サリエリの音楽を聞く
アントニオ・サリエリの名はフォアマン監督の映画「アマデウス」(一九八四年)によって世界的に知られるようになり、十九世紀後半以来埋もれていた彼の名前は復活した。しかしこれは「復活」であって「復権」ではない。というのも、あの映画に描かれたサリエリは、陰険な堅物であり、野心家で権力者に迎合する人物であり、しかも嫉妬深く、モーツァルトの才能に嫉妬するあまり、ついに彼を殺害するに至る、という散々な人物像なのである。
しかし、作った音楽から想像されるサリエリ像は、映画「アマデウス」が描く陰険な人物とはかなり異なる。きょう、前田二生氏指揮の新東京室内オーケストラによる「サリエリとモーツァルト」と銘打ったコンサートに出掛けたが、そこで演奏されたサリエリの様々な音楽を聞いて、その感を一層深くした。
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このコンサートの内容は、モーツァルトのハフナー交響曲以外は、すべてサリエリの曲で、オペラの序曲やアリアや重唱、それにオペラに基づく管弦楽組曲といったメニューであった。
サリエリにとって、器楽の占める地位は能う限り低かった。彼はオペラ、それも美しいアリアや重唱で聴衆を酔わすことにプロ根性のすべてを賭けた人である。演劇的センスにも欠けていない。きょう演奏されたオペラ「オルムス王アクスル」の冒頭のアリアと二重唱なども、感動的な愛の場面がドラマチックに描かれている。
しかし全体としては、彼の音楽は、むしろ穏やかな美しさが特徴である。彼の目指した音楽は、他のアンシャンレジームの音楽家同様、「節度ある高貴な簡潔さ」だったのである。彼の音楽にはユーモアやウィットもある。例えば、後にベートーヴェンがその主題で変奏曲を作った、オペラ「ファルスタッフ」の中の女声二重唱「まさにその通り」など、実に軽妙な小曲である。サリエリは決してどうしようもない堅物などではない。こんな穏やかで美しい音楽を書く人がモーツァルトの殺害など考えるはずがあろうか。
きょう最後に演奏されたオペラ「パルミラ」による管弦楽組曲も、なかなか楽しかった。大太鼓やシンバルの音が賑やかに鳴るトルコ軍楽風の曲やら、ヴィオラ以下の低音弦楽器だけで演奏されるしっとりした曲やら、管楽合奏やら、クラリネット・ソロが縦横に活躍する協奏曲風の場面などなど、全体として溌剌としたディベルティメント(喜遊曲)に仕上がっていた。ウィーン楽友協会資料館のオットー・ビーバ博士の解説によれば、この曲はサリエリ時代以来初めての「再演」とのこと。
前田二生氏指揮による新東京室内オーケストラの演奏は、古典派らしさを浮き彫りにした、きびきびして快適なものであった。総じてサリエリの音楽は、モーツァルトに見られるような、心に食い入るがごとき鮮烈なメロディや精妙な和声構造には欠けるものの、水準以上の出来の古典派音楽として充分楽しめるものだった。
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久保田慶一氏によれば、サリエリはウィーン宮廷楽団の管理、運営を一手に引き受け、楽団員の福利厚生の向上にも尽力した人であった。また、この人は優れた音楽教育者でもあって、彼の生徒には、ベートーヴェンを筆頭に、モーツァルトの息子フランツ・クサヴァー・モーツァルトやフンメル、ジュスマイヤー、シューベルト、チェルニー、モシュレス、そして十一歳だったリストなど、名だたる音楽家が名を連ねている。しかも、場合によっては無料でレッスンを施したという。要するに、この人は、音楽家としての才能もさることながら、むしろ大変優れたマネージメント力の持ち主であり、良き教師だったのだ。
「陰険な野心家サリエリ」の像は、もっぱら、モーツァルトの父レオポルトの手紙を典拠としている。レオポルトは、サリエリの陰謀のせいで息子のオペラが興行界で冷遇されている、と怨念がましく述べている。しかし当時のオペラ興行界にあっては、多少の陰謀や策略は日常茶飯事であり、遠くザルツブルグにいたレオポルトに事の公正な判断ができたとも思えない。息子可愛さのひがみもあろう。こんな一方的な「ステージ・パパ」の手紙だけでサリエリを陰謀家に仕立ててしまうのはどうかと思う。
僕には、宮廷音楽家として誠実に日常業務をマネージし、才能ある若い音楽家の育成に使命感を持った、篤実温厚なサリエリの姿が目に浮かぶのである。
(二〇〇〇年五月一七日)
サリエリ(一七五〇年〜一八二五年)
ウィーンを中心に活躍したイタリア人音楽家。はじめオペラブッファで成功し、ついでフランス語オペラをパリで上演。一七八八年にはハプスブルグ宮廷の楽長となる。オペラ以外には教会音楽を多数残した。
〈参考にした文献〉
久保田慶一「モーツァルトに消えた音楽家たち」(音楽之友社)
〈参考にしたCD〉
サリエリ
:オペラ「ファルスタッフ」パル指揮ほか(フンガロトン)