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「古典派からのメッセージ・1999年〜2000年編」目次へ戻る
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日本型投資銀行とは何か

 

T 反省と再生

 

投資銀行とは何か

 米国の投資銀行(インベストメント・バンク)は、「インベストメント・カンパニー法(一九四〇年)」に基いて活動する証券業者のことである。企業が発行する有価証券の引受及び投資家への販売を主業務に、それに付随して発生する企業の事業組織、資本構成、企業買収戦略などに関わるアドヴァイス、コンサルティングを行う。これらに加えて、有価証券の流通市場での値付け、資産運用業務などを展開することが多い。銀行・証券の兼業を禁じた「グラス・スティーガル法(一九三三年)」によって、投資銀行は個人預金を取り扱えない証券業者と位置づけられるが、投資「銀行」と呼ばれるのはそれ以前に商業銀行業務も扱っていたなごりである(近年この業務分離は再び消滅しつつある)。

 商業銀行と比較した投資銀行の業務の特色は「組成は大きくブックは小さい」ことである。企業の資本構成に関わるアドヴァイスを行い投資家を募るが自らは本源的エクイティを少量保有するだけである。大規模なプロジェクト金融を組成するが自身の貸出はさほど大きくない。規模は追わず効率的で収益性の高い業務を得意とする。ユーティリティとして資金需要に応じて大きなローンのブックを保有する商業銀行や、市場で債券やローンを買って大きなポートフォリオを持つ機関投資家の機能とは対照的である。

 

日本と世界の主要投資銀行

 日本では、東京三菱銀行、野村証券、興銀、日興証券=ソロモン・スミスバーニー連合、住友銀行=大和証券連合が主要業者であるが、今後は、異業種(例えば資本力や企業展開力に富んだ有力製造業のトヨタやソニー)からの参入も考えられる。

世界では、例えば「ユーロウィーク」誌の「一九九八レビュー・オブ・ザ・イヤー」に挙げられた主要業者は、UBS・ウオーバーグ・ディロンリード(スイス)、ゴールドマン・ザックス(米国)、メリルリンチ(米国)、JPモルガン(米国)、モルガンスタンレー・ディーンウィッター(米国)、ドイチェバンク(ドイツ)、パリバ(フランス)、CS・ファーストボストン(スイス)、ABNアムロ(オランダ)、シティバンク=ソロモン・スミスバーニー(米国)、東京三菱(日本)といった顔ぶれである。

 

日本型投資銀行とは何か

 アメリカン・スタンダードが貫徹する外資系金融業者は、その時その時の株主利益最大化を主目標として活動し、年俸制や出来高制で動いている営業担当者もその期のノルマを達成することに傾注するため、必ずしも顧客の中長期の利益に合致するサービスを提供出来るとは限らない。自分が金融派生商品(デリバティブ)の営業担当課長だった当時の経験を考えても、デリバティブは特に専門性の高い分野であり顧客と業者の情報格差は大きく、このことが悪用されることもある。アメリカの投資銀行のデリバティブ担当が自らの経験を語った著書「大破局」に、一攫千金のためには「客の面をひっぱたく」ことも厭わない激烈な収益至上主義の現実が語られている。これはアメリカン・スタンダードの負の側面である。日本の金融機関は何でもかんでも外資系業者の物まねをすればいいわけではない。外資系業者にも欠点はあり、彼らがカバーできない顧客を持つこと、彼らにできないサービスを提供することはいくらでもできる。日本市場は外資系業者に「席巻」されるほど小さくはない。

 適応し、従うべきグローバル・スタンダードとは、透明性、公平性といった市場や取引のルールであって、ルールに則って行動する限り、日本社会の独自性に根差す顧客との取引関係まで否定する必要はなく、長期安定志向の取引関係はもっと尊重されてよい。五年先、十年先を考えた取引関係を構築すること、即ち、取引先と金融機関が長い目でお互いを見て理解し、相互信頼に基づいた関係を維持することは、日本のビジネスの最大の特色であり、美風である。取引先から見て望ましい金融機関とは、相手の懐具合も考えず高度で最新のプロダクトを次々に持ち込む業者ではなく、信頼出来る経営哲学を持ち、本当に相手の立場に立って商品提案してくれる心を許せる業者であるはずだ。我々に必要なのは、信頼に足る経営哲学を持つこと、顧客の真のニーズを汲み取ることができる優れたリレーションシップを維持・練磨することである。資産国家日本においてこそ、本当に日本の企業、機関投資家のバランスシートの特性に合った、彼らの嗜好やニーズに長期的に応え得るような日本型投資銀行が求められている。

 

当行の失敗

 もともと当行はこうした日本型投資銀行になるべきだったのに、なれずに失敗した。当行の歴史を振り返って見てみよう。例えば、当行はスーパー大手イトーヨーカ堂をその揺籃期から献身的に長期資金を提供し育成してきた。同社が日本初のコンビニエンス・ストア、セブンイレブン・ジャパンを設立する際の株式割り当てにも参画した(その後セブンイレブン株は何度クロスで益出ししても含み益を生んでくれた)。しかし、昭和五十年代以降は、イトーヨーカ堂の銀行離れ、当行離れが始まる。直接金融への傾斜というその後の企業展開に、当行はついてゆかなかった(ゆけなかった)。長信銀という「制度」が旨すぎ、かつ、銀行・証券の業際規制も厳しかったため、長期貸出にこだわり続け、長期貸出モノカルチャーから脱却できず、企業が欲する直接金融や投資銀行業務への転換ができなかったのである。一方で、当行は、規制の少ない海外での投資銀行業務を驚くべき勢いで発展させ、ユーロ市場での業者としての当行のステイタスは、国内での銀行としてのステイタスより高いほどであった。しかしそうした海外での栄光は、必ずしも国内企業との取引展開に役に立つものではなかったのである。

 こうした事例を検証すると当行の弱みが炙り出される。まず後発銀行ゆえの有力企業での融資順位の低さ。にも拘らず融資業務(伝統的商業銀行業務)への執着。国内と海外の分裂に見られる、グループ展開力を含む営業戦略の不明確さ。熱物に懲りて鱠を吹くことが多い、つまり業務戦略に一貫性がないこと(多少ケガをしても必要な業務はやりぬくという粘りがないため、一時的には「強み」となってもスポット的な取組で終わってしまう)。中期計画の結果や特定業務の「失敗」についての組織的レビューがないこと。つまり、Plan、Do、Seeの「See」が欠如していること等々…。

 こうした弱みが、もともと「不動産銀行」として出発した生い立ちとも相俟って、バブル経済に乗り易い体質をも生み出してしまった。長期貸出の捌け口として不動産業、ノンンクにどんどん傾斜して行った。日銀の貸出窓口指導もこれに拍車をかけた。例えば二千億円の貸出計画を提出した当行に対し「おたくの銀行は営業力がないな」と、無理矢理どの銀行も横並びで四千億円に揃えさせるような類の日銀の指導が行われていたのである。こうした指導に対して「ノー」と言える銀行は残念ながら無く、その結果どの銀行も横並びで貸出競争に狂奔し、体力の弱い銀行ほど深手を負うことになったのである。当行も本体だけでは貸出量のノルマをさばけず、関連会社に不動産融資(それも本体のものよりかなり質の悪い融資)を展開させたのが致命傷になった。

 銀行経営者の資質にも問題があった。当行に限らず、銀行の日本的ゼネラリストは「小役人」に過ぎなかったからである。「プライドはあるが野心がない」官僚型人間が多かったのだ。上司の言う事を忠実に実行するだけの、自らに何のポリシーも抱負も戦略も着想もない、顔の無いテクノクラートだったのである。多くの銀行の経営者たちは、大蔵省にお伺いを立てて物事を進めるだけの存在に過ぎなかった。

 

再生の方向

 しかしこのような経営の失敗の一方で、当行は、「戦後派」後発銀行として持ち前のパイオニア精神で日本の経済成長に貢献してきたこともまた事実である。流通、不動産、建設、リースといった、ほかの大手銀行があまり取り上げなかった産業に、献身的に資本供給をしてきた。不動産鑑定の分野では、実務界のみならず学界においてもその見識が注目されていた。あまり知られていないが、日本で初めて個人向け住宅ローンを取り扱った銀行も実は当行なのだ。当行の前身「日本不動産銀行」が発行する金融債「ワリフドー」を一定期間積み立てると住宅取得資金の融資を受ける資格ができる「積み立てフドー」という商品は、どの銀行も個人向け融資を取扱わなかった昭和四十年代においては画期的な金融商品であり、当時相当な話題になったものである。

 こうしたパイオニア精神を持った当行は、本質的に投資銀行に向いていた。小粒だがピリッと辛い存在、優秀な人材とリベラルな社風。行員のセンス、吸収力の高さおよび均質性は群を抜いており、少人数、小数店舗の条件もあり、行き渡りの早さ(機動力)は大きな長所であった。当行は、投資銀行になりきれなかったが、投資銀行業務的な局地戦では、こうした強みが生きてめっぽう強い銀行であった。設立間もないロンドンの証券子会社がいきなり政府保証債の主幹事を獲得したり、海外有力ボロワーへの円ローンの主要な供給者になったり、CP市場で主要マーケットメーカーになったり、日本が資本供給国になったことを踏まえた長期ヴィジョンに基づくALM運営で大いに収益をあげたり、邦銀で初めて金利スワップ取引を取り入れ、後には「デリバティブのことはあの銀行に聞け」との声望をとるようになったり、金銭債権証券化や不良債権処理業務でパイオニアの地位を築いたり、一九九七年前後の資金繰り逼迫を、とてつもない営業の底力で跳ね返したり…。こうした過去の事例から、当行は、投資銀行として活躍できる素養、可能性は十分あると思われる。もしもう一度民間銀行として再出発できるなら、今度こそ当行はユニークな日本型投資銀行として国民経済に貢献すべきである。

 日本経済の構造変動の中で投資銀行の機能への期待は高まっている。今や、日本の資金循環は、個人セクターのみならず企業セクターも黒字であり、赤字セクターは公共部門と海外部門であるという構造が定着している。伝統的金融論のモデルである、個人部門から吸収した資金を企業部門に仲介する単純な間接金融には、経済社会のニーズは乏しい。一方、資金の運用やリスク管理、産業構造の変化やリストラや海外展開への支援、直接金融化への対応にはニーズが大きい。現代は、資産国家日本の国益に合致した真の金融ニーズや投資家の選好に応えられる投資銀行が求められる時代なのである。投資銀行業務は、もともとホールセールの金融機関である当行にとって唯一の選択肢であり、企業目的である。

(一九九九年八月五日)

(続く)