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2019年1月17日

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◆今週の記事

◆改元がある年になり

 今さらですが、あけましておめでとうございます。今年も「史点」をよろしくお願いいたします。ぼちぼち開始から二十周年になっちゃうんですよねぇ。

 さて。1989年を元年とする「平成」の元号も今年でちょうど三十年目となる三十一年。そして今年でその「平成」も終わることが確定している。昨年後半から何かというと「平成最後の〜」というフレーズがついてまわるようになったが、改元の時期が事前に分かっているという状態自体が明治以後では初めてのことだ。それ以前でもごく一部を除いて改元の時期が事前決定してるケースはまずないので、日本の「元号史上」においてもずいぶん変わった事態になってるわけだ。

 「平成」に続く元号は何になるのか、またそれはいつ公表されるのか、天皇の生前退位が決定して以来国民的関心事になってるわけだが、その新元号公表時期についてはこれまで政界で二転三転してきた。
 当初はカレンダー業界の対応がギリギリ間に合う昨年の前半、あるいは夏までに発表という話もあった。しかしこの話はいつしか流れ、結局は2019年の5月1日の新天皇即位と同時の発表になるんじゃないか、という空気になってしまっていた。その大きな原因は、自民党内の保守派、日本会議系の国会議員たちがスクラムを組んで「事前発表断固阻止」という姿勢を見せたためだと報じられている。別に早く発表しても不都合はないじゃねーか、むしろ便利なくらいで、というのが国民の多数派意見だと思うのだが、この手の保守系政治家たちにとっては「まだ天皇が在位しているのに、次代の元号が公表されると国民の関心がそっちに行ってしまう!」という、それが何が問題なのかよく分からない理屈で猛反対しているのだ。まぁ実のところこの手の政治家たちは天皇の生前退位自体を阻止したかったところなのだろうが、それがかなわないのでせめて元号だけは「明治以降の伝統」を維持しようとしてるのだろう。

 安倍晋三首相自身、そうした保守系議員の親玉的存在でもあるのだが、首相となってしまうとそう思い通りには動けない。実際、安倍さんって保守・右派系からすると許しがたいようなことを案外やってきてしまったところがあって、天皇の生前退位を実現させたのもその一つになる(天皇本人の意思発動には首相も逆らえない、ってことになるので立憲体制的にはマズイのだが)。元号についても同様のようで、なんだかんだで事前公表をするという姿勢を内閣はにおわせ続けてきた。やはり5月の即位と同時、というのでは行政面でも、社会経済面でもいろいろ問題があるようなのだ。昨年のうちは「来年2月以降の公表」というアバウトな話が報じられてきた。なんで2月なのかといえば、2月24日に「天皇在位三十周年」を祝う式典が行われるから、であるらしい(なんでこの時期に、と思ったが、1月7日に昭和天皇が亡くなってその「四十九日明け」ということなんじゃないかと)

 年の暮れも押し迫った時期になって、この新元号公表時期についてチラホラと話が流れてきた。政府としては新天皇即位の一か月前の公表を考え、保守系議員があくまで5月1日の発表を主張したことで、その折衷案として「4月中旬」という話が浮上してきたのだ。そんな中途半端な、と思っていたら、間もなく政府筋から「4月1日の公表」という情報が漏らされるようになり、結局年明けの1月4日になって安倍首相が会見で「4月1日に公表」と明言、ここにこの問題は決着となった。
 「エイプリルフールに発表なんてしたら、ネット上が『フェイク元号』だらけになるんじゃないか」などとまず僕は思ってしまったが、 どうして結局4月1日に落ち着いたのか。産経新聞が報じたところによると、驚いたことに決定打となったのは、あのマイクロソフトのウインドウズの「都合」であったというのだ。

 その記事によれば、政府は一時新元号公表日を「4月11日」にしようとしていた。なんでこの日かというと、その前日4月10日に「在位30周年のお祝いと感謝の集い」なるものが予定されていて、これが現天皇関連行事の最後になるから、ということだったらしい(それにしても似たようなイベントをいくつもやるんだな)
 ところが、マイクロソフトのウィンドウズは毎月第二水曜日に全世界一斉に行われ、4月10日がそれに当たってしまう。その次のウィンドウズ更新は5月8日となり、新元号への対応はそれまでできないことになる。日本国内の各種ソフト限定の問題になるんだろうけど、3月に年度末がきて決算を出し、5月までに法人税を納付しなきゃならない企業が多数あるため、5月8日まで待っていることはできず、特に会計ソフトなどの開発・更新のために数億円の出費がかさむ可能性や、更新時の混乱も考えられる。
 そこで、大安吉日(笑)の4月3日に発表しちゃどうだ、という話も出たそうなのだが、それではマイクロソフト側が更新作業が間に合わず、一日でも早い方がいい、とのことで、新年度開始の4月1日の発表に落ち着いたのだという。

 ああ、「元号」って、今の世の中、完全に不便なだけなんだな、と思い知らされる。今回は生前退位だったからまだいいが、以前のように天皇の死去にともなう改元をやっていたら、大変な混乱が起こるだけだろう。「平成」改元の時点ではパソコンはぼちぼちオフィスに普及してきたとはいえ、互換性やネットワークなんて今とはまるで雲泥の差だったからその手の混乱も特に起きなかったんだろうが、今後のことを考えると、元号自体システム面では邪魔なだけとしか思えない。そのため最近では各分野でかえって元号離れが進行したとも聞いているので、ヘンなことをこだわらずにさっさと発表した方が良かったんじゃないかと。

 それと、さらに問題(?)なのは、元号発表時期を左右したのが外国企業のマイクロソフトであったという点。保守派な方々はそれこそ「国辱!」と騒ぐべきところで、混乱が起きようが不便であろうが元号発表は天皇即位と同時、と貫くべきなんじゃないかと。ま、そういう「保守」な人たちが実はアメリカ様にはてんで頭が上がらないというのもまた事実で、いっそマイクロソフトの功績をたたえて新元号を「微軟」(「マイクロソフトの中国語訳)にするなんてのはどうだろう。どうせこれまでの元号だって全部中国古典から採ってるんだからさ。



◆世界最長寿記録に疑惑?

 いま調べてみたら、現在存命中の人で世界最高齢の人は、日本の福岡市在住の116歳の女性の方だそうな。この手の話のチェックをしばらく怠っていたので、いつの間にやら19世紀生まれはいなくなってしまっていて、最高齢の人でも1903年の生まれになっているのだ、ということにちょっと驚いてしまった。1903年といえば日露戦争の前年で、歴史に首を突っ込んでいると、それはずいぶん近い時代の話に思えてくる。ま、考えてみりゃ21世紀になってからあと少しで20年になってしまうという時代なんだよなぁ。

 聖書の初めの方に出てくる人物たちのように、「大昔の伝説」のレベルではやたら長寿な人がいたなんて話があるが(日本でも記紀神話の初期天皇に異常な長寿がいる)、信用できる記録が残る近代以降において、「世界最長寿記録者」とされているのが、フランスの女性ジャンヌ=カルマン(1875-1997)だ。彼女は実に122年と164日を生き、還暦を二度通過したばかりか、19世紀末から20世紀末までの世界史的激動期をまるまる生き抜いた。同じフランスだと怪盗紳士アルセーヌ=ルパンが彼女より一つ年上なだけで、いわゆる「ベル・エポック世代」でもある。
 また彼女は南仏アルル在住ということで、1888年から89年にかけてアルルに在住した画家ゴッホと会ったことがあると生前証言していた。当時10代の少女だったカルマンさんは雑貨屋でバイトをしていて、画材を買いに来たゴッホにからかわれた(セクハラ的なものだったらしい)といい、ゴッホについては汚らしい男でいい印象はないと語っていたそうである。

 ところが。彼女が世を去ってから20年が過ぎた今頃になって、「ジャンヌ=カルマンの世界最長寿は実は偽りではないのか」と強い疑念を呈する論文が、ロシアの研究者によって発表され、ちょっとした波紋を広げている。
 「ジャンヌ=カルマン、その長寿の秘密」と題する論文で疑惑を主張したのは、モスクワ大学の数学者ニコライ=ザーク氏。数学者という畑違いの学者がなぜこの疑惑に首を突っ込んだのかは分からないが、専門の老年学者バレリー=ノボセロフ氏も共同で調査に当たったという。二人はカルマンさん自身のインタビューや、周囲の人の証言、役所の公文書などなど、彼女に関する様々な資料を調査したうえで、「1997年に死亡したのはジャンヌ=カルマンさんではなく、その娘イボンヌ=カルマンさんであり、彼女は母親になりすましていたのだ」という驚くべき結論に達したのだという。

 記録の上では、ジャンヌ=カルマンの娘イボンヌは1934年に肋膜炎により死亡している。このときイボンヌは36歳くらいとされるのだが、ザーク氏はこの時死んだのは実は母親のジャンヌの方で(この時点で59歳)、イボンヌは相続税の支払いを逃れるために自分は死んだことにして母親になりすました、と主張している。三十代半ばの女性が六十間近の母親になりすますなんてできるんだろうか、と思ってしまうのだが、ザーク氏が調査したジャンヌ=カルマンの1930年代の身分証明書に書かれた身長・瞳の色といった身体的特徴がその後の「ジャンヌ」と一致しないことを大きな根拠として挙げているという。また、「ジャンヌ」が自身の若い頃の写真を焼却するよう指示していたという話も、彼女が証拠隠滅をはかったものとして大きな根拠に挙げてる総d。
 共同研究者のノボセロフ氏の方は、晩年の彼女の筋肉組織が同年代の人のそれよりずっと強く、支え無しに上体を起こして座っていられたことや、認知症の様子が見られなかったことなどを挙げ、医師の立場から彼女の年齢に疑念を呈しいるという。「ジャンヌ」が実際にはイボンヌだったとすれば、1997年に亡くなった時点で実際には99歳であったことになる。

 調べてみると実はカルマンさんの年齢への疑問の声があがったのはこれが初めてではなく、生前からささやかながら主張は出ていたという。今回はそれをより具体的に、かつその動機も含めて強い疑念を訴えたところにポイントがある。そう聞くと「なるほど怪しい」と思うのだが、反発の声も多い。この論文がネット上に上がったら、それこそ「炎上」状態絵批判が殺到したそうだし、特に地元フランス、アルルからは「彼女は多くの医師の診断を受けており、なりすましなんてできない」との声が上がっているという。
 
 ジャンヌおよびイボンヌのカルマンさんがどのような生活をしていたか分からないのだが、さすがに娘が死んだ母親になりすます、というのは親類や近所の目まではごまかせないんじゃないかなぁ。それとも親類づきあいも近所づきあいが全然ない家だったのか。母親と娘の二人一役トリックというのは、ルパン・シリーズにもある話なんだが、あれは若い頃の母親と生き写しという話だからなぁ。
 ただこの手の話は先例がある。日本の鹿児島県徳之島に住んでいた泉重千代さん(1986年没)は120歳まで生きたとされ、カルマンさん以前の「世界最長寿」とギネス認定もされていたのだが、現在ではその出生記録に強い疑義があるために120歳説はほぼ全否定されている。こちらも夭折した兄と記録が混同された、あるいは養子が入れ替わってしまった、などの説があり、実際には105歳くらいであったと推定されている。意図してやったかどうかは別にして、今度持ち上がったカルマンさんへの疑惑と似たケースではあったのだ。
 ジャンヌ=カルマンの長寿のシロクロをつけるには遺体を掘り出してDNA鑑定でもするしかない、との声も出ていた。僕としては例のゴッホとの逸話が口から出まかせ(娘のイボンヌがなりすましていたとすればゴッホとの接点はないはず)なのかどうかが一番気になる。


 ご長寿な話題といえば、つい先日。映画「風と共に去りぬ」(1939)でメラニー役を演じた女優オリヴィア=デ=ハヴィランドさんが、自身をモデルにした人物が出てくるテレビドラマを名誉棄損で訴えるも敗訴、なんてニュースを知ってビックリしたなあ。あの映画のメイン出演者でまだご存命の方がいたとは。実に御年102歳におなりになってるそうで。



◆新年早々宗教ネタ連発

 まずは、キリスト教、それも東方正教会の話題から。
 世界史教科書的な説明から入るが、そのむかしローマ帝国が東西に分裂した際、当時すでに国教となっていたキリスト教会も東方のコンスタンティノープルと西方のローマの教会とに分かれてしまった。ローマの方はローマ法王(教皇)を頂点とする「ローマ・カトリック教会」となり、コンスタンティノープルの方は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)における「東方正教会」となってゆく。1453年にオスマン帝国によってコンスタンティノープルが攻め落とされ「イスタンブール」と改称されても、コンスタンティノープル総主教のもとで正教会は存続して帝国領内のキリスト教徒をまとめたほか、ロシアなど東欧各国の「正教会」もそれぞれ独立性は高いが一応コンスタンティノープル総主教を頂点に立てる形でゆるやかにまとまってきた。

 ところが昨年来、この東方正教会がモメている。原因はここ何年も続いているウクライナとロシアの対立だ。特に2014年のロシアによるクリミア併合、その後のウクライナ東部での分離独立運動が決定打となり、これまでロシア正教会の下部組織扱いになっていたウクライナ正教会がロシア正教会からの分離独立に踏み切ったのだ。
 そしてその動きを、東方正教会のトップであるコンスタンティノープル総主教バルソロメウス1世が承認する意向を示したため、昨年10月にロシア正教会はコンスタンティノープル総主教庁との関係を断絶、という結構「歴史的」な事件があったのだ(僕は気付かんかったけど)。ちなみに日本における正教会組織「日本ハリストス正教会」はロシア正教会の下部組織なので、ロシア正教会につきあってコンスタンティノープルとの関係を断絶するのだそうな。
 そして年明けの1月5日、バルソロメウス1世が「ウクライナ正教会」の独立を決定する文書に署名。ここに教会の方もロシアから完全に分離独立することになったわけだが、ウクライナ国内ではロシア正教会の教会や修道院をウクライナ正教会側が接収する動きが起きてるとか。これがまた両民族・信徒の対立の火種になりはしないかとの懸念も報じられている。

  
 続いてはインドからヒンドゥー教の話題。
 インド南部ケララ州にあるヒンドゥー寺院「サバリマラ寺院」は年間数百万人もの巡礼者が訪れる「名刹」なのだそうだが、これまでずっと女性の立ち入りを禁じる「女人禁制」が守られてきた。正確に言えば全部の女性というわけではなく、10歳から50歳まで、「月経」があるとみなされる年齢の女性が禁制の対象だ。なぜかといえば、かつて日本でもあった考えだが、「血の穢れ」があるとみなされているのだ。
 今どき、まだそんな女性差別をやってるのか、と思ってしまうが、残念ながらインドからは女性の地位がまだまだ低いと思わされる事例がしばしば報道される(ま、日本だって先日の某週刊誌の件など思い合わせりゃよその国のことは言えないが)。一方でそうした女性蔑視がようやく問題視されてきたために、いろいろ騒動が起きて報道もされる、ということでもある。

 昨年9月にインドの最高裁はサバリマラ寺院の女人禁制について、「女性の巡礼の権利を侵害するもの」との判断を下し、女性の立ち入りを法的に認めた。それでは、というので女性運動家や支持者たちが寺院への立ち入りを実行しようとするも、反対する保守派が断固阻止を狙ってガードし、昨年暮れまでせめぎ合いを続けていたのだそうだ。
 そして2019年1月2日、ついに女性運動家二人が支持者および警官に護衛されて、ついに寺院内への立ち入りに成功した。歴史的偉業を達成したわけだが、ケララ州各地でこれに反発する暴動が発生、一部で死者も出る騒ぎになったという。翌3日には首都ニューデリーのケララ州事務所に保守派が集会を開き、女人禁制維持を訴えて気勢を上げていたという。今後もなかなか大変そうである。
 裁判所が憲法の規定に基づいて決定したんだから言うこと聞けよ、とも思うのだが、そもそもインドって憲法でカースト制を禁じているが根強く社会に残っているのはご存知のとおり。あと実は憲法では「インドは社会主義国」と定義しちゃったりもしてるのだが、これもまるで無視されているような。


 もひとつ続けて、インドからの話題。
 1月7日付のAFP=時事の記事で読んだのだが、インドでも権威がある年次学術会議「インド科学会議」において、近年ヒンドゥー信仰に基づいた「トンデモ科学」の珍説を主張する学者が増えてきているため、主催する学術団体が1月6日に「深い憂慮」を表明する事態になったというのだ。
 どんな珍説かといえば、ある大学の副学長もつとめる無機化学の教授ともあろう人が、古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」の中で一人の母親から100人の子が生まれたという話が出てくることを根拠に、「数千年前に幹細胞や体外受精の技術があったとしか考えられない!」と主張したという。また彼は他の叙事詩(記事では書いてなかったが「ラーマヤーナかな?)の記述を根拠に「古代インドに空飛ぶ乗り物や誘導ミサイルが存在した」と大真面目に主張したそうな。「天空の城ラピュタ」のムスカのセリフ、「旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした『天の火』だよ。ラーマヤーナでは『インドラの矢』と言ってるがね」を思い出しますな。
 日本神話にも「天磐船(あまのいわふね)」なんて空飛ぶ乗り物らしきものが出てくるくらいで、古代人の想像力は現代科学を越えちゃうところもあるのだが、そういう伝承があるから、ハイ事実です、というのは無茶というもの。大学のおえらいさん、本職の科学者がそれをやっちゃうというのが凄い。同学術会議では他にも「ニュートンもアインシュタインも誤っている」と主張する、レッキとした学者先生もいらしたそうな。
 聞いた話だが、日本の科学系学術会議でもその手のトンデモ発表は一定程度いるという。推薦者二名がいれば参加できるし、どんな珍説だろうと発表を封殺するのはよくないという考えもあるので、そういうトンデモさんたちを集めた発表の場があるのだそうだが、それらは在野研究者のトンデモさんで、本職の学者先生はさすがにいないと聞いている。

 記事によると、実はインドではこの手の話は珍しくないらしい。民間のトンデモさんではなく、学者とか政治家とか、社会的地位の高い人が古代の叙事詩やヴェーダ(賛歌)を根拠に、「古代インドに超科学があった!」とブチあげるのはよくあることなんだそうだ。それはヒンドゥー至上主義と結びつきやすく、現在のモディ首相の政権はまさにそのヒンドゥー至上主義をバックにしていて、昨年には高等教育相が「進化論は誤り」としてカリキュラムの変更を主張したし(これ、アメリカでもキリスト教原理主義で主張してるけどね)、モディ首相自身もヒンドゥー聖典を根拠に「古代インドに形成外科があった」と主張したことがあるという。

 そして1月8日、インド下院で一つの法案が可決された。「バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタンから2014年までにインドに不法入国したイスラム教徒以外の者にインド国籍を与える」という内容の法律だ。
 なんでこんな法律を作るのかといえば、バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタンの三つはインドの隣国の中のイスラム国家で、それらの国内で少数派の非イスラム教徒が迫害や差別を逃れてインドに不法に入国する、というケースは確かにある。だからインド政府としてはこれらの人に国籍を与えて保護…という発想らしいのだが、逆に「イスラム教徒の不法入国者は除外する」という排除姿勢も露骨だ。そもそもこの法律自体、春の行われる総選挙に向けて政権がヒンドゥー保守派の支持を得るために作った、と見なされていて、インド国内に1割程度いるイスラム教徒の強い反発を招いている。それこそインド憲法に定める「法の下の平等」に反していると批判してるのだが、先述のようにインド社会と憲法の関係って曖昧なところがあるからなぁ。

 お正月に寺でも神社でも適当に初詣に行く日本人は宗教的に寛容でいいな、と思いたいところだが、過去にはキリスト教弾圧や廃仏毀釈、国家神道による日本バンザイをやっちゃった国でもありますからね。いつまでも他人事とは言い切れない。
 それにしてもこの手の宗教関係の対立ばなしを取り上げるたびに、「ホント、神も仏もありゃしないな」と無神論者の僕などは思うのでありました。



◆年末年始の小ネタ集

 前回更新が12月2日だったもので、12月中に「史点」候補の話題がいくつかたまってしまった。ちょっともったいないのもあるので、小ネタ集という形でまとめてみた。


◆「あの有名人」の指環か!?

 12月3日にAFPが報じたニュースによると、イスラエルの考古学雑誌に掲載された論文で、「ローマ帝国のユダヤ総督・ピラトの指輪」かもしれない指輪が確認されたという発表があったとのこと。ピラトといえば、イエスが活動した時期のユダヤ属州総督で、イエスの磔刑を最終的に決定した人物である。新約聖書でも重要人物として登場しており、イエスに罪がないことを悟りつつ立場上しぶしぶ処刑に同意した人物として描かれる。イエスを扱った歴史映画でも必ず登場していて、演じた俳優も結構多い。僕が先日観て「歴史映像名画座」に入れた1935年版の「ポンペイ最後の日」でも主要人物として登場していた。
 今回確認された指輪は、すでに50年も前に発見されていたもの。ほぼ2000年前のものとみられる銅の合金製で、封印の時などの「押印」に使われたものとみられるという。発見場所はエルサレムとベツレヘムの近郊、ヘロデ王の宮殿跡とまぁ。新約聖書関連の名前ばかりが並ぶ場所である。

 その指輪を研究チームが精査したところ、ギリシャ語で「ピラトの」という意味の刻印が確認され、「おおっ」ということになったわけ。ピラトという名前は珍しいし、場所も時期もバッチリ。じゃあ間違いないかというと、総督ピラトが使うにしてはショボい指輪で、デザインも現地ユダヤ人がよく使うものであることが難点とのこと。ピラトか関係者の可能性はあるが、まったく別人の可能性もあると。
 地中海に面した港湾都市でピラトのフルネームを刻んだ石が見つかったことはあるそうだが、もしこの指輪がホントにピラトのものならそれに続く大発見となるのだが…


◆セゴドン、それもアリカナ!?

 明治150年ということで西郷隆盛を主人公とする昨年の大河ドラマ「西郷ど(せご)どん」は12月16日に最終回を放送、西郷隆盛はちゃんと戦死したけど、「晋どん、ここらでよか」と介錯させる最期ではなく、「ここらでよか」と微笑みつつ倒れるという妙な演出になってしまった。過去の大河「翔ぶが如く」ではロングショットとはいえちゃんと首を落としてましたがねぇ。

 その放送前の12月7日に、京都市在住の歴史研究家・原田良子さんが「『愛加那(あいかな)』とされてきた西郷の奄美大島での妻の名は、『アリカナ』であることが戸籍資料で確認された」と発表した。知る人ぞ知るの話だったらしいが、僕は結構ビックリした。
 西郷隆盛は安政の大獄の中で一度は入水自殺を図るが死なず、死んだことにして別人となって奄美大島に流された。このとき西郷の現地妻というか島妻となった女性の名はこれまで「愛加那(あいかな)」とされ、西郷どん」でも二階堂ふみさんが演じていた(過去には多岐川裕美、石田えりが演じた)。「かな」というのは現地の言葉で女性に対する敬称だそうで、本人の名前は「愛」だけということになる。「敬天愛人」をモットーとした西郷自身が命名した設定になってることもあり、漫画「風雲児たち」では「ハニー」と超訳していたりもした(笑)。

 だが西郷自身の書簡で「ありかな」と表記しているものがあり、これまでにも一部から「ホントはアリカナなんじゃない?」との声は上がっていたとい。このたび、原田さんは千葉県在住の親族から、西郷およびその奄美大島の妻、その間に生まれた菊次郎の名が載る戸籍の提供を受け、そこに「アリカナ」と明記してあったことで、やはり「ありかな」が正しいと決着された。薩摩言葉では「り」が「い」に変化することはよくあり、「ありかな」が「あいかな」と発音され、あとから「愛加那」の字が当てられたのでは、との大河「西郷どん」の時代考証も担当した原口泉さんはコメントしていた。
 さて、今後作られる西郷関連作品では「ありかな」に統一されるんだろうか。とりあえず「風雲児たち」はいずれギャグにしてこの「改名」に触れてくれると期待している。


◆旧満州国時代のダム、爆破!!

 日本が実質支配していた「満州国」の時代に、現在の吉林省吉林市、松花江に建設された巨大ダム、その名も「豊満ダム」が、昨年12月12日から爆破解体され始めた。同ダムは1937年に治水と発電を目的に建設が始まり、長さ1.1km、高さ90mという、当時「東洋最大」と言われるほどの巨大ダムだった。戦前のうちに一部発電は開始されていたが、戦中の物資不足により工事が一時中断、その後ソ連軍侵攻による満州国崩壊の際にソ連軍がダムの発電機その他を奪い取ってしまった。その後の国共内戦で両党軍による奪い合いを経て共産党中国に接収され、ダム建設にあたった日本人技術者たちも現地に残ってダム建設を再開、結局1953年になって完成、そのまま中国での利用が続けられた。
 その大きさだけでなく、冬場には松花湖(ダム湖)の水面の霧が岸辺の木の枝に凍りつく「霧氷」が名物の観光地にもなってたそうだが、このダムの工事で労働環境の悪さから多くの中国人労働者が犠牲になっていて、戦後は「日本の侵略行為の一環」として博物館展示もされていたという。
 このたび爆破解体となったのは、単純に老朽化が原因。すでに後継のダムも建設済みであったため、もう用なしというわけだ。ダムの壁の一部は保存して観光用の展望台が建設されるとのこと。このダムについては今回初めて知ったんだけど、なかなか激動の歴史のあるダムが、その歴史に幕を閉じていたのだなあと感慨深いものがあった。


◆4400年前のお墓を発見!!

 エジプトというところは時々とんでもない発見が報じられるが(昨年の「アレクサンドロスの棺?」みたいなガッカリもあるが)、今度のは凄い。実に4400年前、エジプト第5王朝時代の神官の墓が、ほぼ手つかずの状態で発掘されたというのだ。12月15日の発表で内部の写真が公表されたが、なるほど、色も鮮やかに残る壁画やヒエログリフ、彫像の数々には息をのんだ。記者会見で「まるで数十年前の墓のよう」とエジプト考古当局者が言ったそうだが、まさにその通りだ。

 発見されたのは、古代都市サッカラの共同墓地。凄いと思ったのは、これだけ古い墓ながら、その入り口に書かれた文字から墓の主の名前とその役職、生きてた時代まで分かってしまったということ。墓の主の名はワフティーといい、エジプト第5王朝第3代ファラオ・ネフェリルカラー(在位:前2477-前2467)に仕えた神官であったと分かったのだ。4480年くらい前の人の墓が、そこまでしっかり残っていたというのは、奇跡的なんじゃないかと。
 墓の内部はほぼ手つかずだといい、盗掘もされてはいないらしい。ただ副葬品のたぐいはまだ見つかっていない。壁にはワフティー本人とその家族らの彫像が彫り込まれ、彩色もされていた。そこに書かれた文字から妻がウェレト=プタハ、母親がメリト=ミーンだということまで判明した。墓の内部には他にも人物像があったがそれらが誰を描いたのかは判明してないとのこと。また壁には狩りや航海、儀式や陶器づくりなどの日常の様子が描かれていた。

 さらに興味深いのは、この墓にはまだ通路があって、その調査はこれからであるということ。五つ見つかった通路のうち一つは開いていたが中には何もなく、残り四つは封印されたままで、その中にはワフティー本人の棺が置かれた部屋に通じるものがあるかもしれないというのだ。


◆我が代表堂々退場す?

 続いては日本の話。お隣韓国とのレーダー照射問題で抗議の応酬になって泥沼化したりもしていて、今年の三月一日は独立運動百周年ということもあって盛り上がりそうだなぁ、などと思うこの頃。今年は五・四運動百周年もあったりするな。
 ところで昨年12月25日、日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を閣議決定、翌日にIWCに脱退通告を行った。南極海での「調査捕鯨」という形で商業捕鯨再開を目指していた日本だが、2014年に国際司法裁判所で調査捕鯨の停止を命じる判決が出されしまい(こういう事例もあるので、最近の韓国との件で国際司法裁判所に訴えても日本が勝てるとは限らないような気がしてる。絶対自分が正しいと思うとかなり危険)、その辺りからIWC脱退するんじゃないかという憶測は出てはいた。日本としてはIWCの「改革」を要求したりもしていたが、商業捕鯨再開自体に断固反対という国が多数派のIWCではその話は通りそうにもなく、とうとう脱退、という思い切った行動に出ることになったわけだ。

 捕鯨について特に欧米諸国で理解がなく、一部には文化的・感情的なすれ違いもあって、捕鯨が一方的に「悪」とされてる状況は僕も首をかしげるものだが、わざわざ「脱退」という手段をとらんでもよかったような。他の捕鯨国であるノルウェーやアイスランドはどうしてたっけ、と調べたら、アイスランドは一度脱退して復帰、ノルウェーは今も加盟を続けていた。それを見ると日本はずいぶん思い切って「抜けた!」をやっちゃったと思える。脱退してしまえば商業捕鯨再開も勝手、ということにはなるのだが、日本近海限定になるし、結果的に「外交敗北」ではないのか、という指摘もなされている。そもそも日本近海での捕鯨なら脱退しなくても可能、という話も聞いてはなおさらだ。
 僕もそうだったのだが、1932年に満州事変についての国際連盟の勧告(実はそう日本に不利な内容ではなかった)にたった一国の反対票を投じて、日本代表らが議場から退去し国際連盟脱退をした事例を連想する人はネット上でもよく見かけた。教科書でおなじみの「聯盟よさらば!協力の方途盡く」という新聞見出しとかなりよく似てはいないかと。その当時、日本国内ではこれを快挙ととらえて松岡洋右外相らを称える大フィーバーが起こったりしたのだが、これが外交的大失策だったことは歴史が教えている。ま、今度のケースでは日本国内でも賛否両論というあたりなので、その轍は踏まないと思いたいけど。


◆マレーシア国王、謎の退位!

 1月6日、マレーシアの第15代国王ムハマド5世の突然の退位が発表された。マレーシアで国王がいきなり退位した例は、1957年の独立以来初めての例だという。
 そもそもマレーシアって王様いたの?と思う人も多いだろうが、この国は15の州が集まって構成する「連邦」で、そのうち9つの州にいるイスラム系首長「スルタン」(日本で言えば「大名」に近いか)が五年ごとの持ち回りで「マレーシア国王」に即位する、という世界でもここだけの「国王当番制」とでも呼びたくなるシステムをとっているのだ。もちろん国王は形式的な元首であって、政治権力は保持していない。ムハマド5世はおよそ2年前の2016年12月から国王の地位についていた。
 そんな任期五年で交代する国王が、その途中で退位する、というのが異例の事態なわけだ。退位の理由については明確にされていないのだが、ムハマド5世は昨年11月から病気治療を理由に公務を離れていて、健康上の理由というのもあるかもしれない(調べてみると彼は今年49歳)。だが、ネット上ではムハマド5世がミス・モスクワのロシア人女性と結婚したとの真偽不明の情報が流れていて、今のところその噂を王室側で否定も肯定もしてないため、もしかして実際に女性問題なのかとの噂も広がっている。イスラム法では一夫多妻はアリだろうが、「ミスコン」はイスラム的にアウト、という判断も多いようなので、それが引っ掛かっているのかもしれない。
 1月6日の退位発表では「「陛下はマレーシア国民に対し、統一を維持するために団結し続け、協力し合うよう求めた」とあるだけで退位の理由は一切説明されていない。イギリスのエドワード8世みたいに「王冠を賭けた恋」だったりするのかどうか。


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