過去の雑記 02年 7月

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7月21日
昨日買ってきた戸田山和久『知識の哲学』(産業図書 知識の哲学シリーズ)をパラパラと眺める。大まかに言って「知っているとは何か」という話。戸田山先生の講義を聞いていたのは教養1、2年の時だから、もう10年以上前になるのか。10年経って本が出るまでになっても、「うる星やつら」に対するこだわりは捨ててないようで、ちょっと心あたたまった。戸田山の哲学・論理学は教養過程の講義ではトップクラスの面白さだったので、可能な限り取ることを薦める。 > 名大現役 < 読んでないって

夕方から上野に出て細木さん(8)と飲む、というか焼肉を食う。30前後の独身男が二人で愚痴を言いながら焼肉を食う姿は実に辛気臭い図であったと思うが、当人は(少なくとも僕は)楽しかったのだから問題はない。

ない。

無いったら無い。

無いってばよう。

とりあえずSF秘宝館はとても楽しそうだった。

7月22日
なんとなく「天獄と地国」の数字を再計算する。いくつかアプローチに失敗し、「読み解いたと思ったのは誤読だったのか?」と自信を失いかけたが、あからさまな数字を頼りに計算しなおすと記憶どおりの結果が出たのでまずはめでたい。

以下、なんの計算をしたかを記録しておく。心の底からネタバレなので、「天獄と地国」未読者は絶対に読まないように。



この作品のメインアイデアは「上と下がいれかわった世界」というところにある。スペースコロニーの外側表面に住んでいる状態をイメージすればよいだろう。卓越する力が重力ではなく遠心力となり、油断すると無限に上に墜ちていってしまう世界。ここまでは数ページ読んだだけでも、勘のいい読者ならタイトルを見た時点ですら読み取れる。問題はこのあと。ここは具体的にどこなのだろう?

作中では、「地下に「天に落ちることなく安心して生活できる世界」(=「地国」)が存在する」という伝説が語られる。登場人物のひとりカリテイは、地下に消えた娘が「地国」に辿りついた事を信じていた。とすると、地球の周囲を覆う球殻状の構造物と考えるのが自然か。では大きさはどのくらいなのか。

球殻(=「地面」)の半径に関連する数字は多数登場するが、もっとも簡単に扱えるのは次の数字だろう。
「一万キロ落ちるまでにどれくらいの時間がかかる?それから、十八分角というと、距離にしていくらだ?」
「だいたい二十四分くらいだよ。十八分角は五十キロちょっとさ。」
上の記述から、この系ではコリオリ力よりも遠心力の方が圧倒的に大きいことがわかる。また別の箇所で重力よりも遠心力の方が7000倍大きいことが示されている。よって、この落下運動は遠心力のみによる等加速度運動と考えることが出来る。高校(中学だっけ?)物理を思い出してみると、以下の式があった。
[移動距離]= 1/2 ×[加速度]× [経過時間]2
ここに、1万キロと24分を代入すれば、遠心力による加速度、9.6m/s2が出てくる。おお、これはほぼ1Gではないか。どうやら、この世界、そもそも内側に住んで、そこに1Gの擬似重力を与えるものであったようだ。

さて、ではこの球殻の半径は?作中に、「地面」から見ると恒星が12日と14時間で回転するという記述がある。高校(中学?)物理によれば遠心力による加速度は
[加速度]= [半径]× [角速度]2 = [半径]× (2π/[回転周期])2
と書ける。上の数字を代入して、半径を計算すれば、結果 2.9×1011mが得られるわけだ。え?2.9×1011m?それは太陽地球間距離(1天文単位)の2倍ではないか。どうやらこの球殻、地球ではなく太陽の周りを取り巻いているようなのだ。確認のため飛び地の運動を計算してみても、中心質量が太陽のそれとほぼ同じであると出てくる。やはり中心は太陽らしい。そうか地面はダイソン球殻だったのか。確かに、星と飛び地は出てきても、月も、惑星も、太陽すらも出てこないもんな。これは文章だけで読み取れてもいい事実だよな。などと思いつつ、ストーリーを思い返してはたと気づく。中心が太陽じゃ地国なんてありえないじゃん。悲劇を書きながらも一抹の救いを残しているのかと思いきや、あるのは絶望だけとは。さすが小林泰三。

とまあ、こんな計算をしたわけです。

なお。それ以前に球殻の再生システムに殺されていること確実なのだから最初から救いなんて無いという説もあるが、それはまた別の話だ。

蛇足。この内側世界、地球の最高環境(赤道上)のピーク時(春・秋分の正午)に比べて単位時間単位面積あたり入射エネルギーが1/4になっている。それは暗すぎると思うかもしれない。しかし心配無用。この世界はずっと正午なのだ。地球赤道上、春・秋分の一日あたり平均入射エネルギーと比較するとπ/4程度。季節変動まで考慮すれば、ほぼ同等となるだろう。厳密に計算したわけではないが、2AUという数字は、年間平均の入射エネルギーが地球の赤道上と同等になるように設定したのではないだろうか。

7月23日
昨日の雑記を書いたあたりから、遠心力下で解放された物体の等速円運動系に対する運動は、本当に等加速度運動で近似してよいのかが気になり始めた。慣性系から見れば等速直線運動になるのに、大丈夫なのか。確かに、座標変換式はそれを要求するように思うが、いまひとつ直感的に納得がいかない。仕事中も気になってしかたがなかったので、昼休みに慣性系に基礎を置いて式を立ててみた。

結果、見事に円運動系から見ると等加速度運動(+コリオリ力による時間の3次の接線方向への運動)になった。テイラーの4次まで計算するだけでこんなきれいな結果が得られるとは。久しぶりに高校物理をやり直したみたいで、ちょっとすがすがしい20分だった。

今日の眼鏡さん。

帰りの電車で乗り合わせた化粧っ気の無い眼鏡さんが美人の方だったので得した気分。一瞬、降車駅まで着いていこうかと思ってしまったよ。< 眼鏡属性は無かったはずでは

7月24日
昨日の計算、自由落下開始からt秒後の位置を座標で記述して距離を計算するだけなんで、高校物理を学んだ人はやってみることをお薦めする。三角関数のテイラー展開成分が見事にキャンセルしていって感動的です。

大熊君からの宿題、今年上半期の海外SFベスト5。1月1日から6月30日で5作も選べというのはちょいと辛い。割と多めに数えても母集団が20作無いんすけど。

少ない選択肢の中から選んだのが以下の作品。選んでみるとそれなりに見えるなあ。
  1. 『90年代SF傑作選』
  2. 『フリーウェア』
  3. 『最果ての銀河船団』
  4. 『新ターミネーター2 未来からの潜入者』
  5. 『言の葉の樹』
期間の問題がやはり大きい。『ダイヤモンド・エイジ』も『グリーン・マーズ』も入らないというのでは、どうしても選択に窮屈さが出る。実際に選ぶかどうかは別として。また、海外SFに拘ったためファンタジーやホラーを視野に入れていないのもポイント。そこまで視野に入れれば『グロリアーナ』や『鳥姫伝』は確実に考慮対象に入ってきただろう。というわけで、年末に選ぶかもしれないベストは根本的に別物になっていると思っていただきたい。

なお、4位の『新T2』はわりと本気。どうにも物足りなさが残るのも事実だが、穴だらけの設定をなんとかつなごうとした努力は高く評価したい。それにほら、女性型ターミネーターもわりとツボだったし。……いや、別に人外萌えという訳では。いや。いや。

7月25日
職場でなにやらドラマの撮影があった。遠くの建屋に某有名女優が来ていると聞いたが、すぐ近くでも撮影があるという話だったので、わざわざ見にいくこともせず仕事をつづける。しばし後、仕事部屋から10mほどの場所で撮影開始と聞き、見物に。脇役の人だけの撮影でした。別に某有名女優にはなんの興味も無いのだが、そこはかとなく悔しいのはなぜだろう。

雪風ゲーム化。やはり、終盤のシナリオは、突然操作が出来なくなる恐怖と戦いつつプレイするわけか。しかも操作できないほうが強かったり。

とり・みき『DAI-HONYA 新装版』(早川書房)。見た感じ追加の類もなく、失敗したかなと思いつつ一縷の望みを抱いて旧版と見比べてみたら、情報量が減っていた。作者の意図した改訂なら仕方がないが。無くなった2ページのネタはわりと好きだったので残念。

ジム・クレイス『食糧棚』(白水社)。食物をめぐる64の断章。形式上は統一モチーフの短篇集といえるが、個々の短篇が短篇の形を成していないのが特徴。さりげなく始まり、終わるべくして、しかし唐突に終わる文章を、なんと呼ぶべきか今は判断がつかない。ただ、人生の断片を鮮やかに切り取る(本来、ショートショートに使われるキャッチフレーズだが)手並みに感心するのみ。人生を切り取る手並みに加えてすばらしいのが、時折漂うエロティシズム。チーズをこぼしたら服を脱がねばならないストリップ・フォンデュ・パーティーの顛末を描く「第三十二話」のエロさときたら。残念なのは後半の加速が急なこと。『見えない都市』をイメージしたということなので、幻想がエスカレートしていくのは当然なのだが、その緩急がいまひとつ。『見えない都市』が描く緩やかな螺旋に比べると美しさに欠ける。全体としてはまあまあ程度。「物語」に飽きているときにお薦め。

ジェラルド・カーシュ『壜の中の手記』(晶文社)も読了。こちらは来月末に話題を出すかも。異色作家短篇集の19巻(ウソ)。古めかしさの中に隠れた違和感が味か。とりあえず『幻想と怪奇』を喜んで読んだ手合いは読まねば嘘だろう。

7月26日
池袋で本屋の人と飲む。色々と説教されました。

本を買い込んだり読んだり。ジャン=リュック・エニグ『剽窃の弁明』読みはじめ。剽窃という文化の歴史そのものよりも表紙に驚いた。アルチンボルドって野菜人以外の絵もあったんだ。 < あたりまえ

7月27日
ジャン=リュック・エニグ『剽窃の弁明』(現代思潮新社)読了。「剽窃ははるか昔からつづく文学の伝統なのだ」「剽窃こそ文化を豊かにするものだ」「剽窃を断罪するのは本質において貧しいものだ」と、文学における剽窃の効用を謳いあげる剽窃賛歌。前半、剽窃と類似物との差異を述べ立てるあたりまでは楽しかったが、調子がまったくかわらないため、後半は飽きがきた。浮かれた文体に乗り切れなかったのが問題か。「文学史に現れるさまざまな剽窃」という例示の部分は悪くない。冒頭2章ほどを読んでみて、それがまったく同じ調子で一冊続くという想像に耐えられるのなら手を出してみてもいいだろう。

竹本泉『トランジスタにヴィーナス』4巻(MFコミックス)。みんなでキスしてました。いいなあ。 < なげやり
いや好きなんだけど。

昼遅くから幾人か人が来て柏ツアー。いつも行く店や行ったことがない店に入り、話を聞いたり話をしたりする。学生時代の思い出話とか大会とかセミナーとか。その後、うちの本棚をチェックされながら飲み。ひたすらCDをチェックし続ける向井君は正しくマサユキストだと思ったことだよ。

隅田川の花火を見物した人が合流したあたりで上野に向かいパセラでカラオケ。入力した番号と演奏される曲の関係が不定になるというなぞの症状に悩みつつ朝まで歌って柏に戻り寝る。

7月28日
昼前に起きだして上野へ。青木みやさんお誕生会ツアーに参加し、「アフガニスタン悠久の歴史展」を観る。地下の「石仏はこんなにひどい状態なんです」展示にはさほど感心しなかったが、上階の展示にはかなり感動。よく知らない中央アジア史について、こうして「古代ペルシャ」→「ギリシャ」→「仏教」→「中国」→「イスラム」という流れを具体的な「物」とともに見せられると強力な納得感があるというか。歴史と文化は不可分なのだとむりやり納得させる迫力があった。収獲。

その後、喫茶店をもとめてさまよったり、科博に魂を囚われた人々を眺めたりした後、焼肉屋へ。人の食欲の持つ圧倒的な迫力に感動しつつ、軽くカラオケをして帰宅。

先々週末から、10日連続でアルコールを摂取している事実に気づいたのでしばらく酒を控えようかなどと思ったことである。

7月29日
S-Fマガジン考課表8月号分公開しました。「すべての陸地ふたたび溢れいずるとき」は先月の「数理飛行士」と並んで暫定最高評価。現代の作品は何をやっているのか。
この考課表、母集団が少ない中で海外SFに偏りがちな人間が多いので、単純に平均点で比較してしまうと国内SFは辛いかも。是正を望む国内SFファンの方には、是非とも参加していただきたい。

さらに20世紀SF考課表に戴いた票を集計。html化が出来てないので公開はもう少しあとで。とりあえずトップ5と最下位は変動しなかった。「何時からおいでで」が5点というのはすばらしいと思います。> 大久保様

票を戴いてから二月近くたってしまった90年代の方はもうすこしだけまってください、お願いします。 > とりこ様

会社の夏休みが明けるまでには必ず。

セミナーレポートもなんとかするつもりです。きっとなんとかしますんで。> セミナースタッフの方々

嗚呼、宿題は溜まるばかり。 < だったら飲み歩かずになんとかしたらどうだ

7月30日
先日「2AUという数字は、年間平均の入射エネルギーが地球の赤道上と同等になるように設定したのではないだろうか」などと書いたことについて、情けない事実を再発見してしまう。1.8AUといえばダイソン球殻が地球の平均気温付近で熱平衡となる球殻半径ではないか。決定理由は概ね正しいにしても常識から自明のことを発見のように言い募っていたなんて恥かしい限り。もう少し基礎の雑学を勉強しようと思いましたとさ、まる。

7月31日
海へ行こぉ〜〜ぜぇ

というわけで名大SF研OB-MLで週末の海水浴への同行者を募る。また、男だけのむさくるしい集団で海に行くのかと思うと、一抹の悲しさはあるが。とりあえず火傷だけは回避するためオイルは忘れないようにしよう。

その他の海水浴の誘いも募集中。夏は海だよ、海。

MEIMU『キカイダー02』1〜3巻(角川コミックスA)読了。島本和彦の『スカルマン』、村枝賢一の『仮面ライダー SPIRITS』同様の石ノ森リメイク漫画。それぞれに自身の作風と石ノ森のそれとの距離に工夫のある三作だが、中でも最も石ノ森に忠実で、最も自分が強く出た作品となっている。テーマ、設定ともに実に原典に忠実なのに、どこからどうみてもMEIMUになっているのは、入り込むことを拒否するようなどこか歪んだ画風ゆえか、石ノ森もびっくりのオカルト趣味ゆえか。原典を完全に消化して自作としている点では理想的なリメイク作品といえる。ただ、アクション描写に難があるのはかなりの問題。島本和彦、村枝賢一という派手なアクションの使い手と比べてしまうとどうにも動きのつながりの無さが目立つ。これは変身ヒーロー物としては致命的になりかねない傷だ。作者もそれがわかっているのか、2巻では一度もキカイダーに変身しないという豪儀な演出をしているが、そればかりでは息切れするだろう。得意のホラーを離れたところでどこまで戦えるかが勝負か。

いやごと言って終わるのもなんなので美点も。設定の巧さ、その見せ方の巧さには驚かされる。特に青一色に変身したキカイダーが良心回路の暴走とともに内部構造剥き出しの赤の領域に侵されていく描写は圧巻。ここだけでも読んでおく価値はある。

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