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「古典派からのメッセージ・1999年〜2000年編」目次へ戻る
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年功主義と実績主義

 

実績主義礼賛への疑問

 毎年一回、社員全員の月給が一斉に上がる給与体系が「定期昇給」のシステムで、年功制度の根幹をなす。最近この「定期昇給」システムの評判が極めて悪い。能力や業務実績を無視した悪平等、働いても働かなくても給与に差が無く有能な人がやる気をなくす停滞性、低成長下で総人件費を膨張させる硬直性云々と、散々な評価である。しかし、戦後日本の大部分の企業がとってきた年功主義の給与体系は、そんなに排すべき代物なのだろうか? 年功主義と対立する「実績主義」や「能力主義」や「年俸制」は、企業にとってそんなに正しいものなのか?

 「定期昇給」というシステムには、次のような日本企業の人間観、能力観が窺われる。@業務経験年数が増えればおのずから当該業務の技能が向上し、業務成績も上がり、組織への貢献度も高まるはずだ。仕事の中長期的「年功」効果を素直に認める。A人間の能力の発現には個人差が大きい。能力選別はそんなに容易ではない。人材選別はゆっくりやるべき。若い頃の失敗であまり差をつけるべきではなく、リカバリーの機会を相当長期にわたって認めるべきである。B高齢者への配慮、福祉主義(地位を得られなかった人にもお金だけは報いる)は必要である。

 これら中長期的な人間観察を僕はおおむね正しいと思う。実績主義が陥り易い視野の短さ、人間観察の浅薄さには十分注意を要する。「年俸制」推進論者が説く理想像は、アメリカの経営層ないし上級管理職層であろう。彼らは株主の方だけを向き、当面はもうかりそうもない部門を切りに切り、今期即座にもうかりそうな部門を、つまり他人が努力して育てたものを買収して手っ取り早く収益をあげ、一般社員の何十倍、何百倍もの年俸を要求する存在である。こうした存在が本当に我々の「理想」なのだろうか? 経営者は自企業のアイデンティティに合わないことを安易に取り入れるべきではないだろう。実績主義というが、直近半年ないし一年の成果だけで人を評価することが正しいのか、また評価の客観性、公平性、納得性をどのように確保するのか等、実績主義には解決不可能の難問が必ず残り、却って従業員のモラールを低下させる恐れがあることには充分注意を要する。

 一見耳ざわりの良い完全年俸制や実績主義が持つ視野の狭さ、短さに対して、中長期に物を考え人間観察眼を有する経営者なら、直感的に危うさを感じ取り十分に警戒するだろう。机上の空論が好きな社内の観念論者や、企業の役に立とうが立つまいが「改革」さえすれば高い手数料をもらえるコンサルティング会社や、「流行」を追うことしか能が無い経済マスコミの言うことを安易に受け入れるべきではない。

 

行き過ぎた年功主義

 一方で、僕は現在銀行の人事部で実際に個別の月給、ボーナスの配分を見ているが、在籍年数が長いほど定期昇給の増加額が大きいこともあって、高齢者への配慮、福祉主義はさすがに行き過ぎだと実感する。現在ほとんど戦力になっていない「過去の英雄たち」になぜこんな厚い処遇が必要なのか、理解に苦しむケースがある。これはまさに、ただ会社に来さえすれば自動的に毎年一回月給が上がる「定期昇給」システムの積年の「行き過ぎた効用」である。

 

「安定感」と「緊張感」のバランス

 ではどうするか? 年功主義も実績主義も、それだけでは不十分なシステムならば、各々のシステムの持つ特性をうまく使い分ければいいのである。そもそも新卒者に即戦力は期待出来ないのが普通である。入社十年目くらいまでの層に「年俸制」を適用するのはナンセンスであり、むしろ、向上心を持たせる動機づけとして、また、結婚、出産などの生活設計を立て易くしてモラールをアップさせる手段としても、原則として前期比マイナス査定はせず、勤務年数、経験年数に応じて定期的な昇給、昇格を行うのが望ましい。一方、三十五歳以上など一定年齢を超え、経営職階にある人たちについては、月給を機械的に昇給させず、責任と実績に応じたメリハリをかなりきつくつける(より年俸制に近い)システムにすべきである。つまり、トレーニング途上の若手と成果を求められるべき経営職階者とで給与体系を変えるのである。

 また、月給は年功に応じて払う一方、半年に一度の賞与(ボーナス)は、年功ではなく半年間の具体的業務成績で評価し、上げたり下げたりする方法もあり得る。つまり定期昇給月給と半期実績ボーナスの組み合わせである。

 そもそも年功主義の給与体系は日本独自のものなのだろうか? 今僕には米国その他の海外各国の人事・給与制度について知識の持ち合わせがないので、この点は判断しかねる。しかしどんな国でも、二十年働いてきた四十五歳の熟練者と新卒三年目でたまたま今年だけ実績を挙げた者とで俸給が容易に逆転するようなシステムは採っていないと思われる(よほどの専門的職務は別)。反対論者が漠然と頭に描いているほどには、年功主義は特殊なものではなく、大方の国では年功主義と実績主義とを併用しており、実績主義オンリーという企業がむしろ例外ではないだろうか。

 以上述べたのは一般論である。人事制度は、経営者の方針、業種特性により異なってしかるべきである。変化の少ない地方で基盤の安定した中小企業であれば、完全年功システムをとって社員の精神的安定を図る方が望ましいこともあろう。逆に、あまり熟練度を要さず簡単に実績比較ができるような業種、職場では、実績主義を貫徹させた方がよいこともあり得る。いずれにせよ、給与体系、処遇システムには、それぞれの企業にふさわしい「安定感」と「緊張感」のバランスが求められる。

(一九九九年五月七日)