次の文章へ進む
前の文章へ戻る
「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

小室直樹氏の天才

 

 小室氏の近著「痛快!憲法学」は大変勉強になった。民主主義、自由主義、資本主義、議会制度、憲法といった今日我々を当たり前のように取り巻いている諸制度、諸思想が、いかに異なる淵源から発し、近代に至ってようやく相互関連を持つようになったか。マグナカルタだのジョン・ロックの思想だのプロテスタンティズムと資本主義の精神だのといった、小室氏が説くひとつひとつの事象は、僕も、高校や大学で習っているはずなのだが、それらをいかに上っ面でしか理解していなかったかを思い知らされた。それらの根源にはキリスト教があることも常に想起すべきことである。この本は高校生の社会科サブテキストとして使われるべきである。

 今の日本に対する見立ても正鵠を得ている。近年の日本政府の低金利政策と積極的な公共投資は、ケインズ政策だと思われているが、実は極端な低金利や継続的な公共投資はケインズその人が否定したやり方であるし、そもそも今の日本の官僚たちは「ハーベイ・ロードの前提」が成り立つような無私で有能な人々ではない(本書二〇五〜二〇六ページ)。今の政策担当者も経済学者もケインズを本質的に理解していないのだ。

 また、現代日本社会をデュルケムの言う「アノミー」状態であると見立てているのも正しい。社会の規範が失われて、他人との連帯を失い、自分が何者か分らなくなっている状態、ワイマール時代のドイツにも似た「父無き社会」、これこそが今の日本である、と小室氏は言う(本書二六六ページ以下)。

 氏の論を読んでいると、小林秀雄や福田恒存やアラン・ブルームといった真の思索家の声が響いてくるのを感じる。氏はそれらの人々に通ずる思索を行っている。僕の敬愛するエコノミストの先輩によれば、小室直樹氏は、ずっと独身でせんべい布団の安下宿に住んでいるとのことである。まさに不出世の天才と言うべきか。或いは狂人と紙一重の天才と言うべきか。日本の企業はこういう人に社外取締役を務めてもらうべきだと思う。

(二〇〇一年七月七日)