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「古典派からのメッセージ2001年〜2002年編」目次へ戻る
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「ト短調のウィーン」コンサートをめぐって

 

 平成一四(二〇〇二)年二月二四日、晴海アイランド・トリトンスクエアの第一生命ホールで開かれた「オーケストラ・シンポシオン」の演奏会に出かけた。この団体は、小生が前から応援している古楽器オーケストラである(「オーケストラ・シンポシオン」のホームページはリンク集で紹介済み)。会場は昨年できたばかりの第一生命ホールだったが、ここは、東京湾に張り出した、海を眺められる快適な空間であった(最寄駅は都営地下鉄大江戸線の「勝どき」)。

 この日のプログラムは、「哀調のウィーン 一七八〇年代のト短調交響曲集」と称して、J・ハイドンの交響曲第八三番ト短調(HOB.T―八三「めんどり」)、L・コジェルフの交響曲ト短調、モーツァルトの「魔笛」よりパミーナのアリア「愛の喜びは露と消え」(このアリアもト短調!)、そして最後にモーツァルトの交響曲ト短調K五五〇(第四〇番)といった、すべてト短調の曲集であった。指揮は、チェリストであり、このオーケストラのリーダーである諸岡範澄氏、幕間のお話は音楽学者の安田和信氏、それに特別ゲストとして松堂久美惠さん(ソプラノ)を迎えていた。

 この演奏会の感想を主宰者にメールで送ったところ、とても丁寧かつひらめきに満ちたお返事をいただいた。ここに主宰者のご了解を得て記載させていただく。

 

〈コンサートの感想〉

 ウィーン古典派のト短調の交響曲を三曲の中では、コジュレフの交響曲が印象的でした。この日一緒に演奏されたモーツァルトらの有名曲と伍して聴ける傑作だと思いました。この時代の音楽で取り上げられる曲はモーツァルトとベートーヴェンに偏っているので、こうやって隠れた名曲を演奏してくれたシンポシオンの企画に大いに拍手します。ただし、モーツァルトの四〇番交響曲の終楽章をあんなに遅いテンポで演奏するのは、ユニークではありますが、小生にはとても違和感がありました。

平成一四(二〇〇二)年三月二日

生方史郎

 

〈諸岡範澄氏からいただいたお返事〉

生方史郎様

 ご丁寧なメールどうもありがとうございました。大変嬉しく読ませていただきました。生方様には以前にも一度メールを戴いたことがあったように記憶しております。

 「古典派からのメッセージ」、一部拝見させていただきましたが、非常に広い視野をお持ちのようで、感服いたしました。経済の方はあまりわかりませんが、文学、映画等にも精通されていらっしゃいますね。

 小津安二郎は私も大好きで、二ヶ月にいっぺんくらいはビデオですがどれかを必ず観ます。小津映画の音楽、おっしゃるように頓着ない感じですが、私には逆にその「垢抜けなさ」「平凡さ」が、「特別な人々ではない」市民の感情をウェットにならずに描く安全弁、そして力の抜けたおかしみを醸し出す重要なポイントになっている気がするのですが、いかがでしょうか?

 私は黒沢映画なども割と好きなのですが、黒沢作品中今まで唯一観るチャンスがなかった「デルス・ウザーラ」を先日やっと観ることが出来ました。大自然の美しさ、厳しさ、その中での人間のちっぽけさ、逞しさ、命のはかなさと素晴らしさ…。いろいろ考えさせられた素敵な作品でした。生方様はご覧になられたでしょうか?(主人公のデルスの何と魅力的なこと!)

 ご指摘のあったモーツァルトの四〇番の終楽章のテンポですが、おそらく多くの方が「何故?」と思われたかもしれませんね。私は、通常この楽章でとられるテンポは「速過ぎる」と考えています。通常は「疾走する哀しみ」的な捕らえ方からくるのか、さあっと駈け抜けるように、つまりプレスト的なニュアンスになっています。しかし楽譜の表記ではアレグロ・アッサイ、しかも二分の二拍子のアレグロ・アッサイですから、先日のようなテンポでも十分「速い」のです。半音階の「受難」のフィグーラを多用していたり、メランコリックな第二主題や、いかにも教会音楽的な対位法を駆使する展開部など、まああくまでも私の感覚ですが、あまりにもいろいろな要素が込められているので、それらを十全に表現するには、通常のプレスト的にさあっと通り過ぎるようなテンポでは到底間に合わず、聴衆にも伝わりにくいと判断したのです。習慣的にやられるテンポやデュナーミクなど、本当にそれが適切なのか?というところから始めることは私どもの基本的な姿勢ではありますが、別に故意に普通と違ったことをやろうとしている訳ではなく、四〇番の場合、あの楽章に込められた様々な要素をなるべく生かすためにあのテンポを選択したということをご理解いただけるでしょうか?

 実際にモーツァルトがどいういうテンポで考えていたかはもはやほとんどわかりませんので、様々に調査を行った上で、最終的には演奏者の考えでやるしかないのですが、その結果一般的な印象を裏切ってしまうこともよく起きてきます。でも、それによって今まで見えなかった、曲の隠された一面、あるいは本来意図されていたであろうと感じられる側面が浮き彫りになってくる場合もあり、それを説得力のあるものに表現していくのが私たちの大きな楽しみでもあります。

 コジェルフのト短調、こんな素敵な曲が埋もれているのは残念ですよね。もっとも当時はかなり人気があったようで、ウィーンはもとよりイギリス等でも出版されたそうですが。イギリスといえば、先日キングレコードより発売された「蛍の光のすべて」に私どもの演奏したW・シールドの「Rosina」序曲が収録されていますが、この曲の最後に引用されている「Auld Lang Syne」(蛍の光の元歌)が当時流行しており、イギリスの出版社がコジェルフに、「Auld Lang Syne」を含むスコットランド民謡集の編曲を依頼したという経緯があり(ベートーヴェンやハイドンも依頼されています)、その縁もあってト短調交響曲も出版されたのではないでしょうか。

 私どものコジェルフのト短調と四〇番のCDは、発売日はまだ未定ですが、おそらく夏ころリリースされると思います。よろしかったらお聴きになって、またご感想を下さいませんでしょうか。

 これからも有名曲だけでなく隠れた傑作もどんどん採り上げていく所存ですので、どうか今後ともご支援の程よろしくお願い申し上げます。モーツァルトやハイドンにもまだまだ無名の傑作がたくさんありますし、ゆくゆくは古典派だけでなく、シューマンやドヴォルジャークなど、ロマン派作品にも挑戦したいと思っております。

 乱筆にて失礼致しました。

平成一四(二〇〇二)年三月一八日

オーケストラ・シンポシオン 諸岡範澄

 

〈さらに返信〉

オーケストラ・シンポシオン 諸岡範澄様

 先日はご丁寧にお返事をいただき、ありごとうございました。

 自分が「疾走する悲しみ」にとらわれていることは何となく感じていましたが、今度諸岡さんに丁寧な解説を頂き、モーツァルトの細部の工夫を浮かび上がらせるための遅いテンポがよく理解できました。CDでもぜひあのテンポで演奏してください。繰り返し聴いて新しいモーツァルトの味わいを我が感性に取り込みたいと思います。また、ロマン派音楽の演奏にもおおいに期待しております。

平成一四(二〇〇二)年三月二〇日

生方史郎