- 4月11日
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午後、いいかげん当面の作業に飽きたので人から仕事を奪って本質的には不要かもしれないプログラム作業。うむ、どこまで書くべきか見当もつかないマニュアル作成よりは、書いたこと無い言語を使ったプログラミングの方がよっぽど充実するな。
横浜は、小川、ドスターのホームランという、いかにも森が嫌がりそうな方法で得点し、快勝。8回、一死満塁から無得点に終わったあたりも含め、さぞや森は腹を立てているに違いない。9回の斎藤隆投入は、一向に堅実さという言葉を覚えようとしないチームへの嫌がらせだぞ、きっと。< そんなことはないだろう
何事に対してもやる気が発生しないので、漫然とWeb日記の定点観測をしたり、ローカルディレクトリの整理をしたりしているうちに、過去の恥ずかしい日記を見つけてしまい激しく動揺する。もちろん、速攻で削除だ。もう、全部消したはずだよな、どきどき。
#「この雑記も相当に恥ずかしい記述を含んでないか」との指摘は至極妥当だが、今さっき見つけたものはまったく別次元なのだ。
- 4月12日
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2対2の緊迫した試合は、木塚の致命的な程の不調(如実に連投が祟っている。いや、この程度の連投で劣化する中継ぎに頼らざるを得ないってーあたりで駄目だと思うんだが)で完全にぶち壊し。その裏、帳尻を合わせるような連打で一応の形は作ったが、3点差、二死満塁から石井琢が絵に描いたような空振り三振をするあたり、どうにも横浜でしかない。金城の好守、谷口の好投など好材料を心の支えに今日はもう寝ちまおう。けっ。
と思ったら、九回裏さらに粘って、1点差、九回裏、二死二塁三塁、一打サヨナラで代打、中根という大舞台がやって来たのだった。もちろん、ここで中根は空振り三振。まさに横浜以外の何物でもない展開にちょっと満足。少しは心安らかに眠れそうだ。
#なお、「ここで中根は」以下の一文は、代打中根が告げられた時点で書いていたものだったり。おかしいなあ、予想では見逃し三振だったのに。
- 4月13日
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眼鏡が出来たので取りに行く。レンズの面積が体感で5割ほどになっているので感覚が狂う。そのうち慣れるとは思うのだが、視界の斜め下にレンズが見えるのは違和感があるね。なお、眼鏡の変更により外観が「万年大学院生」から「陰気な会社員おたく」に変わったというのが自己評価。世間の皆様の評価はどんなもんだろうか。
縁あって、椎名林檎の新曲のビデオクリップを見る。猫が銃になるのはさすがに反則だろう。見事にツボを突かれちまったよ。
読売・横浜は実にまったく持って絵に描いたような展開。いいよ、もうどうだって(なげやり)。
- 4月14日
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オノリゴ・ブエスト=ドメック『ブエスト=ドメックのクロニクル』(国書刊行会)を読み終える。『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』で知られる著者による芸術全般に関する批評/エッセイ集。小説、詩、評論といった文芸はもとより、絵画、彫刻、演劇、服飾、建築、美食と、非常に広い範囲を取り扱う。自身の精神を表現するため既存の作品を一字一句違えることなく引用し文学の共有単位を理論上の最大限まで押し広げたセサル・パラディオンの小説群、推敲という作業に絶望するあまり口伝による自動的練磨という手法を選ぶに至ったニーレンシュタイン・ソウサの物語、<歴史とは信仰の行為なり>と喝破し「歴史の事実からの解放」を主張するツェバスコ博士の純粋歴史学など、ここで取り上げられた「芸術」はいずれも類稀な新奇性と魅力を兼ね備えており、著者の選択眼の確かさを伺わせる。が、残念ながらそれを伝える筆致に難がある。文章が硬いのはともかく、落ちを予定したエッセイならそこまでの誘導にもう少し気を使っても良いのではないか。より、文章の達者な作家、例えば同じアルゼンチンの作家で言えば、ボルヘスあたりの筆で読みたかったところだ。
- 4月15日
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とある漫画を買おうと思い立ち、柏駅周辺をうろつくが見つからず。唯一、あるとわかっている店が定休日だったのが敗因だろう。漫画専門店が日曜に休むかな、ふつう。
読売・横浜はやっとのことで逆転勝利。ここまで5カード、ひとつも勝ち越せなかったのは確かに痛いが、すべて1勝はしているのがせめてもの救いか。もちろん、1勝2敗は最下位ペースなので、ここらで勝ち越しに転じてもらいたいが。
近所にできた洋食ファミレスに行ってみる。開店記念セールの290円のハンバーグというのは大変便利なのでずっと続かないものだろうか。 < 無理だって
- 4月16日
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いつのまにか早稲田にいる自分に気づく。しかたがないので、久しぶりにCoCo壱で5辛を食べたのだが、すっかり辛さに弱くなっていることを(メタファーじゃなしに)痛感させられた。うーむ、これは「とっくん」をせねば。
気がついたら、部屋にとある漫画があったり。実は読み終わっていたりもするのだが、感想はまた後日。機会があれば。
- 4月17日
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別役実『さんずいづくし』をやっと読み終える。えーと。
「でたらめ」が減ってきたのは残念だが、がまんできる。しかし、軽妙さが減ってしまったのは、ちょっと。落ちへのもっていきかたが拙いものが多すぎる。
ファン以外は読んでも無駄だろう。これを読むくらいなら『虫づくし』や『日々の暮らし方』を読むべきだ。そして、ファンは読むべきではない。昔のイメージが壊れるのを見るのは辛すぎる。
- 4月18日
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つい、ニール・スティーブンスン『スノウ・クラッシュ』(ハヤカワ文庫SF)を購入。鶴巻和哉の表紙イラストはハヤカワ文庫SFとは思えない、というか「あれ」にしか見えないね。
各種フランチャイズに分割されたアメリカを舞台にピザ配達人で、無敵の剣豪でもある凄腕のハッカーと、スケートボード便の少女が悪魔のウィルス<スノウ・クラッシュ>の謎を探るドタバタ・サイバーパンク。ハードカバー版で読んでいるんで僕は読み返さないとは思うけど、90年代の収穫のひとつなので、未読の方は是非に。ややとっちらかった部分はあるものの、疾走感と、猥雑さは絶品なんで。
しかし、帯の「マフィアのピザ屋は命がけ」「危険な仕事は、ママには内緒」というフレーズは、作品の雰囲気を伝えて余すところが無い感じっすね。うまい。
# ラスト付近の暴走が伝わらない気もするが。
- 4月19日
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朝っぱらから「ザ★プチモビクス」なんぞ見ちまって脱力。「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」を見たときにはいい感じで力が抜けたが、これはいくらなんでも。TBSももう少し考えたらどうか。
荒箱さんの日記経由で、ケダさんの『SFが読みたい 2001年版』 〜『2001 本格ミステリ・ベスト10』との比較をまじえて〜を読む。面白い。SFに興味はあるけど愛はない読者の目に、「このエス」がどう映ったかという記録。提案部分も含め至極説得力があるような気がする。
気がする、ってのは、僕の知り合いに「SFに興味があって」「僕よりSFを知らない」人が滅多にいないので、「SF既存読者ではない人」ってのが実感できないから。どんなもんなんだろう。
個人的には、「1990年代SFベスト30ガイド」はどう見えたかが気になるところではある。いや、理由は、その、ほら。
- 4月20日
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駅売りのスポーツ紙の見出しを眺めていて驚く。読売が苦手ヤクルト相手に逆転勝利を収めた翌日だというのに、一面トップにイチローを持ってくる(デイリー、トウチュウ以外の)スポーツ紙があるとは。イチローの実績を考えれば、たかだか「新人の球団新記録」を持ち上げるのもどうかと思うが、読売偏重主義が崩れつつある証左だとすれば、大変喜ばしい。
そらまあ、「12球団均等に報道すべき」という反読売偏重報道思想は、「じゃあなぜ一面トップは基本的にプロ野球であることを当然とするのか」という反プロ野球偏重報道思想のつっこみを受ける可能性はある(というかfj.rec.sports.baseballあたりでは年中行事のように突っ込まれていた)わけで、いろいろと難しいところがあるのは事実。しかし、理屈を離れたところで、嫌なものは嫌なのである。長嶋嫌いだし。
# 星野、野村も嫌いで、森も好きじゃないので、セントラルは見るのが辛い。
# かといって、大島を応援するために日ハムファンになるというのもなぁ。
## 「野球は選手のもの」という思想から言えば監督の好悪は問題にならないはずなんだけどね。
むちゃくちゃ久しぶりに会社の飲み会に参加。僕にしては比較的馴染んでいたほうだと思うが、終わってみると愛想笑いの在庫が枯渇していることに気づいたりする。どうにも「仕事の飲み会」という奴が苦手であることを痛感。趣味を同じくする相手と飲みに行くのは何の問題も無いんだが。
やはり、あれですね。突然、黙り込んでも許されると思っているかどうかの違いですかね。 < 仲間内の飲み会でも、良い反応ではないだろう