過去の雑記 07年 8月

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8月 6日
 「アニメギガ・スペシャル とことん!押井守」の「一発貫太くん/ゼンダマン/ダロス」をつまみ観る。押井アニメ文脈ではあまり見ない、ある意味濃度の高いラインナップ。 貫太くんは、「貫太くん」としての懐かしさはともかく、それ以外に面白いところはなく。ゼンダマンもまあ、ゼンダマンだ。お約束がヤッターマンより多すぎ、お約束のこなれ具合がオタスケマンに劣るのがネックなんだろう。中途半端な印象が強い。「ダロス」は退屈さに途中、録画していたゲキレンジャーに浮気したりしながら、冒頭十数分と終盤数分、それにインタビューを視聴。
 インタビューの「ダロス」が方向性がまったく異なる二人による二人監督制だったという話が面白すぎる。互いに、相手がいないところで勝手に演出を変えていたとか。伝統的なアニメ指向で派手な色使いの鳥海監督と、リアリズムを追求する暗い色使いの押井監督に挟まれ色指定の人がヒステリーをおこしたとか。

8月 7日
 ノベライズの前日譚(ゴースト・オブ・イエスタデイ)をレビューするため映画版「トランスフォーマー」を観にいってきた。

 嘘。単に観たかっただけ。

 感想は。ええと、なんか、ねえ。

 面白くなかったわけじゃない。序盤、カタールでの無駄に細かい航空支援描写は楽しかったし、ベタで下品なギャグも作品の身の丈にあっていて良かったと思う。なにより、ディティールや名前は違っても、バンブルがバンブルだったり、コンボイ司令官がコンボイ司令官だったりするのは大変に嬉しく、懐かしかった。

 でも、だからといって、情報処理屋パートのいらなさ具合やフレンジー以外のデストロンのキャラの立ってなさが救われるわけじゃない。もちろん、クライマックスの戦闘シーンの退屈さも。アクション映画で、ラストバトルが最も退屈というのはまずくないか。

 アニメ版のトランスフォーマーを観てきた世代の回顧映画としては十分以上に機能していたが、それを超えるところが足りなさすぎる気が。なんとも言葉に困る。ってか、この主人公はさすがにダメだろう。

 スピンオフじゃない方のノベライズも今日読み終えた。信号の専門家登場パートが付け加えられていたり、曽祖父のエピソードが、イントロにまとめられていたりと、細部に違いはあるがほとんどは映画と同じ。若干、人間側のキャラクター描写が厚くなっている気がするが、気のせいかも。リアル風の現代描写と、エネルゴン・キューブだのセイバートロン星だのといった脳天気用語とのギャップが、映画版の二桁増しになっているのは、小説というメディアの特性ゆえか。
 基本的に、映画を観たなら必要ない類の代物ではあるが、訳語がアニメ版トランスフォーマーの日本側にあわせてあるのは大きな飛び道具。トランスフォーマー直撃世代なら、買わずにいられない。

 かも。

 (蛇足)スタースクリームが、メガトロンのことを「メガトロン卿」と呼ぶ場面は気になった。そこは「メガトロン様」だろう。「サイバトロン戦士、アターーーーック!」がなかったのも残念すぎる。
#英語版の"Autobots, roll out!"の訳、「オートボット……出発!」はある。でも、それじゃダメなんだ。

8月 8日
 たいした話じゃないんだけど。

 wikipediaの、デストロンサイバトロンそれぞれの項を見て、英語版だと旧シリーズとビーストウォーズで組織名が違うという事実を知り、たいそう驚いた。

 驚いたといえば、恥ずかしながらその存在を知らなかったので「キスぷれ」の項にもびっくり。萌え+TFって。

 ついでに検索していたら、こんなエントリを発見。Ravageは日本語版のジャガー。旧シリーズでは、サウンドウェーブの胸から発進するカセットロンの1体。あのけだものも、ついに車に出世か。しかし、トランスフォーマーの場合、同じ名前であることってのはどういう意味があるんだろう。ロボット態も、変形態もどんどん変わっていくのに。

8月 9日
 なんとなく「エル・カザド」のアミーゴタコスの歌詞で検索したら作詞者のページにたどり着いた。あの歌は、シリーズ構成の人が作ってたのだね。

しかし、
なんと現在、『アニメロミックス』にて、着ボイス配信中。ナディver.とエリスver.の2種類。
とは。アニメ音楽業界はなんでも売るなあ。

8月10日
 鈴木志保『ちむちむ☆パレード』(秋田書店)を読んだ。アシカの煙草とコーヒーと、まり太と彼のぬいぐるみ達が繰り広げる静かで賑やかなパレード。あまりにも鈴木志保らしい、かわいらしく観念的で切ないファンタジー。ストーリー漫画の文法からは少々離れているので、彼女の漫画への初挑戦としては薦め難い。できれば多少はわかりやすい『船を建てる』を読んでから。

 シナリオ・樋口達人+吉野弘幸、画・佐藤健悦『舞-乙HiME 嵐』(少年チャンピオンコミックス)も読んだ。いや、つい一時の気の迷いで。物語終了後の番外編。アニメではなく(当然)漫画版準拠なんで、キャラの生死がいろいろ変わってます。中は、修繕費がかさんだため学園がアルタイに差し押さえられる話と、温泉話&風呂話。まあ、なんだ。書いている方が楽しげなのは良いことだ。

 さらに映画のスピンオフ小説、TF GOYも読み中。バンブルの一人称が「おいら」だったり、スタースクリームが無駄に企んでたり、コンボイ司令官が、「わたしにいい考えがある」といってくれたり、キャラクター描写では満足度が高いのだけど、途中、狭量なSFファンにはちょっと許容しがたい記述が。
「ゴースト一号がどれくらいの速度を出せるか、われわれだってわかっている。一光年の半分もないんだぞ」
 って、21世紀にもなってそれは。

8月11日
 長期休暇の第1日。朝一の回で、劇場版 電王&ゲキレンジャーを観る。朝だからか、劇場はガラガラ。僕ら以外は、親子連れが2、3組と中学生女子の4人組がいたくらい。中学生女子集団は謎だったが。

 ゲキレンジャーは、お祭りカンフー映画に徹していてなかなか。ストーリーの粗がどうこういう映画じゃないだろうし。なんども画面に入ってくるブルース・リー像だけで笑えたのでよし。
 電王は、こちらも大盤振る舞いのお祭り映像。思わせぶりに登場した「神の列車」がろくに役に立ってないのはどうかと思うが、ラスボスってのはそういうものかも。

 夕方まで仕事するふりをした後、有志をさそって酒飲みながらの押井映画鑑賞。アニメ映画を観るためにひとを呼び出しておきながら14インチテレビというあたりに人々は衝撃を受けていた模様。「14インチなんてまだあったんだ」という声も。いや、別に、これでもなんとかなりますよ?テレビデオが、しかも2台もあるというのもインパクトがあったようだ。

 事前に一部メンバーと近所のビール屋に飲みに行っていたのがまずかったか、ハイピッチでウォッカを呷ったのがまずかったか、ビューティフル・ドリーマーが終わり、アヴァロンにさしかかったあたりで睡魔がおそってきたので、早々と轟沈。起きたらイノセンスが終わってました。だめじゃん、それ。途中、深上さんひとりが起きていた時間帯も長かったようで大変、申し訳ないことをした。ってか、酒が減ってねえ。

 アニメ夜話とビューティフル・ドリーマーを観ながら突っ込みを入れ続けるのは楽しかったので、またいつかやりたいものです。そのときには、テレビを大きいのにせんとさぁが、まずいかな。

 しかし、「ビューティフル・ドリーマー」ってこういう映画だったのか。初めて全体を観たよ。 ←30代男性おたくにあるまじき発言

8月12日
本を読んだり、原稿を書いたりしているうちに夕となり朝となった。第2日である。

8月13日
 なんとか原稿を送ることに成功。土曜日中に読み終えて、日曜日中に書き上げるという予定がまるごと一日ずれた件については、今後の検討課題としたい。

 今回は、ティプトリー、シェイ&ウィルスン、TFスピンオフ小説、リンクというラインナップなのだが、一番力を入れたのは(そうは見えないと思うけど)TF。「文章とともに脳裏に蘇る鈴置洋孝の声」という表現をさんざん悩んだ末に削り、「文章とともに蘇るコンボイやスタースクリームの声」としたことについては、われながら覚悟が足りないと思っている。

 TFスピンオフ小説は、メガトロン不在ということもあり、スタースクリームがへたれに大活躍するので、G1ファンにはお勧めだ。これで、サウンドウェーブと争ってくれれば。ブラックアウトやバリケードじゃ、やはり役者不足だろう。

 いや、別にそんなにTFに思い入れがあるわけでも。

 Webから。あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキが面白かったのでメモ。タイトルどおり、さまざまな作品の登場人物が『ゼロの使い魔』の使い魔として召還されたらというパロディ集。2ch アニメ板のスレッドをまとめたものである模様。逃避途中に読んでみたが、これでなかなか。「糸色望の使い魔」「宵闇の使い魔」あたりが個人的なツボ。

8月14日
 長期休暇4日目。ベランダ前の窓の横にタオルケットを敷いてその上で本を読んでいたら5分で寝入ってしまって1時間消費。もったいないことをした。
 とりあえず漫画を1冊読んだものの、まだまだノルマは多い。SFM1.5冊と、アニメ7本、それに漫画10冊くらいは片付けておきたいが。
 それはそれとして上野で1時間くらい歌おうかなあ。

 と、mixiで書いていたら同意者があらわれたので、本当に上野でカラオケ。1.5時間歌って即解散という実に質実剛健なカラオケであった。でも、歌いたかったものは一通り歌えたんで満足度高し。おつきあいいただいたモりやまさん、ありがとう。

 ところで。カラオケに向かう途中立ち寄ったイエローサブマリンで奇妙なものを見つけた。そこは、コレクションフィギュアやカプセルトイのばら売りコーナーで、美少女やロボットの類が袋詰めになっていくつもならんでいるのだが、ひとつその場の違和感を一手に引き受けているものがある。ぱっと観は大きなペンギンだ。ずっしりと質量感のありそうな大型のペンギン。しかし、顔がない。正確には、くちばしの辺りでまるく切り抜かれている。これは、ペンギンのきぐるみだ。しかも、中の人がいない。見覚えのあるデザインから、アイマスXenoのフィギュアであることは見当がついたので探してみたら、ぴったり入りそうなキャラがいた。どうやら、そのキャラに着せて楽しむものらしい。

 しかし。

 単体でまったく意味を持たない代物が、シークレットというのはどうなんだ(このペンギンを引いてしまった人のblogエントリ)。

 カラオケの帰りに寄った上野のまんがの森で、カレンが表紙のコードギアス物エロ同人を見つけた。それ自体は特にどうということはないのだが、タイトルが。曰く、「買うてきます」。

こうてきます
こうてきあす
こうどぎあす
コードギアス

……ああ。あまりの脱力タイトルについ買っちゃったじゃないか、どうしてくれる。

中身は、捕まったカレンが尋問受けてどうこうという50万人くらいが考えてそうな奴でした。

8月15日
栗山千明にやって欲しい役として、クリステラ・レビというのはどうだろう。

と某所で書いたら「うーん、クリステラ・レビって頭良さそうだからなあ」と突っ込まれた。

あれ?ぼく、なんか失礼なことかいてます?

8月16日
 太田記念美術館の「AYAKASHI 江戸の怪し」という妖怪、妖術師などの登場する浮世絵を特集した展示を観にいく。著名妖怪こそ少ないが、渡辺綱と羅生門の鬼や卜部季武とうぶめなどの名場面はきちんと押さえられているし、珍しい滑稽物も楽しめる。渡辺綱が鬼の見世物で木戸銭を取っていたり、スサノオが大蛇で蒲焼を作っていたり。これは観に来て正解。掛け軸用に畳の間がある美術館のつくりも楽しかった。

 さらに、Bunkamura ミュージアムの「ルドンの黒」も観にいく。ポスターなどでは、黒い頭から蜘蛛の足が生えた異形の生物ばかりが目立っていたので、そういった作品がならぶのかと思っていたら、もっと普通だった。どことなく虚ろな(あるいは憑かれたような)目をした人物画が中心で、悪くはないが期待ほどではないといった感。ただ劇場内で流れていた、ルドン作品を無理やりアニメーションにした映像は良かった。

SFM07年 4月号。特集は、06年度分『読みたい』ベストの上位作家競作。

飛浩隆「蜜柑」(『空の園丁(仮)』第二部冒頭より)
 二年ぶりの《廃園の天使》2巻からの抜粋、ということはまだ当分完成しないのか。出ない間に『ラギッド・ガール』が掲載されてシリーズ全体の見通しがよくなったのは、良かったんだかなんだか。てなわけで、今回は「ラギッド・ガール」と直接つながっていそうなエピソード。残酷な官能の美しさはあいかわらずだが、そろそろ『空の園丁(仮)』を通して読みたいという気分が強く。蜜柑で、未完とかではなくですね。

ジーン・ウルフ「迷える巡礼」
 時間旅行時のトラブルで記憶の一部を失ってしまった「巡礼」。彼は、残った「船に乗るはず」という記憶を元に、神話の英雄たちの乗る船に乗り込むが。外枠は時間物になっているが、神話的人物たちが大挙登場する活劇の面が目立つ。「巡礼」の本来の目的は、という謎は、物語中でちゃんと明かされるので構えなくても大丈夫。ウルフ作品としてはかなりわかりやすい方。

山本弘「七パーセントのテンムー」
 脳研究の進展により発見されたI因子は、自意識を司る器官だった。では、人類の七パーセントを占めるI因子を持たない人々は、自意識を持たないのだろうか。SF設定により「人間とは何か」を問い直すイーガン系の短篇。かなり複雑な設定を短い尺に詰め込んでいるため、設定紹介パートの占有率はかなり高いが、意外と気にならない。ネットのフレーマーを揶揄したあたりは地声が透けて、いささか下品に感じたが、着地点はいたって穏当。きれいにまとまっている。

小川一水「千歳の坂も」
 事実上の不死が実現されようという世界でそれを拒む老女。政府の役人である主人公は、彼女の目的を知るため、その消息を追い続ける。前号のドクトロウも大概だったが、こちらも話のテンポアップが急。この手の指数関数的に世界が広がる感覚は、SF読みの醍醐味だ。これでエピソードのつながりがもう少し滑らかなら、手放しで絶賛するんだが。

チャールズ・ストロス「ローグ・ファーム」
 ある日、農場の裏に住み着いた集団知性。農場主は、彼らを追っ払うために奔走する。解説にもあるが、舞台は《フェスティヴァル》(@『シンギュラリティ・スカイ』)に襲われた後の田舎惑星のよう。異様な状況と、そのわりには静かな空気のアンバランスは楽しい。ただ、ちょっと地味に過ぎる気も。

林譲治「大使の孤独」
 異星種族とのコンタクトの過程で起きた殺人事件の真相は。事件の背景にある科学的な問題を解き明かす、いつもの《AADD》もの。そんなわけで、いつものとおり。

読み切り以外では、SF Magazine Galleryの中川悠京のイラストがかわいらしくて良かった。

8月17日
今日の成果。

それなりに進みはしたが、まだまだだなあ。

 資料として引っ張り出していた本をしまおうと書庫の扉を開けようとしたら、一面に水滴が。昨日までの熱気で温まっていた空気が、今日の夜気で一気に冷えたらしい。カビが怖いので、現在換気中。入り口付近はなんとかなりそうだけど、奥はどうだろう。やはり扇風機を準備すべきか。

 夜中からカラオケ。「さらばとは言わない(We'll Never Say Good-bye)」と「Happily ever after」が歌えたので、たいへん満足です。あ、でも、結局アニソンじゃない筋少は歌い損ねた。
#アニソンを歌うのに忙しかったから。

 徹夜カラオケの途中、千葉県北東部で震度5弱というニュースにその場が沸き立った(主に帰りの足の心配)わけだが。千葉県北西部にある我が家の被害は、洗面台に飾っているアポロガイストのカプセルフィギュアが倒れただけでした。東京23区や横浜でも震度2だというのに、より震源に近くて震度1というのは、さすが下総台地。

8月18日
 昼過ぎに起きだしてコミケへ。到着が午後3時半近くというのは遅すぎるかと思ったら案の定。すでに1/3近くが撤収してましたとさ。机の上に積み上げられた椅子の数々をみただけでやる気を失ったんで、SF島・特撮島以外は見物すらせず。会場にいたfuchi-koma君としばらく話をしただけで切り上げて撤収。収穫は、STREET.MASTER.DRAGONSのファンタジー系資料(「ヨーロッパの祭り」)と、東洋大のハヤカワ文庫SF年鑑06年のみ。行く意味はあったんだろうか。

 途中ビアホール行きなどを挟みつつ、夕方から元ユタ。今日の参加者は井手聡司、SF人妻、大森望、小浜徹也、堺三保、雑破業、添野知生、タカアキラ ウ、高橋良平、林、牧みいめ、三村美衣、宮崎恵彦、柳下毅一郎、山本和人と15人の大所帯。

 主な話題は、コミケの収穫、東京と大回り、三省堂のSFイベント、重なるパーティー、ワールドコンの企画、Penのコミック特集の適当さ、電王映画、『ウォー・サーフ』、8・9月の新刊、締切に遅れて良いのは20年書いてから、最初の原稿、WEVANGELIWON、ライス国務長官のファーストネームは、普通覚えている(歴代総理大臣、歴代天皇、山手線、藤原氏の系図、etc)、自転車乗りとの別れ際、この夏お奨めのSF8作(というファンジン)、県庁がないのに県と同じ名前の市、規格案:SF研を訪ねて、新歓さんいらっしゃい、花の新歓カンピューター作戦、タカアキラ邸に部室ノートを、タニス・リーのすごい小説。あるいは天使とはなにか、ケロッグのシリアルはいまディスカバリー・チャンネルのお試しDVD付き、など。

8月19日
 来週末のイベントの予約をしようと神保町の三省堂に寄って、まあ1冊くらいは買ってやろうかね(←偉そう)と新刊棚を眺めていたら、ハリポタ系児童書ファンタジーの棚に、宇宙海賊がどうこうという本があった。「ああ、いくら帯にファンタジーとあってもさすがにこれは僕の担当だよなあ。まあ、イベントへのご祝儀だと思って買っていくか」覚悟を決めてレジにもっていく途中、著者の名前に見覚えがあることに気づいた。あれ?リーヴ。リーヴ。なんだっけ、えーと。

 『移動都市』を書いたフィリップ・リーヴでした。なるほど、それは見覚えがあって当然だ。ものはフィリップ・リーヴ『ラークライト 伝説の宇宙海賊』(松山美保・訳/1800円(税別)/理論社)。完全にジュヴナイルのようではあるけど、冒頭は少なくとも面白そう。

SFM07年 5月号。異色作家特集の前半で、中村融監修による英米SF篇。

マイクル・ビショップ「合作」
 双頭の青年のそれぞれの頭が合作した自伝。悪くはないのだが、オールディスの『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』と比較してしまうと見劣りがする。

ハーヴェイ・ジェイコブズ「バラと手袋」
 どんなものでも蒐集する癖のあった子供の頃の友人。彼にわたしたオートバイの玩具が急に欲しくなった主人公は、20年ぶりに彼と会う約束をするが。奇妙な論理を持つ人物と出会う、いかにも異色作家短篇的(という表現も変だけど)な作品。「すべての蒐集物を集めた倉庫」に魔力を感じられないのは残念だが、奇妙な人物と対峙する緊迫感はすばらしくよく描けている。

J・G・バラード「認識」
 田舎町にやってきた、小さな、そして奇妙なサーカス。彼らが運んできた檻の中にいたものは。どうも読み損ねたらしく、ラストがいまひとつわからなかった。全体の味わいは、どう見てもブラッドベリ。

チャールズ・ボーモント「ウィリー・ワシントンの犯罪」
 無実の罪で死刑判決を受けた黒人青年。彼の揺るがぬ信仰は、ひとつの奇跡を呼び込むが。それ、どこのO・ヘンリー?人生の皮肉と、本物の信仰の毅さがブレンドされた「よくできた」短篇。

 特集の小説外では、クリストファー・コンロン「カリフォルニアの魔術師たち」が大変興味深い。ボーモントとウィリアム・F・ノーランを中心とし、小説だけでなくミステリーゾーンやスタートレックなどの脚本も多数生み出したカリフォルニア在住の作家・脚本家サークルの盛衰をまとめたエッセイ。東部のフューチュリアンの話はたまにみかけるが、ブラッドベリやマティスン、エリスンまで含むこちらのグループのことは恥ずかしながら知らなかった。創作集団としての切磋琢磨にも感じ入るところはあるが、それ以上につるんで遊んでいる様子が楽しそうで羨ましくなる。

 特集以外では、第2回日本SF評論賞受賞作発表と、選考会まとめ、優秀作のうち1本(礒部剛喜「国民の創成――〈第三次世界大戦〉後における〈宇宙の戦士〉再読」)を掲載。掲載された評論は、『宇宙の戦士』の思想は反共的ではあってもファシスト的ではなく、あくまで自由意思を尊重し、対話による平和を模索するものであったと主張する。『宇宙の戦士』よりもむしろ、『人形つかい』とUFO現象学の関係の方が気になった。4月号掲載の「デッド・フューチャーReMix」にあったE・F・ラッセルに対するチャールズ・フォートの影響なんかも含め、SFとUFO現象学の関係を体系的に整理した論考が読みたくなった。

8月20日
 SFM6月号を読み始める。巻頭のミハイル・ヴェレル「パリへ行きたい」がすばらしい。

 ソビエト連邦の片田舎に生まれながら、パリにとり憑かれてしまった男の悲しいお話。メインのアイデアは、(ロシア史のエピソードを除いたとしても)ありきたりの物ではあるけど、そこに至るまでの語り方が秀逸。特に、幼い頃のエピソードは完璧。このまま異色作家短篇集の旧シリーズに収録されていてもまったく違和感がない。

 他の作品も読んでみたいのだけど、どこかの叢書が間違ってださないだろうか。

8月21日
 SFM6月号を読み進める。

 椎名誠「長さ一キロのアナコンダ」の p100 2段 2行目「(地球が直径1mの球だったら)月は三〇センチほど離れたところを回っている」は明らかに三〇メートルの間違いだろう。
#地球半径は6400km、月の地球周回軌道の半径は37万km。
 アマゾン探検の話が、アナコンダの大きさになり、各種のスケール比較へとつながっていく本論自体はとても面白かった。

 山田正紀「イリュミナシオン」の匈奴が漢を滅ぼしたってのは何かの冗談か。いやまあ、武帝代の無理な匈奴対策が前漢滅亡の遠因ってのは確かかもしれないが。後漢を継いだ魏を継いだ晋は匈奴によって黄河流域を追い出されたから、そちらのことか?

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