武士道の蘇生
―日本におけるノブリス・オブリージュ確立のために―
(承前)
V
新渡戸稲造の「武士道」を真摯に読み込んだのが元台湾総統の李登輝氏である。李登輝氏は戦前日本の旧制高校で教育を受けた方であるが、近著「『武士道』解題−ノブリス・オブリジュとは」を読むと、台湾人たる李登輝氏がリベラルアーツ(人格涵養のための一般教養)を尊重した旧制高校の教育に心底感謝し、新渡戸稲造を心から敬愛しているのがよくわかる。これは僕にとって新鮮な驚きだった。李氏の古今東西の哲学、宗教、思想についての見識は、単なる知識ではなく、生きた知恵ないし思考軸となっている。本物の知識人とはこういう人をいうのだろう。
台湾に真の自由と民主主義をもたらし、台湾人としての民族自覚を促しアイデンティティを確立するという大事業を成し遂げつつあるのが李登輝氏である。信無き共産中国に対し、李登輝氏がいかに武士道を実践して対抗しているか、この本「『武士道』解題」の随所に熱い思いが噴出している。まず共産中国がいかに信と誠に欠けているか、氏は言う、
「そもそも『中華人民共和国』という擬制そのものが、根本的に嘘ではないですか。孫文の『三民主義』を実現するための国家体制であると広言しながら、かつて民主主義的であったことがありますか?『人民』に対して自由や平等を許容したことがありますか? 天安門事件にしても、チベット抑圧政策にしても、法輪功弾圧にしても、すべてが独裁国家的で、冷酷かつ残忍なことばかりしている。いったい、何万人、何百万人の無辜の民を殺してきたというのですか。
私は、これまで一度たりとも『統一には絶対反対する』などと言ったことはありません。中国の指導者が嘘をつくのをやめ、本当に自由で民主主義的な体制を作るようになれば、いつでも統一に応じる用意がある、と言い続けて来たのです。それまでは、台湾の人々のために、万民のために、一国の責任ある指導者として『特殊な国と国との関係』という現実を維持しないわけにはいかない、とだけ言って来たのです。…(中略)…東京外国語大学学長だった中嶋峰雄博士も、『アジアの知略』という本の中で、はっきりこう言ってくれています。『台湾と中国との関係について、非常に単純明白な、そして核心的な問題は、台湾の人たちが自ら進んで統一したくなるような国づくりを中華人民共和国はしてこなかった、ということに尽きる。もしも、大陸が民主的で自由でかつ豊かな国であれば、台湾の人たちも自然と一緒になろうと思うはずだ。だが、現実はすべてこの逆だから、台湾の民心はますます大陸から離れてゆく。』」
しかし李氏は、自由や民主主義で立ち遅れた魅力無き共産中国にも、「惻隠の情」「仁」を以って臨んでいると言う、
「台湾の指導者としての私は、決して彼らを軽蔑したり見捨てたりするような態度は取らず、『一刻も早く、せめて台湾のレベルにまで追いついて欲しい。それまで根気よく待ち続けています』と言い続けて来たのです。」
にもかかわらず、共産中国は、
「私や台湾人の心をまったく無視して、一方的に、自らの未熟で悲惨な政治的・経済的な現状に対する反省の姿勢も見せないまま、躍進する民主国家『新台湾』を力づくで抑え込もうとするばかりでした。」
人間でも国家でも羞恥心が良心の淵源だが、
「日本と中国を比較すると、中国では反省もなく何かのスローガンや形式ばかりの言葉で、羞恥心を打ち消そうとする」し、
「事なかれ主義で、心からの反省をしないという面が往々にしてあります。」
これが台湾と共産中国の現実の姿なのであろう。したがって李登輝氏も、「敵には磐石の備えをしつつも武力を使わずに勝利すること」を目指す武士道の心構えを崩すわけにはいかないのである。曰く、
「台湾に対しても中共は絶えずミサイルなどで脅しをかけてきます。しかし、それぐらいでぐらつくほど『新台湾』はひ弱ではありません。あんなものは、単なるブラフにしか過ぎない。大陸は、台湾に対して八十発くらいのミサイルを撃ち込めると言っています。しかし、私たちは、それに対する態勢も十分に完備していますから、文字通り『備えあれば憂いなし』で、全く恐れてはいないのです。
ただ単に台湾を守るというだけではなく、向こうが撃ってきたらこっちも撃ち返して徹底的に叩き潰す。そのような不退転の決意と、正しい判断力を与えてくれるのが『武士道』だと私は確信しています。『敢為堅忍の精神』というのは、まさにそういうことなのです。」
何と武士の凛々しさを感じさせる言葉ではないか。
翻って、わが国の共産中国に対する外交姿勢は、およそ武士の精神からかけ離れた卑屈で情けないものである。二〇〇一年に李登輝氏が心臓病治療のために日本に入国したいと願い出た時には、中共の反発を意識する官僚や政治家が強硬に反対した。人道主義の筋を通すという「仁」も「義」もありはしない。ただ事なかれ主義の不誠実な対応である。また二〇〇二年には、慶応大学の学生サークル「経済新人会」が李登輝氏に学園祭での講演を依頼したが、これまた中共の意向を恐れた外務省筋から圧力がかかり、李氏は学生に迷惑がかかることを慮り訪日ビザの申請を取り下げざるを得なかった。とにかく中共が最も恐れ警戒する李登輝氏を訪日させて波風を立てたくないという事なかれ主義だけが日本の外交筋の精神であるらしい。さらに同年、中国瀋陽で北朝鮮からの亡命希望者の日本領事館駆け込み事件があった。この事件では、中国警官の領事館への強行踏み込みという日本の主権に対する侵害がなされ、かつ、逃げ込んだ亡命希望者が領事館の容認のもとに中国警官に連れ去られるという人権に対する侵害がなされた。この様子は映像で全世界に放映され、自国の主権にも亡命者の人権にも鈍感な日本の領事館のぶざまな対応が世界にあからさまにされた。自国の領土と同じ領事館への侵入者を許さない独立自尊心(「勇」)の欠如、普遍的価値である亡命者への人権配慮(「仁」)の欠如は、まさに日本外交の精神無き事なかれ主義の象徴であった。ルーズベルト大統領を感動させた日本の武士道はどこへ行ったのか? 外交官をはじめとする日本の指導層に武士道教育は不可欠である。
さて、「『武士道』解題」の第一部の最後で、李登輝氏が台北郊外の観音山に登った時のことを記しておられるのが印象的である。霧に包まれた山道を登りいつの間にか山頂に立っていた氏は、一陣の風とともに霧が晴れ、足元を見ると、一メートル四方の切り立った岩の上にいる自分に気づく。
「一歩でも足を滑らせたら最後、奈落の底に転げ落ちてしまうのです。そのとき私は、ひとつの天啓のような不思議な気持ちに包まれました。『一人なのだ。たった一人なのだ。誰も助けてはくれない。生きるも死ぬも、自分一人で立っていかなければならないのだ。』」
これは、人間の絶対孤独、絶対自立を深く自覚した経験を述べられたものだが、特に政治家や組織のリーダーは、こうした孤独に耐え、自立して決断・実行することを宿命づけられた存在である。李氏は、間違いなく、その自覚と志に生きている政治家である。こういう人物にこそ日本国の首相になって欲しいと望むのは僕だけだろうか。
平成一五(二〇〇三)年四月一三日
(続く)