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「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
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責任ある言論とは何か

 

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 小泉首相が唱える改革に対するマスコミの無責任な態度を、「口に改革必須を唱えながら、実行者が着手した途端、展望皆無とか実効不明とかを言い立てて冷罵を浴びせ、悲観的に冷笑して自己の具眼・達観を誇る。その心根は極めて卑しい。」と描写する池宮彰一郎氏の現代マスコミ批判は誠に正鵠を得ている(平成一四年一月二三日付日経新聞連載小説「平家」)。

 マスコミだけではない。日本の言論人には、およそ責任感の欠如した人たちが多すぎる。僕が言論の無責任度チェックを行いたい対象が三グループほどある。頭が固く左翼教条的でセンチメンタル、そのくせインテリ的自意識、特権意識から逃れられない「進歩派(朝日新聞文化人)」と、その大衆化した「タレント派(宮台真司、田中康夫ら)」、それらと主義主張は異なるが、責任感が欠如していることでは共通する、経済論壇における「市場原理派(中谷巌、竹内靖雄ら)」である。

 第一のグループである日本の左翼は資本主義の「寄生虫」であり、志は低く心根は卑しい。我が高校時代にも、左翼思想に毒されたFという歴史の教師が居た。自ら専攻した学問に敬意を抱かず、何の向上心も持たず、自分の給料が安いのは今の政治のせいだと言い、世の中を悪く言い募り、マージャンなど刹那的な生活に明け暮れていた。心ある生徒はFを軽蔑していた。(平成一五《二〇〇三》年一月一九日追記―最近では、北朝鮮の肩を持ち、拉致被害者の家族たちの心情を乱す活動をしている「週間金曜日」なる雑誌に屯(たむろ)している連中がかつての左翼の生き残りである。)第二のグループのタレント派(宮台真司、田中康夫ら)は、進歩派文化人の大衆化した連中であり、正義感ぶった言説ないしは若者に媚び諂(へつら)った言説を売り物にする言論タレントであり似非インテリである。

 注意しなければならないのは、現在の保守言論人の多くがもともと新左翼の活動家であったことだ。つまり彼らは思想的転向者であるということだ。西部邁然り、谷沢永一然りである(一方、呉智英は自ら「封建主義者」と称して、実際に自分の親の面倒を看るために地元の名古屋に在住しているらしい。彼こそ首尾一貫しているのかもしれない)。かつて最左翼だった人たちほど右に大きく振れたのだ。中道左派とも言うべきかつての共産党、社会党に馴染んだ人たちはそこまで右には振れていない。彼ら新左翼からの転向保守派にとっては、「はじめに思想ありき」ではなく、「はじめに言論(ないし政治活動)ありき」なのである。生活者として、生まれ育った家族や地域に根を生やしてものを考える、本来の保守思想を持ちあわせているのではない。従って、彼らが自らの信念、信条に忠実である保証は何も無い。思想へのこだわりよりも、流行に乗ずるのが得意なだけの風見鶏である可能性は高い。保守言論人の言論をよく観察し、責任ある態度をとっているか、その真贋を厳しく見極めなければならない。

 一方、第三のグループである、経済論壇における市場原理派(中谷巌、竹内靖雄ら)は、国益と国民相互信頼を醸成しようとする意思を欠き、流行に追随する風見鶏であり、ブームを煽るアジテーターである。およそエコノミストと呼ばれる人種にはこうした無責任な流行煽りが多いが、ブームに踊らないエコノミストたちも少数だがいる。飯田経夫、下村治といった人々がそうである。

 

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 では、責任ある言論とはどんな姿をしているのか。学士会報(平成一四年一月一日号)に掲載された「日本人が『社会科学』するということ」と題した丸楠恭一氏のエッセイがまさにその好例である。丸楠氏は、現代日本の社会科学者とはどう生きるべきかを考察する。まず氏は、「社会科学というものが一般に、広く言えば『近代以降の世界における西欧優位の構造』の、狭く言えば『戦後世界における米国支配』の正統性を強化する役割を(意図的か否かは別として)果たしている」中で、日本の社会科学者が、西欧の物差で自国を測定するという「普遍と特殊の序列感覚」を強要される現状を率直に告白する。その中で、日本の社会科学者の生き方は四つほどあり得る。

 一つは、こんな問題意識には「すべて蓋をし、みずからの抱える歴史性・文化性を断ち切って頭の中身を『西欧』に改造し、西欧語ないしその完全な直訳で研究を行なう以外の学問を認めない」立場であるが、これは、日本人としては「酷い」選択となる。二つは、学問上は第一の生き方を採り、日本人として満たされぬ知的欲求は評論等の非学問世界に求めるというもの。しかしこれでは学問が単に「パンのための存在」に成り下がる。第三は、「一切の価値評価を避け、ひたすら現実を記述的に描写し、実証主義に徹すること」であるが、これは「学問世界の全体構造に対する消極的な反応」でしかない。第四は、正面きって壮大な文化論、哲学論を展開することだが、これは「社会科学」を大きく超えたものとなる。

 丸楠氏は、第一から第三までの消極策を排し、第四の道を志向する。すなわち、「日本人が日本語で日本を対象に社会科学すること」を「避け得ぬ歴史性として引き受けて『社会科学』を行なって行くしかない。これは困難な道ではあるが、希望も無いわけではない。」なぜなら、「自らが(非西欧という)非普遍の立場にあるがゆえに、『複眼的な目を巧まずして持ち得る』という面で優位性を持ち、こうした方向を深堀することによって、何らかの学問的な強みを持ち得る可能性があるのである。」「自らが身に纏う政治性、文化性や情緒的部分から目を背けること無く、その宿命を引き受け、そうした立場の人間だからこそ優位性を持ち得るような学問研究を行なうことによって『知の世界』に貢献するのも、二十世紀後半に日本人に生まれ二十一世紀初頭に『社会科学』を生業とする者の一つの役割と思うのである。」

 こういう言論こそ責任感に満ちた滋味ある言論である。日本の知識人の宿命を責任を持って引き受けようと公言する丸楠氏の志の高さに僕は心から敬意を表する。この自意識は、ロシアのインテリゲンツィアたちと同じく、周辺文明のリーダー層・知識人層にどうしても必要な矜持である。

平成一四(二〇〇二)年一月二三日