私の音楽鑑賞メモ(一九九六年〜二〇〇〇年)
美しきライヒャ
アントン・ライヒャ(一七七〇〜一八三六)はベートーヴェンと同じ年に生まれたボヘミア出身の音楽家で、人生の後半はパリ音楽院で良き教師として優れた音楽家を育成した。ベートーヴェンのような「音楽の革命家」ではなく、穏やかな古典派の芸風の人である。
ライヒャでは、一連の管楽五重奏曲が最も有名だが、管楽器を主人公にして弦が共演する室内楽がまた素晴らしい。僕が特に愛好するオーボエ五重奏曲ヘ長調(作品一〇七)は、晴朗なオーボエらしい表情が印象的。また、ファゴット五重奏曲変ロ長調も、この楽器の個性が時に弦楽から浮かび上がり時に弦と解け合って戯れる様が美しい。特に、第一楽章の第二主題でヴァイオリンが気持ちよさそうに息の長い旋律を歌うのに合せて、ファゴットがポコポコとこの楽器独特の音で追いかける様は、「調和の美」とはこれなり、と言いたくなるほど美しい。
シューベルトの後継、ラハナー兄弟
ラハナー兄弟(兄フランツ
:一八〇三〜一八九〇、弟イグナッツ:一八〇七〜一八九五)の音楽を単に保守反動と決めつける見方は、さすがに近年影をひそめてきたようだ。ラハナーはシューベルトと親交を持ち、シューベルトが長生きしていたらこんな音楽を書いただろうと思われる作曲家なのである。AMATIというレーベルから、兄弟の弦楽四重奏曲集が出ているが、堅実な構成の中に叙情性が浮かび上がる、まさにシューベルトの後継者の音楽としてもっと聞かれていい音楽だ。古典派的なしっかりした構成を保った音楽を「保守的」とし、巨大な音響効果や大袈裟な表現を良しとするロマン派的偏見から早く逃れるべきであり、現に急速に見直されている。遅れているのは、決まりきったレパートリーしか取り上げず、「名曲至上主義」に陥ったままの演奏家と主要レコード会社である。二十一世紀の演奏家にとって、正しい歴史に対する素養と知的好奇心は演奏家としての必須条件になるだろう。
ショパンよりフンメル
モーツァルト晩年の弟子であったヨハン・ネポムク・フンメル(一七七八〜一八三七)は、ピアノ音楽において、モーツァルトとショパンをつなぐ進化の過程の存在ととらええることは可能である。言わば、恐竜と鳥類をつなぐ始祖鳥の如き存在ととらえる見方である。しかし、僕は、ショパンがピアノ音楽の進化の究極であるとはとても思えない。むしろ、モーツァルトが退化した存在ではないかと思う。
ショパンに僕は閉塞感を感じる。デリカシー、メランコリー、パッション、ブリリアントといった「ワンパターン」の身振りが、あまりに決まりきった様式に固められていて、どんな演奏家もこの枠から抜け出せないように出来てしまっている。バロックや古典派のような即興の自由度がない。可能性の貧しさを感じる音楽であり、怠惰な感性や陳腐な情緒に喜ばれるだけの代物であろう。
ショパンのピアノ協奏曲は明らかにフンメルの模倣である。フンメルの作品八五と作品一一三の協奏曲を盗んでいる。現代なら著作権をめぐって争いがおこりかねない代物である。そのオーケストレーションの充実度、形式の均衡感は、明らかにフンメルの方が上で、ショパンが唯一勝るのは叙情性だけだ。また、ショパンのエチュード(練習曲)もフンメルの物まね、ノクターン(夜想曲)はジョン・フィールドのアイディアの借り物である。
ショパンが今日なおこれほどもてはやされる理由が僕にはわからない。ジョルジュ・サンドとのスキャンダルといった伝記、伝説で持っている部分がかなりあるのではないか。もしそうならば、単なるタレントミュージシャンである。ショパンは音楽家として、少なくとも作曲家としては、明らかに過大評価されている。
近代日本音楽の西洋派と土着派
いわゆるクラシック畑の人はおおむね西洋派なり。その中の最大の天才は滝廉太郎(海外留学中に結核が悪化して二四歳で死去。真の天才なり)。また、古関裕而は、後に「土着音楽」に転じたが、もともと日本人初の国際作曲家コンクールに入賞するといった、和声の技巧に長けたクラシック畑の人であった由(藍川由美さんの「古賀政男作品集」CDの解説による)。
一方、土着派の代表が古賀政男、吉田正らであり、最近上記の藍川由美さんのように、こうした土着派の音楽を積極的に取り上げる純粋クラシック畑の人が増えてきたのは注目に値する。
既知のメロディ
ハイドンの交響曲第八十九番の第一楽章の第一主題は「しょ、しょ、しょじょじ」である。また、フンメルのピアノ協奏曲イ短調の第一楽章の第二主題は「たんたんたぬきの」である。さらに、シューマンの「序奏と協奏的アレグロ
作品一三四」の主題は「夕焼け小焼けの赤とんぼ」である。昔、僕は、赤とんぼのメロディの美しさを生かして「赤とんぼ変奏曲」を作りたいという妄想を抱いたことがあるが、何と我が妄想はシューマンが実現していた。
第二主題の美しさ
印象的な第二主題は名脇役のいぶし銀の演技のごとし。例えばドヴォルザークのチェロ協奏曲第一楽章やジョルノヴィキのヴァイオリン協奏曲たちの第二主題。また、モーツァルトのピアノ協奏曲変ホ長調K二七一(いわゆるジュノム協奏曲)第一楽章の第二主題。このモーツァルトのピアノ・ソロは、一見どうということもないメロディだが、これが、微妙に揺れるような弦の動きに乗って出てくるのを聴くと、小林秀雄の言う「親の留守に一人で無邪気に遊んでいる子供」の孤独――作り物でない、陰りのない、人間の自然なあり方としての孤独――とは、こういう姿をしているのだと思われてくる。
多重奏曲の楽しみ
にぎやかな多重奏曲たちは食後のスウィートのごとく甘美でおいしい。モーツァルトの各種ディベルティメントをはじめ、ベートーヴェンの七重奏曲、シューベルトの八重奏曲、ルイ・シュポアの九重奏曲、フランツ・ラハナーの九重奏曲といった曲たちを、食事の時のバック・グラウンド・ミュージュックとして流しておくことをお奨めします。
晩年のリスト
晩年のリストのピアノ曲たちの玄妙なること。無調性の世界に踏み込んでいる(二十世紀音楽の先駆)。同時代のピアノの巨人でもショパンなどの「社交音楽」とは何と異なっていることだろう。何と内面的なことだろう。「愛の夢」の作者だった甘美なロマンティストはここにはもういない。
再現芸術
一九九六(平成八)年のある日、僕は、上野の文化会館で、ウィーン弦楽四重奏団員と日本の女流ピアニストT女史の演奏で、モーツァルトのト短調ピアノ四重奏曲(K四七八)を聴いた。弦は何といってもウィーンフィルのトップ奏者たちであり、素晴らしかったのだが、ピアノがいただけなかった。世間ずれしたおばさん風、生活臭漂う中年主婦風の鈍重な演奏で、無神経さと鈍感さは耐えられなかった。弦とのアンサンブルもスカスカであった。モーツァルトの軽やかさもしなやかさも密やかな悲しみも全く伝わって来ない演奏だった。
翌年、たまたまラルキブデッリと渡邊順生氏の組み合わせで同じ曲を聴く機会があった(栃木市で開催された「蔵の街古楽音楽祭」)。こちらは涙が出るほど素晴らしい演奏だった。そのアンサンブルの妙なること!自由と即興性に溢れ、まるで彼らのためにモーツァルトがその場で書きおろしたかのような生き生きした音楽!渡邊氏が即興で装飾をつけたり、表情たっぷりにソロ・ピアノを歌わせたりする時、ラルキブデッリの面々が嬉しそうに微笑んでいるのだ。あの人たちは本当にモーツァルトを楽しんでいた。
同じ曲でも演奏によってかくも違ってしまうのか、と、音楽が「演奏による再現芸術」であることを思い知らされた経験だった。
平成八(一九九六)年〜平成一二(二〇〇〇)年