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「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
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残業代の不合理

 

 サービス業における残業代の支払ほど不合理な制度は無い。工場での単純な作業であれば、確かに、残業が発生するのは会社の増産要請に応じるためであろうから、その分だけ残業代を従業員に支払うのは当然である。ところが我々銀行業のようなサービス業では、会社にいた時間に対して従業員にカネを払うという論理はおかしい。我々はお客様に満足していただきその対価をいただくことで成り立っている。いくら残業してもお客様に喜んでいただけなければ収益は挙がらない。小生の勤務先銀行のように、営業マンが投資銀行業務などをフルに活かして頭と工夫と知恵でお客様に対応しなければならないような業態では特にそうだ。

 厚生労働省は、近年、裁量労働制度を拡充し、デザイナーのような仕事のみならず、企業の企画部門でも裁量労働を可能にした。しかし、このような「原則は労働時間に対価を払うべきであって、例外的な仕事にのみ裁量労働を認める」やり方は逆である。我々の銀行では残業にカネを払わなければならないような単純労働は例外である。我々の業績は従業員が会社にいる時間とは無関係である。従業員は、営業に効果のある仕事だけを効率的に行い、できるだけ早く会社を離れて、豊かな人間関係を構築したり自己研鑚に励んだり感性を磨くべく本を読んだり芸術に触れたりすべきである。こうした活動の方が、仕事を長くやるよりもむしろ企業から求められる資質を磨くことにもなる。残業代がもらえるからダラダラ仕事をして生産性が落ちるなどというのは本末転倒である。

 残業代は、また、つけ方や管理がどうしても不公平になり、管理する手間も大変だ。こんなに問題点が多く制度疲労している残業代というものは早く廃止したい。既得権益を守らなければならない従業員組合にどうしても妥協しなければならないのなら、会社が払っている残業代分を賃上げした方がよほどすっきりする。

 

・小生の「残業代の不合理」論について、「すえだま」さんから、次のような投稿をいただきました。的を得たご指摘も含まれておりますので、紹介させていただきます。

 

「残業について」 

 

 生方さん。こんにちは。また来てしまいました&また書いてます。「残業をなくせ」論、おもしろく読ませていただきました。失礼ですが、私はしっかり残業が支払われる環境におられる生方さんをうらやましく感じましたよ(あはっ)。まあ冗談は抜きにして、私の会社(某外資系通信社)の場合、残業代が出るのはまれなことです。我々記者は八時間労働をしっかり守らされます。というよりもみずから進んで守ろうとするのです。みんなさっさと仕事してとっとと帰ります。夜が遅くなるとあらかじめ分かっているときは、必ず遅い出勤になります。というよりもみずから進んでそうするのです。また、意味もない残業に会社からお金が払われることはないので、無駄に会社に残ろうとする人もいないわけです。いずれにしても、会社の外に得るものがあって、それを積極的に吸収すべきとの生方さんの主張は同感です。

 生方さんには申し訳ないですが、職業柄(そして一市民として)銀行という企業についてはどうしても批判的になってしまいます。もちろんみなさん額に汗して一生懸命働いておられると思うし、必死に不良債権を処理しておられるのでしょうが、やはりOVERBANKINGの感は否めないと思うし、一方で、今後いっそうの企業倒産が雪崩式に発生してくるとしたら、不良債権の額も膨らむ一方だと思う。二〇〇二年三月期決算もぼろぼろだったし。「株価さえ上がってくれれば」なんて呑気なこと考えてる人はそれほどはおられないとは思うけど。でも、立場の厳しさを認識しておられるトップは果たしてどれほどおられることやら。この間の某銀行のシステムトラブルもそうだけど、危機意識というのがどうも我々には伝わってこないし。だから「やっぱ銀行は甘い」と言われてもしかたないと思う。まあ、もちろん生方さんのことは批判しておりませんし、私の仕事の愚痴なので無視してくださいね。もちろん、生方さんのようなすぐれた行員の方も私は多く知っているので、銀行すべてをひとつにくくって悪いというつもりもありません。

 最後に残業で思いついたのですが、我々は毎月勤労統計の所定外労働時間を注視しているのでした。これが増えると一般に景気が上向いているサインとみられているからです。やはり製造業をよくみますね。それではまた。今度はミヒャエルハイドンについて書くことにしますね。

平成一四(二〇〇二)年六月二日