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「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
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日本の戦略を考える

 

科学技術戦略

 「諸君」平成一三(二〇〇一)年一二月号に、石原慎太郎東京都知事の米国ハドソン研究所での講演が掲載されているが、相変わらずの歯切れよい防衛論、日米関係論に快哉を叫びたい気持ちだ。彼の主張は、常に、政治家としてのきちんとした情報収集に裏付けられており、かつ骨太の論理で貫かれている。なぜこういう議論が日本の保守政治家に共通の思考軸にならないのか、不思議である。講演後のさまざまな質問に対して、石原都知事はユーモアをふんだんに織り交ぜた回答をしており、とても楽しめる質疑応答になっている。日本の政治家の中に、こうした国際舞台で聴衆に感銘を与える話のできる人が何人いるだろうか。

 ゲームを生き抜くためには、自分がどんなカードを持っているのか、自覚すべきである。他国との相対比較で、自国が有利な点は何か、まずこれをよく認識することである。石原都知事が述べているのはこの点である。「日本の科学技術力をもっと自覚的、戦略的に用いるべきである」というのが石原氏の主張であり、とりわけ「アジア諸国と協力して二十一世紀の新技術、新産業を開発すべきである」との主張は首肯できる。具体的な分野として、航空機開発、宇宙開発プロジェクト、先端医療、バイオテクノロジーなど、多岐に渡って列挙されている。

 この石原都知事の「科学技術戦略」論を皮切りに、何人かの論者の論を拾いつつ、日本の国家戦略を考察してみたい。

 

文化戦略

 日本の文化の強みをよく弁えている論者として日下公人氏がいる。「Voice」平成一二(二〇〇〇)年二月号で、日下氏は、文化における日本の国力の強さを懇々と説いている。例えば、ピカチューに見る「察しの文化」主導の世界標準作りに日本は成功する可能性があり、これは、人間相互不信を底に持つ弁護士万能社会とは正反対の人間社会のあり方である。日本人は自分では気づいていないが、日本流の人間信頼の哲学は世界から注目されており、桃李物を言わざれど人はその下におのずと集まる日本の「徳」を、国際社会は評価するようになるという。京都の国際日本文化研究センターの浜口恵俊教授が理論化を試みておられる「間人」という人間観(孤立した個人ではなく、人との関連を意識して生きるのが人間であるという人間観)も日本型人間信頼の哲学である。社会の構成員が自分のことだけではなく社会全体を考えて自己抑制できる自己規律、これこそが成熟した民主主義社会に求められる倫理であり、日本が世界に宣揚すべき人間論である。

 また、世界の大勢が民主主義社会であればこそ、世界に愛されるサブカルチャーを持つことは国家戦略上極めて重要であるという。アメリカのコークとマックは象徴的である。いや、アメリカ自体がサブカルチャーそのものである。日本の、古くは浮世絵(これは江戸時代のサブカルチャーである)、そして二十世紀のマンガ、ポケモン、愛玩用ロボットは充分世界に通用するとの氏の議論に僕は心から賛成する。

 

日本と日本人の自立戦略

 日本人がみずからの強みと弱みを自覚し、その哲学を世界に力強く発信するためには、日本国のアメリカ依存、日本人のお上(行政官僚)依存を正す必要がある。すなわち、日本国と日本人の自立戦略が必要である。まず第一に、マッカーサー憲法の破棄と自主憲法の制定により、「真の独立国家」を実現することが必要である。次に、官僚制に乗ったおみこし政治をやめ、大統領制を導入して政治の行政官僚に対する主導力を確立し、「真の民主政治」を実現することが求められる。経済面では、市場原理による各業界再編、官業の徹底的な撤退及び財政投融資の大幅縮小を行うべきである。その上で、街の伝統と品格を重んじるという明確なヴィジョンに裏付けられた、民間主導の住環境・住宅の大整備、都市大再編・再開発を実行したい。価値観では、家族と地域共同体を最大限に尊重し(いたずらな個人主義の拡張には反対)、伝統への敬意と回帰を促し、自立自尊国家を建設する。おおざっぱな自立戦略とはこんなぐあいになろうか。

 増田俊男氏は次のように主張する。日本が慈愛に基づく「与える憲法」を作り、アメリカは原爆投下と不公正な東京裁判を謝罪する。これにより、日本は真の主権を取り戻し、自ら世界に責任を持つようになる。そしてアメリカを救う、と。自立とはこういう心構えを持つことであろう。

 

「自然との共棲」戦略

 アメリカ文明に欠けているものは共棲の思想である。啓蒙思想の落し子ともいうべき進化論の思想がアメリカを支配しており、強きが弱きを倒すことを必然とみなし、環境適応力で全てを説明し尽くそうとする。この思想は、無限の資源、無限のフロンティアの前提があれば、敗者も一定の富を享受できるので、経済社会の運営の仕方として成り立つかもしれない。しかし、人口の増加や人類の生活水準の向上は地球に過大な負荷をかけてゆくのが今後の世界である。自我を出来るだけ伸ばせば見えざる手によって予定調和が図られるという市場原理主義は、環境の無限を前提にしている。これに対し、有限の環境を前提に生物が共棲することを一般的な姿と説くのが今西錦司流の共棲の理論である。これは、先の「間人」という人間観とも通じる日本的な自然観、世界観である。言わば「足るを知る」のが生物の本来の姿であるとの思想である。江戸時代がまさに自然との共棲と資源再生社会であったことが、近年の歴史研究によって明らかにされつつある。

 地球環境の有限性が明らかになりつつある今、自然との共棲思想を世界に流布することも日本の大切な使命であろう。世界のモデルとなるような持続可能な成長のパラダイムを描き、そのための技術開発を国家と民間の共同プロジェクトとして促進すべきである。

 増田俊男氏曰く、「精神の国連」を作り、企業活動に「慈愛」の観点からの格付を行う。それにより、環境対策や自然保護や弱者支援といった善を積む企業ほど株価が上がり、経営者も評価される、といった仕組みを作る。善行を行うことは、資本の論理からすればまったく「外部不経済」にすぎないが、こういう仕組みを作れば、善を積むことが株主利益になり、もはや善行は「外部不経済」ではなくなる。増田氏のこのアイディアは素晴らしいと僕は思う。

平成一四(二〇〇二)年六月一六日