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「古典派からのメッセージ2001年〜2002年編」目次へ戻る
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哀しみのヴィヴァルディ

 

 サントリーホールでのベルリンフィル・バロックゾリステンの演奏会に行った。テレマンやペルゴレージの比較的珍しい曲も含んで、盛期バロック時代の大作曲家たちの曲が並べられた素晴らしい饗宴だった。

 まず、コレルリは作品六の七の合奏協奏曲。気品ある宮廷音楽であり、対位法も堂に入ったもので、僕も大好きな曲だが、きょう、ほかの音楽家(特にテレマンあたり)の曲と並べて聞いてみると、いかにもきまじめな優等生の音楽といった印象も受けた。次に、テレマンは「ふたつのヴィオラのための協奏曲」(TWV五二:G三)。コレルリと比べると、愉悦にあふれ、奔放な音楽だ。ソロ楽器としてはやや不器用なヴィオラがふたつで一生懸命会話を交わすさまがどことなくユーモラスだ。

 ヴィヴァルディのチェロ協奏曲変ロ短調(RV四二四)は、「毎度おなじみのヴィヴァルディ節」ではなく、個人的で深い感情が込められた悲痛極まりなくも美しい曲。僕はヴィヴァルディでこんなに深い情感を湛えた音楽をこれまで知らなかった。「哀しみのヴィヴァルディ」とでも名づけたくなる名曲だ。独奏チェロのゲオルグ・ファウストの演奏も、ほれぼれするような技術で、こくのある味わい深いものだった。大バッハはBWV一〇五六から復元されたヴァイオリン協奏曲。この団体のリーダーであるライナー・クスマウルが独奏を受け持つ。この人のヴァイオリンは、おおむね情に流されないきびきびした演奏だが、有名な美しいラルゴだけは、たっぷりとヴァイオリンを歌わせていて見事だった。

 ペルゴレージはクリスティーネ・シェーファーのソプラノ独唱が加わって、室内カンタータ「オルフェオ」から「この閉ざされた場所で」と、ハ短調の「サルヴェ・レジナ」。ペルゴレージの魅力は言わば「幼稚画」の魅力である。平板な曲想だが、独特の哀感、無垢の美しさがある。サルヴェ・レジナのひっそりとした終わり方など、下手な作曲家がやると芝居じみて嫌みだが、ペルゴレージでは真実の信仰のうめき、心からの祈りが聞こえてくる。

 シェーファーの声は、あんなにきゃしゃな体からは想像がつかないような、堂々たるものであった。短調の部分の厳しい表現が続いた後、長調の部分では声色が本当に柔らかく優しくなり、聴く者を魅了せずにはおかない。彼女のきょうの衣装は、背中が大きく出ているだけではなく、胸も菱形に空いたセクシーなものであった。宗教音楽を歌うにはいかがなものか、などと硬いことは言うまい。耳だけでなく聴衆の目をも楽しませようとする彼女の芸人としてのプロ根性に拍手したい。

 アンコールのヘンデル「オン・ブラ・マイ・フ」の、抗し難いリリシズム! 始めの序奏が流れてきただけで、僕はもう涙の流れるのを止めることができなかった。

平成一四(二〇〇二)年二月一三日