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2019年7月25日

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◆「大きな跳躍」から半世紀

 「これは一人の男にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな跳躍だ」

 と、言いながらニール=アームストロングが月面にその「小さな一歩」にして「大きな跳躍」を踏みしめたのは、1969年7月21日2時56分(協定世界時、日本と9時間差)のことだった。あれからとうとう半世紀、と書きつつ、僕は当時はまだこの世に落っこちてきてないので、じかに体験したわけではない。僕が物心つくころにはアポロ計画の過去のものとなって、そのうちにスペースシャトルが出て来てしまった、という感じだった。我が家にある平凡社の世界大百科事典ではアポロ月面着陸計画は「これから行われる予定」として図解入りで出てたりしたが。

 今年はアポロ月面着陸半世紀ということでアームストロングの伝記映画が公開されたりもしたが(全編葬式みたいな映画だったけど)、アポロ計画の実行国アメリカではそれなりに記念イベントなども行われたと聞くのだが、世界中でテレビ中継され「人類の跳躍」と言われた割には全世界的な盛り上がりはしてないような。日本では21日がちょうど参議院選挙だったりしたせいかTVで関連番組などやってた覚えもないし、ネット上でごく一部宇宙開発ネタが好きな人がお祭りしていた程度だったように思う。

 そうした、人類史的に重要な割に盛り上がらない理由の一つが、アポロ計画終了後、半世紀近くも人類が月面に立ってない、ということもあるだろう。最後の月面着陸は1972年12月の「アポロ17号」だから、正確には48年。無人探査機は行ってるけど人間自身が月に立ったことがなく、せいぜい地球のすぐそばの宇宙ステーションに行く話ばかり。そのせいで当時を知らない世代には「月面着陸」自体が大昔の話、下手すると「おとぎばなし」に近い感覚でとらえがちなのかもしれない。だからこそ、いわゆる「アポロ陰謀論」にひっかかってしまう人が少なくないのだろう(まぁあれは当時からあったもので世代は無関係でもあるが)

 アメリカではこれまでにも何度か「また月へ行こう」という計画が政権にぶち上げられるが、間もなく立ち消えになる、というパターンを繰り返している。「月は行ったから次は火星へ」というブチ上げが出る時もあるのだが、だいたい自然消滅する。アポロ50周年にあたってアメリカのトランプ大統領は「もう一度月へ、さらに火星へ!」とブチ上げて宇宙開発におけるアメリカの優位性の強調をしたりしていたが、実のところいろいろ厳しいのではないかと言われている。

 理由は簡単、費用が凄まじく巨額であり、国家が税金をつぎ込む気になるほどの必要性がないからだ。アポロ計画当時は米ソ冷戦の真っ最中で、ソ連がスプートニクやガガーリンで先行し、あわてたアメリカのケネディ大統領が「60年代のうちに月に立つ」とブチ上げちゃったもんだから巨額の予算がつぎ込まれ、みごと実現に至った。月面着陸でソ連を出し抜いてしまえばあとは続ける理由は薄くなり、アポロ18号は中止されている。一方のソ連も有人月面着陸を計画していたがアメリカに先を越されたとたんに中止してしまっている。どっちも所詮は「国家の威信」が最大の動機になってたわけで。

 それでもこのアポロ月面着陸が人類史上の偉業であるのは間違いない。アームストロングも予定通りアメリカ国旗を月面に立てたりはしたけど、最初の一歩を踏むときのセリフでは「人類」を全面に出した(ときのニクソン大統領はもっと愛国なセリフを求めたらしいが)。そこに至るまでの政治的経緯はあるにはあるが、とにかく人類が地球以外の天体に初めて到達した、という事実は、今後人類がどれだけ宇宙に進出するか分からないが、一つの歴史的事件として記憶されていくと思う。現生人類の出アフリカだって、案外当時の彼らの政治的事情があったりするかもしれないしね(笑)。

 さてアポロ月面着陸50周年の当日7月21日、ニューヨークの競売大手サザビーズにおいて「アポロ月面着陸の映像をおさめた原本ビデオ」が出品され、182万ドル(約1億9600万円)で落札されていた。NASAではアポロ月面着陸時のビデオテープを再利用して映像が失われた、なんて古いテレビ番組みたいな話も聞いた気がするが(アポロ陰謀論者が大喜びのネタ)、それは鮮明な映像の方の話で、今回競売になったものとは別ということらしい。
 競売に出されたビデオテープは3本、収録時間2時間24分という。当時NASAでインターンをしていた男性が、1976年に政府の競売で落札したものだという。ただしその溶媒に出たビデオテープはその3本だけではなく約1150本にものぼるもので、NASA以外も含めた政府関係の「使用済み・不用品」としてまとめて競売にかけられたものだったのようだ。それをくだんの男性はたったの約218ドル(当時1ドル=300円前後なので約65400円)で落札したという。今回2億円近くで落札されたビデオ3本は単純計算してみるとおおよそ170円くらいで入手したことになる。ざっと100万倍に化けたわけ。

 ところでアポロ11号が打ち上げられたのは1969年の7月16日。1945年の同じ7月16日には人類初の核実験「トリニティ実験」が行われている。同じ日付で人類史の「画期」となる出来事が重なっているわけで、何とも象徴的な符合である。



◆ロシアの大地に眠る将軍

 7月6日、ロシアの都市スモレンスク(モスクワの西約400km)の中央公園から、フランス・ロシアの考古学チームが一つの棺を発掘した。棺の中には片足を切断され、もう一方の足にも負傷の痕跡がある遺体が収められていた。考古学チームはこの遺体が、ナポレオン1世配下の将軍の一人で、1812年のロシア遠征の際に戦死したシャルル=エティエンヌ=ギュダン(Charles Étienne Gudin de La Sablonnière 1768-1812)その人である可能性が「非常に高い」と発表、歴史好きの間でちょっとした話題になっている。
 ナポレオン関係にそう詳しいわけではない僕なぞは初めて聞く名前だったが、彼の名がパリの凱旋門に刻まれているほか、パリ市内には彼の名を冠した「ギュダン通り」も存在する。ナポレオンとほぼ同年齢で少年時代からの知り合い、共に軍人となって一連のナポレオン戦争の多くに参加、、そしてナポレオン没落のきっかけとなったロシア遠征で戦没、というナポレオンと寄りそうような人生を送った人物なのだった。そんな人物が死後200年も経ってから掘り出されるというのも「歴史的」だ。

 ギュダンは1768年2月生まれで、ナポレオンより一つだけ年上。ブリアンヌ陸軍幼年学校に入学していて、ここで同世代のナポレオン=ボナパルト少年と共に学んでいる。詳しい逸話などはないようだが、この時期に二人はすでに知り合っていて、ナポレオンは彼に生涯敬意を抱いていたと言われる。
 幼年学校を出てからはナポレオン同様にひたすら軍人人生を歩む。軍人となって間もなくフランス革命の激動が始まり、フランス革命の一連の戦争、その後のナポレオンによる一連の戦争に参加し続け、特に派手というわけでもないが着実に活躍を続けて昇進している。

 1812年にナポレオンが大軍を率いてロシアに遠征、ギュダンがもっとも活躍したのがこの戦役らしいのだが、結局彼はこの戦役で命を落とす。1812年8月19日のヴァルティノの戦いでギュダンは大砲の破片を浴びて両脚に負傷、左足を切断したが助からず8月22日に死去した。このときギュダンはまだ44歳だった。してみるとナポレオンってこの時点でまだ43歳だったのか。まぁ当時は平均寿命も短いだろうけど。
 ギュダンの遺体はさすがにフランス本国まで持ち帰るわけにもいかず、この地に棺に納めて埋葬された。ただその心臓だけは取り出されてフランスに送られ、パリ最大の墓地であるペール・ラシェーズ墓地の礼拝堂にその心臓を安置し、彼の墓もそっちにある。この時代、心臓がその人の魂のありどころとでもされていたのか、心臓だけ取り出して母国に埋める、って話は他にもあったような。

 で、ハートを奪われた遺体の方はスモレンスクのどこかに埋められているのだろうとは言われていたが、これまで発見されていなかった。どういう経緯があったか分からないのだが、このたびついにそれらしき棺を掘り当て、その中にあった遺体に左足がなく、右足にも負傷していることが確認され、ギュダン戦死の状況と一致することから彼の遺体である可能性が高い、というわけだ。
 もちろん決定打というわけではない。発掘したチームの一人によると、DNA鑑定をやらなければ確定はできないと。ギュダンの子孫もこの件に感心を持っている、との発言もあったのだが、ギュダンの子孫が今もいるのだろうか。ギュダンはやはりナポレオン麾下のお将軍の姉妹と結婚しているそうだが子どもおがいたかいないかはウィキペディアレベルでは分からなかった。直接の子孫でなくてお親戚の子孫って線もあるだろう。

 露と落ち 露(ロシア)に消えにし 仏(フランス人)かな 何はともあれ 夢のまた夢




◆ティグリスとユーフラテスとナイルと

 タイトルとは逆に、ナイル川のあるエジプトの方から話を始めよう。
 ツタンカーメンといえば、名前だけはやたら知られているエジプトのファラオだ。数多くいるエジプトのファラオの中でも知名度だけなら抜群であるが、それはもっぱらその墓の発見(1922年)によるところが大きい。「王家の谷」にあった彼の墓は奇跡的なほどに盗掘被害を免れていて(全くないわけではないそうだが)数多くの副葬品や見事なマスクをかぶせられた本人のミイラの発見が世界中を驚かせた。なお、この発掘のスポンサーであったカーナオン伯爵のお屋敷が、日本でも放送されて話題にあったドラマ「ダウントン・ビー」のロケで使用されたあの城館だったりする。子孫は大変らしいね、あれの維持管理が。

 さてそのツタンカーメンの珪岩製の頭像(高さ28.5cm)が7月4日にロンドンで競売にかけられた。競売を行ったのはイギリスの大手競売会社クリスティーズで、古代美術品を多く集めたレザンドロ・コレクションからの出品物の一つだった。落札価格は事前に予想されていたのとだいたい同じ、477万6250ポンド(約6億4400万円)だった。まぁ何というか、カネというものはあるところにはあるもんである。

 だがこの競売が注目されたのは像のモデルや金額だけではない。この競売に対してエジプト政府が猛反発して中止を要求していたのだ。なぜかといえば、この頭像はもともとエジプトの有名な遺跡「カルナック神殿」にあったものだったが、1970年代に紛失していたもので、エジプト政府はこれが「盗難」であると主張している。そもそも盗品なのだから、競売にかけるのは当然イカン、さっさとエジプトに返還せよと主張していた。
 しかしクリスティーズはエジプト側の要請を拒絶、この像の所有についての最も古い記録はドイツの貴族は1973年から74年に所有していたというもので一応非合法な入手という証拠はなく、ツタンカーメン像は「広く存在を知られ、公にされてきたもの」として競売にかけるのは問題なしとしている。怒ったエジプト政府はICPOに提訴するしか「選択肢が亡くなった」としている。

 この手の文化財の競売や返還要求はしばしば話題になる。特に帝国主義時代に多くの文化財が列強国に持ち去られ、いま世界のあちこちの国から返還要求が出されている(日本も例外ではない)。このケースは植民地時代の話ではなく独立後の「盗難」ということなのだが、構造的には同じようなもの。クリスティーズ側は「エジプトはこの像について急に文句を言い出したじゃないか」と言ってるそうだが、そもそも僕も直接見て来たけどロンドンの大英博物館なんてそんな「盗品」がメイン展示物でズラリと並べられているわけで、エジプトではそれらの返還要求の盛り上がりもあって、今度のツタンカーメン像にもかみついたんじゃないかな、と思う。


 そのエジプトでは、アスワン・ハイダム建設で水没させることになっていたアブシンベル神殿などの古代遺跡を移築した過去があるが、メソポタミアの方でもダム湖に沈んでいた古代遺跡が姿を現していたことが発表され、話題となっていた。
 イラク北部はイラク戦争の結果クルド人たちの実質的独立国状態「クルディスタン」となっているのだが、この地のティグリス川上流には「モスル・ダム」というイラク最大のダムがある。サダム=フセイン政権時代に電力確保と治水を目的に建設され1984年に完成したものだが、このダムも多くの古代遺跡を水没させてしまっている。それが昨年、イラク南部が干ばつに見舞われたためにモスル・ダムが放水してダム湖の水位が大幅に低下し、沈んでいた古代の宮殿遺跡が姿を現していた…という、なんとも古代ロマンをそそる話が、去る6月27日にドイツとクルディスタンの合同調査チームにより公表された。

 さすがメソポタミア、昨年姿を現した宮殿遺跡は、実に3400年以上前のものと推定され、その時代にこの地域を支配したミタンニ(ミッタニ)王国版図から「帝国」とする場合も)のものだという。ミタンニは古代メソポタミアに興亡した数ある国家の一つで、紀元前16世紀から紀元前13世紀まで現在のイラク北部からシリアにかけて存在した。上記のツタンカーメンはこの王国の終盤のころの人だから、まぁとにかく古い話である。
 このミタンニの古代遺跡がこのダムの底に存在していること自体は以前から分かっていたという。だが湖の底なので調査のしようもなかった。ところがイラク南部が干ばつという天災に見舞われた「おかげ」でその遺跡が湖の底から姿を現し、発掘調査が出来たのだから面白い。

 調査団によるとミタンニの宮殿威勢では見事な壁画や多くの部屋、さらにミタンニで使用された楔形文字の書かれた粘土板など様々なものが確認されたという。特に粘土板は専門家のもとに送られて現在解読が進められている最中とのことで、新たな「歴史」が読みだされるかもしれないと僕などはワクワクしてしまう。いや、やっぱり人類最古の記録メディア「粘土板」は人類史上最強の記録メディア、というのを改めて思い知らされる。
 こんな大発見のニュースが今頃になって公表されたのは、やはりその地域がまだまだ不安定で、下手に早く公表すると盗掘騒ぎなども起こる懸念があったからと思われる。じゃあ今公表していいのか、という話だが、実はくだんの遺跡はダムの水位が戻ったためにまた水没してしまったのだそうで。


 6月上から7月あたまにかけ、アゼルバイジャンの首都バクーでユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会の会議が開催され、審議の結果あらたに文化遺産24、自然遺産4、複合遺産1が登録された。日本からは大仙古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」が登録されてささやかに話題になったが、正直なところ世界遺産も世界中でやたらにありすぎ、近頃は小粒感が否めない(だから多く集めて「抱き合わせ」にする)ものばかり。世界遺産自体のありがたみも低下してきてる気もするなぁ。

 そんな昨今だが、今回登録された中にひとつ「大物」があった。イラクのユーフラテス川のほとりにある古代都市遺跡「バビロン」である。えっ、まだ世界遺産になってなかったの、と思ってしまうほどの大物。これが今頃登録が実現したのはなかなか長い歴史的経緯がある。
 バビロンという都市は4000年も前に生まれたとされていて、メソポタミアの古代国家「バビロン第一王朝」だの、「新バビロニア王国」だのといったものの首都として長く繁栄した。聖書の「バベルの塔」もここからモデルをとったという見方もあるし、なんといっても「バビロン捕囚」という事件もあった。アレクサンドロス大王もバビロンで急死している。まさに古代世界史の多くのドラマの舞台となった都市なのだ。

 こんな「大物」の都市遺跡だが、1983年に最初に世界遺産への申請がなされたが却下されている。理由は「遺跡の保存体制に問題あり」というものだったが、当時イラクを支配していたサダム=フセイン政権の姿勢にも問題があった気がする。彼は間違いなく独裁者だったし、古代メソポタミアの栄光と自身の政権を重ね合わせるかのようにバビロンに「イシュタル門」など再現建築を次々作ってかえって本来の遺跡を破壊してしまったと言われている。近頃は甘くなった気もするが世界文化遺産って本来は基準がかなり厳しく、遺跡に現代人の手を加えたりするのは全部ダメ、というものがあったはず(登録後もそう)
 そのあと90年代の湾岸戦争、2000年代のイラク戦争があってサダム=フセイン政権が崩壊、そのあとの様々な混乱の中でバビロンの遺跡はますます破壊され、世界遺産登録は見送りを続けられた。今頃になってようやく実現というのは、イラクがやっと落ち着いた、だから保存もできるだろうという判断なのか。

 もっともユネスコは当初バビロンについて、破壊が進んでいる遺跡として「世界危機遺産」に指定しようとしていたそうだが、イラク側が猛反対して結局それは見送られ、代わりに遺跡保存のための計画策定を求めるということになったという。実際アブナイ状況にある遺跡なのだろうけど、イラク側としては別の意味で「危ない」と思われて観光客が来なくなったりするのがイヤだった、ということなんだろうか。



◆「〇知〇能」の大統領

 とかくその言動が話題を呼んでしまうアメリカ大統領のドナルド=トランプ氏。「史点」更新をサボっていたこの一か月の間にも、まぁ話題をふりまくわ、ふりまくわ。そしてなんだかんだで世界中が彼に振り回されて、思うつぼにハメられているような気もしてしまう。僕もこうして「史点」ネタにしてしまうわけだし。当選すら「まさか」だったが、再選の可能性も結構出てきた昨今だが、もう現時点で悪い意味で歴史に残る大統領になるのは確実なんじゃなかろうか。

 5月に「令和最初の国賓首脳」として来日したトランプ大統領、相撲観戦やら炉端焼きやらゴルフやら、あれやこれやの「オモテナシ」を受けて話題になったが、特にトランプ好きとも思えない日本国みんっはおおむね好意的な反応を(少なくとも表向きには)見てて、抗議活動などはほとんど見られなかった。まぁそれは日本人的なお客様接待姿勢なんだろうけど、大相撲をマス席で観戦した際、「偶然」というには明らかに不自然な近い位置に右翼言論人士が控えていてトランプさんと握手していたけど、ああいうことし歴史に恥を残す危険までは気が回らないもんかなぁ、と思ってしまったものだ。

 それからすぐ翌月の6月末には大阪でG20サミットが開催され、トランプさんはまた来日、彼だけでなくG20だけに思いつく世界主要国のあらかたの首脳が大阪に集結して、まあ大変なにぎわいであった。さすがG20、大阪だけに吉本オールスター状態だな、などと思っていたらその翌月にその吉本が大騒動になってたりして。あ、安倍晋三首相は新喜劇にはつい先日ご出演されてましたけどね。
 このG20、世界の注目はもっぱら米中会談にあったが、サミットが終わった直後にトランプ一流のサプライズが待っていた。トランプ大統領はサミットのあとで韓国訪問、それも板門店の非武装地帯視察が決まっていたのだが、その直前にお得意のツイッターで「今朝思いついた」として北朝鮮の金正恩委員長に「もしこのツイートを見ているなら、私は非武装地帯の境界線で会って握手し挨拶してもいい」とメッセージを送った。前回ベトナムで行った二度目の直接会談は「失敗」「決裂」と言われていたこともあって、この呼びかけは注目されこそしたがその時点では実現すると思った人はあまりいなかったと思う。報道もトランプらしいツイッターとしつつもホントに会うとは直前まで信じてない感じだった。

 それが翌日、6月30になったら急に「どうも実現しそうだ」という話になってきた。昼前には「午後に会う」ことが確実と報じられ、僕もテレビを横目にじりじりと待つことになった。実現すればこれはやはり歴史的な事件だぞ、と思ったからだ。
 そして午後3時40分ごろ、トランプ大統領が板門店に姿を現し、やがて北朝鮮側から金委員長も姿を現して、二人はあの軍事境界線ブロックをはさんで握手、さらにトランプ大統領派そのブロックをヒョイと越えて北朝鮮側に入ってしまった。昨年の金委員長と文在寅韓国大統領の対面の再演でもあったが、やはりアメリカ大統領が軍事境界線を越えたというのは、朝鮮戦争以来の歴史を思えばまさに「歴史的事件」としてのインパクトは大きかった。

 アメリカ大統領が北朝鮮に「入国」したのも、もちろんこれが初めてであるわけで…一番上の話題にひっかけると「一人の男にとっては小さな一歩だが米大統領にとっては大きな跳躍」だ。その割にいとも軽々とやっちゃったので、ありゃ映画「JSA」のセットを再利用して例の二人のソックリさんが演じてるんと違うか、などと冗談を言ったものだが、あんなに軽々と国境を越えてるくせに自国の国境には「壁」を作りたがってるんだよな、この人は。
 トランプさんに続いて金さんも境界線をヒョイとまたぎ、一緒に韓国側に入って文大統領も交えての三者会談が実現、前回の「決裂」とは打って変って友好ムードのおよそ50分ほどの会談で、一応非核化に向けての交渉を再開することを決めてお開きとなった。ツイッターから始まったトランプならではの劇的外交パフォーマンスで、金委員長も「ツイッターを見て会うことに決めた」と言ったらしいが、さすがにそれはあるまいと思っていたら、やっぱりある程度は事前の「仕込み」があったことが後に明かされている。中国や韓国も間で一役買ったみたいだし、そういえば一か月ほど前にトランプさんが金さんに書簡を送った、なんて報道があったが、その書簡の中にこの会談の提案が書かれていたそうなのだ。どっちにしても互い思い切ったことをやったには違いない。以前マレーシアでの最初の会談の際、「二人の独裁者」と間違ったのかわざとなのか表現した外国マスコミがいたけど、ほんとにあの二人、独裁者同士で気が合うのかもしれない。

 で、この文章を書いてる時点で、北朝鮮が急にまたミサイルをぶっ放したりして、結局あの会談は何だったんだ、という話にもなってきている。話題にのぼらなくなると何かやり出す北朝鮮、という気もするが、最近アメリカがイランとの対立ばかり騒ぎになってるからヤキモチでもやいたのだろうか。トランプさんも北朝鮮に何かと甘い割に、イランに対してはえらくキビシイんだよなぁ。イランの方には石油とイスラエルが絡んでいるが、北朝鮮は何もないから、なのか、あるいは核を持ってるところと持ってないところとの対応の差なのか。


 このトランプ大統領について、イギリスの駐米大使が「無能」と本国に報告していたことがリークされ、トランプさんは当然ながら怒り、イギリス政府は「政府の見解とは異なる」と読みようによってはイギリス流ジョークにも見えるコメントを出し、問題の駐米大使は騒ぎが大きくなって職務に支障をきたしたとして辞任を表明した。「我が国のトップがバカだという最高機密を漏らした」というギャグが昔あったような、と思ったり、むかし日本の某新聞が「無知無能のロシア皇帝」という大誤植(原稿では「全知全能」と書いたはずだった)をやttyった事件なんかを連想した。
 まあ確かに、これまでトランプ大統領のやり方が無知無能に見えたことは少なくないし、アメリカ国内、しかも政府関係者からも同様の発言が出たことはある。だが厄介なことにトランプさんがそういうキャラだということはアメリカ国民は以前から重々承知であり、むしろそういうキャラを支持・応援してしまう人たちが少なからずいることだ。いよいよ来年は大統領選挙で民主党内で前哨戦も始まっているが、ある調査だと今のままならトランプ再選と予想sする人が半分以上はいるという。

 そういう点を意識してるのか、トランプ大統領は大統領としては過激・下品と思われるツイートを、天然なのか計画的なのか連発している。最近では民主党の非白人女性議員四人に「「『進歩派』の民主党女性議員たちは、世界で最も腐りきった無能な国から来たのに、世界で最も偉大な米国の人々に、政府がどうあるべきか言う」「帰って犯罪がはびこる全壊国家を立て直したらどうか」と言い放った。」とツイートして大問題に。彼女たちが民主党内でも非主流派であるため、それにひっかけてからかう意図があったんだろうが、それにしても品位を欠く。さすがに民主党が多数を占める連邦下院でこのツイートに対する非難決議が可決され、それには共和党議員からも賛成者が出た。

 このツイートって、読めば読むほど日本の戦前の「非国民」呼ばわりを連想しちゃうんだよなぁ…いやアメリカだって「赤狩り」の時に「非米活動」なんて言葉を使いましたがね。政権を握ってる側、ことに自国中心な考え方の強い奴が決まって言うセリフ、とも言える。そして、非難決議の直後の支持者集会でトランプ大統領はやはり同様の発言をして女性議員一人一人の名前を挙げて攻撃、会場を埋める支持者たちも「送り返してやれ!」と連呼した。こういう支持層がいるからこそトランプさんもブレーキどころかアクセル踏んでるんだろうけど、あの会場の様子の映像はほとんどナチスの集会だぞ。

 そしてイギリスの保守党党首・新首相にボリス=ジョンソン氏が決定。EU離脱の強行派として知られ、これまでにも過激な発言を繰り返して批判もされつつ人気も高い…というところはトランプさんによく似ている(元ロンドン市長ということでは石原慎太郎ともキャラがかぶる)。「〇〇のトランプ」と呼ばれる指導者があちこちの国で出てきているが、イギリスにそれが登場してトランプと仲良く組んであれこえやったらどういうことになるんだろうか。「〇〇米英」なんて言葉も思い浮かんだが…あ、「〇〇」には各自お好きな言葉を入れて下さい。


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