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仏典へのアプローチ

 

T

 

 出家前のブッダの名をゴータマ・シッダルタと言う。ヒマラヤのふもとに住むシャカ族の王子であった。シッダルタ王子は心優しい少年だった。父王といっしょに鍬入れの儀式に出た時、泥と土にまみれて苦しそうに働く農夫の姿を見て心痛み、鍬で掘り返された土に着いていた虫を鳥が飛んで来てついばんでしまうのを見て、自然界の弱肉強食を知り憂いに沈んだ。

 結婚し、一子ももうけ、皇太子として何不自由ない暮らしをしていたのに、人の生きる苦しみ(老、病、死)が彼の心を離れず、ついに家を捨てて出家する。この人の傷みやすい心を考えると、それだけで僕は涙があふれそうになる。なんと感じやすい、なんと澄んだ、なんと柔らかな感受性だろう、と。

 ブッダのその後の生涯に関しては美しい説話が多い。苦行では悟りを得ることができないことを知り、里へ下りてきたブッダの衰弱しきった姿を見て、村の娘スジャータが乳がゆを差し出す話とか、悪魔の誘惑に打ち克ち、菩提樹の下で瞑想し悟りを開く絵画的ともいうべき場面とか、神々の度重なる懇請によって、教えを人々に説くことを決意する話とか、いずれもファンタジーあふれる美しい話である。これらの説話の大部分はもちろん歴史的事実ではないが、これらの説話の価値、即ち、読む人の心に訴えかける真実性は疑い得ない。恐らく、ブッダ自身が語った悟りの奥義を、弟子たちがありったけの想像力を傾けて巧みに説話に組み立てたのだ。真の修行者の心象風景や彼が受けた宗教的啓示は、抽象的言語では表わし得ず、こうした説話の形でしか描けなかったのだろう。事実でなく真実を語るという意味で素晴らしい文学作品である。

 ブッダは、三五歳で悟りを開いてから八〇歳で入滅するまで、四五年間、今日考えても気が遠くなるほどの長い時間人々に教えを説いている。その情熱は止むことが無かった。説いて歩いた地域は北インド一帯に及び、説いた人の人数の莫大さ、層の広さも計り知れない。ソクラテス、イエス、孔子といった他の古代の聖人たちと比べ、その活動範囲の広さは彼だけのものだ。

 晩年は、老いた自分の体を、皮ひもの助けでようやく動いている古い車輪にたとえたり、これまで経巡ってきた土地の美しさをかみしめたり、お気に入りのヴェーサーリーの町にいとしげに最後の別れの眼差しを向けたりしている。実に人間的ではないか。そして沙羅双樹の花が咲き乱れるなか、横たわった姿で入滅する、誰もが絵画にしたくなる劇的な最期の場面…。

 晩年のブッダに仕えた愛弟子アーナンダが、師の死が近いのを感じて泣いているのをたしなめ諭す次の言葉は、人の生と死に関する最も切実なメッセージに僕には聞こえる。

「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。私はあらかじめこのように説いたではないか。人は、全ての愛するもの、好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ存在し、造られ、破壊さるべきものであるのに、それが消滅しないということが、どうしてありえようか。アーナンダよ、お前は長い間、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の身と言葉と心との行為によって、私に仕えてくれた。お前は良いことをしてくれた。努め励んで修行せよ。すみやかに汚れのない者となるであろう。」

 

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 こんなに優しい言葉で永遠の真実を語った人を好きにならずにいられようか。この人をもっと知りたい。ブッダその人の声を直接聞きたい。ブッダを、神格化された「仏」として崇め奉るのではなく、また単に彼についての考古学的知識を得るのでもなく、彼がどんな身振りで、どんな表情で説いていたのか、その原像に自らをことよせたい、と僕は願望してきた。

 勿論、ブッダの教えは仏典の形で我々に残されてはいる。しかし、特に日本人にとっては、仏典は漢訳された大乗仏典の形で中国大陸から入ってきたものである。大乗仏教自体、成り立ちが歴史的に新しく、既にブッダは神格化されている上に、漢訳された大乗仏典は中国的バイアスがかかっている。例えば大乗仏典の中で最も優れた作品のひとつである「法華経(元々のサンスクリット語ではサッ・ダルマ・プンダリーカという)」を読んでも、そこに登場するブッダは、様々な奇蹟を起こす巨大な超人になってしまっており、歴史的人物であるゴータマ・シッダルタを偲ぶよすがは無い。

 僕は、高校生の時、中村元さんが古代インドの言葉であるパーリ語から直接現代日本語に訳された「スッタニパータ(邦訳『ブッダのことば』)」という経典を岩波文庫で初めて読んだ時の新鮮な驚きを今でも思い出す。数ある仏典の中でも最古層に属するこの簡素な仏典からは、歴史的人物としてのブッダが僕の心に直接呼びかける声が聞こえて来たのだ。それ以来、僕は、視野広き篤学の士、中村元さんに導かれて、数々の仏典に触れてきた。

 これら「スッタニパータ」を始め、「ダンマパダ(邦訳『真理のことば』)」、「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ(邦訳『ブッダ最後の旅』)」、「テーリーガーター(邦訳『尼僧の告白』)」といった古層仏典は、明治になるまで日本では殆ど知られていなかったが、タイやビルマなど小乗仏教の国々では重要な仏典であった。

 こうした原始仏典には、僕に、「ブッダの教えに帰依しよう。」という心を起こさせる「力」が潜んでいる。それは、ブッダの生存中、在俗信者や修行僧が肌で感じたブッダの人格の力である。ブッダの人格の力が、二五〇〇年の時空を超えてこれら仏典の中に残っている。

 

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 彼は催眠術のような業を使ったのではなく、対話で相手を教化した。相手に複雑な教説や抽象的概念を教え込もうとしたのではなく、臨機応変に相手の素養の高さ、気持ちの高まりの程度に合わせて、相手の内面に変化をもたらし、知・情・意の全体を覚醒させた。彼は、まず他の話題から始めて、相手の心がブッダの言葉を正しく受け取る準備ができるようにしてから、主要な教えを説いた。仏典はその様子をこんなふうに記す。

「(相手の)心の用意がよくでき、素直になり、障害となる俗世の煩悩を離れ、心意気が高まり、清らかになったことをブッダは認めた。その時ブッダは彼(相手)のために、諸々の最も優れた教えを示した。即ち、苦悩と、その原因と、その克服と、その過程に関する真理である。」

 

 ブッダは、バラモン教の師のように重要な教えを秘伝の伝授にしてしまう(古代インドでは「教師の握り拳」と呼んだ)ことはなかった。彼の真理は万人に開かれている。また、ブッダは、宗教集団の指導者たらんとしたこともなかった。頼るべきは、各々の自己修養であり、ブッダが示した真理そのものだからである(その意味で、「親鸞は弟子一人も持たず」と述べた親鸞は、ブッダの真意をよく理解していた)。「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ(邦訳『ブッダ最後の旅』)」の中でブッダは言う―

「私は内外の隔てなしにことごとく理法を説いた。私の教えには、何かを弟子に隠すような教師の握り拳は存在しない。ブッダが修行僧の仲間を導くであろう、とか、修行僧の仲間はブッダに頼っている、とか思う者は、修行僧の集いで何を語っているのだろうか。…(中略)…自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとしてはならない。真理を島とし、真理を拠り所とし、他のものを拠り所としてはならない。」

 

 以上のような仏典に書かれていることを踏まえて、岩波ジュニア新書「ブッダ物語」(中村元・田辺和子著)が描くブッダの姿は、彼の歴史的実像に最も近いのではないかと僕は思う。曰く―

「ブッダは人好きのする、とっつきやすい人であったらしい。『修行者ゴータマは、さあ来なさい、よく来たね、と語る人であり、親しみある言葉を語り、喜びを以って接し、しかめ面をしないで顔色晴れ晴れとし、自分の方から先に話しかける人であった』と伝えられている。その音声ははっきりしていて、透き通って聞こえたらしい。些細なことを語る時にも重大事を語る時にも、その態度は同じ調子で、少しも乱れを示さない。広々としたおちついた態度を以って異端者さえも包容してしまう。信者を積極的に増やそうと努めることも無かった。敬慕して頼っていた人々を諄諄と教え諭したのである。」

 

 僕は確かに、ここに描かれたようなブッダの人格を感じる。そして、「神仏への崇拝」ではない、まことの師に対する時の敬愛、熱情、瞳の輝きを自分が持っていることを自覚する。仏典の書き手は、師の魅力によって回心した人の感銘をこんなふうに描く。

「不思議である、驚くべきことである。あたかも、曲がった物をまっすぐにするように、または、覆われた物を開いてみせるように、または、迷っている者に道を示すように、または、闇の中に灯明を燈して目ある者に物を見せるように、ブッダは様々な見地から真理を啓示してくださった。私は、ブッダと真理と修行僧に帰依します。」

 

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 このようなブッダの人格から仏教の特徴的思想が生まれた。慈悲、平等、実践がそれである。

 「慈悲」は最も仏教らしい教えである。それは人間だけを救済しようとするキリスト教の「愛」よりもはるかに広範な自然界への慈しみをも含んでいる。原始仏典は次のような簡素な言葉で慈悲を説く。

「いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸いであれ」(「スッタニパータ(邦訳『ブッダのことば』)」より)

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの止むことが無い。怨みを捨ててこそ止む。これは永遠の真実である。」

「我らはここにあって皆死すべきものである、と覚悟しよう。この理を人々は知っていない。しかし、この理を知る人々があれば、争いは鎮まる。」(以上二句「ダンマパダ(邦訳『真理のことば』)」より)

 

 ブッダの平等思想は、政治的な平等を説いたものではない。カースト制度に政治的抵抗運動をしたわけではない。彼の教えが万人に平等に開かれたもので、彼の教えによって救済されるべきは、全ての階級の人であって特定の階級の人ではない、というのが、ブッダの平等思想である。勿論、こうした考えは政治的ラディカリズムにつながる契機をはらんでおり、後、仏教教団はバラモン階級から様々な圧迫を受けることになる。

 ブッダの平等思想がよく現れているのが、女性修行者を受け入れたことである。当時、尼僧の教団というものは世界中どこにも無かった。ブッダ生存時から一〇〇年ほど経ってから、シリア王の大使でギリシア人であるメガステネースが、インド王のもとに来て、その見聞録を残した。彼はその中で「インドには驚くべきことがある。女性の哲学者たちがいて、男性の哲学者たちに伍して、難解なことを議論している」と、驚嘆しているが、これは主に仏教の尼僧のことを指しているという。「テーリーガーター(邦訳『尼僧の告白』)」には、彼女たちの切実な経験が美しい詩の形で描かれている。

 

 ブッダが求めたのは抽象的な哲学ではなく、「善」であり、その「実践」であった。宇宙は無限に広がっているのか、それとも有限なのか、とか、宇宙は永遠に続くのか、それとも終わりが来るのか、とか、身体と霊魂は同一のものか否か、といったような「哲学論争」に彼は一切答えようとしなかった。彼にとっては、人間がいかに生きるべきかだけが重要であった。仏典の中にある「毒矢のたとえ」が、ブッダの立場を明らかにする。

「或る人が道を歩いていると、毒矢に当たって苦しんでいる人がいた。大変だと思ったその人は、苦しんでいる人に『あなたに矢を射た人はどんな人でしたか、背は高いか低いか、男か女か、色は白かったか黒かったか、バラモン階級の人か奴隷階級の人か』などいろいろと聞くが、なかなかわからない。そして、そんな事を聞いているうちに、毒が体に回って矢に当たった人は死んでしまった。」

毒矢に当たった人にとって大事なのはすぐ治療することであって、矢を射たのがどんな人だったかの詮索は二の次だ。これと同様に、解決できないような哲学論争に巻き込まれることなく、人間がどう生きるかを明らかにし、一人一人にそれを説いて回ることがブッダの実践哲学であった。

 

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 僕は原始仏典に導かれてようやくブッダの原像に接近できたが、これら原始仏典を知らなかった過去の日本人でも、実に数多くの人が、漢訳された大乗諸仏典を通じてブッダの人格に魅せられてきた。日本人で最初にブッダに惹かれ、その原像を探求しようとしたのは、恐らく聖徳太子だろう。この人もまた、鋭敏な感性の持ち主だった。近年でも、「書きたいテーマが山ほどあるが、手が追いつかない」と言う柔らかな感受性を持った手塚治虫が、ブッダに触発されてその生涯を美しい劇画に仕立てている。仏典が描くブッダの姿は、今でも、感じやすい心を持った青年の魂に訴える生命力を持っている。

(一九九二年五月八日)

 

ブッダ(紀元前五六六年?〜紀元前四八五年?)

仏教の開祖。バラモン教の階級制度を否定し、人間は一切平等であると唱える。八正道を実践することで苦や煩悩から解脱できるとし、精神修養を勧める。その無常観は単なる悲観主義ではなく、人類史上最も透徹した世界観、人生観というべきである。

中村元(一九一二年〜一九九九年)

インド哲学者。松江市出身。インド思想にとどまらず、中国思想、日本の宗教思想にも詳しく、比較思想史の権威でもある。一九七三年東大退官後は、「東方学院」を設立。研究、教育に倦むことを知らぬ偉大な学者である。米国、インドなど、海外での声望も高い。

 

〈参考にした文献〉

 中村元訳注「スッタニパータ(邦訳『ブッダのことば』)」(岩波文庫)

 中村元訳注「ダンマパダ(邦訳『真理のことば』)」(岩波文庫)

 中村元訳注「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ(邦訳『ブッダ最後の旅』)」(岩波文庫)

 中村元訳注「テーリーガーター(邦訳『尼僧の告白』)」(岩波文庫)

 中村元・田辺和子著「ブッダ物語」(岩波ジュニア新書)

 坂本幸男、岩本裕訳注「法華経(サッ・ダルマ・プンダリーカ)」(岩波文庫)

 ベック著「仏教」渡辺照宏訳(岩波文庫)

 渡辺照宏著「仏教 第二版」(岩波新書)

 渡辺照宏著「お経の話」(岩波新書)

 岩本裕著「仏教入門」(中公新書)