過去の雑記 98年12月

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12月11日
突然<文学の冒険>を揃えておく気になったので、夕方休みを利用して古書ワタナベへ。とりあえず目についた中から、新刊書店で見かける率が低くなってきたものとして、ケップフ『ふくろうの眼』を購入する。トゥルニエ『メテオール』はどこにでも売ってるしね。

別にこれで箍が外れた訳ではないのだが、帰りの芳林堂で別役実『贋作天地創造』、ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミンUP!』17巻、冬目景『羊のうた』3巻、一條裕子『静かの海』を購入する。
『じゃじゃ馬』はラブコメ大爆発モードの巻なので気力がわくまで封印することにして、他2作を読む。
『羊のうた』はあいかわらず月刊でこの話のテンポが許されるのか?ってーくらいにゆっくりと話が進むが、その分構成が練り込まれているのが嬉しい。特に、キャラの心理の見せかたは秀逸。『黒鉄』の最初の方を読んでいたときにはここまで化けるとは思わなかったなあ。
『静かの海』は「まんがガウディ」などで連載されていた、一人暮らしの老婆の日常を「もの」の視点から描いた作品。『わさび』でも見せた、ややシュールなユーモア、辛辣なまでに冷徹な観察、上品な雰囲気、全体を包む暖かさ、など作者の良いところが見事に出ている。特に、畳の部屋にちゃぶ台という昭和30年代の世界には、見たことが無いにもかかわらず/であるがゆえに郷愁を誘われる。
コミックでは今年のベストかも。
#あ、『ゲッターロボ』があったか。


12月12日
亀山さん(5)、岸岡さん(5)、藤澤さん(6)と温泉に行く。といっても、新宿十二社の十二社温泉だけど。
ただこの十二社温泉、新宿にあるっていうから銭湯に毛の生えたようなものだろうと思っていたら、かなりちゃんとした温泉なんでびっくり。湯の色が、きしめんのつゆのように茶色いとゆー。きっと、由来だの効能だのがいっぱいあるに違いない。
茶色い理由が、「創業以来湯を換えてないから」だったりしたらやだなあ。

風呂にたっぷり浸かった後は、飲んで歌って、藤澤さんに車で西葛西まで送っていただいて、ファミレスで夜食をとりながら喋って、午前2時ごろようやく帰宅。お大尽の生活だ。

帰宅後、途中で購入したモンスターコレクションTCGのビギナーズセット「聖都の決闘者」をチェック。これは、初心者向けの構築済みデックのパックなのだが、大笑いのセットになっている。初心者にいきなりファンデックを使わせちゃ駄目だよ。
基本的な対抗カードが何も入っていないは、スペルのエレメントを考えずに作っているは、存在意義の無いカードが入っているはと、強さを追い求めるならやっちゃいけない見本のようなデックになっている。(いや、それほどじゃないか。)
とりあえず、二回も遊んだら終りかなあ。

さらに、ヴィンジ『マイクロチップの魔術師』(新潮文庫)を読了。タイトルはどうにも新潮らしいとしか言えない即物的なタイトルなんだけど、中身は思ったより秀逸。やたら展開は早いし、コンピュータ関係の知識はギブスンなんかよりよっぽどしっかりしてるし、何より話が面白い。こういった本が埋もれてしまってるのはもったいないですね。
ただ、クライマックス後の話がとってつけたようなのはちょっと気にかかるか。古本屋で600円までなら買い。


12月13日
別役実『贋作天地創造』(朝日新聞社)を読了。大人の童話という触れ込みだが、風刺にしろコメディにしろどうにも中途半端で読んでいてつらかった。ごくまれに、「さすが別役」とうならされるフレーズはあるが、全体のレベルがこうまで低くてはそれも生きてこない。残念ながらファンは読まない方が良いかも。

<文学の冒険>コンプリート計画の一環として神保町へ。日曜日に行く街じゃないことはわかってはいるのだが、行ってしまったものは仕方が無い。

とりあえず、第一期15作(18冊)だけでも揃えようと思ったのだが、いきなり新刊で14作(16冊)までは揃う目処が立ったので拍子抜けしてしまった。オブライエンの『カティアートを追跡して』さえ見つければなんとかなるようだ。まあしかし、油断しているといつ無くなるかわかったもんじゃないので、予算の許す範囲で買い込んでいくことにする。
できれば古本で手に入れようと無理を承知で九段方面に歩いていくと、アンリ・ミショーの『魔法の国にて』を発見。これは牧眞司「SFファンのための世界文学百科」で紹介されていた1冊だ。迷わず購入。
幸運を喜びながら、ふらっと書泉グランデに入ると、アスペクトノベルズの売れ残りを発見!小松左京『BS6005に何が起こったか』も堀晃『遺跡の声』も新刊・古本を問わず全く見なくなっていた本だ。買いそこなっていたのでこれは本当に幸運だった。しかしこの店、初版の恩田陸『不安な童話』が平積みになってたりするんだけど、なんなんだろう。
アスペクトノベルズの2冊を手にレジに並ぼうとすると、新刊平台に大原まり子『スバル星人』を見つけてびっくり。版元のプランニングハウスというのも聞いたことが無いんで驚きの一部なんだけど、それ以上に『スバル星人』だということが驚きだな。だって、シリーズ第1作の『処女少女マンガ家の念力』はハヤカワJAででたばっかじゃん。残りの1作、『青海豹の魔法の日曜日』がどこから出るかが楽しみだ。しかし、この本どこにもシリーズの1作だと書いてないんだけどいいのかなあ。
『スバル星人』を手に取るついでに、毒を喰らわばそれまで((c)那須雪絵)スペンサー『ゾッド・ワロップ』も一緒にレジに持っていく。こうなると、もう怖いものはない、と言いたいのだが、今月は欲しい本や買おうと思っていた本を全部買うことにすると、牧野修『屍の王』に田中啓文『水霊ミズチ』、井上雅彦『くらら』、オースターの新刊に、ブッツァーティの新刊、創元海外文学セレクションが2冊に、<書物の王国>がたくさん、<文学の冒険>がたくさんと、本棚がいくらあっても足りない事態になりそうなんでちょっと躊躇してしまうのだな。まあ、大半は来月までに買ってしまうんだろうけど。
てなわけで、あとは<文学の冒険>だけにしようと思っていたのに、ついシュティンプケ『鼻行類』なんて買ってしまったり。中学か高校のときに思索社版を読んでるんだからいまさら買わなくてもという心の声に逆らってまで買ってしまったのは、先日の京フェスクイズで『鼻行類』系の問題を間違えたのがよほど悔しかったからだろう。
最後に、ボルヘス『永遠の薔薇・鉄の貨幣』とヴィスコチル/カリンティ『そうはいっても飛ぶのはやさしい』を購入。『重力の虹』は芳林堂で平積みだし、『メテオール』はどこにでも売ってるしと考えていくと、冒頭に書いたとおり、オブライエンさえ何とかすれば第1期は揃うことになる。あとは何とかして読むだけだな。

帰宅後、さっそくボルヘス『永遠の薔薇・鉄の貨幣』(国書)を読了。詩集は肌に合わないことを再確認するだけで終ってしまった。散文形式で書いてある詩編は楽しく読めたのだが。ボルヘスは楽しみにしていただけにちょっと残念。


12月15日
筑波での仕事の帰り、道路がやたら込んでいたので、高速バスを上野で降りて池袋へ。西武、ジュンク堂、古本大学、芳林堂と周ったが収穫無し。『カティアートを追跡して』は本腰を入れないと見つからないようだ。

西葛西に戻り、「ベースボールレコードブック」だけでも買ってかえろうと文教堂によると、噂のショートショート・アンソロジー『ホシ計画』が出ていた。しかたがないので購入する。
和田誠のカバーのおかげで一発で星新一がらみとわかるのはいいのだが、中イラストが真鍋博でも和田誠でもなかったのはちょっと悲しい。その辺はもう少しこだわって欲しかった。
しかし、作家名が「ショートショート作家」というのは、いくらなんでも狙いすぎでは。
とりあえず、巻末の対談を流し読みしてみると「<異形コレクション>『月の物語』と同時発売」とあった。ついでに買って行こうと思って周囲を探したが見当たらない。仕方が無いので、角川ホラーの『水霊』と『くらら』を買っていくことにする。

帰り道、本屋1軒とコンビニ2軒を覗いてみたが、『月の物語』を売っている様子が無い。「実は、最近売れ行きが悪いので配本されなくなった。」ってー理由じゃないだろうな、と不安になってしまった。結局3軒目のコンビニで見つかったので入手は出来たが、その辺どうなんだろう。
そのコンビニで、『SFバカ本白菜篇プラス』も見つけたので購入。SF/ホラーのアンソロジーを1ヶ月に3冊も出すなんて、廣済堂も豪気だよな。帯も「星雲賞受賞」に「日本SF大賞特別賞受賞」だし。
このまんま多少の売れ行き難にもめげず、世紀末の徳間書店として頑張って欲しいことであるよ。

とりあえず『SFバカ本白菜篇プラス』の収録作品だけチェック。なぜだか野阿梓の収録作品だけ変わっている(「政治的にもっとも正しいSFパネル・ディスカッション」→「だるまさんがころんだ症候群」)。人がハードカバー版を売り飛ばそうと思っていたらこういう事をするかあ。いらんことはせんで欲しいなあ。


12月16日
日が変わったあたりで、そろそろ京フェスのレポートを書こうと思いながら「第3次スーパーロボット大戦」をはじめると止まらなくなる。なんだかんだで4時間ほどもやっていただろうか。朝ちょっと雑用があったので、しかたなく完徹をすることになってしまった。どうもものすごく頭が悪い気がする。
しかし、カイ・シデンはあんなにすばらしい精神コマンドを持ちながらどうしてこうも使えないかね。 < 頭が寝てるのでろくなことを考えていない。


12月17日
夕方休みにいつものカスミ書房でウィンターソン『さくらんぼの性は』、ボウルズ『雨は降るがままにせよ』、イーリィ『スターライト』を購入。もちろん、牧「SF(中略)文学百科」の作品だ。
この調子で買っていけば今世紀中にほとんど揃うんじゃないかという気もするが、未読が詰み上がるだけなんじゃないかという気もするのが辛いところ。死ぬまでに読み終わるんだろうか。


12月18日
宮田登『江戸のはやり神』(ちくま学芸文庫)を読了。江戸時代を中心に、各地で流行った流行神について、その諸性格を明らかにしその意味を考察するもの。主題は興味深いのだが、論考が中途半端で、ストーリーとしてまとまっていないので非常に読みづらい。あまつさえ、文章が下手だし。ふだん、理工系の投げっぱなしの文章を読まされているんだから、文系の研究者にはちゃんとした文章を書いて欲しいな。

ショートショート作家(笑)『ホシ計画』を読了。作家毎のレベルのバラツキがあまりにも大きいんで評価は難しい。とりあえず冒頭の1作を読んでこれが中央値だという事実に納得がいくのなら買ってもいいだろう。面白いとはっきり言えるのが54作中14、5作くらい。ひどいと断言できるのもほぼ同数。底辺の低さは気になるが値段を考えれば損とは言えない。
読む気がしないのならとりあえず、二宮由紀子の2作と田中哲弥の2作くらいはチェックしたいところか。あとは読まなくてもさほど問題はないだろう。


12月19日
早稲田から高田馬場まで古本屋をチェックして歩いた後、芳林堂で内藤泰弘『トライガン』3巻、『トライガン・マキシマム』2巻、吉野朔実『恋愛的瞬間』5巻を購入し、ユタの例会へ。

参加者は、大森望、小浜徹也、雑破業、添野知生、高橋良平、林、福井健太、藤元直樹、三村美衣、山岸真(あいうえお順・敬称略)。大森さんと福井さんは途中でワセ・ミスのパーティーの方に向かったので、大半の時間は8人だった。
主な話題はSF-Onlineの企画の打ち合わせとポルノ業界について。後者をメインに聞きつつ、前者の話題に耳を傾けるという方法はどちらもよく聞き取れないということがわかっただけに終る(苦笑)。
この時、山岸さんから91(?)年のセミナーで配ったという日本SFの作家別リストを見せていただいた。松野さん(8)が買ってきたものを名大の部室で見たことはあるがいつのまにか紛失していたので、久しぶりに熟読する。今見ても見事なリストだと思う。実用にするには90年代ほぼまるごとのフォローが必要になってくるので結構大変だが、古い作家の調査の足がかりにするには最適のリストだろう。
とりあえず拝見した後山岸さんに返してしまったのだが、今思えばコピーさせて頂けばよかったのか。しまった…。
食後のルノアールでは、ワセミスのパーティーをぬけた白石朗さんがやってきたり、ワセミスのパーティーには行かなかったらしいワセミスOB大森英司さんがやってきたりするうちに閉店となり解散。帰宅する。

『SFバカ本白菜編』(ジャストシステム)から野阿梓「政治的にもっとも正しいSFパネル・ディスカッション」を読了。見事なまでの内輪ウケ作品に仕上がっている。なんせ柾悟郎「テキストの地政学」(『日本SFの大逆襲』徳間書店所載)を読んでいないと全く理解できないというのだから対象読者の狭さは推して知るべし。SFマガジン(できればSFアドベンチャー)掲載なら軽く笑って読み飛ばす程度の出来ではあるが、せっかく外に売ろうとしているアンソロジーでこんな内輪ウケを書く必要があるかね。文庫化に際して切り捨てた判断は正しいな。
つづいて、『SFバカ本白菜篇プラス』(廣済堂文庫)を読了。前作(『たわし篇』)の救いようの無い下らなさに比べると、かなり改善されている。ただその分、パワーの足りない作品も増えているのだが。
大原「インデペンデンス・デイ・イン・オオサカ(愛はなくとも資本主義)」はかなりの出来。ラスト直前までは「旧き良き」日本SFの飛躍の仕方で懐かしく盛り上げておいて実に大原らしい身も蓋もない落としかたで終わっている。ギャグものとしてはかなりの出来だとは思うが、これが星雲賞を取ったという事実を納得させるほどではないな。少なくともこのアンソロジーに遥かに凄い作品が掲載されているし。
大場「百貫天国」は視点の相対化を軸としたワンアイデアストーリーという、なきたくなるくらい旧日本SFな一作。頑張って書いてはいるけど、このアイデアはこれ以上膨らまないよねえ。大場惑の作家としての資質がよく出ている。
谷「五六億七千万年の二日酔い」はとんでもないクリーンヒット。古今東西の宇宙論を一まとめにして作り上げた究極の宇宙論SFだ。読後感は堀晃の名著『マッドサイエンス入門』に近いが、小説に仕上がっているという1点でこっちの方が偉いな。この作品が星雲賞を受賞しなかったという事実に対して、日本のSFファンダムは徹底的に恥じ入るべきですね。バカSF史に1ページを刻む価値のある傑作。
岬「流転」はいつもの岬。ここまで何書いても同じ話になる作家というのもそうはいないだろうというくらいかわりばえがしないので、作者の短編を1作でも読んだことがあれば読む必要はない。
岡崎「地獄の出会い」は良いところまで行ってるんだが、ちょっと地味目。あと一味、どこかで突き抜けていればラファティの味に近づくかもしれないんだけど。異様な一瞬を描く筆致が、シュールになるかメルヘンになるかの差なのか、ラファティと比較するにはインパクトに欠ける。
とり「ネドコ一九九七年」はちょっと評価しづらい。語りの上手さは堂に入ったものでさすが落研出身と唸らされるのだが、ネタがありものというのがちょっとね。まあでもこのアンソロジーで2番目に面白かった作品ではある。
森「地球娘による地球外クッキング」はわりと駄目。『たわし篇』の「哀愁の女主人 情熱の女奴隷」に比べると迫力が無さ過ぎ。パワーがなきゃこの手のドタバタは価値が無いよ。
野阿「だるまさんが転んだ症候群」は途中まではかなり面白かった。自分の背後で世界中がセックスをしているという主人公の妄想は秀逸だし、その妄想に押しつぶされていく主人公の描写もなかなか。それだけにあのオチを選んでしまったというのが非常にもったいない。せめて固有名詞を出さないでいてくれればもう少しマシになったのに。それでも「政治的に…」よりは100倍マシなんだけど。
梶尾「ノストラダムス病原体」はいつものエスカレートもの。悪くはないんだけど、昔のカジシンの凄さを思い出すと悲しくなる出来でしかない。「インフェルノンの作り方」で描かれた地獄絵図は、「ちゃんこ寿司の恐怖」の恐ろしさは、なにより「魔窟萬寿荘」の荘厳なまでのグロテスクさはどこに行ってしまったのか。彼や草上を見ていると、短編作家はある程度で引退してマイナーリーグ(長編)に降りるべきだという気がしてくるね。
巻末対談はあいかわらず。高井が入らなかったのが功を奏したか知性の面では『たわし篇』よりはマシになっているが、今度は編集が仲良く語ってるのが鼻についてしまい気持ち悪くてしょうがない。第1世代作家たちの仲良し対談が面白かったのは、一緒に道を切り開いてきたという半端じゃない連帯感がちゃんと伝わるからであって、せいぜい友人同士というに過ぎない連中がべたべたと馴れ合って語るのを読まされても外部のものには気持ち悪いだけだよ。
非常に長くなったが、以上が個々の作品に対する評価。アンソロジー全体では±0というところか。600円弱という値段も考えたときの費用対効果は割と高い。とりあえず、谷甲州の短編だけでも新刊で買う価値はある。


12月20日
プイグ『天使の恥部』(国書刊行会)を読了。切れ味の鋭い文章は好みだし、3つのストーリーが互いに参照しあいながら進んでいく構成も好きなタイプなのだが、いまひとつ入り込めなかった。作者の技量の問題ではなく、こちらの資質及び読み方の問題だとは思うのだが。
多分、入り込めなかった最大の理由は読書のテンポだろう。本来、一気に読むべき作品を、電車の中などで細切れに読んでしまったのが敗因と思われる。文章そのものが楽しいというような、面白さのリズムが短い作品はそれでも問題はないし、大きなストーリーそのものが楽しいというようなリズムの長い作品も問題はないのだが、この作品のように構成の妙を生かした作品はせめて3日以内に読みおわらないと細部を忘れてしまうため十分に楽しめないということのようだ。

もちろん、「牧眞司「(前略)世界文学百科」36回を読み返したら面白かったんじゃないかという気がしはじめた」という事実が無ければ反省なんてしなかったんだけどね。


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