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「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
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人類の宿命

 

 平成一四年一月三日のMXテレビ「東京の窓から」という番組における、惑星物理学者・松井孝典氏と石原慎太郎東京都知事の対談には教えられるところ大であった。まず第一に、抑制の美学を人類に浸透させるには、「地球にやさしく」だの「自然との共生」だのといった人間中心の奢った思いつき標語ではなく、「休み無く進む太陽の膨脹により、地球はあと五億年で生命の維持が不可能になり、十億年で海も陸もなくなり、五十億年で滅びる」という地球の運命についての透徹した認識が必要であるということ。高度な科学が辿り着いた地球の有限という真理を私たちはよく味わわなければならない。まさに仏教の説く無常とはこういうことなのである。無常なるがゆえに私たちは今ある地球を慈しまなければならない。ちょうど死から逃れられない自らの生を慈しむように…。

 第二に、人間のパラドックスをよく自覚すべきであるということ。人間は自然を破壊して住居や町を作らなければ生きてゆけない。また、人間は他の生き物を殺して食わなければ生きてゆけない。人間が増殖し生活水準を向上させることは、地球が破壊され他の生き物が殺されるということであり、人間圏が拡大することは地球の生態系の均衡が破壊されることなのである。それゆえ私たちは地球と生き物たちを慈しまなければならない。これも仏教が三千年前に私たちに教えた真理である。

 第三に、先進国の人間が今の生活水準を維持したいなら、江戸時代まで日本人が持っていた「仮の宿」の感覚を取り戻す必要があるということ。地球は人間の「仮の宿」であり地球上のモノは全て借り物である、と私たちは悟るべきである。土地をはじめモノへの「所有」を捨て、かつ、経済成長を捨てることである。現在の生活水準で満足し、あとは人間の内面、つまり文化、芸術、自己修養などに生きがいを見出す生き方をすべきである。この「仮の宿」の感覚も仏教に起源がある。

 不思議なことに、仏教の教えと現代の地球物理学から導き出される人間のあるべき生き方とは一致する。むしろ科学がようやく仏教の真理に追いついたというべきであろうか。

平成一四(二〇〇二)年一月三日