談後、イースター島の知事は「私たちの体はここに来たが、魂は英国が持っている」「子どもたちの世代が像をひと目見られるよう、数カ月の間だけでも島に返してほしい」と述べていた。イースター島を領有するチリ政府の国家資産相も代表団に参加していて、「今回は一回目の会合。二回目はぜひイースター島で」と話したという。
 数カ月だけの返還、というのは面白いとは思うのだけど、あんな大きくて重いものを持っていくだけでも大変だし、返したらそれっきりという可能性もあるから、大英博物館としてはなかなか乗らないのではないかなぁ。またモアイについて認めてしまうと他の返還要求に火をつけてしまうから、やっぱり応じそうにない。

 ただ、面白いのが、イースター島側は現地の玄武岩で「ホアハカナナイア」そっくりのレプリカを一体作成して、それを大英博物館に進呈し、本物と「交代」させたいと提案している、という点だ。それなら見た目にはかわらんわなぁ、と。制作年代など歴史性はともかく、イースター島で作られたモアイということ自体は間違いないのだから。そんなこと言ってると、エジプトが「ロゼッタ・ストーン」のレプリカ作って送り付けてくるかもしれないな(笑)。



◆はっけよーい!
 
 世の中、日産のゴーン前会長の突然の逮捕とか、秋篠宮文仁親王の誕生日会見での大嘗祭やら娘の結婚に関する発言だとか、ブッシュ父元大統領の死去など、いろいろ目を引く話題があって、「史点」的にもネタになるようなならないような…と思っていたところだったが、今回はやや意外なところで、元横綱である元貴乃花親方の発言をとりあげてみる。「平成の大横綱」と言われた彼が、平成の元号と共に角界から姿を消していくというのも歴史的だなぁ、とは思うのだが、僕が関心を持ったのはそれではなく彼の口から飛び出したトンデモ雑学の方である。

 角界を引退し、さらに夫人とも離婚して、新たな人生に向かうということで元貴乃花親方である花田光司さんは日本テレビの情報番組に出演した。その中で今後の抱負について聞かれて、世界の中の相撲の歴史や思想性についていろいろ研究したいという趣旨のことを話し始め、そこで「相撲というのは当て字で、もともと日本語じゃないんですね。そういうすごく古い世界でつながっているっていうところが、日本の国技大相撲です。そんなところも、子供たちに分かる範囲で教えていきたい」と発言した。司会者が「当て字」という言葉に驚いて質問すると、花田氏は「『シュモー』って言うんですね。ヘブライ語ですねと答えた。「だから、ものすごくつながりが深いですね。世界を股にかけての言葉ですから。世界の思想に役立てればいいなと思いますね」とも付け加えたという。

 直後からツイッターなどネット上では元貴乃花が「日ユ同祖論」「オカルト史観」を口にしたとざわついた。元貴乃花氏は平成の大横綱には違いないが、現役のころから謎の整体師による洗脳だの、新興宗教との関係だの、キッカイな言動などが目につく「変わった人」ではあったので、今度の「相撲=ヘブライ語説」には「ああ、やっぱり」という気もしてしまった。こうした場で素でこんな発言をしちゃうところをみると、この珍説を彼は素直に信じてしまっているらしい。どの辺から吹き込まれたものだろうか。

 「相撲」「ヘブライ語」でググってみると、googleブックスである本の内容がヒットした。坂東誠『古代日本、ユダヤ人渡来伝説』(2008、PHP研究所)という本で、そこに「相撲はヘブライ語?」と題する一節があって、そこに「シュモー」というヘブライ語が「相撲」の由来であるとする、元貴乃花氏の発言と全く同じ解説がある。ただしヘブライ語の「シュモー」は「相撲」の意味ではなく、「彼の名前」の意味であるとしている。「彼の名前」という語がなんで相撲とつながるんだ、という話になるが、本文ではその前に、旧約聖書『創世記』ヤコブの逸話が紹介されている。

 ヤコブというのは、アブラハムの息子で神にいけにえにされそうになったイサクのそのまた息子である。エサウという双子の兄がいたが、ヤコブはうまいこと父をだまして祝福を受けて後継者になるが、エサウに恨まれて伯父の元へ身を寄せる。のちにエサウと和解するためヤコブは家族を連れてヤボク川の渡しに来たところで、夜中に突然何者かに襲われ、夜明けまで取っ組み合いをする羽目になる。謎の相手はなかなか勝てず焦ってヤコブの股間をつかんだりするのだが、そうこうしてるうちに夜明けになってしまい、ヤコブが「俺を祝福しないと離さん」と要求すると、その相手は「これからはイスラエル(神に勝った者)と名乗るがいい」と告げた。そう、なんとまぁ、取っ組み合った相手は神様だったんであります。これが「イスラエル」という言葉の由来となり、ヤコブはイスラエル12部族の始祖ということになるわけで…
 しかし『創世記』に唐突に出てくるこの話、どう読んでも妙なのだ。原文でもごく短く簡単に書いてあるんで状況がよく呑み込めないのだが、天地創造やらノアの洪水やらまで起こす全知全能の神様が人間と格闘して負けるというヘンな話が「イスラエル」の由来話になってるわけ。後世の人たちも困って、ここで格闘したのは神ではなく天使であると解釈し、それに基づいた絵画がたくさん描かれている。それでも言葉の説明と矛盾するのも確かで、これは恐らくユダヤ教がまだ一神教の形をとる以前の段階でできた民族名由来説話で、それが「イスラエル」に関わるためそのまま聖書に記述が残ってしまったものと考えられている。

 で、くだんの本ではこのヤコブの逸話を引いて、「神」と「相撲」とを結びつけ、「彼の名前」が「シュモー」で相撲につながる、相撲は神事でもあって…と、かなり強引なこじつけで話をつなげてゆく。この本の内容をざっと眺めたが、「日ユ同祖論」ではおなじみのネタがほぼ網羅されてる感じで、逆に言えばオリジナリティはほとんどなく、知ってる人には「どっかで聞いた話」ばかりが並べられている。「シュモー=相撲」の話自体は僕は初耳だったが、この界隈ではよく使われるネタの一つなのだろう。この本の作者のオリジナルというわけでもないだろうし、元貴乃花氏もこの本以外のところでこのネタを知った可能性はある。
 しかしこの本、2008年とは割と最近の本なんだなぁ…この手のオカルト歴史本が相変わらず一定の人気を得ていることを思い知らされる。それが相撲の頂点である横綱になった人の頭まで汚染してるとなると、さすがに問題じゃないかと思うんだが…

 歴史ネタトンデモ本というのはなんだかんだでコンスタントに出ているもので、当サイトでも「ヘンテコ歴史本閲覧室」というコーナーでそれらを取り扱っている。またまた何年か放置しちゃってるが、最近盛んに本を出してるある人物の、「現皇室は南朝」だの「欧州王家はみんな北朝」だのといったトンデモ本がなかなか美味しい素材だなぁ、と考えている昨今だ。


2018/12/2の記事

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