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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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武士道の蘇生

―日本におけるノブリス・オブリージュ確立のために―

(承前)

 

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 新渡戸稲造(一八六二年〜一九三三年)は、南部藩の武家の子に生まれ、札幌農学校からアメリカへ苦労して自費留学し、その生涯は主に教育者として費やされたが、台湾の製糖事業の立ち上げにも携わり、また後年には、豊かな国際経験を買われて国際連盟の事務次長も勤めた。アメリカ人の妻を娶り日米の掛け橋とならんとした新渡戸にとって、晩年の日米関係の悪化、日本の国際社会での孤立化は、耐え難い心痛であったことだろう。

 新渡戸の「武士道」は一九〇〇年にアメリカで刊行された英語の著書である。それは明治日本の民族としての自己確立の書であり、日本の道徳の精華である武士道を万国に理解させ称揚せんとした書である。この書は世界各国でベストセラーとなり、時のアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も感激し、何冊も買って知人たちに配ったほどであった。ルーズベルト大統領は大の日本好きとなり、このことが数年後に日露戦争後の日露の仲介役をアメリカが引き受けた理由の一つになったとも言われる。

 「武士道」が説く徳目は、共感できるものが多いが、僕にとってとりわけ印象的だったのは、戦と死への覚悟を背景にした禁欲主義(ストイシズム)や克己の鍛錬の鮮烈さ、そこから派生する冷静さや勇気の凄みであった。克己と冷静と勇の究極の姿は、太田道灌の死にあたっての逸話に現れている。曰く、

「江戸城の創建者たる太田道灌が槍にて刺された時、彼の和歌を好むを知れる刺客は、刺しながら次のごとく上の句を詠んだ、

  かかる時さこそ命の惜しからめ(=こういう時はさぞ命が惜しいであろう)

これを聞いてまさに息絶えんとする英雄は、脇に受けたる致命傷にも少しもひるまず、

かねて無き身と思い知らずば(=かねてこの世に無いはかなき身と思い知らないのならば)

と、下の句を続けた。」

死に及んでの返歌! わが名誉のためにここまでの自己鍛錬を武士道は求めるのである。

 この禁欲主義(ストイシズム)は、正しい生活習慣へと我々を導き、また、金銭に対する警戒という知恵を我々に授けてくれる。正しい生活習慣は、正しい姿勢や礼儀作法といったことがらを含み、動作の優美なるものが結局時間と労力を最も省く経済的なものであることを示す。動作の優美は鍛錬による合理主義である。これは武士の文化たる茶道の型然り、能の所作然りである。人間、美しい姿で生きたいものである。金銭に対する警戒も武士道で顕著である。金銭の価値にとらわれるところから人間の堕落が始まる。カネへの執着は賄賂を生み社会を腐敗させる。そこで武士道は質実剛健の知恵を説くのである。現代資本主義社会にあっても、いや、モノに満たされた高度資本主義社会なればこそ、金銭以外の価値に目を向けるべきことを、武士道の禁欲主義は我々に教えている。

 戦の覚悟を背景に、武士道は刀に象徴される武力の鍛錬を促す。しかし、実は、敵には磐石の備えをしつつも武力を使わずに勝利することこそ武士道の目指すところであった、と、新渡戸は勝海舟の回顧談を引いて述べる。しかも武力を行使する「勇」は「義」(=正当性)の裏付けがあって初めてひとつの「徳」を成すと教えられる。死と向かい合わせになってもなお冷静さを保つ胆力を磨きつつも、武士は、勇と武の行使に正当性と抑制的運営とを求められた。そこに武士道の志の高さと世界的普遍性が認められる。

 武士道が行動主義、実践主義であり、知識はそれのみでは価値あるものとしなかったことにも僕は共感を持つ。しかも武士道が求めた知識とは、単なる客観的な真理だけではなく、それ以上にリーダーとしての人間学であり叡智であった。情報社会などという言葉に安心していてはいけない。知識や情報を使いこなすのは我々人間であり、知識や情報に振り回されないためにまずは人間学を収めなければならないのは、武士の時代も現代も同じである。

 武士道というと、「死の美化」という印象を持つ人も居るかもしれないが、武士道イコール死の美化というのは、大東亜戦争中に「潔さ」が強調されすぎたことに由来する偏った武士道の解釈である。武士道は神秘主義ではなく合理主義なのである。

平成一五(二〇〇三)年四月一三日

(続く)