過去の雑記 02年 8月上

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8月 1日
フレックスの力を限界まで使い、夕方西葛西にたどり着いて西葛西/SFオンライン/ユタ周辺の方々と江東区花火大会へ。「花火にはちょっとうるさい」ひとの解説を聞きつつのんびりと見物する。「裏」側から見ているためか、模様を描くタイプのものはいまひとつ。その分、低空の連続芸が総じてきれいだったので良しとしよう。風の調子が絶妙で良い花火だった。

花火見物の後、焼肉。多分、まんがとか、誕生日とか、30過ぎを信じるな(あと数ヶ月)の話をしていたように思うがよく覚えていない。楽しさのまま調子に乗って飲んでいたら限界を1杯ほど超えてしまったらしく、人の助けを借りるはめに。まだ一応きれいな堺邸に収容されて宴会の続きをおぼろげに眺める。あれだな、まだまだ心の傷は癒えてないという奴だな。< たぶん、違う

寝たまま、うわごとのように突っ込みを入れていたら、「カラオケ」という単語が聞こえてきたので、むりやり起きだして夜中のカラオケについて行く。朝まで歌っていたらどうにかワンテンポ遅れでリアクションが出来るところまで回復していた。カラオケ療法偉大なり。

早朝、それなりに元気になったところで帰宅。しかし本当にこのまま出社できるのか? > おれ

8月 2日
柏に帰りついたところで電池が切れたため、午前半休を要請するも、午後からは何とか出社。書類仕事中心に無難に作業をする。おお、仕事熱心だ。当然という説もあるが。

たなかのおと8/1の記述で、『食糧棚』の「さりげなく始まり、終わるべくして、しかし唐突に終わる文章」は超短編と呼ぶべきという示唆を受ける。それでASAHI Net 超々短編広場の作品をいくつか読んでみた。ふむ。確かに、この感じは『食糧棚』に似ている。クレイスのほうがもう少し長く、その分イメージの重量に差があるが。『食糧棚』は長い超短編なのかも。

MEIMU『キカイダー02』4巻(角川コミックスA)読了。豪快設定に拍車がかかっており喜ばしい。巨大01が崩れ落ちながらも焼き払えとばかりにビームを放つシーンには大笑いしてしまった。原典から大きく外れてきたストーリーをどう持っていくかは非常に興味深いところ。予想もつかないところに流れ着くと良いなあ。

岡崎二郎『アフター0 再編集版』1,2巻(小学館ビッグコミックス)読了。いまさら褒めても屋上屋を重ねるだけなので、とりあえず「良い」とだけ言っておいこう。

先週何度か悩まされたパセラの曲番混線の理由が判明。メーカー端末にキャッシュが残ってしまうという現象らしい。対策はカウンターに電話して該当機械のキャッシュをクリアしてもらうこと。なるほど。それはそれとして。パセラの客対応は思ったよりきめ細かいようだ。こんなバグ報告掲示板まであったとは。しかもバグ報告掲示板オフとかやってるし。恐るべしパセラ。

8月 3日
結局、他に賛同者が現れなかったので名大の先輩と3人で海へ行く。男三人、平均年齢30.3歳。色々と思うところが現れそうだったので、全力で考えないようにする。

主に僕が遅刻したことにより、合流に苦労したりはしたものの、どうにか二宮・袖ヶ浦海水浴場に到着。ついてみると、これがなかなか豪儀な海水浴場だった、海の家はない、売店も無い、更衣室も原則無い(近所の市民プールの更衣室は借りられる)、というシンプルな設備。砂浜の大半が石浜、海に入るといきなり急傾斜という微妙な地形。彼女とちょいと遠出の海水浴なんて客には向いてなさそう。実際、客の大半は、地元の家族連れだった。ただ、辛いばかりかというとそうでもない。浜の半分が高架の影になるため日差しをさほど気にしなくて済むし、浜から10メートル離れれば足がつかなくなるというのもばりばり泳ぐには最適。着替えもシャワーも無料、100円払えばプールで潮抜きも可能という費用の安さも魅力。なにより8月頭の土曜だというのに、問題なく泳げるという空き具合がすばらしい。ごみさえ片付ければバーベキューもありみたいなので、サークル旅行には向いているのでは。

ちなみにわれわれは、ひと泳ぎしてからビールをかっくらってだらだらと浜を見守ってました。ビーチバレー → 水泳 → バーベキュー → パフォーマンス → 波に逆らっていつまで正座できるかゲーム → 二人三脚スイカ割り と青春の海を堪能しきっていた高校生だか大学生だかの男女混合の集団が楽しそうだったよ。

帰り道、細木さんが離脱してしまったので、松野さんだけ引きずって夕方からユタ。参加者は大森望、堺三保、志村弘之、高橋良平、林、松野正暖、宮崎恵彦(あいうえお順、敬称略)。主な話題はオーストラリアのSFコンベンション、共同で呼ぶと安い、コミケ参加者は増えているのか、すべては架空戦記、最高の映画(限定条件付)、認識の歪み、など。シモンズを海外SFレビューで取り上げたことについて「あれは架空戦記だから」と寝ぼけた言い訳をしてみたら、じゃああれも架空戦記か、これも架空戦記かとさんざんつっこまれて参ったことだったよ。

あさりよしとお『まんがサイエンス VIII ロボットの来た道』(学研ノーラコミックスデラックス)読了。良い話だけど良い話にすぎるような印象が拭えない。もう一段の毒がなあ。

安達哲『バカ姉弟』(講談社KCDX)。町中みなに育てられ快活に生きる幼児二人。背景にはかなりの陰があるはずなのだが、作中では強い光で消してある。「あの」安達哲だからこそ、と後ろを読んでしまうのは正しくない読み方か、な。

8月 4日
スティーヴン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』(白水社)。架空のホテル王、マーティン・ドレスラーの栄光と挫折。ミルハウザーなのに実業物というのにまず驚く。作者らしい精緻さもあるけど実業物だとやはりごつくなるなあと、やや残念に思いながら読んでいたら、最後に再び驚かされた。なぜ、そこで、そうなる。いやはや。ミルハウザーファンの方、安心して欲しい。最後はやはりミルハウザーだ。地上30階、地下13階の究極のホテルに詰め込まれた幻想の数々。この執拗な精緻さ、精緻な執拗さこそミルハウザー。あー、でも全体としてはあまりバランスがよくないか。全体なんて部分に奉仕するものに過ぎないんだから(←暴論)別にいいけど。

夕方、部屋を出て名古屋へ。わざわざ夜遅めに着くようにしたというのに、姪っ子(5歳と4歳?)がふたりとも起きていたのは計算違い。あまりに嬉しそうにしているので、しかたなく5分ほど(姪で)遊んだ。子供許容量の1年分を消費したような。姪の相手をしただけで「あんたがそんなことできるなんて」と愕然とするくらいなら、「帰ってきたら遊んでもらおうね」と子供に吹き込むのを止めてくれ。> 姉その三

8月 5日
姪が保育園に行ってから目を覚まし、しばらくデータ整理をした後、彼女らが保育園から戻る直前に家を出て池下三洋堂へ。ここ数年ですっかりただの本屋になってしまった杁中三洋堂にくらべ、池下三洋堂のなんと変わらないことか。若干、書棚が減っている印象もあるが、少ないながらも的を射た文芸・コミックのラインナップは健在。近所にあって欲しい本屋は、ただでかいものではなく、こういうツボにはまる本屋なのだよな。成年コミックをレジの直前に置く配置はいかがなものかと思うが。

つづいて本山ヴィレッジ・ヴァンガードへ。こちらは、しばらくこないうちにまた商品層が変わっている。っつーか、本屋か?これ。もともと書籍の棚は多いとはいえなかったが、一層縮小し、今や雑貨がメインとしか思えない状態に。VVはあくまで本屋だからこそ、面白いのだと思うがなあ。雑貨のセンスはそこそこ好みなだけに惜しい。

さらに刻一刻と変化しつつある本山・山手の町並みを眺めつつ名大へ。部室で浅井R(10)と合流しようと思ったら鍵番号を忘れていることに気づいたり。しかたがないので工学部に出向き、顧問の先生としばし立ち話。ファンダムな人は色々と大変だなあ(他人事)。

結局、部室ではなく北部生協前で浅井Rと合流し、せらへ。いつものように原酒を酌み交わしつつ浅井のSF論を聴く。楽しい。

8月 6日
昼過ぎに家を出て金山の名古屋ボストン美術館へ。まずは特設展のミレー展を見学。会場は閑散とするでもなく行列が出来るでも無くという鑑賞に適した込み具合。のんびりと絵を鑑賞できた。あー、絵の観方ってのは正直よくわからないんだけど、光の表現のきれいな画家だなあ、と思ったことだよ。

そのまま上にあがり常設展、「古代地中海世界の美術」を観る。エジプト、ギリシャ、ローマの美術を年代別にまとめて展示したもの。先日観た、アフガニスタン展の内容と照らし合わせると文化の流れが見えてくるようで楽しい。中で目を惹いたのはやはりギリシャ時代の像。何もそうまでという写実と理想美の追求には舌を巻かざるを得ないというか。この方向性だけが美というわけでもなかろうけど、これは確かに美の一つだろうなと有無を言わさず納得させる力がある。さすがだ。

美術館を出て軽く休憩するうちに海が見たくなったので、そのまま名古屋港へ。名港水族館を含むガーデン埠頭一帯はいつのまにか完全にデートスポットになっていたようで、そこかしこにカップルの姿があふれている。というか、それしかない。ポートビルと水族館をつなぐ橋など、一面、愛を無邪気に語る落書きだらけになっているのだが、それが微笑ましく感じられるてしまうのだから、それしかないパワーは恐ろしい。

でもまあ、よくしたもので中には独り身でいることを許してくれそうな場所もあったので、カップル様のお目汚しにならないように気をつけながらぼーっと海を眺める。この、油と薬品と潮の匂いの中に佇んでいると、帰ってきたことを実感する。

実感するのに飽きたところで、名港ヴィレッジ・ヴァンガードへ。本山店とは違い、ここはまだ書店。雑貨もあくまで本を強調するように、あるいは互いに協調しあうようにおかれ、全体が一つの空気の中にまとまっている。名古屋のVVでは一番のお薦めだな。

さすがにデートコースをひとりで歩くのにも飽きてきたので浅井Rを栄まで呼び出しつつ上前津で古本屋チェック。両海星堂はいまひとつだったが、三松堂は在庫が大きく回復している様子。回転ケースの青背の並びも、銀背・サンリオもここ5年では一番充実しているという感じだ。特に銀背の『クリスマス・イブ』『宇宙人フライデイ』という並びにはちょいと感心してしまった。どっちも5000円なんで買わなかったけど。

クリスタル広場で浅井Rと合流し、テレビ塔付近の新参おたくスポットを教えてもらう。YS、まんだらけ、とらのあなが視界内に並ぶってのはかなり嫌な光景かも。とりあえず縁起物なのでとらのあなに入ってみたが、そこで完全おたく兵装(バンダナ、めがね、ミリタリー調ジャケット、Tシャツ、リュック、ベルトポーチ、肉)の人を見てしまい、ちょっと暗い気分に。しまった、あのTシャツ持っている。

栄で飯を食おうとしばらく歩いてはみたもののこれといった店が無かったので、池下まで移動してCoCo壱でカレー。ついでに池下BOOK OFFをのぞき、ひらのあゆ『星のズンダコタ』1,2巻(雑草社)を買ったりしつつ帰宅。

『星のズンダコタ』は大変に面白かったことです。

8月 7日
名古屋の酷暑に耐え切れず、柏へ戻る。東京駅のホームに着いたときには気温の差を実感してしまった。なんて涼しいんだ、関東。やはり、あれだな。たかが関東の夏ごときで暑いなんぞとほざく奴は一月、名古屋か京都に放り込んでおくべきだな。

とはいえ、それなりに暑いもんは暑い。何かをやる気の起ころうはずも無いので、諦めてまんがを読んだり、本を読み返したり、ビールを流し込んだり、寝たりする。夏休みだ。人と会話を交わしてないあたりも含め。

まんがをいくつか。

島本和彦『吼えろペン』5巻(小学館サンデーGXコミックス)。3,4巻も読んでないのに突然。1,2巻には違和感があったが、かなりのれるようになってきた。読む呼吸がつかめてきたのかも。とりあえず「つかみそこねていた夢」がすばらしすぎ。

内藤泰弘『トライガン・マキシマム』7巻(少年画報社YKコミックス)。移民船の真実編。保険会社のねーちゃんたちが出てこないのが寂しい。

竹本泉『ねこめ〜わく …ようやく』(宙出版ミッシィコミックスDX)。新飛行士登場の巻。百合子様とヘンリヒの関係は竹本泉作品でも屈指のすばらしさである。

実家でつい手にとってしまった高橋源一郎二台の壊れたロボットのための愛と哀しみに満ちた世界文学 惑星P-13の秘密』(角川文庫)を繰り返し眺める。何度読み返しても飽きることの無い、あざとさに満ちた傑作。一見まるわかりの狙い、どうしようもない軽薄さ、あからさまなパロディなど、どこをとっても文句のつけどころの無いすばらしい空虚。ジャコモ・ジロラモ・カサノヴァ・ディ・サインガルトの作品紹介を読めば断片から物語を再構築するなどという行為が無為なものであると思い知るはず。シリーズ長篇の平穏に飽いたときのため、常に座右に置きたい名著だ。

8月 8日
昼過ぎにのろのろと起きだし、不動産屋で契約の更新。とりあえず、あと2年は柏だ。引越し事由の発生の当てもなくなったし。

柏にさほどの不満は無いのだが、海から遠いのだけは残念だ。呆然としたときに、ふらっと海まで「歩いて」いけるというのは個人的には大きな価値なんだよね。その点、西葛西は良かった。あと、夏の宵にふと、なまぐさい潮風が吹いてきたりしないのも辛いところ。そんなわけで、柏の居住環境改善のため、東京23区あたりを海に沈めること希望。 < おい

海の近くという点では川崎、横浜にも憧れなくも無いのだが、海が不条理な方向にあるという致命的な欠点が。海は南にあるのが道理というものだろう。山が北、海が南、川は南北、大道は東西という東海道の基本形からずれた都市だと、どうも方向感覚が狂って困るのだよな。そんなわけで横浜は鎌倉を掘り起こした土で東京湾を埋め立てるべきだと思うのだが、どうか。

目黒三吉(原作:奥瀬サキ)『低俗霊DAYDREAM』2,3巻(角川コミックスA)読了。1巻の時点では「鈍っている」と思ったのだが、巻を重ねている間に砥げていた。舞台が舞台なんで都会の闇だかなんだかという言葉に回収されそうなんだけど、これはただ「人がある」という話のように思う。多分、人がいるのならどこでもそうなのだろう。都会の常識が(場合によっては都内の常識が)どこでも通用するというのが思い上がりであるように、都会が特別だってのもそれはそれで思い上がりだ。

#名古屋の地形上の要請から来る常識を押し付けるのは思い上がりでないのか?
##それは宇宙の真理なのでだいじゃうぶ。

8月 9日
結局、誰も賛同してくれなかったので映画には行かず部屋に籠もって一日過ごす。< 嫌われてんだって

今日の美人さん。昼飯によったKFCで隣に並んでいた眼鏡さんが黒髪ナチュラルメイクのきりりとした美人さんでした。最近の観察により、どうやら自分は黒髪でまゆげが太く化粧っ気の無いタイプに弱いらしいと判明。次の課題はこの知見を何かに反映するところなのだろうが、いかんせんそれには「面倒だ」という大きな壁が立ちふさがっているのだった。

っつーか、自分がどんなタイプに弱いかという情報は明文化して何かの役に立つのか?

8月10日
ミズウミ電報&とりイカ掲示板のNo.264-265あたりに触発されたネタなんだけど、くどくなりそうなのでここで。

蜘蛛は虫ですね。昆虫じゃないけど。昆虫は虫だけど、虫がすべて昆虫ではないというのがポイントではないかと。ただ、じゃあ、虫って何?となるとこれは難しい。かの博物学の鬼才(笑)、別役実ですら試行錯誤の挙句「虫は虫である」という結論になってしまったのだから、素人が安易に手出しして良いテーマではないのかも。「本草学で、人類・獣類・鳥類・魚介以外の小動物の総称」というあたりで手を打っておくのが無難か。

と、終わってしまえばくどくはならないのだが、敢えて続きを。上の定義だと昆虫以外の節足動物は当然として、蛭(ひる)、蚯蚓(みみず)などの環形動物、蝸牛(かたつむり)などの軟体動物、果ては蛙(かえる)や蜥蜴(とかげ)や蛇(へび)などの両棲綱、爬虫綱の生物まで虫に……ぜんぶ虫偏のついた動物だなあ。というわけで漢字表記に根拠を求めると上のおおざっぱな定義でもそれなりの説得力をもってしまうのだった。だいたい虫の字は蛇を象った象形文字なんだから爬虫綱の小動物が虫なのは当然とすら言えるのか。やまと言葉でも蛇の異称に長虫ってのがあるし。でも今、蛇や蛙を見て「虫」と思うかというとそんなことはないような。現在の言語感覚に忠実に定義するなら、せめて脊椎動物は外すほうが妥当そう。てなわけで、「脊椎動物門以外の動物に対する総称」と……、タコやイカや貝が虫かと真顔で聞かれると答えにくいな。ああ……。「虫は虫である」ってことで。ひとつどうか。

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