次の文章へ進む
前の文章へ戻る
「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

武士道の蘇生

―日本におけるノブリス・オブリージュ確立のために―

 

T

 

 無気力に陥ったり粗暴になったりする若者についての報道が目立つ。僕は、こうした報道は過剰であり、若者の世界は報道されるよりも相当まともだと信ずるが、現代日本は若者が自己確立しにくい世界であることは確かだ。これは若者の問題というより、我々大人の問題である。大人自身が規範を示せずにうろたえたり子供の機嫌をとったりするから、若者が自己を確立できないのである。

 現代日本の諸問題を「価値観の多様化」という言葉で分析し容認する学者たちに対し、僕は、小林秀雄の言葉を借りて、「よく出来た嘘をつくものだ」と言いたい。人間が人間らしく生きるには、自由や多様化と称して何でもかんでも容認すれば済むものではない。生き方の規範を示し、それを仕付け教え込むことにより、子供はそれに反発しつつも自分のアイデンティティを確立し自由の使い方を学ぶのである。規範の無いところで真っ当な自己を確立できようはずもなく、人間的に自由を使いこなせようはずもない。そして大切なのは、生き方の規範、倫理の源泉は過去にしか無いことを知ることだ。それは豊かな日本の歴史の中にしか無い。何でも容認する態度は、子供への愛情ではなく、放縦であり、無関心、冷淡、無責任な態度である。或いは、過去からの豊かな倫理を継承し得ない空虚な自分の本性をごまかそうとしているのである。

 現代日本に最も欠けたる「躾(しつけ)」ないし「人間教育」の基本はすべて「武士道」にある。若者たち−とりわけ組織の指導層たるべき若者たち−に対して示すべき人間像は武士の中にある。武士が示す人間像は決して特殊なものではなく、アメリカ人も強く惹かれる普遍的な価値を有している。それは、人間として、リーダーとして「備えるべき万国共通の素養」を数多く含んでいるのである。僕は新渡戸稲造の名著「武士道−日本の魂」を読んでそのことを確信した。日本におけるノブリス・オブリージュ確立のために、武士道のエッセンスを現代に蘇生させる啓蒙活動が沸き起こらんことを願う。

平成一五(二〇〇三)年四月一三日

(続く)