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「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
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光源氏とキティちゃん

 

 徳川美術館の源氏物語絵巻は、人物がすべて「引き目、鉤ぎ鼻」に描かれている。つまり、男の顔も女の顔も、悲しみの表情も笑いの表情も区別されず、みな画一的に一見無表情に描かれている。絵を見た人は、登場人物が美女なのか醜女なのか、また怒っているのか笑っているのか、この場面についての説明を読まなければわからないのである。これは、画家に登場人物の個性を描き分ける筆力が乏しいのではなく、読者の想像力を妨げないように画家がわざと人物を抽象化して描いているのである。例えば、光源氏は絶世の美男子だということになっているが、一体どんな美男子なのか、顔を写実的に描いてしまっては、イメージが画一的に定まってしまう。それでは読者の楽しみは半減する。読者の抱く無数のファンタジーやイメージを壊さないためには、却って抽象的な「引き目、鉤ぎ鼻」の描写が有効なのである。

 同じ原理はキティちゃんで使われている。すなわち、キティちゃんは口が描かれていないので、読者は、キティが笑っているのか、泣いているのか、彼女がどんな気持ちでいるのか、想像をたくましくしなければならないのである。源氏物語絵巻もキティちゃんも、能楽に典型的に見られる仮面劇の原理をうまく使っている。

 僕が源氏物語絵巻の「引き目、鉤ぎ鼻」効果について話した瞬間、キティちゃんも同じだ、と指摘したのは、経営コンサルタントをめざして勉強中の才気煥発な女性であるが、彼女のこの感性に、僕はいたく感心した。

(二〇〇一年三月一一日)