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小津安二郎と山田洋次

 

 このところ、松竹シネサロンの小津安二郎フェアで、とりつかれたように小津の映画を集中的に観た。

 小津の代表作「東京物語」(昭和二八年)は、都市化の波に呑まれ、離れ離れになってゆく健気で善良な家族の哀しさを描いている。小津自身の言葉を借りれば、「東京の横顔は、いつも大きな哀しい表情をしている」ということである。とりわけ田舎から東京にいる子供たちを訪ねて来た老夫婦のわびしさが、笠智衆、東山千栄子の、ゆったりとした陰影ある演技から滲み出て、僕は終始涙を禁じ得なかった。とりわけ、笠智衆の「とうとう宿無しになってしもうた」というセリフ、上野の寺でひなたぼっこしながら、さてこれからどこへ行こうかと老夫婦が語る場面などは忘れがたい。いわば、苦いが良質な漢方薬が体に染み渡るように、人の生きる自然な孤独の姿が心の底に染み渡る。

 「生まれてはみたけれど」(昭和七年、無声映画)は、何と言っても子供たちの活躍。彼らの無邪気な行動を通して、上司に胡麻をするところを子供たちに見られてしまうサラリーマンたる父親のやるせなさや、この時代の希望の無さが浮き彫りにされる。

 「秋日和」(昭和三五年)の中での原節子については考えさせられた。母親役としては余りに生身の女性でありすぎる(例えば爪を銀色に塗っていたことなど)。しかしこの映画には、映画界を去ろうとする彼女の、女優としての気持ちの入れ込みも感じられた。

 「秋刀魚の味」(昭和三七年)は、相変わらず笠智衆の演技が素晴らしい。娘を嫁がせた後、亡き妻の面影を求めて、妻と似たマダムがいる「トリスバー」の戸を一人くぐる哀感…。この役者の役柄には、この作品が遺作となった小津が自己投影しているのが解かる。

 「早春」(昭和三一年)はまた、何と永久なる人間の問題を、何と典型的な人間群の中に見出していることか。岸恵子の演ずる通称「金魚」のような女性は、古今の文学の中にも、我々の身近な生活の中にも見出すことのできる、男にとって最も不思議でしかも魅力ある女性の典型である。池部良の演ずる男のような、「金魚」の誘惑に負けてしまう弱さを持つが、善良で努力家のサラリーマンも実に典型的な人間類型である。そして、夫婦の愛情の弱さと強さ、サラリーマン社会の哀しさ、肺病、戦友たち…といった主題は、戦後十年目という時代に特有の問題としてではなく、昭和の六〇年代を生きる我々自身の社会生活のあり方の問題として考えさせられるのだ。

 これら小津映画は、「哀れ」とか「無常」とかいう言葉で――つまり感情的な言葉や観念的な言葉で――色付けして括ってしまうには、あまりに淡々として自然体である。その感動は、直裁に心に飛び込んでくるのではなく、ゆっくりと観る人の心に沁みてゆく。能を観るような、言葉が節約された透明で深い感情を湛えた映画である。

 小津の映画のバックに流れる斎藤高順の音楽は、おおむねゆるやかでやさしい旋律を持っており、だいたいは画にマッチしている。が、時々、どう考えても画の静寂に比してやかましすぎたり、明るすぎたりすることがある(特に小津晩年のカラー映画では)。画の作りにはあれほど細やかな神経を用いた小津が、なぜ音楽にはあんなに頓着なかったのだろう。不思議だ。


 某月某日、NHK特集「山田洋次」を見る。彼のヒューマニズムは本物である。幼い頃、映画「路傍の石」を観ている時、隣席の女中が感動の涙を流したのを見て、彼は映画監督を目指すのである。

 満州での生活も何ほどか山田監督の映画に影を落としているかもしれない。しかし彼の真髄は、北海道の酪農主や対馬の寿司屋たちとの交流から映画のヒントを見出す庶民感覚にある。彼は庶民とともに泣き笑いすることに人生を決したのである。映画撮影時の執拗さと真剣さ――。そこには映画という手段に「庶民と生きる」という己れの思想を投入する真摯な営みがある。生半可でない専門家としての生き方がそこにある。

 現代人はますます「らしさ」を失いつつある。映画監督らしい映画監督もまた少なくなっていくように見える。歌手なのかコメディアンなのか判らぬような歌手、作家なのかタレントなのか判らぬような作家が氾濫している。現代人の肥大した欲望と好奇心を満足させ、これを煽り続けているマスコミ文化が「らしさ」を曖昧にしてゆく中で、芸術家――いやそんな気取った言葉でなく「芸人」が芸人らしく生きるのは、ますます困難になりつつある。山田監督はぎりぎりの所でそれを守っているように僕には見えるのである。

(一九八五年三月三〇日)

 

小津安二郎(一九〇三年〜一九六三年)

映画監督。サイレント映画時代から、カラー映画の時代まで、おおむね日常生活に題材をとった、優雅でほのぼのした味わいの作品を作った。ローアングルで固定されたカメラや全編をカットでつなぐ手法は独特。近現代日本の「もののあはれ」を映画で表現した偉大な監督である。

山田洋次(一九三一年〜

映画監督。葛飾柴又を舞台に、テキ屋の車寅次郎が繰り広げる喜劇「男はつらいよ」は、日本映画で最も人気の高いシリーズである。ほかにも「家族」「幸福の黄色いハンカチ」など、庶民の生活感情をほのぼのと描く映画を作っている。