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12月 1日
今日の雑記はフィクションです。一部個人名、エピソードなどには事実が含まれるという説もありますが、きっと根も葉もない噂です。信じなくても大丈夫です。

今日もわずかな暇を見つけては、先日手に入れた玩具、っつーかPHSをいじくりまわす。ただ遊んでいるのではない。特訓しているのだ。知人の無残な姿を見て、ああはなるまいと決心したから。
彼は(本人の名誉のため特に名を秘すが大熊君である)、心が広く親切な実に良い人間なのだが、ある時、買ったばかりの携帯電話のちょっとした操作にわずか数時間ばかり手間取っていたために、その後数ヶ月にわたって、辛辣なお嬢さんたちの嘲笑の的になっていた。あれだけの好人物ですら、あそこまで苛められるとは。口下手で小心者な分人に誤解されやすい僕などが同じようなことをしたら、どれほどひどい目に遭わされるだろう。その恐怖に比べれば、血の汗滲む特訓も何程のものか。
そんなわけで、今日もまた指の皮が剥けるまでPHSからメールを打ち続けるのであった。

恩田陸『上と外(1) 素晴らしき休日』『上と外(2) 緑の底』(幻冬舎文庫)読了。おお、いいぞこれ。なんせ始まったばかりでまとめる必要がないので、恩田陸暴れ放題。その美点が遺憾無く発揮されている。多分、三巻までは面白いはずなので、年明けに幻冬舎の方針転換で続きが出なくなると、幻の傑作として後世に名が残るだろう。< 失礼にも程があります

ああ、でも千華ちゃんは、なんぼなんでも出来すぎでは。本当に小学生かおまいは。

12月 2日
昼過ぎに新宿に出て、人と連れ立ってとんかつ茶漬け食べる。「なるほど、とんかつで茶漬けだね」としか言いようが無い。感動的にうまいわけでも、まずいわけでもない、ごく穏当にまとまった味なので反応には困った。あー、ハレの昼飯ならありかも。

その後、カラオケ。6年ぶりに服を買ってみたり、靴を買ってみたり、初めてPHSを買ってみたりという、「世紀末記念、自分普通の人化計画」の一環として、ここ1、2年の邦楽ヒットチャートに入った曲の中から何曲か歌う。大半は根本的に向いてないことがわかったので、今後は許容範囲内のアーティストに絞り曲数を増やして行く予定。とりあえずは「クウガ」か。< いきなり駄目です。

ユタに行くには早すぎたので、西口Yellow Submarineに寄る。なんと、ユニット・トレイが入荷していた!当然のように、4つほどまとめ買い。西口YSへの御礼も込めて、ついでにラッツィアなど購入したり。

高田馬場芳林堂で無駄に買い込んだ後、ユタ。参加者は、SF人妻、大森望、久世信、さいとうよしこ、失踪中の人、添野知生、高橋良平、茅原友貴、林、福井健太、藤澤邦匡、藤元直樹、柳下毅一郎、山本和人(あいうえお順、敬称略、一部無理あり)。僕の廻りでの主な話題は、VJUMPとか、(年度SF)ベストとか(90年代SF)ベストとか(年度映画)ベストとか。映画の話題から、10数人で連れ立ってゴジラを見に行った話をしたら、そういう客がいるからゴジラの新作が作られてしまうのだ、と叱られてしまった。すみません、ごめんなさい、でも今年も行く予定なんです。
携帯評論家の方には最新機種の数々を見せて頂いた。カメラはどうでも良いけど、音楽が聞けるのは魅力的だなあ。
メモ:HyperJOYに12月の新譜(1月までに配信)で「きらめきマン」OPが入る。他も結構、いい感じ。要カラオケスケジューリング。

来客あり。

12月 3日
来客を送りつつカレーを食いに行く。我が友人の貴い犠牲のおかげで地雷の在処は分かっていたので、安心して人に薦めることが出来るのは喜ばしい。ありがとう、中野君。

書棚(パルプ製)が壊れかかっていることに気づいたので、止め具を買ってきて応急処置。なんとかなったような気もするが、なってないような気もする。

来客に指摘された、ふすまが完全に傾いて閉まらないという事実の方には対処せず。っつーか、なおしようが無いよ、こんなもん。不動産屋か管理会社に文句を言いたいところだが、書棚の重さが原因という可能性が捨て切れないのでそうもいかないのであった。

念願叶って手に入ったトレイを用いて、各種ゲームの箱の中に散乱していたユニットを整理する。2箱整理した時点で残るトレイは一つ。もう10トレイは買っておくべきだったか。

眠かったので午後9時過ぎに就寝。週に一度くらいはまとまった睡眠を取らないともたないし。

しまった。また、床屋に行き損ねた。

12月 4日
やっとのことで『ハッカー/13の事件』(扶桑社ミステリー)を読み始め、とりあえずギブスン「クローム襲撃」を読了。内容を心の底から忘れていたんで驚いた。あ、なんかギブスンの短篇ってほとんど覚えてないかも。「ニュー・ローズ・ホテル」ってどんな話だっけ?

12月 5日
先日の記述に対して大熊日記(00/12/4)で疑問が提示された。
さて、この件について当事者の一人である某氏(大熊君の後輩)に聞いて見たところ、「辛辣なお嬢さん」は、某OG氏のみであり、「たち」と表現されるのは、某OB氏(大熊君の後輩)であるという意見が返ってきた。これもまた一つの見方であろう。
僕がどう考えていたかというのは、フィクションの中のことなので、詳細を言っても詮無き事かと思うがとりあえず。30も間近の人間からみれば、君達の学年差なんてあってないようなもんです。> 辛辣なお嬢さんたち
# 学年云々とは別の基準で「お嬢さん」という言葉の適用範囲が決まるという説もあるが、保身のため気づかないことにする。

昼休みに遠出して、ミステリマガジン1月号、『上と外(3)』『初めの終わり』、などを購入。入手できたのは嬉しいんだが、いつ読むのかと考えると若干憂鬱になる。

とかなんとか言っているうちに恩田陸『上と外(3) 神々と死者の迷宮 上』(幻冬舎文庫)読了。本当に薄いな、これ。
2巻まで提示された状況がさらに膨らまされる巻。人間関係の緊張は、当事者がバラバラになってしまっているため進展しないが、その分冒険物としての展開に力が注がれており、十分に楽しめた。ただ、言いようの無い不安が感じられるのもまた事実。次巻を読むには勇気が要るかも。
ああ、そういえば。千華ちゃんは実は中学生かも。兄貴(誰だっけ?)が14歳で、その1歳半下だから、12歳と半分以上。夏休みの話だから、ほぼ間違いなく中1だね。なら、こんなもん……かぁ?
# 中学生の女の子ってーのは見たことが無いんで良くわからん。

12月 6日
朝の電車で、本を持ってこなかったことに気づく。電車で通勤・通学するようになって16年も経とうというのに、こんな初歩的なミスをするとは。我ながら情けなひ。
# それほどのことか?

まあ、それはともかく、今日はまとまった何かを読んでいる暇と気力が無さそうなので、昨日の残りでお茶を濁す。そもそもこの文章を書く時間が一番もったいないとの説はあるが、それはそれ、これはこれだ。

一昨日に引き続き、『ハッカー/13の事件』を読み進む(昨日)。トム・マドックス「夜のスピリット」と、グレッグ・イーガン「血をわけた姉妹」を読了。前者は個人による世界への復讐話。だからどうしたよ。後者は個人による社会への復讐話。テーマもアイデアも魅力的なんだが、クライマックスが早めにすぎたか読後感はいまいち盛り上がらない。惜しい。

さらに、ミステリマガジン1月号を拾い読み(昨日)。シオドア・スタージョン「ワム・バップ!」はジャズのリズムにのせて語られる「一流バンドでタイコを叩く法」。ごくごく真っ当な短篇なんで驚いた。アラスター・グレイ「タイム・トラヴェル」は、密室への異物侵入事件について推理する安楽椅子探偵物(ウソ)。意味の無い図の挿入や、思考のさまよいかたはスラデックっぽい。こちらの方が展開はまともだが。
後はやはり、若島正のエッセイか。「今、新たに<異色作家短篇集>を編むとしたら」、という企画。企画全体としての出来はともかく、ラファティの作品集の中からわざわざ既訳の『つぎの岩につづく』"Strange Doings"を選ぶってのはどうよ。
# L・A・ラファティって誤記には目を瞑るにしてもだ。

12月 7日
今日もまた、『ハッカー/13の事件』を読み進む。パット・キャディガン「ロック・オン」読了。これもまた、心の底から内容を忘れていた。読んだはずだがなぁ。どうもこうサイバーパンク作品は印象が薄くっていけねぇや。

でも、しかし。ラッカーやスターリングは大体覚えてるんだから、サイバーパンクだからって訳でもないのか。何が問題なんだろう。
# 二十歳前に読んだかどうかだけだったりして。

ところで。ひょっとしたら、題材がロックというあたりが問題だったのかもしれない。そもそも音楽には疎い人間だが、わけてもロックには心底疎いのだ。それはもう、「ロック」という単語を聴いて、まず頭に浮かぶのが『超人ロック』(*)ってんだからどうしようもない。ごめんな、キャディガン。

*:聖悠紀の同名マンガを原作とした、名デザイナー黒田幸弘デザインのボードゲーム。基本的には善と悪の対立を扱うが、個人の勝利条件と、スペシャル(善でも悪でもないキャラ)の導入でゲーム展開に厚味を増している。いくつか特徴的なルールはあるが、なかでも最も特異なのが、「実はそこにいた」「実は生きていた」の二大ルールであろう。「実はそこにいた」は、例え盤面の反対側にいても、ひとたび戦闘が発生すれば、ダイス目次第で戦場に「いた」事にできるというルール。これを使ってロックI(最強状態のロック)が戦場を渡り歩いたりすると、Evilはかなりやる気を無くす。「実は生きていた」は、キャラクターが死んでしまいゲームから脱落したプレイヤーに対する救済ルール。戦闘が発生するたびに、ダイスを振り、運が良ければ強力な残留思念となって味方を助け、さらに運が良ければ復活する(まさに「実は生きていた」)ことができるという豪快なルールである。ニアなど強力な特殊能力を持たない低レベルのGoodキャラを引いた場合に、早めに死んで残留思念として闘うことを目指すという邪悪なプレイをするものも少なからずいた。大体においてラフノール出身のGoodは攻撃力の面で大きな制約を抱えているため、いっそ残留思念にしてしまえと思うことが多いが、ラフノール出身者なので、攻撃を受けるとラフノールの鏡を張ってしまい、生き残ってしまいがちだったりする。戦闘は、このゲームの楽しさの大きな部分を占めているので、ラフノール出身者はやや辛い。その点で、最も楽しいのはヤマキIIである。ヤマキ長官は連邦巡洋艦の支援を受けることができるのに加えて、ゲーム最大の精神力9(ロックIですら8だ)を誇るため、どんな強力な超能力でも「使えるかもしれない」という幻想を持つことができる。2レベルのヤマキIIがたとえば7レベル光の剣を使う場合、サイコロ2個で9以下を5回振る必要があるわけで、実際問題としてはかなり難しいのだが、レベルは若干高くても精神力の低いオクタヴィアヌスあたりに比べればまだ可能性があるのでつい試してしまったりしたものである……。(後略)

12月 8日
昼休みに遠出して、あさりよしとお『まんがサイエンス VII』(ノーラコミックス)と、陽気婢『えっち〜ず』5巻(ワニマガジンコミックス)を購入。

『まんがサイエンス VII』はテレビ受像機、オートフォーカス、望遠鏡、双眼鏡など「見る」装置が中心(副題もズバリ「「見る」科学」だ)。楽しく読みはしたが、ルーチンワークになりかかっている気も。ああ、とりあえずカメラの精「カメラ・オブ・スキュラ」さんはちょっとヒット。

『えっち〜ず』はかなり惰性で買っていたのだが、どうも最終巻だったらしい。惰性だっただけに悲しくも寂しくも無いが、そこまで買い続けていたかと思うと若干の感慨はある。繊細さが好きで読みはじめた作家ではあるけど、繊細であるという点をなかなか超えられないなあ。
この巻のベストは「ハッピーバースデー・トゥー ミー」。29にもなって女っ気の無い生活を送っている気弱そうな主人公が出張風俗を頼んだらそこでやってきた女の子が実はどうたらこうたらという話。徹頭徹尾、ファンタジー(いわゆる美少女マンガが性的ファンタジーであるという意味に於いてのファンタジー)に徹する潔さが素晴らしい。こういう話に癒されて、人は駄目になっていくんだよね。

12月 9日
朝も早くに本棚が到着。朝っぱらから周囲の迷惑も顧みず本棚を組み立てはじめる。これで某中学時代からファンダムに出入りしていた知人に、「SFに魂を捧げている奴の棚は違う」などと蔑まれることのない本の並びが作れる。と、思い本を並べているうちに気がついてみると、壁の約三分の一が真っ青になっていた。たかだか300冊弱なのに、こんなことになるとは。まあ、青緑だの、銀色だのにならなかっただけでも良しとすべきか。
# 紫になったのなら、それはそれで良いかな、と。

平野耕太『ヘルシング』3巻を読む。平野耕太だった。

12月10日
修士課程の修了を目前にして単位が足りないという事実に気づいた夢を見て焦る。自分の修了証書はこの目で見た、というか、だいたい修士修了は4年も前のことだというのに、こんな夢に苦しむとは。何か現実の問題を反映しているような気がしなくも無いが、敢えて気づかないことにしておこう。

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