次の文章へ進む
前の文章へ戻る
「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

春の夜の西洋古典派音楽

 

 さる三月二一日、石川県立音楽堂へ、オーケストラ・アンサンブル・金沢(以下OEK)の定期公演に出かけました。この日のプログラムは、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、モーツァルトのピアノ協奏曲ハ長調K四六七、それにベートーヴェンの交響曲第二番でした。指揮は、ウィーンフィルのコンサートマスターを務めたこともあり、また、アルバン・ベルク弦楽四重奏団のリーダーでもある、ギュンター・ピヒラーさん。

 僕にとってこの日の収穫は、モーツァルトの協奏曲でピアノを弾いた菊池洋子さんでした。まだ二〇歳代と思われるこのピアニストは、昨年のザルツブルグ・モーツァルト・コンクールで日本人として初めて優勝した人とのこと。体も大柄で、舞台に登場した瞬間から華を感じさせるピアニストです。音の粒ぞろいの良い、生き生きとした演奏で、僕は今まで、モーツァルトをこんなに楽しそうに演奏する人を見たことはありません。また、第一楽章のカデンツァは多分菊池さんの自作だと思いますが、この出来栄えがまた見事でした。もちろん「長調の曲を弾いてもモーツァルト独特の透き通った哀しみを感じさせる」ような陰影は、まだこの人の演奏からは立ち現れては来ませんが、僕は、純粋に音楽の美しさで涙が溢れてきました。「このピアニストは大成する」と直感した次第です。

 OEKはロマン派よりも古典派音楽にその美点が発揮されるオーケストラだと感じました。というのも、きょうの最初のメンデルスゾーンは、曲も演奏も中途半端で楽しめなかったのに対し、モーツァルトのピアノ協奏曲になった途端、オケが生き生きと輝き出したからです。ベートーヴェンの第二交響曲もメリハリのある好演でした。ピヒラーさんの指揮もOEKの美質をうまく引き出していたように思いました。このオケにピヒラーさんは相性が良いのではないでしょうか。

 ところで、ベートーヴェンの交響曲といえば、第九や第五などが人気曲ですが、僕が好きなのは第一と第二交響曲です。これら初期の交響曲には、「際立った力感」といったベートーヴェンらしさも既に出ているのですが、まだ師匠であるハイドンの芸風が色濃く反映されています。きょう演奏された第二交響曲でも、第三、第四楽章のおどけたような表情はハイドンそのもので、僕には大変好ましく思われます。ベートーヴェンも、眉間に皺を寄せさせるような曲ばかりでなく、こうした微笑みに満ちた、聞く人を幸せにする曲も書いているのです。

 私たちはベートーヴェンのほんの一部しか知る機会がありません。「力感」と「幻想曲風瞑想」は確かにこの人の大きな魅力であり、そうした魅力は第五、第九交響曲や後期ピアノソナタや後期弦楽四重奏曲によく現れています。しかしベートーヴェンは、「音楽の革命家」であっただけではなく、良きエンターテイナーとしての広大な領域を持っています。例えば、私たちがほとんど耳にしないピアノのための数多くの変奏曲、弦楽器や管楽器のための楽しいセレナードの類がそうです。

平成一五(二〇〇三)年三月二一日