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「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
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経済政策の基本視点―我々はどうありたいのか―

 

 本当に人々がどうしたいのか。高度成長を望むのか、堅実なゼロ成長がいいのか、よくわきまえず、人間をパブロフの犬のような条件反射で動くと思ったらとんでもない間違いである。目標インフレ論など、マネー中心論者はこういう過ちを犯している徒ではないか。土木工事を惰性で行おうとするニセ・ケインジアンも然り。

 日本をどう改革するのか? その前に「我々はどうありたいのか」の強い意志がなければならない。むしろこの議論が足りない。「どう」改革するか、ではなく、「何のために、どうなりたい」から改革が必要なのか? 国民の大宗が納得するような説得力ある議論は見当たらない。今の日本人が欲しているのは、金銭ではなくて「名誉」であり「誇り」であり「愛されること」だと僕は思う。まず、政策運営者は、経済学で解決し得ない問題を、無理矢理経済学の対象とするなかれ。腹一杯の人になお飯を食わそうとする愚を犯すなかれ。

「構造改革」を一般論で述べ立てる輩は、単なるアジテーターにすぎない。「構造改革」の議論は各論をしなければ全く意味がないのである。一体「何を」「何のために」「どのように」改革したいのか、極めて具体的にそれらを示し、実行の強い意志を示すことが必要である。構造改革論者はどんな「構造」をどういう風な「構造」に変えたいのか、具体的に言わない。「アメリカ型にしたい」と正直に言うと反発されるからだ。一方、保守派も「日本型」という言葉への反発を恐れ遠慮して物を言う。はっきり言わぬと生産的、建設的な議論はできない。小泉首相が「構造改革」を説くのを僕は基本的には支持しているが、首相が日本をどういう国にしたいのか、日本人が国際社会で「名誉」や「誇り」を持てるようになるのに「構造改革」がどう寄与するのか、つまり「構造改革」の目的が今だに鮮明に伝わって来ないのは残念である。

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 具体的な経済政策論で言えば、時価で換算した日本国の「実態バランスシート」、例えば公共工事の価値の「残高」を開示して政策を議論し、今を我慢して将来に備えるのか、今を謳歌したいのか、国民に選択を迫るのが正しいやり方である、との奥村洋彦学習院大学教授の指摘は正しい(学士会報平成一一年一月号)。

 また、供給サイドを改革して新産業育成を、という中前忠氏の主張と、文化産業論の日下公人氏の主張は相通ずるものがあり、正しい提案だと思う。

 また、平成十四年元旦、東京MXテレビの「東京の窓から」で、ジェラルド・カーティス氏と石原慎太郎東京都知事との対談において、両氏が日本経済の最優先課題を明快に指摘しておられた。それは、「住宅問題」と「税制」である。日本人は今や欲しいものが無くなりつつあるが、唯一非常に不満足なのが住宅である。ベルギーやオランダのような、日本よりも国土の狭い国々でも、日本より豊かな住宅を人々は享受している。豊かな住宅を国民が享受することを目標に、効果的で思い切った政策は何かを議論すべきである。一方、税制は、過剰な累進課税と、直間比率が問題である。欧米と比して累進課税の苛酷と直接税への過度な依存は異常である。悪平等を是正し、伸びようとする意欲ある起業家、資本家を大事にするような税制にするべきである。これらの指摘はいずれも正しいと僕は思う。

 一方、経済安全保障の観点も忘れてはならない。かつての石油危機の教訓をすっかり忘れ、相変わらず中東原油に過度にエネルギー源を依存している日本のエネルギー政策は全くお粗末である。外貨を稼げるうちに備蓄と原油輸入先の分散と代替エネルギー政策を強力に進めるべきである。

平成一四(二〇〇二)年九月十五日